2016.05.31

ヴォー・ル・ヴィコント城 らせん萌え

最上階に上がると、さらに上へあがってテラスへ出られる。
テラスというか、城の突先の屋根脇を歩けるといったほうがいい。
ヴォー・ル・ヴィコント城
ここへ登ってゆくときに、真下かららせん階段を登る。
印象としては、ずいぶん暗い、ごちゃごちゃした屋根裏部屋から、そのうえの屋根へあがる感じだ。
階段も登って行っちゃっていいの?と思うほど急勾配。
ヴォー・ル・ヴィコント城
上がり始めてから、ようやく、これがらせん階段であることに気が付いて、じゃあ、と一枚。
らせん階段の何がこちらを魅了するのか?

それにしても、フランスらしからぬ?木造である。
屋根がこれじゃないと、重すぎるのだろう。

屋根裏感を感じる度合いの強さは、木造建築に慣れた、日本人ならではかもしれない。
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2016.05.30

コンピエーニュの花

宮殿庭に、花が咲いている。
むろん、人工的に植えられたものだ。
白とピンクのコントラストがかわいらしい。
コンピエーニュ
ただ、なんですかね、雑然とした感じというか?
ここは、手入れされている感よりも、より、自然に近い。
色を混ぜて、ごちゃごちゃと置くのは、フランスらしい。

そういう意味では、作られた、隙間のない庭園より、フランスの田舎の隙間の多い牧草地の方が、よっぽど魅力的な雰囲気になっている。
2016.05.29

ミネルヴ寸景 城壁通りから

岩陰からミネルヴの村を見渡す風景。
通り名は、Rue des Remparts。
ランパール通り。
城壁通りということになる。
ミネルヴ
この村も城壁で囲まれていた名残りであろう。
その城壁の一部をなしていた岩であると思われる。

その陰から、村の風景と、ポン・グラン(大橋)が見える。
こちら側は山で、見えている先は谷。
だから、山側からの侵入を防ぐためには、壁が必要だったということだろう。
2016.05.28

ロット径、Horod、オロ村からマンステールを望む

オロ村のロット径を登ってくる。
どんな風景が待っているのか?
すると、遠くに町が見える。
マンステール
町は方角的に当然、マンステールである。
歩いてきた方を振り返ったのだ。
煙る町に、高い建物が3つぐらい見える。
マンステール
望遠レンズで覗いてみると、カトリック教会、プロテスタント教会、そして、煙突が見えている。

寒いのは嫌いだから、白銀の世界に住んでみたいとは思わないが、この緑の田舎には、夏の間滞在してみたい。
そんなことを思う風景である。

この写真の時期は、初秋。
10月初旬である。
2016.05.27

モンパルナスタワーからモンパルナスの地上絵を

駅といっても駅舎ではない。
モンパルナス駅を出た鉄路の模様。
新幹線だろうが、在来線であろうが、近郊線であろうが、ここを通過して行く。

この先、ブルターニュやトゥール、ボルドー、バスク、そして、スペインまでつながってゆく。
人類文明が描いた、地上絵みたいなもんですね。
モンパルナスタワー
オランジュリー美術館の睡蓮の大作の目の前に立つと、青やら、緑やら、塗り残しやら、なんのこっちゃわからなくなる。

俯瞰しながら書いたのなら、どんだけ後ろから、どんだけ長い筆で書いたのか?
どうやって、ちゃんと絵になるのか?
そんな疑問を、美術をしている人に投げかけた。

ちゃんとモネの頭の中でイメージできているんじゃない?

