2013.12.29

ミイ・ラ・フォレの洗濯場とお城

ミイ・ラ・フォレを散策すると、ところどころに建造物の案内版がある。
この場所には、洗濯場とお城という看板が立っていた。
近くに教会もあるから、この町の中でも印象的な場所とも言える。
コクトー眠るサンブレーズ・デ・サンプル礼拝堂からは、町の反対側になるだろうか。
ミイ・ラ・フォレ
洗濯場というのは、あちらこちらで歴史的建造物としてお目にかかる。
共同洗濯場が好きなのではなく、残りやすかったのかもしれない・・・?
この案内版を読めば、19世紀に作られ、つい最近、大戦後に補修されたようなので、歴史的といっても古代の話じゃない。
物心ついたときには、洗濯機という三種の神器が一家に一台ある世代からすれば、隔世の感だろうが、お年寄り達にとっては、今も思い出の場に違いない。
残りやすいどころか、こないだまで現役だったのだ。

水門で水位を調節していたと書かれているが、運河を次々張り巡らし、川が交通路だった欧州では、こうした技術は一般的だったのに違いない。
日本は急流の川の氾濫との戦いであったから、土手を作った話が歴史話に多い。
ミイ・ラ・フォレ
向かいのお城は、いわゆる、コクトーの家だ。
もちろん、コクトーよりはるか前に立てられている。
跳ね橋の付いた防御性の高いお城は、13世紀に建てられ、100年戦争の後、15世紀に再建されたようだ。

これは、よく出るヴォーヴァンではなく、グラヴィル提督によって作られたようだ。
もっと古い時代ですね。

この人、どうも、ミイ・ラ・フォレの街中にある市場も建築しているようだから、この町の御領主さまだったのかも知れぬ。この人は、ジャンヌダルクの100年戦争後とフランスの文化の華が開くフワンソワ1世の間の時代に軍人として活躍した人ということになるわけですな。
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