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2014.10.31

ランの丘登頂

急坂を登ると、最後のヘアピンカーブが目に飛び込んでくる。
そこは、花壇。
その先には、街への門が見える。
ラン
最初の入場門は、Porte d'Ardonアルドン門ということになった。
駅を基点にすれば、裏門ということになるが、裏門といっても南門で、どちらかといえば、ここは正面入り口だったのではないだろうか?
どうも、日欧の花への感覚は違うようだ。
雑然として、入り乱れた感が、こちらの人は好きなのだろう。
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2014.10.30

カルカッソンヌ シテからの眺め

城壁の前から、新市街方向を望む。
緑以外は、オレンジの屋根がタイルのように並ぶ。
サクレクールから見えるパリは明るいグレー色だが、ここは全体的に赤っぽい。
いかにも、ここは南仏なのだ。
カルカッソンヌ
遠くに山が見える。
左側のほうは山がないが、その向こうがトゥールーズなのだろう。
カルカッソンヌは、山に挟まれた隘路になっている。
地中海から、ここを抜けねば、西ゴート王国の首都トゥールーズへ到達しない。
この城を攻め落とし、先へ向かおうとすれば、関が原に間に合わなかった秀忠軍のように、大変な思いをするに違いない。
無視して、トゥールーズへ進撃すれば、挟み撃ちにあってしまう。

敵軍は、ここから一望できる。
そんな、哨兵のような気分で眺めるのもいい。
ここは、城なのだ。
2014.10.29

プラハとトラム マーネス橋昼

夜景は撮った。
昼は、カレル橋から撮った、マーネス橋のトラム。
いつでも行けると思っていたら、旅はすぐ終わってしまう。
行こうと思ったときでないと、撮ろうと思った時でないと、し損ねる。
プラハ
城の帰り道、途中雨にも降られたが、橋まできたら止んでいた。
1,2を争うプラハのトラムの定番構図を、撮っておかなくちゃね。
2014.10.28

ラ・ロッシュ・ギュイヨン近景遠景

お城というのは、戦いにおいての防御の拠点である。
それゆえ、塔が立っており、見張りが見張っているはずである。
その塔が、ここの街の絵になっているのだ。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
近くまで寄ると、ぎっしりとした石積みが見える。
よくもまぁ、これだけ積んだものだ。
そして、これだけきれいになるように積んだものだ。
大きさが違うのは見て取れるが、最終的に、見事な円柱が出来上がっている。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
小学生の団体の脇から、お城を撮る。
生徒は課外授業。
先生の説明を聞きつつ、移動してゆく。
最近は、ガイドさんのツアーよりも、オーディオガイドを耳にしながらの鑑賞というところが増えた。
自分のペースで回れるのはいいが、オーディオガイドに質問しても、答えてはくれない。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
少々引いたところから。
この街は、本当に紅葉がきれいだ。
2014.10.27

ヴィールの城壁

破壊されたヴィールの街に、古い塔が残っていた。
その先には、丘の上にある紅葉が赤い塔ときれいな対比でみえていた。
ヴィール
このヴィールの塔が立っている脇の通り名が城壁どおり。
この城壁どおりの坂を登ってゆけば、ヴィールの中心地の門の跡につながる。
残っている塔は、城壁の角地に違いない。
川から敵が侵入してこられぬように、城壁が川威容を誇っていたのだろう。
丘の上からも、城壁の上からも、川を伝ってやってくる敵が丸見えになるのだ。

丘の上の門をくぐれば、城内に入ることが出来る。
そんな、構造にきっとなっていたのだろう。
2014.10.26

Rue Leibniz レニズ通りのプティットサンテュール

パリの18区のはずれ。
北から歩いてくると、おっ!と思わせる壁画が現れる。
Avenue de Saint-Ouen(サントゥアン大通り)駅だ。
17区との境にある、小さな駅跡。
パリの道
その脇を通るレニズ通り側の絵が明るくてかわいらしい。
何度も載せているプティット・サンテュールパリ環状線跡。
角度を変えてみれば、駅舎は、みごとな落書きだらけ。
パリの道
レニズ通りを、東方向へ、線路沿いへ歩いてゆく。
パリの道
汚い落書きは消え、ピンクの肌を持つ、かわいらしい駅舎が秋の手前に見えていた。
2014.10.25

