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2016.08.31

大使館へ行く前に観光局へ

ホテルにチェックイン。

フロントで、事情を話し、日本大使館の場所を聞いてみたが、「わかりません。」
と、あっさり。

タブレットが盗まれずに残っていたが、これの電池は充電しておらず、この充電器も盗られたため、電池残量はわずか。
土地勘もある。
地図で、住所をしらべず、まずは、旧市街広場の観光局をめざすことにした。
プラハ
今日二度目の博物館前。
一枚撮って、観光局を目指す。
そこでなら、大使館の位置ぐらい教えてくれるはずだ。
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2016.08.30

ヴォー・ル・ヴィコント城 外へ

いくら、お城が見たいからと言っても、なかなか、すべての部屋を、あーでもない、こーでもないと思いつつ、じっくり眺めることはできない。
気力が続かないのだ。
まあ、平たく言えば、飽きちゃうのだ。
なんかね、金払って、もったいない!ってな気もするんだけど、”我慢”する理由もない。
ヴォー・ル・ヴィコント城
で、終わって、外に出る。
とんでもないほどの解放感。
誰もいない外は、窓の外から見ると寂しいけれど、外に出ると、暖かく太陽が迎えてくれる。

さて、城のそでにあるトイレへいって、庭園回りに出かけるぞ!
実際、庭園回りじゃなくて、庭園側から、似たような、同じような、城の写真ばかりを撮りまくる散歩に出かけるわけだ。

まずは、近接で一枚!
2016.08.29

サント・メール・エグリーズ 博物館前にて

第二次世界大戦の激戦地で、0マイルストーンのあるこの町は、それこそが観光資源。
だから、結構立派な戦争博物館も存在している。
サント・メール・エグリーズ
観光客は、大変多く、多くは、バスに乗ってやってくる。
この界隈の、いろんな、場所を回ってくるツアーなのだろう。

アメリカ人が多いと思われるのであるが、彼らの祖父や曾祖父が、この戦いに参戦したのかもしれないし、命も落としたのかもしれない。
平和な観光資源であり続けてほしいですね。
2016.08.28

ポワシー パン通り

ポワシーの教会の裏手、洗濯に出かける。
いつも通る横断歩道。
その横断歩道を渡ると、道しるべがある。
Rue au Pain
パン通り。
ポワシー
ブーランジュリー通りでもなく、ブーランジェ通りでもないから、パン屋さん通りなわけじゃないのだろう。
パン工場でもあったのかもしれない。

ちょっと、珍しい名前だなと。
2016.08.27

マンステールの街並み レピュブリック通り

先週と似たような位置からの撮影である。
今回は、街並みというか、通りの画。
正面に見えるのが、カトリック教会である。
マンステール
小さな町でも、切り取っちゃうと、それが頭の中で大きなイメージを作る。
そういう効果。
一軒一軒の家を、実際町にいたときより、じっくり見る。
そうすると、あんなカラーの家あったっかな?
あんな、大きな扉あったかな?

漠然と風景を見ていて、ディテールは見ない、自分の目玉の能力を知ることもできる。
2016.08.26

Rue de Meaux モー通りの銭湯

銭湯というか、Douchesであるから、シャワー。
公衆シャワーということになるのか?
湯船があるのか?どうかは知らぬが、あれば、Bainと書かれているに違いない。
パリの道
偶然15区で、印象的な公衆浴場を目の当たりにしてから、どうも、この看板を見ると、写真を撮ってしまう。
文字の下に書かれた船の絵は、パリのマークである。

日本には、お風呂好きの人がいる。
その人にとっての銭湯は、一つの安寧の場所かもしれない。

しかし、フランス人にとって、そんなに、風呂を必要としていない人たちのための、公衆シャワーなのではなかろうか?
そんな風に想像してしまう。
湿度の違いは、習慣も好みも、考え方や人格すら変えてしまうのかもしれない。

気候が違うって大きいですね。
2016.08.25

バルフルールからガットヴィルの灯台へ16 灯台脇の海

灯台の左手の海。
こちらは、順光だから、岩場がきれいに見える。
遠くには、別の町の海岸が見えている。
バルフルール
反対側、右手の海。
こちらは逆光。
同じような岩場なのに、まったく雰囲気が違って見えるのは、写真だからでもあろう。
バルフルール
遠くに見えるのは、バルフルールの街ではないか!
教会の屋根も見えるし、拡大してみたら、ス国旗らしき影まで見えた。
見えるもんなんですね。
もっとも、歩ける距離なんですけどね。
2016.08.24