そう言われた。

ナスカの地上絵も、イメージできるやつが描いたとするのなら、意外と驚くに当たらないことなのかもしれない。

ナスカのモネがいたのだということだ。
不思議ではなく、ただただ、画伯がいたのだ。
そういうことかもしれない。

そんなことを思う、夕方のモンパルナスタワーからのブレブレ写真である。
2016.05.26

バルフルールからガットヴィルの灯台へ4

歩いている道はSentier littoralサンティエ・リトラルという。
海岸散歩道という意味だ。
一般名詞。
バルフルール
その海岸散歩道と書かれた道しるべが立っていた。
木の板で作られた、右どこどこ、左どこどこと比べると、ゴージャスな道しるべ。
歩く文化のある国らしい。
バルフルール
赤茶のごつごつした海岸線の先に、目指す目的地は見えている。
2016.05.25

パルドゥビツェ Pernštýnská ペルンシュティーンスカー通り

お城から市庁舎広場へ戻ってくる。
その途中、行きとは別の道で戻る。
ペルンシュティーンスカー通り。
パルドゥビツェ
こちらの通りも、かわいらしい家々が並んでいる。
商店街というには、お店の数が少ない気もするが、繁栄当時はお店がならんでいたのではないか?
この町の歴史を知っているわけではないが、人とモノの中継点。
そんな空気感のある町だ。
2016.05.24

ヴォー・ル・ヴィコント城 中央広間

2階の部屋を巡り、中央広間を覗く。
たしかに、いろんな意味で、よくできた城ですね。
すべての要素がぎっちり詰まっている感じのお城。
ヴォー・ル・ヴィコント城
下から見上げる吹き抜けも、解放感があっていいですね。
ヴォー・ル・ヴィコント城
ちょっと、駅のホールを思い出す感じが、ノスタルジックでいい。
ヴォー・ル・ヴィコント城
ヴェルサイユは巨大ではあるけれど、こちらのほうが、とてもバランスよくまとまっているように思える。
ヴェルサイユができたところで、王の嫉妬は収まらなかったでしょうね。
2016.05.23

コンピエーニュ宮殿の庭の緑の先

宮殿側を見ると、案外殺風景なのだが、宮殿を背にして庭園を眺めると、美しい緑が延々と続いている。
コンピエーニュ
この緑の先には、競馬場がある。
ここは、もう、パリの郊外とは言えないかもしれないが、そこそこ重要なレースも行われる競馬場だ。
コンピエーニュ
この町には、種馬場もある。
馬の街ともいえる。
そういう意味では、同じピカルディのシャンティイと似ている。
2016.05.22

ミネルヴ村の路地から3

ミネルヴ村の路地の写真の続きだ。
ここまでくると、もう、石の村といっていい雰囲気。
ミネルヴ
先日小田原へ行ってきた。
石垣山という秀吉が城を築いた場所と、城下町の中心、小田原城。
ミネルヴ
初めて訪れたのだが、これほど立派な代物だとは思わなかった。

総石垣の城を関東で初めて築いたのが、石垣山の秀吉の城らしい。
小田原城も、石垣に門、石垣で囲まれた枡形などがあるわけですが、ここまで石石石だと、別次元ですね。
2016.05.21

マンステール郊外の丘から

牧草地には、牛がたくさんいる。
丘を登ってくると、いままで見えなかった牛たちが、周りにこんなにもいる。
マンステール
それにしても、ここ以外も振り向けば牛というくらいいた。

遠くを見れば、美しい緑の草原に、点在する木々。
マンステール
こう、なにかわかりませんけど、空白ってのは大事ですね。
そんな気になります。
緑の草原が、木々の間にある空白のよう。
そして、空白のおかげで、こんなにも、癒される空間ができるとは。

目が回って気持ち悪くなる心配はあるけれど、横になって、グルグルとまわりアァーーーと言いながら、転げ落ちてゆきたい緑の原ですね。
2016.05.20

Passage Saint-Michel パサージュ・サン・ミシェル

17区をプラプラしていると、レンガ色に極彩色の劇画が見える。
サンミシェル教会がそこに立っている。
パリの道
通りの名前も、教会の名前である。
まさに、このパサージュは教会の参道。
パリの道
見上げれば、高い塔がある。
細い通りであるから、塔の高さの印象はひときわだ。
パリの道
教会には入れなかったが、前を通過して、散歩は続く。
この教会を次ると、サン・ジャン通り。
あえてなのかどうか?
聖人の名の続く教会周りの通りである。
2016.05.19

