2015.08.31
オルセー美術館のガラス大時計
2015.08.30
アレ・レ・バンから再びバスでカルカッソンヌへ
列車が来るはずの時間は近づいている。
もう、数分前だ。誰も乗る様子もないし、本来通り過ぎるはずの、逆方向行きの列車も、結局こなかった。
その列車が来ていないのだから、帰りの列車はない。
カルカッソンヌから帰ってくるはずだった娘さんを待つお母さんも、いまはもういない。

もしかして、バス?
そんな気持ちになった。
バスに変更になったのなら、バス停に停まっているかもしれない。
無人駅らしきここでは、そんな、アナウンスを期待することは無理だ。

バス停に行っても、バスはいなかったが、バスと電車の両にらみ。
駅は、幹線道路の横だから、駅の正面で、どちらがきてもダッシュが効くよう、駅前と通りの間を行ったりきたり。

果たして、バスがやってきた。
行きに乗ったバスと同じカラーだった。
なんと、運転手さんが行きのバスと一緒。
顔を見たとたんに思い出したけれど、覚えているもんですね。
運転手さんも覚えていたよう。
「駅に誰かいなかったかい?」
乗り込むなり、そう聞かれた。
「だれもいません。」
ときっぱり。
やはり、列車は運休。
バスになっていたのだ。
そんな、説明はない。
上の質問で、運休の事実を把握できる。
一路カルカッソンヌへ。
もちろん、気がついたときは、カルカッソンヌ駅裏にバスは到着していた。
ちなみに、バスの写真は、カルカッソンヌに到着してから。
もう、数分前だ。誰も乗る様子もないし、本来通り過ぎるはずの、逆方向行きの列車も、結局こなかった。
その列車が来ていないのだから、帰りの列車はない。
カルカッソンヌから帰ってくるはずだった娘さんを待つお母さんも、いまはもういない。

もしかして、バス?
そんな気持ちになった。
バスに変更になったのなら、バス停に停まっているかもしれない。
無人駅らしきここでは、そんな、アナウンスを期待することは無理だ。

バス停に行っても、バスはいなかったが、バスと電車の両にらみ。
駅は、幹線道路の横だから、駅の正面で、どちらがきてもダッシュが効くよう、駅前と通りの間を行ったりきたり。

果たして、バスがやってきた。
行きに乗ったバスと同じカラーだった。
なんと、運転手さんが行きのバスと一緒。
顔を見たとたんに思い出したけれど、覚えているもんですね。
運転手さんも覚えていたよう。
「駅に誰かいなかったかい?」
乗り込むなり、そう聞かれた。
「だれもいません。」
ときっぱり。
やはり、列車は運休。
バスになっていたのだ。
そんな、説明はない。
上の質問で、運休の事実を把握できる。
一路カルカッソンヌへ。
もちろん、気がついたときは、カルカッソンヌ駅裏にバスは到着していた。
ちなみに、バスの写真は、カルカッソンヌに到着してから。
2015.08.29
コルマール 逆さプティットヴニーズ
2015.08.28
トラム博物館の生きているトラム
2015.08.27
ポール・タン・ベッサンのモニュメント
2015.08.26
ランブイエ 望遠レンズの先
こんどは、望遠で寄ってみた。
望遠やら、広角というのを持ってしまうと、とかくレンズに頼りたがる。
まず、同じ場所からレンズを変えて撮ってみたりする。
動かずに、レンズだけ変えるものぐさである。

標準レンズというのを使って撮ることはあまりない。
いい画が撮れないのだ。
だからレンズに頼る。
どんどん、ものぐさになってゆく。
努力せず、なにかを得ようとするのである。

いつものように、画面一杯に、いろんな色を入れ、満杯にする画。
お城であるのか、なんであるのか?わからなくなる。
人々が出口から出てくる。
以前来たときには、城内ガイドツアーに参加した記憶がある。
最後に、皆チップを渡していたが、小銭があったかどうか?なんて、思った記憶が、出口の映像と一緒に記憶に残っている。
それを思い出した。
いまは、オーディオガイド全盛?期。
ガイドツアーだったところが、オーディオレンタルに替わってきている。
各国語紙ガイドのところもある。
このお城はどうなったのであろうか?
ガイドの方が、人情味はあるような気もするんだけどねぇ。
もっとも、自身は言葉が不自由だから、中身理解したいのなら、選択肢などないのだが・・。
望遠やら、広角というのを持ってしまうと、とかくレンズに頼りたがる。
まず、同じ場所からレンズを変えて撮ってみたりする。
動かずに、レンズだけ変えるものぐさである。

標準レンズというのを使って撮ることはあまりない。
いい画が撮れないのだ。
だからレンズに頼る。
どんどん、ものぐさになってゆく。
努力せず、なにかを得ようとするのである。

