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2015.05.31

Coccinelle Express コッシネル・エクスプレスへ

ポワシーの町に到着した。
久々にフランスへやってくると、最初の日の食事が一番大変。
いきなり、レストランなんかへ行って金使いたくない。
ところが、疲れてもいる。

ポワシーにある、宿近くのスーパーへ出かける。
水も欲しい。
そこで、パスタ、ベーコン、チーズとワインを買っておく。
フランスのスーパー
ボージョレAOCが一番安く400円ぐらい。
ノルマンディーのリヴァロチーズ500円ぐらい、一番安いパスタソースのプロヴァンサル140円程度。
水30円。
ベーコン2パックセット200円を二つ。
これで、ボージョレリヴァロプロヴァンサルペーコンパスタが何日か食える。
パスタに混ぜるのには、ブリー・ド・ムランが一番いいとは思うのだが、リヴァロも悪くない。

野菜を買ってくる余裕はなかったから、また明日。
コーヒーと、トイレットペーパーと、食器用洗剤もいりそうだ。

今日は、近所にある、てんとう虫マークのコッシネルエクスプレスへ行ったのだが、明日は日曜お休み。
もうちょっと先にある、Casinoカジノが、朝8時半から午前中やっているようだ。

このコッシネルというスーパー。
パリにも3区にあるようだ。
グランブールヴァール沿い。
おそらく、そこ1店舗だけのようだ。いやいや、同じグループのコッシマーケットと共に、いくつか店舗はあるようだ。

売っているものは、ベルフランスブランド(写真のベーコンはそのブランド)のものが多いから、G20なんかと、似ている品揃えなのかもしれない。
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2015.05.30

コルマール Place de l'Ancienne Douane アンシエンヌ・ドゥアーヌ広場

Place de l'Ancienne Douane アンシエンヌ・ドゥアーヌ広場は、先週の旧税関がある広場であるが、その特徴ある建物前からの景色もかわいらしい。
コルマール
大抵、どこをどう切り取っても、絵葉書のようになる。

こうしてみると、パリとは全く違う風景がそこにある。
フランスという行政区画で、一つのイメージを持つには、あまりに違う。

一歩奥に進むと、東西南北、それぞれ、違った顔がある。
そこから、大小東西南北、さらに小さい単位の東西南北、さらに・・・としてゆくと、小さな小さな違いを知って、ムフフとうなずく自己満満載の自分に出会えるのである。
多大なる勝手な妄想判断に支えられた世界ではあるが。
決して他人に理解されない。
2015.05.29

ランの司教たち

evequeとは司教のことである。
ランの司教のリストだ。
もちろん、あとで、辞書片手に読んだり、何かのときに使えるかもしれないと思ってのことだ。
であるが、後で勉強したことは、ない。
一度だけ、必要にせまられて、写真を撮ったものを約したことはあるが、これだけの長文を、訳す元気は、写真を撮ろうと思った瞬間だけである。
ラン
隣町、大聖堂のあるランスの司教になれず、ここラン司教になりながら、ランスの司教の失脚を待っているような話を、何かで読んだことがある。
いやらしいやつもいたのだな、ぐらいで通り過ぎてしまったが、そういう話があったことと、それがランの司教であったことは、結構鮮明に覚えている。

だから、この司教リストにピン!ときたし、最近刷られたような印刷物に、司教のリストがあるのも、なんとなく判るような気がしたのである。
ただ、その人が、誰であったの
か?
時代も名前も記憶にないから、このリストの中にいるはずであるということ以外、わからない。

ただ、確かに、このリストのなかに、その本に登場した人物が載っている。
そう思えば、多少の縁を感じるのである。
2015.05.28

アレ・レ・バン Rue Calviere カルヴィエール通り

実のところ、これが、カルヴィエール通りである確信がない。
広場から、自分で歩いていった方角とイメージで地図とつなげてみただけだ。
やっぱり、それなりの証拠をきちっと撮影しておかねばならない。
前後に通り名を撮影しておくだけでいいのだ。
アレ・レ・バン
こんな小さな町、覚えていられると思っているのだが、そうは甘くない。
車も入っていけぬ、小さな通りは、グーグルマップに頼ることすらできぬ。

