2015.12.31
今年も一年ありがとうございました。
2015.12.30
プラハ トラム博物館 並ぶ年代物のトラムたち
2015.12.29
ブーランジュリー・ランドゥメンヌのクロワッサンとパン・オ・ショコラ
日本進出で話題のパン屋さんが、9区にありました。
ちょうど、サクレクール寺院が見える、マルティール通りの坂道の途中。
クロワッサンが有名なんて話題になっている。
9区のパン屋ばかりを今回歩いていて、この通りも既に2軒。ここで3軒目。

まずは、パン・オ・ショコラと、クロワッサンと、ショッソン・オ・ポムと思って入ったのだが、クロワッサンもなければ、パン・オ・ショコラもない。
そう思ったら、出てきました。
きっと、人気店の上、行った日は、周りのパン屋さんもお休みで、大忙しだったのでしょう。

独特な焼き色で、揚げパンのような狐色のパン・オ・ショコラ。
これと、クロワッサンを買って、外に出る。
すると、入れてくれた袋が、見たことのあるマークだった。
実は、18区のコーランクール通りのお店に行っていたのだ。
ここも、お店の中は、上品なパンが並ぶお店であるが、コーランクール通りは、もう全体的に、高級パン屋さんといった雰囲気にあふれている。

そのときもいろいろ買って食べて、ブログにも載せているが、この、パン・オ・ショコラの生地の焼け具合と色は、まさにこれであった。一番外側だけカリっとしているんですね。

さて、クロワッサン。
3区にある、美味しいと有名なパン屋さんと同様、ここも、ダイヤモンド型。

外側がしっかり焼けていて、中は、やわらかい。
3区のLe 59 Rdsも同じ形で外は焼けている感じだったが、中は、Le 59 Rdsの方がパンを食べているようで、こちらは、上のパン・オ・ショコラ同様のバラーらしさも残し、パン・オ・ショコラよりも、詰まった生地感のあるクロワッサンである。

ここの店舗は、赤いひさしですが、街とは溶け込んでいる感じですね。
ちょうど、サクレクール寺院が見える、マルティール通りの坂道の途中。
クロワッサンが有名なんて話題になっている。
9区のパン屋ばかりを今回歩いていて、この通りも既に2軒。ここで3軒目。

まずは、パン・オ・ショコラと、クロワッサンと、ショッソン・オ・ポムと思って入ったのだが、クロワッサンもなければ、パン・オ・ショコラもない。
そう思ったら、出てきました。
きっと、人気店の上、行った日は、周りのパン屋さんもお休みで、大忙しだったのでしょう。

独特な焼き色で、揚げパンのような狐色のパン・オ・ショコラ。
これと、クロワッサンを買って、外に出る。
すると、入れてくれた袋が、見たことのあるマークだった。
実は、18区のコーランクール通りのお店に行っていたのだ。
ここも、お店の中は、上品なパンが並ぶお店であるが、コーランクール通りは、もう全体的に、高級パン屋さんといった雰囲気にあふれている。

そのときもいろいろ買って食べて、ブログにも載せているが、この、パン・オ・ショコラの生地の焼け具合と色は、まさにこれであった。一番外側だけカリっとしているんですね。

さて、クロワッサン。
3区にある、美味しいと有名なパン屋さんと同様、ここも、ダイヤモンド型。

外側がしっかり焼けていて、中は、やわらかい。
3区のLe 59 Rdsも同じ形で外は焼けている感じだったが、中は、Le 59 Rdsの方がパンを食べているようで、こちらは、上のパン・オ・ショコラ同様のバラーらしさも残し、パン・オ・ショコラよりも、詰まった生地感のあるクロワッサンである。

ここの店舗は、赤いひさしですが、街とは溶け込んでいる感じですね。
2015.12.28
ノワイヨンの道しるべ
2015.12.27
ラグラッスの丘の上から
2015.12.26
コルマール Rue des Boulangers ブーランジェ通りから
2015.12.25
ノートルダム寺院から降りて Quai du Marché Neuf マルシェヌフ河岸通りから
2015.12.24
カン競馬場脇のCours Général de Gaulle ジェネラル・ドゥ・ゴール大通り
2015.12.23
palackého třída パラツケーホ・トジーダ パラツケーホ大通り
2015.12.22
Cyprien シプリアンのフラン・ナチュール
2015.12.21
ノワイヨンのクロワートル 回廊の存在
日本の古いお寺や神社にも、回廊が存在する。
四天王寺や厳島神社、法隆寺。
聖徳太子と関係のあるお寺は、回廊を思い出します。

