2015.04.30

アレ・レ・バンの目抜き通り Avenue Nicolas Pavillon

この町でも、トイレ騒動があった。
とにかく、トイレに行きたくなったのだが、トイレがない。
教会の目の前を通る大通りを歩いてゆく。
どこかに、店が、トイレが、公衆トイレなんぞがあるはずだ。
アレ・レ・バン
ところが、それらしき雰囲気の建物すら見つからず・・。
お昼時だからか、全体にひっそりとしている。

結局、最終的には、一番最初に渡った橋のたもとにある小さな土のグラウンド公園に公衆トイレがあって、事なきを得たのだが・・。

とにかく、そこそこの知名度のある駅ですら、トイレがないなんてこともあるフランスであるから要注意。
もっとも、駅にトイレがなくとも、駅前のカフェにはあるから、そのあたり、売り上げの連係プレー的な関係でもあるのだろう。パリは、駅にトイレがあるが、大抵有料。

望遠で狙うと、道の向こうの山々が迫って見える。
あのふもと付近に、駅があるはずだ。
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2015.04.29

プラハ5区散策 ステファニーコヴァ通りを行く

プラハの散策は、トラム沿いに歩くことで、不安からまぬかれる。
とりあえず、困ったら、トラムを乗りついてゆけば、帰ることができるという安心感からである。
それでも、遠くまで行って、そこから戻るように歩いてかえる。
プラハ
パリにも区があるが、それぞれの区には、それなりの意味合いや雰囲気があろう。
この区はどんな存在であるのかは知らないのだが、見た目の感じからは、下町の様相である。

重厚とまでは行かないが、カラフルな建物と、お店の多さ、路上駐車の車たち。
市民の一員になったかのような気分で歩いていると、実際には、”市民ではない”ために、ワクワク感は増幅してゆく。
住人がワクワクすることはあるまい。

このワクワクする感じはなんなのだろう。
まさに自分自身の地元にいるときのような無防備と、迷って困ってしまっている不安感の中間に当たるからか。
小さな勇気だけでできる、冒険に出ているのである。
2015.04.28

ヴァンセンヌの聖王ルイ

ヴァンセンヌ城の脇に、立像がある。
Saint Louisとなっている。
サン・ルイすなわち、ルイ9世である。

ルイといえば、14世と16世が有名であるが、この9世、聖王と呼ばれるほどの有名な王である。
サン・ルイは知らなくとも、アメリカのセントルイスという町は知っているかもしれない。
セントルイスは、サン・ルイの英語読みである。
むろん、ルイ9世のことだ。
ヴァンセンヌ
そのルイ9世は、十字軍を送り、アフリカの地でなくなったようであるゆえ、殉教ということになっているのだろう。
この、ヴァンセンヌ城から、その十字軍を発したということらしい。

そもそも、この銅像、ここに書かれていた内容でゆくと、パリのサン・ルイ・アン・リル教会にあったものを、100年ほど前に動かしたらしい。
動かしてここに立っていることすら、既に歴史的事実となりつつある。

このルイ9世。
13世紀の人である。
フランス、キリスト教側に立てば、聖王ということになるのだろう。

この王。同時代人には、御成敗式目を作り上げた北条泰時。世界的に見れば、英雄チンギスハーンの時代なのだ。
そんなことを思いつつ、現在の世界地図を眺めてみると、科学技術は変革しても、人の発想は全く進歩していないようである。
2015.04.27

アロマンシュの丘から

風が行く。
アネル村から歩いて登ってきた。
海が見える。
高い位置から見る海は、壮大だ。
水平線が、海辺から見るのとは、何か違うように感じる。
風の向こうに、戦争の爪あとが点々と見える。
アロマンシュ
もと来た方を振り返れば、アネル村方面が見えている。
こうしてみると、随分登ったものだと思うが、何も見えない一本道をずるずると登っていると、そんなに高いところに到達したとは感じていなかった。
アロマンシュ
おそらく、ドイツ軍の哨兵は、ここにいたのに違いない。
迫り来る連合国英軍をどんな気分で眺めていたのだろうか?
時代とはいえ、その時代に命を懸けて戦わねばならぬというのは、悲しいものだ。
アロマンシュ
海に風紋を作りながら、風は行く。
風に乗ってやってくる罵声は、昼飯に何を食べるかでもめる夫婦喧嘩の声だけであることを望む。
そんなことを、考えてしまうのは、アネル村から、何も食っていないからだ。
懐にはアネル村サブレがある。
もう少し。
ゴールが見えたら、あけようと思う。
2015.04.26

