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2016.11.30

ミラノの自転車たち

ミラノを知っているとか、イタリアを知っているとかではないのだが、どうも、自転車を見る回数はパリより多い。
オランダほどじゃないかもしれないが、結構見る。
パリにヴェリブが登場してから、ずいぶんとパリ市内でも自転車が走っているのを見かけるようになったが、それでもまだまだ。
地上ロックされた自転車はときどき見かけますがね。
ミラノ
そもそも、欧州で自転車といえば、スポーツタイプのものが主流で、ママチャリは日本の文化。
そう思っていた。
が、さらっと、こうして、何台かのママチャリを見ると、フランスじゃなければ、結構走っているんですかね。
それとも、日本のママチャリ文化が、いよいよ、欧州へ出荷され始めたのか?

お城の、まあるいサイロのような塔と噴水前も、にわかに、生活の匂い漂う身近な空間になる。
偶然写っていたんですがね。
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2016.11.29

マラーストラナの壁

茶色の壁は載せたが、今度は黄色の壁。
国が違えば、高貴な色になるという、この黄色は、本当にきれいだ。
個人的に、黄色は大好き。
服も持ち物もかばんもケースもカーテンも、黄色が多いのだ。

以前、ワイシャツも淡い黄色をよく来ていた。
太っていたこともあるのだろう。
黄色のイメージしかないといわれたこともある。

男性が身に着けると、女性受けの悪いカラーらしいですが。
プラハ
それはそうと、とにかく、画面いっぱいに、黄色だらけにしようと、構図を考えて、大好きな看板道標などを入れ、一枚。
上の絵も鳥なのか?花なのか?

とにかく、黄色にあふれた写真が撮れた。
2016.11.28

歩いてライン川を渡る

国境の橋を徒歩で渡った行く。
渡っている河は、欧州の川といえば、これとこれっていうぐらいに学校で勉強したライン川。
河口からすると、ずいぶんと上流でありますが、この時点でも、十分大河ですね。
ストラスブール
向こうに見える橋は、鉄道橋。
水位なのか?
鉄橋が、重さで水没しそうなほど、低く見える。
大きな船の行き交う河川であるから、ダム枯れしているわけにはいくまい。
2016.11.27

シャンティイ 馬の街

本日は、日本の東京競馬場で、ジャパンカップという海外馬を招待するレースが行われる。

パリの10月第一日曜は凱旋門賞の日である。
パリのイベントの一つと言っていいだろう。
競馬が、世界に名を関する美の都パリのイベントであることに、違和感を覚える人も多いようだ。
いまだに、競馬とフランスは全く結びつかない人も多いのである。
実際、パリ市は東京23区よりはるかに小さいが、競馬場は、3つもある。
しかも、すべて、有名な大レースが行われる。

昨年は、凱旋門賞の写真を、ケルンでパソコンごと持っていかれてしまったので、このブログに載せた写真が、もっとも、きれいに大きくのこったわずかな写真となった。
それが、スタンド改修工事前の最後のものだ。
凱旋門賞
今年、工事のため、パリの北、シャンティイの競馬場で行われる。
ここは、もともと、エルメスがスポンサーだった、ディアヌ賞で有名な競馬場。
いまでも、6月第3日曜には、着飾った人たちであふれる社交の場所。

今年から2年、世界最高峰のレースの舞台が、ここシャンティイで代替開催される。

競馬場は、パリ市内のブローニュの森にある競馬場より小さいため、チケット販売制限もしていたようである。
それでも、スタンド増設し、午後には、かなりの人数がやってきた。
むろん、我々は、人影少ない午前中から、場所取りに出かけた。
凱旋門賞
コース上で行われるパフォーマンスは、凱旋門賞そのもので、シャンティイらしさはない。
もうすこし、値段の高い席で、上から眺めるように見たのなら、競馬場の奥に、豪華絢爛なシャンティイ城と、大厩舎が見えているはずだ。
楽隊は青と赤の色をまとっているが、パリの色なのであろう。
2016.11.26

バルフルール 去り際の港

日も高くなって、いよいよ、バルフルールを去るバスの時間が近づいた。
去り際に、ふと後ろ髪をひかれ撮った写真は、いい雰囲気だったりする。
だが、急いでいたりして、雑になってしまうこともしばしば。
雑になっちゃうと、結果あまりたいしたことのない写真になってしまう。
バルフルール
ここも、去り際に2枚カットが合ったのだが、一つ手前の方がよかったか?
でも、この時、とても、船がきれいに見えたのだ。
2016.11.25