Mezibranská メジブランスカー通り

パスポートを盗まれた。
パソコンも、デジカメも、であるが、パスポートは申請しなければ、日本へ帰ってこられない。

本来は盗まれたドイツで手続きすべきなのだろう。
あの瞬間、乗り継ぐべき夜行列車まで、わずか数十分の間のできごとで、ケルン駅の警察署へは行ったものの、書類を作ってもらっている時間もなく、一応はその場で、列車に乗らなきゃなんない!と言い、いいよと言われて乗ってしまったのだ。
それ以外、夜半のケルンで、今更宿を探し、翌日以降の国際列車を予約し・・・プラハの宿はどうなるのか?他どうなるのか?などなど、そこまで考える余裕などなかった。

とりあえず、決めたルートでプラハに行き、そこで、対処する以外に、頭の中にはなかった。
そうじゃなきゃ、お金も時間も莫大に失うよ!
そう、思っていた。
プラハ
プラハへついて、宿へ向かうとき、この通りを通ってゆく。
ここから、日本へ国際電話して、プラハの大使館の住所を聞いた。

その電話をする前に、写真を撮る余裕はあったのだから、ずいぶんと落ち着いたのだろう。
もっとも、この町は、二度目だったため、よかったかもしれない。
ただ、電話の充電器も失ったため、電池切れは命取りである。
2016.08.23

ヴォー・ル・ヴィコント城の窓の向こう

ヴォー・ル・ヴィコント城から、庭園が見える。
自分自身が、城に住む一人の人間となってみる。
窓の向こうに見えるのは、広大な庭園である。

あれは、だれのための庭園なんですかね?
ヴォー・ル・ヴィコント城
誰もいない自分ちの庭。
広大だけに、ちょっと寂しいような気もしますね。

お金持ちであっても、体のサイズは50歩100歩。
見える窓の大きさも、同じように感じるだろう。

誰のための城で、だれのための庭?
自分が見て楽しむためじゃないと、この窓の手前の空気が言っているようで・・・。

誰かに見せて、素晴らしいと言ってもらえてはじめて、これらの庭園と城が意味を持つように思えるのである。
2DKとワンルームは違う。
だが、2DKとこのお城は、生活するうえにおいて、どれほど違うのか?

窓のこちら側に住んでいたとしたならば、ちょっと、寂しい気になりますね。
2016.08.22

サント・メール・エグリーズにて

この町の一番有名なシーンが、この落下傘の引っかかった教会の画だろう。
何しろ、これが理由で、命を失わずに済んだというのだ。

サント・メール・エグリーズ
この町は、落下傘部隊によって、急襲された。
しかし、その援護射撃による空爆で、家事になったため、落下傘部隊の降下は、したから丸見えになったのだそうだ。

しかし、空中で止まる形となった、この落下傘部隊の彼は、命が助かったということである。

史上最大の作戦。
そういう名の映画でも、ここでロケして、映画になったのだとか。
2016.08.21

パリ北西 クリシーの林

パリ17区のバティニョールの裏手、ポルト・ドゥ・クリシー付近の再開発。
その、そらを見上げると、鉄の棒が林立している。
パリの空
南東、北東地域の次は、北西のこの界隈が開発で熱い。
この界隈へは、メトロやトラムの延伸が実行、予定されていて、徐々に顔を変えつつある。
Posted at 11:22 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2016.08.20

マンステールの街並み

プロテスタント教会に入れなかったが、振り返って撮った写真が、マンステールの街並みの写真になった。
この教会の写真を撮ろう。
この建物の写真を撮ろう。
このオブジェを撮ろう。
そうなると、意外にも、単なる街並みは撮っていなかった。
マンステール
この写真が、ありきたりながら、マンステールの街並みと聞かれたら、これを見せるような気がしている。
スナップというのが、結構雰囲気を伝えるのにはいいのかもしれない。
2016.08.19

サン・フィリップ・デュ・ルール教会

サン・フィリップ・デュ・ルール教会は、サン・フィリップ・デュ・ルール駅の目の前にある。
ここは、パリ8区。
シャンゼリゼ通りにほど近く、すぐ近くを、フォーブール・サントノレ通りが通っている。
まあ、そういう地帯である。
サン・フィリップ・デュ・ルール教会
駅名にもなっているのも関わらず、なかなか、この教会へはやってこなかった。
貧乏人には、用無しエリアであるからであると思われる。
サン・フィリップ・デュ・ルール教会
そんな、ハイソな場所であるのだが、この教会の向かい側の広場、ベンチ付近には、娼婦っぽい雰囲気の人が、ちらほら。
こんなところで客引きできるんですかね?
もっとも、サンドニ通りにいるような、あからさまな感じではない。
でもね、そういう人たちは、こちらで意識してあげないと、写真の中へ入れてしまうことになる。
彼女らがもっとも、いやがることであるし、一般人だって、レンズをつきつけられるようにされたら、不快だろう。
サン・フィリップ・デュ・ルール教会
18世紀の建物で、歴史的建造物に指定されている。
東京のりんかい線の駅のような身廊である。
この形をどこかで見たな?
そうおもったら、7区にある、サン・ヴァンサン・ドゥ・ポール礼拝堂であった。
2016.08.18

