2015.11.30

ノワイヨン大聖堂 身廊

いつもと同じように、広角カメラで一枚。
これは、感度をそんなに上げなくても、手ぶれしないので、よく使う。
まるで、まっすぐ筒が伸びているかのような印象になる。
ノワイヨン
もう一枚は、望遠で。
そうすると、まるで、柱が、洞窟の中か、それとも、森の木々か?そんな雰囲気に変わる。
よりずっしりと重たくなる。
ノワイヨン
面白いことになのか、不思議なことになのか?
どちらにもパイプオルガンが写っている。
ひとつは、教会側面にあり、もう一つは、よく見かける位置、一番手前の高い位置に置かれている。

それぞれ役割が違うのか?
造られた時代の違いなのか?
聞かせる相手の違いなのか?

いつか解るときが来るまでの宿題としておきましょう。
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2015.11.29

ラグラッス 市場広場 place de la Halle にて

ミイ・ラ・フォレに言った時に、壁のない巨大な古い建物を見つけた。
明らかに歴史的建造物の匂いがするのに、壁も窓も入り口もない、すべて、戦争か老朽でなくなってしまったかのような建物を不思議に思った思い出がある。
ラグラッス
これは、市場。
奥に見える建物は、村役場。
町の中心ともいえる場所なのだ。
広場文化の欧州では、政治も経済も、広場から始まっているのだろう。
ラグラッス
ラグラッスの古い市場も健在。
ここが使われているのかどうか?はわからないが、いつでも使えるようにきれいになっているから、使われているのだろう。

村の入り口が、幹線道路側とすれば、ここは、一番奥。
村や町へのアクセスである駅やバス停や駐車場といったものは、町の周辺や外側に存在する。
日本の大きな町は駅を中心に発達しているけれどもね。

それでも、日本は、最近は、郊外に大型ショッピングセンターができる。
逆にフランスには、小型スーパーが町中や駅にできる。
町の風景も、グローバル化の波が来ているのかもしれません。
2015.11.28

コルマール サンマルタン教会 メメント・モリ

サンマルタン教会は砂岩でできているらしい。
砂岩といえば、簡単に削れるが、簡単に崩壊してしまいそうだ・・・、というのは、素人考えなのだろう。
こんな大きな建物を色を変え重ねつつ造っているのであるから。

教会を広角カメラ目いっぱいで撮る。
そうすると、入ることは入るが、御覧のとおりの歪み具合。
ここまでになると、入っているが迫力は欠けてしまう。
コルマール
脇のかわいらしい看板を教会の時計を撮る。
よく見ると、時計の下にMEMENTO MORIと記されている。
MEMENTOはメモリー、記憶のことだ。
MORIはフランス語のMORTと同じ、死を意味する。
すなわち、死を記憶する。
死を意識しなさいということなのだろう。
コルマール
人生設計の上手な人は、死ぬ時点から引き算して人生を考えるそうだ。
そんなことを、テレビで見た記憶がある。

何を達成したいのか?
いつまでに何をしなければならないのか?