回廊の柱、エンタシス。
そんな建築の技法について、中学でも学んだ記憶が。
そうすると、回廊という様式も、西から日本へ伝わってきたものなのかもしれません。

そうやって考えると、教会の本体は、日本のお寺でいうところの、講堂にあたる建物ということになるのだろうか?
法隆寺の五重塔や金堂は、回廊内にあるわけだから、やはり、このノワイヨンのクロワートルの内側の囲まれた部分は聖域ということになるのだろう。
井戸の跡を中庭でよく見かける気もするのだが、水を司どることは、それほど大事であったということに違いない。
四天王寺や厳島神社、法隆寺。
聖徳太子と関係のあるお寺は、回廊を思い出します。

回廊の柱、エンタシス。
そんな建築の技法について、中学でも学んだ記憶が。
そうすると、回廊という様式も、西から日本へ伝わってきたものなのかもしれません。

そうやって考えると、教会の本体は、日本のお寺でいうところの、講堂にあたる建物ということになるのだろうか?
法隆寺の五重塔や金堂は、回廊内にあるわけだから、やはり、このノワイヨンのクロワートルの内側の囲まれた部分は聖域ということになるのだろう。
井戸の跡を中庭でよく見かける気もするのだが、水を司どることは、それほど大事であったということに違いない。
2015.12.20
ラグラッス 観光局前にて
2015.12.19
コルマール サン・マルタン教会のステンドグラス
2015.12.18
ノートルダム寺院のてっぺんにて
2015.12.17
カン Rue Froid フロワド通り
お店がたくさんあるらしい。
そんな通りフロワド通りを探して歩いていると、ありました。
ショッピング通りである、サンピエール通りにあるサン・ソヴール教会脇の道がそれ。

通りに入ってみると、いきなり、町の昔を紹介する案内板が。
古い通りなんですね。

雑貨屋さんとかを見に来たのではあるが、こんな昔の写真を見たら、同じ場所へたどり着いて、同じような写真を撮ってみたい。
カーブする通りの教会の塔。

ところが、風景が変わってきたのか?
上手に雰囲気の出る写真を撮る腕もない。
雑貨屋さん通りというわけではなく、地方にありがちな、お店もある裏通りといった雰囲気。

個人的に一番気に入った風景は、案内板とは違う位置。
案内板とは逆方向に曲がる道の上から、塔が覗く。
そんな通りフロワド通りを探して歩いていると、ありました。
ショッピング通りである、サンピエール通りにあるサン・ソヴール教会脇の道がそれ。

通りに入ってみると、いきなり、町の昔を紹介する案内板が。
古い通りなんですね。

雑貨屋さんとかを見に来たのではあるが、こんな昔の写真を見たら、同じ場所へたどり着いて、同じような写真を撮ってみたい。
カーブする通りの教会の塔。

ところが、風景が変わってきたのか?
上手に雰囲気の出る写真を撮る腕もない。
雑貨屋さん通りというわけではなく、地方にありがちな、お店もある裏通りといった雰囲気。

個人的に一番気に入った風景は、案内板とは違う位置。
案内板とは逆方向に曲がる道の上から、塔が覗く。
2015.12.16
プラハ 遊園地を走りそうなトラムの車両
むろん、トラム博物館の中の話だ。
行き先に Bubenec Korunovacni Tridaと書かれている。
スパルタプラハの本拠地の裏側、エアポートエクスプレスのバスがこの辺りを通過していったような気がする。
それはそうと、このような車両がプラハの街角を行きかっていたのだろうか?
とすれば、ダブルデッカーの走るロンドンよりも、より、ハイキーな風景だったにちがいない。
これなら、駅についても、ドアの出口に人殺到などということは起きない。
早く降りようと、ドアに張り付くように乗る人もいないだろう。

