2017.11.30
Rue de Provence プロヴァンス通り
2017.11.29
Rue du 507 RIP グレーニュの道標
左へ入ってゆくと、鐘楼後の墓地がある。
ということがわかっていたので、そこへ向かって歩く。
競馬場へ行く前に、ちょっとした観光。
立派な道標である。
下のプレートには、En hommage à nos libérateursと書かれている。
解放してくれたひとへの感謝ということなのだろう。
どうやら、517は、82空挺師団の517歩兵連隊のようだ。

サント・メール・エグリーズは、映画の舞台にもなったし、今でも、落下傘部隊の一人が引っ掛かったままになっているから有名なのだが、どうやら、同じ部隊の別チームが、グレーニュへもパラシュートしているらしい。
517連隊がここということなのかな?
そういえば、パラシュートは、parachute
パラは、傘である。
パラソルとか、パラプリュイとかね。
chuteは、競馬でよく出てくるが、落馬である。
この場合、落下なのだろう。
落下傘。
フランス語をそのまま直訳すると、こうなるわけね。
ということがわかっていたので、そこへ向かって歩く。
競馬場へ行く前に、ちょっとした観光。
立派な道標である。
下のプレートには、En hommage à nos libérateursと書かれている。
解放してくれたひとへの感謝ということなのだろう。
どうやら、517は、82空挺師団の517歩兵連隊のようだ。

サント・メール・エグリーズは、映画の舞台にもなったし、今でも、落下傘部隊の一人が引っ掛かったままになっているから有名なのだが、どうやら、同じ部隊の別チームが、グレーニュへもパラシュートしているらしい。
517連隊がここということなのかな?
そういえば、パラシュートは、parachute
パラは、傘である。
パラソルとか、パラプリュイとかね。
chuteは、競馬でよく出てくるが、落馬である。
この場合、落下なのだろう。
落下傘。
フランス語をそのまま直訳すると、こうなるわけね。
2017.11.28
スミュール・アン・ノクソワへ
レ・ローム・アレジア駅の脇にあるバス停から、スミュール・アン・ノクソワ行きのバスが出ている。
通常は、モンバールの駅からということになるのだろうが、今回は、アレジア経由であるので。

美しい、緑の牧場の中を走ってゆく。
美しい緑の牧場の中を走ってゆく。
延々と変わらず続く、美しい風景の中、眠りに落ちる。
バス通りというのがあって、そこまで言ってバスに乗るというわけではない。
あちらこちらの街道脇の村中まで入って寄ってゆく。
車に乗せたすべての友達の家の前まで順番に送ってゆくようにだ。
気が付けば、スミュール・アン・ノクソワの街中へ入ってきた。
降りて、宿の前まで行くと、屋根という名の壁が目の前に立ちはだかっている。
通常は、モンバールの駅からということになるのだろうが、今回は、アレジア経由であるので。

美しい、緑の牧場の中を走ってゆく。
美しい緑の牧場の中を走ってゆく。
延々と変わらず続く、美しい風景の中、眠りに落ちる。
バス通りというのがあって、そこまで言ってバスに乗るというわけではない。
あちらこちらの街道脇の村中まで入って寄ってゆく。
車に乗せたすべての友達の家の前まで順番に送ってゆくようにだ。
気が付けば、スミュール・アン・ノクソワの街中へ入ってきた。
降りて、宿の前まで行くと、屋根という名の壁が目の前に立ちはだかっている。
2017.11.27
シャンティイ城の階段手すり
2017.11.26
サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会
2017.11.25
ワルシャワ西駅に到着! Alej Jerozolimskich アレイ・イェロゾリムスキエ
2017.11.24
Římská リームスカー通りとの交差点にて
2017.11.23
聖サンドニが歩いたのか?
モンスニ通りの通り名の上に、旧サンドニ通りの表示がある。
旧通り名の方がお金がかかっている作り。
このモンマルトルの丘は、その名の通り殉教者の丘。
パリの守護聖人のサンドニ他が殉教したところ。
そこから、サンドニ大聖堂まで、自分の首を持って歩いて行った。

