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2016.09.30

夜行列車テロの旅

イタリアからパリへは、夜行列車に乗った。
35ユーロで、ミラノからパリまで、寝ていける。
宿代も、飛行機代も、浮く。

であるが、評判はあまりよろしくないようだ。
夜行列車テロ
見た目の車両は、ピッカピカに磨かれている。
中に入ってみると、6人部屋であるが、汚くはない。
というか、思ったよりずいぶんきれいだった。
夜行列車テロ
ただ、ミラノ中央駅では、30分の遅刻。
接続列車を待っていたようだ。
40分ぐらいしたら、同部屋の男性がやってきた。

もともと、同部屋には、おそらくアメリカ人と思われる3人の巨体が座っていた。男性2人と女性である。
遅れてやってきたのは、おそらくフランス人の男性である。
6人部屋だが、5人ということだ。
巨体ばかりだから、一人少ないのは、ずいぶん助かっていたのに違いない。

クシェットには、一人1本の水がついている。
夜行列車テロ
部屋の内部は英語が公用語になった。
もっとも、おとなしい人たちばかりで、たいした会話はない。
ミラノを出て、ベットをセットして、女性のライツオフ?の言葉で電気が消された。

そのあとは、フランス語の車掌さんのパスポート回収と改札があったが、他は、いびきの大合唱であった。
さすが、巨体だけのことはあるといった感じ。
でも、いびきは大きくとも、私はそんなに気にならず、いびきBGMと共に、きれいに睡眠。
夜行列車テロ
ディジョンに着いたのは、朝方。
その前にパスポートの返却があり、ディジョンでフランス人は下車していった。
再び睡眠。

8時ごろ、目が覚めてトイレへ行くと、一晩でずいぶんと汚れたものだ。

セーヌ沿いを走る列車は、30分遅れもなんのその。
定刻にパリ・リヨン駅に着いた。

もっとも、夜中、どこかの駅でずいぶんと停まっていたけどね。
そこで、遅れも調整できるってわけですね。

真横になれるから、飛行機なんかよりは、ずいぶん寝れます。
翌日も行動できますね。

6人クシェットの真ん中の段でしたが、はっきり言って、一番上が圧倒的にいいです。
下と中の段は、頭起こすと、上にぶつかるんですよね。
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2016.09.29

ミラノでカギを買う

イタリアから夜行列車に乗るにあたり、紐でも買って、括り付けておこうと考えた。
そういえば、マイルのカードに入ったことを思い出し、JCBプラザへいってみた。
そんなものが買えるお店でも聞こうと。

紐もいただいたのだが、親切にも近くの金物屋を教えていただき、自転車用のカギを2つ購入。
日本で使っている自転車のカギもちょうど壊れたところだし、ちょうどいい。
ミラノ
細いコードのカギであるが、わずか3ユーロ。
軽い。

これで、夜行で寝ていても、そう簡単には持っていかれまい。
昨年痛い思いをした身としては、ずいぶんと気持ちが楽になる。
ありがとうございました。
2016.09.28

夜行列車テロへ

ミラノへアリタリア航空で飛んだあと、ミラノ滞在後に、この夜行列車でパリへ向かうことに。
宿代が浮くこと。
飛行機よりも安いこと。
夜までミラノに居られること。
そのあたり、条件としてはよい。
イタリアの鉄道
その代わり、パソコンリュックとカメラバッグですでに2つになっている荷物のほか、大きなスーツケースは、プラハ行きで大変だったので、今回は、少々小さ目のスーツケースで日本からやってきた。
この夜行列車テロ乗車のためといっていい。

本日、このテロへ乗り込む。
写真は、メラーノからの帰り、ヴェローナで一昨日に撮ったものだ。
偶然とはいえ、事前に雰囲気を確認できたことはよかった。
2016.09.27

ボナパルト通りでトラムを撮る

いやぁ、ミラノってのは、ほんとに蚊が多いですね。
毎日格闘しているような気がします。
欧州に来てまで、蚊と格闘するとは思いもしませんでした。
ミラノ
さて、トラムの写真を撮ろうと頑張っていたところ。
新しい型のトラムは、味気ないので、古いタイプを待っていると、ペインティングされた、古い型の白いトラムがやってきた。
いや、もう、あきらめて帰ろうとしたところ。
で、慌てて撮ると、自動車に割って入られてしまいました。