写真を撮ってしばらくして、同じ場所に来ると、子供たちが乗り込んで座っていた。
こうした展示物に乗りこんで座っちゃっていいのか?わからぬ。
触っちゃいけない、触れちゃいけないは、日本人的発想なのかもしれない。
こちら的には、これに乗るための、「ご自由にお乗りください」という、立て看板が必要なのだ。
何度か、美術館で、絵や展示物触っている、”外人さん”を見たことはあるが、あれはさすがにいけないことであろう。
子供を乗せた車両は、お母さんのデジカメの先にきれいに収まっていた。
乗客になりきって、すまし顔で乗っていた女の子が印象的だった。
行き先に Bubenec Korunovacni Tridaと書かれている。
スパルタプラハの本拠地の裏側、エアポートエクスプレスのバスがこの辺りを通過していったような気がする。
それはそうと、このような車両がプラハの街角を行きかっていたのだろうか?
とすれば、ダブルデッカーの走るロンドンよりも、より、ハイキーな風景だったにちがいない。
これなら、駅についても、ドアの出口に人殺到などということは起きない。
早く降りようと、ドアに張り付くように乗る人もいないだろう。

写真を撮ってしばらくして、同じ場所に来ると、子供たちが乗り込んで座っていた。
こうした展示物に乗りこんで座っちゃっていいのか?わからぬ。
触っちゃいけない、触れちゃいけないは、日本人的発想なのかもしれない。
こちら的には、これに乗るための、「ご自由にお乗りください」という、立て看板が必要なのだ。
何度か、美術館で、絵や展示物触っている、”外人さん”を見たことはあるが、あれはさすがにいけないことであろう。
子供を乗せた車両は、お母さんのデジカメの先にきれいに収まっていた。
乗客になりきって、すまし顔で乗っていた女の子が印象的だった。
2015.12.15
Arnaud Delmontel アルノー・デルモンテルのクロワッサンと、パン・オ・レザン
まずはクロワッサン。
常に食べているわけじゃないが、不思議なもので、食べると、ああ、これがクロワッサンと思わせる香りと味。
この香りで幸せになりますね。
一番オーソドックスなクロワッサンであるのだと思う。

もう一つは、パン・オ・レザン。
まずは、形がエスカルゴ型であるが、丸くなく、ちょっと四角い。
また、これが、レーズンの量がすごい。
黄色いクリーム部分の代わりに、すべてレーズンになったんじゃないか?と思うほどのボリュームだ。
好きな人には、たまらないだろう。

そのおかげで、甘さもフルーティな感じで、くどい甘さはまったくない。
ここは、雨の日に訪れたが、紙袋を、わざわざ、さらにビニール袋に入れてくれたので、大変助かった。
常に食べているわけじゃないが、不思議なもので、食べると、ああ、これがクロワッサンと思わせる香りと味。
この香りで幸せになりますね。
一番オーソドックスなクロワッサンであるのだと思う。

もう一つは、パン・オ・レザン。
まずは、形がエスカルゴ型であるが、丸くなく、ちょっと四角い。
また、これが、レーズンの量がすごい。
黄色いクリーム部分の代わりに、すべてレーズンになったんじゃないか?と思うほどのボリュームだ。
好きな人には、たまらないだろう。

そのおかげで、甘さもフルーティな感じで、くどい甘さはまったくない。
ここは、雨の日に訪れたが、紙袋を、わざわざ、さらにビニール袋に入れてくれたので、大変助かった。
2015.12.14
ノワイヨン大聖堂のクロワートル
ノワイヨンの大聖堂脇に回廊クロワートルがあった。
そこが開いていて、中へ入れるらしい。

外界と隔絶されていなければならないのだろう。
こうした施設というのは、建築上無理難題と思われるような場所でなければ、こうして、別世界をつくる必要があったのであろう。
それは、どの宗教であっても、同じことなのだろう。

教会の壁面と、壁に囲まれた緑の地面は、神秘、憩い、そうしたものが混ざった独特の空間を作り出している。
もっと、大きな伽藍だったときの、廊下だったのか?
それとも、死者を祭るためのものだったのか?
たしかに、完全に囲まれた空間は、”ここ専用”であるから、その存在だけですでに特別になりうる。
重要な建物を結ぶ糸に囲まれたエリアであるから、なおさらのことだ。
もっとも大事な空間になる。
そこが開いていて、中へ入れるらしい。

外界と隔絶されていなければならないのだろう。
こうした施設というのは、建築上無理難題と思われるような場所でなければ、こうして、別世界をつくる必要があったのであろう。
それは、どの宗教であっても、同じことなのだろう。

教会の壁面と、壁に囲まれた緑の地面は、神秘、憩い、そうしたものが混ざった独特の空間を作り出している。
もっと、大きな伽藍だったときの、廊下だったのか?
それとも、死者を祭るためのものだったのか?
たしかに、完全に囲まれた空間は、”ここ専用”であるから、その存在だけですでに特別になりうる。
重要な建物を結ぶ糸に囲まれたエリアであるから、なおさらのことだ。
もっとも大事な空間になる。
2015.12.13
ラグラッスの入り口にて
2015.12.12
コルマール サンマルタン教会の中へ
近づいて、広角で撮る。
あえて、塔を入れないで。
それでも、広角であると、ずいぶん歪んでしまうので、その分迫力には欠けてしまう。