モンマルトル裏の商店街 Rue du Poteau ポトー通り

モンマルトルは18区であるのだが、18区の中心を区役所だとすれば、ジュールジョフラン駅が中心となる。
メトロ12号線の駅で、丘の真北にある。
ここの駅前に区役所がデンと構えているのである。

18区といえば、モンマルトルの丘であるのだが、そこは観光地でもある。
住宅街は、モンマルトルの丘の周囲に広がっており、そこの扇の要が、ジュールジョフランということになる。
パリの道
駅から、西北に伸びる商店街が、この通り。
パリは、どこの通りもそうではあるが、日が当たり、陰影が出来ると、なんともいえない魅力が出てくる。
このときは、この通り沿いのスーパーへ飲み物を手に入れようと向かう時、後ろからやってくる車に気をつけつつ、一枚撮らせてもらった。
2015.04.25

コルマール 雨

どこを切っても絵になるコルマール。
散策していると、曇天から雨粒が・・・。

気に入った風景を、あわててカメラに収めてゆく。

傘が開いているが、まあ、なんだか、日本の色合いとは違う感じがする。

欧州で雨といえば、よく思い出すことがある。

ドイツ人は、雨が降っても傘をささない。

そういってはばからなかったのは、ドイツからの帰国子女の男の子であった。

たしかに、この写真の中でも、傘を差している人の割合は、すくない。
もっとも、降り始め出もあるし、まだ、日本人的感覚でも、歩けぬことはない範囲。
コルマール
それでも、ドイツのことはよくわからないが、フランスでも傘を差している人の割合は、日本よりは少ないように思われる。
雨が、本格的にザーザー降るといったことが少ないからか?
降りだしても、すぐに止んでしまう。
そんなことも多い気候であるからかもしれない。

そういえば、学校の地理で習った。
温帯には3つある。
温帯湿潤気候、地中海性気候、西岸海洋性気候。
日本は、湿潤なのだ。

フランスでは、傘もいいかげんな人も多い。
ゴルフ場のような巨大傘もよく見かける。
折りたたみとはいえ、そんなチャチな傘といったものも見る。
すくなくとも、多くのフランス人にとって、傘は、ファッションアイテムではなく、道具に過ぎないのだろう。

そのゴルフ傘と買い物袋を右手に持ちつつ、左手には、2リットル×6本の水を持つおばちゃんもパリで見かけた。
写真右下の紅白傘も、そんな部類の傘なのかもしれない。
ロジック、テクニック、プラティック(便利)は、フランス人のご馳走である。

でも、ゴルフ傘、これからの梅雨とゲリラ豪雨の日本では、欲しいアイテムとなるかもしれない。
台風では、メアリーポピンズになりかねないけどね。
2015.04.24

ラン 顔出し看板

観光客もまばらなランの城壁に顔出し看板があった。
フランスでは、そんなに見かけないような気もするがどうだろう?

一人だったので、覗いても、写真の撮りようがない。
最近よく聞く自撮り棒とかなら、撮れるのかもしれないが、ちとさみしい。
ラン
知り合いに、これが大好きという人がいるのだが、この人はまた、面白い。
まずは、ふつうなら、まっすぐはめる看板に、横顔を当ててみたり、いわくありげな目線と顔を作ったり・・。
見せてもらったが、これは楽しい。

ただ、これも、想像力の乏しい我からすれば、想像力が必要な代物になる。
簡単に考え付く人からすれば、瞬間に思いつくのだろうけどね。
2015.04.23

アレ・レ・バンの修道院

アレ・ノートルダム修道院というそうだ。
廃墟となっている修道院は、その脇にある観光局の中に扉があって、そこから入ってゆく。
時間が来て、入れなかった。
もちろん、それは、観光局のひとのお昼休憩なのであろう。
アレ・レ・バン
ただ、この修道院廃墟、中に入れずとも、通り沿いから十分に見ることはできる。
もちろん、近くに入ってみれば、景色は変わるのであろうが、いわゆる、中に入らないと見ることができないという代物ではない。
アレ・レ・バン
夕方には、カルカッソンヌのシテ脇の宿へ帰らねばならない。
別働隊と食事へ行くのである。
アレ・レ・バン
ここにいられる時間は、数時間程度。
廃墟の真下へ行ったみたいものだが、とりあえず望遠で、それらしい雰囲気だけ味わうことに。
2015.04.22