ボース平野のシャルトル大聖堂を求めて

パリの食卓を飾る大事な主食のパンの元を生産する穀倉地帯ボース平野。
その平野の中心地の丘に大聖堂が建っている。
シャルトル大聖堂だ。
ボース平野の向こうに見える、シャルトル大聖堂という文字を、本で見た。
そして、その風景を探そうと、シャルトルの郊外にやってきた。
シャルトル
丘の上に屹立する大聖堂は、シャルトルの桜井公園付近から見られたから、今度は麦畑の向こうに見える大聖堂を探そうという試みだ。
むろん、公共交通機関と脚を使ってである。
シャルトルから、一駅。
アミイの駅で降り、アミイの町を抜けて、その場所を探してみることにした。
2014.10.24

ランの丘へ

裏手の宿に荷物を置いたら、まずは、大聖堂を目指す。
表から行くと、階段もあるが、モノレールもあるらしい。
しかし、裏から行くと、歩いて登るのみ。
丘の上に見えるが、相当登らねばならぬ。
ラン
あちらこちら登っていったのだが、なかなか、目指す大聖堂は見えてこない。
少し広い、S字の道にでた。
明らかに丘の上への坂道だ。
ラン
歩きの人のための、ショートカットを発見。
ショートカットであるから、当然、急になる。
顔面が地面に近くなったことを実感する急坂を登ってゆく。
2014.10.23

汽車でカルカッソンヌを

息を切らして登城していると、目の前に、汽車が現れた。
Petit Trainという、先頭が汽車の形をした、観光”バス”である。
モンマルトルにもいるが、とにかく、この列車型バスは、フランス中のいたる所で活躍している。
カルカッソンヌ
少々上り坂のきつい箇所でお目見えする。
ここのはいくらかは知らぬが、大抵、高額ではないから、歩こうか?乗ろうか?迷うような金額設定であることが多い。
これなら、”ケチ”なフランス人観光客でも、利用してくれるに違いない。

登りを体感するをモットーに旅しているから、いまのところ、これにお世話になったことがないのだが、取り損ねた写真をもう一度なんて思い立てば、お願いします!ということに相成るかもしれない。
2014.10.22

聖ヴィート教会の壁に

教会の内陣の壁を見上げると、紋章がたくさん描かれていた。
この教会の影響力の範囲内なのか?
それとも、この教会に何かしら寄進した証なのか?
プラハ
これが、国のものであると一発で分かったのは、赤白の市松模様である。
クロアチア。
日本ともワールドカップで対戦したことのある国であるから、より覚えているこの模様。
その、二つ左は、赤と白の横線文様。
これはオーストリアであろう。
プラハ
全てのマークが分かるわけじゃないが、一番右は、チェコの赤に白ライオンの紋章であろう。
スペインらしき色合いもあるし、チェコの左側は、ハンガリーとも読めるし、ハプスブルグ家とも関係ある国々の紋章であろうか?いつ描かれたのかは定かではないが・・。
国の紋章ともなると、宗教色よりも政治色が強い。
城内の大聖堂なのだと、改めて思うわけである。
2014.10.21

ラ・ロッシュ・ギュイヨンの紅葉

フランスでは珍しい、秋の赤。
道の先には、黄色に煙る斜面の向こうに、お城が見える。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
なにが、お城のベストショットであるかはわからないが、予期していないところで、なかなかの風景に出会うと、ちょっぴり得した気分になるのだ。まるで、自分だけが得たかのように。
自分の小さい器が、目一杯満たされる幸せな瞬間なのです。
2014.10.20

ヴィールの坂道

ヴィールの町をグルグルと回ってきたが、この町も丘になっている。
川沿いの丘の上に町があるわけだ。
当然、川に降りれば、町へは坂道を登ることになる。
ヴィール
緩やかに曲がりながら登ってゆく坂道は雰囲気がいい。
破壊された町であっても、道は古くからそんなに変わっていないに違いない。
古き町並みであったら、この坂がどんな雰囲気であったろうと思うが、新しくなった今でも、あっ!写真を撮ろうと思わせる雰囲気になっている。

