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2015.08.31

オルセー美術館のガラス大時計

最上階だったか?
お土産を売っている場所があるのだが、そのあたりに、大きな時計が見えた。
ガラス時計の先にはパリが見えている。
オルセー美術館
元駅であるから、大きな時計があるのだろうけれども、むかしから、ガラス製だったのか?
だとしたら、なんとも、おしゃれな駅だったわけですね。
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2015.08.30

アレ・レ・バンから再びバスでカルカッソンヌへ

列車が来るはずの時間は近づいている。
もう、数分前だ。誰も乗る様子もないし、本来通り過ぎるはずの、逆方向行きの列車も、結局こなかった。
その列車が来ていないのだから、帰りの列車はない。
カルカッソンヌから帰ってくるはずだった娘さんを待つお母さんも、いまはもういない。
アレ・レ・バン
もしかして、バス?
そんな気持ちになった。
バスに変更になったのなら、バス停に停まっているかもしれない。
無人駅らしきここでは、そんな、アナウンスを期待することは無理だ。
アレ・レ・バン
バス停に行っても、バスはいなかったが、バスと電車の両にらみ。
駅は、幹線道路の横だから、駅の正面で、どちらがきてもダッシュが効くよう、駅前と通りの間を行ったりきたり。
アレ・レ・バン
果たして、バスがやってきた。
行きに乗ったバスと同じカラーだった。

なんと、運転手さんが行きのバスと一緒。
顔を見たとたんに思い出したけれど、覚えているもんですね。
運転手さんも覚えていたよう。

「駅に誰かいなかったかい?」
乗り込むなり、そう聞かれた。
「だれもいません。」
ときっぱり。

やはり、列車は運休。
バスになっていたのだ。

そんな、説明はない。
上の質問で、運休の事実を把握できる。

一路カルカッソンヌへ。
もちろん、気がついたときは、カルカッソンヌ駅裏にバスは到着していた。

ちなみに、バスの写真は、カルカッソンヌに到着してから。
2015.08.29

コルマール 逆さプティットヴニーズ

水辺に写る、逆さのプティットヴニーズを撮ろう。
むろん、探すのではなく、出会えば・・・というものぐさ対応ではあるが。

本日は雨天。
太陽光の反射もないので、きれいに写るだろうか?とは思ったものの、写っている場所を発見。
コルマール
こんなにきれいに写っている場所に限って、色数が少ないのが残念。
船が浮かんでいるからか?なんだか、モネのジヴェルニーの池を思い出します。
2015.08.28

トラム博物館の生きているトラム

ぶらぶら歩いて、トラム博物館の入口を探していたら、撮りたくても、なかなかうまく撮るチャンスに恵まれなかった91番のトラムが普通に停車中。
ここが、始発なのだ。
プラハ
たしかに、街中で見ると、レトロなんだけれど、これだけ古いトラムが並ぶ中にあると、なんだかピカピカの1年生のような雰囲気さえあるのである。
1年生ではないけれど、ほんとうに、磨かれてきれいなんですよね。
帰りは時間の都合が合わず、結局、このトラムには乗れずじまい。
2015.08.27

ポール・タン・ベッサンのモニュメント

印象派と河口の谷間にできた美しい港。
ヴォーヴァンの要塞と、緑の丘。
それだけではない。
ここには、60周年記念のモニュメントが建っていた。
ポール・タン・ベッサン
モニュメントは今から11年前。
日本の首相談話が戦後70年談話といっているから、戦後59年目に造られている。
もちろん、戦後ではなく、ノルマンディ上陸作戦60周年なのである。

でも、これを覗けば、印象派時代と変わらぬ、美しい静けさを保っている。
2015.08.26

ランブイエ 望遠レンズの先

こんどは、望遠で寄ってみた。
望遠やら、広角というのを持ってしまうと、とかくレンズに頼りたがる。
まず、同じ場所からレンズを変えて撮ってみたりする。
動かずに、レンズだけ変えるものぐさである。
ランブイエ
標準レンズというのを使って撮ることはあまりない。
いい画が撮れないのだ。
だからレンズに頼る。
どんどん、ものぐさになってゆく。
努力せず、なにかを得ようとするのである。
ランブイエ
いつものように、画面一杯に、いろんな色を入れ、満杯にする画。
お城であるのか、なんであるのか?わからなくなる。

人々が出口から出てくる。
以前来たときには、城内ガイドツアーに参加した記憶がある。
最後に、皆チップを渡していたが、小銭があったかどうか?なんて、思った記憶が、出口の映像と一緒に記憶に残っている。
それを思い出した。