聖ヴィート教会 夜景

夜景を撮るために、プラハ城へトラムで向かう。
トラム駅から、北門へ向かうと、昼間に撮った写真と同じ場所から、聖ヴィート教会のライトアップが見えている。
これはきれいだ。
そう思って、シャッターを切った。
プラハ
雨がパラパラ来ている。
傘を小脇に抱えつつ、手振れを意識しながら、シャッターをきる。
甘くはない。
撮れた3枚のうち、2枚までは、完全にアウト。
しかしながら、一番暗めに撮ったこれだけは、縮小してみれば、なんとかなる範囲内だった。
2015.04.21

ヴァンセンヌのシャトー大通り

Avenue du Chateau。
アヴニュー・デュ・シャトー。
重要建造物へ向かう通りなので、アヴニューである。
ヴァンセンヌ市の通り。

このヴァンセンヌ城正面のシャトー通りから、門を眺めると、確かに威容である。
お城のドンジョンから見た、周囲から浮いた板チョコの雰囲気はない。
ヴァンセンヌ
そういえば、ヴォー・ル・ヴィコントも門が北で、南に庭園が広がっていた。
ここも、北に門があり、南に森が広がっている。

他もそうなのか?
ヴェルサイユは東から入ってゆくし、ルーブルは、あれは、どこが正門だかわからないが、どちらかといえば、東西方向に建っている。
どうやら、方角は決まっていないようである。

このお城の場合、北から、お客さんが近づいて来る導線になっているのだろう。
2015.04.20

青に青に青

サン・コーム・、ドゥ・フレネから、不安になりつつ坂道をひとり登ってゆく。
時折すれ違う車もあるが、不審人物と思われぬことを祈るばかりである。

そう思っていると、目の前の路肩に、一台の車が止まった。

おいおい、俺に道聞こうったって、こちらは旅行者だよ!

降りてきた男は、こちらにニコリとして、車を残して立ち去った。
青いTシャツにブルージーンズいでたちである。

真っ青なTシャツというのは、なかなか着こなすことのできぬアイテムであると思うが、ブルージーンズの上に着るのは、よほど勇気がいる。
青人形になるからである。

カップルである。
女性は一人きり、車の中に。

そのお兄さんは、立ち去った跡、海沿いへ向かった。
とても、飛び込み自殺をするようには見えぬ。

と、おもむろにカメラを構えて、写真を撮り始めた。
アロマンシュ
その方向をみると、もう、丘の上から、海が見えていることに気づく。
青いシャツ、青いズボン、青い海に青い空。

きっと、あの陽気さと、唐突な車の止め方はイタリア人に違いない。
フランス代表もブルーのユニフォームだが、イタリアも青だ。
むろん、サッカー日本代表も青である。

その青きイタリアンを入れて、青ばかりの彼方を撮ってみた。
2015.04.19

ノートルダムの塔からモンマルトルを

ノートルダム寺院の塔から、あちらこちらの風景の写真を撮って、それを並べてきたが、今回は、モンマルトル。
先日、ベルジェールの丘から見るモンマルトルの丘を載せたので、その比較も含めて。
ノートルダムの塔
当然、南から見るわけで、サクレクールのドームと、その背後の塔が重なって見える。
サン・ピエール・ドゥ・モンマルトル教会のロマネスクの三角屋根も、その脇に見えている。
印象的なのは、パリで見られるクレーンのほとんどに施されているトリコロールの色だ。
支柱はブルー。他が紅白というデザインは、決まっているのかどうか?どこでも統一されている。
2015.04.18

コルマール Grand Rue グランリュー散策続く

グランリューはとにかくかわいらしい建物が多いので、そこをまっすぐ進んでゆく。
どこを切り取っても絵になるが、ここは、グラン(でかい)というだけあって、商店街の目抜き通り。
道も整備されているし、観光客も多い。
コルマール
風景のどこかが日本と違うのだけれど、一つは、建物と建物に隙間がないことかもしれない。
日本でも、隙間のない立て方になっているところがあるが、それが延々と続くことは少ない。
空き地だったり、駐車場だったり・・・。
日本人は、となりと接触していることを、より避けるのかもしれない。