広場から、奥へと進んでいった。
細長い空が道と同じようにカーブしてゆく。
それを一枚撮ってみた。

薄暗い路地であるが、光は、ここ以外からキッチリ採っているのだろう。
下の階は、電気が必要なのだろうけどね。
2015.05.27

プラハ マスナ通りの光と影

この近くに泊まっていた。
近所への散歩帰り。
時計のとおりなら、朝8時39分の秋のプラハである。
プラハ
パリは色薄い建物が多いので、中欧のこうした鮮やかな建物が、とても新鮮に感じる。
手前の建物の影で、明暗くっきりを、泊まっていた近くの記念に一枚。
2015.05.26

ランブイエの競馬場

競馬に興味がなければ、競馬というのは、馬が走るものだと思っている方も多かろう。
だが、フランスでは、速歩という競馬の方が圧倒的に人気がある。
走ったり、跳んだりするのが英国。そしてアイルランド。
歩くのは、フランス、他では、スウェーデンなどで人気なのだ。
ランブイエ
パリには、ヴァンセンヌ競馬場というのがあるが、これは、コークスのコース。
まあ、黒い砂の上を走っているような感じ。
だが、フランスには、芝生のコースであるのに、速歩のレースをやる競馬場もある。しかも、速歩専用で。

ここ、ランブイエは、その芝コースがある。
お城とは、駅を挟んで、反対側。

お城と競馬場という組み合わせは多いのだが、ここもそう。
いやいや、お城と競馬場と森。
ランブイエ以外も、シャンティイ、ヴァンセンヌ、フォンテーヌブロー、メゾンラフィットなどなど。
2015.05.25

アロマンシュの町

ようやくにして丘を越えて到着したアロマンシュの町。
いやいや、ひなびた町ではなくて、随分とにぎやかなことだ。
フランスの国旗があふれ、よく見ると、英国国旗と交互に掲げられている。
a href="http://blog-imgs-73.fc2.com/r/v/a/rvabeille/20150525-01.jpg" target="_blank">アロマンシュ
丘と丘の畑に挟まれた、入り江の町は、戦争博物館もある、第二次世界大戦戦地の観光地の一つ。
あの旗は、お土産屋さんの並びなのである。
英国に対する、敬意が、あの旗なのであろう。
旗のデザインは全く違うけれど、似た色の国旗を持つお隣どうしである。
2015.05.24

Boulevard de Rochechouart ロシュシュアール大通りからサクレクールを望む

パリ18区。
いや、9区と18区の境。
バルベスの駅から、西へ行く。
バルベス・ロシュシュアール駅は、4号と2号の合流地点。
地価と高架という乗り換えになる場所だ。

ここは、エスカレーターがあったかどうか?
この駅の記憶といえば、2号線のホームから階段を下りようとしたところ、女性に、乳母車を持ってくれと頼まれた記憶が鮮明だ。
なぜなら、その乳母車は、鉄製のめちゃめちゃ重たいやつだったからだ。
安請け合いしたといったら、大変失礼で優しくないことになってしまうが、いやいや、半端ない重さだったのだ。
もちろん、子供も乗っている。

むろん、お母さん、とてもじゃないが、降ろせなかったろう。
その後も、何度か、長い階段で、頼まれたことがあるが、記憶に残っているのは、ここと、もう一箇所、郊外で、止まったロングランエスカレーターを持って登ったときぐらいだ。

乳母車というのは、軽くて丈夫が一番。
その上、パリのバリアフリーはいったいどうなっているのか?
そう思ったのである。
パリの道
その駅名後半部分と同じ通り名の大通り。
格安エリアで、写真にも、格安店のTATIが見える。
白ピンクの市松模様がトレードマーク。
100均じゃないが、何でも屋で、いろんな種類の商品を扱う店舗がある。
定員を呼ばないと買えないといううわさを聞いたため、買ったことはない。
そこで、面倒な思いをしてまで買わねばならぬものはないためだ。

平日というのに、たむろする男達もいる。
サクレクールのふもと、布屋街付近。
たしかに、失業問題、バリアフリーは、日本の方がましなのかもしれない。
2015.05.23

コルマール 旧税関コイフュスLe Koïfhus

派手でかわいらしい塔を持つ、うろこ屋根の古い建物がある。
Place de l'Ancienne Douane
アンシエンヌ・ドゥアーヌ広場
旧税関広場である。
コルマール
この瀟洒な建物コイフュスが税関だったのだろう。
ストラスブール、その先、北海までつながる水運が、ここに、大きな商と財をもたらしたのに違いない。
窓辺の赤い花は、アルザスらしい雰囲気をたたえている。
あの窓から、雨に濡れるコルマールを物憂げに眺める女性がいたにちがいない。
2015.05.22