中に入って、身廊の写真をいつものように撮る。
多くのゴシックは、白っぽく、また、青っぽい柱であるが、ここは、中も暖色系。
装飾でゴテゴテした感じは少なく、装飾のない平らな壁が、温かみのなかに、清潔感を際立たせる。

こうやって見てみると、プロヴァンス・コートダジュールの教会と、バスクの教会、ブルターニュの教会とアルザスの教会。
フランスの四隅にある教会は、それぞれ、まったく違った雰囲気を持っている。
それぞれ、フランスではなかった時代があるわけで、今の行政区分で、フランスとひとくくりにすることはできないのだと、あらためて思う。
あえて、塔を入れないで。
それでも、広角であると、ずいぶん歪んでしまうので、その分迫力には欠けてしまう。

中に入って、身廊の写真をいつものように撮る。
多くのゴシックは、白っぽく、また、青っぽい柱であるが、ここは、中も暖色系。
装飾でゴテゴテした感じは少なく、装飾のない平らな壁が、温かみのなかに、清潔感を際立たせる。

こうやって見てみると、プロヴァンス・コートダジュールの教会と、バスクの教会、ブルターニュの教会とアルザスの教会。
フランスの四隅にある教会は、それぞれ、まったく違った雰囲気を持っている。
それぞれ、フランスではなかった時代があるわけで、今の行政区分で、フランスとひとくくりにすることはできないのだと、あらためて思う。
2015.12.11
Rue Nollet ノレ通りの緑 坂
17区のパン屋さんで買い物をして、お昼を食べる公園を探しつつ歩いていると、建物の壁が一列に並ぶ通りに目を引かれた。
いろんな種類の壁が並んでいて、一部緑になっている。
そんな感じだ。
パリにある通りのうち、こうして、緑がのぞく通りは結構ある。
意識してこうなっているわけではなく、おそらく、こういうスタイルの住居が残っているということなのだろう。

よく見ると、ここは坂道になっている。
パリ17区は、西に向かって下っている。
内側の8区も、中心に向かって下っているから、区の境界は、丘の稜線部分ということになる。
その丘の稜線沿いに、以前城壁を作ったということになる。
そんなことを思いつつ、坂であることを頭のなかに埋め込みつつ、公園探しは続く。
いろんな種類の壁が並んでいて、一部緑になっている。
そんな感じだ。
パリにある通りのうち、こうして、緑がのぞく通りは結構ある。
意識してこうなっているわけではなく、おそらく、こういうスタイルの住居が残っているということなのだろう。

よく見ると、ここは坂道になっている。
パリ17区は、西に向かって下っている。
内側の8区も、中心に向かって下っているから、区の境界は、丘の稜線部分ということになる。
その丘の稜線沿いに、以前城壁を作ったということになる。
そんなことを思いつつ、坂であることを頭のなかに埋め込みつつ、公園探しは続く。
2015.12.10
リオン・シュル・メールの戦車チャーチル
町のはずれにバスターミナルがあった。
そこには、記念柱ともいうべきとがったオブジェがある。
これらのモニュメント自体が、上陸作戦50周年のもののようである。

その脇には戦車。
そばに書かれた文言を読めば、これが、戦車チャーチルであることがわかる。
チャーチルといえば、大戦当時の英国首相の名。
ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるよりも難しい。
そう言ったという人である。
競馬ファンである自分は、そのイメージが強い。
エリザベス女王が来日したときに、行きたいところは競馬場といったとかいう話とセットのように覚えている。

昔、ここから、軍馬が英国に渡った。
征服王である。
そして、戦車チャーチルが、数十年前にやってきた。
いまは、競走馬が、こちらから、あちらから、やってくる平和な時代となった。
戦車がやってくる前にも、競走馬は英仏海峡を行き来していたわけですけどね。
そこには、記念柱ともいうべきとがったオブジェがある。
これらのモニュメント自体が、上陸作戦50周年のもののようである。