バルフルールからガットヴィルの灯台へ3

ガットヴィルへの道を歩く。
堤防があって、そのうえを歩いたり、階段で、道路へ降りたり。
バルフルール
その堤防の道の奥にも、小さな壁がある。
これは、乗り越えた水を 防ぐものなのか?
それとも、もともとあった堤防なのか?
敵の侵略を防ぐ歴史的建造物なのか?
バルフルール
苔むした壁と、色あせた感じの植物と家々の重なりが、なにか、場末な、そして、風の多そうな地方であることを感じさせるような色合いである。
ただ、この日、風は穏やかで、日が昇るにつれ、完全な散歩日和となった。
2016.05.18

第二次大戦後のプラハのトラム

一つ目の17号線トラムがいる。
上には、赤い一つ星。
プラハ
よく見れば、チェコの国旗と、ソヴィエトの国旗。
東西冷戦時代の共産圏を象徴する星と赤。
プラハ
これも、第二次世界大戦後の体制下という、今や、歴史の一部となった。
そうはいっても、今も、米ロの間には溝があるようで、ウクライナやシリア付近に、東西の壁ならぬ、微妙な線がある。
大国の利権は、常に相反するから、その接点は断層のようにラインができる。
プラハ
行き先はBranik Nadraziプラハのブラニーク駅である。
川沿い上流、南側にある。
1951年。
確かに”戦後”である。
2016.05.17

ヴォー・ル・ヴィコント城 ルイ16世の寝室

ルイ16世の寝室。
装飾云々はともかく、このベットが一番安心するか?
なにしろ、壁に囲まれているから、空間が狭い。
それだけに、安心して眠れそう。
ヴォー・ル・ヴィコント城
白を基調とした、派手ではあるもののシンプルな居室。
あまりに馬鹿でかい場所に居たりすると、おのずと、人間的な範囲を欲するのかもしれないなどと、勝手に想像する。
その妄想を伸ばせば、ルイ16世は、きれい好きで取り立てて趣味のない、優しくて、そんなに覇気のない男であったのかもしれない。
そんなことを思う部屋だ。
2016.05.16

コンピエーニュ宮殿の庭へ

宮殿脇から、裏庭に抜けるように庭園へ入ってゆく。
おそらく、庭園は無料だったと思います。
コンピエーニュ
宮殿という雰囲気を絵にかいたような、それでいて、なんか特徴的なもののない、平べったい建物が横たわっています。
コンピエーニュ
瀟洒でもなく、豪奢でもなく、ただただ大きく横に翼を広げたような形。
コンピエーニュ
庭園内から撮ってみても、まっすぐ伸びる道と、左右にざっくりと緑、その奥に建物という。
宮殿というものに必要なものがとりあえずそろっている。
そんなイメージが沸きます。
2016.05.15

ミネルヴ村の路地の花

石垣から咲く花のピンクがかわいらしい。
ミネルヴ
決して、自然物ではない。
人工的に積み上げられ、並べられた石に、人工的に植えられた花々。
ミネルヴ
そこに、人の温度と、おそらく、花と村に対する愛情を感じることができる。
ミネルヴ
人が見えるわけじゃないけれど、人のぬくもりを感じるのは癒されますね。
2016.05.14

マンステール ロット径にて

ランガエケルル径から、丘を登るロット径へ入る。
Chemin du Rôt
ランガエケルル径が、すでに、住所的にはマンステールから出てしまっているらしい。
Horod、オロ村のようだ。
マンステール
山側を見ると、牧場の昨が続いている。
マンステール
谷側を見ると、ずいぶんとおくの丘まで、眺めることができる。

