2016.02.29

コンピエーニュ宮殿 ゲーム部屋

サロン・デ・カルト。
カルトはトランプのことだろう。
コンピエーニュ
細長い廊下のようであるが、日本のように、廊下と部屋が区別されている建物は少ないような気がする。
これも、廊下ではなく、細長い部屋。
コンピエーニュ
バックギャモンらしきものから、トランプが置かれている。
いまなら、声が届く範囲の思い思いの場所に座りながら、携帯でゲームしていたのかもしれません。
そうであるとしたら、おかれている家具も、想像される雰囲気も違うものだったのでしょう。
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2016.02.28

ラグラッスの裏通り8

ラグラッスの名前のわからぬ路地の写真の最後である。
これが撮った通りの最後であったのだが、何度も撮った通りを納得いかず、もう一度撮ったような記憶がかすかにある。
すでにブログでも紹介した通りの写真ということになるが、よほどこの通りが気に入ったのだろう。
ラグラッス
そうであるのなら、この通りを歩いて行ってみたらいいのだが、この時はしなかった。
ここは、一人旅ではなかったからでもある。
ただ、一人旅なら、ここへ訪れたかどうか?
そう考えると、出会いというのは、人であろうと、道であろうと、まことに稀有な確率なのだと思う。
2016.02.27

マンステールのコウノトリ

コウノトリがアルザスのお土産屋にいっぱいならんでいる。
でも、ストラスブールでは、生コウノトリは見なかったし、そもそも、そんなに目につくところにいるものだとも思っていなかった。

ストラスブール郊外のウルトという町の中心に、一つだけ巣があった。
あまりの偶然に、これはラッキーだと思ったものだ。
マンステール
ところが、ここ、マンステールでは、広場から、いくつかの巣を確認できる。
しかも、ちゃんと、コウノトリが営みをしている。
マンステール
ほぼ見ることができない、簡単には出会えない、天然記念物ものであるかと思っていたが、そういうわけではなさそうだ。
確かにアルザスの鳥として選ばれるに違いない。
2016.02.26

モンパルナスタワー上層部にて

以前登ったのは、もう記憶がかすれるほど昔。
でも、風景は残っている。
まるで展示会が終わってがらんとしたオフィスビルの一角のようなところから、パリを見下ろした。
モンパルナスタワー
時が変遷すると、ずいぶんと雰囲気が変わっている。
事務所ビルの高層階からながめているだけだったはずが、こうして、雰囲気を盛り上げる形になると、パリの景色も変わって見えてくるから不思議だ。
パリの町も、眺める高さも変わっていないのに、ディスプレイって大事だと思わず思ってしまったのである。

これなら、ちょっとお高いモンパルナスタワー入場料も、回収できた気分になる。
2016.02.25

フランスで最も美しい村 バルフルールのシニャックの家

シェルブールから東へ向かった。
バスの旅である。
朝早かったから、カフェでお茶して温めてから動き出した。
港の突先にある観光局へ向かう。
観光局とともに、教会もある。
バルフルール
その手前に、ギマール作じゃないか?と思わせる道しるべ。
よく見ると、その上にプレートが掛かっている。

1932から1935にシニャックが住んでいた。

粗めの点描。
船。
海。
そんなイメージのあるシニャックは、好きな画家のひとりである。

ここに居たんだ。

それにしても、足掛け4年。
よほどのもの好きじゃないと、この港の突先に絵のためだけでそれだけの期間住んで入られまい。

そう思うのは、便利に毒された忙しいやかましい凡人故かもしれない。
シニャックとは真反対の平凡な感性。
だから、あこがれるのかもしれない。
2016.02.24

プラハ トラム博物館24番線

トラム博物館の奥に鎮座する24番線。
ここなら、危険を冒さず、線路上からトラムを撮影できる。
プラハ
この線路は、実は反対側にそのまま続いている。
続いているさきの風景写真は、もう、過去に載せたのだが、建物の出口の穴の先に、プラハの紅葉が見えている。
2016.02.23

サヴォワ邸の穴から

サヴォワ邸の一番上に登った。
北側なのだろうか?
そこにある、窓の模した穴から、隣の高校の建物が見える。
コルビジェ高校
というのだそうだ。
サヴォワ邸
彼の建築であるのかどうかはわからない。
救世軍の建物が、パリ13区にある。
それは、もっと、カラフルであるが、建物雰囲気はずいぶんと似ている。
13区のものはコルビジェ建築。
2016.02.22