いまは、オーディオガイド全盛?期。
ガイドツアーだったところが、オーディオレンタルに替わってきている。
各国語紙ガイドのところもある。
このお城はどうなったのであろうか?
ガイドの方が、人情味はあるような気もするんだけどねぇ。
もっとも、自身は言葉が不自由だから、中身理解したいのなら、選択肢などないのだが・・。
2015.08.25

ノートルダム寺院からサントシャペル、ルーヴル美術館を眺める

手前に見えるのが、ノートルダム寺院の正面パリ警視庁。
二つの帽子屋根と、横長の屋根が見えます。

その向こうにサントシャペルが突き出ています。
その奥にある、サントシャペルの右から左へ伸びている大きな、ながーい建物がルーヴル美術館。
ノートルダム寺院
左手には、ラデファンスが見え、新凱旋門の枠も見えます
水らいけれど、ラデファンスのビルと重なるように、凱旋門も見えています。
ルーヴルの先っぽあたりから、凱旋門までが、シャンゼリゼ通りということになりますね。
町の構造は、地図で見てもわかりやすいですが、こうしてみると、古い割には、結構整然とした町ですね。

2015.08.24

シャルルドゴール空港のポールにて

空港、駅の定番パン屋さんとなったポール。
フランス最後のお別れタイムに、食べないで帰ると、ちょっと損した気分。
パリのパン屋
ショッソン・オ・ポムは、ショッソンというより、貝殻のよう。酸味の強い餡。
カリカリッとした食感も、形も、ポールらしい。
フランスのショッソン・オ・ポムというか、ポールのショッソンである。ある意味別物といってもいい。
パリのパン屋
クロワッサンも、特徴的で、焼かれたしっかりとした周りに囲まれていて、形にこだわっている感じが、やはりポールなのだろう。どんなパンであっても、食感も見た目も、ここのは独特な感じがしますね。
それがまた、癖になる部分もありますね。


2015.08.23

アレ・レ・バンの駅にて

行きは、リムーの町から、バスでやってきた。
帰りは、電車で帰ろうというのが、目的の一つになっていた。
バスと似たようなところを走ろうとも、列車のガタコト走る車窓は、また違うものであるからだ。
アレ・レ・バン
お店もやっておらず、時間をもてあましたので、古びた駅のホームの石垣に腰掛けて、大して読んでもいなかったガイドブックを一通り読むことにした。
アレ・レ・バン
田舎町の一本線路であるから、電車がやってくるのを逃すことはない。
時間は、だいたい調べておいたが、余裕もあるはずだから、何も考えずにただ待っていた。
しばらくすると、一人の女性がやってきた。
うろついたり、駅の反対側へいったり。
そういえば、もう、列車がやってくる時間だったかな?もうちょっと先だったきもするのだが・・・。
アレ・レ・バン
その女性が話しかけてきた。
どうやら、娘さんと、駅で待ち合わせしているらしい。
カルカッソンヌから、帰ってくるのだそうだ。
迎えに来たのだろう。
ただ、列車が遅れているみたいで、いつもなら、とうにやってきている列車が来ないのよ!と。

おそらく、その列車が終点まで行って、戻ってくる列車に自分が乗るはずなのだ。
カルカッソンヌから到着していないということは、自分の乗る電車も来ないということになりそうだ。
電車は、その先2時間ぐらいなかった気がするが、腹を据え、とリあえず待つことに。
2015.08.22

コルマール プティットヴニーズの景色

水路と家。
これが、ヴェニスの風景なのだろう。
ここも、確かに、水路と家々である。
コルマール
コルマールもそうだが、どこかで見たような気がするなと思ったら、同じアルザスのストラスブールも、やはり、同じように、水路と家々の並びをみることができる。
どちらも、イル川とその支流で、同じ水系に属する。

そもそも、イタリアからオランダへとつながる、回廊王国のど真ん中。
ライン川とローヌ川が大動脈であるから、水路は相当に重要だったに違いない。
2015.08.21

カレル橋越しのプラハ城夜景

お城から降りてきた翌日、再び、夜景を撮りに出かけた。
今度は、カレル橋の夜景を撮ろうというもの。
実際、同じような構図で、南仏のカルカッソンヌの写真を撮っている。
その記憶が、この写真を撮ろうという気力を掻き立てた。
プラハ
まあ、よくも、毎晩写真を撮りに出かけるものだが、どれも、似たようなものばかり。
疲れているので、コンパクトデジカメ片手である。

橋の欄干にカメラを乗せ、手振れしないように気をつけつつ、シャッターを切ってゆく。
半分以上がピンボケだったが、なんとか写っているものもいくつか。
2015.08.20