仏壇でもなければ、観音開きする窓も少ないし、色使いもそうだ。
ある意味、反対側にある感性でつくられた街並みなのかもしれない。

欧州の人にとって、アジアはエキゾチックなのかもしれないが、われわれにとっては、欧州が、そのエキゾチックにあたるのだろう。知らない土地にいるという旅の感覚が増幅されるわけだ。
2015.04.17

ランと騎士

残念ながら、入ることのなかった、ランの美術館。
美術と考古学の美術博物館。
テンプル騎士団の修道院跡のようで、見えたドーム型のものは、チャペルであろうか?
ラン
そういえば、ここの門には、ロランの歌の記載があった。
シャルルマーニュ伝説である。
どうやら、このランと騎士というのは、濃いつながりがあるようである。
大聖堂の町ではあるのだが、王家の匂いが漂うのだ。
この丘そのものが、権力者の丘にふさわしい様相だったのだろう。

2015.04.16

アレ・レ・バンの教会

おお、あれだあれだ。
橋を渡って、道なりながら右に曲がってゆくと、教会の壁面が見えてきた。
間違いない。歴史的建造物であるし、インフォメーションのロゴマークも見えてきた。
アレ・レ・バン
まずは、観光局で、地図をもらおう。
そう思って、中に入った。
すると、先客の家族連れが、なにやら、お取り込み中。
どうやら、廃墟の教会敷地に入るのは、お昼で終わりらしい。
14時に再開とのこと。
そこまでわかってしまったら、地図をもらうしかすることはない。
アレ・レ・バン
外に出ると、こんな貼紙が。
土日しか、開いていないようだ。
そして、本日はラッキーなことに開いている。
しかし、現在はアンラッキーなことに12時で閉まっている。

こうした時、事前学習を、ガイドブックやホームページでしておくといいのだと思うのだが、今日知った町だけにね。
現在はスマホという手もあるけれど、もちょっと、海外での料金安くならないですかね。

ただ、この手書きだと、ウェブで検索してもわかるのかどうか・・・。

かえって、事前に調べたから、やってないと思っていた!とか言うこともあろうから、事前学習も、スマホもガイドも万能じゃない。何かしらの機会を奪いかねない。
そう思えば、何もかも縁に思えてくるのだ。
なにかしらで過ごしてゆく時間だけは、平等に与えられる。
2015.04.15

リディツカーLidická通りを行く青いトラム

プラハ5区。
カフェから出て、リディツカー通りの前にふたたびやってくると、そこには青いトラムが去ってゆくところであった。
プラハ
と、そこへ、もう一台のトラムが追いかけてゆく。
こちらの方が、渋い旧型で哀愁漂う。
プラハ
とにかく、雨の多いプラハ。
濡れた路面は、鏡のように反射して、より、この町のの魅力を上げる。

土砂降りじゃなければ、何とか写真も撮れる。
2015.04.14

ヴァンセンヌ城のドンジョンから3

ヴァンセンヌ城のドンジョンから、門の方角を眺める。
北門というべきか?
重厚感はなく、なんとも、板チョコのような雰囲気である。
その上には、プラスチックのツマミがついている。
水色とブルーであったなら、間違いなくそう思ってしまうだろう。

城壁が、あの高さで城内を囲っていたとは思えぬので、あの門だけが、あのように飛び出ていたのだろう。
もっとも、門が重要であるのは、その目の前に立った人が、どう威圧されるかであって、このドンジョンからどう見えているかはあまり重要ではないのかもしれない。
ヴァンセンヌ城
個人的には、手前の武器庫が好きである。
武器庫かどうか?わからないが、いかにも、槍や鎧が収蔵されており、ここから、隊列を成した兵が、門から出てゆくところを想像する。
そんなためのお城であるからどうか勝手な想像であるが、飾り立てたどこかの宮殿とは違い、ここは、とても実用的に必要なものがそろっている武者の館のようである。

