2014.08.31
ラ・ロッシュ・ギュイヨンの丘の上
2014.08.30
ノートルダム・ドゥ・ヴィール教会にて
2014.08.29
ミディ運河 カルカッソンヌ駅前
カルカッソンヌの駅前に、世界遺産がある。
これ?世界遺産なの?ってな存在感で、道行く人はとまる気配はない。
この町を目指してきた人は、カルカッソンヌの世界遺産城塞都市が目的で、世界遺産の何かではない。

世界遺産ミディ運河。
トゥールーズから、地中海までつながる運河は、カルカッソンヌ駅前を通過してゆくのである。
まるで、単なる農業用水路のように。
もっとも、日本では、”世界遺産”流行であっても、世界中がそうとは限らない。
世界遺産も、観光のひとつのステータスでしかないのかも知れぬ。

水門内に水が溜まり、水位を同じくして、高さの違う運河を航行してゆく。
パリの、サンマルタン運河でも見られる光景は、ここでも同じだ。
しばらくして、水がたまると、船は去ってゆく。
溜まるまでの時間は結構長いのだが、長いと感じるわれわれは、どれだけ、時間に急かされて生きているのだろう。
水門の遠く向こうの並木道ならぬ、並木水路は、なんだかすばらしい風景が待っているように感じられる。
これ?世界遺産なの?ってな存在感で、道行く人はとまる気配はない。
この町を目指してきた人は、カルカッソンヌの世界遺産城塞都市が目的で、世界遺産の何かではない。

世界遺産ミディ運河。
トゥールーズから、地中海までつながる運河は、カルカッソンヌ駅前を通過してゆくのである。
まるで、単なる農業用水路のように。
もっとも、日本では、”世界遺産”流行であっても、世界中がそうとは限らない。
世界遺産も、観光のひとつのステータスでしかないのかも知れぬ。

水門内に水が溜まり、水位を同じくして、高さの違う運河を航行してゆく。
パリの、サンマルタン運河でも見られる光景は、ここでも同じだ。
しばらくして、水がたまると、船は去ってゆく。
溜まるまでの時間は結構長いのだが、長いと感じるわれわれは、どれだけ、時間に急かされて生きているのだろう。
水門の遠く向こうの並木道ならぬ、並木水路は、なんだかすばらしい風景が待っているように感じられる。
2014.08.28
Rue Jeanne d'Arc ジャンヌダルク通りのジャンヌ
2014.08.27
Rue de la Paix ソワソンの平和通り
雨の中、バス停を探しつつ、散策。
そんななかあった、路地というか裏通りというか・・。

カーブと正面の古そうな建物と緑に惹かれて、雰囲気に誘われるまま、入ってゆく。
ステンドグラスの工房なのだろうか?
機械の保存修理清掃を行っているのか?ステンドグラスなどの修復をしているのか?

ネオンサイン、ギラギラ、ピカピカが通りに並ぶと、アジアティックになる。
シンガポールはそれを禁止している。
フランスも看板類は主流であるが、こうして、壁書きも時々見かける。
それは、大抵古い広告。
パリ市内にもある。
古いから味のある壁になっていることが多い。
カラーも、フォントも、古めかしさも、そのまま、Tシャツのデザインになりそうだ。
いや、これ、使わせてもらおうかな?
そんな写真を撮りためても面白いかもしれない。
広告博物館ってものもある世の中だしね。
そんななかあった、路地というか裏通りというか・・。

カーブと正面の古そうな建物と緑に惹かれて、雰囲気に誘われるまま、入ってゆく。
ステンドグラスの工房なのだろうか?
機械の保存修理清掃を行っているのか?ステンドグラスなどの修復をしているのか?