我慢して待っていないとだめですね。
2016.09.26

メラーノの言葉

この町の半数は、ドイツ語を話すらしいが、雰囲気としては、ドイツ語が主流派に思えるぐらいだ。
メラーノの山の上へ登った。
リフトでだ。
そこから眺める風景が美しいと、リフト乗り場のおっちゃんで絶賛された。
歩いて30分で帰ってこられるというから、リフトの兼は往のみ買う。

その、帰り道。
通りがかりの家の壁に、こんなマークがあった。
かわいらしい家にかわいらしいマークだが、きっと、これも、ドイツ語系の単語なのに違いない。
実際はわかりませんがね。
メラーノ
そんなことを思いつつ、山下りの散歩は続く。

ちなみに、メラーノの標高325mなのだそうだ。
避暑地というほどの標高ではない。
2016.09.25

ミラノ中央駅にて

メラーノへ向かうため、イタリア新幹線、フレッチャロッサに乗り込むことに。
すると、隣にも、エンジ色の、タリスのような新幹線が止まっている。
Italoと書いてあるから、きっとイタリアの鉄道だろう。
イタリアの鉄道
自分の乗った新幹線が出発すると、隣も同時刻、出発していった。
なんでも、民間高速鉄道らしい。

パリへ向かう夜行列車も民間なのだそう。

さまざまな会社が鉄道運行するようになると、切符売り場は、様々な会社の鉄道切符がいっぺんに買えるように、様変わりしてゆくのかもしれない。

ミラノの中央駅は、鉄骨の重厚感ある駅ですね。
2016.09.24

ミラノの屋根

昨日着いたミラノ。
朝起きて、ホテルの窓から、赤い絨毯を一枚。
ミラノ
トゥールーズは、バラ色の町ですが、ここも、なかなか。
屋根が赤いのは、ニースも同じかもしれません。
南欧の特徴なんでしょうね。
2016.09.23

アリタリア航空でパリへ行く1

アリタリア航空でミラノへ向かった。
今回は、実際はパリへ行くのは、ミラノから列車。
なので、アリタリア航空では、ミラノまでしか行かないのだが、パリへ行くこともできぬわけじゃない。
アリタリア航空
外観は撮ってないですがね。
壁が木目調。
アリタリア航空
赤と黄色が目立つ椅子のカラーリング。
でも、ここは、どことなく、おしゃれな色合いですね。
好みもあるでしょうが、いままでで、一番、まとまりがあっておしゃれな感じ。
アリタリア航空
ちなみに、税関通ってすぐに外に行かず、4番出口まで、結構あるいて、外に出ると、マルペンサ・シャトルが待っていた。
渋滞したので、ミラノ中央駅まで、1時間ぐらいかかりましたね。
2016.09.22

バルフルールからガットヴィルの灯台へ20

多くは、こんな水平線とかを眺めながらの散歩道。
片道4キロ弱。
1時間はかからない。
往復するとなると7キロぐらい歩くことになるが、散歩しなれていない人でも、歩けないことはない距離だ。
バルフルール
実際のところ、歩き始めるまでは、灯台が遠くに見えて、大変そうな気がするんですけどね。
これは、疲れたぁ!とは思わなかった。

ブルターニュの北海岸も、こんな色の岩だったが、これも、バラ色の花崗岩(グラニーローズ)なんですかね?
2016.09.21

プラハの日本大使館にて2

プラハの大使館で読み物が置いてあった。
それによれば、荷物を手から放す場合、股の間に置いたとしても、必ずどこかが体に触れているようにしておかないと、置き引きされるというもの。
まさに、その体に触れるがなかったために、足元から持っていかれたのだ。
プラハ
名刺を渡され、警察へ行き、写真屋へ行った。
写真屋では、コンパクトデジカメで写真を撮られ、それをフォトショップで加工して、キャノンのインクジェットで出来上がりというものだ。
これで、行けちゃうんですね。
日本メーカーのデジカメと日本メーカーのプリンター。

その後、大使館へ行き、再びスターバックスから、残り少ないタブレットを接続して、Eチケットのメールを送り、何とか手続き終了。
半日以上つぶれちゃったけど、できない経験をしていると、ポジティヴに考えることにする。

写真はカレル橋。
いつもと変わらぬ人の波。
パスポートなくして、ここを歩くことになるとはね。
2016.09.20

噴水と城館 ヴォー・ル・ヴィコント城

様々なテーマを探して、庭を歩く。
この時点では、噴水と城。
ヴォー・ル・ヴィコント城
ありがちなテーマですけど、これはこれで、結構好きかもしれません。

正面付近から見ると、屋根裏部屋の丸窓がかわいらしいですね。
ふふふ、あの小さい丸窓の向こう側の部屋をひとつ、自分の書斎にしてみたい。
2016.09.19

サント・メール・エグリーズ 1944年6月6日

ぶらぶらしながら、再び、教会の前を通り過ぎる。
あんな、石碑があったっけ?
そう思いながら、一枚撮る。
サント・メール・エグリーズ
1944年6月6日に第82空挺師団と第101空挺師団のパラシュート部隊によって、この地方が解放。
そう書かれているようだ。
フランス語と、英語でである。
教会に巻き付く布もわずかに見えている。
2016.09.18

