2019.01.31
モンサンミシェル湾 ジュネの競馬広告
サン・ジャン・ル・トマ Saint-Jean-le-Thomas の町の中心付近に着いた。
泊まるのは崖の上シャンポー。
サン・ジャン・ル・トマは、崖の下の町。
ここからも、モン・サン・ミシェルを眺めることはできる。

ぶらついたら、海辺へ向かう予定だった。
バス停の近くまで来ると、黄色の広告が目に飛び込んできた。
いやいや、COURSES HIPPIQUE(競馬)の文字が飛び込んできたのだ。
何ともシンプルだが、もちろん、観光客目当てではなく、地元の人たちに告知しているのだろう。
7月8日の日曜日。
7月第二日曜に、GENET(ジュネ)の競馬が開催される。
おそらく、この日だけだ。
これを見るために、この界隈にやってきた。
モンサンミシェルは見えるが、そこを訪問する気はない。
モンサンミシェルを眺めながら、競馬を楽しむ贅沢が、今回最大の目的なのだ。
泊まるのは崖の上シャンポー。
サン・ジャン・ル・トマは、崖の下の町。
ここからも、モン・サン・ミシェルを眺めることはできる。

ぶらついたら、海辺へ向かう予定だった。
バス停の近くまで来ると、黄色の広告が目に飛び込んできた。
いやいや、COURSES HIPPIQUE(競馬)の文字が飛び込んできたのだ。
何ともシンプルだが、もちろん、観光客目当てではなく、地元の人たちに告知しているのだろう。
7月8日の日曜日。
7月第二日曜に、GENET(ジュネ)の競馬が開催される。
おそらく、この日だけだ。
これを見るために、この界隈にやってきた。
モンサンミシェルは見えるが、そこを訪問する気はない。
モンサンミシェルを眺めながら、競馬を楽しむ贅沢が、今回最大の目的なのだ。
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2019.01.30
ヴロツワフ Piaskowa ピアスコヴァ通り
2019.01.29
チロルって 火薬塔から
チロルっていえば、なんだか民族衣装ディアンドルとか、山小屋にチーズにミルクに、羊に牛に・・・。
スイスもそんなイメージだが、チロルはオーストリア。
漠然とそんな風に思っていた。
少なくとも、太陽が燦燦と降り注ぐイタリアのイメージではなかった。

こうして写真を撮って、かわいらしい建物を見ると、ま、これがチロルらしいかどうかは置いておいて、イタリア、チロルってなんだ?となる。
どうやら、チロルは、北から3層に分かれ、一番北はオーストリアのチロル州で、真ん中の層は、ここ南チロルと、オーストリア東チロル。そして、さらに、この南のトレンティーノもチロルの最南層なのである。
エリア的には、イタリア部分が随分と広い。
イタリアとオーストリアの歴史的係争地なんですね。
たしかに、チロル全体の、ど真ん中にメラーノがある。
ここにチロル城があるのは、そう考えると、納得がいく。
アルザスとか、バスクとか、ズデーデンとか、シレジアとか、チロルとか、日本的感覚だと、国単位で線引きしたくなるけれど、地続きの欧州では、そう簡単なわけじゃないんですね。
スイスもそんなイメージだが、チロルはオーストリア。
漠然とそんな風に思っていた。
少なくとも、太陽が燦燦と降り注ぐイタリアのイメージではなかった。

こうして写真を撮って、かわいらしい建物を見ると、ま、これがチロルらしいかどうかは置いておいて、イタリア、チロルってなんだ?となる。
どうやら、チロルは、北から3層に分かれ、一番北はオーストリアのチロル州で、真ん中の層は、ここ南チロルと、オーストリア東チロル。そして、さらに、この南のトレンティーノもチロルの最南層なのである。
エリア的には、イタリア部分が随分と広い。
イタリアとオーストリアの歴史的係争地なんですね。
たしかに、チロル全体の、ど真ん中にメラーノがある。
ここにチロル城があるのは、そう考えると、納得がいく。
アルザスとか、バスクとか、ズデーデンとか、シレジアとか、チロルとか、日本的感覚だと、国単位で線引きしたくなるけれど、地続きの欧州では、そう簡単なわけじゃないんですね。
2019.01.28
Most Legii レギー橋からプラハ城
2019.01.25
Passage Cottin コタン小路
まあ、好きでしたね。
パリが好きになるきっかけはユトリロ。
その中でも有名な絵は、この通り。
だから、初めてパリに来た時にも、ここへはやってきた。