どちらも、ただただ、緑一色、緑のまきばである。
2016.05.13

モンパルナスタワーの屋上からライトアップされるエッフェル塔を

夕刻から闇に近づいてゆく。
エッフェル塔が徐々にオレンジ色に色づいてゆく。
完全にオレンジの色を輝かせるのは、もう少し先だろう。
灯るというのが適切であるように、だんだんと色づいてゆく。
モンパルナスタワー
モンパルナスタワーの屋上は、この時点では、この西側に人が貼りついている。
空いたわずかな隙間に、交互に待つ人が入ってゆく。
もちろん、いつ空くのかは、前の人次第。
この時点まで、かれこれ30分近く、同じ場所に立っていたような気がする。
2016.05.12

バルフルールからガットヴィルの灯台へ2

歩いてゆくと、ヨットスクールらしき子供たちが見える。
ヨットとくると、スクールという単語がしっくりくるのは、ニュースで何度も聞いたからかもしれない。
学校とか教習所とかだと、しっくりこない。
バルフルール
ヨットの帆は色鮮やかで美しい。
そう思って、ファインダーをのぞくと、遠くに、モノクロームのガットヴィルの灯台が見えている。
バルフルール
まだまだ、出発したばかり。
散歩は続く。
2016.05.11

パルドゥヴィツェ城脇の紅葉

お城に寄った帰りみち。
街の方向と逆方向。
城の外側の公園になるのか?
この道は外周道路なのだろうか?
パルドゥヴィツェ
一本、あまりにも誇らしげにきれいに色づく紅葉の木を見つけて一枚。
2016.05.10

ヴォー・ル・ヴィコント城 ルイ15世の寝室

昨日のコンピエーニュの舞踏の間もルイ15世。
こちらも、ヴォー・ル・ヴィコント城のルイ15世の部屋。
ヴォー・ル・ヴィコント城
花柄が好きということはないけれど、ルイ15世の趣味は、先代に比べると粋な感じがしますね。
ロココ様式とか、ルイ15世様式とかあるらしい。
しかし、様式とか、時代とかじゃなくて、ルイ15世個人の趣味が粋なのかもしれないですね。

そう考えながら、ルイ15世関連の部屋に出会うと違った見方ができるのかもしれません。
ルイ14世、15世、16世、ナポレオン1世、3世、・・・フランソワ1世・・・とかね。
2016.05.09

コンピエーニュ宮殿 舞踏の間

最後の最後に広い部屋にやってきた。
舞踏の間。
ここが鏡張りなら鏡の間となるのだろうけれど、どうですかね?こちらのほうが、落ち着いていていい。
コンピエーニュ
もっとも、鏡の間は、どうだ!と権威を見せるものであって、実用的ななにかではないのかもしれない。
ヴェルサイユ自体が、そうしたものであるのだろう。
住む家としてどうか?などとのんきなことは言っていられない。
権力闘争のなか、絶対に降りずに済むことができる虎の背中がヴェルサイユなのかもしれない。
コンピエーニュ
ここで行われる舞踏会なら、イメージできる最も優雅なものになりそうだ。
コンピエーニュ宮殿内部も観覧も、こうして終わった。
2016.05.08

ミネルヴ村近景遠景

ミネルヴ村のメインストリートを、少し高いところまで歩いてゆく。
振り返ると、村がまっすぐ伸びているのが見える。
ミネルヴ村
整然とした村である。
同じような色合いの石の建物と、同じ色の瓦が並ぶ。
整然さを象徴するのは、これに、屋根の角度が統一されているからかもしれない。
ミネルヴ村
遠景をみると、谷の向こうの山々が見える。
川を上ってくる人々も、山を分け入ってやってくる人も、ここからなら、一目瞭然だ。
ミネルヴ村
高いところまで来たので、今度は、低いところへ下って散歩してみよう。
2016.05.07

マンステール ランガエケルル径続く

さらに、一本道のランガエケルル径をすすんでゆく。
民家とその先に、丘が見えてきた。
マンステール
日本では、緑の丘というのは、ありそうで、なかなか見られない。
あれが、すべて牧場なのかどうかわからないが、牧草なのであろうとは思われる。
マンステール
ランガエケルルの道は、丘に沿って、川沿い方向へ曲がってゆく。
まっすぐ行き、丘の道にはいれば、別の道になる。
あの、丘へ登って、景色を眺めてみようという気に当然なるわけだ。