いつものように、画面一杯に、いろんな色を入れ、満杯にする画。
お城であるのか、なんであるのか?わからなくなる。
人々が出口から出てくる。
以前来たときには、城内ガイドツアーに参加した記憶がある。
最後に、皆チップを渡していたが、小銭があったかどうか?なんて、思った記憶が、出口の映像と一緒に記憶に残っている。
それを思い出した。
いまは、オーディオガイド全盛?期。
ガイドツアーだったところが、オーディオレンタルに替わってきている。
各国語紙ガイドのところもある。
このお城はどうなったのであろうか?
ガイドの方が、人情味はあるような気もするんだけどねぇ。
もっとも、自身は言葉が不自由だから、中身理解したいのなら、選択肢などないのだが・・。
2015.08.25
ノートルダム寺院からサントシャペル、ルーヴル美術館を眺める
2015.08.24
シャルルドゴール空港のポールにて
2015.08.23
アレ・レ・バンの駅にて
行きは、リムーの町から、バスでやってきた。
帰りは、電車で帰ろうというのが、目的の一つになっていた。
バスと似たようなところを走ろうとも、列車のガタコト走る車窓は、また違うものであるからだ。

お店もやっておらず、時間をもてあましたので、古びた駅のホームの石垣に腰掛けて、大して読んでもいなかったガイドブックを一通り読むことにした。

田舎町の一本線路であるから、電車がやってくるのを逃すことはない。
時間は、だいたい調べておいたが、余裕もあるはずだから、何も考えずにただ待っていた。
しばらくすると、一人の女性がやってきた。
うろついたり、駅の反対側へいったり。
そういえば、もう、列車がやってくる時間だったかな?もうちょっと先だったきもするのだが・・・。

その女性が話しかけてきた。
どうやら、娘さんと、駅で待ち合わせしているらしい。
カルカッソンヌから、帰ってくるのだそうだ。
迎えに来たのだろう。
ただ、列車が遅れているみたいで、いつもなら、とうにやってきている列車が来ないのよ!と。
おそらく、その列車が終点まで行って、戻ってくる列車に自分が乗るはずなのだ。
カルカッソンヌから到着していないということは、自分の乗る電車も来ないということになりそうだ。
電車は、その先2時間ぐらいなかった気がするが、腹を据え、とリあえず待つことに。
帰りは、電車で帰ろうというのが、目的の一つになっていた。
バスと似たようなところを走ろうとも、列車のガタコト走る車窓は、また違うものであるからだ。

お店もやっておらず、時間をもてあましたので、古びた駅のホームの石垣に腰掛けて、大して読んでもいなかったガイドブックを一通り読むことにした。

田舎町の一本線路であるから、電車がやってくるのを逃すことはない。
時間は、だいたい調べておいたが、余裕もあるはずだから、何も考えずにただ待っていた。
しばらくすると、一人の女性がやってきた。
うろついたり、駅の反対側へいったり。
そういえば、もう、列車がやってくる時間だったかな?もうちょっと先だったきもするのだが・・・。

その女性が話しかけてきた。
どうやら、娘さんと、駅で待ち合わせしているらしい。
カルカッソンヌから、帰ってくるのだそうだ。
迎えに来たのだろう。
ただ、列車が遅れているみたいで、いつもなら、とうにやってきている列車が来ないのよ!と。
おそらく、その列車が終点まで行って、戻ってくる列車に自分が乗るはずなのだ。
カルカッソンヌから到着していないということは、自分の乗る電車も来ないということになりそうだ。
電車は、その先2時間ぐらいなかった気がするが、腹を据え、とリあえず待つことに。
2015.08.22
コルマール プティットヴニーズの景色
2015.08.21
カレル橋越しのプラハ城夜景
2015.08.20
ポール・タン・ベッサン 丘の上へ
2015.08.19
ランブイエ 日本の広角レンズにて
お城の写真をどう撮るか?
広角レンズでいくつか撮ってみた。
その中の2つの構図。

一つ目は、池の脇に腰掛けて。

もう一つは、花壇の脇にしゃがんでみて。
同じように、写真を撮る、日本の人じゃない人たちも結構います。
その胸にぶら下がる、その手につかまれているカメラメーカーが、日本のものだと、誇らしい気持ちになりますね。
個人的には、キャノンが目立つように思います。ついで、ニコン。
日本の方は、いろんなメーカーのもの持っているように思いますが、海外での知名度は、そういうものなのかもしれません。
さて、その日本製のカメラを日本人が持って、撮影してますよ!的な感覚に陥って撮っている。
広角みたいなレンズを覗き込んで、しゃがんで撮っていると、カメラの伝道師になったような気分になる。
カメラメーカーに勤めているわけでもなく、写真の腕もあるわけでもなく、ただ、日本人とカメラの組み合わせというだけで・・・。
広角レンズでいくつか撮ってみた。
その中の2つの構図。

