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2015.09.30

ナヴィゴのゾーン消滅で、空港からは、ロワシーバスが最安か?アエロフロート航空でパリへゆく4

以前、カルトオランジュ時代に、こんな話を聞いたことがある。

ロワシーバスは、空港で働く人も乗っているから、カルトオランジュが使える。

カルトオランジュでは、空港へいけなくなった時に、そんな話を誰かからか聞いたような記憶がかすかにある。

ならば、ナヴィゴも使えるはずじゃないか!
空港でナヴィゴのゾーン1から5を買い、窓口のお姉さんにきいた。

これで、ロワシーバス乗れます?

すると、一瞬、間があってから、ウィとの返事だった。
バスに乗り込むときも、グリーンランプ点灯で大丈夫だった。
アエロフロート航空
しかも、ナヴィゴが、ゾーン1から5まで買っても、ゾーン1から2と同じ料金。
どうも、今月からそうなったようである。
21ユーロちょっとで買えるのだ。

空港から、パリ市内までRERでも10ユーロ。
ロワシーバスなら、11ユーロ。

ナヴィゴなら、1週間で21ユーロ強。
RERで行って、市内のカルネを買うよりも安い。
しかも、ヴェルサイユへ行こうが、オーヴェル・シュル・オワーズへ行こうが、プロヴァンへ行こうが、ポワシーへ行こうが、モーへ行こうが、フォンテーヌブローへ行こうが、行き放題ということだ。

ロワシーバスなら、ナヴィゴが使える。
ロワシーバス代を考えたら、10ユーロ強で1週間のイルドフランス無敵パスが手に入ることになる。

写真は、エアバス320機内。
3席2列で中央に通路という機体でモスクワパリ間を飛ぶ。
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2015.09.29

パリのスーパーにて、晩飯類をお買い物

今回は、ワインとチーズの贅沢をせず。
トマトソースにワインチーズではなくて、トマトジュースに、ポトフと書かれたブイヨンを放り込んで、トマトスープパスタにしてしまうことに。
毎日同じような食い物でも、そんなに飽きない。
買い物面倒ゆえ、ジャガイモとたまねぎは網で購入。
ただ、これ、小さくて、そちらは面倒。
パリのスーパー
日本から持っていった寒天で、オレンジゼリーを作るのだが、100均で買い忘れた、サランラップをこちらで購入。
非常に使いづらい。
100均より高いのに・・・。

青い缶は飴。
これ、空港でも、駅でも、スーパーでもどこでも売っている。
昔からの定番のようだ
美味しいからいいのだけれど、ふた開けちゃった後、横にすると、ふた取れちゃうのは、何とかならないんですかね?
でも、缶ってところが気に入っている理由の一つではあるんだけれど。

朝は、毎朝毎朝、日本から持っていった粉末ソースにて、おそば。

写真のほかには、既に冷蔵庫にほうりこんだ、ベーコンとヨーグルト。
2015.09.28

Le Petrin Medieval ル・ペトラン・メディエヴァルのパン・オ・ショコラとシェーヴル・エピナール

アンリ・モニエ通りにあるパン屋さん。
名前のメディエヴァル(中世)の通り、シックな古い感じの店内。
いかにも、美味しいパン屋さんですよと店舗が言っている。
注文前からよだれ状態になる。
パリのパン屋
いつもどおりに、パン・オ・ショコラとショッソン・オ・ポムを頼もうと思ったが、なかなか、見つからない。
ディスプレイが、他の店とは違うのだ。
ようやく見つけた、パンオショコラだが、ショッソンは見つからないので、似た形のパイを頼んでみた。
周りに置かれているものから想像するに、甘いパンではなさそう。
名前もわからぬので、指を差して、買う。
シェーヴル・エピナール。
そう、マダムが教えてくれた。

シェーヴルっていうんだから、ヤギのチーズだろう。
エピナールがわからない。
パリのパン屋
まずは、近所のベンチへ移動して、パンの撮影。
ここのパン・オ・ショコラは、バターの味が濃厚。
形も、特徴的で、ちびまるこの花輪くんのようである。
パリのパン屋
さて、シェーヴル・エピナール。
常にかばんに放り込んであるGEMを引く。
こいつは、軽いので、大変重宝する。
もう、カメラバッグが定位置になっている。