ポール・タン・ベッサン 丘の上へ

ヴォーヴァンの砦がある。
ここが、フォトジェニックな場所である。
眼下には、港が広がる。
ポール・タン・ベッサン
第二次世界大戦前から、ここは、軍事的重要な拠点であるということなのだろう。
ただ、これを作ることで、利が得られる人がいたかもしれない。
そうした裏の動きは、現代も、ヴォーヴァンの時代もあったに違いない。
利に群がるのは、古今東西かわりない。

そういう下世話は置いておき、世界遺産ではない、ヴォーヴァンの砦も絵になる場所に立っている。
2015.08.19

ランブイエ 日本の広角レンズにて

お城の写真をどう撮るか?
広角レンズでいくつか撮ってみた。
その中の2つの構図。
ランブイエ
一つ目は、池の脇に腰掛けて。
ランブイエ
もう一つは、花壇の脇にしゃがんでみて。

同じように、写真を撮る、日本の人じゃない人たちも結構います。
その胸にぶら下がる、その手につかまれているカメラメーカーが、日本のものだと、誇らしい気持ちになりますね。
個人的には、キャノンが目立つように思います。ついで、ニコン。
日本の方は、いろんなメーカーのもの持っているように思いますが、海外での知名度は、そういうものなのかもしれません。

さて、その日本製のカメラを日本人が持って、撮影してますよ!的な感覚に陥って撮っている。
広角みたいなレンズを覗き込んで、しゃがんで撮っていると、カメラの伝道師になったような気分になる。

カメラメーカーに勤めているわけでもなく、写真の腕もあるわけでもなく、ただ、日本人とカメラの組み合わせというだけで・・・。
2015.08.18

Route de la Pyramide ルート・ドゥ・ラ・ピラミッド ヴァンセンヌ城への道

ヴァンセンヌの森の中の道である。
花の公園・パルク・フローラルや、ヴァンセンヌ競馬場を結ぶ道路である。
バス通りでもあるから、交通量は多い。
ヴァンセンヌ城
ヴァンセンヌ競馬の帰りに、元気なときは、シャトー・ドゥ・ヴァンセンヌの駅まで歩いて帰ってくる。
メトロ1号線であるから、交通費も安い。
競馬場の脇を通るので、レース馬の速歩の音を聞くこともできる。
コース自体は、通りより高いところにあるので、馬を見られないが、その音の迫力は、なかなかなのだ。
そもそも、この通りの脇には、馬道もある。
まれに、馬上の人と行きかうことにもなる。
ヴァンセンヌ城
花の公園の脇を抜け、いよいよ、ドン突きに壁が見えてくる。
ヴァンセンヌ城である。
お城のある位置は、パリではないが、手前まではヴァンセンヌの森であるから、パリなのである。

この風景も、個人的には気に入っているので、通るたびに撮った、無数の同様写真がパソコン内に保管されている。
フランスでは、とにかく、お城と競馬場は、セットなのである。
ヴァンセンヌの場合、城と競馬場は、直接関係があるわけではないであろうが・・・。
2015.08.17

Maison Lebon メゾン・ルボンのフランナチュール

上は完全に茶色に焼けている。
それでいて、どちらかと言えば、柔らかいフラン。
香ばしい甘さで、これも、焼けている部分が甘いのだろう。
パリのパン屋
ここは、箱に入れてくれる丁寧さ。
そんなパン屋さんもある。
もっとも、箱に入れると、先っぽはつぶれちゃうんですけどね。
それでも、その気概と、おいしさで、気分は上々。
2015.08.16

アレ・レ・バンの紅葉

川沿いのバス停に着くと、周りは山々に囲まれていて、蛇行するオード川の内側の平らな部分に町があるといった風情。
その周りの岩山が、紅葉に煙る。
アレ・レ・バン
橋の上から、オード川越しの紅葉を眺められる。
燃えるような紅葉は日本。
ここは、緑と黄色の絵の具を流したかのような紅葉である。
アレ・レ・バン
これだけの山奥であっても、地中海へ注ぐ川の上流であるから、ローマ帝国の影響を濃く受けたであろう。
地中海と奥深い山が、マグダラのマリア伝説がこの付近から出てくる地理的条件をそろえているのかもしれません。
2015.08.15

コルマール プティット・ヴニーズの色

プティット・ヴニーズへ入ってゆく。
のっけから雰囲気もよければ、カラフルでかわいい。
コルマール
円覚寺の紅葉の写真を撮りに行ったことがある。
そのときの写真が、赤、黒、黄色、緑。
画面が、この色だけで構成されるように撮ってみた、自信作。
出来上がりを見たら、色はわかるが、何の写真なんだか・・・?

