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2017.05.31

サンルイ島のパン屋 Boulangerie des Deux Ponts

散策中に立ち寄った、サンルイ島のパン屋さん。
マリー橋からすぐ。
Rue des Deux Ponts、ドゥーポン通りにある。
パリのパン屋
パン・オ・ショコラは、ちと大きめなサイズ。
パリのパン屋
パン・オ・レザンは、しっとりとした感じ。
パリのパン屋
どちらも、パリのパン屋さんらしい、これぞの定番な感じのパンだった。
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2017.05.30

カタール航空でパリへ行く1

成田発ドーハ行き。
20分ほど、出発が早まった。
ソウルや北京の上空を飛んで、パキスタンあたりからドーハへ。
そんなルートと思いきや、上海から、カルカッタへ向かい、カラチ、ドバイと通過していった。
北朝鮮ミサイルの問題からかもしれませんね。
カタール航空
さて、ボーイング777は快適でした。
普段、そんなに、和食和食和食な生活してませんから、ここは和食で。
おにぎり、味噌汁は飲食しているんですがね。
で、結構おいしかったです。
カタール航空
次はパンケーキ。
アプリコットらしきものも。
これも、まあ、機内食らしかったですかね。

写真は、真っ暗だったので、ライトつけての撮影でしたが、ライトなしの方がよかったかもですね。
2017.05.29

サンフロモンの修道院近景

朝早いからなのか?
古い建物だからなのか?
この時点で中へ入ることはかなわなかった。
サンフロマン
そとから、その広大な敷地をバックに鎮座する教会を撮る。
それにしてもね、背後の敷地の広さはなかなか。
往時、ここにいろいろ施設あったんですかね?
2017.05.25

ドゥオーモのステンドグラス 新古

一枚のガラス板に何色もの色が使われいて、それの組み合わせになっているものが新しい時代。
一枚一枚、色が違うのが、古い時代。
そう聞いたような気がするのだが、もう、記憶は確かではない。
ただ、その記憶であっているのだろう?と思いつつ、じゃあ、これが、古いステンドグラスなのだと思って撮った一枚。
ドゥオーモ
ゴーギャンが浮世絵をまねて、黒い線でふちどりしたという話もある。
だが、このステンドグラスは、すでに、その縁取りがなされているではないか。
そういう下地の上に、日本の画法は入り込みやすかったのかもしれない。

まあ、この話の根拠部分のステンドグラスの新古について、記憶は定かではないのですけどね。
2017.05.24

オペラ座のネームプレート

ルソーと書かれている。
ルソーというとね、3人がごっちゃになります。
一人は、画家のテオドール・ルソー。
一人は、画家のアンリ・ルソー。
もうひとりは、思想家のジャン・ジャック・ルソー。
オペラ座
生没年が記されているから、ジャン・ジャック・ルソーのことですね。

こうした思想家の言葉は、ハイハイ!あるある。そうそう、へいへい。と楽しみながら読むのがいい。

私は3人の中では、アンリルソーのコケティッシュな絵が好きだ。

どうやら、ルソー3人衆の区別は、ついてきたようである。
2017.05.23

ダンシングビルとトラムを撮ってしまった

これが、撮ってしまった写真。
撮ってしまったので、納得するまで、ここに延々といる羽目に。
プラハ
結局気に入った写真は撮れないんですけどね。
最後、最後といっているうちに。
2017.05.22

Jardin Paul-Didier ポール・ディディエ庭園とパリ環状廃線プティットサンテュール

パリの公園と、パリ環状廃線のプティットサンテュールは、並列して存在していることが多い。
ここも、その一つ。
並列というか、住宅と廃線の間の隙間を公園で埋めた感じもする。
スラム化しても困るしね。
パリの公園
さて、その、廃線の反対側には、大きなアパート群が。
これもまた、特徴的な形である。
まるで、パリの城壁のごとく連なっているのである。
パリの公園
との城壁アパルトマンの壁面に、なにやら、マークが。
花のようなマークと一緒に、公園脇の花も入れて。
2017.05.21

Rue Hermel エルメル通りの終点

以前18区役所脇を登る坂道の雰囲気を載せたことのある通りである。
もう一つ、気に入った風景があったので一枚。
パリの道
通りの向こうが蓋されている感じである。
このエルメル通りが、モンマルトルの丘の中腹で終わる部分だ。
モンマルトルの丘の中腹を取り囲む通りの一本である、キュスティーヌ通りとぶつかることろ。
言わば、丘部と土台部に別れるところというか、アポロチョコでいえば、茶色い部分が、このエルメル通りのある部分で、ピンク部分との境い目が、このキュスティーヌ通りである。