バルフルールからガットヴィルの灯台へ15 三色旗

先端にある、小さな灯台は、入場規制が掛かっている。
ここは、軍関係の施設なのだろう。
ここに限らず、ヴォーヴァンが作った要塞でも、その他の歴史的軍事施設でも、現在フランス軍の施設となっているものは、結構あるようだ。
バルフルール
見上げると、フランスの国旗がはためいている。
バルフルール
大好きな絵の一つではありますが、ドラクロワの民衆を率いる自由の女神。
このドラクロワの描く自由の女神の手に、フランス国旗が持たれていることによって、この3色の国旗は、自由を象徴するイメージになったような気もします。
2016.08.17

シティナイトラインで行くプラハ5

盗難にあって、打ちひしがれて、まんじりとも眠れない。
そう思ったが、いつしか、眠りに落ちた。
3段式の最上階が良かったか?

夜半、下の階でばたばたが始まった。
明らかに、息が荒い。
はぁ、はぁ、はぁ。

そして、聞こえてきた女性の言葉は、「メルド!」(フランス語でちくしょう!)であった。
ケルンから一緒に乗った女性だ。
どうやら、フランス人だったらしい。

列車はベルリン駅に停車している。
ベルリンの何とか駅なのであろうが、そこまではわからない。

血相を変えて、荷物をまとめ、猛烈な勢いで出て行った。

ベルリンの停車駅は、めちゃめちゃ長い。
ここが、下車駅だったら、問題ないのだが、もっと手前で降りるつもりだったら、大変だ。

でも、もっと前で降りるのなら、クシェットで寝る必要などないはず。
きっと、ベルリンが下車駅だったのにちがいない。
降りられてよかったね!
そういうことにしておく。
パルドゥビツェ
翌朝、目覚めると、隣の、おそらくチェコ人の女の子から、おはよう!と声を掛けられる。
起きたら、すかさずだ。
女性とは、何度か付き合ってきたのだが、朝から、おはよう!なんて記憶は全くない。

階下では、チェコ人カップルと、おそらく、ドイツ人の会話が始まっている。
会話は英語だ。
その、推定ドイツ人は、パルドゥヴィツェへ行く!そうのたまった。
競馬に行くかどうかは、わからぬが、そう言っているように聞こえる。

おんなじ競馬ファンかもしれない。
つたない語学力を振り絞って、会話をするほどの元気はない。

となりの女の子に、グッドモーニング!を言うのが精一杯の気分。

プラハの街が見えてきた。
ホームへ滑り込んでゆく列車。

チェコへの旅は終わった。

チェコ人3人、独仏日1人ずつの6人コンパートメントであった。

1等車だと、旅行。個室ですからね。
2等クシェットは、旅。
挨拶しかしていないのに、会話に参加していた気分になっちゃうからね。
そんな感じだ。
2016.08.16

ヴォー・ル・ヴィコント城の屋根の上から2

お城の屋根の上から、庭側とは反対の北側を見る。
ちょうど、入場してきたあたりの建物が見える。
ヴォー・ル・ヴィコント城
その対面にも、線対称らしく、建物が立っている。
森の緑との対比がきれいだね。
ヴォー・ル・ヴィコント城
おもちゃみたいとも言えなくもない。
母屋と離れた場所に、秘密の書斎がほしいよね。
2016.08.15

サン・ロー駅の馬

サン・ローの駅に馬のオブジェがあった。
なぜ、ここに飾られているのか?
それは確認していない。
ただ、この町は、馬の町なのだ。
サン・ロー
町の奥には、巨大なHaras国立種馬場がある。
馬の一大生産拠点の一つなのだ。
ノルマンディらしい顔でもあるし、おそらく、それゆえの、駅の馬のオブジェなのであろう。
2016.08.14

Rue Juste Metivier ジュスト・メティヴィエ通り モノクロームの不思議

コーランクール通りから、ジュノ通りへかけあげる階段。
その脇に自転車が停めてあった。
いつものテーマ、自転車とパリの一枚を撮る。
パリの道
この写真、カラーで撮ったものをモノクロ編集したものだ。
カラーでも、もともと、パリはそんなに色がない。
でも、完全にモノトーンにしてしまうと、カラーでは感じないパリの雰囲気がジワジワと出てくるのだ。