ここも、同じように、いろんな色をファインダーいっぱいに並べてみるようにとってみたが、かろうじて、家の並びであることはわかるようである。
コルマール
まっすぐと進む道。
ユトリロの構図にありそうで、思わず一枚。
確かに、もう、写真なのか?絵なのか?わからない雰囲気だ。
コルマール
こうして、なかなか前へ進まず、何枚も写真を撮りながら、プティット・ヴニーズ散策は過ぎて行く。
2015.08.14

プラハ トラム博物館へ

どんな博物館なのか?わからずにここへやってきた。
外に、古いトラムが並んでいる。
こうして、雨ざらしに展示されているのだろうと思って、外をうろうろしつつ、写真を撮る。
プラハ トラム博物館
こうして、外に並ぶトラムの展示を見るための、チケット売り場はどこか?
そう思って、レストランらしき建物のほうも探してみる。
ところが、そのようなものがある気配はない。

ならば、勝手に見れる範囲を歩き回ろうと、動き出した。

展示してあるにしてはねぇ、車が邪魔で、全体すっぽりは撮れないのである。

この後、背後の建物群が、すべて博物館であることに気がつくのであるが・・・・。
2015.08.13

ポール・タン・ベッサンの町を見下ろす丘の上から

まずは、一枚丘の上から。
この構図でどれだけ多くの写真が撮られたのだろう?
それほど多くはない観光客が、みなこちらへ登ってくる。

ベンチがあったり、ヴォーヴァンと砦があるということ。
川沿いに海へ向かうと、その川を見下ろすような位置に丘があり、反対側は、町の向こうまで行かねばならないからということもあるのだろう。
ポール・タン・ベッサン
スーラやシニャックも登ったに違いない。
であるが、この構図の絵は、ウェブで探してみても見つからない。

反対側から描かれた絵はある。
写真右にみえる、船着場の小屋の位置からも、やはり、向こうから描いている。

凡人と芸術家では、見る目も、かける手間も、景色を捉える感性も、随分とちがうのだろう。
そう思うと、自分自身にがっかりする。
が、ここは、自分は天邪鬼ではなく、素直なのだと、開き直ることにする。
2015.08.12

ランブイエの庭園をかすめて

前回きたときは冬。
木々の葉はなく、寄生木のgui(ギ)がたくさん見えていた。
今回は秋。
ゆっくり散歩したかったが、今回はシャルトルまで行かねばならない。
ランブイエ
ということで、奥まで歩いてゆくことは、また次の機会。
帰りは、庭園内を歩いて、小さめの池を経由して駅へ。
ランブイエ
もう、街中へ出ようかという時、振り返ると、池と木立がきれいに見えた。
葉に隠れて、”ギ”がたくさんあるのだろうが、今は、その姿を見ることはできない。
2015.08.11

ノートルダム寺院からサン・ミシェル河岸通りのむこう

セーヌ河岸で最も雰囲気があるとおりだと思っているのが、このサン・ミシェル河岸通り。
Quai Saint-Michel。
写真の先のグランゾーギュスタン通りまで、このような雰囲気で、通りが川とびっちりと並ぶ建物に挟まれている。
ノートルダム寺院
建物が間断なく並ぶと、それが、通りの壁となり、通り幅ごと縦へと伸びる空間が現れる。
この空間に嵌ることで、道歩きの楽しさが、膨らんでいるような気がするのである。

あるとき道は、解を指し示し、隠れるべき押入れともなり、ラビリンスともトラップともなる。
サンミシェル河岸通りの向こうに、詰まったパリの建物の隙間を縫うように、道が待ち受けている。
2015.08.10

Aux Armes de Niel オ・ザルム・ドゥ・ニエルのフランナチュール

ここのは、黄色が印象的なフラン。
その通りで、卵っぽい感じのするフランなのである。
パリのパン屋
その分、堅すぎず。
クリーミーな感じ。

歩きながら、先っぽをパクリとやると、早弁を食ったときの特別感と同じ、説くベルな美味しさが口に広がります。
2015.08.09

アレ・レ・バンの石橋に臨む

路面はアスファルト化されているけれど、古い橋のまま残っている。
アレ・レ・バン
少し離れた場所から、橋と緑を見る。
大きな川にまだなる前の、オード川がサラサラと流れてゆく。
アレ・レ・バン
紅葉に煙り始めた山々を望むように、橋のたもとから橋を見上げる。
粗く積まれた石が、古い時代を感じさせる。
2015.08.08