門の高さは違うが、塔の高さの似ている同じような規模の東寺の5重塔から望んだら、どのような感想になるのだろうか?
2015.04.13

サン・コーム・ドゥ・フレネの教会

アロマンシュへ向かって、坂道をゆっくり上がってゆく。
誰も歩いていない。
誰もいないことはよくあるのだけれど、毎回心細い。
高速道路をあるいているわけじゃないが、歩く人のために道は造られていない。
歩道と呼べるようなものはない。
この教会が見える付近までは、なんとか、じゃり道が歩道替り。

車の人も、歩いている人がいることは、想定していまい。
だから、危ないといえばそうだ。
もっとも、車列とすれ違うことはほとんどなく、1台、また1台とすれ違う。
サン・コーム・ドゥ・フレネ
古く、廃墟になりかけているような、ロマネスク建築の立派な教会である。
振り返り、振り返り、写真を撮りながらでないと、なんだか、歩いていていいのか?不安になってしまう。
歩道があるというだけで、安全、危険とは別に、歩いていていいという安心感を与えてくれていることに、こういう場合気がつくのである。
2015.04.12

ベルジェールの丘Rue Georges Lardennois ジョルジュ・ランドノワ通りからサクレクール

ベルジェールの丘というのがある。
19区。
Bargeyreというのは、ロベール・ベルジェールさんから採られたものだ。

20歳だった彼は、ラグビーの選手だったが、第一次世界対戦で亡くなり、ここにその名を遺した。
15000人収容のスタジアムで、1924パリオリンピックでも使用され、フランスのサッカーのカップ戦決勝も行われている。

そんなことが、この景色の脇の看板に書かれていた。
パリの丘
何度か訪れたが、ここは、人があふれかえっていることもないが、サクレクールを望むベンチに座っているひとや、眺めいてるひとはよく見かける。
サクレクール寺院を眺めるポイントはたくさんあるが、モンマルトルの丘を眺められる場所は少ない。
ここは、その中でも、最も近くモンマルトルの丘を捉えられる場所かもしれない。
2015.04.11

コルマール 2月2日広場 Place du 2 Février

日付の入った広場や通りの多いフランスであるが、ここは、2月2日広場であった。
この日付の意味するところはわからない。
2月2日広場であるのは、後に地図を見てからである。
見えた、公園のような場所へ、ぶらりと入ってみたら、オブジェが並んでいた。
建物は新しい感じだ。
コルマール
スターリングラード攻防戦の終結が2月2日らしいのだが、こうした日付のものは、1次2次大戦のものが多いから、そうなのかもしれぬ。
そもそも、アルザスは、多くの戦いにさらされてきた場所。
美しい街並みを求めてここまでやってきたが、翻弄されてきた交通の要所でもある。
2015.04.10

ランの階段 Escalier Municipal エスカリエ・ミュニシパル

ランの駅を降りると、目の前に丘がある。
駅を降りて、左手前には、ケーブルカーの駅があるし、バスターミナルにもなっている。
通常は、そこから、丘の上を目指すことになる。
ただ、ケーブルカーは、中世にできたわけではない。
当然に、登る道がある。
ラン
おそらく、南が正門であろうから、北側は裏の坂道ということになるのだろう。
駅前の道をまっすぐ丘に進んでゆくと、延々と続く階段に出る。

ランの丘へは、3度ほど登ったのであるが、どれも、南側からで、この階段はついぞ登ることがなかった。
ここでやり残したことといえば、この階段を登っていないこと。これが一番の心残りだろう。
2015.04.09

アレ・レ・バンの県道

町の中へ入ってゆくのに橋を渡る。
川の名称標識と、町の標識。
その上にある、国道番号。
いやいや、D2118。県道2千百十八号線。
桁がすばらしい。
4桁の通りは、日本にはないのではないか?
リムーからの大通りが、県道118号線であるから、その側道的な意味合いがあるのかもしれない。
アレ・レ・バン
すべての通りに名前があるというフランスである。
数字好き国民性であるから、2118号線もわからないこともない。

そうそう、橋を照らすライトが、花で飾られている。
Gui(ギー)という鳥の巣があるのだが、その形に似ている。
ヤドリギのようというより、その形、ぼんぼり型がこの国の人が好きなのか?欧州どこもそうなのか?
2015.04.08