一つ目は、池の脇に腰掛けて。

もう一つは、花壇の脇にしゃがんでみて。
同じように、写真を撮る、日本の人じゃない人たちも結構います。
その胸にぶら下がる、その手につかまれているカメラメーカーが、日本のものだと、誇らしい気持ちになりますね。
個人的には、キャノンが目立つように思います。ついで、ニコン。
日本の方は、いろんなメーカーのもの持っているように思いますが、海外での知名度は、そういうものなのかもしれません。
さて、その日本製のカメラを日本人が持って、撮影してますよ!的な感覚に陥って撮っている。
広角みたいなレンズを覗き込んで、しゃがんで撮っていると、カメラの伝道師になったような気分になる。
カメラメーカーに勤めているわけでもなく、写真の腕もあるわけでもなく、ただ、日本人とカメラの組み合わせというだけで・・・。
2015.08.18
Route de la Pyramide ルート・ドゥ・ラ・ピラミッド ヴァンセンヌ城への道
ヴァンセンヌの森の中の道である。
花の公園・パルク・フローラルや、ヴァンセンヌ競馬場を結ぶ道路である。
バス通りでもあるから、交通量は多い。

ヴァンセンヌ競馬の帰りに、元気なときは、シャトー・ドゥ・ヴァンセンヌの駅まで歩いて帰ってくる。
メトロ1号線であるから、交通費も安い。
競馬場の脇を通るので、レース馬の速歩の音を聞くこともできる。
コース自体は、通りより高いところにあるので、馬を見られないが、その音の迫力は、なかなかなのだ。
そもそも、この通りの脇には、馬道もある。
まれに、馬上の人と行きかうことにもなる。

花の公園の脇を抜け、いよいよ、ドン突きに壁が見えてくる。
ヴァンセンヌ城である。
お城のある位置は、パリではないが、手前まではヴァンセンヌの森であるから、パリなのである。
この風景も、個人的には気に入っているので、通るたびに撮った、無数の同様写真がパソコン内に保管されている。
フランスでは、とにかく、お城と競馬場は、セットなのである。
ヴァンセンヌの場合、城と競馬場は、直接関係があるわけではないであろうが・・・。
花の公園・パルク・フローラルや、ヴァンセンヌ競馬場を結ぶ道路である。
バス通りでもあるから、交通量は多い。

ヴァンセンヌ競馬の帰りに、元気なときは、シャトー・ドゥ・ヴァンセンヌの駅まで歩いて帰ってくる。
メトロ1号線であるから、交通費も安い。
競馬場の脇を通るので、レース馬の速歩の音を聞くこともできる。
コース自体は、通りより高いところにあるので、馬を見られないが、その音の迫力は、なかなかなのだ。
そもそも、この通りの脇には、馬道もある。
まれに、馬上の人と行きかうことにもなる。

花の公園の脇を抜け、いよいよ、ドン突きに壁が見えてくる。
ヴァンセンヌ城である。
お城のある位置は、パリではないが、手前まではヴァンセンヌの森であるから、パリなのである。
この風景も、個人的には気に入っているので、通るたびに撮った、無数の同様写真がパソコン内に保管されている。
フランスでは、とにかく、お城と競馬場は、セットなのである。
ヴァンセンヌの場合、城と競馬場は、直接関係があるわけではないであろうが・・・。
2015.08.17
Maison Lebon メゾン・ルボンのフランナチュール
2015.08.16
アレ・レ・バンの紅葉
2015.08.15
コルマール プティット・ヴニーズの色
プティット・ヴニーズへ入ってゆく。
のっけから雰囲気もよければ、カラフルでかわいい。

円覚寺の紅葉の写真を撮りに行ったことがある。
そのときの写真が、赤、黒、黄色、緑。
画面が、この色だけで構成されるように撮ってみた、自信作。
出来上がりを見たら、色はわかるが、何の写真なんだか・・・?
ここも、同じように、いろんな色をファインダーいっぱいに並べてみるようにとってみたが、かろうじて、家の並びであることはわかるようである。

まっすぐと進む道。
ユトリロの構図にありそうで、思わず一枚。
確かに、もう、写真なのか?絵なのか?わからない雰囲気だ。

こうして、なかなか前へ進まず、何枚も写真を撮りながら、プティット・ヴニーズ散策は過ぎて行く。
のっけから雰囲気もよければ、カラフルでかわいい。

円覚寺の紅葉の写真を撮りに行ったことがある。
そのときの写真が、赤、黒、黄色、緑。
画面が、この色だけで構成されるように撮ってみた、自信作。
出来上がりを見たら、色はわかるが、何の写真なんだか・・・?
ここも、同じように、いろんな色をファインダーいっぱいに並べてみるようにとってみたが、かろうじて、家の並びであることはわかるようである。

