2014.11.30

ベトナム航空でパリへ行く21 羽田発ハノイ経由パリ行き 帰国便搭乗

前回の続き。
トラブルに合いつつも、3時間前には、空港駅に着いた。
そこから、結構歩くものの、2時間45分前には、ターミナル2Eへ。

どこにも、2Eとは書いていないから、降りたときに理解しておかねばならない。
シャルルドゴールのターミナル2だけの情報では足りぬ。

ベトナム航空のあるチェックインカウンターに行くと、既に長蛇の列。
まず、列に並ぶ前に、チェックイン機でパスポートなんかをスキャンして、チェックインする仕組み。
また、これが、何の効率化に寄与しているのかはまったくわからない。
が、ここは、フランスである。
その上、その必要性やら、チェックインの仕組みがわかりづらいから、列に並ぶ人が出たり入ったり・・・。

チェックインは、日本語対応にもなっていたから、進歩はしているのだろう。
その後、荷物預けに並ぶ。

これが、また、異常な多さの人。
中国東方航空や、その他のエアラインとごちゃ混ぜなのだ。
進みも悪く、列に並んだ時間が、なんと1時間半。
ベトナム航空
自分のチェックインになった。
ベトナム航空は手荷物込み30キロまでok。
ところが、23キロまで減らせ!とのご指示。
その場で、荷物を抜くしかない。
このあたりが、列が進まない理由の一つだったわけだ。
みな、文句言っているなぁと思ったら、このことだったのかもしれない。

もうひとつは、複数エアラインが同時同場所チェックインになって、人々が並んでいることだ。
世界有数の利用者の空港とはいえ、人件費削減なのかどうか?

荷物預け終わり時点で、もう、出発までの時間が、30分ほどになっていた。
ベトナム航空
ここから、手荷物をまとめなおし、トイレに行き、出国手続きをし、荷物検査をし、無人移動電車に乗って、ゲートをめざし、走ってゆくと、ようやく、ゲート近くへ。
むこうから、やってくる係員に、お前が最後ラストパーソンだ!と。
他の人は皆、いつの間に移動したのよ!

汗だくになりながら、ゲートでボーディングパスを出すと・・・、この席はない!とのこと。

他に空きがあって、事なきを得、ようやくにして、飛行機に乗り込んだのだ。
一瞬抱いた、ビジネスクラスに乗れるかも!の淡い期待は、吹き飛んだ。
どうやら、ラストパーソンではなくて、ブービーだったようであるが・・・。

ベトナム航空自体は快適。
羽田便なら、まったく、時間に問題ない。
ベトナム国内を観光したい人は、成田便の方がよろしいかもしれないが。

注意すべきは、フランスの電車のトラブルと、帰国時のシャルルドゴール空港の煩雑さと時間ということだ。
あと、荷物23キロね。
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2014.11.29

シャルトルの麦畑越しの風景が、車窓にも

シャルトルから、アミイの街へ行くには、シャルトルからルマン方面へ行くことになる。
アミイの町を歩き、再びシャルトルに戻ることになった。
シャルトル
駅の写真を撮っていると、遠くにシャルトル大聖堂が見えていることに気がついた。
ホームの端、これ以上は危険とかかれた手前まで行って、写真を撮る。
駅前の家々の向こうに大聖堂の尖塔が見えている。
駅からは、これが精一杯だった。
シャルトル
帰りの列車がやってきた。
この列車、座れるものなら、進行方向左を取るべきだ。
もちろん、ルマンから乗ってくる時もだ。
駅を出て、一瞬、シャルトル大聖堂が麦畑に浮かんでいるところが見える。
シャルトル
この、シャルトル大聖堂が見えるのは、家々を越えた直後に一瞬だ。
電線が入るとか、なんとか、などと言っていられない。

ここできれいに写真を撮るためには、ためらわず、見えているシャルトル大聖堂を連写し続けるべきだ。
見えてからでは遅い。
見える前から連写しなければ、その一番の一瞬を逃す。