凡人である私は、そんなことを考えたりもしなかった。

テレビで知ったのである。
MEMENTO TVである。

できる人とそうでない人はかくも違うと、感じずにはいられぬ。
聞いたからって、死から考えるなんて、とても自分にはないストイックさである。
2015.11.27

Square de la Roquette ロケット公園 パリ 戦争

1940年6月に将軍になったドゴール。
1944年のパリの解放時に、ここで、4000人のレジスタンスが集まったらしい。
この、square(スカール)広場というには、少々大き目の公園、ロケット公園で起きたことのようだ。
そんなことが、入り口の、これまた、公園にしては立派な門の脇にプレートが掲げられている。
ここは、パリ11区。
同じ11区にて、最近、テロが起きたばかりだ。
パリの公園
あのテロが戦争だというのなら、この公園にレジスタンスが集まった時以来の出来事なのに違いない。
何の因果か、11区という場所である。
パリの公園
実は、この写真、パリ滞在最終日、11区を散歩していた時のものだ。
これより以前の写真は、すべて、ドイツのケルン駅にて、パソコン、そして、デジカメとともに写真データも持ち去られてしまった。
ちょうど、この公園で、一休みし、カメラを、一眼レフから、コンパクトデジカメに変えて撮影し始めた。
数少ない、パリ滞在の写真のひとつ。
最終日のわずか数十分のみだ。
パリの公園
改めて、テロの現場を地図で確認してみると、5か所の襲撃場所のうち、3か所は、今回歩いた場所だ。
サンマルタン運河から、サン・ルイ病院へ。
フォーブール・デュ・トンプル通りのマクドナルドは、トイレとネット接続に毎日使っていた場所。
10月12日にブログ記事にしたヴォルテール大通りだが、この写真の真下にあるお店が狙われた。
この辺りも、近くのイムーブル・アンデュストリエル通りや、パサージュ・テュルクティル通りに、写真撮りつつ、散歩に来たのだ。
目の前の横断歩道を渡ったから、お店の雰囲気も目に残っている。
パリの公園
ちょうど、滞在していた1か月後に、このような事件が起きたわけで、”観光客の行かない場所”では決してない。
もちろん、大勢いるわけではないけれど。

何が正解であるかはわからない。
事件なのか?戦なのか?
むつかしい。
ただ、泥沼に嵌るような結末にはなってほしくない。
2015.11.26

リオン・シュル・メールの海と水平線

先日、上野で開催されているモネ展へ行ってきた。
印象日の出に替わり、サンラザール駅が目玉となっている。
それでも、人気は、睡蓮であったように感じる、人の山であった。
リオン・シュル・メール
解説文のなかに、気になる文があった。
それはモネの水平線に対する話だ。
人の頭の隙間から斜め読みであったが、浮世絵に影響されたと書かれていた。
どう、影響されたのかきちんと読んでいなかったが、水平線の位置が高くなってゆくことのようだ。
リオン・シュル・メール
水平線の位置が高い構図ということは、自身の目は、下を向いているということになる。
とすれば、立ち位置が違うということになるのだろうか?
上の写真は、限りなく砂浜に近い位置から撮っている。
英兵が上陸するとき、振り返ると、こんな海が見えていたのだろうか?
もっとも、兵隊も船もあっただろうし、何しろ天候が違ったろうけれど・・・。

一方、独兵は、上から英兵を見下ろしていたかもしれない。
俯瞰したほうが、より、敵軍の状況をつかめるからだし、上から攻撃したほうが、有利でもあるからだ。
ほんのわずかだが、水平線の位置が変わる気もする。

ただ、見ている場所が近くなければ、よほど高低差がない限り、その構図は変わるまい。
2015.11.25

アエロフロート航空でパリへゆく8 帰国 入国審査へ

日本行きの飛行機に乗り込む。
出てきた食事は、ごはんではなく、麦?のようだった。
アエロフロート
不思議な食感だが、それなりに美味しい。
アエロフロート
最後の食事は、朝食であるのだが、デザートを食べているようだった。
甘いフルーツのクリームのクレープのようである。

チェコからロシアまでもそうだったが、味は悪くないが、見た目が、あっさりしすぎて、寂しい気もしないではない。
アエロフロート
飛行機の写真を撮る余裕は、成田空港についてから。
ほんのわずかでも、トラブルにまきこまれる危険のある行為は控えるべきだ。
なにしろ、パスポートなしなのだから・・。
アエロフロート
帰国して、渡航許可書で、日本人用のイミグレーションに並ぶ。
結果、そこでは、入国することはできず、乗務員などが通過する窓口へ行くことに。
そこで、おそらく、渡航許可書の番号などを、照合するのだろう。
しばらく待って、日本の地へ戻ることができた。