Epinard(エピナール)
忘れないように、お店から、ぶつぶつエピナールエピナールといいながら歩いてきたが、はたしてほうれん草であった。

どうやら、これをペーストしたものと、ごろごろと入っているヤギのチーズのパイである。

不思議なものだ。
昔は、カマンベールチーズですら、一口食べるのがやっとだったし、ヤギのチーズなど食べられなかった。
ところが、いまは美味しい。
もっとも、このチーズは、たべたり、見たりすれば、ヤギだとわかるが、ヤギにしては味に癖がない。
あったかいからでもあろう。

縄文時代の石包丁のような形をしている。
これを買ったということは、どうやら、この形が好きらしい。

シェーヴル・エピナール。
相変わらず、フランスという国のものの名前の付け方は、ベタというか、そのままである。
2015.09.27

Rue de Douai ドゥエ通りと Rue d'Amsterdam アムステルダム通りの鉄道模型屋さん日本語看板

鉄道模型屋さんもあった、この通り。
日本食レストランの看板も印象的だったので、写真を。
パリの道
まずは、とうきょうながら、富山というレストラン。
ひらがなは、ある意味装飾なんでしょう。
パリの道
旭日旗のある、その名も、おいしいというレストラン。
同じアジアの人でも、旭日旗にアレルギーのある国とそうでない国があるのでしょう。
おいしいというからには、美味しいに違いない。
実際、日本人でないお店であっても、そこそこ美味しいところも多いらしい。
日本人の日本食レストランがラーメンだったりするのだから、逆転現象ともいえますね。
パリの道
最後は、アムステルダム通りから。
これは、なにが食べられるのか?
うま!旨!なのか?maだけに、馬なのか?馬さん経営なのか?
すし屋さんではありそうです。

日本にも、不思議な、フランス語やその他外国語のマンション名だったり、店名だったりありますから、お互い様。
それにしても、パリの日本食レストラン、パン屋さんやカフェよりもたくさんありそう。
それだけ、ネタも多い。
2015.09.26

Rue de Douai ドゥエ通りと Rue d'Amsterdam アムステルダム通りの鉄道模型屋さん

何々屋街というのは、パリに多い。
本日歩いていたこの通りの続きになる、ヴィクトール・マッセ通りは、楽器屋さんが多い。
しかも、ギターやドラムといった、いわゆるロックなお店たちである。
パリの道
このドゥエ通り、鉄道模型屋通りというわけではないが、その通りの一角が、鉄道模型屋だらけだったので、記憶しておくのではなく、記録しておこうと、写真を撮ってみた。
自身は、子供の頃、プラレールで遊んだぐらいで、模型を持ったことなどないのだが・・・。
それでも、鉄道の旅は大好きだ。
お金があるのなら、数両、棚に飾っておきたい気もする。
パリの道
通り挟んで、ほぼ向かい合わせに、全部で4軒の鉄道模型屋さんがある。
パリの道
さらに、歩いて、アムステルダム通りまでくると、あの、プルマンの名を冠した、プルマンの客車風のデザインの鉄道模型屋さんが登場。
通りは違うが、界隈は似ている。
共に9区で、サンラザール駅の裏側といえる地域。

ということは、リヨン駅や、北駅、東駅、モンパルナス駅などの近くにも、そういった店が多いのかもしれない。
なにしろ、日本のオタク文化がすんなり入る国だから、こうした、コレクトする、凝る文化は、お手のものか?
何々屋街、何々屋エリア等々、街の成り立ちにも影響あるのかもしれない。
2015.09.25