カランタン市役所の中庭にて

駅を降りて、てくてくと行く。
なんだか疎水らしきものがあったので、そこへ入ってゆく。
きれいなレンガの建物が建っていた。

カランタンは、コタンタン半島の付け根サンローと突先シェルブールの中間地点にある半島湿地帯の中心都市。
カランタン
どうやら、これ、市役所なのだそうだ。
この町へは、情報集めにやってきた。
グレーニュという競馬の町、イジニーというバターの町、その2つへのバス便などがあるのかどうか?
それを確認しにやってきた。
あるのなら、今日、イジニーへは行ってしまってもいいと思ったが、ネットで調べる限り見つからず、ここの観光局で最終確認しようとおもったのだ。
2016.11.24

Jardin Paul-Didier ポール・ディディエ庭園を進んでゆくと

怪しい雰囲気とも取れないこともなかった小路を進んでゆくと、ようやくにして開けてきた。
とにかく、縦にながーい公園である。
パリの公園
さらに進んでゆくと、ずいぶんと建物が見えてきたのだが、ほんの少しだけ、違った雰囲気が漂う。
どうやら、建物の圧迫感が違うのだ。
といっても、少々なのだが。
パリの公園
パリの建物といえば、白っぽい壁が多い。
だが、この付近は、グレーのコンクリート色の建物がいくつか混じっている。
それが、場末感と圧迫感となっているのか?
ロンドンは黒っぽいイメージだから、建物の圧迫度はパリより強い。
そういう意味では、壁の色が町のイメージそのものに影響するのだろう。
2016.11.23

ミラノ カステッロ広場にて

カステッロ広場というのだから、お城前である。
お城の中か出てきた。
その広場を囲むような、弧を描く建物が建っている。
気になってい写真を撮っていた。

すると、左右から、大勢の人が通り過ぎてゆく。
何か?とおもったら、目の前に集団は止まり、ガイドさんが、解説を始めたのだ。
しかも、日本語だった。
ミラノ
日本のガイドツアーで、こうして、町中をぶらぶら歩きながら解説してくれるツアーもあるのね。
へぇーっ!と思いながら、その集団を見ていた。

なにしろ、自分自身も、わずか15分後に、ツアーに参加して、ミラノ市内をめぐるのだ。

何を話しているのか?聞いてみたかったが、厚かましく、集団の背後についてみることはせず、その場は立ち去った。
いやいや、すこしぐらい、立ち聞きしてもよかったかな?きっと、いま行ってきた城のことなんだろうななんて、思いつつ。
2016.11.22

路地ヤーンスキーヴルシェク通り

一度登ったヤーンスキーヴルシェク通りを下ってきた。
写真を撮りながら戻ってきたのだが、振り返ると、かわいらしい路地が続いている。
プラハ
工事中のブルーシートは残念ではあるが、それであっても、なかなか、かわいらしい雰囲気だ。
ずーっと上の方に、建物が見えている。
あの位置までずーっと坂が続いているのだから、その間の坂も、ずーっと想像させる素敵な雰囲気になっていた。
2016.11.21

ストラスブー 独仏国境にて 続

橋のたもとに、道しるべが。
通り名は、橋の名、ヨーロッパ橋大通り。
ストラスブールはここで終了。
そして、流れる川はライン川。
ストラスブール
ここでフランスは終わりで、ドイツになります。
そうは、書かれていない。
だからこそ、ヨーロッパが一つになったという感がするのかもしれない。
まるで、多摩川を越えて、東京から神奈川に入るだけのようである。
川幅も、その程度なのだ。
2016.11.20

ヴォー・ル・ヴィコント城 噴水と水に映る城

風もなさそうなのに、残念ですね。
水に映るはずのお城が、水文で消えてしまっている。
ヴォー・ル・ヴィコント城
噴水と鏡は、両立せずですね。
お城見えているんだから、逆さヴォー・ル・ヴィコントを望まなくてもいいか!
そもそも、この中央の噴水は、お城から見るときも意識して作られているだろうからね。
その場合、鏡であっても、作った人の自己満で終わってしまうしね。
2016.11.19

