2015.01.31

シャルトル サンピエール教会の夜景

サンピエール教会のライトアップも2度目であるが、前回よりも随分細かくなっているようだ。
そして、青い。
シャルトル
三脚を持ちながらの移動であるけれど、持ち運ぶ三脚の高さも限度があるし、毎回毎回広げて撮るのも大変だ。
感度をアップさせて、手持ち撮影したいところだが、結構真っ暗で、手振れになってしまう。
そんなわけで、構図はともかく、手振れしないことを最優先に、近くの建物の壁に、カメラを押し付けつつ、ぶれないようにシャッターを押す。

右側を壁に押し付けて、右側にあるシャッターを押すのは結構やりづらい。
まかり間違えば、カメラが、真下へ落下してしまう。
それとも、建物の壁でこすれて、カメラがボロボロになってしまいそうである。
シャルトル
写真を撮っていると、目の前に他に写真を撮る人が・・。
あの、手前のライトアップしてるボックスまで出て、あそこに押し付けよう!

で、何とかがんばって、見られる写真が撮れた。
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2015.01.30

ランの道 Rempart Guillaume de Harcigny ギョーム・ドゥ・アルシニー城壁通り

通りの種類が、アヴニューとか、ブールヴァールとかありますが、ランパール(城壁)とそのままになっている通り名がどこかにあったかなぁ?と記憶をたどるが、思い浮かばない。

ランパールとカタカナで書くが、自分の耳には、ホンパールと聞こえる。
Rの発音しているなっ!ってな感じのする、ホンパールでなくてはならないが・・・。

フランス語以外はどうなのか?わからないが、つづりと聞こえた音で単語を覚えるほうが、カタカナとつづりで覚えるより良いような気がする。
カタカナが最初に目に入ってしまうと、似てもにつかぬ音で脳に刷り込まれてしまうからである。

授業で恥かきたくないし、予習をしていかぬと、ついていけないし・・・であるが、カタカナはどうかな?って気がするのである。

予習なら、発音をカタカナで書くよりも、日本語の意味書いちゃったほうが良いように思う。
ラン
さて、城壁の壁が片方をふさぐ、うねった通り。
街灯が、数多く並ぶが、道々を照らすというより、城壁を照らす明かりとなるのだろう。

溝の形になって、うねる通りが、子供心を揺さぶるねぇ!
2015.01.29

リムーの丘

駅からぶらぶら歩いてゆくと、丘が見える。
朝もやに煙るリムーの丘。
そんなつもりで写真を撮った。

が、帰ってから見てみると、その丘はブドウ畑のようなのだ。
リムー
リムーの言えば、ワインが有名なのだそうだ。
このカルカッソンヌのある地方では、最も有名なのがコルビエール。
次に、ミネルヴ。
そして、このリムーも結構有名だというのだ。

もちろん、この町へやってくるにあたって、カルカッソンヌの観光局でもらった資料には、ワインのことが載っていたから、この場所に到着した時点では、ワインという文字は頭に入っていた。
それも、気が向けば、ワインを買って帰るという程度のつもりで、主は散歩である。

シャンパーニュの里、エペルネーやアイ村のように、ワイン畑が丘に広がっていたとは、後まで気がつかなかった。

この日はあいにくの雨である。
雨になると、足取りは重くなる。
この後、別の町へも出かけることになり、ワインを持ち帰るのは、まぁいっか!となってしまったのである。

この界隈には、観光の落し物が多い。
またいずれ訪れるゾーンになりそうな予感がしている。
2015.01.28

プラハ トラムカフェにて

ヴァーツラフ広場のカフェで、本日の作戦を練ることに。
旅行に行ったら、まず、当地で作戦会議という名のカフェ休憩。

せっかく来たのに、いきなり喫茶店というのは、よくわからないなどと、時々言われるが、単純に、自分自身が旅先での喫茶店にいる自分が好きなのであろう。
そういうイメージの中に、自分をかざって満足するのだ。
プラハ
ハニーケーキがこの町では有名なのだそうで、観光客ござんなれのここで頼んだら、きっと高いよ!ってわかっていながら、この先、いつ食べるかわからぬものを、とりあえず口に入れておく。
そして、このブログに載せるためだけの写真を撮る。
こういうときは、値段は見ない、記憶しないことにする。
プラハ
もともと、この近くの別のカフェで休憩する予定だった。
ところが、そこは、閉店中。
やっていなかったのか?もうなくなったのか?
情報は生ものであるから、ガイドブックは最新号であったとしても、現状を表しているとは限らぬ。
インターネットもそう。
今日の記事であっても、情報は古いなんてことはザラなのだ。
プラハ
だから、情報は現地でも手に入れる。
観光局が一番良いが、それとて、最新とは限らぬ。
プラハ
さて、カフェに入る口実であった作戦会議。
どこへ向かうのか?
何番のトラムに乗るのか?

