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2015.10.31

コルマール Rue des Écoles エコール通りの自転車のある風景

プティット・ヴニーズ付近の通り。
かわいらしい家々の並びに自転車が一台地上ロック。
フランスの文字の入った袋がぶら下げられていた。
コルマール
少々広めの通りになると、路側は駐車スペースになっているのですが、写真に邪魔といえばそうなんですが、これがなくなると、フランスっぽくなくなるんでしょうね。
現代に生まれると、この風景しか見ていないわけですから、なければ無いで空虚感漂う通りに感じられるかもしれません。
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2015.10.30

Rue des Saints-Pères サンペール通りから見るモンパルナスタワー

サン・ペール通りというのは、パリの6区と7区の境目になる。
サンペール通りとセーヴル通りによって、区界が確立されているのだが、北側半分は、この通り。
セーヌ川から、セーヴル通りにぶつかるまでの、そこそこ長い通りである。
パリの道
ちょうど、オルセー方面から、サンジェルマン方面へぬけて行こうとしていた時、サンジェルマン大通りとの交差点付近から、モンパルナスタワーがのぞいていた。

数々のモニュメントがあるパリ。
その姿が遠くから見えるという通りは、多くあるけれど、モンパルナスタワーは、左岸の重要シンボルの一つになっている。
2015.10.29

オマハビーチの解説図前にて

戦いが行われたビーチを見下ろす場所に、解説地図がある。
眼前のビーチだけに、展望台の案内図と同じような役割になる。

実際にここで戦闘が行われた。
このオマハビーチの場合、ドイツとアメリカの戦いである。
オマハビーチ
自身体験していない戦争は、もはや歴史的な感覚でしかとらえることはできない。
いくら学習しても、実体験とは比較にならない。
実体験していない人の反省とはなんなのか?
その反省にどういう意味があることになるのか?

戦争は人が死ぬ。
それは、よろしくない。

善悪を論じ、反省することが、果たして平和につながるのであろうか?
その中に、本当に大切なものが入っているようには、感じられないのである。
火種に息を吹きかけるようなことにすら思えるのである。

歴史的な戦地では、そんなことを頭に思い浮かべるのである。
知りたいことは、歴史的事実である。
人間だけに、恣意的にならざるを得ないとしたら、戦いは、人の業のようなものなのかもしれない。
2015.10.28

シティナイトラインでプラハへ

シティナイトラインの旅は、今回2度目。
前回は、1等車。
今回は、2等車。
それでも、寝台である。
簡易寝台というが、通称クシェットというやつだ。
フランス語のcoucher(クシェ)は、寝かせるという意味だから、そのあたりからできた単語なのであろう。

予約した6人部屋は、ケルンでは、すでに先客がいて、コンパートメントの入り口は鍵がかかっていた。
あけてもらい、最上段へ。
鍵をかけて、すぐに、暗闇に。

カバンごとすられた、ショックで、なかなか寝つけないが、それでも、列車の揺れは、どうにか夢の中へ。
シティナイトライン
おそらく、ベルリンだったのだと思う。
最下段にいた女の子が、メールド!と怒鳴りながら、あわてて荷物をまとめて飛び出していった。
ベルリンが目的地なら、長時間停車だったから、間に合ったに違いない。
皆が、眠りから覚めて、下を見やっていたが、再び暗闇に。。
メールド!(ちくしょう)と言っていたのだから、彼女はフランス人だったにちがいない。

翌朝、目が覚めると、もう、プラハは間近だった。
向かいの最上段の女の子から、グッドモーニングと声をかけられる。

下段の人たちとの会話のやり取りを聞いていると、どうやら、最上段の女の子はチェコ人。中段には、チェコ人カップル。最下段は、ドイツ人男性と、昨夜、降りて行ったフランス人の女の子。
そんな部屋だったようだ。

一眼とレンズたちは消えてしまったが、手元に残った、富士フィルムのコンデジX-10。
手動ズームと光学ファインダーというお気に入りのカメラで、プラハ本駅で一枚。
そういえば、日韓中と思われる東アジアの方も、ずいぶんケルン駅から乗ってきていた。