歩いていたら、坂の途中で雨が降ってきた。
坂の中腹のカフェで一休み。
2014.10.19

ベトナム航空でパリへ行く19 羽田便にて

またしても、ベトナム航空でパリへ向かうことになった。
安いからである。
その理由は、羽田就航の記念ということなのだろう。
7月から羽田便が飛んでいるのだ。
ベトナム航空
この羽田便で、欧州アクセスが大幅に改善。
ベトナムへ行くには、ハノイやホーチミンで、9時間とか18時間とか、とにかく、とんでもない長い乗り換え時間を要したのである。ところが、この羽田便のおかげで、他のアジア諸国のエアラインと変わらぬ短い滞在時間で乗り継ぐことが出来るようになったのだ。
ベトナム航空
短い時間で乗り継ぐことが出来るようになったため、一つの楽しみが減った。
それが、ベトナム国内に入国して観光することだ。
ともあれ、その、羽田ハノイ線を使って、パリへ行ってみる。

しかし、羽田空港、ゲートまで、ずいぶん歩かされますなぁ。
もっとも、荷物預けるまで延々と歩かされる、シャルルドゴールのターミナル2よりは、荷物持たないで歩くほうがよっぽどいいですが。
2014.10.18

シャルト大聖堂・アン・リュミエール

毎年、変わるのかどうか?
以前行ったときとは、まったく別の大聖堂が浮かび上がっていました。

コンパクトデジカメと、三脚片手に、行ってまいりました。
週末はすごい人でした。
平日の夜の方が、写真にはいいけれど、お祭り気分は、週末ならではかも知れません。
シャルトル
縦写真でスライドショーできたらいいんですけど、ちょっと楽して横位置で失礼します。
2014.10.17

ランの大聖堂

Laonと書いて、ランという。
Craonと書いて、クランという。
Laonという町は、地図上で、最も気になる町のひとつだった。
そのつづりゆえだ。ラオンと言ってしまいそうになるが、ランなのだ。
なんだか、座り心地のわるいいすに座ってしまったかのようだったが、この町に来てLaonというつづりを見ていると、いつの間にか、そのつづりが、カッコよく見えてくるのだ。
ラン
ランという町については、歴史の本で一度出会っただけだ。
勝った負けた、取った取られた。
なんだか、嫉妬深い司教さんが、ここの町の司教として赴任してきた。
そんな、話を聞いただけだった。

ところが、あるきっかけで、この町を地図他で見ていると、巨大な丘があり、その丘に大聖堂が建っている。
そんな特異な地形をしていることがわかった。
そう知ると、それを実際見てみたくなるものだ。

ランに到着した。
宿は、駅から丘の向こう。
歩いてスーツケースはしんどいが、ぐるりと回る市内バスがある。

宿に荷物を置いて、丘の上を目指すことにした。
2014.10.16

カルカッソンヌ登城

茶色のお城がそびえたつ西側。
こちらから登城してゆくと、真下から城を望むようになる。
近づいてみると、壁は2重になっているようだ。
カルカッソンヌ
青い空を入れて撮る。
教会や、お城と空をセットにすると、空ではなく、天という言葉の方が合う。
天という発想が、欧州にあったのかどうか?

ブリューゲルが、バベルの塔を描いているのだから、似たような概念があったのかも知れぬ。
もっとも、バベルの塔は欧州のものではあるまい。

人とか、そういう代物を超越した存在。
絶対的な漠然とした何か。

人造では、決して届くことのない、無限の広がり。
城が人の造ったものであるのなら、その対比。
大聖堂や、城などの大きな建物の方が、よりいっそう天を意識させる。

こちらは、天どころか、お城の山へ登るだけで、精一杯である。
2014.10.15

聖ヴィート教会の銀の棺

ガイドブックを持たずに、チェコを訪れても、ここ、聖ヴィート教会内を見学すれば、圧倒される雰囲気で存在する、銀の棺を目にすることになる。
一目で、それが、とんでもなくお偉いさんのものであることはわかる。
金色にではなく、銀というところも、豪勢でいて、また渋い。
プラハ
この棺は、聖ヤン・ネポムツキーさんのものだそうだ。
星5つがトレードマークだそうだが、このシーンの写真に収まったのは、4つまで。
聖ヤコブのホタテ貝と同じく、それがその人とわかるトレードマークなのだろう。