今回は、パリ到着すぐにスリに会い、チェコへの移動中、ケルンでスリに会い、親切なドイツ人や、親切なチェコ人に助けられつつ、なんとか帰ってくることができた。
帰国後、パリではテロも起きてしまったが、徐々に徐々に、欧州の治安が悪化しているように感じられる。
とにかく、自分の身を守るための緊張感は失ってはならない。

個人的には、高すぎる勉強代であるが、それで済んだ・・のかもしれない。
慣れてしまうと、日本にいるときと似たような感覚に陥る。
ほんのわずかな隙間に、陥穽がある。
2015.11.24

Le 59 rdsとLe 134 rdt クロワッサンとパン・オ・ショコラとショッソン・オ・ポム

パリの3区にある、クロワッサンの美味しい店ということで、出かけてみた。
Le 59 rdsは、サントンジュ通りの59番地で、59 rue de saintonge
Le 134 rdtは、テュレンヌ通りの134番地で、134 rue de Turenne
この番地と頭文字が、店名になっているのだろう。
パリのパン屋
上が、Le 134 rdt。
下が、Le 59 rds。
パリのパン屋
数々の賞を獲っているらしい。
パリのパン屋
まずは、いつも通りのパン・オ・ショコラ。
まわりはサクサクで、中も意外とサクサクしている感じだ。
パリのパン屋
そして、クロワッサン。
日本のスーパーで買ってくるやつは、ふにゃりとしているのだが、これは、形が張っていて、ダイヤモンド型。
そして、食べても、その形が崩れていくことはないしっかりとした、焼き上がり。
中は、ちゃんとパンなのである。
パリのパン屋
普段、他のお店でも、食べて比べているわけではないが、クロワッサンの中まで、サクサクしているところと、こうしてパンらしいところと2つあるように感じる。
どちらが、いい、悪いではなく、どちらも、美味しいお店と、普通と思われるお店がある。
もちろん、ここのは美味しい。
パリのパン屋
クロワッサンではなく、もっとも、衝撃だったのが、ショッソン・オ・ポム。
見たとおりとも言えるが、大げさに言うと、クッキーの中に、餡があるといってもいい。
そして、それは、酸味が利いているだけではなく、ごろごろとリンゴが入っているのである。
いやあ、これは、今まで食べてきたショッソン・オ・ポムとは、別の食べ物だ。
美味しく、しかも、ほかとは違うものに出会うと、うれしくなりますね。
2015.11.23

ノワイヨン大聖堂の内部へ

ノワイヨン大聖堂の身廊。
古い時代のものであっても、ああ、ゴシックだと思わせる構造になっている。
高い天井とヴォールトが見て取れる。
ノワイヨン
翼廊部分は、壁が平面ではなく、円形になっている。
ここには、バラ窓がない。
ノワイヨン
ステンドグラスとかバラ窓とか、そういった装飾物がないだけに、余計に、複雑で直線的な柱の数々に目が行きますね。
それだけでも、圧倒される雰囲気を持ってます。
2015.11.22

ラグラッスの裏通り5

写真の順番から想定するに、おそらくは、フォワ通りRue Foyではないかと思われる。
叩きこまれた石の両脇に伸びる2本の線は、なにかの車両が通る軌道になっているのだろう。
荷車なのか、馬車なのかはわからぬが、おそらくは、マルシェへ出入りする車道になっていたのではないか?
ラグラッス
実際のことはわからないが、だとすれば、よほどしっかり道を作っておかねばならないし、水はけもよくなくてはならない。
そんなことを考えつつ、裏通りの路面を見る。
おそらくは、まったく時代の違う壁だが、雰囲気は壊さぬようフランス的に最大限配慮されている。
2015.11.21

コルマール Rue des Marchands マルシャン通りからサン・マルタン教会を望む

コルマールの中心に立つサン・マルタン教会。
この、商人通りの商店街マルシャン通りも、上から塔が覗いている。
コルマール
教会の壁は、独特な黄オレンジ色であるが、この通りのカラーとそれはマッチしている。
行った当時は、正面が工事中だったが、今はまた、まっすぐ通りを撮っても、工事中の白い幕に邪魔されることはあるまい。
コルマール
最後に、路地から顔をのぞかせる教会の壁。
こんな風景を見たら、この路地を通り抜けないわけにはいかない。
結局、この路地は、rueなのか、ruelleなのかも、名前もわからぬままだったが、マルシャン通りから、教会前広場へ、いやいや、教会へ行くときに通る、昔からある近道なのだろう。