ネオンサイン、ギラギラ、ピカピカが通りに並ぶと、アジアティックになる。
シンガポールはそれを禁止している。
フランスも看板類は主流であるが、こうして、壁書きも時々見かける。
それは、大抵古い広告。
パリ市内にもある。
古いから味のある壁になっていることが多い。
カラーも、フォントも、古めかしさも、そのまま、Tシャツのデザインになりそうだ。
いや、これ、使わせてもらおうかな?
そんな写真を撮りためても面白いかもしれない。
広告博物館ってものもある世の中だしね。
2014.08.26
プラハ城 聖ヴィート教会
プラハ城内に大聖堂がある。
カレル橋から見えている尖塔がこれなのかと、ここへきて、初めて知る。
門をくぐってから、結構すぐ、この教会の目の前へ到達する。
到達すると、どこの大聖堂でも同じこと、教会の写真を一枚内に収めきれぬ現象と戦わねばならぬ。

広角レンズをもってしても、なかなか、大変。
ずれて、構えて、ずれて構えて、下がって。
ようやく入るところまで来て一枚。

とりあえず、並ぶ人の列に並び、中へ入ってゆく。
秋、この時期は、並ぶ人も多くはないが、シーズンによっては、きっとすごいのだろう。
中までは、ノーチケットで行けるが、この先へは、チケット要だ。
歴史に興味なく、行った事で満足できる人は、ここまで入れれば十分なのであろう。
ミュシャのステンドグラスも、見えぬことはない。

別の細かい、タイル調のすばらしいステンドグラスも見ることができる。
カレル橋から見えている尖塔がこれなのかと、ここへきて、初めて知る。
門をくぐってから、結構すぐ、この教会の目の前へ到達する。
到達すると、どこの大聖堂でも同じこと、教会の写真を一枚内に収めきれぬ現象と戦わねばならぬ。

広角レンズをもってしても、なかなか、大変。
ずれて、構えて、ずれて構えて、下がって。
ようやく入るところまで来て一枚。

とりあえず、並ぶ人の列に並び、中へ入ってゆく。
秋、この時期は、並ぶ人も多くはないが、シーズンによっては、きっとすごいのだろう。
中までは、ノーチケットで行けるが、この先へは、チケット要だ。
歴史に興味なく、行った事で満足できる人は、ここまで入れれば十分なのであろう。
ミュシャのステンドグラスも、見えぬことはない。

別の細かい、タイル調のすばらしいステンドグラスも見ることができる。
2014.08.25
シャルトル Rue de la Porte Guillaume ギョーム門通りの遺構
2014.08.24
ラ・ロッシュ・ギュイヨン散策
2014.08.23
ヴィールの町から
2014.08.22
カルカッソンヌ駅にて
カルカッソンヌ駅に到着して、中に入ると、巨大な絵が。
誰の絵なのか、良くわからなかったが、どうも、 Jean Camberoque(ジャン・カンベロック)という人の絵である。
カルカッソンヌにゆかりのある人だ。
このような、楽しいカラフルな絵が多いようだ。
デュフィや、マチスなんかを連想するような絵。
地方の美術館へゆくと、地元有名画家に出会うことがある。
絵葉書を買って帰るのだけれど、今回は、駅舎内で出会い。
で、絵葉書ではなく、写真に。

駅を出ると、シンメトリーな駅舎がたたずんでいる。
屋根も、赤茶の南仏である。

駅に着いて、良くやることがある。
この界隈の時刻表を手に入れることだ。
ネットで調べれられる時代とはいえ、調べるには、調べたい何かが必要だ。
何かあるかもしれないだけでは、ネットは使いづらい。
その点、この時刻表を手に入れると、鉄道でいける町を、ダイレクトにネットで調べられるし、観光局で、そこの資料を手に入れられるチャンスが増える。
なかなか、アナログも良い。
いや、いや、デジタルの端と端には、必ずアナログの作業を行う人が介在しているのだ。
誰の絵なのか、良くわからなかったが、どうも、 Jean Camberoque(ジャン・カンベロック)という人の絵である。
カルカッソンヌにゆかりのある人だ。
このような、楽しいカラフルな絵が多いようだ。
デュフィや、マチスなんかを連想するような絵。
地方の美術館へゆくと、地元有名画家に出会うことがある。
絵葉書を買って帰るのだけれど、今回は、駅舎内で出会い。
で、絵葉書ではなく、写真に。