ともかく、そのカッコよさと豪華さに、カメラを向けずにはいられない。
2014.10.14

ラ・ロッシュ・ギュイヨンの白い岩

丘の上に登ったら、降りねばならない。
登ったところとは街の反対側から降りる。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
ヴェクサンフランセの白い岩肌を削ったような道を下る。
すると、ガレージらしきものが出現。
岩をくりぬいてできているのだ。
通りも、白濁しているが、ガレージの壁もモノトーンで、統一感あふれる。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
しばらく下ると、こんどは、家が出現。
きっと、家の中は、何もしなくても、白い壁があるのだろう。
パリから、そんなに遠くに行かなくても、洞窟住居は存在していた。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
下へ下ってくると、風景は、徐々に、普通の村へと変わってゆく。
普通とは、色があるということなのかもしれない。
白黒というのは、家具でも、服でも、車でも好まれるトーンだけれど、何にも色がないと、生気もない。
2014.10.13

シャルトル イルミネーションスタート前に

シャルトルの大聖堂のライトアップは、日没とともに始まる。
そうは言っても、日没時間に開始されるわけじゃない。
大聖堂前の広場には、今か今かと待ちわびる人が大勢いる週末。
なかには、何時間か待つ人もいる。
そんなに長く待つつもりじゃなかったろうが、なかなか始まらなかったということであろう。
シャルトル
ただ、そのライトアップをみるためだけに人が集まっているわけじゃない。
街のあちらこちらに、秋の夜を楽しむ人で街はあふれている。
大聖堂と駅の間の広場にも、夜を楽しむライトが並ぶ。観覧車も手前に構えている。

シャルトル・アン・リュミエールの経済効果は相当なものだと思われる人出なのだ。
2014.10.12

ヴィール川のほとりにて

高台の上から、ヴィール川を望む。
ヴィール川のヴィールはこの町の名前である。
ここから、マンシュ県の県庁である、サンローを通過し、バターで有名なイジニーの脇を抜け、北海に注ぐ。
ヴィール
川のほとりにかけられたモノクロの横断幕には、1944の字。
1945という数字は敗戦の年度で、日本人にとってなじみの深い数字になっているが、こちらでは、1944。
ノルマンディ上陸作戦が行われ、町が開放された年なのだ。
ヴィール
ちょうど、池のようになっているヴィール川のこの付近の橋には、フランスでよく見かけるような花の飾りが施されている。
愛らしい歩道橋が二度と戦火に沈まぬように、あってもらいたいものだ。
2014.10.11

ポルト・ドゥ・サントゥアンの煙突

パリの周回通りには、いくつも、門と名のつく場所がある。
ポルト・・・というのがそれだ。
門をでれば、町の外。
周回通りは、ブールヴァールと呼ばれ、いわゆる城壁跡なのだ。
城壁には門がつきもの。
パリ17区と18区の境、パリの最も北エリアの門のひとつ、サントゥアンへの出口、サントゥアン門、ポルト・ドゥ・サントゥアンにやってきた。
パリの道
いくつかのパリの門には、目印になるものがある。
ここには、大きな病院、ビシャ病院の煙突が目印になっている。
この病院の裏手の方から、クリニャンクールあたりまで、サントゥアンの蚤の市、またの名をクリニャンクールの蚤の市が一帯に広がっている。

詳しくは知らぬのだが、このあたり、韓国人の人が多いのだろうか?
トイレがてらに入った喫茶店でも見かけたし、昔の韓国人のお知り合いも、このあたりに住んでいると言っていた。
韓国人街と感じることはなかったが、住んでいる人は多めなのかも知れぬ。

アフリカ人街、トルコ人街、インド人街、ユダヤ人街、チャイナタウン等々、パリにもいろんなゾーンがある。
その住んでいる人たちによって、街の雰囲気も変わってくる。
何区であるとか、右岸左岸というのとは別に、国際都市パリの顔のひとつを形作っている。
シャンゼリゼ通りとか、オペラ通りとかは、その表層の一部でしかない。