気を取り直して、プラハを堪能することにしよう。
2015.10.27

ノワイヨン大聖堂の窓

木々の間から、のぞいている大聖堂の横の部分。
ずーっと昔は、ステンドグラスだったろう場所が、グリーンのガラスになっている。
それでも、そのガラス自体もずいぶん古いのだろう。
あのグリーンのガラスでできた、グラスやその他ガラス製品だったら、アンティークよよべるものになっているのかもしれない。
ノワイヨン
第一次なのか、第二次なのか?
それとも、フランス革命当時なのか?
ステンドグラスがなくなってしまったのに違いない。
教会が、廃墟に近い時代もあったのかもしれない。
それでも、教会は、いまも、まだ、フランスの観光収入を支える、大きな建造物であり、生きている宗教施設なのだ。
拝観料をとることはない。
木々の向こうに見える巨大な建物は、この国へ多くの人をこの国へ向かわせる。

緑のガラスでも、十分味のありすぎる建物だ。
2015.10.26

ラグラッスの裏通り2

ゆるいカーブの先に明るい光が見える。
おそらく、あそこには、広場があるのに違いない。
欧州の町は、広場を中心に町ができている。
ラグラッス
日本の場合は、道の先に、広場がない。
一般的に、道は、幅が広く、広場と路地という構造ではない。
この路地のように、道が閉じられている感覚はあまりない。

いろんな催しものは、広場ではなく、公園だ。
朝廷という言葉もあるが、広場の替りが、庭(公園)であり、道または、交差点(辻)だったとも思われる。
2015.10.25

Rue Saint-Jean コルマールのサンジャン通り

プティット・ヴニーズ散策から、宿へぶらりと戻ってゆく途中。
通りの向こうには、旧税関コイフュスが見えている。
ということは、あの先が、グランリューであるということなのだろう。
そう思って歩いていたが、グランリューは、この通りと並行するようにずっと続いていたようだ。
目抜き通りの一本裏を歩いていたことになる。
コルマール
雨に濡れた路面と、裏通り感が、妙に生活観を感じさせて、それはそれでいい。
ユトリロが描きそうな画だなと思いつつ一枚。
2015.10.24

Mr. et Mme Levin ムッシュー・エ・マダム・ルヴァンのパン・オ・ショコラとショッソン・オ・ポム

今回は平日だったので、ほとんどが売り切れということはなく、目的のパンを購入できた。
パリのパン屋
まずは、パン・オ・ショコラ。
これは、揚げパンといえば、言い過ぎかもしれないが、サクサクなのである。
パンっぽい店から、しっとりの店、そして、ここは、サクサクというか、カリカリというか。
独特の食感である。
写真にも見える柄が、その、サクサク感を表している。
パリのパン屋
ショッソン・オ・ポム。
ここも、あごがものすごい。
この見た目のあごの高さがそのまま、ボリュームとなっている。
すなわち、中が空洞で膨らんでいるのではなく、ぎっしり、パイ生地と餡が詰まっているのだ。
だから、食べがい満点。
パリのパン屋
シュークリームのクリームが飛び出してしまうように、りんごの餡が飛び出てくるので要注意。
パイを、満喫できるショッソンである。
2015.10.23

プラハ トラム博物館のおしり

プラハのトラムのカラーの赤。
歴代のトラムが並ぶのだが、この2つのおしりがかわいらしい。
並んでいると、さらにそうだ。
プラハ トラム
実際、プラハの街中で写真を撮るときにも、トラムを入れた風景の場合、最新ではない方が、古い町並みにはよく似合う。

それにしても、この2台は、バスっぽいおしりである。
2015.10.22

コルヴィル・シュル・メールの墓標の風景

並んでいる墓標は整然として、芝の緑と白のコントラストが美しい。
よく見ると、所々に形の違う星型墓標がある。
本人の家族の希望なのか?
将校の印なのか?
別の意味があるのかはわからないが、アクセントになっている。
コルヴィル・シュル・メール
少し移動してゆくと、その先には、ブルーの海が。
丘の上なのだ。
彼らが戦ったオマハビーチの戦場を望むことができる。
コルヴィル・シュル・メール
死と生、詩と静が存在している。
尊い命で購われた、静寂の美しい景色が眼下に広がる。
2015.10.21

ケルンでパスポート置き引きに!