そう、気がついたときには、列車はシャルトル方向へ随分と進んでしまっていた。
だから、私に、その写真はない。
2014.11.28

ラン Rue Vinchon ヴァンション通り

このランという街は、完全に丘の上が主役。
カルカッソンヌだと、ダウンタウンがあるわけだが、ここは、主要部分が丘の上に集中している。
それでも、多量の観光客が押し寄せるわけではないだろうし、観光ゾーンから一歩奥へ踏み入れると、雰囲気のよい、通りが縦横に走っている。
ラン
街角から、猫が現れ、ついて来いと首を振られるままに歩いてゆく。
時々たちどまって、振り返り、振り返り、こちらの歩みを確認しながら、猫に先導されてゆく。

気がつくと猫は消え、城壁の先に、きれいな風景が広がっていた。
そんな、ことが起きそうな、ランの街の小路である。
2014.11.27

カルカッソンヌの門と壁

カルカッソンヌの正門を渡ると、壁がお出迎え。
申し訳程度に、穴のあいた入り口が見える。

見ただけで、この城を攻めることは愚であると思わされる。
であれば、この穴を通って行くべきは、軍隊ではなく、使節であるべきであろう。

門の両側の厚みが、こう、なんて言うか、頭ぶつけても、びくともしないコチコチの壁であることが伝わってくる。
まるで鋼鉄の壁。
痛冷たいというか、そんな石壁なのだ。
カルカッソンヌ
そんな、お城も、守っているのは、壁じゃなくて、人。
甘言、篭絡、賄賂、埋伏・・・。
落とすには、人を使い人を落とすしかない。
カルカッソンヌ
何かの本で、日本はお城に閉じこもって戦う籠城の期間が短いというのがあった。
欧州の場合、こうやって、城も街もまとめて囲むので、その籠城期間が年単位に及ぶ。
日本は、城の周りを濠と塀で囲むから、守っているものが、そもそも違うのだ。

そんな、話を思い出す、圧倒的な壁である。
2014.11.26

プラハ城 聖イジー教会の階上に

聖イジー教会内に入った。
チャペルのような雰囲気だ。
奥は、舞台のように高くなっている。
まずは、写真を一枚と思っていたら、ちょうど、その”舞台”の上で、手を振る有名人が!
聖イジー教会
いったい、あそこで手を振る人は誰?
何のことはない。
あの場所は、誰でも上がれる場所で、手を振っている人は、単なる観光客だった。

どこの国の親父か知らぬが、いや、堂に入っている。
どこどこ共和国の大統領のごとくだ。
観光客が一杯いるのに、あの場所へ上がっているのが、偶然彼だけになったのだ。
2014.11.25

ラ・デファンスの夜景

ラ・デファンスの丘下、メトロ1号線の終点一つ手前のEsplanade de La Défense(エスプラナード・ドゥ・ラ・デファンス)あたりから、ぶらぶらと夜景散歩。
工事中の高層ビルもいくつかあるのだが、その、上に乗っているクレーンまでもが、ライトアップされている。
ラ・デファンス
日本の、細かいところまで気を回すサービスその他もすばらしいものがあるが、この国にはそれはない。
しかし、日本とは違う部分に、細かく気を回すのだ。
いい悪いはない。
違うから、違う景色になる。
2014.11.24

バイユー大聖堂に

バイユーの大聖堂もノートルダムである。
Cathédrale Notre-Dame de Bayeux カテドラル・ノートルダム・ドゥ・バイユー
教会の正面にやって来たが、とてもじゃないが、写真を取れぬ。
バイユー大聖堂
真後ろに下がってゆくと、メトリーズ通りというのがあるので、とりあえず、ここを後ずさりしながら、写真を一枚。
広角ですべて入れて撮ることができるが、入っちゃえば、それはそれで良いものの、ここの迫力は完全に失われる。
細い鉛筆が2本立っているような教会に見える。
すくなくとも、鉛筆から比べれば、マッキーのマジックが立っているほどの重厚感があるのだが、それは、写真から全く感じることは出来ない。
バイユー大聖堂
正面入り口から入る。
ここの門の装飾は、全くない。
ないのは、壊されたからであろうと思うのだが、ノルマンディーだけに、第2次世界大戦なのか?それとも、フランスだけに、フランス革命当時のことなのか?
バイユー大聖堂
中に入ると、奥にグーッと深い身廊がある。
その両側の上部の壁に、階下を望むような窓が並んでいる。
人型のような形のため、まるで、聖人達に覗かれている、見下ろされているかのような気分にさせる。
思ったほどの横の広がりは感じず、奥の広がりがとても感じられる空間であった。
2014.11.23

リヴァンストーヌ通り Rue Livingstone サクレクールを探せ!