Rue Jeanne d'arc ジャンヌダルク通りから見るパンテオン

ジャンヌダルク教会があるジャンヌダルク広場付近から、ジャンヌダルク通り越しに写真を撮る。
向こうに見えているのは、パンテオン。
雰囲気のある通りだ。
パリの道
パンテオンというのは、フランスに貢献した人々が眠っている。
その意味では、ジャンヌダルクもその一人に違いない。
ジャンヌダルクは、ルーアンで悲しい最後を遂げたが、フランスのために尽くした人々が眠るパンテオンを眺める丘の上に、ジャンヌダルク広場とノートルダム・ドゥ・ラ・ガール教会があり、ジャンヌダルク通り越しにパンテオンが眺められるのは、偶然にしては、出来すぎている気もする。
2016.09.17

マンステール駅ホームにて2

いよいよ、乗り込む列車がやってきた。
ボンバルディア社製の、フランス中で見かける、あれだ。
統一感はある。
きっと、騒音対策もなされているのだろう。
エコなのだろう。
だが、味は、少々薄れた気も
マンステール
これに乗り込もうと思ったとき、街を振り返ると、プロテスタント教会の尖塔が見えていた。
マンステール
Munsterの文字の向こうに、教会と、登った丘がみえている。
一瞬、名残惜しい。
コルマールへ向けて、下ってゆくことにしよう。
2016.09.16

Place de la Madeleine マドレーヌ広場にて

マドレーヌ広場の真ん中に、マドレーヌ寺院が鎮座している。
地図的には、空間的には、広場だが、教会外周道路が走っているといった感じ。
パリの道
教会脇のフェンスに、異物発見。
乗り越え不可のフェンスであるが、なんだか、鳥の頭に見えてくる。

鳥が上を向いていると思うと、そうとしか見えなくなってくる。
このフェンスが、鳥に止まれないように作られているようにすら思えてくるのである。

もう少し向こうにあるデカ丸は、他と同じ緑なのに、これだけが、赤いのだ。
2016.09.15

バルフルールからガットヴィルの灯台へ19

いよいよ、バルフルールが近づいてきました。
海沿いの散歩道は、まさに、海沿いです。
バルフルール
こんなところに門扉。
こんな、海近くまで、個人の土地なんですね、きっと。

肉眼でも、はっきり、教会の上にたなびく旗がみえてます。
2016.09.14

プラハの日本大使館にて

多少、迷ったが、プラハの日本大使館へ着いた。
カレル橋を渡って、すぐに左折する。
教会の前を通り、しばらく行くとある。
プラハ
事情を話し、行くべき警察署や写真屋などの場所を丁寧に教えてもらった。
パスポートの再取得ではなく、帰国のための渡航書という、厚紙のパスポートの中身の紙みたいなものを発行してもらうことになった。

日本大使館では、チェコの方が対応してくれた。
日本語で、それはそれは丁寧に対応していただいた。
つらい立場としては、本当にありがとうございましたとしか、言葉が出てこない。

こちらが辛かろうが、楽しかろうが、プラハ城はいつもと変わらぬ容姿。
この時は、少々曇っていたかもしれないが、そんなことは、後で写真を見てから気が付いたこと。
2016.09.13

ヴォー・ル・ヴィコント城の屋根の上から3

中央のドームの上からの写真である。
ちょっと、寄って撮ってみたという写真たちである。
ヴォー・ル・ヴィコント城
ボーリングのピンのよな、花瓶のようなものが、立ち上がっている、屋根の端。
日本でいえば、鬼瓦に相当するのだろうか?
ヴォー・ル・ヴィコント城
もう一枚は、きれいにカットされた庭園を覗き込んだ写真。
こうした、きれいな模様というのは、どう考えても、上からのぞいてもらうためとしか思えない。
むろん、上から眺められるのは、城主と客人だけだろう。
北側のいわゆる裏庭も、きれいに装飾されているのがいいですね。
手を抜いていない。
三角錐の植木は、小人にすら見えますね。
前後左右に動いていそうです。
2016.09.12