パリ北駅から、チェコ・プラハへ向かった。
勝って行った切符は、タリスでデュッセルドルフへ向かい、そこから、シティナイトラインでプラハへ向かうというもの。
ところが、北駅には、当日当該時刻発デュッセルドルフ行きは液晶に載っていない。
ケルン行きならある。
列車番号は同一だから、それであろう。
車掌さんに聞くと、今日は、ケルンまでしか行かないから、ケルンで乗り換えて、そこから、デュッセルドルフへ在来線で行けとのこと。

列車は、15分遅れの表示に変わった。
デュッセルドルフでの乗換時間は40分程。
相当にきびしいと言わざるを得ない。
ケルン
発車した列車は、ブリュッセル中央駅に到着。
ここで、なぜか、全員隣のホームへ乗換の指示。
結局、ケルンに着いたのは、21時20分ごろ。
デュッセルドルフ方面へ行く列車は、21時45分。
15分で移動して、乗換などできるものなのか?(実際は不可能)
遅れる前提で考えていなかったからわからない。

ケルンのインフォメーションで聞くと、この駅にシティナイトラインが22時28分に7番線にやってくるから、それに乗りなさいとのこと。
どうやら、無事乗換できそうだ。
不幸中の幸いというべきか。
ケルン
まだ、30分近くある。
以前来たときに食べた、ソーセージサンドのスタンドへ向かう。
カリーヴルストを注文し、スタンドテーブルへ荷物を移動し、写真を撮って食べ始めた。

荷物は、目の届く、真下の足元へ、リュックと、スーツケースと、その上に手提げ袋。
ケルン
そこに、一人駆け込んできた。
荷物をスラレたようだ。
店員さんとのやり取りが続いているが、日本の方だった。
これは、可哀そうだ。
そう思って、自分の荷物も気をつけなきゃと、再びソーセージと荷物へ目をやる。

ところがだ、目の前の出来事に気を取られた、わずか1分少々の間に、リュックが消えていた。
しかも、わずか1m前では、スリ被害のすったもんだのやり取りが行われているところでだ。
パスポートと、フランスの写真すべて、そして、デジカメとレンズ4本。
辞書に、ウォークマンに、E-チケットに・・・。

ケルン駅の警察へ行くことになった。
目に届くところであったが、わずかでも、体に触れて置いておくべきだった。
甘い認識だった。
失われたものは、現物と、中身の写真その他のデータ。
ここ1年半のものは、バックアップ前だったため、すべて水泡に。
パリ、18、17、8、9、10、11区の散歩データなども消え去った。
手元に残った、小型のデジカメが、わずかな救い。

一瞬で、旅は暗転する。
みなさま、お気を付けを!
2015.10.20

Maison Dupuy メゾン・デュピュイのパン・オ・ショコラとクロワッサン

こちらも、お昼時に訪れると、パンの残りは少ない。
マダムに、何かほかに欲しいものがあったら言って!と言われたものの、そこにないパンを注文する勇気はなかった。
で、とりあえず、パン・オ・ショコラと、クロワッサンを買う。
パリのパン屋
クロワッサンは、タオルを絞ったような形。
パン・オ・ショコラは、ふっくらではなく、つぶれたような形。
パリのパン屋
バターは大目なのかもしれないが、その形は、口の中で優しさとなって帰ってきた。
それゆえ、つぶれたような形に見えるのだろう。
とにかく、優しい、というのが、最も最初に思いついた言葉。
パリのパン屋
同じような生地のパン・オ・ショコラも、優しい食べ物であった。