パリ18区といえば、モンマルトルである。
モンマルトルとは、モンであるから、山がある。
マルトルは殉教者のマルティール。

モンマルトルの丘が、18区の中心。
モンマルトルの丘。山という名の丘。
京都にも、船岡山があるから、そのパリ版と思えばいい。
もっとも、信長公のような人が祭られているわけではない。
パリの道
18区のモンマルトルの東南は、パリの布屋問屋街として有名な場所だ。
東京で言うところの日暮里。
その布屋の有名店、マルシェ・サン・ピエール越しのサクレクール寺院。

エッフェル塔といい、凱旋門といい、モンパルナスタワーといい、このサクレクールといい、ランドマークの多いパリだが、それを眺める場所を探すのも、発見するのも、道歩きの楽しみの一つ。

Rue Livingstone。
リヴィングストーン通りと読めますがね。実際、なんと読むのか?
2014.11.22

シャルトル 南のポルタイユのリュミエール

こちらの、ライトアップは以前と変わっていなかったように思う。
ポルタイユ自体が装飾されており、これに彩色するというところからは、おおきな変更は出来ないのであろう。
出来上がった当時はどんな色をしていたのか。
シャルトル
全体を写そうとしていた、前回は、暗い部分が多かったからか?ぶれて大変だったが、すべてがライトアップされた部分になるようにして撮ってみたら、結構ブレずに撮れていた。
2014.11.21

ラン駅から望む丘

ラン駅に到着すると、丘の上に大聖堂が見えている。

線路とホームをまたぐように、歩道橋が架けられている。
結構新しい。
地下にトンネルを掘るよりは、工事も楽に違いない。
その、歩道橋上から、写真を一枚。

列車でランに向かえば、一番最初に見える大聖堂の姿だ。
真横から見た状態になるわけだが、意外にも、圧倒的なパワーではなく、歯抜けになった状態にすら見える。

右側の塔が、正面入り口の塔ということになる。
すなわち、多くの教会の場合、西側である。
ラン
近づいたり、正面から見たりすれば、圧倒的な威容を誇っているのだが、おっ、あそこだ!という程度の感想だ。
教会の下が、手前の建物で見えないからだろう。
もっとも、後世、”裏”手とも言える北側に、鉄道駅という”表”玄関ができるとは、思ってはいなかったろう。
それでも、”あそこ”へ登ってゆく、ワクワク感は十分だ。
2014.11.20

カルカッソンヌの狛男

東側が正門なのだろう。
こちらは、入り口が”きちんと”している。
濠に橋が架かり、口をぽっかりと開けた壁。
橋の上で、矢の豪雨を受け、間違って突破しようものなら、次のオレンジ屋根の塔の下ので、再び矢を浴びる事になるのだろう。
カルカッソンヌ
その門の脇に、なにやら、物体が立っている。
モアイ像のようである。
カルカッソンヌ
狛犬のような存在。
不気味すぎる、ニ等身のバケモノが、入り口へ近づく誰かを睨んでいる。
人型の彫刻だと、見られている感が一掃強まる。
狛男と名付けておく。
2014.11.19

プラハ城から望むプラハの街

普段、下々にすんでいるから、常に、高いところを見上げて生活している。
下々にいた方が、便利である。
高いところに住めば、坂を登らねば帰れぬし、買い物には、下って行かねばならない。
すなわち、荷物をもって帰らなければならないということだ。
プラハ
そんな、山の手に金持ちは住んでいるし、王公貴族や聖職者は、丘の上で暮らしている。
かれらにとって、坂道は自分で登るものではなく、荷物も運ぶわけではない。