駅を出ると、シンメトリーな駅舎がたたずんでいる。
屋根も、赤茶の南仏である。

駅に着いて、良くやることがある。
この界隈の時刻表を手に入れることだ。
ネットで調べれられる時代とはいえ、調べるには、調べたい何かが必要だ。
何かあるかもしれないだけでは、ネットは使いづらい。
その点、この時刻表を手に入れると、鉄道でいける町を、ダイレクトにネットで調べられるし、観光局で、そこの資料を手に入れられるチャンスが増える。
なかなか、アナログも良い。
いや、いや、デジタルの端と端には、必ずアナログの作業を行う人が介在しているのだ。
2014.08.21
Rue Emile Desvaux エミール・デヴォー通りの坂にて
一度、紹介した通りだが、自転車シリーズ写真が撮れたので。
この国には、ママチャリがない。
ママチャリは日本製。
そう思っていたら、ヴェリブというサービスがパリでも始まった。
あれは、ママチャリに近い。
日本のママチャリは、ママチャリとして強烈な進化を遂げている。
脚が引っかかりづらくなり、電動サポートもしてくれる。
白に赤丸の、ツール・ド・フランスの山の神(山岳賞マイヨ・ポワン・ルージュ)でもびっくりするほど、急な坂道を子供を乗せて、スイスイ登ってゆく。自力とは言わぬけど。

神社の脇、細道の木陰に置かれる自転車はママチャリのほうが良く似合う。
パリの石畳は、こうしたスポーツバイクが良く似合う。
それぞれ、発祥した国と文化であるからかも知れぬ。
ただ、この石畳。
ママチャリのほうがパンクしないはずだ。
土地が狭く、そして、便利な日本では、速い移動手段より、楽な移動手段として、自転車が存在しているのだ。
この国には、ママチャリがない。
ママチャリは日本製。
そう思っていたら、ヴェリブというサービスがパリでも始まった。
あれは、ママチャリに近い。
日本のママチャリは、ママチャリとして強烈な進化を遂げている。
脚が引っかかりづらくなり、電動サポートもしてくれる。
白に赤丸の、ツール・ド・フランスの山の神(山岳賞マイヨ・ポワン・ルージュ)でもびっくりするほど、急な坂道を子供を乗せて、スイスイ登ってゆく。自力とは言わぬけど。

神社の脇、細道の木陰に置かれる自転車はママチャリのほうが良く似合う。
パリの石畳は、こうしたスポーツバイクが良く似合う。
それぞれ、発祥した国と文化であるからかも知れぬ。
ただ、この石畳。
ママチャリのほうがパンクしないはずだ。
土地が狭く、そして、便利な日本では、速い移動手段より、楽な移動手段として、自転車が存在しているのだ。
2014.08.20
ソワソン サン・ジェルヴェ サン・プロテ大聖堂
カフェで一休み。
どこを回ろうか?そう思ったが、結局何も考えず、まず教会。
それだけを決めて、トイレを済ませて、出かける。

すぐに、とげが生えたように、羽を広げる、サン・ジェルヴェ サン・プロテ大聖堂が目に入る。
一応、近所のバス時刻表を見に行ってみるが、お目当てのバスは見つからず。

雨降りしきる中、早々に、教会内へ避難。
雨宿り。
教会の中は、他の大聖堂同様の大きくて立派なつくりだ。

不思議なことに、教会内部をこうして広角で撮ると、実際よりも幻想的な雰囲気になる。
光の具合が、そうさせるのか?
目に入ってくる情報が、現場では補正されるから、別物に見えているのか?
だとすれば、写真のほうが、人間の目より、実際に近いのかもしれない。
どこを回ろうか?そう思ったが、結局何も考えず、まず教会。
それだけを決めて、トイレを済ませて、出かける。

すぐに、とげが生えたように、羽を広げる、サン・ジェルヴェ サン・プロテ大聖堂が目に入る。
一応、近所のバス時刻表を見に行ってみるが、お目当てのバスは見つからず。

雨降りしきる中、早々に、教会内へ避難。
雨宿り。
教会の中は、他の大聖堂同様の大きくて立派なつくりだ。

不思議なことに、教会内部をこうして広角で撮ると、実際よりも幻想的な雰囲気になる。
光の具合が、そうさせるのか?
目に入ってくる情報が、現場では補正されるから、別物に見えているのか?
だとすれば、写真のほうが、人間の目より、実際に近いのかもしれない。
2014.08.19
プラハ城前にて
2014.08.18
シャルトル サン・ピエール教会の夜景
2014.08.17
ラ・ロッシュ・ギュイヨン散策へ
発見してしまった、バス停近くのカフェで、とりあえず一休み。
現在のように、普段から歩きなれている距離ではなかったので、結構疲れた。
今日の場合、カフェの休息は、当然の”権利”なのだ。