Cyprien シプリアンのパン・オ・ショコラとショッソン・オ・ポム

パリ9区は坂の町。
ここは、メトロ12号線のサンジョルジュ駅とピガール駅の近く。
縦横無尽、斜めに走る坂道の三角州にあるお店である。
曇りの日に歩いていると、方向感覚を失ってしまう。
パリのパン屋
パン・オ・ショコラは、何層にもぎっしりで、重量感ある食べ応え。
パリのパン屋
ショッソン・オ・ポムは、光り輝く蜜の部分と、中は、バターの香ばしいパイである。
パリのパン屋
いずれも、オーソドックスな感じに、巻き巻き感やバター感のインパクトが加わった感じである。
2015.09.24

パリ到着10歩でスリに! アエロフロートでパリへ行く3

アエロフロート航空の旅は順調で快適であった。
写真は、モスクワからパリへのエアバスA320に乗り込んだ直後に撮ったもの。
下は、その窓の外シェレメチェボ国際空港。

その話とは、直接関係ない。
パリ到着後にスリ寸劇を演じることになった。

アエロフロートでシャルル・ド・ゴールに到着するのは夜。
定宿はパリの西ポワシーにしているが、チェックインタイムに間に合わぬ。
それゆえ、今回は、パリの空港近くに泊まることになった。

翌日、ロワシーバスにて、パリへ向かった。
バスは、ペリフェリック(パリ環状高速)への合流渋滞を避け、一旦下道へ降りる。
パリ市内に入ってから18区でペリフェリックへ乗り、17区で高速を降りてオペラ座へ向かった。
アエロフロート
降りて、乗ってきたバスの脇を通り過ぎ、RERのAuber駅へ向かって歩き出した時だ。
目の前から3人組の女の子がやってきて、囲まれた。

「キャンニュースピークイングリッシュ?」

北駅やエッフェル塔など、観光客のいるところでは、よくある光景だ。

首を振って、通り過ぎようとした。
普段は、これで通り過ぎてゆく。

ところがだ。
そのまま行かせてはくれず、さえぎるように、持っていたボードを胸に突き出して、こちらの行く手を力ずくで押さえ込もうとする。

「キャンニュースピークイングリッシュ?」

再び首を振って通り過ぎようとすると、なんだよ!と言わぬばかりに、通りすがりに背を軽く突き飛ばされ、立ち去った。
そこから、数歩歩くと、胸ポケットに入れていた、ナヴィゴ(パリの定期券)の袋がない。

すぐに、RERに乗るため、ナヴィゴを確認しようとしたから、気がついた。
別のところに入れた?そんなはずはない。
そう思って振り返ると、女の子達がこちらを見ている。

そのうちの一人が、いきなり走ってきた。
「エクスキュゼ・モワ」
そういって、手渡したのが、ナヴィゴの入った、白い布の袋であった。
アエロフロート
バス降りてから、わずか1分経ったかどうか?
展開が速すぎて、こちらの脳はついてゆかぬ。

軽く突き飛ばされて、振り向いたときだったか?
2度目に囲まれたときに、後ろの死角にいた子だったか?
すられたことは、こちらは、全く気がついていなかった。

すぐに、RERに乗る予定がなかったら、そのまま、行ってしまっただろう。

すられた場合、現行犯でなければ、捕まることはない。
警察に言ったところで、時間の無駄になる。

すぐに気がついて振り返ったから、あわてて走ってきたのか?
盗った物が、使い道のないナヴィゴと気がついて持ってきたのか?
なんらかの、街頭署名か調査に協力しないことに、腹立って獲ったものの、悪いと感じて、それはいけないと思って、別の子が返しにきたか?

ないときがついた時、わずか10歩ほど後方で、彼女ら3人が、こちらをじっと見ていたのが印象的だった。
スリとは、そういうものだろうか?
また、別の人を、探していたのか?