クロワッサンは、塩気を感じたのも、バターゆえかもしれない。
2015.10.19

ノワイヨンへ

コンピエーニュに出かける予定だったのだが、午後からの用事のため、午前中、ノワイヨンまで、足をのばした。
ノワイヨンは、コンピエーニュの北東20キロ。
ソワソンの北西25キロ。
ランの西40キロ。
そうした、メロヴィング前期の王家の所領エリアに位置している。
ノワイヨン
ここに、大聖堂がある。
それだけでも見に行ってみようと、散歩に出かけた。

駅から歩いてゆくと、大聖堂が見えてきた。
遠足?課外授業?の小学生たちもいる。
塔を隠すほどの大きな木の向こうに、塔の尖塔がのぞいていた。
2015.10.18

ラグラッスの裏通り

ラグラッスの裏通りというが、ここは、裏通りばかり。
町がこじんまりとしていて、このような路地が、東西南北に走っている。
ぐるぐる回っても、特に印象的な通りがあるわけではなく、このような路地が、迷路のようにしかし、結構整然と存在している。
ラグラッス
町の規模は大きく感じないが、町の規模がどの程度かつかみづらい。
もしかしたら、それは、防御的に、重要なことなのかもしれないとも思われてくる。

ただ、ここは、この中世の面影を残す小さな町が存在しているだけではない。
川の向こうにある、教会が、対を成している。
それは、街中のぶらりが終わってから向かう。
2015.10.17

コルマール Place des 6 Montagnes Noires シ・モンターニュ・ノワール広場

この広場のほかの写真を見ると、広場中央の噴水に銅像が立っている。
が、自分がとったときには、台座のみ。
もちろん、それは、後で知ったこと。
ここは、寄り添うように立つ、かわいらしい家々の写真を撮ろうと思って撮ったもの。
コルマール
このあたりから、また北上して、コルマール中心部へ散歩しつつ戻ってゆく。
2015.10.16

トラム博物館の馬

中に入ると、すぐに切符売り場。
この付近に大勢の人がいた。
いくらなんだろう?と思っているうちに、次々人がやってくる。
さっきまで、どこが入口かわからず、誰もいない外をうろうろしていたのがうそのよう。
プラハ
まず、飛び込んできたのが、馬車。
この馬車が、トラムの前身?
トラムの動力は、馬だった時代もあったということなのろう。
戦に、運搬に、動力に、農耕に、移動に、そして娯楽に・・。
随分近く、これほど人間社会に貢献度の高い動物はなかなかいまい。
人間よりも、随分、大きな動物なんですがねぇ。
2015.10.15

コルヴィル・シュル・メールにて

コルヴィル・シュル・メールという町に、オマハ・ビーチの米兵戦没者の墓地がある。
見たことはないのだが、プライベート・ライアンの冒頭だか、最後だかで、使われているシーンが、ここの墓地なのだそうだ。
コルヴィル・シュル・メール
バイヨンヌから、ここへ向かうバスに乗る。
今回は、途中、ポール・タン・ベッサンに寄ってきた。
この墓地はバスの終点にあたる。

墓地の中へ入り、ズンズンと進んでゆくと、この緑の芝生墓地へ到達する。
日本の墓地と違いジメジメ感もないし、パリの有名墓地のような、うっそうとした感じや、乾いた感じもない。
ただただ、大きな公園施設に入った。
そういう感じなのである。
2015.10.14

サヴォワ邸の中へ

中へ入ると白い壁が特徴的。
スロープと螺旋階段が目に入る。
かたや、ゆっくり登るいわゆるバリアフリー。
かたや、デザインの螺旋。
曲線美と直線美のコントラストが楽しく美しい。
ポワシー
リビングには、大きなガラスで、太陽光が降り注ぐ。
ただ、ここは、広いルーフバルコニーが目の前に広がり、ある種、プライバシーが保たれる空間で、安心で、開放的なのだ。
ポワシー
広く、窓が大きいと、なんだか、アトリエにいるような感じでもあるし、日差しがまぶしいと、目の前のガラスの半分に、僭越ながら、障子戸をつけてみたくなりますね。
光がやわらかくなりそうで。
2015.10.13

