2016.06.30
バルフルールからガットヴィルの灯台へ8
2016.06.29
プラハ Letenská レテンスカー通りを行くトラム
2016.06.28
ヴォー・ル・ヴィコント城 図書室
2016.06.27
サン・ローの城壁の上
2016.06.26
アジャーネ村のカーヴ経由で2
2016.06.25
マンステール 紅葉
2016.06.24
Square Caulaincourt コーランクール広場の階段
スカール(square)は、英語で言えばスクエアになるのだろうか。
公園というか広場というが、日本的に言えば、どちらも当てはまる。
もっとも、公園の場合、小さな公園と日本では呼ばれるだろう。

ここは、広場というより、通りといったほうがいい。
その”通り”の中央部分は、長い長い階段になっていて、下と上に緒としたスペースがある。
下には、レストランのテーブルが申し訳程度に出没しているが、上は、広場と呼ぶにふさわしいテーブルの盛況ぶり。
でも、ここの特筆すべき風景は、この、長い長い階段だろう。
したから見る階段は、どこまでも続き、先の見えないラビリンス感満載の、モンマルトルの中でも、”らしさ感”あふれる場所である。
公園というか広場というが、日本的に言えば、どちらも当てはまる。
もっとも、公園の場合、小さな公園と日本では呼ばれるだろう。

ここは、広場というより、通りといったほうがいい。
その”通り”の中央部分は、長い長い階段になっていて、下と上に緒としたスペースがある。
下には、レストランのテーブルが申し訳程度に出没しているが、上は、広場と呼ぶにふさわしいテーブルの盛況ぶり。
でも、ここの特筆すべき風景は、この、長い長い階段だろう。
したから見る階段は、どこまでも続き、先の見えないラビリンス感満載の、モンマルトルの中でも、”らしさ感”あふれる場所である。
2016.06.23
バルフルールからガットヴィルの灯台へ7
2016.06.22
パルドゥビツェ大障害へ
パルドゥビツェといえば、障害競馬の競馬の街。
たんにチェコで有名というわけではなく、世界的有名レースである。
むろん、地元はもちろん、プラハからも、諸外国からも多くの観客がやってくる。

10月の第2週。
日本からこれを見に来た。
そう言ったときの観光局のお兄さんのうれしそうな顔が忘れられぬ。

お祭り騒ぎである。
出店がいっぱい出て、チェコの地場の食べ物やお菓子などが食べられる。
フランスのトロットレースのGNTシリーズもそうだが、競馬場で、イベントをやっていることも多い。
正直、高級感あふれるレースも悪くはないが、庶民的なお祭り雰囲気の競馬場の方が、心から楽しくなる。

この日勝った馬は、フランスの牝馬だった。
この馬、圧倒的強さでのちに3連覇を飾ることになる。

そして、落馬したジョッキー。
とはいえ、この人、チェコの英雄。
この時も人気の一角。
熟練のチェコ人ジョッキーに惜しみない拍手が贈られる。
それにこたえて手を振るジョッキー。
障害競馬のいいところは、勝っても負けても、挑んだことが称賛されることだ。
たんにチェコで有名というわけではなく、世界的有名レースである。
むろん、地元はもちろん、プラハからも、諸外国からも多くの観客がやってくる。

10月の第2週。
日本からこれを見に来た。
そう言ったときの観光局のお兄さんのうれしそうな顔が忘れられぬ。

お祭り騒ぎである。
出店がいっぱい出て、チェコの地場の食べ物やお菓子などが食べられる。
フランスのトロットレースのGNTシリーズもそうだが、競馬場で、イベントをやっていることも多い。
正直、高級感あふれるレースも悪くはないが、庶民的なお祭り雰囲気の競馬場の方が、心から楽しくなる。

この日勝った馬は、フランスの牝馬だった。
この馬、圧倒的強さでのちに3連覇を飾ることになる。

そして、落馬したジョッキー。
とはいえ、この人、チェコの英雄。
この時も人気の一角。
熟練のチェコ人ジョッキーに惜しみない拍手が贈られる。
それにこたえて手を振るジョッキー。
障害競馬のいいところは、勝っても負けても、挑んだことが称賛されることだ。
2016.06.21
ヴォー・ル・ヴィコント城 ヘラクレスの間
2016.06.20
サン・ローの壁と戦争
2016.06.19
アジャーネ村のカーヴ経由で
2016.06.18
マンステールのトラムとは
オロ村の丘から帰ってくる途中、こんな看板を発見。
この田舎町で、夢のような鉄道ファンがいるのだろう。
マンステールの町から、山々の村を巡るトラム。
これがあれば、移動も買い物も便利。
そんな夢のお話。