この通りは、そのモンマルトルの丘から、北のサンドニ方向へ向かって下ってゆく。
とすればね、ここを歩いて行った伝説があるから、こういう名になったのではないか?
そう思うわけですね。
調べてみたわけじゃないですけど。
実際に首を持って歩くことは不可能でしょうけどね、殉教後、この通りを運ばれて下って行ったのかもしれません。
現在のサンドニ通りは、パリの1区の東端付近ですから、こことはずいぶん違う場所。
旧通り名の方がお金がかかっている作り。
このモンマルトルの丘は、その名の通り殉教者の丘。
パリの守護聖人のサンドニ他が殉教したところ。
そこから、サンドニ大聖堂まで、自分の首を持って歩いて行った。

この通りは、そのモンマルトルの丘から、北のサンドニ方向へ向かって下ってゆく。
とすればね、ここを歩いて行った伝説があるから、こういう名になったのではないか?
そう思うわけですね。
調べてみたわけじゃないですけど。
実際に首を持って歩くことは不可能でしょうけどね、殉教後、この通りを運ばれて下って行ったのかもしれません。
現在のサンドニ通りは、パリの1区の東端付近ですから、こことはずいぶん違う場所。
2017.11.22
グレーニュ競馬場へGraignes-Mesnil-Angotの真ん中に
2017.11.21
アリーズ・サント・レーヌ村の風景 Rue du Rochon ロション通り
2017.11.20
シャンティイ城 アンヌ・ド・モンモランシーのステンドグラス
アンヌ・ド・モンモランシーのステンドグラスがシャンティイのシャペルにある。
この人は軍人だが、彼の一族の血が、コンデ家に受け継がれている故のステンドグランスなのであろう。

上がアンヌ・ド・モンモランシーと子供たち。
下が、アンヌ・ド・モンモランシーの奥さんと子供たち。

モンモランシーという地名が、パリ北郊にある。
このコンデ家から、のちにアンガン公がいる。
アンガンという地名も、パリ北郊である。
アンガン公はヴァンセンヌ城にお墓がある。
このシャンティイ、アンガン、ヴァンセンヌというのは、一つの共通点がある。
競馬場なのだ。
そういえば、ナポレオンが好んだフォンテーヌブローと、コンピエーニュの宮殿も競馬場でつながる。
先日紹介した、パプスブルグの双頭の鷲の旗も、戦場から持ち帰ったものだそうだが、このお城に戦いの間があるように、軍、そして、馬というつながりは、いろんなところに現れますね。
日本の競馬も、貴族の華やかさとは違うかもしれませんが、馬匹改良という軍事目的はありましたしね。
この人は軍人だが、彼の一族の血が、コンデ家に受け継がれている故のステンドグランスなのであろう。

上がアンヌ・ド・モンモランシーと子供たち。
下が、アンヌ・ド・モンモランシーの奥さんと子供たち。

モンモランシーという地名が、パリ北郊にある。
このコンデ家から、のちにアンガン公がいる。
アンガンという地名も、パリ北郊である。
アンガン公はヴァンセンヌ城にお墓がある。
このシャンティイ、アンガン、ヴァンセンヌというのは、一つの共通点がある。
競馬場なのだ。
そういえば、ナポレオンが好んだフォンテーヌブローと、コンピエーニュの宮殿も競馬場でつながる。
先日紹介した、パプスブルグの双頭の鷲の旗も、戦場から持ち帰ったものだそうだが、このお城に戦いの間があるように、軍、そして、馬というつながりは、いろんなところに現れますね。
日本の競馬も、貴族の華やかさとは違うかもしれませんが、馬匹改良という軍事目的はありましたしね。
2017.11.19
サンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会とトラム
2017.11.18
中国国際航空でパリへ行く第3弾7
パリからの帰国便。
なにしろ、相手は中国人だ。
相手とは?なんのこっちゃ?
なにしろ、彼らの行動は早い。
3時間前にチェックインが始まるのだが、3時間前に行ったら、ほぼ最後尾に並ぶことになるからである。
その行列の達人たちを出し抜き、列の前の方へ並ぶ。
並ばねば、時間が失われるのだ。
4時間近く前に空港に到着。
既に、この飛行機に乗るのであろう中国人乗客の姿はちらほら。
いやいや、かなりいらっしゃる。
さすが!
ただ、まだ並んではいない。