まっすぐと進む道。
ユトリロの構図にありそうで、思わず一枚。
確かに、もう、写真なのか?絵なのか?わからない雰囲気だ。

こうして、なかなか前へ進まず、何枚も写真を撮りながら、プティット・ヴニーズ散策は過ぎて行く。
2015.08.14
プラハ トラム博物館へ
2015.08.13
ポール・タン・ベッサンの町を見下ろす丘の上から
まずは、一枚丘の上から。
この構図でどれだけ多くの写真が撮られたのだろう?
それほど多くはない観光客が、みなこちらへ登ってくる。
ベンチがあったり、ヴォーヴァンと砦があるということ。
川沿いに海へ向かうと、その川を見下ろすような位置に丘があり、反対側は、町の向こうまで行かねばならないからということもあるのだろう。

スーラやシニャックも登ったに違いない。
であるが、この構図の絵は、ウェブで探してみても見つからない。
反対側から描かれた絵はある。
写真右にみえる、船着場の小屋の位置からも、やはり、向こうから描いている。
凡人と芸術家では、見る目も、かける手間も、景色を捉える感性も、随分とちがうのだろう。
そう思うと、自分自身にがっかりする。
が、ここは、自分は天邪鬼ではなく、素直なのだと、開き直ることにする。
この構図でどれだけ多くの写真が撮られたのだろう?
それほど多くはない観光客が、みなこちらへ登ってくる。
ベンチがあったり、ヴォーヴァンと砦があるということ。
川沿いに海へ向かうと、その川を見下ろすような位置に丘があり、反対側は、町の向こうまで行かねばならないからということもあるのだろう。

スーラやシニャックも登ったに違いない。
であるが、この構図の絵は、ウェブで探してみても見つからない。
反対側から描かれた絵はある。
写真右にみえる、船着場の小屋の位置からも、やはり、向こうから描いている。
凡人と芸術家では、見る目も、かける手間も、景色を捉える感性も、随分とちがうのだろう。
そう思うと、自分自身にがっかりする。
が、ここは、自分は天邪鬼ではなく、素直なのだと、開き直ることにする。
2015.08.12
ランブイエの庭園をかすめて
2015.08.11
ノートルダム寺院からサン・ミシェル河岸通りのむこう
2015.08.10
Aux Armes de Niel オ・ザルム・ドゥ・ニエルのフランナチュール
2015.08.09
アレ・レ・バンの石橋に臨む
2015.08.08
木組みの家と自転車 コルマール
2015.08.07
プラハ城からのプラハの夜景
2015.08.06
ポール・タン・ベッサン Port-en-Bessin へ
2015.08.05
ランブイエの花ベルト
2015.08.04
Rue Andre Suares アンドレ・シュアール通りに城壁を探して
現在のパリの大きさを取り囲む城壁もあった。
その残りがどうやらありそうだということで、この通りにやってきた。
17区の端、ポルト・ドゥ・クリシーの近く。
工事現場である。
いずれ、この遺構は取り払われる運命なのかもしれない。

これだ!という確証などないのだが、おそらく、このゴミ箱の向こうに見える石積みが、ティエールの城壁である。
これが、城壁の厚みなのかどうかの確認もできなかったが、そうだとすれば、なかなか厚い。
今から150年ほど前、この城壁部まで、パリとなった。
パリが、ほぼ今の大きさとなった当時の市境に立っていることになる。
最寄り駅が、ポルト・ドゥ・クリシーであるから、クリシー門。
城壁があったから、いま、メトロの名前がポルト(門)とついているのだと、再確認することになる。
その残りがどうやらありそうだということで、この通りにやってきた。
17区の端、ポルト・ドゥ・クリシーの近く。
工事現場である。
いずれ、この遺構は取り払われる運命なのかもしれない。

これだ!という確証などないのだが、おそらく、このゴミ箱の向こうに見える石積みが、ティエールの城壁である。
これが、城壁の厚みなのかどうかの確認もできなかったが、そうだとすれば、なかなか厚い。
今から150年ほど前、この城壁部まで、パリとなった。
パリが、ほぼ今の大きさとなった当時の市境に立っていることになる。
最寄り駅が、ポルト・ドゥ・クリシーであるから、クリシー門。
城壁があったから、いま、メトロの名前がポルト(門)とついているのだと、再確認することになる。
2015.08.03
パリのパン屋 フランク・ペロッティのフラン・ナチュール
2015.08.02