パリに架かる橋、大きな広場、そして門。
パリの顔のしわのひとつひとつを、写真に収めてゆく。
2014.10.10

ソワソン サン・ジャン・デ・ヴィーニュ修道院

サンジャンデヴィーニュ修道院(Abbaye de Saint-Jean-des-Vignes)の遺構がある。
カペー朝の11世紀のものだ。
ソワソン
革命とともに、消えた教会やその関係は多いようだが、ここも、そのひとつのようだ。
王族に関わる土地だけに、逆転するときは大きな波だったかもしれない。
ソワソン
丸い窓が開いている。
遺構らしさがそれだが、ここは、きっとバラ窓がはまっていたに違いない。
教会を壊さず、何らかの形で遺していたら、フランスに訪れる観光客はさらに増えたに違いないが、タラレバは歴史にない。
ソワソン
雨が降ったりやんだりのソワソンの曇天の下、観光客もまばらな修道院の中庭がひっそりと秋を告げる。
2014.10.09

カルカッソンヌの登山道

宿に荷物を置いた。
まずは、登ろうよ!
ということで、シテと呼ばれる、城塞都市へ向かう。
カルカッソンヌ
目の前に立ちはだかる山肌。
この上にある。
いや、こうしてみると、すぐ届きそう。
カルカッソンヌ
しかし、現実は甘くはない。
まさに、登山道・・・・ではなく、子供の頃登った裏山の山道である。
カルカッソンヌ
健脚には堪えることなかろう。
しかし、そうではない脚には、一度目は良いが、二度目から、辛くなる。
宿が、ふもとだから、毎日登らねばたどり着けぬのだ。
2014.10.08

プラハ 聖ヴィート教会のステンドグラス

ミュシャ以外にも、他では見かけないステンドグラスに彩られている。
細かいタイル貼りのようなステンドグラス。
オレンジ系のグラデーションで、後光が差すような、太陽の光が描かれている。
プラハ
一枚のステンドグラスが細かい模様で成り立っているのだが、寄ってみると、その色は、さまざまな組み合わせになっている。
ブルー系の中に赤系。
赤系の中にブルー。
同系色グラデーションか?
反対色なのか?
細かく変えてゆくか?
ゾーンで変わってゆくか?
イメージはずいぶん変わってくる。
プラハ
現代アートというのか、アニメ調というのか、ミュシャの雰囲気とはまた違い、クラシックな雰囲気ではないステンドグラスを眺めていると、美術館に来て絵を見ているのとなんら変わりはない。

2014.10.07

ポワシーの魚

ポワシーはPoissyと書く。
魚の意味Poissonとつづりは似ている。
この町に入ると、いたることろに掲げられる市章には、魚が描かれている。
ポワシー
駅の北西の出口から出れば、目の前はセーヌ。
漁も行われていたろうし、魚の輸送の経由地であったかもしれない。
詳しいことを調べてみるパワーはないが、この章が、この町で愛されているような気がする。
ポワシー
王家ゆかりの地であり、魚の町。
あちこちで見かける紋だけで、それは十分理解できる。
2014.10.06

凱旋門賞2014

日本の馬3頭が挑戦した凱旋門賞が終了。
今年も、また、残念な結果でしたが、改めて、お祭り競馬は楽しいもの。
凱旋門賞
結局、フランスの馬が連覇するという結果になった。
結構な数に日本人がやってきましたが、落胆したひとも多かったはず。
それも、ひとつの、凱旋門賞の光景になりつつあります。

狂喜乱舞する日本人が見られるのは、何年先になるのか?
凱旋門賞2015へむけて、スタートすることになります。
2014.10.05

ラ・デファンスのオブジェ

ラ・デファンスで買い物をしようと出かけた。
真四角なさいころ型オブジェを見かけたが、乗り物アンケートのものだった。

1週間前、ポワシーの駅で、アンケート員に、声をかけられた。
おそらく彼は、こう言っていたのだろう。
「乗り物のアンケートに協力していただけますか?」

ところが、予測していない文章や、状況がわかっていないことを、いきなり話されて理解できるというレベルのフランス語能力がない。
そのため、なんども聞いて、ようやく理解できたのだ。

もちろん、答えは「ノン」
そのアンケートの質問ひとつでも理解するのに、どれだけの時間を要すかを考えたら、応えるべきじゃない。
むこうさんも迷惑だ。
ラ・デファンス
本日は、国鉄大工事で、途中までバスでの移動という面倒な乗り継ぎになった。
私の滞在地の郊外からパリへ向かう列車がすべて止ったのだ。

駅の説明係の人に尋ねると、
「そこからホームを通って、駅の反対側の改札を抜け、目の前のバスターミナルから、サルトルーヴィルまでバスに乗ってください。」
そう言われた。