個人的に不便だと思っている、CDGターミナル2ではなく、古いが一番出来の良いCDGターミナル1であるから、スーツケースをもって長距離移動はない。
カウンターゾーンもすぐにわかる。
あとは、負けずに並ぶだけだ。
中国国際航空の表示がないまま、どこへ並べばいいか?であるが、わかるわけもない。
でも、猛者である彼らは、それを聞き出して並び始める。
こちらは、その雰囲気を察して、並び始めた中国人にエアチャイナ?かどうか聞きて並ぶのである。
タッチの差で、20番目ほどに並ぶことができた。
わずか5分後。
推定200人近くが、私の後続に延々と列をなしていた。

チェックインを済ませ、上機嫌で、カフェで最後のお茶を楽しむ。
さぁて、搭乗口へ行きますか!
ところが、ここで、トラブルが。
空港内に不審物でもあったのだろう。
搭乗口へのエスカレーターはすべて閉鎖され、警察による場内チェックが始まる。
円状の空港の両側から、乗客は一角へ押し込まれてゆく。
30分ほどして、ようやく解放。

帰りは上海経由だった。
この今回の乗換では、検疫の通過が義務付けらているようで、係員と一緒に、検疫ゾーンをぐるりと一周して、再び荷物検査所へ。
なにか?鳥インフルとか、口蹄疫とか、あったんですかね?
いくつかの裏口みたいな扉を係員と進む。
そして、他の出国客と合流。
それにしても、中国人の外国出国数は半端ない。
荷物検査所の混み具合は、満員電車である。
搭乗口から、バスへ乗り込むときも私だけは、パスポートチェックが厳しかった。
替え玉スパイにでもなっていないか?確認しているかのようだった。
なんでか?わかりませんがね。
食事はとにかく中華ですから。
見た目はともかく、どこの航空会社とも同じレベルで、中華料理ってものですね。
まあ、中華好きなら、結構いいのではないかと思いますよ。
中華好きの私は、十分満足。
なにしろ、相手は中国人だ。
相手とは?なんのこっちゃ?
なにしろ、彼らの行動は早い。
3時間前にチェックインが始まるのだが、3時間前に行ったら、ほぼ最後尾に並ぶことになるからである。
その行列の達人たちを出し抜き、列の前の方へ並ぶ。
並ばねば、時間が失われるのだ。
4時間近く前に空港に到着。
既に、この飛行機に乗るのであろう中国人乗客の姿はちらほら。
いやいや、かなりいらっしゃる。
さすが!
ただ、まだ並んではいない。

個人的に不便だと思っている、CDGターミナル2ではなく、古いが一番出来の良いCDGターミナル1であるから、スーツケースをもって長距離移動はない。
カウンターゾーンもすぐにわかる。
あとは、負けずに並ぶだけだ。
中国国際航空の表示がないまま、どこへ並べばいいか?であるが、わかるわけもない。
でも、猛者である彼らは、それを聞き出して並び始める。
こちらは、その雰囲気を察して、並び始めた中国人にエアチャイナ?かどうか聞きて並ぶのである。
タッチの差で、20番目ほどに並ぶことができた。
わずか5分後。
推定200人近くが、私の後続に延々と列をなしていた。

チェックインを済ませ、上機嫌で、カフェで最後のお茶を楽しむ。
さぁて、搭乗口へ行きますか!
ところが、ここで、トラブルが。
空港内に不審物でもあったのだろう。
搭乗口へのエスカレーターはすべて閉鎖され、警察による場内チェックが始まる。
円状の空港の両側から、乗客は一角へ押し込まれてゆく。
30分ほどして、ようやく解放。

帰りは上海経由だった。
この今回の乗換では、検疫の通過が義務付けらているようで、係員と一緒に、検疫ゾーンをぐるりと一周して、再び荷物検査所へ。
なにか?鳥インフルとか、口蹄疫とか、あったんですかね?
いくつかの裏口みたいな扉を係員と進む。
そして、他の出国客と合流。
それにしても、中国人の外国出国数は半端ない。
荷物検査所の混み具合は、満員電車である。
搭乗口から、バスへ乗り込むときも私だけは、パスポートチェックが厳しかった。
替え玉スパイにでもなっていないか?確認しているかのようだった。
なんでか?わかりませんがね。
食事はとにかく中華ですから。
見た目はともかく、どこの航空会社とも同じレベルで、中華料理ってものですね。
まあ、中華好きなら、結構いいのではないかと思いますよ。
中華好きの私は、十分満足。
2017.11.17
イタルスカー通りの紅葉
2017.11.16
Rue de Mogador モガドール通りの壁画
2017.11.15
グレーニュ 1944年6月11日通り
2017.11.14
ヴェルサンジェトリクスとナポレオン3世
ヴェルサンジェトリクス像の下に、何か文字が書いてあるようだ。