プラハ レトロなトラム91番

プラハ城へ北門から向かう時。
紅葉のトンネルをくぐるトラムの撮影をしていた。
さて、プラハ城へ向かおうか!そう思っていたら、まさに、ちんちん電車がやってきた。
あわてて写真を撮った。
ピントを動体予測のAIサーボに合わせている暇もない。
何とか、ピントが合っていたのが、目の前を通り過ぎて駅に停車した瞬間だけだった。
プラハ
なんだ、これ?と思って、駅のトラムナンバーを見ていると、91番という他とは番号のかけ離れた路線がある。
帰って、路線地図で確かめると、トラムの博物館へ向かうやつらしい。
これだけレトロなトラムに乗るのは、子供の頃行った、愛知県犬山市の明治村の京都市電以来であるなぁと思っていたのだが、残念なことに、乗るチャンスは訪れなかった。
2015.04.07

ヴァンセンヌ城 モンスター

ドンジョンの住人である。
トイレを探しが激しくなり、ぐるぐる回っていたときに、あまりにコケティッシュで、通りがかりに盗み撮るように一枚。
結局、塔の中には見つからず、取り囲む城壁の1階にトイレが見つかるが、それは、この時点より随分後のこと。
ヴァンセンヌ城
モンスターは魔よけとしてここにいるのか?囚人監視であるのか?
それにしても、翼の生えた牛である。
そもそも、化け物は、人間の知った動物か、人間そのものを変化させたものが多い。
もっとも、こちらが”知っているなにか”の形の変形でなければ、おどろおどろしかったり、怖かったりしないからなのであろう。
三角形と丸をくっつけただけで、目も手も鼻もないモンスターの彫刻があったとしても、見た人間は、単なる装飾にしか見えぬ。
そう考えると、人の恐怖とは、知っていそうで知らないこと、なのかもしれない。

もよおしたとき、トイレがどこにあるか知らぬのも恐怖に違いない。
2015.04.06

ノルマンディ海岸の坂道

アネル村、サン・コーム・ドゥ・フレネ村とぬけてゆくと、坂道にさしかかる。
海岸から見えていた崖の上へ向かう。
この丘を越えれば、アロマンシュにつくはずだ。
バスに乗りながら、それだけをチェックしておいた。

バイユー、そこから海へ向かってアロマンシュ、曲がってアネル村。
そんな地理情報は叩き込み、バスに乗っておく。
そうすれば、田舎のこと。どこだかわからなくなることはない。
アネル村
バスに乗ってアネルへ下るときの風景がとてもきれいだったので、帰り道、坂の中腹からアネル村方向に向かって写真を撮る。
広い空と遠くに見える海、延々と緑の中を伸びてゆく道が、印象的だった。
2015.04.05

ノートルダム寺院からエッフェル塔とサンジェルマン、アンヴァリッドを望む

実際、パリでもっとも空に近いエッフェル塔が、ノートルダム寺院に登って最初に目に付く建物であろう。
一番最初にカメラに収めようとする代物に違いない。

その方角を向いて写真を撮れば、サンジェルマンでプレ教会のとんがり屋根が、アンヴァリッドの黄金の屋根と重なって見える。
それらの右、エッフェル塔の足元に見える建物は、おそらく、ブルボン宮の国会議事堂なのであろう。
ノートルダム寺院
それにしても、パリだけではなく、フランスの中心に位置していることを実感する風景が広がっている。
すべての道はローマに通ずともいいますが、すべてはパリのここから発すといった雰囲気ですね。
2015.04.04

コルマール Grand Rue グランリュー

地図をあまり見ずに、ぶらぶらと歩いてゆく。
自分自身の感覚では、ウンターリンデン美術館付近から、南に向かい、その後西に折れたつもりだった。
すると、このグラン・リューに出会った。
街外れに向かうと、こうした目抜き通りがいきなりあるのか・・と思ったのだが、実際は、旧市街の北よりを東へ歩き、南へ向かう目抜き通りにぶつかったのであった。
コルマール
この日は曇り。
全くしらぬ町で、太陽のないままに歩いてゆくと、方向感覚が全くなくなる。
地図を読み込めばいいのだろうが、そういった、細かいことは、あまりできないような性格らしい。
教会、美術館、スーパー、観光局から遠ざかれば、当然、目抜き通りなどあるはずはないと思っていた。