さてさて、教会へ向かう。
2015.11.20

Rue Marcadet マルカデ通りの交差点壁画

18区。
モンマルトル裏。
Rue Vauvenargues ヴォヴナルグ通り
Rue Damrémont ダムレモン通り
Rue Marcadet マルカデ通り
この3本が交わる交差点。
まずまず幅広な通りが交わる交差点でありながら、ここは広場型になっていない。
ただ、少し開けた空間は、広場のような存在感ある交差点である。
パリの道
見づらいのだが、ここに、壁画がある。
写真の左側に、空の青さに溶け込むように絵が描かれている。

付近の裏通りを散歩しにやってきた。

青空の下、平穏に、ただただ、ぶらぶらできる街であり続けてほしいと願うばかりである。
2015.11.19

Lion-sur-Mer リオン・シュル・メールへ

ノルマンディ上陸作戦の舞台のスウォードビーチ。
上陸作戦の中でも、最も東に位置する。
リオン・シュル・メール
ここは、英軍が作戦を敢行した場所。
近くから、英国行きの船も出ている。
リオン・シュル・メール
多くのノルマンディ上陸作戦の舞台は、バイユー起点。
しかし、ここは、カンから市内路線バスでやってくることができる。
リオン・シュル・メール
瀟洒な建物が並ぶ海岸沿いの散歩道。
戦争の爪痕はなかなかない。
2015.11.18

アエロフロート航空でパリへゆく7 モスクワ乗り換え

プラハからモスクワまでの飛行機の食事は、不思議なプラスチックのケースが出てきた。
プラスチックは結構薄い。
中が透けて見えている。
もうちょっとしっかりしたケースだったならば、机の上で活躍できそうだったが、すぐにどこかに割れが発生しそうなので、そういう用途で活躍はしてくれなそうだ。
エアラインのグッズを集めている人であれば、こんなケースでもほしいのかもしれない。
アエロフロート
中を開けると、サンドイッチとジュース。
ケースは無駄のようだが、人件費削減には役に立つに違いない。
飛行機ではよくある、美味しいサンドイッチではありますが、そっけないイメージはありますね。
アエロフロート
さて、モスクワに到着。
パスポートをなくし、渡航許可書で、どんな感じになってしまうのか?
不安の方が大きい。
許可書には、寄港地にモスクワと入っているのだから、きっと、問題は起きないに違いない。

そう思って、乗り換え時のパスポートチェックカウンターへ行く。
が、パスポートを持っているときと同様の雰囲気のまま、スムーズに通れた。

あぁ、あとは、飛行機に乗って帰国するだけだ。
そう思うと、ほんの少しだけ、緊張から解放された気分になる。

歩いて、ターミナルを移動。
どこへ向かって歩いてゆくのか?ちと案内が足りない気もします。
手荷物検査を終えて、液晶案内を見ても、日本行きの飛行機は出ていない。
そのターミナルの当該飛行機のみの表示であるから、見当たらないのだ。

Eチケットに書かれたターミナルへ移動すると、そこの液晶には、日本行きの便が載っている。

日本行きの飛行機、パリ行きの飛行機などなどが出発する夕方の時間帯。
空港内には、多数の日本人と、日本語が聞こえてくる。
ようやく、帰国するのだという安堵感から、充電コードも盗まれたままで、残り電池の少なくなったタブレットを取り出し、Wi-Fiでネットをして時間をつぶす。
2015.11.17