バルフルールの船と教会

港に停泊していた船と教会の写真。
朝方は暗かったので、船の柄に気が付いていなかったが、この船、船首が蝶々の模様になっているんですね。
ガットヴィル往復の間に、ずいぶんと港は明るくなっていた。
バルフルール
赤と白のコントラストがかわいらしい船だけれど、日の光が当たってようやくそのコントラストがはっきりと印象に残るようになってきた。
2016.11.18

サントメールエグリーズ 観光バスと教会

教会の写真を撮っていると、観光バスが映り込む。
短い滞在の間、両手かそれ以上の観光バスを見たような気がする。
サントメールエグリーズ
それほど多くの観光客を集める場所といえば、この近くでは、モンサンミシェルということになるか?
バイユーでも、見たような気がする。
サントメールエグリーズ
ここは、かなり人気の観光地になっているということだ。
モンサンミシェルは、日本人が多いなぁと思ったが、ここは、むろん、アメリカ人が多い。
2016.11.17

Rue du Ruisseau リュイソー通りのパリ環状廃線

廃線沿いをずるずる歩いてゆくと、そろそろ、クリニャンクールも近い。
そんなところを通るリュイソー通りの橋の上から、廃線を眺める。
パリの道
西側付近は、線路わきに、家庭菜園らしきものが見えるが、基本的に、何度も見てきたパリ環状線の廃線跡そのままといった、代わり映えのしない風景。
パリの道
だが、クリニャンクール駅側には、カフェテーブルらしきものが広がっている。
おそらく、まだ、これは、完成ではなく、まだまだ、工事途中なのだろう。
出来上がりがカフェなら、ちょっと入ってみようかという気になります。
なにしろ、この廃線あとを、何年も何年もぐるぐるみて回っているわけですから、その脇カフェというと、ね。
行ってみておきたいですよ。
どんな風景が望めるかも含め。
2016.11.16

スフォルチェスコの穴

お城の壁一面の穴。
銃眼のようにも見えるけど、なんなんですかね。
でも、一番気になるのは、真ん中にあいた、大きな穴。
通路というか、トンネルというか。
ミラノ
穴も、人が通る道。
先には、座ってくつろぐ人たちと、広場風の空間が見えます。
どんなふうになっているのか?
少しだけヒントをくれているクイズのよう。
ミラノ
こちらのトンネルは、先が明らかに外へつながっている。
ずーっと先に見えているのは、凱旋門みたいですね。
のちのツアーでも、その近くをバスで通りましたが、残念ながら、バスからは見えず。
おそらくは、あの凱旋門のことだと・・・。

向こう側がずーっと先まで見えているから、完全に穴の向こうの空気は外界のものですね。
こちらは、穴というより、通路。
門なのでしょう。
分厚さを感じます。
2016.11.15

プラハ 看板と街灯と道標と

ヤーンスキーヴルシェク通りの角で、看板と街灯の写真を撮った。
通り名表示板を撮るときに、ちょっといい雰囲気だったら、ほんの少しだけ頭を使ってらしく撮る。
たいしたことなくても、街の雰囲気が勝手にフォローしてくれるし、モノクロに変更しさえすれば、勝手に情緒が沸く。
プラハ
意識していなかったが、ここの看板も、ピルスナー・ウルケルのビールであった。
結構、このビールの広告は出会うようである。

チェコ語をちょっと習ってみようか?
そうおもって、本屋で本を覗く。

形容詞が男性女性など、フランス語でも一緒だが、名詞も変わるらしい。
どうやら、理屈を考えずに話すことができるようになるには、今からの人生では無理ではなかろうか?
そう思えるわずらわしさである。

それでもね、ちょっと、かじってみたいんですね。

そういえば、プルゼニという町は、プルゼニュ?なんですかね?
ピルスナー、ピルスナーっていうけれど、これって、ビールの種類でもあるんでしょうが、プルゼニのってな意味なんじゃなかろうか?

シャンパンもシャンパーニュ地方、コニャックもコニャック地方ですしね。
そんな風に思えてきますね。
2016.11.14

独仏国境へ

ストラスブールへやってきた今回。
目的の一つに、歩いて、国境を超えることがあった。
結構、簡単にやってこられる。
トラムに乗り、しばらく歩けば、もう、国境なのである。
ストラスブール
ヨーロッパ橋。
ただの橋といっていい。
交通量はそこそこ。
多摩川を川崎から、東京へ超えるような感覚だ。
2016.11.13