我々にとっては、山上は、非日常の風景が広がっているから、ついつい、素晴らしい!となるのだが、ここの住人は、日常の庭を眺めるごとくであったのだろう。

かれらの日常の風景を見て、感動できる分だけ、実は、我々の方が得しているのかもしれない。
登った頂は、降りておくのが、きっと健全なのだ。
2014.11.18

クールブヴォワのグリーンベルト

一度、フランスの鉄道シリーズで、この路線の似たような写真を載せた。
延伸した、トラム2号線であるが、クールブヴォアでも、トラムと高層ビルという画が撮れるようになった。
以前は、南のピュトー市側のみ、このトラムが走っていたのだが、北西へ伸びたのだ。
ラ・デファンス
トラムの3号線のグリーンベルト同様、この延伸2号線もグリーンベルトになっている。
誰が考え付いたのかわからないが、緑はきれいだし、目にも心にもやさしい。
つい写真を撮りたくなる色だ。

昔ながらの街並みというか、古い住宅の向こうに巨人達が並んでいる。
2014.11.17

バイユーのタピスリー

世界遺産のタピスリーを見に行くのが、ここの町訪問の大きな目的。
写真なんぞはないので、大聖堂の写真で。

タピスリー美術館では、オーディオガイドを貸してもらえるのだけれど、そのおかげで、左から右へ続く長い長いタピストリーに描かれた、物語をきちんと理解できる。
バイユー
事前勉強があれば、もっとよかったとも思う。
重要人物は、エドワード懺悔王、ハロルド(2世)、ギョーム2世(ウィルリアム1世)の3人だ。
もう一つは、ここバイユーや、カン付近から出港したのではなく、ピカルディ地方のSaint-Valery-sur-Sommeサンヴァレリー・シュル・ソンムから、英国ヘイスティングへ向けて海峡を渡っているという地図も、頭に入れておいたほうがよかったかもしれない。

そりゃ、近いところを渡るよね。
また、現在のノルマンディ地方からではないところにも、十分力が及んでいたということだ。
そして、この事跡を、第2次世界大戦の連合国軍とドイツ軍がどう捕らえていたか?
逆方向の上陸作戦は、コタンタン半島にやってきたのである。
バイユー
昔は、この大聖堂にあったタピスリーらしいが、今は、この近所の美術館に。
タピスリー、タペストリー。
カタカナで覚えておくと、フランス語も英語もごっちゃになり、タピストリーとなってしまいそうだ。

バイユーも、街中に、汽車型の観光”バス”が走っている。
フランス全土で、いったい、何編成の汽車型車が走っているのやら・・。
2014.11.16

ベトナム航空でパリへ行く20 羽田発ハノイ経由パリ行き 帰国便へ

帰国は大変だった。
といっても、ベトナム航空自体とは、なんら関係ないことでだ。

まずは、ポワシーの駅。
ここは、エレベーターがあるから、ホームへ上がるのはそう大変ではない。
といっても、日本のように、スーッとエレベーターが来て、スーッと上がってくれるわけではないが。

常のホームで待っていると、RERのA線がやってこない。
ここは、始発駅だから、出発の随分前には、入線していることが多いのだ。
なんでも、トラブルだか何かで、遅れが発生しているようなのだ。
ベトナム航空
で、出発数分前に、となりのホームから出発するとのアナウンスが入る。
あわてて、スーツケースをもってエレベーターで降り、隣のホームへ。
ここでも、エレベーターで上がる。

ところが、扉がなかなか閉まってくれぬ。
通常、日本のように、閉まるボタンがないのだ。
閉まったが、上は上がってくれぬ。
ようやくにして、上へ上がると、列車は行ってしまっていた。

そもそも、わずか2分ほど前に、隣のホームということ自体不親切だが、日本に比べて、とろとろしているエレベーターをのぞけば、これ以上早い移動は無理というスピードで移動していながら、列車は出発してしまっていた。

次の列車は、20分こない。
3時間前に空港に着く予定が、3時間前ちょうどに空港に着くことになる。
ベトナム航空
さて、次の列車。
ここは、フランス。
何事も、信用してはならぬ。
パリ市内でのRERのトラブルが原因のようだが、列車は再開してはいるという状況。

次の列車も、いつもの番線から出発するとは限るまい。
そう思って、ホーム下で待ち、該当ホームへ登るだけにしておくよう準備しておいた。
なにしろ、30キロ近く入っているスーツケースを持っているのだ。