これが理解できたのは、
ホームの向こうへ歩いてゆくと、もうひとつ改札があるということ。
今日は、列車が止っていて、サルトルーヴィルまでバスに乗らなきゃいけないということを、案内板で昨日に知っていたこと。
駅の向こうにバスターミナルがあることを知っていたこと。
その、乗り場を聞きたいがためだけに、質問していること。

これだけの条件がそろっていたため、相手のフランス語を何とか理解することができるのだ。
むろん、聞き取りは半分もできていないが、既知を足して100にすることができるのである。

実際の実力は、何時ですか?ぐらいの質問でも、突然だと反応できない程度のフランス語力なのである。
ここが、本当に話せる人との大きな大きな差なのだ。
そんなんでも、チャレンジしきゃ、語学力をキープすらできない。

この話すという行為は、このレベルの自分にとっては、勇気と覚悟が必要なのである。
短い会話でも、体力の脳の消耗度は結構激しい。
あれこれ聞くなど、試験前の緊張度なのだ。
2014.10.04

サンクルーの秋

パリは今週末、来週末とフランス国鉄の工事が大規模に行われる。
土曜日に、地方へ日帰りする予定も、帰り便が全く手配できず。
工事で、こんがらがって、良くわかんないんだ!と駅で、言われてしまった。
郊外滞在なのだが、土日は一日中、途中駅から、バスに乗らねばならぬらしい。
となれば、行く場所をキッチリ決めて、ゆっくり回って、早く帰るに限る。
サンクルー競馬場
本日は、サンクルーにある競馬場へ出かけた。
ここの入り口付近の紅葉は、いつも緑の芝とのコントラストが美しい。

このサンクルーという街。
パリのブローニュの森からセーヌを渡った対岸にある。
丘の街だから、パリが一望できる、まさに山の手。

山の手。そんなところにこそ、こちらでは競馬場があるのだ。
2014.10.03

カタール色に染まるシャンゼリゼ通り 週末、凱旋門賞2014

カタールがスポンサーの競馬の祭典、凱旋門賞。
今年は、シャンゼリゼ通りに、広告が出るとは聞いていたが、果たして、カタール色のエンジ色に染まっていた。
凱旋門賞
もっとも、競馬ファン以外、紫色ののぼりがいっぱい並んでいる緑とのコントラストのきれいな有名通り以外のなにものでもあるまい。
QATAR Prix de l'Arc de Triompheが、凱旋門賞。
この広告、競馬ファン以外が気がつくのであろうか?

それはともかく、今週末に、日本の馬が、100年近いこのレースの頂点を目指す。
日本の馬は、2着が4回。
日本どころか、アジアはもちろん、ヨーロッパの馬以外、勝ったことはない。

億単位の人が注目するこのレース。今年もいよいよ今週末。
6万とも言われる観客が押し寄せる。
日本の3人の騎手と3頭の日本生産調教の馬が、世界の強豪相手に、歴史に挑む。
2014.10.02

オ・ダック・ドゥ・ラ・シャペルのパン・オ・ショコラとショッソン・オ・ポム

何年かぶりに訪れたパン屋さん。
パリで、もっとも観光に縁遠い場所とも言うべきところにある。
18区ではあるが、モンマルトルではない。
シャペル地区にある。
パリのパン屋
2008年の最優秀バゲットを獲得。
パリのパン屋
依然来たときより、ひっきりなしに人がやって来る。
もっと、ひっそりとしていたと思ったが、それもそのはず・・・。それは、2008年以前だったのだ。
当時は2006年。
このタイトル絶大なのだ・・と分からせてくれる。
パリのパン屋
オーソドックスなパン・オ・ショコラである。
普通の美味しいパン・オ・ショコラのイメージそのまま。
パリのパン屋
ショッソン・オ・ポムも、オーソドックスなもので、これまた、パリの代表的イメージそのままである。
パリのパン屋
残念ながら、バゲットを買って食べることは今回なかったが、近所の公園で、18区パン屋食べ比べという、言い訳に基づく、パン買い食いが、とっても楽しい。
パリのパン屋
オーソドックスゆえ、不器用な私は、手を汚さぬように食べるのが難しい。
ショッソン・オ・ポムを食べると、べたべたになってしまうのだ。