コンピエーニュ宮殿へ

コンピエーニュ宮殿へは、久しぶりにやってきた。
中へ入るのが2度目なのだが、最初のときは、ガイド付きだった。
子供たちの団体と一緒に、フランスのおばさまが案内してくれた。
もちろん、フランス語のツアーである。
コンピエーニュ
時は流れて、今回もガイドツアーではないかと戦々恐々としていた。
フランス語も英語も、まともではないから、ツアーに行っても、なかなか理解できない。

ところが、現在は、オーディオガイドになっていた。
日本語も選択できる。

さすがに、安心したのだが、できもしない言葉であるくせに、なんだかちょっと残念な気持ちにもなった。
で、理解できる日本語であるから、よく理解できるか?というと、理解はできるが、ほとんど、記憶に残らない。
聞くことをこなして行くからだろう。
作業になってしまう部分が多いのだ。
便利とは、そういうものなのかもしれない。
2016.02.21

ラグラッスの裏通り7

修道院から橋を渡って、街に戻ってからの写真だから、橋付近には違いないが、何通りであるかは不明。
きっと、後でわかると高をくくってバンバン撮っていたのに違いない。
結局のところ、どの通りかはわからないことになる。
ラグラッス
そうはいっても、この町の散策範囲は大きくない。
この場所へ出会うことも、簡単であるだろうし、ここでなければならない理由もないほど、ラビリンスな町である。
ラグラッス
街頭と、蔦とバル。
思い切って望遠してみたら、中の電球まで見えた。
いずれ、LEDが占拠する時代が来るのだろうが、ガス灯、白熱球、蛍光灯ときて、LEDとなると、びみょうに雰囲気が変わってくるのだろうか?
でも、外側のガラスの色が、光をマジックしてくれるに違いない。
2016.02.20

マンステール プロテスタント教会

教会の名前はよくわかないが、L'église protestanteとなっている。
プロテスタント教会。
この町には、カトリックとプロテスタントの教会があるが、プロテスタント教会のほうが、町の中心の広場前に建っている。
パリ近辺よりも、より、こちらのほうが、宗教改革の影響を受けたのであろうと察する。
広場の名前は、Place du Marche。
マルシェ広場。
マンステール
写真は、駅からその広場方面へ向かう途中、セバストポール通りから撮ったもの。
セバストポール通りという命名からすると、パリ改造のナポレオン3世の関係で、この通り名になったのだろうか?
そんなことも考えたりするが、この界隈は、まさに、いろんな文化と権力の交流点であったのだろう。
マンステール
建物自体は、プロテスタントにしては、豪壮な雰囲気で、ロマネスク建築っぽい雰囲気を感じる建物だ。
夏の間は毎日開いているようだが、秋のこの日は開いていなかった。
2016.02.19

モンパルナスタワーからラデファンスを

ノートルダム寺院からも見える、ラデファンス。
こちらの場合は、シャンゼリゼのなぞるような風景になるため、凱旋門や、グランパレが、ラデファンスの手前に見える。
モンパルナスタワー
モンパルナスタワーからは、エッフェル塔が手前。
ラデファンスをズームで見ると、エッフェル塔が、敢然と立ちはだかっている。
2016.02.18

シェルブール競馬場にて

フランス各地の競馬場めぐりをしている。
この写真は、ほとんどは、すでに競馬のブログでは載せたのだが、使いまわしである。
シェルブール競馬場
この競馬場も、通常、速歩という、走ってはならない競馬をやっている。
フランスの競馬場は、こちらのレースの競馬場の方が多いのではないか。
シェルブール競馬場
この日は、7年に一度の大きなレースの開催。
勝ったドライバー(ジョッキーではない)のシャンパンファイト。
シェルブール競馬場
プレゼンターは、フランスワールドカップ1998の優勝メンバーである、プティ選手。
色男でやくざでイケメン。
フランスの超有名人ということになる。
シェルブール競馬場
7年に一度というのは、この大きなレースが、バスノルマンディ地方を持ちまわって開催しているからだ。
楽隊も盛り上げるが、かれらは、来年、べつの競馬場にいるのかもしれない。
シェルブール競馬場
それはそうと、このシェルブール、騎乗速歩(モンテ)をフランスで最初に開催したそうだ。
騎乗速歩は、御覧の通り、普通に馬にのる。
乗っても、速歩は走ってはならない。
車を引っ張るのが、世界標準だが、フランスでは、この、騎乗速歩も結構盛ん。
ほとんどはフランスだけで、開催されている。