その脇には戦車。
そばに書かれた文言を読めば、これが、戦車チャーチルであることがわかる。
チャーチルといえば、大戦当時の英国首相の名。
ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるよりも難しい。
そう言ったという人である。
競馬ファンである自分は、そのイメージが強い。
エリザベス女王が来日したときに、行きたいところは競馬場といったとかいう話とセットのように覚えている。

昔、ここから、軍馬が英国に渡った。
征服王である。
そして、戦車チャーチルが、数十年前にやってきた。
いまは、競走馬が、こちらから、あちらから、やってくる平和な時代となった。
戦車がやってくる前にも、競走馬は英仏海峡を行き来していたわけですけどね。
2015.12.09
パルドゥヴィツェ駅
中欧の地方都市の駅へ着いた。
レンガ色の重厚感と、スターリンゴシックというわけではないだろうけれど、旧共産主義圏らしい、角ばったデザインの駅。

このレンガ色は、駅のホームまで一緒。
ホームにある丸い部分は、椅子なのかどうか?
ただ、ここに座って列車を待つ人も結構いる。

駅には、切符売り場、トイレ、キオスク。
そして、チェコの地図。いやいや、形から、チェコスロバキア時代の地図だろう。

タイル絵のようになっている壁には、太陽が追う五蘊色に輝く時計になっている。
駅にとっては、切符売り場と同じぐらい重要な時計。

そういえば、この駅の名は、Pardubice hlavini nadrazi(パルドゥヴィツェ・フラヴニー・ナードラジー)となっている。
Praha hlavini nadrazi(プラハ・フラヴニー・ナードラジー)がプラハ本駅なので、ここはパルドゥヴィツェ本駅といえばいいのだろう。
この国では、中央駅じゃなくて、本駅と訳されるんですね。
レンガ色の重厚感と、スターリンゴシックというわけではないだろうけれど、旧共産主義圏らしい、角ばったデザインの駅。

このレンガ色は、駅のホームまで一緒。
ホームにある丸い部分は、椅子なのかどうか?
ただ、ここに座って列車を待つ人も結構いる。

駅には、切符売り場、トイレ、キオスク。
そして、チェコの地図。いやいや、形から、チェコスロバキア時代の地図だろう。

タイル絵のようになっている壁には、太陽が追う五蘊色に輝く時計になっている。
駅にとっては、切符売り場と同じぐらい重要な時計。

そういえば、この駅の名は、Pardubice hlavini nadrazi(パルドゥヴィツェ・フラヴニー・ナードラジー)となっている。
Praha hlavini nadrazi(プラハ・フラヴニー・ナードラジー)がプラハ本駅なので、ここはパルドゥヴィツェ本駅といえばいいのだろう。
この国では、中央駅じゃなくて、本駅と訳されるんですね。
2015.12.08
Le Petrin Medieval ル・ペトラン・メディエヴァルのフラン・ナチュール
2015.12.07
ノワイヨン大聖堂の椅子
オルセー美術館に絵を見に行く。
椅子といえば、ゴッホを思い出す。
座る部分が編まれていて、正三角形が4つできている奴だ。
三角形の集まる中心部分は、少しへこんでいる。
教会の多くに、このような椅子が置かれている。

そういうイメージがあるが、実際のところは、ベンチシートもあるし、形は同じでも、座る部分が板になっているものもある。
最初に見た椅子が、ゴッホの絵のようであったから、そういうものだと勝手に思い込んでいるのかもしれない。
そもそも、教会の椅子の形がそれであるのなら、ゴッホは、どこかアルルの教会から、椅子を拝借してきたのだろうか?
きっと、ああした形の椅子が、一般的であったのだろう。
整然と並んだ椅子と、だれもいない教会。
パリには多くの教会があるが、ノートルダム寺院や、サクレクール寺院のように、人にあふれているところは少ない。
平日は、たいてい、わずかな人がいるだけだ。
ただ、だれもいなくとも、こうして、きれいに並んだ椅子と、大きな空間、そして、響く音を目の当たりにすると、少々背筋が伸びる気持ちになる。
ノワイヨンは、ゴッホの椅子だった。
椅子といえば、ゴッホを思い出す。
座る部分が編まれていて、正三角形が4つできている奴だ。
三角形の集まる中心部分は、少しへこんでいる。
教会の多くに、このような椅子が置かれている。