初めての時は、下から眺めた。
ユトリロの絵と同じ風景を見るためだ。
もちろん、上ってゆく途中で、写真を撮ったのだが、上手には撮れない。
今回、ユトリロ通りの階段を登って、モンマルトルにやってきた。
そのときに、まあ、何枚も何枚もとったので、少々上手に撮る感覚があったかもしれない。
とはいえ、何枚か撮った中で、階段小路らしい雰囲気が出たものをピックアップ。
あの、向こうの、平らなところまでがコタン小路。
フランスといえば、犬と犬の糞ですが、ここは、やっぱり、猫が合いますね。
今回は見かけませんでしたが。
パリが好きになるきっかけはユトリロ。
その中でも有名な絵は、この通り。
だから、初めてパリに来た時にも、ここへはやってきた。

初めての時は、下から眺めた。
ユトリロの絵と同じ風景を見るためだ。
もちろん、上ってゆく途中で、写真を撮ったのだが、上手には撮れない。
今回、ユトリロ通りの階段を登って、モンマルトルにやってきた。
そのときに、まあ、何枚も何枚もとったので、少々上手に撮る感覚があったかもしれない。
とはいえ、何枚か撮った中で、階段小路らしい雰囲気が出たものをピックアップ。
あの、向こうの、平らなところまでがコタン小路。
フランスといえば、犬と犬の糞ですが、ここは、やっぱり、猫が合いますね。
今回は見かけませんでしたが。
2019.01.24
スミュール・アン・ノクソワ ノートルダム教会 ステンドグラス続
2019.01.23
マルセイユ海岸散歩 海沿いのベンチ
2019.01.22
サン・ジャン・ル・トマ Saint-Jean-le-Thomas ヴューシャトー通り
2019.01.21
ヴロツワフ 道しるべ
2019.01.18
サン・シンプリチャーノ教会の天井画
壁に書かれた絵のことを、フレスコ画と言うのだと思っていた。
どうやら、あくまで、技法のひとつであって、壁画イコールではなかった。
最後の晩餐は、そのフレスコ画ではないということは、画を見るツアーのガイドさんから教わったことだ。

なんでも、フレスコ画というのは、一気に描き上げなければならないそうで、そういう、描き方自体を、ダ・ヴィンチが嫌って、ゆっくり書いたのだなどと勝手に想像してみると、画を描いた人たちの情感が乗ってきて、絵自体が、”人”の作品として、より身近に感じられる気もする。

さて、サン・シンプリチャーニ教会の聖母戴冠の壁画である。
女性の頭の上に、冠が授けられている絵である。
最後の晩餐とざっくり同じ時代のものだ。
こちらは、フレスコ画。
激しい、虹色のアーチに囲まれた絵は印象的だが、フレスコ画というのは、一気に描き上げなければならないのだから、念入りに準備をしたうえで行ったのだろう。
そんなことを、当時の作業状況なんかを勝手に想像しながら絵を見ると、なんだか、喧騒まで伝わってくるようだ。
空想のなかで、有名な絵を描く演劇を見ているような気さえする。
どうやら、あくまで、技法のひとつであって、壁画イコールではなかった。
最後の晩餐は、そのフレスコ画ではないということは、画を見るツアーのガイドさんから教わったことだ。

なんでも、フレスコ画というのは、一気に描き上げなければならないそうで、そういう、描き方自体を、ダ・ヴィンチが嫌って、ゆっくり書いたのだなどと勝手に想像してみると、画を描いた人たちの情感が乗ってきて、絵自体が、”人”の作品として、より身近に感じられる気もする。

さて、サン・シンプリチャーニ教会の聖母戴冠の壁画である。
女性の頭の上に、冠が授けられている絵である。
最後の晩餐とざっくり同じ時代のものだ。
こちらは、フレスコ画。
激しい、虹色のアーチに囲まれた絵は印象的だが、フレスコ画というのは、一気に描き上げなければならないのだから、念入りに準備をしたうえで行ったのだろう。
そんなことを、当時の作業状況なんかを勝手に想像しながら絵を見ると、なんだか、喧騒まで伝わってくるようだ。
空想のなかで、有名な絵を描く演劇を見ているような気さえする。
2019.01.17
プラハ Vnislavova ヴニスラヴォヴァ通り脇の線路と列車
2019.01.16
Rue de Bellefond ベルフォン通りの虹
2019.01.15
スミュール・アン・ノクソワのノートルダム教会のステンドグラス
透明な背景に、マークのように並ぶステンドグラス。
昔から、このようであるのか?
透明なものに再現したのか?
ともあれ、レンズを覗いてみると、どうやら、職業系のステンドグラスである。

上の赤背景のステンドグラスは、何かをテーブルで切っているシーンだ。
お肉の塊を切っているようにも見える。
脇には、付近とスプーン、フォークかな?
とすれば、肉屋さんグループの寄進だろうか?