パリで撮った写真は、いまいちだなぁ!と思ったら、モノクロにしてみるのがおすすめである。
2016.08.13

マンステールの紅葉 続

教会の中へ入ってみよう。
そう思って近づいてみたが、入ることはできなかった。
その脇を見ると、鮮やかな紅葉が目に飛び込んできた。
この紅葉が、マンステールでは最も印象的だった。
マンステール
そもそも、黄色の多い欧州で、赤系統の紅葉は、目に留まりやすい。
個人的にも、秋の紅葉といえば、赤色が好きだからかもしれない。

他にも、きれいな紅葉はあるのだろう。
ここは、街の中。
建物との対比で、あまりに鮮やかに見えるのだろう。
教会も、家の壁も、屋根の色も、停まっている車の屋根も赤系統だしね。
2016.08.12

アンガン競馬場にて

パリ北郊に、アンガンという町がある。
サンドニから北西方向である。

パリ北駅からは、10分といったところ。

このアンガンという町の駅の次の駅が、アンガン競馬場駅なのである。
常設駅であり、競馬開催と関係なく、列車は停車する。
アンガン競馬場
駅のホームからも競馬場が見える、まさに競馬場駅なのである。

ここが入り口を入ると、なかなかいい雰囲気だ。

いやいや、フランスの競馬場のいくつかは、入り口をはいると、こうした木陰と芝生という雰囲気が素晴らしい場所はところどころにある。
いつも見ている景色なのに、いつも撮りたくなる。

だいぶ以前にも、書いたと思うが、アンガンは、アンギャンと書かれることも多い。
だが、フランス人の先生に、アンギャン競馬場はアンガン競馬場、いやいや、日本語の音的には、オンガン競馬場と聞こえる。
そう発音するように、徹底的に直された。
Enghienは、Enではじまるから、日本語表記は確かにアンだが、発音はオンに近い。

北駅の切符売り場で、完全に、オンガンと発音して通じているから、間違いはない。
フランス人がいうのだから、間違っているわけないんだけどね。
2016.08.11

バルフルールからガットヴィルの灯台へ14 ガットヴィルの二つの灯台

ガットヴィルの灯台に到着した。
外側をぐるっと回ると、裏手に、小さな灯台がある。
どちらかといえば、こちらの灯台が稼働中のようである。
今回は、大きな灯台の上へは登れなかったから、外側を回り、中を覗き、散歩して戻ることに。
バルフルール
二つの灯台を一枚に収めようと、海の岩場に出て、海側へ下がって下がって一枚。
なんとか、先端まで広角レンズで入れることができた。
2016.08.10

シティナイトラインで行くプラハ4

乗り込んだ2等車。
乗り込むはずの6人乗りのコンパートメントはすでに鍵がかかっている。
先にデュッセルドルフで乗った人たちが、電気を消して鍵をかけているのだ。
ケルンで、私以外に、もう一人、同部屋の女性がおり、その人と一緒に中へ入る。
ノックすれば、開けてくれる。
ちなみに、同部屋といっても、むろん、そこで偶然あった人である。
パルドゥビツェ
乗り込むと、荷物があちこちに積まれていて、置き場がない。
最下段の人の床の下へ、なんとか、スーツケースを押し込んだ。
他の荷物は、自分のベットである最上段へ

このコンパートメントは、女性3人、男性3人という組み合わせであった。

しばらくすると、向かい側の女の子が、グッナイと声をかけてくれた。

初めて交わした会話は、おやすみなさい。
不思議な空間でもあるが、気分はそれどころじゃなかった。
かばん他を盗まれたショックで眠れない夜行列車の旅が始まった。

写真は、翌朝、このコンパートメント内で偶然に聞くことになる、パルドゥビツェの競馬場の写真。
2016.08.09

ヴォー・ル・ヴィコント城の先端

屋根裏から表に出ると、庭園が広がっている。
その自分の頭上に立っているのが、お城の先端である。
鐘楼のようでもあるし、きっと、今はライトアップか何かに使われているのだろう。
ヴォー・ル・ヴィコント城
先端というのは、庭園側からみた特徴的な真ん中のドーム屋根の上である。
ミニチュアだったら、指でつまみそうなところですね。
この周りを、ぐるりと回ることができます。
2016.08.08

サン・ローの病院のレジェのタイル画

サン・ローで最も見たかったものは、このタイル絵だったかもしれない。
キュビズムというのは、レジェの絵を見て、興味を持ったといっていい。
とにかく、パリ市立近代美術館で見た彼の絵は、カラフルで印象的だった。
サン・ロー
ここにあるのも、カラフルだから、彼の初期の作品なのかもしれない。
サン・ロー
年代と、米仏国旗であるから、第二次大戦がモチーフなのだろう。
彼のカラフルな絵は、重たい戦争のイメージから解放してくれる。
女性の顔の雰囲気は、コクトーを思い出すね。
2016.08.07

Rue Leibniz レニズ通りの真ん中で

学校帰りなのかどうか?