ヴォー・ル・ヴィコント城の階段

庭からの帰りがけに取った、もっとも、お城に寄って撮った望遠の写真。
横線のの連続が結構いいですね。
定規で引いたような横線も、人工的だけに、フランス式庭園の風景らしいのかもしれません。
ヴォー・ル・ヴィコント城
11区で起きたつらい事件から1年たちます。

私には、一体どうしたらいいのかわかりません。
問題の根本があるのかないのかも・・・。

ただ、自分にゆがみはないか?と、時折考えることはあります。

孔子の、民信無くば立たずという言葉を、ふと思い出します。
2016.11.12

港の教会 木のぬくもり

教会に入って正面の写真を撮る。
いつもの最初の行為と言っていい。
その後、ステンドグラス、そして、後陣の方へと進んでゆく。
バルフルール
往が終わると、復が待っている。
多くの教会の入り口の上にある、バラ窓が撮影の目的に代わる。
ここに、多くのパイプオルガンが存在する。
この時は、バラ窓はなかったけれど、木のパイプオルガンの下に、バラ窓風の窓が付いた、教会の入り口が見えた。
これがまた、かわいらしかった。
バルフルール
木に魅せられると、木のものに目が行く。
まるで賽銭箱のような、木の置物があったが、それが何だったか?覚えていない。
ただ、その使い込まれた照りのある木片にあたる、零れる日の光が、妙に暖かった。
2016.11.11

サントメールエグリーズ ケーニグ元帥通りから

通り名には、フランスの元帥の名前がついている。
ノルマンディの人のようである。
ここは戦争一色であるし、激戦地であるから、歴史的建造物の並ぶ通りを探すことはむつかしかろう。
サントメールエグリーズ
通りの向こうに、あの、教会が見える。
そんな風景をとりあえず探してみたら、教会裏手のこの通りでの写真となった。

切り取っているからであろう。
町中の教会の雰囲気に仕上がった。
そうでないと、ここは、教会デーン!の写真ばかりなのだ。
2016.11.10

ジョルジュ・ラルドゥノワ通りの道しるべ

通り名の看板。
ジョルジュ・ラルドゥノワ通りの名前の下に、4本の通り名が書かれている。

以下の通りに、通じてますよ!

という、案内である。
パリの道
なぜなら、この曲がりくねった坂道は、ベルジェールの丘の頂上へつながっているからだ。

丘の上には、通りが4本あるということだ。
それだけ、特殊な地形なのである。
パリには、モンマルトルの丘以外にも、聖ジュヌヴィエーヴの丘にはパンテオンがあるし、エトワール凱旋門も丘の上にある。
丘が多いのだ。
だから、パリは、坂道がほんとに多い。
エッフェル塔、ルーヴル、オルセー、オペラ座、サンジェルマン、マレ、バスティーユと観光していると、全くそんな気がしないですけどね。
2016.11.09

スフォルチェスコ城の主

蛇かと思ったら、竜なのだそうだ。
あちらこちらに、このマークが現れる。
ミラノ
ヴィスコンティ家のマークで、人を飲み込む竜というのだそうだ。
アジア的なイメージからすると、竜にしてはずいぶんと細く長い。
ミラノ
炎をはいているように見え、それが人であることがわかるが、人を飲み込んでいるというのだから、かなりグロい紋である。
そうしたことが、一族の繁栄につながるとか、そうした迷信のようなものもあるのかもしれない。
ミラノ
今まで気にしたことはなかったが、アルファロメオのマークも、このマークを使用している。
そこまではわかっていたが、この赤い人も、よーく見ると、アルファロメオのマークにあるのだ。
ミラノ
そうしたことは、ミラノを訪れて初めて、意識して知ったことで、へぇっ!てことになる。
飲み込まれる人は、ずいぶんと余裕かましているようにみえますがね。
2016.11.08

プラハ・マラーストラナの色

Jansky vrsek通り。
マラーストラナの坂道である。
ヤーンスキーヴルシェク通りの坂で、ピンクと、黄色のコントラストがきれいに見えた。
プラハ
ゼラニウムの赤もかわいらしいし、ワインなのだろうか?緑のブドウの看板も見える。
車で、黄色の壁が遮断されているのは残念だけど、現代社会じゃ、車抜きの通り写真は、なかなかむつかしい。
たとえそうであっても、これはと思う色合いだったから、一枚撮ったのだろう。
2016.11.07