日本だろうが、どこだろうか、まず、カフェで休息。
せっかく観光に来たのに、いきなり休憩?と、依然言われたこともある。
それ以来、いきなりカフェに入るのには、理由が必要になっている。
今日、”権利”を誇張するのは、そのためだ。
理由を言う相手のいない一人旅であろうと、無かろうと。
まあ、人に言われたからではなく、単なる、貧乏性でしかなかろう。
時間がもったいないと、脳の別人がささやくのである。

もったいない!といいながら、体に力がみなぎるまでは動かない。
30分は、あーだこうだと休憩時間は延びてゆく。
さて、どのように、まわろうか?
さて、どのように、帰ろうか?
そういえば、明日どうするんだっ?
ガイドブックと妄想を行ったり来たり。
ゆるい脳に見切りをつけ、体が動けば、残り0.1パーセントの時間で決めた行動に移す。
なんのことはない。
まずは、バス停の時刻表を見る・・とか、あの坂を登る・・とか、とりあえず町散策に右方向へ行く等々、たいした事は決まっていないが、それだけを行動に移すのだ。
その先は、行き当たりばったり、思いつくままに移動する。
現在のように、普段から歩きなれている距離ではなかったので、結構疲れた。
今日の場合、カフェの休息は、当然の”権利”なのだ。

日本だろうが、どこだろうか、まず、カフェで休息。
せっかく観光に来たのに、いきなり休憩?と、依然言われたこともある。
それ以来、いきなりカフェに入るのには、理由が必要になっている。
今日、”権利”を誇張するのは、そのためだ。
理由を言う相手のいない一人旅であろうと、無かろうと。
まあ、人に言われたからではなく、単なる、貧乏性でしかなかろう。
時間がもったいないと、脳の別人がささやくのである。

もったいない!といいながら、体に力がみなぎるまでは動かない。
30分は、あーだこうだと休憩時間は延びてゆく。
さて、どのように、まわろうか?
さて、どのように、帰ろうか?
そういえば、明日どうするんだっ?
ガイドブックと妄想を行ったり来たり。
ゆるい脳に見切りをつけ、体が動けば、残り0.1パーセントの時間で決めた行動に移す。
なんのことはない。
まずは、バス停の時刻表を見る・・とか、あの坂を登る・・とか、とりあえず町散策に右方向へ行く等々、たいした事は決まっていないが、それだけを行動に移すのだ。
その先は、行き当たりばったり、思いつくままに移動する。
2014.08.16
戦禍復興の町、ヴィールへ
2014.08.15
カルカッソンヌ駅へ
カルカッソンヌの駅に着いた。
北のモン・サン・ミシェルと並び称される南の一大観光地である。
カルカッソンヌを見ずして死ねぬ・・・とか、カルカッソンヌを見なければ、フランスを見たことにならぬとか、いろんな本やら、人から、あらゆるカルカッソンヌを表現する言葉を聞く。
スペインから来たという、ペルピニャン駅で出会った、お二人日本人も、カルカッソンヌへ車で行くと言っていた。

そんな、カルカッソンヌの駅も、どこの地方駅にもあるような、殺風景な駅だった。
これが、フランスの駅であり、街外れに停車する、別れの舞台なのだ。
フランスでは、駅は、侘び寂びの世界であると思われる。

そんな、カルカッソンヌへ、モンペリエ経由でやってきた。
モンペリエから、TER(フランス国鉄地方エリア路線)に乗り換え、やってきた。
ナルボンヌあたりで乗り換えるのだと思っていたのだが、切符は、往復共に、パリ-モンペリエのみTGVであった。
ペルピニャンといえば、スペインの匂いつよいが、ここ、カルカッソンヌもラングドック・ルシヨン地方。
こちらは、フランスのイメージが強いのだが、TERは、この地方らしく赤色装飾のボンバルディアである。
北のモン・サン・ミシェルと並び称される南の一大観光地である。
カルカッソンヌを見ずして死ねぬ・・・とか、カルカッソンヌを見なければ、フランスを見たことにならぬとか、いろんな本やら、人から、あらゆるカルカッソンヌを表現する言葉を聞く。
スペインから来たという、ペルピニャン駅で出会った、お二人日本人も、カルカッソンヌへ車で行くと言っていた。