あそこまで、執拗に囲まれたことも、軽くでも突き飛ばされたことも、初めてだ。
以前に比べて、こうしたことが、増えているような気がする。
ロワシーバス降りた直後の、パリ到着!感にご用心。
2015.09.23

サヴォワ邸外観

とりあえず到着したら、外観をグルグル周って撮る。
広角で。
ポワシー
望遠で。
ポワシー
遠近で。
ポワシー
一通り、ぐるっと周ったら、中へ入る。
入ったと思ったら、すぐ出てくる人もいるが、せっかくここまで来たのだから、中へ入ってゆく。
いくら?だったか覚えていないのだが、結構いい値段するなぁなんて、思った記憶がうっすらある。
2015.09.22

ノートルダム寺院からパンテオンを望む

セーヌを挟んで、ノートルダム寺院の向かいに丘がある。
サント・ジュヌヴィエーヴの丘である。
たっているのは、パンテオン。
サント・ジュヌヴィエーヴ教会が昔はたっていたのだろうし、そこに、クロヴィスが眠っていたのだろう。
ノートルダム寺院
その、聖なる丘すら、見下ろす高さに、この大聖堂の塔は届いていることになる。
まさに、天へ登る階段の上だ。
聖母に見守られて、聖ジュヌヴィエーヴに見守られて、クロヴィスは眠りについていたということになる。

丘の坂道に並ぶ建物が、階段状に見える。
パンテオンへ向かう、カルム通りからヴァレット通りと続くまっすぐな坂道も見てとれる。
2015.09.21

クールブヴォワの道Ramp Coupole Jean Millierランプ・クーポール・ジャン・ミリエ

いろんな通りの種類があるが、ここは、はじめて見た単語だったので、一枚。
とはいっても、これは、日本語でも使うランプ。
下から、上に上がるような道に使われているらしい。
クールブヴォワ
高速へつながる坂とかが、それなのだそう。
よく、日本でも聞くなとは思っていたものの、改めて意味って何かと思うと、高速道路の出口付近で聞く単語といった程度の認識だった。
ランプの道標は、ここ以外で見たのが初めてだったので、記録に。
2015.09.20

ラグラッスの古い扉

この町は、ぶらぶら歩くのが目的だ。
歩いて、気に入った写真を撮る。
ラグラッス
扉の写真も多く撮っているのだが、なかでも、ここは相当に古い。
今まで見てきた扉は、こうしたものに、色を塗りなおしているのかもしれない。
ここは、ただただ、塗っていないだけなのかもしれない。

扉だけを撮ろうと思ったので、この建物が何だか分からない。
建物もいかにも古く、教会の脇の入り口のような雰囲気だ。
こういう扉は、錆びた鍵、棒状で先端に四角い突起のついた鍵が似合いそう。
それを、錆びた鍵穴に突っ込み、丁度いい具合の場所でぐるりとまわして開ける。
軋みと共にゆっくり扉が開くのである。
2015.09.19

プティットアルザス水景2つ

再び、プティットアルザスを歩く。
水辺に映る建物を撮ったのだが、どうもスカスカになって気に食わない。
それで、縦で撮ってみた。
コルマール
曇天雨天であるから、しかたないと立ち去ろうとして、数歩動いたところの景色が気に入ってもう一枚。
コルマール
水に映る写真は、取れなかったけれど、こちらの方が、個人的にはよっぽど好きだ。
2015.09.18

プラハ トラム博物館の入口へ

トラムの倉庫だったのだろう。
時計は、ある意味、鉄道における重要な機械の一つ。
倉庫の入口に人が立っているが、あれが入口のようではない。
倉庫は、車庫だというのは、線路の続き具合でわかる。
プラハ
ようやくにして、博物館という表示を発見。
おそらく、チェコ語なのだろうが、英語もフランス語もチェコ語も、この単語はつづりが似ている。
この単語とともに、博物館という展示する文化も入ってきたのだろう。
プラハ
似ているといえば、オレンジ色に塗られた車体に書かれた文字。
Merciとフランス語で書かれているのか?と思いきや、つづりは違う。
乗客のお礼を申し上げているのかといえば、そうではないらしい。
プラハ
鉄道オタクではないが、乗り物ってのは、男心をくすぐるんですかね?
飛行機も、車も、船も、鉄道も、撮りたくなる。
博物館の入口にいたるまで、目に入るものすべて撮っておきたくなる。
撮っておかねば・・・という脅迫観念に近い。
2015.09.17