Boulevard des Batignolles ブールヴァール大通りから見るサクレクール

個人的には、結構好きなサクレクールの絵の上位に入れたい、この通りからのサクレクール。
この通りは、17区と8区にまたがるが、8区側と17区側はまた雰囲気が違う。
パリの道
パリ17区は、線路に寄って厳然と地区が分かれるが、17区役所のあるこちら側は、いわゆるバティニョール地区。
17区の北東部分になる。
庶民的エリアといえばいいか?
お隣が、モンマルトルの丘になる。
ムーランルージュやピガールといったエリア近接であるから、南西部分の高級な感じとは随分違う。
2015.10.12

Boulevard Voltaire ヴォルテール大通りの紅葉

この時期にパリにやってくると、黄色の葉を写真に取ることが多くなる。
赤はないが、黄色が、パリの秋の色でもあるからだ。
パリの道
たまたま、ヴォルテール大通りからモントルイユ通りに曲がろうとしていたところ、フランス国旗とレンガと紅葉という組み合わせに遭遇。
国旗はなびいていなかったが、一枚。
写真撮ってから気がついたけれど、背後のレンガの建物は、壁面のタイル絵がかわいらしい。
2015.10.11

ドイツのクッキーを買う

ブルターニュの、Palet Breton(パレ・ブルトン)が好きで、良く買うのだが、これが、また、スーパーによって、サクサク感も味も違う。
あれも、サブレの一種なのだろう。
で、違う雰囲気を楽しむときに、買うのが、これ。
もともとは、スーパーじゃない、街中のアラブ系のお店で買ってきていたのだが、売っていれば、スーパーの方が安い。
どっかに出かけるときに、おやつ代わりに買ってゆく。
パリのスーパー
ずーっとオランダのものだと思い込んでいたが、どうやら、ドイツのサブレらしい。
地元のドイツでも、これを売っているのかどうかは知らないのだが、フランスのビスケットあふれる中に、これが堂々馬路っているのだから、自信あるものに違いない。
そして、私も、ちと、嵌っている一人ではある。
2015.10.10

パリ北駅の郊外線

北駅は、サンラザールと違って、郊外線のみ、右奥に別枠で存在している。
H線とK線である。
観光でよく使いそうなのが、H線。
ポントワーズや、オーベル・シュル・オワーズなどに訪れるときに乗る線だ。
パリ北駅
その郊外、イルドフランスの切符売り場が、工事中になっていて、その郊外路線の近所に移設されていた。
パリ北駅
つくりからは、きちんとした出来で、仮説っぽくはないので、ここが正規の売り場になるのだろう。
来年は、大きなサッカーのイベントもあるし、あちらこちらが作り変えられている。
グランリーニュ(長距離列車)の方の大きな出発案内板は、広告スペースなって、すべて、液晶表示に変わってしまった。
そのほうが、メインテナンスも楽だろうしねぇ。
ちと寂しい気もするが。
2015.10.09

パリのスーパー A2pas

パリ20区付近をぶらぶらしていると、どこかでみたAの字体。
オーシャンのAである。
ア・ドゥー・パと呼ぶのであろうか?
Simply Marketというパリ市内に展開しているスーパーがあるが、また別のコンセプト店のようだ。
パリのスーパー
中に入っていないので、様子はわからないのだが、これも、いわゆる、コンビニを目指したものなのであろう。
セブンイレブンや、ファミリーマート同様、カルフールやモノプリ同様、やはり、プライベートブランドという戦略になってくるのだろう。

あたらしいのが、どんどん、増えちゃって、なかなか、そこで、何かを買うってわけには行かないけれど、掘り出し物雑貨などがあるかもしれないしねぇ。
2015.10.08

Mr. et Mme Levin ムッシュー・エ・マダム・ルヴァンのフランナチュール

ノートルダム・ドゥ・ロレット教会の裏側にあるパン屋さんだ。
マルティール通りの坂下にある。
お昼時に訪れると、ミサ後なのだろうか?多くの人が教会からあふれ出てきていた。
パリのパン屋
そうでなくても、歩行者天国で、多くお人でにぎわう坂道。
お昼のパンは、ほとんど売り切れ。