レニズ通りは、パリ18区でも、最も北に近い通り。
真ん中に、こうした並木公園通りのようになっているが、これは、この下に、パリ環状廃線が走っているためである。
その、廃線跡の蓋の上をあるいていることになる。
通りそのものは、この蓋の歩道の両側を走っている。
パリの道
さて、制服などはないパリの学校。
みな同じような服をみにまとい、ぶらぶらと歩いてゆく。

ゆっくりと時が流れる昼前のパリ。
2016.08.06

マンステールの紅葉

丘の上や、郊外の紅葉は堪能。
街中の紅葉を探す。
マンステール
紅葉している場所はあるけれど、良い色がなかなか見つからない。
教会の赤れんがをバックに、黄色が映えるところを一枚。
しょうしょう色づきがよろしくないけど、背景のおかげで、色は目立つ。
2016.08.05

Rue Jean Baptiste Pigalle ピガール通りから望むサント・トリニテ教会

モンマルトルの丘から坂を下ってくる。
ピガール通りが、終わりに近づいてい来ると、上部になにやら、大きなものがみえる。
サント・トリニテ教会の屋根である。
パリの道
パリが坂道だらけであることは、イメージしにくい。
主だった観光地は、セーヌ川沿いにあるし、そうなると、高低差はほとんどない。

モンマルトルの丘と、サント・ジュヌヴィエーヴの丘がパリの平地にポコポコとあるように思ってしまいがち。
パリはすり鉢のような盆地になっている。
だから、歩けば、坂だらけであることに気が付く。
メトロ使っちゃうと、そうした感覚の外を移動することになる。

大きなサント・トリニテ教会の屋根が見える。
結構、坂道も急なのである。
2016.08.04

バルフルールからガットヴィルの灯台へ13

散歩も折り返し地点に到着。
ここからは、ガットヴィルの灯台へ向けて作られた直線道路を行く。
バルフルール
すれ違うご夫婦はツーリングでやってきたのだろうか?
完全に一体感のある空気ですれ違ってゆく。
こういった雰囲気のカップルは、欧州では多いような気がする。
結婚という法的鎖とはまた別の連帯。

場所柄か、すがすがしい風に当たった気になります。
2016.08.03

シティナイトラインでプラハへ3

パリの北駅でタリスに乗った。

前回は、ケルン乗り換えでプラハに向かったが、今回は、デュッセルドルフ乗り換え。
乗車予定のシティナイトラインの始発駅。

パリの北駅で、タリス到着を待つが、いつまでたっても到着せず。
というか、そもそも、デュッセルドルフ行きのタリスの表示はない。
同時刻、ケルン行きになっている。

おそらく、これだろう。
そう思って、遅れてきた列車に乗り込み、車掌さんに聞く。
「ケルンで乗り換えて、デュッセルドルフへ行きなさい。」

旅は始まった。
ブリュッセルの南駅へ到着。

すると、なんだ?
全員、ここで、向かい側の車両に乗り換えなのだそうだ。
隣の席のドイツ人のおばちゃんが、丁寧に教えてくれた。
シティナイトライン
もう、デュッセルドルフへ行っている余裕はない。
ケルンで以前乗り換えたのだから、ケルンで乗り換えられるはず。

そう思って、ケルンの駅で確認すると、それが可能だと分かった。

一件落着。
せっかくだから、食べようと入ったソーセージ屋で、スリに会ったのだ。
わずか30秒ほどの出来事だった。

写真は、プラハに到着した、シティナイトライン。
今回は2等車だった。
2016.08.02

ヴォー・ル・ヴィコント城のもう一つの顔

角ばった、威厳ある雰囲気で客を迎えた城。
庭からみる城の顔は、やわらかい。
北側とは正反対だ。
ヴォー・ル・ヴィコント城
丸いドーム屋根のインパクトが強い。
左右が主張しすぎていない分、丸みを帯びたやわらかい雰囲気に城全体が感じられる。

さて、ぶらぶらと庭を散策。
秋のこの日、日なたは暑くてのどが渇くくらいだった。