そういうイメージがあるが、実際のところは、ベンチシートもあるし、形は同じでも、座る部分が板になっているものもある。
最初に見た椅子が、ゴッホの絵のようであったから、そういうものだと勝手に思い込んでいるのかもしれない。
そもそも、教会の椅子の形がそれであるのなら、ゴッホは、どこかアルルの教会から、椅子を拝借してきたのだろうか?
きっと、ああした形の椅子が、一般的であったのだろう。
整然と並んだ椅子と、だれもいない教会。
パリには多くの教会があるが、ノートルダム寺院や、サクレクール寺院のように、人にあふれているところは少ない。
平日は、たいてい、わずかな人がいるだけだ。
ただ、だれもいなくとも、こうして、きれいに並んだ椅子と、大きな空間、そして、響く音を目の当たりにすると、少々背筋が伸びる気持ちになる。
ノワイヨンは、ゴッホの椅子だった。
2015.12.06
ラグラッスの裏通り6 Rue Paul Vergnes ポール・ヴェルヌ通りから
2015.12.05
コルマール Place de la Cathédrale カテドラル広場にて
2015.12.04
ノートルダム寺院からオテル・デューの列柱を望む
ノートルダム寺院から眺めていると、中庭に面して、列柱の回廊が見えた。
ノートルダム寺院付近に観光に来ることがあっても、せいぜい、サント・シャペルやコンシェルジュリー。
シテ島に、こうした建物があるとは知らず、とりあえず写真を撮ってみた。
昇ってみなければ、気づくこともなければ、調べることもなかったろう。

ノートルダム寺院の前広場の脇に立つオテル・デューという、いわゆる病院。
オテル・デューというのは、あちらこちらの町にあるから、オテル・デュー・ドゥ・パリというべきなのだろうか。
直線的な建物や庭などが多いフランスではあるが、これはまた、ずいぶんと特徴的な直線美だ。
パッと思いつくところでは、パレ・ロワイヤルがあるが、なんだか、それ以上のインパクトである。
覗くように、望遠で撮ってみた。
ノートルダム寺院付近に観光に来ることがあっても、せいぜい、サント・シャペルやコンシェルジュリー。
シテ島に、こうした建物があるとは知らず、とりあえず写真を撮ってみた。
昇ってみなければ、気づくこともなければ、調べることもなかったろう。

ノートルダム寺院の前広場の脇に立つオテル・デューという、いわゆる病院。
オテル・デューというのは、あちらこちらの町にあるから、オテル・デュー・ドゥ・パリというべきなのだろうか。
直線的な建物や庭などが多いフランスではあるが、これはまた、ずいぶんと特徴的な直線美だ。
パッと思いつくところでは、パレ・ロワイヤルがあるが、なんだか、それ以上のインパクトである。
覗くように、望遠で撮ってみた。
2015.12.03
リオン・シュル・メールの風景
2015.12.02
プラハ トラム博物館 切符売り場
トラム博物館にはいろんな車両が置かれている。
横が開いている車両。

どうやら、切符売り場のような雰囲気になっている。
ここに、列して、買って乗っていたのだろうか?
とすると、一度、車両を降りて、別の車両へ移動せねばならぬ。

券売所?の中は磨かれてピカピカ。
木でも、鉄でも、プラスティックでも、磨かれて清潔だと、とてもいいものに出会った気がしますね。
そもそも、この国の人は清潔好き。
ここも、いつも掃除されているのでしょう。
古いものが大事に残ってゆく国なわけだと、ここ見るだけで思いますね。

別の車両内部。
東急世田谷線でも、少し前まで木の車両がありましたが、今となっては、そのレトロ感がいい。

そういえば、カメラでも、ブラックボディが登場してもてはやされ、今度はシルバーがレトロな機械チックでもてはやされ・・。
変化しつつも、時代の好みはぐるぐる回る。
横が開いている車両。

どうやら、切符売り場のような雰囲気になっている。
ここに、列して、買って乗っていたのだろうか?
とすると、一度、車両を降りて、別の車両へ移動せねばならぬ。

券売所?の中は磨かれてピカピカ。
木でも、鉄でも、プラスティックでも、磨かれて清潔だと、とてもいいものに出会った気がしますね。
そもそも、この国の人は清潔好き。
ここも、いつも掃除されているのでしょう。
古いものが大事に残ってゆく国なわけだと、ここ見るだけで思いますね。

別の車両内部。
東急世田谷線でも、少し前まで木の車両がありましたが、今となっては、そのレトロ感がいい。

そういえば、カメラでも、ブラックボディが登場してもてはやされ、今度はシルバーがレトロな機械チックでもてはやされ・・。
変化しつつも、時代の好みはぐるぐる回る。