ポール・タン・ベッサンの緑の丘

ポール・タン・ベッサンの丘から、港の対岸の丘を撮る。
緑の短い草に覆われた丘が、とてもきれいに見える。
背景がグリーンの丘であると、町そのものの雰囲気も、とてもよろしくなるから不思議だ。
ポール・タン・ベッサン
緑といっても、黄味がかった色から、淡い黄緑、深緑といろいろある。
面の凹凸と、光の加減による陰影が、様々な緑を見せてくれる。
たしかに、シニャックが描いたように、点描の緑の絵を描いてみたくなる。
水辺の風紋なのか?波なのか?も、点描のように、色の濃淡を見せる。

でも、どうやら、向こう側から描いている絵が多いようだから、向こうから見た、こちらの緑の丘の方が、もっと景色がいいのかもしれない。
向こうへは、登ってみなかったことが、あとになってジワジワと残念感がやってくる。
2015.09.16

ポワシーの緑の道からサヴォワ邸到着

ポワシーの駅付近から、前回書いた僧院の脇通りを登って、この大通りにやってきた。
ここで、迷って、地元の人に入口を教えてもらったのだが、この写真の時点では、迷うと夢にも思っていない。
紅葉し始めたポワシー住宅街並木道。
サヴォワ邸
ここの脇から、フェンスの合間を抜け、林を抜けると、いきなり現れる白亜の住宅。
サヴォワ邸
見えたところで無条件に一枚撮ります。
既に、迷うことなく到達したであろう観光客の皆さんが、撮影中。
日本人率、アジア人率が非常に高いのがびっくり。

歩いてくる途中には、誰とも会わなかったのに、迷っている隙に、こんなに多くの人が訪れているとは・・・。

人を写さず、建物だけの写真を撮ろうと思ってみても、簡単にチャンスは訪れません。
その機会は、一瞬にしてやってきて、去ってゆきます。
2015.09.15

Rue Georges Lardennois ジョルジュ・ランドノワ通りの景色

ここはベルジェールの丘の上。
パリ19区。
ビュットショーモンの西に、出城のようにもう一つの丘がある。

この通りの突先には、サクレクールのヴューポイントがある。
そんな記事は書いたが、この通りも、なかなか、雰囲気がいいのである。
パリの道
とがった先の鉄格子。
緑のゴミ箱。
単色に全面塗られたガレージの扉。
前に停めるなよのマーク。

フランスらしいというか、欧州らしいというか、パリらしいというか。
パリらしさは、ゴミ箱の色からということ。
2015.09.14

バティニョール墓地にて

17区の北東部分。
ポルト・ドゥ・クリシー駅から程近くに、墓地がある。
街とは反対方向へ歩いてゆく感じだ。
バティニョール墓地
のどかな水戸をまっすぐ行くと、公園の入口がある。
結構立派な入口だ。
ここが、バティニョール墓地なのだ。
バティニョール墓地
目的は、ここに、ヴェルレーヌが眠っていると知ったからであるが、ヴェルレーヌに詳しいわけではない。
彼とは、太陽と月にそむいてという映画1点のみのつながりだ。
バティニョール墓地
ランボーとヴェルレーヌの映画であるが、映画を見たからといって、彼らの詩を読もうと思ったこともないのだが、ここに、ヴェルレーヌ眠ると知ったときから、いずれ、訪れてみようと思っていたのだ。
所詮は、有名人墓地探しのミーハーでしかないのだが。

こうしたときは探すのが大変なのだが、まっすぐ入っていって、一番最初の円形広場の左前方に、彼は眠っていた。
ベンチに座って、ヴェルレーヌを背にして、一つ、彼の詩でも読んでみたら、それはそれで、いい午後を過ごせたかもしれない。
2015.09.13