そうそう。
どうやら、空中で物を広げるのが、あまり得意ではない。
不器用なのだ。発想力のなさと、横着な正確が、それに拍車をかける。

だから、テーブルの上で広げるのがいい。
こぼす、汚す、落とす。そういうことのない、広いテーブルがいい。
地図と、ペンと、本と、カフェと、スイーツと・・タバコ(もうやめました)

そんな空間に身をおく自己満足。
作戦会議自体は、たった数分で終わってしまう。
2015.01.27

ヴァンセンヌ城 サントチャペルのステンドグラス

こざっぱりしたとも言えるし、殺風景な感じのチャペル。
絢爛さが零れ落ちんばかりの、パリ中心部のサントシャペルとは好対照。
それでも、一つ一つのステンドグラスは、なかなかきれいだったので、カメラで何枚か撮ってみる。
ヴァンセンヌ
チャペルの壁際に、何枚かのプレートが入っていて、そこに、なんらかの説明が書かれている。
ステンドグラスの説明ものもあったかもしれないし、なかったかもしれない。

アルファベットの字のつながりをみていると、疲れているときには、拒絶反応が出る。
このあたり、初学者のつらいところ。
さて読むぞ!と勢い込んで、辞書片手に読んでいかねば、理解できぬレベルであるからだ。
ステンドグラスであるということ、何世紀という文字。
その程度の単語を追って、その他は、視界から零れ落ちてゆく。

このときは、日本語ないのかな?と探してみて終わり。
ヴァンセンヌ
時々わからない単語を、辞書で補いながら読んでゆく・・なんてレベルであれば、そんなに苦労もしないのだろうけど、がんばって読み始めたものの、辞書があってもギブアップするなんてことが多いから、アルファベットを見る視野が劇的に小さくなってしまうのである。
お持ち帰りできる資料も、もらうものの、後で・・・となりがちだ。
ヴァンセンヌ
かくして、ヴァンセンヌ城のサントシャペルのきれいなステンドグラスの写真という情報が、すべてとなってゆくのである。
2015.01.26

アネルの海

Asnellesアネル村へ来たのは、ノルマンディ・サブレを買うためである。

ただ、この付近へやってきたのは、ノルマンディ上陸作戦の舞台であるということが理由だ。

コタンタン半島の北岸は、ソード・ビーチ、ジュノー・ビーチ、ゴールド・ビーチ、オマハ・ビーチ、ユタ・ビーチと上陸作戦の舞台があるのだが、この、アネル村はゴールドビーチにあたる。

海のどの町へ向かおうか?
そう思っていたときに、入ってきた写真が、食い物のサブレだったのである。
これを食べながら、散策。
そんなつもりでここへ来た。
アネル
ところが、到着したのがお昼すぎ。
サブレ屋さんを見つけたものの、開いてない。

パン屋を探してみたが、どうも閉まってしまったらしい。
昼食にありつけぬ羽目になってしまったが、14時ごろにはサブレ屋さんが開くだろうと推測し、海辺へぶらりとやってきた。
2015.01.25

ノートルダムの塔へ

カルト・ミュゼ、パリミュージアムパスを買ったので、これで、あちらこちらへ訪れることになった。
このパスで言ったことのない場所を周る。

以前から、何度もチャレンジして、やめていたノートルダム寺院の塔へ登る。

列を見たら並ぶ人。
列を見たら並びたくなくなる人。

自分の場合は後者である。
”せっかく”来たのだから・・・という場合でも、なかなか並ぼうという気持ちにはならない。
セッカチでケチだからというのが、きっと真相だろう。
並んでいる時間の手持ち無沙汰感と、時間の損失が無駄に思えてしまうというのが大きい。
が、今回は違う。
ここへ訪れることを念頭にパスを買ったのだ。
ノートルダム寺院
列の並びは、教会脇を、お土産屋さんと平行して伸びている。