そんな、カルカッソンヌの駅も、どこの地方駅にもあるような、殺風景な駅だった。
これが、フランスの駅であり、街外れに停車する、別れの舞台なのだ。
フランスでは、駅は、侘び寂びの世界であると思われる。

そんな、カルカッソンヌへ、モンペリエ経由でやってきた。
モンペリエから、TER(フランス国鉄地方エリア路線)に乗り換え、やってきた。
ナルボンヌあたりで乗り換えるのだと思っていたのだが、切符は、往復共に、パリ-モンペリエのみTGVであった。
ペルピニャンといえば、スペインの匂いつよいが、ここ、カルカッソンヌもラングドック・ルシヨン地方。
こちらは、フランスのイメージが強いのだが、TERは、この地方らしく赤色装飾のボンバルディアである。
2014.08.14
Rue des Carmes カルム通りから眺めるノートルダム寺院
2014.08.13
Rue Saint-Martin ソワソンのサン・マルタン通り
地方都市にありがちな雰囲気の通りである。
目抜き通りであり、生活に必要なお店のの集まっている通りだ。
あまりに、きれいに近代的にしすぎてしまっていると、雰囲気など、丸つぶれになってしまう。
古い建物やその壁、屋根が残っていると、どこも似たような雰囲気ながら、フランス地方都市の空気満載な通りが出来上がる。

この通りも、個人的に好きな通りのパターンから、ご多分にもれず、カーブし、しかも、先が見えない。
というやつだ。
ご存知のスーパー、タバコ屋、新聞雑誌屋、カフェ、パン屋・・・・。
そんななかに、日本の、おそらく富士フィルムの看板がちらりと見える。
ときどき、ちょっと、誇らしい気持ちになりますね。
ただ、あるんじゃなくて、もう、他の看板に混じって、溶け込んじゃっているところが。
目抜き通りであり、生活に必要なお店のの集まっている通りだ。
あまりに、きれいに近代的にしすぎてしまっていると、雰囲気など、丸つぶれになってしまう。
古い建物やその壁、屋根が残っていると、どこも似たような雰囲気ながら、フランス地方都市の空気満載な通りが出来上がる。

この通りも、個人的に好きな通りのパターンから、ご多分にもれず、カーブし、しかも、先が見えない。
というやつだ。
ご存知のスーパー、タバコ屋、新聞雑誌屋、カフェ、パン屋・・・・。
そんななかに、日本の、おそらく富士フィルムの看板がちらりと見える。
ときどき、ちょっと、誇らしい気持ちになりますね。
ただ、あるんじゃなくて、もう、他の看板に混じって、溶け込んじゃっているところが。
2014.08.12
プラハ城への難関ザーメッケ・スホディにて
この階段で、普段歩いている人と、そうでない人の差が現れる。
鍛えていない中年と若者の差もでる。
ここの登城を目指さずとも、トラムで裏に回ってしまえば、まったく坂もないので、そちらの選択肢もあるのだろうが、意外とそちらへ回る人の割合は多くないようだ。

上に上ると、涼しい顔をした若者たちの集団に出会う。
遠足に来た学生なのか?
修学旅行という単語に当てはまるような、学校行事なのか?
ともかく、彼らのパワーは、まったく減っていない。

王は馬車で登ればいいから、大汗かいて登ったことはなかろう。
これだけの丘の上であるから、下から見れば威容を誇り、上に上れば、眼下に広がる町を眺められるのだ。

パリは白い街だが、プラハはやっぱり赤い。
レンガも、瓦も。
壁と屋根を覆う色は、街の雰囲気を決める。
鍛えていない中年と若者の差もでる。
ここの登城を目指さずとも、トラムで裏に回ってしまえば、まったく坂もないので、そちらの選択肢もあるのだろうが、意外とそちらへ回る人の割合は多くないようだ。