出発のやはり2分前ごろ、アナウンスがあった。
先ほどのホームのようだ。
急いで、エレベーターに乗る。

ところがだ。
エレベーターはうんともすんとも言わぬ。
扉も開かないし、上へ上がってもいかない。
もちろん、ボタンは押している。

しばらくして、ようやく、エレベーターの扉が開く。
もう、待ってはいられぬ。
ベトナム航空
あわてて、腕も折れよ!と、階段を上がる。
馬鹿力で、スーツケースを引きずりつつ、雨で汚れた階段に手をつきつつ、ベルのなる列車に乗り込んだ。
その瞬間、あの、重い扉がガチャン!としまったのだ。

ふぅ、間に合った。
それにしても・・・。
ここは、フランス。日本じゃない。
そうは思って慰めるも、怒りがこみ上げる。
どろどろになっていたジーンズと、自身の手と布のスーツケース。
その泥つきスーツケースは、角のあちこちが、削れていた。

もうちょっと、早く、アナウンスしろよな!
出発した列車が入線していたのは、出発の10分近くも前なのだ。

ところが、大変なことは、これで終わらなかった。

2014.11.15

ボース平野のシャルトル大聖堂を求めて 畑の向こうの大聖堂

町をぬけ、しばらく歩いていると、シャルトル大聖堂が見えてきた。
しかし、なにか違う。
そう思ったら、無粋にも、シャルトル大聖堂を、コンクリートの建物がさえぎっていた。
シャルトル
せめて、あの高い建物がなければ良いのに!
もっとも、麦畑の向こうのシャルトル大聖堂を、観光客のために保存しますので、おたく、そこへは建てられませんよ!とはならぬはずだから、仕方はない。
シャルトル
しばらく歩いていると、畑の丘のふくらみによって、大聖堂だけが浮かび上がった。
もっとも、うまい具合に撮れないか?
そう思っても、勝手に畑に入るわけにもいかず。
シャルトル
探してみたものの、畑に沈みゆく大聖堂となった。
それでも、雰囲気だけは十分味わえたし、そろそろ、アミイの町経由でシャルトルへ引き返すことに。
2014.11.14

Rue Enguerrand Quarton ランのアンゲラン・カルトン通り

城壁内に入る。
そうすると、向こうに教会が見えていた。
ちょうど、通りの向こう側に、フタをするように、塔が立っているのが印象的だ。
ラン
城壁はあるが、城壁に丘が囲まれていない。
街は、開けていて、開放感あふれる。

城砦であれば、守らねばならぬが、ここは、現在城があるわけではなく、教会の丘として存在していたのであろう。
となると、中へ入ってこられぬように囲むのではなく、丘から、堂々と見せねばならない。
教会の雄姿を。
2014.11.13

カルカッソンヌのシテ内

明らかにテーマパークに入った。
そう感じられるシテの内側。
カルカッソンヌ
人も多いから、余計に、イベント会場へやってきた感があるのかもしれない。
カルカッソンヌ
それでも、雰囲気のよさそうな道や、カフェを見つければ、そこを通り、そこで一服したくなる。
カルカッソンヌ
ただ、どこを撮っても、お店お店。
カルカッソンヌ
どこを歩いていても、高い壁にさえぎれらているような感じ。
それが、城壁でなくても。
そこが、閉じ込められた場所にいる圧迫感を生んでいるような気がする。
カルカッソンヌ
個人的には、こういうところに入ると、一つ一つ、アトラクションを、こなしていかなくてはならない気分になり、あれやこれや周っていこうという気が失せる。
それだけ、ここは、大きな攻撃から守らねばならぬ要衝だったということでもあろう。
その点、多くの人が訪れる、モンサンミシェルも要塞であるが、開けているために、この圧迫感からは免れている。
2014.11.12

プラハ城 黄金の門

聖ヴィート教会を出て、広場に回ると、黄金の門がある。
一目で、それとわかる、黄金色の壁。
こうしてみると、どこの壁も、黄金のモザイク模様のように感じられる。
プラハ城 黄金の門
隣に塔があるのだが、これは、全部入れるチケット(そう思っていた)とは、別料金。
ということで、登りたい塔は今回おあずけ。
残念と、出てくると、太陽に輝く黄金色。
プラハ城 黄金の門
太陽を浴びて、強烈に光る黄金の門の壁である。
塔に登っていないということは、いつかまた、ここへやってくるということなのだ。
2014.11.11

