2016.03.23

プラハ トラム博物館 1948年の22番線

行き先が、Bila Horaなっていうる。
BilaはきっとVillaであろうから、町か村で、Horaは山のようなので、山の村ということになる。
だが、おそらく、高級住宅街であったかどうかはともかく、いいとこだったのではないか?そう思わせる。
プラハ
山の手はいつも高級住宅街なのだ。
どの町も、西に高級住宅街があって、東に庶民の下町がある。
プラハも、その形から漏れることはなさそうだ。
プラハ
もっとも、洋の東西は問わずとも、南半球では、別なのだろうか?
太陽が東から登る限り、変わらぬような気もする。
1948年のトラム。
日本は戦後復興ただなかである。
ということは、チェコは共産化への道をまっしぐらだった時代ということだ。
そう考えると、Bila Horaは優雅な街だったわけではないのかもしれない。
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