フランスの最も美しい村 Lagrasse ラグラッスへ

カルカッソンヌでレンタカーを借りて、ラグラッスへやってきた。
通常は、公共交通機関を使って、周ることにしているのだが、今回は時間の都合でそういうことになった。
カルカッソンヌから、ラグラッス村と、ミネルヴ村の二つを一挙に周ってこようという計画になったからだ。
ラグラッス
ほとんどペーパードライバーに近い状態ではあるが、若いときには、毎日運転していたこともあって、年に数度の運転でも、田舎道は大丈夫の様である。
車両感覚をつかむことが難しくなってくる。
そうなると、もっとも苦労するのが、車庫入れ。
だが、田舎ではそうではない。
ぎっしり詰まった駐車場に車を入れるなどという心配がないからだ。
空き地にざっくり停める。
そんな感じなのである。
2015.09.12

コルマール Quai de la Poissonnerie ポワッソンヌリー河岸通り

マルシェ・クーヴェールから歩いてきた、プティットヴニーズの通り名が、ポワッソンヌリー通り。
かつて、ここに、魚屋さんなどがならんでいたのだろうか?
だとしたら、さぞかし、かわいらしい魚屋だらけであったことだろう。
もっとも、これだけかわいらしい家々になる前に、往時、魚やがあって、このあたりで水揚げしていたのかもしれない。
コルマール
この通り、ずっと歩いてきて、ふと、振り返って撮った。
通りも、反対側から歩くと、まるで雰囲気が違って感じられることもある。
旅先では、一度行ったところになかなか二度行かぬ。
二度行かぬから、逆方向の風景は見ないままということもある。

それは、それで残念なこともあるかもしれないが、人間の目玉は、顔の前面にしかない。
いやはや、350度確認できる馬のような動物もいるわけだけれど、人間というのは、そもそもポジティヴな動物なのかもしれない。
前だけ向いて満足してゆくのである。

だとすれば、世の中のいろいろ大変なことも、時間と共に、解決して行くのであろう。
歴史とは、前向きの遺産なのだ。
そう思えば、人生、軽く楽しいものになる。
2015.09.11

東ボヘミアのパルドゥビツェへ

チェコもいくつかの地方に分かれる。
ボヘミアとモラヴィア、シレジアとあるのだそうだが、その一番西、ボヘミアの東側にある。
一番西の東側というややこしさであるが、チェコ全体から見たら、真ん中付近である。
ボヘミアは、当然中心はプラハ。
そこから東へ向かう。
パルドゥビツェ
1時間ほどだったか?
特急列車にのって、しばらくすると、パルドゥビツェの駅に着いた。
多くの人が降りる。
今日は、ここで、ヨーロッパで1,2を争う有名な、大障害レースが行われるのだ。
2015.09.10

ポール・タン・ベッサンの港 遠景 近景

丘の上から狙った、港の船たち。
赤と緑の柱が、いかにも、入港、出港といった境目を演出している。
ポール・タン・ベッサン
港に降りて、海を撮る。
ポール・タン・ベッサン
そういえば、中学校のときに、港町の学校とバレーボールの試合をしたが、そのときの掛け声が印象てきだった。
独特な荒っぽさがある。
海の男の町なのだ。
そんなことを、その発声に感じたものだった。

フランスの港町でも、カフェなどに入ると、物事にそんなに拘泥しないおばちゃん、おじちゃんにあふれているような空気を感じることもある。
しんの弱いこちらにしてみたら、そのたたずまいだけで、なんとなく気圧される、圧倒される気持ちになったりするのだ。
2015.09.09

Enclos de L'Abbaye ポワシーの道 アンクロ ドゥ ラベイ

enclosというのは、道の一種らしい。
意味ははっきりわからないが、壁などで閉ざされたエリアらしいのだが、垣根道といえばいいのだろうか?
外周通りといえばいいのだろうか?
ポワシー
この道は、名前からするに、アベイ(僧院)の周りを走る通りなのだろう。
ここが坂道になっていて、ズンズン登ってゆくと、そこに、サヴォワ邸があるという道。
近道になっているのだろう。
ポワシー
上りきった。
大通りに出た。
サヴォワ邸は見つからぬ。
バス停等の名前をみると、この付近に違いない。