こちらのブルー背景の図柄は、野生の鹿?なんですかね?
斧で、狩猟している感じから、おそらく、ジビエになるのだろうと思われます。
狩猟団体からの寄進なんですかね?
フリーメイソンと石工の話は、よくテレビでも見かけます。
そうした番組の影響か?こうした、職業系のステンドグラスにも興味がわいてくるのだから、それはそれで、いいきっかけになってますね。
上下両方のステンドグラスとも、足元の草花が、結構細かいんですよね。
描かれた状態で1枚になっているので、めちゃくちゃ古い時代のものじゃあないんでしょう、きっと。
昔から、このようであるのか?
透明なものに再現したのか?
ともあれ、レンズを覗いてみると、どうやら、職業系のステンドグラスである。

上の赤背景のステンドグラスは、何かをテーブルで切っているシーンだ。
お肉の塊を切っているようにも見える。
脇には、付近とスプーン、フォークかな?
とすれば、肉屋さんグループの寄進だろうか?

こちらのブルー背景の図柄は、野生の鹿?なんですかね?
斧で、狩猟している感じから、おそらく、ジビエになるのだろうと思われます。
狩猟団体からの寄進なんですかね?
フリーメイソンと石工の話は、よくテレビでも見かけます。
そうした番組の影響か?こうした、職業系のステンドグラスにも興味がわいてくるのだから、それはそれで、いいきっかけになってますね。
上下両方のステンドグラスとも、足元の草花が、結構細かいんですよね。
描かれた状態で1枚になっているので、めちゃくちゃ古い時代のものじゃあないんでしょう、きっと。
2019.01.11
モンサンミシェル湾景勝ルート
写真は、シャンポーChampeauxのバス停を降りたところ。
ここは、モン・サン・ミシェルのほぼ真北にあたる。
モン・サン・ミシェルの北には海が広がっているだけじゃないところがミソなのである。
モンサンミシェルとその湾に覆いかぶさるように陸地がある。
丁度、写真に見えているお店の看板は、モン・サン・ミシェルの北という意味だろう。

さらに北に行くと、グランヴィルに出る。ジャージー諸島などへ向かう船も出ている町だ。
そのグランヴィルから、海沿いを通り、アヴランシュを抜け、ポントルソンを経由してモンサンミシェルまでの道を、Route de la Baieという。
そのマークでもわかるように、モン・サン・ミシェルを眺められる景勝ルートなのだ。
グランヴィルから、モン・サン・ミシェルは朝、逆ルートは夕方にこのルートを直通バスが走っている。
通常は、グランヴィルからアヴランシュ間だ。
ここは、モン・サン・ミシェルのほぼ真北にあたる。
モン・サン・ミシェルの北には海が広がっているだけじゃないところがミソなのである。
モンサンミシェルとその湾に覆いかぶさるように陸地がある。
丁度、写真に見えているお店の看板は、モン・サン・ミシェルの北という意味だろう。

さらに北に行くと、グランヴィルに出る。ジャージー諸島などへ向かう船も出ている町だ。
そのグランヴィルから、海沿いを通り、アヴランシュを抜け、ポントルソンを経由してモンサンミシェルまでの道を、Route de la Baieという。
そのマークでもわかるように、モン・サン・ミシェルを眺められる景勝ルートなのだ。
グランヴィルから、モン・サン・ミシェルは朝、逆ルートは夕方にこのルートを直通バスが走っている。
通常は、グランヴィルからアヴランシュ間だ。
2019.01.10
マルセイユ 防波堤
2019.01.09
Plac Nankiera ナンキエラ広場の赤
2019.01.08
メラーノ 火薬塔から
2019.01.07
プラハ 国民劇場の天井をみつつ
2019.01.04
Rue de Bellefond ベルフォン通りの坂
北駅のほうから、オペラ座に向かって、ぶらぶらラ・ファイエット通りを下ってゆくと、右手に、雰囲気のいい感じの坂道があるな、とは、思っていた。
この坂を上ってみようと、散歩に来て、写真を撮ると、ますます気に入った。

通りの名前は、ベルフォン通り。
通り名の看板には、モンマルトル女子修道院長となっている。
Marie Gigault de Bellefondsとも書かれていたから、この修道院長はマリーさんなんですね。
モンマルトルに修道院があったのは、12世紀から18世紀で、この方は、17世紀後半から、18世紀前半の修道院長。
そういえば、メトロ12号線に、アベッスって駅がありましたね。
坂道の脇の、窓の凹凸が続くさまが、なんとも印象的なんですね、ここは。
この坂を上ってみようと、散歩に来て、写真を撮ると、ますます気に入った。

通りの名前は、ベルフォン通り。
通り名の看板には、モンマルトル女子修道院長となっている。
Marie Gigault de Bellefondsとも書かれていたから、この修道院長はマリーさんなんですね。
モンマルトルに修道院があったのは、12世紀から18世紀で、この方は、17世紀後半から、18世紀前半の修道院長。
そういえば、メトロ12号線に、アベッスって駅がありましたね。
坂道の脇の、窓の凹凸が続くさまが、なんとも印象的なんですね、ここは。
2019.01.01
あけましておめでとうございます
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