細かいことが好きな性格であると、たいていの人には思われる。
だが、身近な人間だけが、なにもやらぬ無精で気の利かぬいい加減な性格であることを知っている。

きれいでかわいらしい雰囲気の通りに引きずられ、この通りへ入ってゆく。
フナックもあるし、タバコ屋も見えるし、建物も瀟洒だし、こっちへ向かえば、また、気に入りそうな雰囲気のよい通り、何かしらの建造物に出会えそうと、通りの奥へ向かってゆく。
2015.04.03

ラン Rue Georges Ermant ジョルジュエルマン通りのガレージ

以前も、ラ・ロッシュ・ギュイヨンの記事で、ガレージを話題にした記憶がある。
馬車でも入れてたんですかね?それとも馬でも。
横浜の丘の上にある馬と競馬の博物館で、昔の日本家屋で、馬が中に入れられる構造展示を見たことがあるが、そういうことが、フランスであったのかどうか?

この扉が、ガレージなのかどうか?はわからないが、そういうことにしている。
木の扉のはげ具合が、いい雰囲気であることが多く、その面積が、普通の扉に比べて巨大で、通りの雰囲気を決める大きな要素になっている。
ラン
そもそも、この主題の写真をとるようになったのは、ネットだったか?ポスターだったか?カメラのカタログのサンプル写真だったかで、ガレージの扉の写真を見てからである。

もちろん、それは、プロが撮ったものであろう。
きれいだったし、いかにも、欧州といった雰囲気を満々にたたえた、とある通りのとある壁面の写真だった。
何というわけでもないのに、プロが撮ると、こうも雰囲気と情緒が際立つのか!とおもったのだが、同じような写真を撮るものの、そう簡単ではないようだ。
2015.04.02

アレ・レ・バンの町の入り口にて

バス停を降りると、通りを渡る。
渡ると、今度は、橋を渡らねばならない。
その橋のたもと、町の入り口にたて看板があった。
どうやら、教会の廃墟と、自然が売りらしい。
アレ・レ・バン
よくよくみれば、コロンバージュという単語と、木組みの家の絵があるから、古き中世の町が保存されているようだ。
そういった町だ。
リムーの観光局では、偶然、この町を見つけたが、世界中から観光客がということになると、この奥の村、レンヌ・ル・シャトーが、映画ダ・ヴィンチ・コードで脚光を浴びて有名で、ここは、通過してしまう客も多いに違いない。

もっとも、こちらは、ダ・ヴィンチ・コードの映画を見ておらず、レンヌ・ル・シャトーも知らなかったから、カルカッソンヌの奥のリムーの奥にやってきたぐらいの感覚しか持ち合わせていなかった。
この奥の山奥に、有名な村があるとは知る由もない。
したがって、この町は通過点ではなくて、目的地になったのだ。

ここは、その他のフランスの町ということになるのだが、それでも、観光は大事なのだなと、入り口の看板を見て思うのである。

廃墟と古き家々以外の案内は、電話番号なんかが載っているから、広告を兼ねている。
2015.04.01

プラハ トラム オレンジ編

先日、シンガポールの元首相リー・クアンユーがお亡くなりになった。
生まれて初めての海外旅行は、高校生の時に訪れたシンガポール。
のっけから、一人旅。
ただ、JALのファミリーサービスというのを利用した。
無論、”親”の指示による。
CAさんが、あれやこれやと世話を焼いてくれるのだが、多感な年頃を察し、子ども扱いをしないように気を使ってくれた。

その、シンガポールで、楽しみだったのは、バスの写真を撮ることだった。
何がって、ラッピングバスというのを始めてみたのだ。
さまざまなデザインが通り過ぎるのが、楽しかったのだ。
そんな、思い出のあるシンガポールといえば、当時の首相、リー・クアンユーという名前と共に記憶している。
プラハ
さて、チェコ。
その頃と、何も変わらない気分で、チェコのラッピングトラムの写真を撮っている。
髪の毛の白いものと、カメラがデジタルに変わった以外、自分も世界も何が進歩したのだろう。
東西冷戦構造が変わった。
変わったことは、いくつかあるが、進歩は果たしてしているのか?
そういえば、あのころ、キャビンアテンダントはスチュワーデスと呼んでいた。

進み、歩いたのは、時だけのような、気がする。

ともかく、色違いのトラムを撮りまくる。
その他の色は、またいずれ。