Boulangerie Duchesne ブーランジュリー・デュシェーヌのパン・オ・ショコラとショッソン・オ・ポム

11区のレピュブリック広場から程近いところ、ジャン・ピエール・タンボー通りのパン屋さん。
いわゆる、オーベルカンプ界隈の入口に当たるところだ。
パリのパン屋
ここで、買ったパンオショコラは、いちばん外側は、春巻きのようにカリカリ。中も軽い感じのパン。
見た感じからも、カリカリ感が伝わるかと思う。
パリのパン屋
ショッソンオポムは、しっかりとしていそうな外観だが、食べると意外にも柔らかい。
深い切れ込みで、蛇腹のようになっているものから、こうして、おせんべいのようになっているものまで、見た目は様々。
甘みが本の少し、感じられる、リンゴジャムのような味。
パリのパン屋
どのお店もそれぞれ、ちょっとした違いはあるのだが、どれも、ああ、パリのパン屋で買って食べているなぁと思わず思ってしまうのである。
2015.11.16

ノワイヨンの神父と司教

ノワイヨンの大聖堂の中には、ステンドグラスは少ない。
彫像や絵が置かれている。
ノワイヨン
上の彫像は、ギョーム・ボヴィル神父となっている。
シャルル7世の時代のようであるが、とすれば、ジャンヌダルクの時代。
すぐ近くのコンピエーニュに、ジャンヌ・ダルクはやってきているし、おそらくは、知っている間柄であったのであろう。
ノワイヨン
別のところには、絵が掛けられている。
こちらは、Sanit Eloi(サンテロワ)と絵の中にも書かれている。
この教会の司教であった人のようだ。
絵の時代はわからぬが、背後のブルーのグラデーションが、イヴクラインや、ゴッホや、シャガールのブルーを思い出す。

こういったものを、課外授業に来た子供たちに、宗教観とは別に、歴史として話がなされてゆくのかもしれない。
2015.11.15

ラグラッスの雑貨屋さん

役場のあるアル広場と、コンシュラ通りの交差点にある雑貨屋さん。
靴の形の看板が出ている。

かわいらしい店構えではあるものの、商売っ気のなさも感じる。
ラグラッス
積極的にネオンサインでブイブイゆうアジアとは、ずいぶん違う。
換気扇で、美味しい匂いをブンブン外に吐き出し、何屋さんであるのか、一目瞭然の看板がかかる。
ある意味、アジアという人口集中地帯で、生き残ってゆくための知恵かもしれない。

飾るという意味では、欧州のお店は、欧州人の自宅の拡大版かもしれぬ。
ディスプレイがいわゆる看板で、センスに人はついてくる。
そんなところだろうか?
2015.11.14

コルマール Rue des Marchands マルシャン通りの色

キャノンのコマーシャルで使われているカラー写真は、コルマールのプティット・ヴニーズ付近と思われる。
あの界隈は、かわいらしい色が多いのであるが、この、商人通りは、重厚な色が多い。
アミアンのサン・ルー地区もそんな色合いだったような気がする。
コルマール
仮に、ここに、真っ赤な壁の建物があったとしても、かわいらしいというイメージだけで済みそうだ。
場所によっては、それは忌避される。
そぐう、そぐわないということのほうが、色より大事にされるのだろう。

そういう意味では、この色合いの建物が並んでいるということが、ここでは、この雰囲気を醸成している。
こうした、建物の色合いが、釣り合いとれているかどうか?管理する職業の人もフランスにはいるらしい。
突飛なことは、場所によってはできぬというのは、フランスの方がより厳しいのかもしれない。
2015.11.13

ノートルダム寺院のフルーツ

ノートルダム寺院の塔の上から、パリの屋根を眺める。
せっかくだから、寺院の装飾を入れて写真を撮る。

ん?どこかで見たぞ?
ノートルダム寺院
こんな感じのカラフルバージョンをサグラダファミリアで見た。
むろん、こちらのほうが古いのだろうから、これをガウディも見たかもしれない。

