2020.05.30
サンマウリツィオ教会の美しいパイプオルガン
パイプオルガンの上に二つの明かり窓がある。
丸くてかわいらしいのだが、おそらく、これ、下のパイプオルガンの扉を開いた時に、その扉裏の絵に光があたる照明になっているようですね。
それにしても、よく考えられてます。
全体像も、細かい所も、俯瞰してイメージできる人が設計するんでしょうね。
こういう仕事ぶりには、拍手を送り続けたいです。

居間から見えているキッチンとか、玄関の扉を開けた時に見えている奥の部屋の壁とか、たかがインテリアも、考えると奥が深い。
こうした建物は、建物自体が存在しないところがスタート。
最初に部屋に入ってみてイメージすることもできないでしょう。
プロトタイプを作るんですかね?
見事だと、なんだか、仕事の手順もちょっと知りたくなりますね。
丸くてかわいらしいのだが、おそらく、これ、下のパイプオルガンの扉を開いた時に、その扉裏の絵に光があたる照明になっているようですね。
それにしても、よく考えられてます。
全体像も、細かい所も、俯瞰してイメージできる人が設計するんでしょうね。
こういう仕事ぶりには、拍手を送り続けたいです。

居間から見えているキッチンとか、玄関の扉を開けた時に見えている奥の部屋の壁とか、たかがインテリアも、考えると奥が深い。
こうした建物は、建物自体が存在しないところがスタート。
最初に部屋に入ってみてイメージすることもできないでしょう。
プロトタイプを作るんですかね?
見事だと、なんだか、仕事の手順もちょっと知りたくなりますね。
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2020.05.26
ヴィシェフラッド 石積み
2020.05.25
ルピック通りのアパルトマンたち
2020.05.23
フォントネー修道院の回廊列柱
さて、回廊写真は続く。
回廊のつながりを撮り、中庭を撮ったが、さてどうするか?
で次は柱を撮ってみる。
ここまで、回廊にはいってから、10歩も歩いていまい。
なんとも、いい加減にシャッターを切ってゆくのだが、それと正比例するように、いい写真は撮れない。
きっと、何が撮りたいかはっきりしていないのだと思われる。
そりゃ、回廊じゃないか!
そうも言いたくなるのだが、回廊の何ってなっていかないと、回廊そのものは大きいから、ぼけてしまうのかなぁ?

そういえば、この天井。
指先が、天井部分でぶつかったような、アーチ型の天井ですが、ヴォールト天井というのかな?
この回廊の廊下部分の空間を取り出したときに、かまぼこのような形になっているのであれば、それをヴォールトというのでいいのだろうか?
ピンと来ていないのだが、そう認識している・・・、今のところ。
回廊のつながりを撮り、中庭を撮ったが、さてどうするか?
で次は柱を撮ってみる。
ここまで、回廊にはいってから、10歩も歩いていまい。
なんとも、いい加減にシャッターを切ってゆくのだが、それと正比例するように、いい写真は撮れない。
きっと、何が撮りたいかはっきりしていないのだと思われる。
そりゃ、回廊じゃないか!
そうも言いたくなるのだが、回廊の何ってなっていかないと、回廊そのものは大きいから、ぼけてしまうのかなぁ?

そういえば、この天井。
指先が、天井部分でぶつかったような、アーチ型の天井ですが、ヴォールト天井というのかな?
この回廊の廊下部分の空間を取り出したときに、かまぼこのような形になっているのであれば、それをヴォールトというのでいいのだろうか?
ピンと来ていないのだが、そう認識している・・・、今のところ。
2020.05.21
モルジウカランクに到着
2020.05.20
シャンポーの丘から、ジュネ方面とモンサンミシェルを望む。
2020.05.19
クラコフスキエ・プシェドミエシチェ通りの風景
2020.05.14
ミラノの街角を曲がるトラム
2020.05.13
ヴィシェフラッドの丘から見るプラハ
2020.05.12
Rue du Faubourg Poissonniere コローの家
アンブロワーズ・トマ通りから、フォーブール・ポワッソニエール通りへ出る。
トンネルを抜けると、斜め前の建物に石看板が取り付けてある。
たいてい、それは、有名人の家の跡であることが多いが、はたして、そうであった。
カミーユ・コロー。

この家で亡くなったとここに書かれているから、パリで生まれ、パリで亡くなったんですね。
オーヴェル・シュル・オワーズには、ドービニーの家があるが、コローは、街が好きだったのか、パリが好きだったのか?
ただ、コローと言えば、やっぱり風景。
町に住んで、郊外に風景を見に行き、そして、また絵を描くという人だったんだろうか?などと思いを馳せる。
ドービニーに家にも、壁一面のコローの絵があった。
あそこまで出かけてゆき、酒を飲みつつ、絵について談笑し、夜更けまで話し、泊まって、またパリに戻る。
そんな、生活もしていたのかもしれない。
風景画といえば、シスレー、ピサロ、モネという3人が比較され、並べられる。
そんな額が、オルセーにあったと思うし、こちらも、3人並べて印象派風景画の巨匠のイメージもある。
コロー、ルソー、ドービニーもまた、3人合わせてワンセットの画家の様に記憶しているし、実際、絵をみても、どれがドービニーで、ルソーで、コローか混じってわからない。
たしかバルビゾン派の3人であるが、バルビゾンと言えば、ミレーの印象が強いが、ミレーの絵とこの3人は、またちょっと違う感じもする。
トンネルを抜けると、斜め前の建物に石看板が取り付けてある。
たいてい、それは、有名人の家の跡であることが多いが、はたして、そうであった。
カミーユ・コロー。