速歩は、脚が交互に出てくるから、写真を撮ってもわかる。
走っていたら、脚は、そろって、掻き込まれたり、伸びたりしているはずだ。
2016.02.17

パルドゥビツェの紋章

なにしろ、ここは、馬の町。
このマークの先の門は、建物に囲まれた広場へと通じ、その先にはお城がある。
パルドゥビツェ
この脇の観光局へ入った。
地図をくださいと言った。
どこから来たのか?と聞かれたので、日本と答える。
競馬場の場所も聞いておく。
もちろん、教えてくれた。
その後だ。
目を輝かせて、ヴェルカパルドゥビツカに来たの?と聞かれたのだ。
この日行われる、馬の大障害レースのことだ。

あの目の輝きは、きっと、とても遠い国からこの町へやって来てくれたということ。
遠い遠い国に、そのレースを知っている人がいたこと。
そのために違いない、と勝手に思っている。
2016.02.16

サヴォワ邸の空間

バルコニー部分から建物を撮る。
ガラスで仕切られた空間とは、一体になっているし、さらにその上の、バルコニーも燃える。
バルコニーへのスロープも、建物内部の1階から同じようなスロープで登っていっている。
中と外が一体化した構造になっている。
サヴォワ邸
バルコニー部分は、壁と、その間の窓に見立てた穴で外と仕切られている。
屋根部分があることで、バルコニー中央部は、まるで、中庭の用でもある。
サヴォワ邸
改めて、室内とバルコニーを眺めてみると、やっぱり、ここは、中外一体の開放的なつくりになっている。
サヴォワ邸
真四角な無機質な感じの建物ですが、おもちゃ箱のような、裁縫箱のような、道具箱のような。
外見が奇抜だと、人へのアピール度は満点ですが、中がこんなだと、生活したくなります。
人に見せびらかしたいのではなく、空気と雰囲気と天気と一体化したくなりますね。
2016.02.15

ノワイヨンの駅から望む大聖堂

ノワイヨンの駅の時計台と、駅名表示をアップで撮ってみた。
ノワイヨン
ズーム時に、持っているカメラが左右に揺れる。
すると、なにやら、塔が一瞬見えた。
ノワイヨン
もちろん、駅から、教会が見えているとは気が付かなかったのだが、ホームから、大聖堂の姿が見えていたのだ。
こうしてみると、ゴシックの華麗さは感じられないけれど、いかにも、中世独特のおどろおどろしさが感じられる。
あの塔の下で、なにやら、中世の奇妙な物語が展開していたのではないか?
そんな雰囲気を湛えている。
2016.02.14

ラグラッスの古き僧院橋とその壁

Pont de l'Abbaye(ポン・ドゥ・ラベイ)
僧院橋というべきか、修道院橋というべきか。
古い橋が、右岸の街と修道院の間にかかっている。
ラグラッス
この橋は、相当古いのであろうし、歴史的建造物に指定されている。
まあ、重要文化財ということだ。
ラグラッス
それにしても、特筆すべきは、御覧の通りの高く頑丈な欄干。
欄干というか、壁ですね。
土地の接する低い部分の壁は高くし、川から、簡単に入り込むことはできない。
この壁なら、攻撃避け、頭だけ出して、遡上する敵を攻撃することができる。
ラグラッス
この修道院の威容といい、この橋といい、完全に城砦というべき恐るべき防御力を誇っているように感じられる。
これが、いまに残る最大の理由は、その頑健さにあるような気がしてならない。
裏を返せば、この橋部分が、この町の防衛の痛点なのだ。
こうした、山間ながら、川でつながる重要拠点を扼されると、大西洋と地中海の往来に危険が生じるにちがいない。

そんな気に差せるこの橋の分厚い壁である。
ビー玉ころがし的道が好きな私にとっては、間に嵌っていたくて、たまらない構造ですがね。

これなら、街から修道院なのか、修道院から、街へなのか?
人の往来を安全に保つことができる。
2016.02.13

マンステール駅に

マンステールまでは、コルマールから国鉄でやってくることができる。
バス便で、かわいらしい街へ行くこともできるが、ここは鉄道が便利。
マンステール
Munsterといえば、ドイツのミュンスター。
マンステールというのは、フランス語読みなのであろうが、ドイツのミュンスターとマンステールは別の町。
とすると、ドイツ語的には、同名の町が二つ存在するということなのだろうか?
こちらの、マンステールは小さい街だが、その名は負けていない。
なにしろ、チーズで世界的に有名な街なのだ。
2016.02.12