ランのソワソン門

ランの丘の南西。
緑地に門が建っている。
ソワソン門。
確かに、この門から丘を下り、まっすぐ進んでゆけば、ソワソンに到着する。
ランを中心に見れば、北西にサン・カンタン、南西にソワソン、南東にランスがある。
ラン
13世紀ごろの建造物であるということは、鎌倉時代の建築ということになる。
日本じゃ、東大寺の南大門が再建された頃であるが、同じ門でも、随分と様相が違う。

権威の匂いは、このソワソン門にはまったくしないが、堅牢さは、石造りであるため、いやぁ、固い、硬い、堅い、難い。
防御力は、木に勝る。

軍艦島も世界遺産登録勧告を受け、その以前からも、廃墟ブームではある。
その廃墟。
不思議なことにグリーンとの相性は抜群である。
諸行無常の侘び寂び感は、日本人だから感じるのか?
その感覚は、フランスの人たちにも共有されるものか?

仮に、侘び寂びが通じなくとも、侘び寂びそのものは、フランスにもあり、われわれの心とともに現れる。
2015.05.21

アレ・レ・バン旧市街の広場

日本には、広場が中心という道の構造をしているところはあまりないだろう。
欧州全体がそうかどうか?わからぬが、なんとか広場という通り名は多い。
日本の場合、なんとか広場は、公園に近い。
もしくは、なんとか前広場というイメージだ。何か大きな建物の前が広場になっている。
アレ・レ・バン
広場は集会場であり、市の立つ場所であり、いろんな意味で、秩序の中心になっている。
そういえば、朝廷という中国から入ってきた言葉もあるから、集まる場所は、建物の前の庭だったのかもしれない。
そうだとすれば、公園や、何かの前の広場というのは、アジアらしいということになる。

さて、アレ・レ・バン。
ここの旧市街にも広場がある。
大変小さい。
小さいが、村人が集まるには、十分な広さなのであろう。

広場と各々の門をつなぐ道ができ、そこに家々が建つ。
そんな感じだったのかもしれない。

あるフランス人が言う。
会社を設立すると、まず、コーヒーメーカーの場所を決める。
これが大変だ。

オフィスの成り立ちの違いは、町の構造の違いとにている。
2015.05.20

プラハ 夜の聖ヴィート教会

城内には簡単に入ることはできる。
さすがに教会内には入れないようだ。
プラハ
さすがに、暗い教会を撮るのは大変か?と思いきや、光の当たっている部分が大きいので、そんなにシャッタースピードが遅くなることはない。
望遠にでもしなければ、まずまず撮れた。
といっても、手ぶれしたものの方が多かったが。
プラハ
こうした夜景は、カメラメーカーによって、随分と色合いが違うように思う。
撮った写真ばかり見ていると、実際、目に映っていた色が、どんな色だったか、分からなくなり、写真の色を見ていたような気になってしまう。
赤っぽくなるカメラもあれば、青白い光の反射になるカメラもある。
赤い方は温かみがあり、青白い方は、シャープなイメージになる。

無論、三脚はもっていった。
撮れたので、ホッとしているというのが、帰りの心境だった。
2015.05.19

ランブイエに寄ってお得感に浸る

目指す場所はシャルトル。
その、シャルトルまで安く行こうというのが、今回。
ランブイエで、競馬を見たいという希望もあったので、そのランブイエの競馬開催日にあわせて、シャルトル行きを決行する。
シャルトルは、光のシャルトルを見るためで、一泊する。
ランブイエ
シャルトルまでの片道は、16ユーロである。
ランブイエから、シャルトルまでは、8.5ユーロ。
約半分。
ランブイエまでは、1週間券で買った、ナヴィゴのゾーン1からゾーン5の定期券でいける。