そう思って写真を撮ったのだが、そうではなかった。
これは、実在していたのである。
この看板に書かれているように、MUNSTERマンステールから、SCHLUCHTシュルシュトまでトラムが走っていたのだ。
100年以上前のアルザスのドイツ時代のことである。
さらに、シュルシュトで乗り換えその先まで、トラムは続いていたようなのだ。
220パーミルという勾配だったのだろうか?
まあ、普通の坂道ではないですね。
Cremaillereとなっているから、アプト式だったんでしょう。
この田舎町で、夢のような鉄道ファンがいるのだろう。
マンステールの町から、山々の村を巡るトラム。
これがあれば、移動も買い物も便利。
そんな夢のお話。

そう思って写真を撮ったのだが、そうではなかった。
これは、実在していたのである。
この看板に書かれているように、MUNSTERマンステールから、SCHLUCHTシュルシュトまでトラムが走っていたのだ。
100年以上前のアルザスのドイツ時代のことである。
さらに、シュルシュトで乗り換えその先まで、トラムは続いていたようなのだ。
220パーミルという勾配だったのだろうか?
まあ、普通の坂道ではないですね。
Cremaillereとなっているから、アプト式だったんでしょう。
2016.06.17
シモーヌ・ドゥ・ボーヴォワール橋からベルシー橋を眺める
2016.06.16
バルフルールからガットヴィルの灯台へ6
2016.06.15
第1次世界大戦中のトラム
2016.06.14
ヴォー・ル・ヴィコント城 女神の部屋 シャンブル・デ・ミューズ
2016.06.13
Saint-Lo サン・ロー拠点で
2016.06.12
ミネルヴ村の路地から4
2016.06.11
マンステール郊外オロ村の丘
2016.06.10
Passage de la Brie ブリー小路
パリ19区。
新しいレンガの敷き詰められた、一方通行の小路がある。
モー通りからの見た雰囲気が良かったので1枚。

この道は入ってゆくと、途中からまっすぐ伸びる。
やはり、先が見えないという不安が、妄想の幅を広げてくれる分、道の雰囲気は上がる。

そんな道の写真を撮るときは、必ず、撮る前か、撮った後に通り名の道しるべを撮影する。
しないと、何通りかわからなくなっちゃうからね。
前後どちらであっても、撮っておけば、確認のしようもある。
ところが、そこに、こんなことが書かれていた。
外車進入禁止。
いやいや、日本車やアメ車はおろか、ベンツもワーゲンもフェラーリも入っていけないということですかね。
もっとも、こちらからは、一方通行で、ルノーもシトロエンも入っては来ませんが、通りの向こうからやってくるのは、フランスの車ばかりなんですかね。
フランスの政治力ある車関係の人が住んでいたのか?
国粋主義者が住民だったのか?
それとも、なにか、悲しい歴史があったのか?
パリ東部、イルドフランス地方のブリーチーズのブリー地方からとられたと思われるこの小路にも、歴史あり・・・。
新しいレンガの敷き詰められた、一方通行の小路がある。
モー通りからの見た雰囲気が良かったので1枚。

この道は入ってゆくと、途中からまっすぐ伸びる。
やはり、先が見えないという不安が、妄想の幅を広げてくれる分、道の雰囲気は上がる。

そんな道の写真を撮るときは、必ず、撮る前か、撮った後に通り名の道しるべを撮影する。
しないと、何通りかわからなくなっちゃうからね。
前後どちらであっても、撮っておけば、確認のしようもある。
ところが、そこに、こんなことが書かれていた。
外車進入禁止。
いやいや、日本車やアメ車はおろか、ベンツもワーゲンもフェラーリも入っていけないということですかね。
もっとも、こちらからは、一方通行で、ルノーもシトロエンも入っては来ませんが、通りの向こうからやってくるのは、フランスの車ばかりなんですかね。
フランスの政治力ある車関係の人が住んでいたのか?
国粋主義者が住民だったのか?
それとも、なにか、悲しい歴史があったのか?
パリ東部、イルドフランス地方のブリーチーズのブリー地方からとられたと思われるこの小路にも、歴史あり・・・。
2016.06.09
バルフルールの街遠望
2016.06.08
Pod Sklípky カーヴ・トンネル
2016.06.07
ヴォー・ル・ヴィコント城の屋根の上から
2016.06.06
コンピエーニュ競馬場にて
2016.06.05
ミネルヴの石垣、総構え
こうやって下から見上げると、完全に城ですね。
ミネルヴ城。
先日言った小田原城も、総構えが有名。
ちょうど、大河の真田丸も、小田原城攻めに話が進みそうで、偶然とはいえ、タイミングが良かった。