上に上ると、涼しい顔をした若者たちの集団に出会う。
遠足に来た学生なのか?
修学旅行という単語に当てはまるような、学校行事なのか?
ともかく、彼らのパワーは、まったく減っていない。

王は馬車で登ればいいから、大汗かいて登ったことはなかろう。
これだけの丘の上であるから、下から見れば威容を誇り、上に上れば、眼下に広がる町を眺められるのだ。

パリは白い街だが、プラハはやっぱり赤い。
レンガも、瓦も。
壁と屋根を覆う色は、街の雰囲気を決める。
2014.08.11
Rue du Faubourg Guillaume フォーブール・ギョーム通りから見たシャルトル大聖堂
通りをふさぐように建つ大聖堂。
こんな画が好きだという話を、アミアンだったか、どこかの大聖堂の記事でも書いた記憶がある。
ここも、通りの向こうに、デンと重石が佇んでいる。

フォーブールという単語が通りについているのだから、ここはシャルトルの街の城壁の外のはず。
フォーブール・サントノーレ通りは、ユーミンの歌にも歌われた、パリの高級ブティック通り。
ユーミンの歌で言えば、伝説の並木通り。
この通りも、パリの城壁の外にあるというわけだ。
この曲の歌詞、東京のまちはオリンピックをひかえ・・・だった。
今もまた、東京はオリンピックを控えている。
三大聖堂という、ランス、アミアン、シャルトル。
このうち、ランスとアミアンは複数回訪れた。
また、シャルトルも訪れることもあるのだろう。
それなら、東京のオリンピック開催よりは、ずっと短い期間でやってくるだろう。
こんな画が好きだという話を、アミアンだったか、どこかの大聖堂の記事でも書いた記憶がある。
ここも、通りの向こうに、デンと重石が佇んでいる。

フォーブールという単語が通りについているのだから、ここはシャルトルの街の城壁の外のはず。
フォーブール・サントノーレ通りは、ユーミンの歌にも歌われた、パリの高級ブティック通り。
ユーミンの歌で言えば、伝説の並木通り。
この通りも、パリの城壁の外にあるというわけだ。
この曲の歌詞、東京のまちはオリンピックをひかえ・・・だった。
今もまた、東京はオリンピックを控えている。
三大聖堂という、ランス、アミアン、シャルトル。
このうち、ランスとアミアンは複数回訪れた。
また、シャルトルも訪れることもあるのだろう。
それなら、東京のオリンピック開催よりは、ずっと短い期間でやってくるだろう。
2014.08.10
ラ・ロッシュ・ギュイヨン到着
じっさい、どこに、線引きされているのかはわからぬが、ヴェクサン・フランセ自然公園内の町、ラ・ロッシュ・ギュイヨンに入った。
停められている車も、城に負けず劣らず古風であるが、その理由は知る由もない。

少し坂を下るように、町中へ到着する。
フランスで最も美しい村協会のプレートを発見。
イル・ド・フランス地方唯一の登録村なのである。

しかし、この後、とんでもない看板を見つける。
そう、バス停があったのだ。
市内循環らしきものもあったが、別の町から、この町までやって来るバスがあるのである。
バスなどないから、歩く。
歩いてでも到達する。
そのモチベーションが、ここまで歩かせたともいえるのだが、いやはや、ちゃんと調べておくべきである。
そうは言うが、バスといっても、バスと検索すれば出てくるとは限らない。
どなたか、日本人の人が、バスにて到達していれば、検索されることもあろう。
その情報にたどり着かねば、ほぼ、フランス語が頼りとなる。
Bus
Autobus
どちらも、バスであるが、これだけで見つかるとは限らない。
Transport en commun
Liaisons(フランス語の前の単語の最後の子音と、後ろの単語の冒頭母音がくっついて発音する時のリエゾンと同じ単語)
car
などなど。
まあ、実際のところ、フランスのバス情報は、この単語の部分以外にも、厄介な点がいっぱいあるんですが・・・旅行者にとってはですが。
どちらにせよ、ちゃんとは調べていなかったということです。
しかし、モチベーションは下がりきってはいなかった。
このあと、町をぶらついて、再び、ボニエールまで歩いて帰ったのだから。
不思議と、いつも、帰りはとっても早く感じるんですね。
停められている車も、城に負けず劣らず古風であるが、その理由は知る由もない。