並んでいる人は、心なしか、カップルが多い。
何分会話しても飽きぬ”話し相手”がいれば、待つ苦痛は少ないのだろう。

手持ち無沙汰になれば、向かいの店から、パンやらお菓子やらを買ってきて食らいつつ待つ。
”場所取り”してくれる相手がいればこそ。

それでも、1時間待たぬうちに、自分の番がやってきた。
最後は、こんなにたくさんは入れるの?というぐらい進んだが、気の持ちようの所為であろう。

らせん階段を登ってゆくが、これは、どこの教会であろうが、凱旋門であろうが、50歩100歩の風景で、前後関係がはっきりしていないフォルダに入れてしまえば、どこの写真かわからなくなりそうだ。

2015.01.24

シャルトル大聖堂 昼

夜景を見た翌日。
大雨であった。
ところが、宿をでるころ、雨が小降りに。

傘がなかったが、駅前に泊まっていたので、駅までダッシュ。
早々にシャルトルを引き上げ、パリへ帰ることに。

切符を買ったものの、1時間近く列車はない。
すると、その内、雨が止んできた。
シャルトル
せっかくだから、もう一度、シャルトルを歩くことに。
そういえば、昼間のシャルトル大聖堂を撮っていなかったなと思い、一枚。

大聖堂脇のお土産屋をみると、いろんなガイドブックが売っている。
シャルトル大聖堂以外の本もあるのだが、歴史図解や、建物などのシリーズ写真コレクションとか見つけちゃうと、どうしてもほしくなっちゃうんですよね。
買わないと、ブログ書いている時に思い出して、後悔する。
買うと、そのまま、どこへやったやらわからぬ袋の中で、長期眠ってしまうこともある。
こんなことが続くと、買ったか買ってなかったか?その記憶もあいまいになってゆく。
2015.01.23

ランの大聖堂で

ランの大聖堂にはいると、中に絵が飾ってあった。
絵画といより、"ふすま"絵のようである。
絵の展覧会でもやっているのかと思ったが、どうやら、キリスト教のお話が絵になっているようである。
ラン
バケモノと戦う大天使ミカエルのような絵もある。
ブリューゲルだったか?バケモノの絵があるのだが、その絵も、こんな感じのコケティッシュな化け物たちであった。
そんなことを思い出す。
ラン
それにしても、あちらこちらにヤマタノオロチが描かれているんですなあ。

さて、これが、いわゆるステンドグラスなどの替わりなのか?
それとも、この時、”展示”されていたものなのかは分からない。
結構、インパクトのある色使いである。
2015.01.22

オード川を越えて

リムーの駅から町の中心部へ向かうには、橋を越えねばならない。
大きな川が町を貫いているのだが、これがオード川である。

オードというのは、県名にもなっており、オード県の県庁所在地がカルカッソンヌなのである。

そのオード川は、カルカッソンヌ以東、世界遺産のミディ運河に沿うように流れている。
ミディ運河が出来上がる前、オード川が、重要な地中海へのルートであったのだ。
リムー
そのオード川を、カルカッソンヌから遡ってゆくと、リムーに到達する。
さらにさらに、その先、上流へ向かうと、あの、ダ・ヴィンチ・コードで有名になったソニエール神父のいたレンヌ・ル・シャトーへとたどり着く。
カルカッソンヌから伸びる、この国鉄のローカル線は、ミディ運河が出来て、トゥールーズとつながる前までは、主要ラインであったのだ。

これで、一つ、このローカル線沿線に、大きな町が存在している理由がわかったのである。

地中海を逃れてきた、マグダラのマリア一行は、”オード川沿いに山奥へ退避していった”ということになる。
2015.01.21

ヴァーツラフ広場にて

プラハの大きな広場、ヴァーツラフ広場にトラムのカフェがある。
観光客おいでなさいと待っているのだが、それが、トラムである以上、乗らねばならぬ。
そんなわけで、このカフェに入ることにした。
プラハ
カフェに入る前に、トラムカフェの向こうを走るトラムを撮ろうと思ったのだが、なかなかうまくいかぬ。
撮った!と思ったら、おばちゃんの頭が入っていたり、手振れしてみたり。
で、どうにか撮れたトラムの向こうのトラムは、プラハ伝統の赤いトラムじゃなくて、青と緑のラッピングトラムであった。
2015.01.20