ラ・ロッシュ・ギュイヨンからボニエールへ

都合のよい時間帯のバスはない。
待っていても、そんなに変わらない時間で帰れるが、少しでも早く、少しでも運動しつつ、少しでも安く、歩いて変える決断をした。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
帰りというのは、なんと早いことか!
あっというまに、ボニエールへ向かう橋までやってきた。
セーヌを渡らねば、駅へはいけない。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
で、セーヌを渡りつつ、眺めてみると、なんとなんと、向こうにラ・ロッシュ・ギュイヨンが見えているではないか!
いやぁ、気がつかなかった。
遠いから、見えぬものだと決め付けていたのだ。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
駅付近へきても、見えている。
なんだぁ、目的地は、駅を降りたときから見えていたんだ。
そうであれば、もうちょっと、不安な気持ちはなかったかもしれない。
いやいや、あそこまで!?と気持ちがなえただろうか?
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
”午前”のラ・ロッシュ・ギュイヨンを味わえたという、無理やり見つけた満足感と共に、立ち去ることに。
次、この駅へくるときは、きっと、モネの家を目指すときだと思われる。

できれば、路線バスのことなど、もうちょっと調べてからね。
このボニエール駅前のロータリーからも、多少の距離は、バスに乗れぬこともなさそうだから。
2014.11.10

バイユーの大聖堂へ向かう

バイユーの街への目的は、ここの世界遺産タペストリーと、この大聖堂。
歩いてゆくときに、タペストリーは見えぬから、あの大聖堂を目指して歩くことになる。
バイユー
そんなわけで、写真は、バイユーといえば、大聖堂だらけになってしまった。
あいにくの曇天であったので、まずは、タペストリーを見に行く。
バイユー
タペストリーをゆっくり見終わって、外に出ると、曇天は、雨天に。
雨宿りしつつ、大聖堂へ。

すばらしい重量感ですね。
近づけば、またもや、入らない入らないになるので、遠くから、写真を撮りながら、近づいてゆく。
日が出たり、曇ったり、雨降ったり、それの繰り返し。
めまぐるしく天気は変わってゆく。
2014.11.09

Boulevard Ornano オルナノ大通りの信号群

パリ18区の南北大動脈の一本。
パリのレピュブリック広場から、北駅を通るマジャンタ通り。
これが、メトロ2号線を越え、18区に入ると、バルベス大通り。
さらに、モンマルトルの丘の裏側へと入ってゆくと、クリニャンクールへつながるオルナノ大通りとなる。
モンマルトルの丘を中心に考えると、丘の東の境界線とも言える。
パリの道
並木道なんだけれど、この、延々と続く信号のせいか?雑多な感じを受ける。
木々の種類は全く違うのだけれど、ベトナムのホーチミンの並木道を思い出した。
もちろん、歩いていて、排気ガスでノドが痛くなることはないけれど。

ちなみに、西の境界線である、サントゥアン大通りも、並木道である。
どちらも、独特な感じのする並木であるが、信号がある分、オルナノ大通りの方が、雑多感がある。
そして、その分、幅広なのか、開放感もあるのだ。
2014.11.08

シャルトルの夜景 司教館庭園

大聖堂の裏手も、光の芸術にあふれている。
こちらも、以前とは、少々雰囲気が変わっているように感じられる。
週末なので、人、人、人のため、そう思うのかも知れぬ。
シャルトル
壁に次から次へと、動画のように、絵が動いてゆく。
止るのを待ち、人の頭を避け、写真を撮る。
そのタイミングで、ブレずにというのが、なかなかうまく行かぬ。