結局、通りすがりの地元の人に、入口の目の前まで連れて行ってもらう羽目に。

難しいのか?
といわれれば、まったく難しくない。

ここを登って、右側に、森のようなところを入ってゆく場所がある。

単に通りすごしたのだ。
登って、大通りに出たら、右にあるだけだ。すぐだ。曲がることすらない。
2015.09.08

ノートルダム寺院から望むモンパルナスタワー

一番最初に探してしまうのが、エッフェル塔。
高いところに登ると、まずは、高いものを探す。
そのエッフェル塔の右奥には、高層ビル群が見える。
ラ・デファンスだ。
だが、パリ市内に、もっと、歴史的?高層ビルが立っている。
ノートルダム寺院
モンパルナスタワーへ登ったのは、始めてパリに来たときだったと思うから、もう、何十年も前のことになる。
1回登っちゃうと、登るためにかかるお金のこともあって、脚はなかなかむかない。
いやいや、そもそも、ノートルダム寺院に登るのだって、これが初めてだったのだ。

ガーゴイルの頭の先にある、モンパルナスタワーの次にでかいビルは、ホテル・プルマンでしたっけ?
あれも、もう、完全にモンパルナスの顔の一つになってますなぁ。
2015.09.07

明るい郊外路線

競馬のブログで使った写真の使いまわし。
この写真は、北駅から北郊アンガンへ向かう時に乗った列車の社内。
随分前からあるけれど、北駅からポントワーズの車両もこれになったので、アンガン競馬場へ行くときに乗ることができた。
SNCF
それでも、パリから北側へ向かって走る、北駅発の列車だけなのだろうと思っていたのだが、先日、サンラザール駅から西へ走る路線で、この列車に乗ることになった。
この西側の路線は、やたらと工事中で、このときは、ポワシーからバスでサルトルーヴィル、サルトルーヴィルからナンテールユニヴェルシテまでSNCFで移動し、そこから、RER-A線に乗り換えるというなんとも面倒な移動を強いられていたのだ。
そのとき、サルトルーヴィル駅へ入ってきた列車がこれだった。
SNCF
サルトルーヴィルは何度も通っているが、この列車は見たことがなかったのだが、この路線の古い車両も、これに入れ替わって行くのかもしれない。
なんとも、かわいらしいカラフルなデザインだが、その方が、落書きやその他のいたずらが減るのかもしれない。
そんなことを思うような列車である。
2015.09.06

アレ・レ・バンの今も残る壁

ベルリンの壁が崩壊した。
そのドイツへ向けて、多くの難民が移動している。
そんなニュースが流れている。
アレ・レ・バン
ハンガリーから、オーストリア、そして、バイエルンへと流れてゆくのだろう。
いまは、東西欧州や国境に、見えざる壁はあったとしても、そんなに高くはないであろうから、なんとか越えてはいける。
アレ・レ・バン
たしかに、移動できる時代になったのかもしれないが、人々の間にできる壁は、そう簡単に低くならぬ。
人は石垣、人は城というけれど、それは、そもそも自分達の所属する側にいる人たちの論理。
大きな見える壁は崩壊したけれど、それは、見えざる小さな壁となって、無数に人々の間に介在するようになった・・・のかもしれない。
結局人とは、時に協力し、時に反目し、見えざる壁と見える壁を行きかうだけの存在なのかもしれない。

だとしたら、見える壁の方が、対処しやすい。
心の壁を突き崩すことは、至難の業だ。

朽ちた、それでも残っている壁は、われわれDNAの所作の歴史を語っているのかもしれない。
壁は必ずしも悪いものではない。
秩序の一形態でもあるのだ。

市中の中学校の部活動同様、厳しい先輩に育てられた後輩は優しい先輩となり、優しい先輩に育てられた後輩は、厳しい先輩になるだけなのかも知れぬ。
たとえそうであったとしても、多くの人が何らかの幸せをつかむことを期待したい。
2015.09.05