サント・メール・エグリーズのノートルダム教会へ ステンドグラス

教会の中へ入る。
外界は、なんだか、整備され、広々とした広場があるためか、アットホームなこじんまりとした空間に入るような気になる。
サント・メール・エグリーズ
いくつかあるステンドグラスであるのだが、戦争は激しかったろうから、戦後のものにちがいない。
サント・メール・エグリーズ
新しいステンドグラスというのは、どことなく、現代アートっぽいものが多いのだ。
あとは、余白が、あっさりしていることが多いこと。
サント・メール・エグリーズ
よく、近づいてみると、フランス語の文字と英語の文字の両方がある。
多くの米兵が、ここで命を落としたからか?
多くの米国の観光客が多いからなのか?
いずれにせよ、戦争が関係あることに違いはなさそうだ。
1944と1969の数字が見えるから、四半世紀経ったときに記念碑のように作られたステンドグラスなのだろう。
2016.09.11

ショッセダンタン通り トリニテ教会と自転車

トリニテ教会が、正面にドン!と見える通りといえば、ショッセダンタン通りである。
もう何枚も何枚もここで写真を撮っているが、それらの写真は、またあとでとして、その通りがかりに見つけた自転車と通りという、いつもの組み合わせテーマ。
パリの道
自転車と通りと、そして、教会と。
無造作に、地上ロックされた自転車。
人通りが多いところだが、偶然、時が停まったかの如く、人が少ない瞬間が。

通行人に迷惑かけずに、一枚撮れたかな?
2016.09.10

マンステール駅ホームにて1

よく、モノクロ写真で、一部色だけのこったやつありますよね。
モノクロ世界に、一つ、黄色が花開いたかのような紅葉が、駅の線路の先にあった。
マンステール
この先、メッツェラルまで線路は伸びている。
時刻表はわからないが、そこまで、列車ははしっているのかな?
南アルザスの山間を走る鉄路。
2016.09.09

Jardin Paul-Didier ポール・ディディエ庭園

ぶらぶら歩きで、パリ環状廃線跡を巡る。
どんな風景が現れるか?はお楽しみ。
とにかく、廃線が走っていそうなところをぶらぶらする。
半分目的があり、半分は目的のない散歩。
目的地まで、場合によっては、ジグザグと。
知らないお気にいりの風景を探す。
今回は17区のバティニョール界隈奥。
パリの公園
歩いていると、目の前に、奇妙な入り口が出てきた。
覗いてみると、ポール・ディディエ庭園と入り口に公園の看板が。

延々と細い小路が続ている。
ちょっと楽しそう。
ちょっと危なそう。
ちょっと虫がたかったら、いやな気分になりそう。
パリの公園
そんなことを思いながら、その、ラビリンスへ入ってゆく。
とにかく、桶狭間ではないが、暴漢であろうが、蜂アブであろうが、攻撃されたら、よける場所はない。
進むか、引き返すかしかない。

そんなことを 考えながら進むと、向こうから母娘やってくる。
このような幸せそうな母娘が通るなら、虫も、暴漢も、きっといないのだろう。

そう確信して、小心者の私は進む。

公園っていってもね、これ、ただの道でしょ!?
2016.09.08

バルフルールからガットヴィルの灯台へ18

行きには気が付かなった、通りの向こうの海の先に臨むバルフルールの町。
そもそも、こんな家の脇を抜けていったかどうかの記憶もない。
海側をぐるりと回っていったかもしれない。
バルフルール
個人的には、”道”の風景としては、ガットヴィル往復で一番良かった画だったかもしれない。

人倫であろうとも、現実の世界の地球上でも、道なきところを進むことに比べると、圧倒的な安心感ですね、道ってのは。
2016.09.07

ヴァーツラフ広場を通り

ヴァーツラフ広場を通り、観光局へ向かった。
この広場では、ある意味、パスポート他が盗られた動揺を抑えるために写真を撮っている。
とくに、パスポートだ。
プラハ
だが、この後、旧市街広場に着いて、観光局が近くなると、その余裕はない。
大使館の位置を教えてもらえるだろうか?
その不安だけになっている。
SDカードには、その写真は撮られていなかった。

結果、観光局では、観光用地図に、ボールペンで、ここよ!としっかりマークしてもらった。
観光用地図だから、正確じゃないかもしれぬが、少なくとも、”付近”までは行ける。

ふぅ、一安心。
2016.09.06

ヴォー・ル・ヴィコント城の景色

歩きながら、何度もシャッターを切る。
ああしてみたり、こうしてみたり。
ヴォー・ル・ヴィコント城
全体を入れるように、庭の花々を入れて撮る。
花といっても、草の野原のように感じられるが。
ヴォー・ル・ヴィコント城
で、遠くから、思い切って、望遠で切り取ってみる。
こっちのほうが、個人的には好きかな?