Place Vauban ヴォーバン広場にて

アンヴァリッドといえば、セーヌ川のアレクサンドル3世橋付近からの写真が多い。
こちらは、その裏。
ナポレオンの墓として有名なドーム教会を目の前にする。
パリの道
ここの広場の名前が、ヴォーバン広場。
ドーム教会にナポレオンとともに、ヴォーバンの墓が置かれているところから、この名前が付いたのであろう。
もっとも、ヴォーバンのほうが、先にこの教会へ入居しているのであるが。

フランス中を旅していれば、頻繁に出会う名前であるヴォーバンであるが、そのヴォーバンという地名の中心地みたいな場所がこの広場といえるのかもしれない。
2016.02.11

シェルブールの港

港の写真はいくつかとったが、この写真は、コンパクトデジカメで撮ったもの。
おそらくシェルブールの港で間違いないと思う。
メインのカメラは一眼レフ。
サブカメラは、時々活躍する。
だから、なんてことはない、何の印象にも残らないような写真を撮ると、いったいどこのものなのかわからなくなる。
なにしろ、時系列に並んでいるとはいっても、サブだけに飛び飛びなのだ。
シェルブール
この写真は、シェルブールの雨傘屋の写真と、シェルブールのカルフールで買って、初日か二日目の晩に宿で撮ったお菓子の間に撮られている。
ということは、カルフール前にある、港の一番奥付近のものであると思われる。
水に映る船と帆柱を撮りたかったのであろう。

黄色の船はひっくり返っているようにも見えるが、よく見ると、きちんと浮かんでいる。
2016.02.10

プラハ 古き良きトラム

プラハ市電気鉄道と訳せばいいのだろうか?
1900年と1901年のトラムの車両である。
ボヘミア王国時代で、ハプスブルグ家の一員だった時であろう。
プラハ
ハプスブルグ文化であるのかどうか?わからないが、文字まで、上流階級的な、雰囲気がある。深い色(緑や青や紫)に金文字だと、やけに、高価な感じになりますね。
プラハ
赤の車体でも、文字がこうなるだけで、締まった雰囲気になるから不思議。
文字と色でこんなにも雰囲気が変わる。
2016.02.09

サヴォワ邸の色

白壁とガラス以外は、2色の色が使われていた。
温かみのあるピンクオレンジとブルーである。
サヴォワ邸
細長い廊下は、ブルーと狭さ長さで、スッキリ感増幅。
サヴォワ邸
窓は、何かしらの意味を持っているように感じられる。
ここでは、飾られた絵のようでもある。
サヴォワ邸
モネの家も、壁が彩られていた。
色を付けると飽きが来るように思うのだが、慣れてゆくと、飽きるとか飽きないとか関係ないのかもしれない。
巨匠たちであるモネもコルビジェも色つけるのだから、思い切ったほうが楽しい空間になるに違いない。
2016.02.08

ノワイヨン駅にて

駅に着いたら、まっすぐ大聖堂を目指す。
駅に着いたら、まずは帰りの時間や乗り場などを確認しておく。
駅に着いたら、帰りの切符を買っておく。そして、トイレを探す。
ノワイヨン
行きは、まったく、駅舎を見ていない。
帰りに駅へ向かうと、駅舎がだんだんと近づいてくる。
駅舎は帰りに出会うものなのだ。
ノワイヨン
とんがり屋根の時計台。
レンガ造の建物。
意外とかわいらしい駅舎であることが分かって、何枚かシャッターを切る。
2016.02.07

ラグラッスのごみ箱

ラグラッスのごみ箱は茶色
ラグラッス
よく見ると、Villages propres。
清潔な村々。
複数形になっている。
ラグラッス
SIVOM du canton de Lagrasse。
ラグラッス地方の組合ということなのだろう。

この界隈のいくつかの村が共同で、こうした生活に必要なライフラインを共同管理しているんでしょう。
グローバル化などという言葉もあるけれど、人間の生活の適性基盤は村ぐらいの規模なのかもしれない。
それを超える大きさになると、政治とか、法とか、金とか、必要悪が増えてくる。
ハラスメントや、いじめなども、結局村八分同様、村レベルの規模内で起きる問題なのだとも、思ったりしますね。
2016.02.06

