2011.12.12
Rue des Maraichers マレシェール通り
パリ20区の南側を南北に伸びるとおり。
20区大動脈のピレネー通りから分岐したあと、ピレネー通りの裏通りのごとく、並んで走る。
結構長い通りであるので、いろんな顔を持つのだ。
その一つが落書き通り。
壁面が、いかにも落書きのためのキャンバスのように存在するため、してくださいと言っているように見えるのだろう。
見事なまでにカラフルにやられている。
いかにもパリの端の地区と言わぬばかりの後継だ。
いまでも、若者達が、せっせとせっせと書き続けているのだ。
そういう場面に出くわすことすらある。
これもまた、麗しきパリの一面であることに違いない。
場所が変わると、遠くに廃線プティット・サンチュールが走る壁面が見える。
うっそうと木々が生い茂る廃線跡であるが、列車が走っているときは、一体どんな画だったろう?
さらに歩いて近づいてゆくと、交差点の高架橋に出る。
鉄柵からぶら下がる、自転車の車輪が、まるでカバンにかけられた南京錠かカラビナフックのようにさえ見える。
パリの街を支えてきた大動脈の侘しくとも、一服の画となる光景ではある。
20区大動脈のピレネー通りから分岐したあと、ピレネー通りの裏通りのごとく、並んで走る。
結構長い通りであるので、いろんな顔を持つのだ。
その一つが落書き通り。
壁面が、いかにも落書きのためのキャンバスのように存在するため、してくださいと言っているように見えるのだろう。
見事なまでにカラフルにやられている。
いかにもパリの端の地区と言わぬばかりの後継だ。
いまでも、若者達が、せっせとせっせと書き続けているのだ。
そういう場面に出くわすことすらある。
これもまた、麗しきパリの一面であることに違いない。
場所が変わると、遠くに廃線プティット・サンチュールが走る壁面が見える。
うっそうと木々が生い茂る廃線跡であるが、列車が走っているときは、一体どんな画だったろう?
さらに歩いて近づいてゆくと、交差点の高架橋に出る。
鉄柵からぶら下がる、自転車の車輪が、まるでカバンにかけられた南京錠かカラビナフックのようにさえ見える。
パリの街を支えてきた大動脈の侘しくとも、一服の画となる光景ではある。
スポンサーサイト
この記事へのトラックバックURL
http://rvabeille.blog80.fc2.com/tb.php/1169-2f5ea681
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
| HOME |