全体像はまったくわからないけどね、この雰囲気の場所へ行ってみたくなるからね。
2016.09.05

サント・メール・エグリーズのノートルダム教会への参道

朝早く、サンローの街からバスでやってきた。
バス路線は充実しているし、観光には便利だが、観光客相手の商売ではないため、朝10時などという半端な時間には、なかなか走っていない。
学校や職場へ行くような時間帯に走っている。
だから、ずいぶんと早く、サントメールエグリーズへ着いてしまった。
サント・メール・エグリーズ
降りる観光客もいないし、街も閑散としている。

そこで、ぶらぶらしてみたのだが、教会の前を通ると、並木の向こうに教会の入り口が見えた。
朝早くだよ!と言わぬばかりの空気感が漂っていた。
少し煙る感じで、すがすがしいし、肌寒い感じもある。
2016.09.04

ルイ15世広場にて

処刑のあった、コンコルド広場は、往時、ルイ15世広場と呼ばれていたんですね。
そして、革命広場となり、コンコルド広場となってゆくんですね。
コンコルド広場となると、ナポレオンの台頭と時代は変わってゆく。
ルイ15世広場
王制、共和制、帝政と、目まぐるしく変わる歴史。
急進的でもあるし、復古もするし、右とか、左とか、そういうことが、大きな要素になりやすい歴史的背景が、こんなところにもあるのかもしれません。
だからこそ、パリにある日本の本屋さんで、日本の新聞を前にしたご婦人に、どの新聞が右?どの新聞が左?と質問されたのかもしれないと、思ったりするのである。
2016.09.03

マンステール駅舎

鉄オタという言葉があります。
音鉄であれば、鉄道の音を。
乗り鉄であれば、列車に乗ることを。
こんな風に、鉄道趣味でも、千差万別。

そんななか、駅舎好きというのもいるようです。

音にしても、車窓にしても、駅舎にしても、どれも、旅想を掻き立てるものばかり。
車であれ、人形であれ、アニメであれ、コスプレであれ、人はみなロマンチストなのかもしれません。
ロマンすなわち、フランス語で小説。
自分が、自分自身で主人公でいられる時間。
たしかに、それは、至福ですね。
いじめている人も、いじめられている人も、上司も、部下も、てらっている人も、すねている人も、素直になれない人も、いい加減にしかできない人も、皆、自分自身が主人公だと思わずに、主人公になっている。
そう考えたら、リアリストも含め、世界人類総ロマンチスト。
マンステール
さて、世界とか、何とか、大きなくくりは閑話休題。

駅舎の写真というのは、常に、帰りに撮ります。
ノワイヨンの駅の記事でも書いたのですが、行きは、目的地見てますからね。

帰りは駅をめざす。
この時も、マンステールの駅が、こんな風だとは、全く気が付いてませんでした。

気が小さく、周りを見る余裕がないからか?
前だけを見るポジティヴだからか?
先のスケジュールだけを頭に思い浮かべる、せっかちだからか?

僕は鉄オタとよべるほど、深く深くのめり込んでいませんが、鉄道の音も、車窓も、旅も、駅舎も結構すきですね。
両手両足の指の数には届かない程度かもしれませんが、駅舎の写真も撮ってますね。

2016.09.02

Rue du Poteau パリ環状廃線

パリ18区。
外側であるから、当然、パリ環状のプティット・サンチュールの線路が走っている。
パリの道
この辺りは、蓋をされていたり、こうして出てきていたり交互。
この雰囲気が、まるで、15区のパリ環状廃線の雰囲気そっくりだった。
まあ、ただの廃線だから、あたりまえといえば当たり前の叢の風景が広がっているだけなのだが。
パリの道
建物があることで、かろうじて、どのあたりか認識できるというもの。

このパリ環状廃線を記事にするのは、久々で、ちょっと、お久しぶりね!という気持ちになった。
自分の写真なのにね。
2016.09.01

バルフルールからガットヴィルの灯台へ17

ガットヴィルの灯台を後にして、バルフルールの街を目指す散歩再開。
カラフルな船と灯台。
どこかで見たような写真を撮ろうと思って、船と灯台のテーマで撮る。
バルフルール
もっと、船がカラフルだったら、さらに良かったが、行き当たりばったりの風景に文句は無粋。
もっと、船に近づいてとるべきだったな!と。