少し坂を下るように、町中へ到着する。
フランスで最も美しい村協会のプレートを発見。
イル・ド・フランス地方唯一の登録村なのである。

しかし、この後、とんでもない看板を見つける。
そう、バス停があったのだ。
市内循環らしきものもあったが、別の町から、この町までやって来るバスがあるのである。
バスなどないから、歩く。
歩いてでも到達する。
そのモチベーションが、ここまで歩かせたともいえるのだが、いやはや、ちゃんと調べておくべきである。
そうは言うが、バスといっても、バスと検索すれば出てくるとは限らない。
どなたか、日本人の人が、バスにて到達していれば、検索されることもあろう。
その情報にたどり着かねば、ほぼ、フランス語が頼りとなる。
Bus
Autobus
どちらも、バスであるが、これだけで見つかるとは限らない。
Transport en commun
Liaisons(フランス語の前の単語の最後の子音と、後ろの単語の冒頭母音がくっついて発音する時のリエゾンと同じ単語)
car
などなど。
まあ、実際のところ、フランスのバス情報は、この単語の部分以外にも、厄介な点がいっぱいあるんですが・・・旅行者にとってはですが。
どちらにせよ、ちゃんとは調べていなかったということです。
しかし、モチベーションは下がりきってはいなかった。
このあと、町をぶらついて、再び、ボニエールまで歩いて帰ったのだから。
不思議と、いつも、帰りはとっても早く感じるんですね。
2014.08.09
カンの城門の上から
カンの城壁からの風景で、最も定番なのが、城門の上からのものだろう。
もっとも、おさまりが良く、落ち着く雰囲気になる。
サン・ピエール教会が見えるのだが、これをすべて入れて広角で撮れば、トラムが小さくなりすぎる。
トラムに焦点を合わせれば、教会が全く入りきらぬ。
両方、ちょうど良いように!とは考えず、ただただ、”見たなり”を撮ることにする。
結果、教会の尖塔は途切れてしまったが、思っていた雰囲気らしくなったのではないか?と思うのである。
結局、撮りたいのは、教会ではなく、トラムではなく、風景ではなく、そこにある、空気なのだ。

城壁の古ぼけた感をみて思い出す。
いわゆる、”味”というやつだ。
フランスでは、古いと田舎は、かならずしもネガティヴではない。
そういっていたのは、アジアや日本人を良く知るフランス人である。
たしかに、新築、新製品、都会というものの対比として、日本のほうが、ネガティヴに使われることも多いような気がする。
フランスでも、新品や、ちょっと先行くものを、”あからさま”に自慢する人もいるけどね。
働くために飯を食う国と、誰かに、おいしく食べさせるために働く国がある。
真逆感性だが、どちらも、そこに、自慢できるなにか、存在証明がある。
日本は、侘び寂びという”味”の存在する国である。
見えない、何かを追求することって、オタクな世界なのだ。
もっとも、おさまりが良く、落ち着く雰囲気になる。
サン・ピエール教会が見えるのだが、これをすべて入れて広角で撮れば、トラムが小さくなりすぎる。
トラムに焦点を合わせれば、教会が全く入りきらぬ。
両方、ちょうど良いように!とは考えず、ただただ、”見たなり”を撮ることにする。
結果、教会の尖塔は途切れてしまったが、思っていた雰囲気らしくなったのではないか?と思うのである。
結局、撮りたいのは、教会ではなく、トラムではなく、風景ではなく、そこにある、空気なのだ。

城壁の古ぼけた感をみて思い出す。
いわゆる、”味”というやつだ。
フランスでは、古いと田舎は、かならずしもネガティヴではない。
そういっていたのは、アジアや日本人を良く知るフランス人である。
たしかに、新築、新製品、都会というものの対比として、日本のほうが、ネガティヴに使われることも多いような気がする。
フランスでも、新品や、ちょっと先行くものを、”あからさま”に自慢する人もいるけどね。
働くために飯を食う国と、誰かに、おいしく食べさせるために働く国がある。
真逆感性だが、どちらも、そこに、自慢できるなにか、存在証明がある。
日本は、侘び寂びという”味”の存在する国である。
見えない、何かを追求することって、オタクな世界なのだ。
2014.08.08
ウスの路地散策2
2014.08.07
ビュットショーモン公園 おばさんにスリの注意
ビュットショーモン公園のハイライトともいうべき、飛び出た岩山に神殿が立っている。
ここは、学生が大勢たむろしていたので、後回しにし、突先へ写真を撮りに。
カメラバックから、カメラを取り出し、バッグを下へ置き、撮ってくださいと言わぬばかりに見えている、サクレクール寺院を撮る。ここへカメラを持ってきた人の何倍もの写真が撮られたであろうカットを何度も撮ったあと、神殿へ登るため、動き出した。