気がつくと、光の祭典を楽しんでいるというより、時間を忘れて、カメラと格闘している羽目になる。
かくして、シャルトルの夜は更けてゆく。
2014.11.07

ランで見つけたバスクのフランス武勲詩

アルドン門が見えてきた。
この門、もともとは、王の門と呼ばれていたのだそうだ。
城壁も延々と見られるし、カロリング家の宮殿があったようなのだ。
ラン
ランの大聖堂も、そのころのことなのだろう。
大きくはないが、その重厚さと華麗さは、教会が置かれた丘の街の門にしては、度が過ぎているか?
ラン
門をくぐって、脇を登り、城壁の上から眺めてみようと思ったら、この門が、歴史的建造物であるマークがあった。
13世紀に、改装され、現在の形になっているようだ。
その脇に、ロンスヴォーのロランの記述がある。
なんかの間違いではないか?と思ったものの、何度見ても、バスクのロンスヴォーのロランの歌のロランである。
778年というのは、ロンスヴォーの戦いがあった年。
シャルルマーニュのスペイン遠征だ。
ロンスヴォーは、現在スペイン。
フランスの山バスクをスペイン側に越えたところに村がある。
ラン
そこで亡くなった、シャルルマーニュの甥、ロラン。
11世紀ごろに、ロランの歌という武勲詩ができたようだから、この門の歴史ともかぶる。

ロランは、この街で幼少期を過ごしたのだそうだが、そんなつながりを発見しようとは・・。

ここに、カロリング家の宮殿があり、大聖堂があり、ここに、宮殿につながる王の門があった。
幼少期を、ここで、すごした、シャルルマーニュ大帝の甥、ロランは、ロンスヴォーに死す。
その1200周年記念。
そんなところなのだろうか?
2014.11.06

カルカッソンヌ シテの住人たち

シテ内は、北のモン・サン・ミシェルと並び称されるだけあって、観光客とお店のるつぼ。
これは、レストランだったか?
その前に客引きのおっちゃんたちが鎮座していた。
カルカッソンヌ
シテ内には、教会もある。
その教会の雨どい。
聞こえませんがぁ?と言われているようだ。
カルカッソンヌ
お土産のTシャツ。
いままでは、お土産のTシャツ買うなんて!と思っていた。
誰かとかぶってしまうのなら、自分のお土産に、あちらこちらで買ってもいいのかもしれない。
そんな気がしてきた。
カルカッソンヌ
銀座で、TOKYOと入ったTシャツを着て闊歩する、中国の方たちがいる。
東京ではなく、TOKYOだ。
漢字でないところが、妙に納得してしまう。
漢字のお国ですものね、彼らこそ。

パリで、PARISと入ったTシャツを着る勇気はなかなかないが、日本で着るのなら。
今日は、マルセイユ、今日は、カルカッソンヌ、今日は、ストラスブール、今日は、バスクってな感じでね。
もちろん、お値段しだいだけど。
2014.11.05

聖ヴィート教会 聖ヴァーツラフ礼拝堂

人を掻き分けるように、この礼拝堂の写真を撮った。
聖ヴァーツラフは、ヴァーツラフ1世のこと。
というのが、まあ、ガイドブックの受け売りである。

では、このヴァーツラフ1世の時代は、フランスや日本は、どうだったのだろう?
900年代、10世紀初頭の人である。
聖ヴァーツラフ礼拝堂
911年といえば、何度か紹介した、サン・クレール・シュル・エプト条約が結ばれた年なのだ。
ようするに、現在の、ジヴェルニーのモネの家付近(モネの池に水を引いたエプト川)から大西洋までを、ロロに与えた年だ。
ノルマンディー王国が誕生したときなのである。
ヴァイキングの侵攻に、仏独が苦しんでいる時代ということが言える。

日本では、同じような年に、平将門がいる。
これまた、関東に常世の国を作ろうとした人だ。
ただ、ノルマンディの様にはいかず、討伐されることになってしまったが。

フランスではヴァイキング、日本では、武士誕生初期。
そう思いつつ、プラハの町を眺めると、ほんの少し、身に近くなる。
ああ、ここにも人の営みが・・・などと思われるかも知れない。
2014.11.04

ラ・ロッシュ・ギュイヨン ヴェクサン・フランセのセーヌ川

村までの7キロ近い道のりを歩き、休憩後、村の裏の山へ登り、再び村に下りて来た.
さすがにばてたので、飲み物とパンとかを手に、水辺で一息。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
セーヌ川沿いを船が行きかうのだが、よく見ると、白い岩肌が、あちこちに露出している。
ボニエールからの道程で見た、ヴェクサンフランセのマークそのままのとがった白い岩の連続だ。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
川の河口を見ても、白い岩肌が見えるのだが、ああ、あそこを歩いてきたのだな。
森と川と岩だけの間をポツンと歩いてきたのだと思うと、がんばったものだと思う。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
バス停に行って、時刻を見ると、次のバスは何時間も先。
ってことは、のんびり帰りも歩いていっても、バスが来る前に、ボニエールの駅にたどり着く。
そんなことを考えていたら、力が沸いてきた。
やってしまえ!行ってしまえ!
もう少し、街をぶらついたら、歩いて帰ることに決めた。
2014.11.03