ヴァンセンヌのアンガン公のお墓

ヴァンセンヌ城のサント・シャペルの奥に入ってゆくと、左側に小さな礼拝堂(オラトワール)がある。
王妃の礼拝堂と名づけられた場所に、アンガン公の墓がある。

革命後に、ここ、ヴァンセンヌで殺された公爵である。
壁に説明がある。
ルイ・アントワーヌ・アンリ・ドゥ・ブルボン・コンデ・ダック・ダンガン。
長い名前であるが、シャンティイ城で有名なブルボンのコンデ家の人である。
31歳7ヶ月19日の生涯。
銃殺されたようだ。
ヴァンセンヌ
シャンティイ、アンガン、ヴァンセンヌといえば、いずれも競馬場のある場所で、随分と縁のある人である。
さて、アンガン。
アンギャンと書かれていることが多いのだが、学校の先生にアンガンという発音だと随分直されたので、そう記しておく。
もっとも、日本語音的には、オンガンといったほうが良いかもしれない。
2015.01.19

バイユー 公園脇から

太陽がさんさんと降り注ぐ午後の大聖堂。
そろそろ、バイユーの町とお別れ。
この先も何度かバイユーへ訪れているのだが、駅前からバスに乗って別のところへ移動してしまっている。
駅からの大聖堂は何度も見るが、近寄ってはこの先どうだろうか?
よほどの理由と縁がなければ、2度同じ町を観光で訪れることはない。
バイユー
そんな気持ちを抱きつつ、駅へ向かいつつ、大聖堂を振り返っては、写真を撮る。

2015.01.18

Rue des Tennis テニス通りのタイル

現在、全豪オープンの真っ最中。
錦織選手の話題で、日本では盛り上がる。
テニスは、フランスでは、日本以上に盛り上がる。
カフェでも、テレビ放映していたりするし、なんといっても全仏オープンの地。
パリの通り
テニス通り。
あのテニスのことを言っているのか?
des Tennisと複数形になっているのは、シューズを指すのか?
そのあたりわからぬ。

テニスという単語自体フランス語動詞Tenirが起源だそうだ。
パリの通り
目的はこの通りではなく、このタイルの家が可愛かったからであるが、せっかく”この名”なので通り名の写真もキッチリ撮ってみた。
タイルは、テニスボールというより、サッカーボールに見える。
2015.01.17

シャルトル ウール川の夜景続き

ウール川沿いの夜景が進化しているのは、そのライトアップ画像が変化するところだ。
以前来たときには、文字のライトアップがなされているだけであったが、ここも、留まっていれば、画が変わるのが見られる。
子供達が、その変わるのを楽しみに待っている。
シャルトル
このとき、水面を、青い光の玉が移動してきた。
これは、流れているのだろう。
ということは、誰かが流し、誰かが拾うという演出がなされていることになる。
拾う人がいると思うと、そりゃ大変だと思う傍ら、ついつい、そういう雇用が発生しているのだと、下世話なことを考えてしまう。
シャルトル
青いライトの下にいても、そんなに感じないが、こうした、青いライトの壁面そして、赤いのも見ていると、青が心休まるというのが実感できる。
青の光は、まず最初に、”きれい”という単語が出てくるような、心地よさを覚えるのである。
川べりで、青の壁背景のシルエットになってコーヒーでも飲んでいたい気持ちにさせる。
静かに時を刻む夜長になる。
でも、ブルーライトだけに、語り合う静かな夜長であっても、眠くはさせてくれないのかもしれません。
2015.01.16

ランの城壁の上から1

ランの南の城壁の上から、眼下を眺める。
近景は、今登ってきた道。
ラン
遠景は、ラン近郊の森である。
豊かな森と畑。
この国の自慢はこれなのだ。
見えているあたりに、競馬場があるはずだ。
ラン
近代的コンクリートジャングルではなく、パリであっても、この風景が、ものの20分ほどの移動でたどり着けるところが自慢なのだそうだ。
フランスは、観光大国で農業大国。
土地は日本の1.5倍で、日本より平らである。
日本にないほどの大河が何本も流れ、日本ほど暑くはなく、湿気もない。
占めた土地は、確かに豊かなはずだ。
2015.01.15