コルマール プティット・ヴニーズ、グランリュー 電球色

夜景写真の残りをアップ。
コルマール
電球色というのは、副交感神経を刺激し、昼白色は、交感神経を刺激するそうだ。
当然、夜を楽しむ色は、電球色ということになる。
こうした町中でも、照明はそうなっている。
コルマール
ところがだ。
自宅となると、そうもならない。
なぜなら、例えば、夫婦で、どの色の電球が好きかどうか?別れてしまうからだ。
もちろん、キッチンは、白い電灯であることがほとんどであろうが、リビングは、電球色の家ばかりではないし、それは寝室でもそうだ。

こうした、ささいなことが、たいていのカップルや夫婦の喧嘩のタネになる。
2016.02.05

夕刻のモンパルナスタワー

夕刻のモンパルナスタワーの写真ではなく、夕刻のモンパルナスタワー上部からの写真。
ノートルダム寺院よりも、サクレクールよりも、凱旋門よりも、ここが一番きれいにエッフェル塔を眺められるかもしれない。
モンパルナスタワー
ラデファンスが遠くに見えるのもいいし、手前に、エコール・ミリテールと、シャン・ド・マルス公園がしっかり見えているのも、シャイヨー宮が見えているのも、エッフェル塔の格調を上げてくれる。

当然、こちら側の撮影スポットは、写真の静けさとは真反対に人だかりですけどね。
2016.02.04

シェルブール ノートルダム・ドゥ・ヴー修道院続き

廃墟であるから、こんなことが壁面の案内版に書かれていた。
”落石危険”
建物というのは、きっと、バランスが保たれてこそなのだろう。
どこかが崩れれば、バランスを欠いて、様々な理由で危険になってゆくのに違いない。
シェルブール
ということで、中は入れなかったが、外側で、撮影。
木漏れ日と教会。
木陰と教会。
木々と教会。
シェルブール
イメージがぼんやりしていると、やはり、写真もぼんやりしたものになる。
シェルブール
入り口から撮った一番最初のものが、一番良かったのかもしれない。
2016.02.03

パルドゥヴィツェ

パルドゥヴィツェの市中心部にあったオペラ座。
どんな建物であるかはわからなかったが、近づいてみると、スメタナの文字。
じゃあ音楽施設だろうと推測はつくし、なにか、彼に関係があるに違いないと思うわけだ。
パルドゥヴィツェ
スメタナといえば、わが祖国のモルダウが有名で、小学校のころから覚えているクラシックの数少ない曲の一つだが、このひと、オペラも創っているんですね。
プラハから、パルドゥヴィツェまで来たら、さらにそこから、南東のリトミシュルへ。
そこが、スメタナの故郷。
パルドゥヴィツェ州であるから、あるいみ、ここは、地元といっていいのかもしれない。
2016.02.02

Rue Paul de Kock 階段小路 ポール・ドゥ・コック通り

パリ19区の丘の上の方にある。
ベルヴィルの丘の上、ビュットショーモンの丘の裏といったところ。
パリの道
路地っぽい雰囲気かと思って行ってみた。
路地というよりは、閑静な住宅街で、ぶらりと散歩をするには雰囲気のよさそうな通り。

この通りは、車で通り抜けできない。
途中が階段になっているからだ。

実は、自分の自宅の目の前の通りも、階段になっている。
むろん、こんな雰囲気はよくないし、段数も108段とがっつりあるから、ここのように、しゃれた階段とはいえない。

ただ、一つだけ、うちの近所とパリがにていることがある。
丘が多いのだ。
だから、あちらこちらに段差がある。
パリも、モンマルトル以外でも、結構、階段で車通行止めの通りは多い。
2016.02.01

ノワイヨン Rue Saint-Eloi サンテロワ通り

大聖堂を後にして、駅へ向かう途中。
行きにも通ったはずだが、その時は気がつかなかった市松模様の壁が気になった。
ノワイヨン
写真を撮ろうと思ったが、もしやと振り返る。
大聖堂が見えるんじゃないか?
市松模様と大聖堂。
ところが、その威容は、ここからでは見えなかった。

市松模様といえば、日本風だが、ダミエといえば、こちらでは通じる。