この像は、ナポレオン3世が建てたもの。
そういう話は、どこかで読んだか、聞いたか?
はたして、そのナポレオン3世の文字を像下に見つけた。

この皇帝は、パリは大改造するし、競馬場は整備するし、建設大好きだったんでしょうね。
自身も外国にいたわけで、そういったことが、よりフランス人であることを意識させたでしょうね。
そもそも、自分の国籍は、外国に行って初めて、意味を持ちますしね。
母国愛は強くなりやすい。

見渡すと、一面の緑で丘の下は見えず。
見えないということは、敵からも見えないということで、実は結構なことですね。
物見には、木に登ってもらえばいいわけですからね。

この像は、ナポレオン3世が建てたもの。
そういう話は、どこかで読んだか、聞いたか?
はたして、そのナポレオン3世の文字を像下に見つけた。

この皇帝は、パリは大改造するし、競馬場は整備するし、建設大好きだったんでしょうね。
自身も外国にいたわけで、そういったことが、よりフランス人であることを意識させたでしょうね。
そもそも、自分の国籍は、外国に行って初めて、意味を持ちますしね。
母国愛は強くなりやすい。

見渡すと、一面の緑で丘の下は見えず。
見えないということは、敵からも見えないということで、実は結構なことですね。
物見には、木に登ってもらえばいいわけですからね。
2017.11.13
シャンティイ城 双頭の鷲
2017.11.12
ミラノ中央駅
2017.11.11
ワルシャワショパン空港から市内へ
2017.11.10
プラハ 立派な門構えと紅葉
2017.11.09
モンスニ通りの階段の途中にて
2017.11.08
グレーニュ競馬場への道6
2017.11.07
ヴェルサンジェトリクスと対面
2017.11.06
シャンティイ城 コンデ家の紋章ステンドグラス
2017.11.05
サンタ・マリア・デッラ・グラツィ教会へ
サンタ・マリア・デッラ・グラツィ教会へは、2度目の訪問である。
ダ・ヴィンチの絵があるわけだが、これ見るためには、ネットで申し込まねばならない。
だが、もう、すでにいっぱいで、申し込めない。
そういうわけで、当日、空きがあったら入り込もうと思って行ってみたわけだ。
残念ながら、完全なる門前払いでった。

で、別の年、改めて申し込もうと思ったが、やはりいっぱいで申し込めない。
あっという間に埋まる。
で、ツアーで行くしかないという、そういう判断になったわけだ。
ツアーであるから、ここだけというわけじゃない。
ツアー会社も、入場確保できれば、ツアーとして売ればいいわけで、世界遺産となったから、競走は激化してるのだろう。
ダ・ヴィンチの絵があるわけだが、これ見るためには、ネットで申し込まねばならない。
だが、もう、すでにいっぱいで、申し込めない。
そういうわけで、当日、空きがあったら入り込もうと思って行ってみたわけだ。
残念ながら、完全なる門前払いでった。

で、別の年、改めて申し込もうと思ったが、やはりいっぱいで申し込めない。
あっという間に埋まる。
で、ツアーで行くしかないという、そういう判断になったわけだ。
ツアーであるから、ここだけというわけじゃない。
ツアー会社も、入場確保できれば、ツアーとして売ればいいわけで、世界遺産となったから、競走は激化してるのだろう。
2017.11.04
ワルシャワ ショパン空港にて 初セルニーク
ショパン空港に到着した。
まずは、小型のキャッシュディスペンサーでキャッシングし、フランスのキオスクでもあるRERAYでワルシャワ市内の公共交通の1日券を買う。
チケットは現金でしか買えない。