Limoux リムーに到着

電車、ではなく、ディーゼルなんですかね。
ブーンという音と共に、水平移動してゆくような感じ。
徐々に夜は明けてくるが、その音と、イメージできる列車の揺れよりはるかに小さな振動で、睡魔が襲う。
車窓は楽しみなのだが、全く記憶にない。
リムー
この小型の一両編成が、殺風景なリムーの駅に到着する。
この編成だと、レールの上を走るバスみたいなもの。
リムー
ホームとは違って、駅舎は結構立派。
それなりの町の玄関であることを教えてくれる。
2015.01.14

チェコの作曲家たち

マーネス橋へお城から降りてきて、カレル橋を撮っていると、足元に有名人のサイン?が。
そう思って、つづりを読んでみると、グスタフ・マーラーと。
どうも、この町のモルダウ川の上にいると、スメタナ、スメタナとなってしまう。
ああ、この人も、チェコ人なのだな。
プラハ
橋の左岸右岸、上流下流にそれぞれ、サインがある。
スメタナ、ドヴォルザーク、マーラー、そして、ボフスラフ・マルティヌー。
ボフスラフ・マルティヌーという人は、全く知らなかった。
つづりを見ても、知らない人の名前は、漢字かなの国の私には、発音することさえ難しい。
これも、一つの出会い。
2015.01.13

ヴァンセンヌ城のサント・シャペル

パリにあるサントシャペルと同じ名前のシャペルがヴァンセンヌ城内にある。
パリのものをモデルに創られたらしい。
あの、荘厳なまでのステンドグラスがこちらでも見られるわけではないが、シンプルな構造で、がらんとした堂内は、静かな雰囲気に満ちている。
ヴァンセンヌ城
フランボワイヤン・ゴシックの建物。
外のゴテゴテと対照的な中。
ライトはきっと、LEDなのだろうと、そんなことを思わせてくれる光のライン。
ヴァンセンヌ城
フランスに7つのサントシャペルがあるらしい。
そう聞くと、全部行ってみたくなりますよね。
2015.01.12

Rue des Cordeliers バイユー・コルドゥリエ通りからの大聖堂

軍事博物館の裏手の通り、コルドゥリエ通りから、バイユーの大聖堂がきれいに見えていた。
大きな大聖堂は、やっぱり遠くから見る方がきれい。
近くで見ると、きれいというより、圧倒される。
バイユー
撮らねばならぬのが、近くであるとすれば、撮りたくなるのが遠景。
ケルン大聖堂の重量感もなかなかでしたが、ここの後ろのドームの塔も相当の重量感でどっしりとしている。
2015.01.11

Passage des Voutes パリ環状廃線沿いヴート小路のトーテムポール

廃線のプティット・サンチュール沿いを歩いている。
この通りは、サンマルタン運河にかかる高架橋の続きの脇をぬける通り。
実際のところ、脇にある、ホテルイビスの裏口通用路といった雰囲気だ。
ホテルの窓からも、真下に眺められる状態である。
パリの道
裏口へ続く、プライベートな通りに不法侵入しているかの気分になる。
歩いてゆくと、トーテムポールがたっている。
通りのの入り口付近にも、なにやら、丸い物体のオブジェがあるし、ここに、あえて置かれているものなのだろう。
パリの道
この先へ行くと、高架の下は、住宅か倉庫のようになっている。
中から人も出てくるし、狭いパリ、ところ余すことなく利用されている。
2015.01.10

シャルトル サンピエール通りの坂道

ここは、シャルトルをぶらぶらする人にとっては、通過することも多い通りだろう。
サンピエール教会へ向かう坂道で、何があるってわけじゃないけれど、石畳じゃないけれど、いい雰囲気の坂道である。
シャルトル
もちろん、坂道というのは、それだけでいいものだが、ここは、協会まで続くようには、先が見えていないないということと、壁のごとく教会が立ちはだかっていることが、ここの雰囲気に大きく寄与している。
ところどころに、古い家が残っていることもそうだ。
途中の脇には、サン・テニャン教会などへぬける、路地階段などもあり、この界隈も、ウール川沿いの散歩道同様、雰囲気あるゾーンなのである。
2015.01.09