コルマール カフェにて

一旦歩き始めたプティットヴニーズの雨がひとしきり強くなる。
再び、マルシェ・クーヴェールに戻って雨宿り。
コルマール
一隅のカフェに陣取って、地図などを眺めていると、赤い看板が主張している。
まるで、雑貨屋さんにありそうな、そのビールのロゴの看板はかわいらしい。
ああ、アルザスはビールの国なのだと思い起こさせる。
コルマール
そういえば、このビール飲まなかったなぁと、後で思い出す。
きっと、いつかそのときに。
ビールは飲まず、ここはコーヒーで。
2015.09.04

Letenská レテンスカー通りを行き交うトラム

プラハ城下を歩いていた。
雨がぽつぽつ降ってくる。
ぶらりと歩いて、宿へ帰ろう。
そう思ったから、濡れぬように、カメラはしまっておいた。
プラハ
と、そこへ、古めかしいトラムがやってくる。
91番に違いない。
あわてて、カメラを取り出し、シャッターを押す。
去っていってしまうトラム。
とりあえず、何とか、画面の中には入った。
プラハ
しばらく行くと、壁のある曲がる坂道へ到着。
以前見た映画の記憶。
”コーリャ愛のプラハ”だったか?
題名も思い出せないのだが、颯爽と坂道の曲がり角を下ってゆくトラムのシーンが頭について離れない。
そのイメージがプラハに行ってみたいきっかけでもあった。

そんな雰囲気の坂道があった。
目の前を通るトラムの写真をまともに撮ることさえできない。

夕暮れ、目の前を走り去るトラム。
車と重ならぬよう、きれいに撮るのは難しい。
なんとか、一枚、入ったが、これが精一杯。

いずれ、自分のイメージする写真が撮れることを願いつつ、この日は、疲れた体を引きずって退散。
2015.09.03

ポール・タン・ベッサンの丘のさらに上へ

ポール・タン・ベッサンの丘の上へさらに登ってゆく。
ここは、ランドネ(ハイキング)する人たちも通ってゆく道。
ここを海沿いに歩いてゆけば、ドイツ軍の砲台跡が有名な、ロング・シュル・メール。
さらに行けば、アロマンシュへ出る。
ざっと、アロマンシュまで10キロ。ロング・シュル・メールまでは、その半分。
ポール・タン・ベッサン
ここまで上がってくると、港湾と町が一望の下。
ヴォーバンの塔も、かわいらしく、町に溶け込んでいる。
海の色も、明るい青に変わってゆく。
2015.09.02

サヴォワ邸へ

最近は、ポワシーがパリ訪問時の定宿になっている。
安いということ。
サンラザールからなら、20分しないうちに到着できること。
SNCFもRER-A線が利用できること。
RERが始発であること。
郊外とはいっても治安はいい。
これだけのメリットがある。
ポワシー
ところがだ。
何度も書いて来たように、RERやSNCFが工事で走っていない。
列車遅延も結構多い。
工事で運休のときは、バスで途中まで行かねばならない。
そうした結構しんどいデメリットもある。

そのポワシーは、観光で訪れるのなら、ほとんどの方が行かれるのが、コルビジェ設計のサヴォワ邸。
丘の上にある。
この町に泊まっているのだから、行ってこよう!と出かけてみた。

駅から賛嘆距離を通って行こうとすると、結構な細道も通る。
その道すがら、サヴォワ邸への道標が、道路上に示してあった。

消える危険はあるけれど、これなら、そんなにお金かからず案内を設置できる。
2015.09.01

Rue de Ruisseau リュイソー通りの少女

モンマルトルの裏にある、ゆるい坂道。
丘に向かって伸びているが、急になる斜面沿いの建物が、壁のようになって見えている。
パリの道
この道と壁の雰囲気が面白くて、何枚も写真を撮っていたら、誰かの視線を感じることに気づく。
通りの右上から、少女が覗いていた。
パリの道
この手のだまし絵は本当に多いが、窓とか扉といった題材は、人に、何かを期待させるものなのかもしれない。
そこに、ドラえもんがいなくてもだ。
通りの向こうに見える、”壁”も同じく。
人工的に区切られた、その先にあるものを勝手に想像することができるのだ。