木組みの家と自転車 コルマール

いつも撮る自転車のある風景に、なかなか遭遇しない。
駅裏では見かけたが、プティット・ヴニーズ界隈で自転車があったので一枚。
コルマール
雨降りで、雑に撮った上、花、自転車、木組みと多くの望みを持ったため、なんとも、締まらない写真に。
しゃがんで、寄って、広角で・・・なんて、後では思うものの、雨降りの中、地べたに膝つく勇気がないのだ。
2015.08.07

プラハ城からのプラハの夜景

プラハ市内へ向かって下って階段を下りてゆく。
ここは、プラハ市内が眺められる眺望コース。
ゆえに、撮ってくださいとばかりに、そんなスペースもある。
プラハ
特に言うことはない。
写真上は、カレル橋方面を撮ったもの。
プラハおんなs
下の写真は、旧市街広場方向を撮ったもの。
遠くの高い建物は、テレビ塔。

プラハ城の夜景散策には、こんな、おまけもついてくる。
2015.08.06

ポール・タン・ベッサン Port-en-Bessin へ

ポール・タン・ベッサンの港へ、バイユーからバスで到着する。
港の橋を渡って丘に登ると、こんな、文章が書かれていた。
ポール・タン・ベッサン
多くの芸術家を感化させたここの風景。
スーラ、シニャックの名前も出てくる。
スーラとシニャックといえば、点描の画家だ。

しばし、おそらく、彼らも登った丘の上から、風景を眺めつつ風に吹かれてみる。
2015.08.05

ランブイエの花ベルト

お城の周りに、つたが這っている。
1階と2階の境には、ピンクの花のベルトができている。
色とりどり、そして、多量というのが欧州らしい。
ランブイエ
どちらかといえば、侘び寂びの日本では、ある程度限られた空間での花々をめでる習慣があるように思われる。
花一点にピントが合い、他は、多少ぼけているような写真みたいなものだ。

欧州は、大きな範囲に、色とりどりの花が飾られている印象で、全体を撮るスナップの方が適しているように感じられる。

違うから、異国を感じられるということだ。

花々の写真を撮るたびに、思うのである。
2015.08.04

Rue Andre Suares アンドレ・シュアール通りに城壁を探して

現在のパリの大きさを取り囲む城壁もあった。
その残りがどうやらありそうだということで、この通りにやってきた。
17区の端、ポルト・ドゥ・クリシーの近く。

工事現場である。
いずれ、この遺構は取り払われる運命なのかもしれない。
パリの道
これだ!という確証などないのだが、おそらく、このゴミ箱の向こうに見える石積みが、ティエールの城壁である。
これが、城壁の厚みなのかどうかの確認もできなかったが、そうだとすれば、なかなか厚い。

今から150年ほど前、この城壁部まで、パリとなった。
パリが、ほぼ今の大きさとなった当時の市境に立っていることになる。
最寄り駅が、ポルト・ドゥ・クリシーであるから、クリシー門。
城壁があったから、いま、メトロの名前がポルト(門)とついているのだと、再確認することになる。
2015.08.03

パリのパン屋 フランク・ペロッティのフラン・ナチュール

食べた瞬間に、今までとは違う。
似たようなお上品フランを食べていると、おやっと思うほど違う。
素朴というのか、かしこまった感は全くない、パリのパン屋のフランナチュールである。
そもそも、おしゃれなお店では、3ユーロ近い値段をとるところもある、このデザート。
ここでは、その半分とは行かぬが、随分良心的。
フランナチュール
ここのショッソン・オ・ポムといい、フランナチュールといい、上品というよりは、素朴感である。
おそらく、焼き色がついているところの甘さなどが違うのだろう。
そこで、食感も随分と変わってきていると思われる。
しっとりとした中身とざらついた表面といった感じ。
2015.08.02

アレ・レ・バン rue de Cadene キャドゥヌ通りは続く

どうも、気に入ったようだ。
このキャドゥヌ通りの写真の枚数が、アレ・レ・バンの通り写真の中で最も多かった。
アレ・レ・バン
疎水を流れる水のごとく、家々に挟まれた路地を歩いてゆく。

通りの先には、城門らしき、壁と、アーチ型に詰まれた石が見える。
ただひたすら、新しい発見をもとめて、歩みを続ける。
アレ・レ・バン
この旅の中での冒険では、まず間違いなく、危険な目には合わぬ。
安心して、未知と言う道の先を探索することになる。

多少でも、危険な匂いのする国では、歩け歩けとどんどん進む場合、いつでも、来た道を戻れるように、まるで、命綱を伸ばしつつ進むような緊張感もある。
それは、それで、背筋の伸びる緊張感のある冒険になる。