宿に入るまで、結構時間があった。
それゆえ、荷物持ってぶらぶらはつらいので、空港でしばらく過ごしてから移動することに。
マクドナルドがあったので、入ってみると、ケースの中に、チーズケーキがあるではないか!
さすがポーランドはチーズケーキの国。
ということで、早速、食べてみた。
まあ、普通のチーズケーキであるとは思うのだけど、デカいですよね。
するりとフォークの刺さる柔らかいチーズケーキじゃなくて、一度刺したら、落ちることのない、ちょっとしっかり目の奴です。
数軒入ったポーランドのマックでは、セルニークを見かけたのは、この空港店だけだった。
まずは、小型のキャッシュディスペンサーでキャッシングし、フランスのキオスクでもあるRERAYでワルシャワ市内の公共交通の1日券を買う。
チケットは現金でしか買えない。

宿に入るまで、結構時間があった。
それゆえ、荷物持ってぶらぶらはつらいので、空港でしばらく過ごしてから移動することに。
マクドナルドがあったので、入ってみると、ケースの中に、チーズケーキがあるではないか!
さすがポーランドはチーズケーキの国。
ということで、早速、食べてみた。
まあ、普通のチーズケーキであるとは思うのだけど、デカいですよね。
するりとフォークの刺さる柔らかいチーズケーキじゃなくて、一度刺したら、落ちることのない、ちょっとしっかり目の奴です。
数軒入ったポーランドのマックでは、セルニークを見かけたのは、この空港店だけだった。
2017.11.03
Italska イタルスカー通り
2017.11.02
Le Four des Navette ル・フール・デ・ナヴェット
海沿いを延々と競馬場から歩いて散歩してきた最終目的地はここ。
スーパーで買ったナヴェットの本家本元みたいな店があるというので、やってきた。

お店の脇には、散歩中もよく見かけた、マルセイユの歴史看板。
パリにもあるが、形と色は違う。
この看板に、Le Four des Navetteとある。
1781年創業の、マルセイユで最も古いパン屋さん。
フランス革命前ですからね。

ここで、いろいろあるのだが、とりあえず、ばら売りのナヴェットを買って帰る。

味は、というより、やはり、オレンジの花なのか、香りの強いお菓子。
一本が結構長く、木の棒をもっているような感じだったのですが、食べてみると、おもったよりは、カッチカチではない。
はちみつとか、つけて食べてみたい感じですね。
スーパーで買ったナヴェットの本家本元みたいな店があるというので、やってきた。

お店の脇には、散歩中もよく見かけた、マルセイユの歴史看板。
パリにもあるが、形と色は違う。
この看板に、Le Four des Navetteとある。
1781年創業の、マルセイユで最も古いパン屋さん。
フランス革命前ですからね。

ここで、いろいろあるのだが、とりあえず、ばら売りのナヴェットを買って帰る。

味は、というより、やはり、オレンジの花なのか、香りの強いお菓子。
一本が結構長く、木の棒をもっているような感じだったのですが、食べてみると、おもったよりは、カッチカチではない。
はちみつとか、つけて食べてみたい感じですね。
2017.11.01
グレーニュ競馬場への道5
競馬場への歩道なき道を歩き続けている。
やはり、歩道もない道を、延々と歩き続けていると、帰りも同じように同じ距離を歩かねばならぬし、この先たどり着けるのか?わずかながら心配になる。
大抵、次から次へ見たことのある風景をたどる帰りは、行きに比べてびっくりするぐらい早く感じますけどね。

だが、わずかな、道の変化が、ふと、安心させてくれる。
この場合、子供の絵の描かれた標識。
結構なスピードで走る車であるから、もう少し先のことだろうが、子供たちが飛び出してくるかもしれぬ場所が近いことを教えてくれる。
民家が、そんなに遠くないのだろう。
目的地に近づいているんだなと、安心の種を与えてくれる。
そういえば、こんな標識、日本にあったかな?
やはり、歩道もない道を、延々と歩き続けていると、帰りも同じように同じ距離を歩かねばならぬし、この先たどり着けるのか?わずかながら心配になる。
大抵、次から次へ見たことのある風景をたどる帰りは、行きに比べてびっくりするぐらい早く感じますけどね。

だが、わずかな、道の変化が、ふと、安心させてくれる。
この場合、子供の絵の描かれた標識。
結構なスピードで走る車であるから、もう少し先のことだろうが、子供たちが飛び出してくるかもしれぬ場所が近いことを教えてくれる。
民家が、そんなに遠くないのだろう。
目的地に近づいているんだなと、安心の種を与えてくれる。
そういえば、こんな標識、日本にあったかな?
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