Laonランのプーリエ通りから築地塀へ

南側の門から町に入って、駐車場と化している小さな広場をぬけると、右端に小路がある。
Rue Pourrier、プーリエ通りである。
車も通れないほどの細いパサージュといって良いが、れっきとしたRueである。
騎乗なら通っていけそうである。
ラン
その先に、大聖堂が見えるが、手前に、古めかしい屋根がある。
それには、あまり気をとられない。
とにかく、大聖堂前へ出たい一心で歩く。
ラン
プーリエ通りの”どんつき”へでると、左右に伸びる築地塀が存在。
まるで、京都の大きなお寺さんのように、塀が延びている。
塀に囲まれた大聖堂というのがあるのだなぁと思っていると、この通りの名称が、Rue Cloître。クロワートル通り、回廊通りである。
どうやら、教会付属の回廊の壁を目の当たりにしているのである。

日本でも、大伽藍には回廊があったりするのだが、回廊の発生とは、ギリシャあたりなのか?
回廊の柱といえば、エンタシス。
真ん中が膨らんでいる柱は、ギリシャ由来とかそうではないとか・・・歴史で習った記憶がかすかに。

築地塀と宗教施設も、切っても切り離せぬのかもしれません。
高い壁は、単なる土地の区切りではなく、空気の区切り。
世界、世間の区切りを表すのかもしれません。現世と来世、天国と地獄のように。

高ければ高いほど、冷徹で峻厳な印象に変わります。
越えてはならぬ、実壁の延直線状の空気の壁という意味においては、築地塀も、ベルリンの壁も、同じなのかもしれませんな。
2015.01.08

カルカッソンヌ駅から

カルカッソンヌに滞在していたが、その周りをめぐることになった。
観光局で手に入れた資料などを基に、ぶらぶらと周る。
一日は鉄道で。
一日は車で。
カルカッソンヌ駅
カルカッソンヌは、地中海から、内陸の古都トゥールーズへぬける要衝である。
だから、鉄道もそこを走っているし、世界遺産のミディ運河もそうだ。
鉄道は、地中海近くのナルボンヌという古い町から、トゥールーズ方向へ伸びている。

しかし、それ以外に、Quillan(キヤン)という山奥へ抜ける路線がある。
これは、カルカッソンヌから出ているローカル線である。
これに乗って、まずは、リムーLimouxという町へ出かけてみることにした。

そのため、朝早くにカルカッソンヌ駅を出る列車で向かう。
1両編成のボンバルディアである。
ところが、あいにくの雨・・・。
2015.01.07

マーネス橋からカレル橋を

美しい橋であるから、渡ってみたい。
次に、美しい橋であるから撮ってみたい。
プラハ
プラハ城へは、正面から入ったから、東門から出ることに。
正門から入って、聖ヴィート教会を抜けて、東門へ向かえば、おのずと下ってゆく。
城をでたら、眺望を眺めつつ、階段を下ってゆく。
下ってゆけば、マーネス橋付近へ出てくる。

それにしても、東欧というか中欧というか、パリのポンヌフとも、アレクサンドル3世橋とも、全く違う雰囲気の橋ですね。
2015.01.06

ヴァンセンヌ城へ再び

無料開放の日は、偶然来たものの、もう閉まる寸前だった。
そんなことを知っていたら!といいたいが、そもそも競馬へ行くという用事があったため、結局は同じことになったはず。

中へ入ってみたから、興味を持ったのである。
そこで、翌日にやってきた。
こんかいは、カルトミュゼ、いわゆるパリ・ミュージアムパスを持ってである。
ヴァンセンヌ
この美術館をいくつか回ることのできるパスは、時々使う。
ルーブルであっても、オルセーであっても、ヴェルサイユであっても、一度きりというわけではない。

無論、こういうものは、元を取ろうと思ってはいけない。
そうなれば、数をこなすという作業になってしまうからだ。
元を取ろうではなく、元が取れればいいで周るのである。
そんなことすら、考えたくなければ、このチケットは考慮外となる。

今回も、せっかくだから、このヴァンセンヌ城にあわせて、いくつか周ることにしたのである。
縁があって、ここへ来たのだというプラス思考。
プラス思考という言葉を使っていること自体、自分がネガティヴであると言っているようなものだが、まあ、そんなところだ。