あてがあるわけじゃないから、あの丘の上までの散歩としておこう。
2016.05.06

Rue Saint Vincent モンマルトルのサンヴァンサン通りのカーブ

モンマルトルの裏手側。
裏手からやってくると、静かにモンマルトルを登ってゆくことができる。
南側は、いわば、表参道。
パリの道
丘の北側であるから、陰にあたる。
自転車やバイクが、このあたりの生活感を醸し出してる。

陰側ではあるが、ちゃんと、太陽がバランスよく照らしてくれる。
道は、陰により、自ずと落ち着いた雰囲気が出る。

ずっと向こうに見えている緑は、モンマルトルの葡萄畑である。
道にわが身が揺られるように、登ってゆくのだ。
2016.05.05

バルフルールからガットヴィルの灯台へ1

観光局裏へ回ってスタートしてゆくと、いきなり、堤防の上の細い部分を抜けて行く。
歩いて行けるとはいっても、まだ遥か彼方。
スタート直後から、これが道筋だと思うと、先が思いやられる。
バルフルール
どうやら、この、赤と白のマークが、道しるべに違いない。
バルフルール
迷えば、この色を探して歩いてゆけばいい。
もっとも、海岸伝いであるから、迷うほどのことはないだろう。
道があるか?ないか?
そういう意味合いだけに使うことになるのだろう。
2016.05.04

19世紀のプラハのトラム

どうやら、プラハ観光列車として使われていたトラムのようだ。
Okruzni jizdy Prahou
この案内板がそういう意味のようである。
はとバスのプラハトラム版だと思っておく。
現在も古い車両が走っているが、先代か先々代ということかもしれない。
プラハ
個人的に一番気になるのは、その古いトラムの先にある、別のトラムの扉である。
別にどうでもいい、好き嫌いの話であるが、あの乗降口の二つ折り扉が結構すきなのだ。
二つ折なら何でもいいわけではない。
現在も走る、グレー色のプラハのトラムもこの形の扉であるが、あれは安っぽい。
金属質で、重量感がなければならない。
それでいて、半分に折れるため、その重量感を和らげている。
その状態がいいのだ。
音で言えば、ガシャンという代物であって、プラスチック板がパタパタという感じではだめなのである。
プラハ
さて、淡いブルーのトラムに戻る。
1900年。
19世紀の乗り物だ。

古いからいいのだろうか?
プラスチック板のような音を発するトラムも、いずれ、昭和モダンのように、ノスタルジーを感じるじだいが来るのであろうか?
2016.05.03

ヴォー・ル・ヴィコント城 馬車博物館

お土産の並ぶ入り口を通過してゆくと、馬車博物館が目に入る。
まずは、と入ってゆく。
ほぅ、いわゆる競馬の速歩レースの原型ではないか!
ヴォー・ル・ヴィコント城
ある時は戦車であり、ある時はタクシーである。
そんなことを考えつつ、写真を撮り始めた。
ヴォー・ル・ヴィコント城
と、途中で、これはきりがない。
そう思い始める。
ここでゆっくりしていたら、メインのお城に到達するまでに疲れてしまう。
いやいや、ここに到達するまでに、結構疲れているのだ。

そう思い、サラッとながして、博物館を後にした。
2016.05.02

コンピエーニュ宮殿 サロンブルー

この部屋は、覗く程度しかできませんでしたが、部屋の大きさといい、部屋のイメージといい、一番落ち着く感じでしたね。
一部屋使っていいよ!と言われたら、ここか、図書室か?
コンピエーニュ
ここは宮殿の隅。
片側からは人はやってこないということが、安心感につながるのかもしれません。

隅であるのに、奥に扉が二つ見えています。
その先は、いったい何なのか?
ちと、気になりましますね。