バイユーの大聖堂

以前、モンサンミシェルへ、カン経由で向かった。
カンまでは特急、そこからはいわゆる在来線。
在来線で、ポントルソンへ行き、そこから、モンサンミシェルまでバスという行き方だ。

カンを出てしばらくすると、バイユーに停車する。
隣駅なのだ。
バイユー
列車の中から、大きな教会が見えている。
その教会が、相当な大きさであることは、十分実感できる。
これは、いつか訪れよう、訪れねば・・と。
同じことを、クータンスの駅でも思ったのだが、この地方、そんな教会があちらこちらに点在しているのだ。
在来線の車窓は、ガイドブックをパラパラめくっているのと同じ効果がある。
バイユー
さて、その念願かなって、その1年後に、バイユーへやってきた。
駅降りて、すぐに見えている大聖堂にカメラを向けずにはいられない。
2014.11.02

ベトナム航空でパリへ行く20 羽田発ハノイ経由パリ行き

さて、羽田を出た飛行機は、しばらくすると機内食が始まる。
飛行機の楽しみの一つでもある。
ベトナム航空
斜め45度から撮ったほうが、美味しそうに見えるというセオリーがあるらしい。
そうは言うものの、そうやって撮って見たら、どんなメニューかわかりづらい。
ベトナム航空
どんなメニューかの詳細など必要ないから、どんな雰囲気かわかればそれで十分かもしれぬ。
どれがいいのか、判断つかぬから、どちらも載せてしまえ!
ベトナム航空
ハノイのノイバイ空港は、味も素っ気もない雰囲気だったのだが、2階が劇的に?変化していた。
たいしたことはないのだろうけれど、以前は、メニューからして、日本の定食屋のようなお店一つってな感じだったのに、バーガーキング、フォー、カフェ他と新たに増加。
ベトナム航空
ハノイで滞在する人にとっては、ここで食べる必要もないほど高い値段だが、乗り継ぎ便の人にとっては、米ドル5ドルでフォーが食べられるのは、ベトナム経由を楽しむ上で魅力あり。
ベトナム航空
ハノイを出た飛行機は、水平飛行に入ると、夕食が出る。
ベトナム航空
ビーフンを頼み、アジアン気分満載で、パリへ向かう。
ただし、お昼過ぎの羽田から、機内食、乗り継ぎフォー、そして機内食。
腹は満たされっぱなしで、出されたから入れる感じ。
ベトナム航空
ダイエットの最大の敵、食っちゃ寝をすると、朝方、欧州上空で朝食が振舞われる。
ベトナム航空
牛にヌードル。
こってり、キッチリ。

牛がよいか、豚がよいか?
面がよいか、ご飯がよいか?
上から撮るのがよいか、斜めから撮るのがよいか?
朝なんだか、昼なんだか、夜なんだか?

時差ずれもあって、ボーっとしながら、ひたすら、食べておきます。

以前は、乗り継ぎに9時間。
ハノイ市内へ出かけるか?空港でだらだら待つか?
だから、これだけ矢継ぎ早に、おなかが満たされるわけではなかった。

現在は、2時間以内。
便利になったことで、お腹は忙しくなるのだ。

ちなみに、虫除けスプレーを機内持ち込みでもっていきましたが、日本、ベトナム、フランス共に、検査もすんなり通過。
して、空港内には蚊はおらず、骨折り損のくたびれもうけで日欧往復することに。
2014.11.01

ボース平野のシャルトル大聖堂を求めて アミイの街を抜け

一駅だから、あっという間である。
駅を降りて、おそらく北へ向かっている。
途中、街へようこそ!という意味であろう、街名ゲートに到着。
シャルトル
道標によれば、シャルトルからここまで7キロの道のり。
歩けぬことはないが、歩かずに済むのなら、そうした距離だ。
シャルトル
かわいらしい小さな町を抜け、まずは、街の右手、東方向に見えるはずの麦畑を目指す。