なにがって、このフタされた感。
圧迫感がいいんですね。

閉所恐怖症ではあるけれど、ある程度自由が利くって分かっている、自分よりははるかに大きな圧迫感は、安心感でもあるのだ。
あの向こう、あの左右に何があるかわからぬラビリンス感はあっても、決して、想像を絶することはないという安心感。
ドレミと鍵盤が鳴ったら、その先には、ファか、ソか、あってもラまで。
シになる事はないという安心感といえば良いか?
まあ、負けの少ない勝負事ですね。
2017.05.20

シェルブールの丘の上へ

駅をスタートし、崖の合間を貫けて登ってゆく。
どこか、日本的だが、このカーブを見れば、箱根駅伝を思い出す。
海が近いと、植生が日本と近いんですかね?
シェルブール
ある程度登ってくると、眼下を見下ろせる。
目的地が見えるか、風景がよくなるという、飴がなければ、なかなか、しんどい。
もっと上から見たら、もう少し歩けば、そう思うことで、再び足が積極的に動くのだ。
シェルブール
ぐっと左に曲がると駅。
まっすぐ列車が行けば、車両基地ということになっている。
グッと曲げたのは、そこが、港への入口だということなんでしょうね。
2017.05.19

サンフロモン修道院前にて

早朝、修道院前に到達した。
道路わきから、公園のようなところに入ると、緑の向こうに修道院が見える。
サンフロモン
この緑からは、通り挟んであるのだが、ここは公園なのか?どこかの施設の前庭なのか?
まあ、田舎に来ると、そういう、敷居は存在が薄くなる。
サンフロモン
画が詩的で、いい雰囲気に切り取れました。
2017.05.18

ナヴィリオ運河とトラム

ナヴィリオ運河の入り口をトラムが通っているが、運河の途中も、トラムが越えてゆく。
遠くに走る、運河を越えるトラムを入れながら、望遠で撮ってみる。
ミラノ
随分と向こうを走っているはずのトラムが、まるで、少し先を通っているかのような写真になった。
デジカメに、昔のレンズをつけると、1.6倍ほどの焦点距離になってしまうのだが、そのおかげで、300㎜望遠が、480㎜望遠!
以前は異次元だった望遠レンズが、勝手に手に入ったという誤算。

そのかわり、ズームレンズの広角部分は、1.6倍のせいで、広角レンズじゃなくなっちゃうわけだけどね。

運河のちょっと先を、電車が走ってる!という、この界隈で撮った一番のお気に入り写真になった。
2017.05.17

オペラ座の脇から

道具を搬入する入り口だったのか?
中で持ち上げなくていいですものね。

いやいや、ここは、馬車でオペラ座に乗り付ける場所だったんですかね?
とても裏口には見えない装飾ですし。
オペラ座
ここは、おそらく、フォンテーヌブローの馬蹄型階段と同じように作られたアプローチなんでしょう。
一般人は、着飾って正面から。
こちらは、脇から入るVIP。
そんな感じかしら?

形的には、ナポレオンが演説したというフォンテーヌブローの方が好きです。
が、こうした”道”も特別感があっていいですね。
2017.05.16

イエラースクーフ橋からみるプラハ城

この、何々橋から見るプラハ城というシリーズは、橋の本数だけある。
このさらに上流からも撮っているが、このあたりから見るのが、風景的にはおさまりがよい。
プラハ
カレル橋もいいけれど、やはり、人が多すぎると落ち着かない。
この橋からだと、心も落ち着いて撮れる。
2017.05.15

Jardin Paul-Didier ポール・ディディエ庭園 テーブル

公園や広場に、チェス盤があることは多い。
チェス盤以外なら、卓球台だ。
卓球王国であることは聞いたことがないですがね。
もっとも、コンクリートの卓球台では、球が相当に跳ねそうですが。
パリの公園
チェスのマス目は、地面だったり、テーブルだったり。
やっている人を見かけることは稀ですが、チェスの台はインテリアにもなりますしね。
2017.05.14

Rue du Baigneur ベニュー通りの建築と花

パリの建物の多くは、古いといっても約100年。
それ以前のものは、あまりない。
だが、その100年前、結構、建築家の皆さんが、こぞって、いろんな建築をやっている。
パリの道
窓辺のゼラニウムを撮ろうと思ったら、その奥に、建築家の名前が見える。
1907年建築ということなのだろう。
100年前だ。
E Stempertという建築家の建物のようであるが、デザインは、アールデコ調というか、結構表面がシンプルで、テラスを支える柱飾りが、見える通り、わずかにデザインされている。
それも、シンプルだ。