残っていた中から、いつも食べている、フラン・ナチュールを選択。

甘すぎず、固すぎず。
生地部分が程よく香ばしく。
2015.10.07

サンラザール駅のL線とJ線表示

サンラザール駅は、ノルマンディーへの発着場所でもあるが、郊外路線が発達している。
LラインとJラインであるが、その本数が多いためだろう、他の大きな駅より、番線の数が多い。
サンラザール駅
列車が、早い段階で左へ曲がってゆく方が、Lライン。
いわゆる、ラデファンスや、サンクルー、ヴェルサイユといった場所だ。
地図上では、左というのは、南方向へ折れるということだ。
そのため、最初から、左側にホームがあったほうが、列車発車後混乱しにくいからだろう。
サンラザール駅
どちらかといえば、左に曲がらず、まっすぐ進んでゆく、Lライン。
いわゆる、ノルマンディー方面のちょっと手前までという路線だ。
ポワシーや、ポントワーズなどは、こちらからになる。

関東であれば、新宿駅。
列車の進行方向に向かって、左側に小田急があり、右側に京王があるのと、同じ理屈といえる。

郊外戦のホームが多いため、この表示のした付近で待っていれば、乗り込むホームに近いというわけだ。
2015.10.06

パリ、毎年10月第1日曜日のお祭り 凱旋門賞2015

モードの祭典があったり、収穫祭があったり、大きなスポーツイベントがあったり、祭りがあったり、何とかデーがあったりと、毎週、何かしらのイベントが開催中のパリ。
定番のものは、季節と同じ意味を指す。
この凱旋門賞は秋。
パリを改造したナポレオン3世が造った競馬場だ。
凱旋門賞
日本からのファンもいるし、おそらく、在住の日本人の方も多く、ここへ足を運んでいることだろう。
もちろん、このレースが、競馬ではなく、イベントであるからでもある。

この競馬場も、この週末を最後に、改修工事に入る。
来年は、北郊シャンティイにて開催。
古いスタンドでは、最後の開催だ。
凱旋門賞
今年は、日本の馬はいないのだが、あの、日本のオルフェーヴルを破った、トレーヴというフランスのヒロインが主役。
競馬場の雰囲気も、前哨戦も、彼女が勝ち、彼女がここを勝つために、すべての舞台が作られた。
そういった感もある。
凱旋門賞
実際、負けるはずのない馬、そう誰もが思っていた。
勝てば、このレース史上、初めてとなる3連覇の達成。
しかも、女の子であるのにだ。
凱旋門賞
2週間雨の降らないパリ。
競馬場のコースは乾ききって、スピードの出るレースコースに。
あらゆる手を使って、盛り上げる、まるで、トレーヴに勝ってください!という出来レースのような雰囲気の中レースはスタート。
凱旋門賞
ところがだ。
やってきたのは、英国のニューヒーロー、今年のダービー馬ゴールデンホーンだった。
前日、母国開催のラグビーワールドカップでオーストラリアに完敗し、なんと予選敗退。
打ちひしがれてやってきた、英国人に勇気と希望を与える大勝利であった。
2015.10.05

Arnaud Delmontel アルノー・デルモンテルのパン・オ・ショコラとショッソン・オ・ポム

巡礼の丘へ登る巡礼者の坂道、マルティール通りにあるパン屋さん。
パリのパン屋
建物もおしゃれなら、店内もおしゃれ。
しかも、パンもおしゃれである。
パリのパン屋
パンのことそっちのけで、建物周りの写真ばかり撮ってしまう。
そういう建物だ。
パリのパン屋
パン・オ・ショコラは、大きくボリュームがあるが、バターっぽくはなく、パンっぽくはなく、バランスのいい美味しいパンオショコラである。
パリのパン屋
ショッソン・オ・ポムは、ふかふかのおいものようなボリューム感ある形。
あごの部分が高いのだ。
特筆すべきは、裏側は均一にきれいに焼けていること。
美味しいピザは、均一にこげているとかいう話を聞いたことがあるが、ここのショッソン・オ・ポムはまさに、そんな感じ。
パリのパン屋
ほかにも、おいしそうなパンがいっぱい並んでいたので、ぜひ、もう一度別のを買いに行ってみたいね。
2015.10.04