ストラスブール大聖堂 夜景

夜、夜景を見に再び大聖堂の前へ。
そして、お決まりの位置からの写真。
ストラスブール
なんとか、手ぶれせず撮れた。
実際は、拡大するとしていますがね・・・。
ストラスブール
通りをふさぐ、巨大な壁は、何とも言えない雰囲気を通りに作りますね。
通りが、とてもとても短く感じられる。
実際、そんなに長い通りじゃないが、さらにそう感じさせる。
黄色いライトが当たり、オレンジっぽくはなっているのでしょうが。
夜になると、ライトアップの大聖堂だから、昼間の赤っぽい色関係なく、ライトの色になってますね。
2016.11.06

ヴォー・ル・ヴィコント城 トピアリー

刈り込みのことをトピアリーというそうだ。
フランス式庭園であるから、あらゆる植え込みがわかりやすい形に刈り込まれている。
ヴォー・ル・ヴィコント城
円錐形のトピアリー。
四角錐のトピアリー。
ヴォー・ル・ヴィコント城
一度、別のお城で、刈っているところに遭遇したのだが、いくつかの植栽にまたがって糸を何本か引き、それに合わせて刈っていた。
結構原始的な方法だと思うのだが、電気のない時代の庭園なわけだからね。
2016.11.05

港の教会

教会の中に入ると、天井から、船がぶら下がっていた。
どこで見たのだろう?
以前も、このような船の模型をどこかで見たのだが、思い出せない。
バルフルール
港町であるから、当然、航海の安全を祈願する。
海は、恵も与えてくれるが、危険であることにちがいない。
天気に左右されるし、もちろん、船舶どうしの事故だってあるわけだから、船長さんの緊張度というのは、道路の上を走る車の比ではないのかもしれない。
バルフルール
そうした人々の思いが、いっぱい詰まっている場所であるのだろうなぁと思いながらいると、世界中どこにいても、人々の基本的な願いというのは、そう大きく変わらないのかもしれないと思うのである。
2016.11.04

サント・メール・エグリーズ ノートルダム教会の祭壇

教会に入ると、一番後方から、いつものように写真を撮る。
おなじ雰囲気なのに、違って感じられるのは、金色の輝きだろう。
もちろん、”戦後”のものであるのだろう。
サント・メール・エグリーズ
あたらしいから雰囲気が他と違うわけだが、おそらくは、ほかの教会も、こうした輝きに満ちていたに違いなく、それが、時間とともに、いろんな理由で変色して見えるようになっているのに違いない。
大聖堂などができた当時、どれだけの雰囲気だったか?
ここから想像してみても、さすがに思いも及ばない。
2016.11.03

チュイルリー公園からリヴォリ通り

工事現場は、グリーンが使われていることが多いパリ。
お昼を食べに公園へやってくると、リヴォリ通り側は、金網で仕切られ、工事資材材で埋まっている。
チュイルリー公園
思った以上に、資材がきれいに並んでいるんですね。
リヴォリ通りの建物も、通り沿いの緑も、工事現場も、みな、きれいな直線で。
2016.11.02

レンガ色のミラノ

ツアー参加の時間に余裕を持ってきたので、まだ、集合時間までずいぶんと時間がある。
お城の中の方へ行ってみても、遅れることはあるまいと、近づいてみた。
ミラノ
どれだけの量のレンガを積み重ねたのか?
教会にしても、お城にしても、このレンガ色の建物が多いから、この地方の特産品なのだろう。
ロンドンは黒い、濃い灰色のイメージ。
パリは、白い、薄い灰色のイメージ。
ミラノは、レンガ色だ。

ミラノは、白と赤の紋章。
このレンガ色も関係あるのかな?

トゥールーズもバラ色の町といわれる赤れんがの町。
北仏のベルギー国境近く、ギーズ地方というのだろうか?ギーズの右上付近にも、レンガの教会で有名なエリアがある。

鉄分の多い土地柄なのかどうか?
そんな土地が、いろいろな場所に点在してるということか・・・。

そういう想像をしてみたくなるほど、レンガの町のなかで、レンガ尽くしの城壁である。
2016.11.01

プラハ 茶色の壁

べったりと塗られている壁であるが、2色に塗り分けられた茶系の壁である。
お土産屋さんの窓が見えるが、通りの表示と共に、茶系の色でまとまった画になった。
プラハ
いろんな色が入るようにとるのもいいが、1色を切り取ると、またちょっと違った雰囲気になってくる。
帰国のための渡航書のための写真を撮りにやってきたが、とうとう、写真屋さんはみつからなかった。