この一週間券。
通常のパリ市内で使うゾーン1から2だと現在21ユーロ強。
ゾーン1から5というイルドフランスのフルゾーンだと35ユーロ強。

ご覧の通り、ランブイエ経由シャルトル往復で、元が取れてしまうだけでなく、使い勝手のいい1週間券が手に入れられるのだ。
ベルサイユだろうが、モーだろうが、オーベル・シュル・オワーズだろうが、フォンテーヌブローだろうが、プロヴァンだろうが、行き放題。手に入れれば、切符をわずらわしさから、完全に解放される。
ランブイエは、シャルトルに最も近い(正確には、もう一駅あるが)イルドフランスのゾーン5の駅。



こうしたことは、シャンティイであったり、ジヴェルニーであっても出来ることだが、その乗換を通過してしまう列車には乗られない。
乗ってしまえば、キセルとなる。
このことは、シャンティイへ行くときに、途中駅にて、検察で張っていたSNCFの職員さんに確認したことだ。

ちなみに、その、シャンティイ行きのとき、検札で職員さんが張っていた駅は、オリー・ラ・ヴィル。
Orry-la-Ville-Coye。
この駅、RER-D線の終点駅。
北駅発のシャンティイ方面へ行く急行列車が、最初に停車する駅でもある。

この駅は、RER-D線の駅だが、イルドフランスではない。
ピカルディーなのだ。
RER-D線の2つ手前の駅が、イルドフランス最後の駅。
お間違えのないように。
だからこそ、ここで、張っているのだから・・・。
無論、間違えた、知らなかったは通用しない。
2015.05.18

アロマンシュのランチ

町を見下ろす台の上で、アネル村で買ってきたサブレを開ける。
このサブレが、今日のランチとなる。
アロマンシュ
戦車が、飾られている。
その戦車には、Berry au Bacの文字。
調べてみれば、フランスのピカルディーの地名である。
どうやら、第一次世界大戦のフランスの第一防衛線が敷かれた場所だ。
アロマンシュ
この戦車の名前が、その地名をつけた第二次世界大戦のものか?それとも、第一次世界大戦の戦車戦で使われた型の戦車なのかはわからない。
もちろん、ここに置かれた意図も正確にわかるわけではないが、すくなくとも、ここが、大戦の戦地であった証の一つであることには違いない。
この地が、永遠にサブレをゆっくり食べることの出来る場所であり続けることを願うばかりである。
2015.05.17

ノートルダム寺院から、バスティーユ方面を望む

バスティーユ方面を見てみると、町の中に埋もれるように、バスティーユの7月革命記念柱が見える。
その左下の大きな屋根は、おそらく、サンポール寺院のものに違いない。
その先の部分は、パリの歴史からすれば、最近パリになった部分ということになる。

置かれている化け物が、口から何かが出ているのだが、アレはいったい何ののか?
ショックを受けて、ガーンとあごが伸びきってしまった漫画のようになっている。
いやいや、それとも、くちばしなのか?
ノートルダム寺院
バスティーユの先、右奥には高層ビルが見える。
ラデファンスですら、ノートルダム寺からははっきりわかる距離だから、あの蜃気楼のような高層ビルは、結構遠いのだろう。モントルイユの町あたりだろうか?

パリの地図を思い浮かべながら、パリ高所からの生地図を楽しむ。
2015.05.16

コルマールの看板たち

フランス中に、お店の看板はある。
コルマールのこうした看板を見ると、フランス的というよりは、ドイツ的な印象を受ける。
パリにもこうした看板がないわけではないが、軸部分の装飾が、ここまで派手ではない気がする。
コルマール
欧州のその他の国に、何度も訪れているわけではないので、単純に比較はできないのだが、こうした看板をたくさん見たなぁと思い出す町は、自分の中では、ザルツブルグである。
ザルツブルグは、現在オーストリア。
コルマール、アルザスは、現在フランス。
文化的には、十分つながりはあるのだろう。
コルマール
オテル・サン・マルタン。
コルマールのサンマルタン教会からとったものであろう。
聖マルタンといえば、トゥールの司教。
現在の地理を頭に思い浮かべれば、フランスらしいが、ホテル名の壁の文字を見れば、随分とドイツっぽいのである。

日本でも、東海道線の鈍行列車で、移動してゆけば、列車の乗っている人たちの言葉が、徐々に変化してゆくのを実感できる。
欧州でも、東西、南北に移動すれば、その風景、風俗、文化の変化がつながりつつ変化してゆくのを実感できるのだろう。
2015.05.15