そもそも、こうしたものがあちこちの教会の上に乗っかっているのかもしれない。
ヤシの実のようで、ブドウの実のようで、バナナの皮のようでもある。

それぞれ、まっすぐ立っている感じが、ノートルダム寺院というより、サグラダファミリアっぽいと感じる所以かもしれない。

2015.11.12

ノルマンディー・アメリカン・セメタリー・アンド・メモリアル

墓地の入り口には、英語で表示されている。
もちろん、ここは、アメリカ人の墓地なのだ。
コルヴィル・シュル・メール
中に入ると、とにかくアメリカ人が多い。
ここに、眠っている方々の遺族の方もいらっしゃるだろうし、観光目的の方もいるのだろう。
そもそも、この、ノルマンディー上陸作戦の舞台は、英語圏の人が、こんなにもいたのか!と思うほど多いのである。
コルヴィル・シュル・メール
カンの街では、そんなに感じないが、バイユーでは、圧倒的に英語の声が聞こえてくる。
主だった戦地は、バイユーからのバスになるからであろう。
ここも、バイユーから乗ってくると、終点で降りることになる。
2015.11.11

アエロフロート航空でパリへゆく6 プラハ空港にて

空港へのバスは、プラハ本駅で満席状態。
大きな荷物の人は、30分おきとはいえ、早めに行くことだ。
座席は進行方向左に座ると、プラハ城なども見え景色はよい。
プラハ空港
巨大空港ではない。
この程度の大きさの空港が、もっとも、便利でよい。
電光掲示板の表示を待って、カウンターへ行く。

パスポートをなくしたのだが、渡航許可書を渡すと、あなたは、パスポートなくしたのね!と笑顔で対応してくれた。
国の問題ではなく、人の問題であるとは思うが、こうした対応をされると、この国に対する好感度はぐっとアップする。
飛行機の搭乗ゲートでも再び会ったが、覚えていてくれて、最後の最後まで気持ちよく対応してくれた。
それだけでも、盗まれたという悲しい出来事を、ずいぶん和らげてくれた。

中に入っても、いわゆるキオスクもあるので、お土産用の高いお菓子の他、スーパーで買えるようなものも購入できる。
2015.11.10

Du pain et des idees デュ・パン・エ・デ・ジデのエスカルゴとショッソン

10区のマルセイユ通りの角にあるパン屋さん。
とにかく、混んでいる。
お店の構えも立派だが、内装もすばらしい。
パンを置いてあるお皿も立派だ。
パリのパン屋
いろんな賞を獲ったパン屋さんであることは、入口のガラスにデコレーションされているのを見ればわかる。
何年に、どこの何を獲ったというのは、並んでいる。
このパン屋さんは、袋までおしゃれである。
パリのパン屋
普通に、パンオショコラとショッソンオポムを頼もうと思ったが、普通のパン屋さんと並んでいるものの雰囲気は違う。
とにかく、目に付くのは、渦巻きのエスカルゴである。
しかも、何種類も並んでいる。
パリのパン屋
まずは、エスカルゴ・ショコラ・ピスタッシュ。
緑の渦巻きに目を奪われた。
呼ばれているので、応えなければならない。

これが、一番外側がカリカリで、徐々にしっとりとしている。
ピスタチオクリームとチョコレートは絶妙に合う定番の組み合わせだ。
パリのパン屋
そして、カブトガニに見えるショッソン・ア・ラ・ポム・フレッシュ。
これは、香ばしく、かっちりと焼かれていて、食べ応えもある。
餡は、酸味が少ないようだ。

個人的には、他のエスカルゴも食べてみたいね。
クロワッサンも、結構人気で出ていたから、食してみたい。
2015.11.09

ノワイヨンの武骨なファサード

ゴシック初期なのだそうだ。
ロマネスクのような屋根の塔が2本。
左右の縦窓の数が違う。
右が3本、左は4本。
ノワイヨン
モン・サン・ミシェルの北壁のような、縦筋のデザインが並ぶ。
ノートルダム寺院も、時代は近いのだろう。
似てはいる。
ただ、王のギャラリー他、装飾はこちらのほうが少ない。