パリのマクドナルドの色

マックといえば、赤に黄色が定番だと思っていた。
そういわれてみれば、パリでは、緑に黄色だ。
これはどうしたことか?
ライバルである、クイックとの差別化か?
クイックは赤そのままシャンゼリゼにも存在しているから、まさか、マックだけは、街にあわせましたってなことはあるまい。
パリのマクドナルド
並木の緑と、メトロのMみたいで、結構街中に埋没している感じがする。

あれ?もしかして、ポテトの袋とかも、緑だったっけ?
パリのマクドナルド
そう思って、トイレがてら、マックに入ると、赤に黄色の袋で出てきました。
パリのマクドナルド
ちなみに、入ったマックはトイレ有料。
場所によるのだろうけれど、食べる飲む気がないのなら、大きな駅で入ったほうが安上がりかも。

それはそうと、マックなどファストフードも、画面注文が主流になってきて、なんだかわずらわしくなってきましたね。
やさしい、お姉さんとお兄さんたちが、結局ボタン押してくれたりするのだけれど・・・。


そうそう、ファストフードであろうと、スーパーであろうと、競馬場のキャンティーンだろうと、札で払うときは、おつり要注意。
日本と違って、気は抜けません。
ずるいやつと、悪いやつはどこにでもいます。
値段わかんなくて、札で出していると思われやすいんですね。
やさしい、冷たいも人による。
Posted at 11:17 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2015.10.03

Boulevard de Clichy クリシー大通りの怪しいお店たち

ピガールといえば、サンドニ通りと並んで、パリの歓楽街。
ピガールと一言で言うが、いわゆる、怪しいお店が林立しているのは、メトロ2号線のピガールとブランシュの間である。
ピガールから東へいけば、いわゆる、サクレクールのお膝元で観光バスと観光客であふれる地域。
また、ブランシュから西へ行けば、ムーランルージュなどがある。
この2駅の間が、最も怪しいゾーンといえる。
パリの道
セックスショップというのが、並んでいるが、その派手さに目を奪われるものの、その上には、アトリエらしき窓がいっぱい。
ここは、モンマルトル。
こうした場所の階上にも、画家の卵達が集うのかもしれない。
そもそも、性と芸は、かなり近しい存在である。
パリの道
夜でなければ、中央の並木道は平穏な時間が流れている。
それでも、ピガール駅付近に近づくと、少々怪しい空気になる。
パリの道
ここと、サンドニ以外にも、大きな駅の近くには、こうしたショップが軒を連ねる場所が多い。
駅まわりにあるというのは、駅がそもそも場末であったからに違いない。

酒、女、音楽、ダンス、性、芸術は、とにかく近い位置関係にある。
欲の飢餓、人の熱が、パワーになっているのかもしれない。
そう考えれば、これらのお店も、芸術村の構成要員なのだと思われる。

ここは夜でも多くの観光客が歩く場所。ムーランルージュもあれば、エロチズム博物館もある。
だが、決して、呼び込みを相手にしないことだ。
間違えば、根こそぎ持ってゆかれる。
2015.10.02

Ronde des pains ロンド・デ・パンのパンオショコラとショッソン・オ・ポム

フォーブール・ドゥ・モンマルトル通りにあるパン屋さん。
ロンド・デ・パンはチェーン店なんですかね。
パンを買うと、小銭を投入する機械に入れてゆく。
おつりが出てくる仕組み。
まるで、バスのようでもある。
パリのパン屋
ショッソン・オ・ポムは、上の蜜部分が香ばしい。
パリのパン屋
パン・オ・ショコラは、バター少な目なのか、パンらしい感じで、オーソドックスである。
近所ですぐ食べられるベンチなどなく、ちょっと歩いてから、見つけたベンチで試食。
パリのスーパー
機会があれば、別の店舗でも食べてみたら、比較になるかもしれない。