ラン Rue Georges Ermant ジョルジュエルマン通りの壁画

この通りは、既に3度目の登場。
大聖堂方向に歩いてゆくと、右手にスペースがあった。
奥には、お屋敷だろうか?
そのガレージに、その絵はあった。
ラン
ランの旧市街の建物越しの大聖堂。
その、スカスカ感のある塔が、ランのものだ。
ラン
この壁画のうえにも小さな大聖堂の絵があるが、そこを見やると、大聖堂が見えていた。
改めて、アングルを確認すると、ここの角度から見た絵じゃないなと。
ただ、町に対する愛情を十分感じるガレージシャッターの絵である。
2015.05.14

アレ・レ・バンの町散策

ここも、教会の遺構以外では、街並みが一つのみどころ。
本当に小さな集落といった感じではあるが、広場が存在し、そこから、放射状に道が伸びている。
古い家々は、建て直されず使われるからだろう、ご覧の通りの木組みの家があちらこちらに見える。
アレ・レ・バン
街灯、木組の家、窓に赤い花、そして、大柄な模様のレースのカーテン。
”らしい”ものはキッチリそろっている。
それにしても、骨組の木々が細い。
木組なのか?模様なのか?考えてしまう細さである。
2015.05.13

プラハ ステファニーコヴァ通りに連なるトラム

ステファニーコヴァ通りをズンズン北上する。
そろそろ帰宅ラッシュの時間だろうか?
j車というより、トラムで道が渋滞している。
プラハ
川と高地に挟まれた隘路が近いこのあたりは、いろんな路線が通っているのだろう。
家、トラム、車の連なりがかわいらしいので一枚。
望遠で狙うと、遠くが近づいてきて、より、連なっている感が出る。
遠くまで伸びている通りは、望遠の方が雰囲気が出るのかもしれない。
2015.05.12

メゾンラフィット城脇にて

競馬ファンならともかく、そうでなければ、わざわざ訪れることも少ない場所だろう。
しかし、RERのA線のメゾンラフィット駅からは歩いてゆけるお城である。

ヴォー・ル・ヴィコント城は、あまりにも有名で、ガイドブックでも評価の高い観光スポット。
それと、全く同じ時代の建築である。
バロック様式。

見れば見るほど、ヴォー・ル・ヴィコント城に似ている。
有名な建築家によって立てられたこのお城は、観光客の少ない城だ。
地下は、競馬博物館。
メゾンラフィット
セーヌ河岸に立てられている。
お城の目の前は、もう競馬場。
このときは、競馬場へは寄らず、競馬のスタートシーンを、橋の上に撮りに来た。
その帰り、木漏れ日あふれる中、散歩しつつ駅を目指す。

この道は通ったことがなかったが、なかなかいいアングルのお城が見えた。

ヴェルサイユは、比較対象にならぬ。
あれは、ばかげているほどでかい。
こういったサイズのものこそ、欧州の城らしいというべきだろう。
2015.05.11

アロマンシュの町へ下る

行きにバイユーからバスに乗ると、アロマンシュを越えたバスは九十九折を通って丘の上に出た。
そこから、まっすぐな道を下ってアネル村へ入っていった。

そこを記憶していたから、あのカーブの連続を車を避けながら降りていかねばならないと覚悟していた。
ところが、ちゃんと、町から丘へは、歩道が整備されていた。
アロマンシュ
アロマンシュには、戦争博物館がある。
そんなことは知らなかったのだが、その案内看板があるほうへ歩いてゆくと、坂を登ってくる人たちが見えた。
もう、ゴールは近い。
そう思うと、達成感とともに、ほっとする。
アロマンシュ
アロマンシュは、このあたりでは大きな拠点。
円錐屋根の瀟洒な建物の向こうにきれいな海と、戦争の遺構が見える。
2015.05.10

ウルク通り Rue de l'Ourcq の橋から眺めるジェオード

パリには本当に多くのモニュメンタルな建物、インパクトのある構造物が多い。

18区といえば、サクレクール寺院。
1区のルーヴル。
4区のノートルダム。
5区のパンテオン。
6区のサン・ジェルマン・デプレ教会。
7区にはエッフェル塔。
9区のオペラ座やサンラザール駅。
10区の北駅東駅。
12区のリヨン駅。
15区のモンパルナスタワー。
区境にも、凱旋門や、バスティーユ広場、レピュブリック広場等々。