塔の左右が違うが、シャルトルのように、まったく違う形をしているわけではない。
2015.11.08

ラグラッスの裏通り4

大変小さな町である。
であるのだが、この通りがどこであるのか?まったくわからない。
観光局の写真を撮った何枚かの前後に同じ位置から写真が撮られている。
観光局からほど近い通りで、しかも、2度撮っているのだから、よほど気に入ったのだろう。
一枚目は、道端にゴミ袋が置いてあり、この時には、それは撤去されていた。
ラグラッス
S字で、しかも、少々昇り。
先は見えず、板に挟まれたラビリンンスにぴったりのイメージ。
もっとも、子供心をくすぐる風景で、妖精が現れるのに適している通りなのである。
2015.11.07

コルマール Rue des Marchands マルシャン通りの風景

プティット・ヴニーズから、繁華街グラン・リューへ舞い戻った。
マルシャン通りの、重厚な雰囲気を一枚。
プティット・ヴニーズ付近とは、また、存在感が違う。
コルマール
マルシャンは商人。
川を使う行商人が、行き交い、出入りしていたのであろう。
コルマール
au vieux pignonというお土産やさんが、見えるが、確かに、古い三角屋根が、並ぶ。
土台の上に、木組みの箱を載せ、さらに大きな三角屋根の箱を載せ、小さな屋根裏窓や、カラフルなバルの付いた窓を開けて、出来上がり。
アンバランスさが、各々寄り添うようにも見えて、コケティッシュになる。
2015.11.06

Avenue Simon Bolivar シモン・ボリヴァール通りの穴

パリ19区の大通りながら、うねうねと曲がる通りがある。
パリといえば、広場と広場、モニュメントとモニュメントを結ぶ、まっすぐな感じの通りが多いのだが、これは違う。
そのうねうね通りに立つアパートに、ぽっかりと穴が開き、そこから、階段が伸びている。
どこかの、アパートの階段ではなく、れっきとした通りなのだ。
パリの道
うねうねの理由は、ここの階段が存在する、丘ゆえだろう。
これを迂回するように、通りが伸びているのである。

階段を昇れば、そこは丘。
すでに紹介しているが、ベルジェールの丘に通じるのだ。

ここ以外にも、ビューットショーモン公園脇のマナン通りにも、同じような穴がある。
たどり着く先は同じだ。
2015.11.05

オマハビーチの激戦地へ下る

激戦地を見下ろす丘の上から、階段が続いていた。
下のビーチへ降りて行ける。
この上から眺めていたのなら、近づいてくる米軍が一望のもと。
嵐の日にやってくるというロンメルの予想は、相手の立場に立てば当然のものだったのかもしれない。
オマハビーチ
実際に下に降りれば、湿った砂地の普通の海岸。
干満が激しいから、濡れたところもずいぶんと広いのだろう。
水たまりは、海水に違いない。
オマハビーチ
ここで銃撃があったなどと想像もできぬ、静かに風の流れる海岸である。
まるで、人生の時間が無駄に流れていくほどに、なにもない海岸。
美しい自然と楽しい時間を守るために、命を懸けねばならないというのは、なんとも、不幸なことだと思えてくるのである。
2015.11.04