こうした建築が、結構多いんですよね、この街。
ギマールや、コルビジェだけじゃないんですな。
2017.05.13

シェルブールの丘へ

断崖絶壁の裏側に、港町がある。
そんな雰囲気だ。
駅の背後には、崖がそびえる。
シェルブール
その崖上へ行ってみようというのだ。
なにしろ、もらった地図には、道がある。
じゃあ、登れるわけだし、登ったら、町一望は想像に難くない。

一路、崖上を目指します。
なんだか、日本でも、こんな雰囲気の場所を、しとしと降る雨の中、傘を差しつつ無言で登ったような記憶がありますね。
ヨーロッパ有数の港町にいる感覚はない。
2017.05.12

Rue de l'Abbaye サンフロモン 修道院通り

その名の通り、修道院へ向かう一本道。
名前的にも、間違いないし、あっさりと、正面に見えてきた修道院。
サンフロモン
サン・ジャン・ドゥ・ダイから、ずいぶんと歩いてきましたが、1時間弱で到着。
目標は見えてますし、まだ起きてから、体の元気な時。
全く疲れずに到着。

この後、戻って、そこから、さらに1時間歩いて競馬場。
競馬が終わったら、1時間歩いて・・・。
都合4時間の散歩道の序盤戦が終了しそうということですけどね。
2017.05.11

ドゥオーモのステンドグラス2

巨大なステンドグラスばかりみていたら、普通サイズのステンドグラスがすごく新鮮に見えた。
これでも、十分大きなものかもしれないが、ここでは、巨大なものばかり見てきたからね。
ドゥオーモ
あまりに巨大だと、圧倒され、巨大な力や、権力、そういうパワー的なものは感じるが、一個人からは、最も遠く思われる。
人に体のサイズを考えれば、おのずと、適正サイズというものが、この世の中にはあるような気がする。
ヴェルサイユ宮殿でも、同じようなことを思ったりしますね。
2017.05.10

オペラ座の脇にて

オペラ座の中へ入ったことはない。
ウィーンのオペラ座も、ミラノのスカラ座も入ったのだが、一番長い滞在期間のあるパリではないのである。
シャルルガルニエという人が考えた建物だ。
この人は、いわゆる、幕末のひとである。
江戸時代に生まれ、そして、明治時代を生きた。
オペラ座
辰野金吾や、コンドルといった、東京駅や鹿鳴館の建築家の親のような年である。
そう考えると、日本の国に、オペラ座と似たような近代建築ができたのは、そう時代に大きな差がない。
どれだけの勢いで、日本という国が吸収していたのかと思うと、恐れ入る。
なにしろ、12時間飛行機に乗れば、オペラ座を見られる現代とは違うわけですからね。

そんなふうに、この建物をとらえると、またね、違った感覚で見られますね。
東京駅にも、怪人が住んでいたのかもしれません。
2017.05.09

ダンシングビル 近景 イエラースクーフ橋から

随分と近づいてきたので、もう一枚橋の上から。
もらった地図なんかでみると、あたかも、古い建物の中に、ニョキッと異質なものが建っていうrのかと思ったが、不思議と、街に溶け込んでますね。
おそらく、窓のサイズtか、建物のサイズとか、建物の壁の色そのたなんでしょけれどね。
そのあたりに、この国のセンスが見え隠れするのかもしれません。
プラハ
キリないと思いながら、写真を撮るわけですが、この後、目の前で、1時間弱、写真を撮り続けることになりました。
同じような写真ばかりですけどね。
2017.05.08

Rue Paul Bodin ポール・ボダン通りからみるエッフェル塔

写真を撮った立ち位置は、エルネスト・グアン公園前のエルネスト・グアン通りからである。
ポール・ボダン通り越しであるが、一瞬の見えた瞬間に、そこから写真を撮っておく。
実際に見えている左の建物は、Rue Bernard Buffetベルナール・ビュッフェ通りのもので、飛び出た、不思議な形のベランダは、マーチンルーサーキーング公園脇に新しく建築されている、現代建築なアパルトマンのものだ。
望遠レンズは、すべてを、引き寄せてしまうから、すごいですね。
パリの道
駐停車禁止の標識と、右の建物からぶら下がる街灯は、ポール・ボダン通りのものだ。
エッフェル塔からはずいぶん離れた、パリ17区のはずれだけど、こうして、姿を収めることができるということは、きっと地上波もきれいに入るに違いない。

もっとも、自分の住まいは、スカイツリーから30キロほど離れているだろう神奈川県内であるが、家から100mも行けば、その姿を遠くに拝むことができる。
ここは離れているって言ったって、5キロぐらいだものね。
望遠すれば、網目までしっかり。