この家で亡くなったとここに書かれているから、パリで生まれ、パリで亡くなったんですね。
オーヴェル・シュル・オワーズには、ドービニーの家があるが、コローは、街が好きだったのか、パリが好きだったのか?
ただ、コローと言えば、やっぱり風景。
町に住んで、郊外に風景を見に行き、そして、また絵を描くという人だったんだろうか?などと思いを馳せる。
ドービニーに家にも、壁一面のコローの絵があった。
あそこまで出かけてゆき、酒を飲みつつ、絵について談笑し、夜更けまで話し、泊まって、またパリに戻る。
そんな、生活もしていたのかもしれない。
風景画といえば、シスレー、ピサロ、モネという3人が比較され、並べられる。
そんな額が、オルセーにあったと思うし、こちらも、3人並べて印象派風景画の巨匠のイメージもある。
コロー、ルソー、ドービニーもまた、3人合わせてワンセットの画家の様に記憶しているし、実際、絵をみても、どれがドービニーで、ルソーで、コローか混じってわからない。
たしかバルビゾン派の3人であるが、バルビゾンと言えば、ミレーの印象が強いが、ミレーの絵とこの3人は、またちょっと違う感じもする。
2020.05.11
フォントネー修道院の回廊中庭を撮る
2020.05.08
モルジウカランクへの道 石灰岩に架かる石灰岩の橋
2020.05.07
シャンポーの丘から望むモンサンミシェル
先週乗せた写真とほぼ同じ。
おっ!ヨットが見える。
この方が、規模感出るかな?とも一枚。
いやいや、ヨットがあった方が、絵的でしょうと一枚かな。

この日、リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院の往復20キロを歩いてきたわけだが、夕方には、また外へ出かける。
ここへ着いた当日の夕方には、モンサンミシェルとトンブレーヌがはっきり見えていた。
だが、楽しみにしていた、朝起きると窓からモンサンミシェルはかなわなかった。
霧である。
肉眼では、わずかに、わずかに、黒っぽく影が見えていたのだが、ファインダー越しには、確認できない。
そんなこともあったから、風景は常に一期一会であることを、思い出したからである。
同じような写真に、やたらとシャッターを切る言い訳にもなりますしね。
おっ!ヨットが見える。
この方が、規模感出るかな?とも一枚。
いやいや、ヨットがあった方が、絵的でしょうと一枚かな。

この日、リュセルヌ・ドゥトゥルメール修道院の往復20キロを歩いてきたわけだが、夕方には、また外へ出かける。
ここへ着いた当日の夕方には、モンサンミシェルとトンブレーヌがはっきり見えていた。
だが、楽しみにしていた、朝起きると窓からモンサンミシェルはかなわなかった。
霧である。
肉眼では、わずかに、わずかに、黒っぽく影が見えていたのだが、ファインダー越しには、確認できない。
そんなこともあったから、風景は常に一期一会であることを、思い出したからである。
同じような写真に、やたらとシャッターを切る言い訳にもなりますしね。
2020.05.01
クラコフスキエ・プシェドミエシチェ通りのワルシャワ大統領宮殿前にて
騎馬像が見えてきた。
雨はパラついていたが、ほぼ気にならない程度に。
騎馬像であるから、この国の王様か、英雄か?
まるで、博物館のような建物。
手前には、説明文のような碑文。
一枚写真を撮って、あとで、調べてみようっと。

はたして、ここは、大統領宮殿であった。
そして、騎馬像は、ユゼフ・ポニャトフスキという、ナポレオン旗下でポーランドのために活躍した英雄でした。
むろん、パリの凱旋門にも、その名は刻まれている英雄。
して、その説明文かと思われた、手前の碑文は、よくよく見ると、スモレンスクの文字。
レフ・カチンスキ大統領の名。
カティンの森の追悼式典参加予定だった大統領一家ら要人の乗った飛行機墜落事件のことについての碑文のようですね。
2010年4月。
自分の記憶にも、そのニュースがあります。
雨はパラついていたが、ほぼ気にならない程度に。
騎馬像であるから、この国の王様か、英雄か?
まるで、博物館のような建物。
手前には、説明文のような碑文。
一枚写真を撮って、あとで、調べてみようっと。

はたして、ここは、大統領宮殿であった。
そして、騎馬像は、ユゼフ・ポニャトフスキという、ナポレオン旗下でポーランドのために活躍した英雄でした。
むろん、パリの凱旋門にも、その名は刻まれている英雄。
して、その説明文かと思われた、手前の碑文は、よくよく見ると、スモレンスクの文字。
レフ・カチンスキ大統領の名。
カティンの森の追悼式典参加予定だった大統領一家ら要人の乗った飛行機墜落事件のことについての碑文のようですね。
2010年4月。
自分の記憶にも、そのニュースがあります。
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