ということで、やってきたヴァンセンヌ城。

前日と打って変わってガラリとしている。
お城の警備なのかどうか?迷彩服の3人組が遠くに見える。

そういえば、この界隈、警官とかもよく見かけるような気もするのだが、気のせいだろうか?
そうした人たちと、お城は、その建物の目的上、あわぬ取り合わせではない。
2015.01.05

バイユーの英軍戦没者墓地

軍事博物館から通りを挟んだ反対側付近に、英軍の墓地がある。
無数の白き墓標が並ぶ。
米軍の墓地は、オマハビーチにあり、そちらは、映画でも有名になったものだ。
バイユー
墓標は無数に並んでいるのだが、これほど多くの命を懸けなければならなかったものがあったということが、いたたまれない気持ちにさせる。
バイユー
歴史上、戦がなくなったことなどないのであろうが、何とかならないもんですかね。
こういったところに来る度、そういうことを思いますね。
人間だけではなく、戦いというのは、動物である以上、仕方がないのかもしれません。
きれいごとだけで、片付くものでもないのでしょう。
こうすべき、ああすべきなどということは、凡人の頭には思い浮かびませんが、ただただ、なんとかならんもんかなぁ!とだけ、思うわけであります。
バイユー
様々なマークと共に並ぶ墓標に、美すら感じさせる。
なんと言うか、悲しさとか、はかなさとか、そんな奥のあることではなく、こどもが、マッチを並べたくなるような気持ちと同様に、ふつうに、きれいなんですよね。
2015.01.04

Rue Damrémont ダムレモン通りの風景

モンマルトルの丘の北西側を取り囲むように通るとおりがコーランクール通りである。
その外側を南北に通っている、18区の重要な血管の一本。
直径10キロ程度の円であるパリの中で、1キロを越える道であるから、長いことは確かだ。
ダムレモン通りの坂である。
パリの通り
大通りではないが、交通量の多い通り。
しかも、路駐だらけである。

モンマルトルの丘の周りは、のっぺりとした、新しい住宅街ではなく、古めかしい、いかつい建物がズーッとならんでいる通りが多い。
そのごつごつ感が、重厚感でもあり、パリ感でもある。
丘の南斜面も9区まで、こうした雰囲気である。

ちょうど、光の反射が、磨かれたボディにゆがんだ世界を投影していた。
そちらがわの世界へ入ると、物も人の心もゆがんでいる。
これを見て、ゆがんだ人間の絵を描けるのなら、ピカソのような巨匠になれたかも知れぬ。
2015.01.03

シャルトル ウール川夜景 シャルトル光の祭典ロゴ

川沿いの夜景散策も二度目であるが、2014はもちろん、前回よりも手がかかっている。
青き川岸の壁面に、Chartres en Lumieres、シャルトル・アン・リュミエールの文字。
シャルトル
ロゴが、まるで夜に浮かぶ月。
左下には、ウサギが・・・。
そう思ったのは、日本人である証拠かもしれない。
フランスじゃ、月にウサギはいないんでしょうなぁ。

そうおもったら、シャルトルで、団子食いながら、夜景散策するのが良いような気がしてきた。
大福でもいいね。
これで、ホントに月夜なら、もっとも粋な、シャルトルの秋の夜景の楽しみ方であると思われる。

年明けそうそう、アンパンは食べたけど、あんこもちは食ってないなぁ。
2015.01.02

ラン大聖堂内へ

大聖堂の中に入る。
大雑把に言えば、よくある、大聖堂のそれだ。
この大聖堂もゴシックの代表であるから、当然といえばそうだ。
ラン
これだけのものを、あちらこちらに建てた、フランスという土地柄は、相当裕福であったということなのだろう。
そういう、気候だったと考えるべきかもしれない。
気候が人を呼び、気候が金を生む。
利と権が人を突き動かす原動力になっている。

洋の東西を問わず、宗教と権力の中心にある建造物は、富の塊である。
そうでなければならぬ、理由があろう。
俗なものから、逃れることは、結局のところ出来ないのだ。
ラン
3高という言葉があるが、それは、人にも、こうした権の中心にもあてはまるようだ。
人を納得、圧倒、心服させるものから、表に現れ出る何かを除外はできない。
シンボルとはそうしたものなのだろう。

その見た目を鍛えることも、人の世では、また重要なことなのだ。
無論、美しくとも、3日で崩れる大聖堂ではいけないわけだが。