でも、あそこにスカイツリーがあったとすると・・・、あの倍以上の高さ。
そりゃ、巨大だわ。
2017.05.07

Rue du Baigneur ベニャー通りのガレージの青

この通りの入り口には先週載せた青い壁画もあるのだが、同じブルーのガレージ扉もある。
現代建築の建物下にあるのだから、車用であろうけれど、田舎にいくと、おそらく馬車用でしょうというようなガレージもある。
当然、扉はデカく、多くは、白だったり、青だったり、緑だったりで色塗られている。
パリの道
そうした扉も、欧州ならではだと思うし、面積の広さ故、道の雰囲気に、大きな影響がある。
個人的には、こうした、扉フェチなんですかね?壁フェチなんですかね?
自転車か、壁か、よく撮っちゃいますね。
2017.05.06

シェルブール駅のホームにて

再び、シェルブール駅へやってきた。
このところ、バスで、周遊していたので、駅は、到着した日以来である。
今回は、シェルブール駅を見下ろす丘の上に上ることが目的だったが、せっかくなので、一枚とってから。
シェルブール
ここは、シェルブールの雨傘のカトリーヌ・ドヌーヴのシーンの場所。
何度撮っても飽き足りませんね。

アヌーク・エーメのサンラザール駅もいいかもしれませんが、場所の特定がむつかしい。
ここは、特定が簡単です。

屋根やら赤白やらでずいぶんと雰囲気違いますけどね。
2017.05.05

サンフロモン修道院遠景

近道をしようと歩いてゆくと、一戸建ての並ぶエリアに入った。
新しい家のようだが、家の向こうは、畑で、ショートカットなどはできなかった。
サン・フロモン
ただ、そこからは、畑越しに、修道院が見える。
一枚、朝もやに煙る修道院を。
2017.05.04

ナヴィリオ運河の線路

馬車が運搬し、鉄道が取って代われれ、それを、再び車が奪い返した。
鉄道と違って、自由に道を行き来できるからね。
これが、トラムの線路なのか?わかりませんが、すぐ近くを、トラムも旧国鉄も通っている。
ミラノ市内とその近所へは鉄道。
運河を通って、海へ。
そんな風だったのだろうか?

パリのイヴリーも、駅からセーヌへ向かって、線路跡があるが、パリ市内では賄いきれない船の荷下ろしとその運搬に使われたのだろうと思われる。
ミラノ
その道も、今や、人の歩くスペースと、カフェのテラス席のために十分な幅を提供している。
2017.05.03

Rue Auber オーベール通りとRue Scribeスクリブ通りの交差点にて

オペラ座を正面から見ることは、結構多い。
日本食を食べに行くのも、本屋へ行くのも、パレロワイヤルからピラミッド界隈へ出没するためでもある。
もっとも、最近は、ユニクロがスクリブ通りにできたから、裏手のオペラ座を見る機会も増えた。

デパートでお買い物する人たちからすれば、裏オペラは見慣れた姿であろうけれど、給料は上がってほしいが、物価安のデフレも歓迎という貧乏人の我からすれば、オペラ座の裏にはあまり用事がない。
パリの道
さて、ここも、まだ9区。
随分都心にいる気分だが、オペラ座はがっつり9区に入っている。
なんだか、2区のような気がしていたんですがね。

横から見るオペラ座。
この雰囲気だと、駅だ!と言われても納得しそうだが、それだけ、大きな駅の建築も重厚感があるからだろう。
建物に張り付くようにある、ヤッキョウを立てたような円形の建物が、駅らしくないといえばそうか。

しゃちほこみたいな金の彫像も見える。
ウサギの耳のようにも見えますが、おそらく天使の羽でしょう。
2017.05.02

イエラースクーフ橋からヴィシェフラット方向を望む

川の上流、南側を橋の上から望む。
古い市内にはない、高い建物があるんですね。
その、高層ビルの上を行くのが、教会の尖塔。
ヴィシェフラットのエリア。
丘の上の、聖ペテロ・パウロ教会だろう。
プラハ
一枚撮ったのだが、橋の上に、トラムがやってくるのを待って、もう一度撮り直し。
2017.05.01

Square Ernest-Gouin エルネスト・グアン広場

パリ17区。
パリ市の最西北端付近にある公園。
パリの公園
何の変哲もなく、緑が多いわけでもない、広場のような公園だ。
たしかに、スカールSquareとなってますしね。
日本なら、ここで、ゴムボールとプラスチックバットで野球をやっていたような公園である。
パリの公園
真ん中にある遊具に、はりぼてのカラフルな板が取り付けられているが、パリでは、このカラフル板遊具はよく見かける。
パリの公園
公園の周りを取り囲む木々の向こうには、パリらしいアパルトマンが立ち並ぶ。
煙突も、ごらんのとおりで、トタンっぽい屋根も、よく見かけるやつだ。
平凡を集めたようなパリがここにあるようだ。