19区の特徴的な建物といえば、このジェオードであろう。
比較的新しい建物だ。
13区の新国立図書館なんかと同じような、新しい顔である。
パリの道
ジェオードは、公園にある。
ラ・ヴィレットである。
だから、街中とともに見るのは、なかなか難しいのだが、ここからは、パリの廃線鉄道橋の向こうに、頭を出してくれている。
2015.05.09

コルマール Grand Rue グランリューの花と建物

どうも不思議なもので、スイッチが入ると、写真を撮りまくることになる。
結構な長い間、同じ場所で写真を撮るのだ。

日本人気質というのがあるのかどうか?
普段は、控え目に過ぎる。
気弱といったほうがいいのだろう。それと同居するものぐさ。
いやいや、気弱とものぐさは、同じ意味。
撮らぬ行為の言い訳かも知れぬ。

スイッチが入らぬと、まあいいや、まあいいやと、写真を撮るのを控えてしまうのだ。
コルマール
ここでは、かがみながら、鉢植えとコルマールの街並みを撮る。
きれいに咲き誇っていてくれればいいのだけれど、すべてに花がついているわけじゃない。
1年中、咲いては消え、つんでは咲く花だから仕方がない。
だが、真ん中に穴があいた感じだ。

ああでもない、こうでもないと、写真を撮っているときは、写真を楽しんでいる時。
気分屋なのか?気分の波が激しいのか?
撮り終わった写真の並びを見てみると、その気分の上下が手に取るようにわかる。

物事は相対的。
ネガティブがあるからポジティブも存在できると思えば、気も楽になる。
何事も、この花々のごとくだ。
2015.05.08

ラン Rue de la Libération リベラシオン通り

丘のはずれにやってきた。
リベラシオン通りのの風景。
わずかな傾きの坂道の向こうにサンマルタン教会の塔群が見える。
小さな丘の上に、大聖堂以外に、もう一つ、こんなに立派な教会が建っているのだ。
ラン
今回は、いつもとは違う、西南方向から、坂を下ってゆくことにしている。
これが、また、最初ぼこぼこ石畳、続いてがたがた道で、歩いている人などいない道だと知るのは後の事。
それでも、少々心細いことと、調子にのって、スピードを出して、足首ねんざをしないように気を付ける以外、大変だったわけではないのだが。
2015.05.07

アレ・レ・バンの城壁

この町も城壁によって守られている。
南仏の町々は、敵勢力から守らねばならぬ立場にあったから、ここに城壁があるのは、鷲の巣村や、カルカッソンヌの城壁と同じことなのだろう。
アレ・レ・バン
不揃いな石が綺麗につじつまを合わせられ、侵入者を拒み、のぞくことができるような窓穴と、銃眼のようなものがいくつも散見できる。
緑の安らかさに加え、駐車場と化した壁手前の広場が、平和によって置き去られた遺構であることを、さらに際立たせているようにすら感じる。
石というのは、ずっと残るんですね。
2015.05.06

プラハ城 夜の北門 衛兵交代

北側にも門があるのだが、こちらにも、ちゃんと衛兵が門を守っている。
観光客の多い側の門ではない。
しかも、雨の夜だ。
だが、ここでも、粛々と衛兵の仕事は行われている。
ちょうど、交代の時だった。
プラハ
彼らが現在守っているものは、王家ではなく、チェコそのものなのかもしれない。
人々を魅了してやまないプラハ城である。
東欧の人らしいというのか、人を寄せ詰めぬ厳しさすら感じる。
2015.05.05

ヴァンセンヌ市のパリ通り Avenue de Paris から

ヴァンセンヌ城の前の通りから、お城を眺める。
この通りに、メトロ駅もある。
そろそろ、ヴァンセンヌとはお別れで、最後に一枚撮っておく。
ヴァンセンヌ
パリ通りという。
この道をまっすぐ行くとパリなのだ。

パリどころか、まっすぐ行けば、ナシオン広場、さらに、バスティーユ広場、シャトレ、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門、ラデファンスと続いているいわば、大幹線である。
大幹線も、ここまで来ると、静かなものだ。
むろん、車通りは結構多いのであるが。

パリへ向かうからパリ通り。
こんな話を聞くと、シベリア鉄道のモスクワ発着駅は、ヤロスラヴリ駅というという話を思い出す。
ヤロスラブリが、シベリア鉄道の最初の終着駅だったそうで、その終着地点の名称が、始発地点の駅名として使われているという話だ。
新橋駅は横浜で、横浜駅は新橋にあるといったようなことになるのだろう。