日本には、城壁に囲まれた町はないのだと思っていたのだが、総構えで調べてみると、結構ある。
石垣、土塁、堀他で町の一部を囲っていたりしたのだと、改めて知る。
小田原の交差点の名前にも、早川口とか、箱根口とか、そんな地名がある。
パリの街で言えば、ポルト(門)に当たるのが、口ということだ。
それでも、この小さな村の遥かなる高さの壁にはかなわない。
地つながりで、いったいそもそも、その土地は誰のものなのか?
どこの所属なのか?
大陸は、常に、そうした、異民族や隣人との闘いから、守らねばならない状況だった。
島国の中は日本で、異民族を神風で撃退した歴史とは、少々違うのであろう。
ミネルヴ城。
先日言った小田原城も、総構えが有名。
ちょうど、大河の真田丸も、小田原城攻めに話が進みそうで、偶然とはいえ、タイミングが良かった。

日本には、城壁に囲まれた町はないのだと思っていたのだが、総構えで調べてみると、結構ある。
石垣、土塁、堀他で町の一部を囲っていたりしたのだと、改めて知る。
小田原の交差点の名前にも、早川口とか、箱根口とか、そんな地名がある。
パリの街で言えば、ポルト(門)に当たるのが、口ということだ。
それでも、この小さな村の遥かなる高さの壁にはかなわない。
地つながりで、いったいそもそも、その土地は誰のものなのか?
どこの所属なのか?
大陸は、常に、そうした、異民族や隣人との闘いから、守らねばならない状況だった。
島国の中は日本で、異民族を神風で撃退した歴史とは、少々違うのであろう。
2016.06.04
マンステールの日の丸
マンステール郊外の丘まで歩いて来て、日の丸を見つけた。
こんな、金属ステッカーをフランスでは売っているのか?
ともあれ、日の丸越しに、マンステールの街を望むというタイトルの写真を撮った。

少し上がると、もう一つ、赤丸が。
矢印の先は、HOHRODオロ村とSOULTZERENゾウルツェレン村。
クリュブ・ヴォージャンはおそらく、ヴォージュ地方の少年団なのかボーイスカウトあたりなのではと推測する。
それとも、トレッキング、ハイキングクラブか?

日の丸は、道しるべなんですな。
決して、日本のマークではなさそうです。
ただ、こうして、歩く歩く文化の一端をかじることになると、フランスで、ランドネ!ってな気分にほんの少しだけなれますね。
こんな、金属ステッカーをフランスでは売っているのか?
ともあれ、日の丸越しに、マンステールの街を望むというタイトルの写真を撮った。

少し上がると、もう一つ、赤丸が。
矢印の先は、HOHRODオロ村とSOULTZERENゾウルツェレン村。
クリュブ・ヴォージャンはおそらく、ヴォージュ地方の少年団なのかボーイスカウトあたりなのではと推測する。
それとも、トレッキング、ハイキングクラブか?

日の丸は、道しるべなんですな。
決して、日本のマークではなさそうです。
ただ、こうして、歩く歩く文化の一端をかじることになると、フランスで、ランドネ!ってな気分にほんの少しだけなれますね。
2016.06.03
Rue du Faubourg Saint-Honoré フォーブール・サントノレ通りのエルメス本店屋上に
2016.06.02
バルフルールからガットヴィルの灯台へ5
2016.06.01
プラハ 大戦中のトラム
トラム2号線の車両である。

この車両は1942年製。
とすると、戦中だったことになる。
1942といえば、ナチスの保護下におかれていた時代であろう。
前回載せたトラムの車両の記事jは、戦後のソヴィエト影響下のものだった。
だが、御覧の通り、トラムは、かたくなまでに、その姿を大きく変えてはいない。
そして、どの時代のものも愛らしい。
そのあたりに、チェコの人の本質があるかもしれない。

行き先なのか?
ヴィノフラディと書かれている。
プラハ駅裏の、高級住宅街であろうか?
あそこの坂道を下るトラムも、良い絵が撮れるのだが、このトラムも、人々を乗せて、変わらぬ風を切っていたのだろうか?
それとも、時代が違えば、同じ建物の前を走るトラム脇を流れる空気も、雰囲気も、違ったのだろうか?

この車両は1942年製。
とすると、戦中だったことになる。
1942といえば、ナチスの保護下におかれていた時代であろう。
前回載せたトラムの車両の記事jは、戦後のソヴィエト影響下のものだった。
だが、御覧の通り、トラムは、かたくなまでに、その姿を大きく変えてはいない。
そして、どの時代のものも愛らしい。
そのあたりに、チェコの人の本質があるかもしれない。

行き先なのか?
ヴィノフラディと書かれている。
プラハ駅裏の、高級住宅街であろうか?
あそこの坂道を下るトラムも、良い絵が撮れるのだが、このトラムも、人々を乗せて、変わらぬ風を切っていたのだろうか?
それとも、時代が違えば、同じ建物の前を走るトラム脇を流れる空気も、雰囲気も、違ったのだろうか?
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