アエロフロート航空でパリへゆく5 プラハ本駅バスターミナル

ようやく、帰国の途に就くという前日。
パスポートもなくし、帰国のための渡航書というわずか1週間の書類で、日本にたどり着かねばならぬ。
そのためには、乗り遅れた!なんて許されぬ。
念には念を入れて、プラハの空港まで行く、エアポートエクスプレスというバスの乗り場を確かめに、プラハ本駅へやってきた。
プラハ本駅バスターミナル
2年前には、ここから、ドイツ国鉄のバスでニュルンベルクへ向かい、フランクフルトから帰国したのだが、今回は、プラハから直接帰国する。
パリ単純往復よりも、プラハからの帰国チケットの方が数千円安かった。
夜行に乗れば宿代も浮く。
パリからプラハまでの移動が100ユーロほどであったので、それならと、パリイン、プラハアウトのチケットにしたのである。
プラハ本駅バスターミナル
プラハ本駅の案内板はわかりやすい。
バスのマークに従って、エスカレータをあがってゆけば、このドームに出る。
二年前と変わっていないが、工事中だった場所は、格段にきれいに変わっていた。
電光掲示板もとってみたが、Flughafen Prahaというのが、プラハ空港の意味だ。
表示は、ドイツ語、英語、チェコ語で順に表示されていたのだが、英語をとったはずが、とられた写真は、ドイツ語に替わってしまっていた。
プラハ本駅バスターミナル
外のバス停に出て、バス停表示を見てゆくと、すぐにAEの表示。
AirportExpressである。

バスは、30分おきに出ている。
駅の一番下奥にある、みどりの窓口のような切符売り場で、バスのチケットも時刻表ももらえる。
プラハに到着した翌日に、パルドゥビツェ往復の国鉄チケットを同時に帰国日のバスも買っておいた。
2015.11.03

ノワイヨン大聖堂の窓2

オルセー美術館へゆくと、最上階に時計越しにパリが見える。
たしか、モン・サン・ミシェルでも、こうした透かし彫りのようなステンドグラスを見たが、こうした、白黒のモノトーンの世界が好きなようだ。
わずかに色がついているステンドグラスが、ワンポイントになっている。
かりに、これをモノクロ現像しても、自分には、好きな具材にちがいない。
ノワイヨン
日本のお寺であっても、神社であっても、欧州の教会であっても、モノクロが似合う空間がある。
おそらく、静寂静謐が、モノクロの世界観と波長が合うからに違いない。
厳にして律、宇宙という監視カメラに射すくめられたような気持になるのは、こうした宗教施設独特の感覚かもしれない。
2015.11.02

Rue Saint-Michel サンミシェル通りの向こう

細長い裏通りである。
この通り名も記憶していないが、通りの向こうにサンミシェル教会がみえることで、どこだか確認することができる。
いかにも古い壁がデン!と構えている。
ラグラッス
バラ窓があるが、それは大きくなく、ゴシックという雰囲気ではない。ゴシックとともに、バラ窓も巨大化していったに違いない。
とすると、これは、ロマネスク建築ということになるか?

パリでも、こうして、教会のアプローチの通りはいくつもあるが、なかなか、表参道がこれだけ幅狭というのはなかろう。
外敵から身を守り、ひっそりとたたずむ村であるからこそに違いない。

道もまっすぐではない。
わずかな歪みが、人々の歩いた道そのままが残っているような気がして、はるか過去の人と同じ道を歩んでいる情緒がある。
2015.11.01

La Bonnne Fourneeラ・ボンヌ・フルネのパン・オ・ショコラとショッソン・オ・ポム

サン・マルタン運河沿いのパン屋さん。
10区になる。
運河沿いを散策し、ここでおやつを買って、競馬場へ行くことになった。
普段なら、ここで買って、運河沿いで食べるのが一番いいだろう。
パリのパン屋
入って、すぐに気がつくのだが、ここのパンの色は、焦げ目がない。
茶色ではなく、黄色っぽいのである。
ショッソン・オ・ポムも焦げ目はなく、狐色である。
パリのパン屋
外はサクサクしているのだが、中のパイ生地が少し、しっとりしているように感じられる。
パン屋によって、いろいろ違うものなのだなぁと、改めて思ってしまう。
それでも、不器用にしか食べられない私は、ジーンズがパイ生地でいっぱいになってしまう。
ほかと比べてしっとりしているようであって、パイ生地はパイ生地なので、食べると、落ちてしまうのである。
パリのパン屋
パン・オ・ショコラも、色は薄い感じだ。
外一枚がカリカリとしていて、中はパンっぽい感じのパン・オ・ショコラである。

中と外側の食感が違うのが、この二つの特徴であった。