そういえば、パリでもリヨン駅がある。
たしかに、リヨン方面へ向かう列車の発着駅だ。

日本でも、川崎市にある府中街道は、府中では川崎街道になる。
このパリ通り。
まっすぐ行けば、パリのヴァンセンヌ門をくぐって、パリ市内に入ることになるのだ。
2015.05.04

アロマンシュの丘の上

アロマンシュの丘の上からは、ノルマンディ上陸作戦のゴールドビーチを一望できる。
その丘は、駐車場があり、展望台がある。
展望台といっても、まさに、”台”であって、決して、お土産屋さんの付属したような建造物の中ではない。

戦争当時の写真が、パネルに入れられて並んでいる。
こういったものをみると、敗戦国である日本の人間であるからなのだろう、どうしても、少々後ろめたい気持ちになる。
自分自身が、なにかしでかしたわけではないのだが、その感情の動きはどうすることもできない。

それが、いいことなのか?どうなのか?
そういったあたりまで頭の中で考えが進むと、自ずと思考停止する。
正誤、正邪、正義不義。
そういったものすべてが、わずらわしく感じられ、その思考の淵から逃れ出たくなるのである。
アロマンシュ
崖のような海岸が続くが、この崖をカルヴァドスと呼んでいたのだろう。
いまや、地名県名であり、りんごの蒸留酒の名前となっている。
アロマンシュ
丘の上には、大きなキリスト像が立っている。

風に吹かれて、腹がすいて、次の町を目指す。
平和なときに、平和な散歩は続く。
2015.05.03

ノートルダム寺院の屋根

塔に囲まれた屋根の上には、いろんな動物たちが、守っている。
魔物が魔よけになっているのだろうか?

このような建物が建てられる技術があっても、人々は、何かを恐れ生きていたのだろう。科学技術が進歩して、まだ、宇宙の遠い果てのことは知らぬわれわれとはいえ、なにか、そうしたものを迷信と退け、目に見える"うつつ"だと思っていることのみを信じて生きるようになってきた。

日本的に言えば、天を恐れなくなった・・のかもしれない。
ノートルダム寺院
おごり高ぶったところで、巷で行われている争い事は、買うべき家電の色口論から、宗教戦争まで絶えることもない。
バベルの塔は、どこまで伸ばしても、届くことはない。

そう思って、再び、これらの上に乗っかっている、コケティッシュな生き物の造形をみてみる。
宗教が違えど、時代が違えど、国が違えど、これを造っていた”当時のフランス人のおやっさん”の家に招かれて、飯を食ったとして、なにか、変わらぬ感覚で、話ができる様な気がしてならない。
もちろん、夕飯の味加減などで、もめていない時でなくてはならぬが。

それにしても、塔には、のこぎりの歯みたいなのが、ぎっしり並んでいるんですなぁ。
大聖堂を絵に描けといわれたら、直線で済ましてしまうような場所なんですがねぇ。
2015.05.02

コルマール エグリーズ通りを渡り

雨の降るなかグランリューを歩いていた。
足早に通りを渡ろうとすると、教会が見えていた。
地図見ながら歩いていなかったので、これが、サンマルタン教会であることには、あとで気がついた。
既に一度目の前へ行っている教会である。

通り名はエグリーズ通り。
コルマールを代表する教会へ繋がる道であろうことは、容易に想像つく。
地図持たずに、うねうね曲がる道を歩いていると、全く別のところに大きな教会発見!そんな風に思っていた。
後で、あの教会を地図で調べておこう。
そう思って、雨中、サッと一枚撮っておく。
コルマール
どんな町でも、観光局でもらった地図に、宿へ戻って、ペンテルの赤マジックで通りを赤く染めてゆく。
その日、歩いた場所だけを塗っておくのだ。
記憶をたどりつつ。

そのためには、場所は把握できなくとも、通り名などは記憶しておく。
デジカメに記録もしておく。
歩いている道と、記憶に残る交差する道。

自分の行った、知ったゾーンがわかるし、いっていない場所もわかる。
数日たって、歩いた道が繋がると、まだ繋がっていないところも地図上でイメージできるところが出てくるのだ。