すると、背後から、声をかけられた。
”あなた、このバッグ、スリには気をつけなさい!”と。
えっ!と思って、バッグを見れば、きちっとしまっていたが、すりにでも狙われていたのだろうか?
そんなことはあるまい!
いやいや、おばちゃんがスリだったりして!
いやいや、親切だったに違いない。
ともかく、極まれに、こうやって声をかけられるということは、隙が多いということか?
スリじゃないよ!痴漢じゃないよ!のフリしているスリは、メトロ内で遭遇したことがあるけどね。
”スリじゃないよ!アニキ”の相棒の手が、背後から手前のかばんの中へ伸びていた。
ここは、学生が大勢たむろしていたので、後回しにし、突先へ写真を撮りに。
カメラバックから、カメラを取り出し、バッグを下へ置き、撮ってくださいと言わぬばかりに見えている、サクレクール寺院を撮る。ここへカメラを持ってきた人の何倍もの写真が撮られたであろうカットを何度も撮ったあと、神殿へ登るため、動き出した。

すると、背後から、声をかけられた。
”あなた、このバッグ、スリには気をつけなさい!”と。
えっ!と思って、バッグを見れば、きちっとしまっていたが、すりにでも狙われていたのだろうか?
そんなことはあるまい!
いやいや、おばちゃんがスリだったりして!
いやいや、親切だったに違いない。
ともかく、極まれに、こうやって声をかけられるということは、隙が多いということか?
スリじゃないよ!痴漢じゃないよ!のフリしているスリは、メトロ内で遭遇したことがあるけどね。
”スリじゃないよ!アニキ”の相棒の手が、背後から手前のかばんの中へ伸びていた。
2014.08.06
ソワソンのジャンヌ
ジャンヌ・ダルクのレリーフがあった。
500周年記念である。
その500周年が1929年であるから、もう、このレリーフも85年の時を刻んでいる。
まもなく、600年目がやってくるのだ。

”そのとき、この橋を渡って、やってきた”
そうレリーフにかかれているもっとも近くの橋がこれだ。
かかっている場所は、ほとんど同じなのであろうが、橋はこれではあるまい。
川の流れもここではなかったかもしれない。
あのレリーフ付近を流れていたのかも知れぬ。

ソワソンという場所は、パリからの電車道で考えてはならない。
ここは、L'Aisneエーヌ川で、コンピエーニュと川続き。
そこから、ゴッホ終焉の地を通るオワーズ川でセーヌ川と川続き。
セーヌの支流の支流がこのエーヌなのだ。

ここの橋を渡って、まっすぐ正面を見やれば、大聖堂が建っている。
ここが街の表門だったのかもしれぬ。
ジャンヌの時も、正面に、きっと、同じように大聖堂が建っていたのだろう。

ジャンヌは馬上、移動してきたのかも知れぬが、この界隈、軍需物資は川を使って運んだのに違いない。
500周年記念である。
その500周年が1929年であるから、もう、このレリーフも85年の時を刻んでいる。
まもなく、600年目がやってくるのだ。

”そのとき、この橋を渡って、やってきた”
そうレリーフにかかれているもっとも近くの橋がこれだ。
かかっている場所は、ほとんど同じなのであろうが、橋はこれではあるまい。
川の流れもここではなかったかもしれない。
あのレリーフ付近を流れていたのかも知れぬ。

ソワソンという場所は、パリからの電車道で考えてはならない。
ここは、L'Aisneエーヌ川で、コンピエーニュと川続き。
そこから、ゴッホ終焉の地を通るオワーズ川でセーヌ川と川続き。
セーヌの支流の支流がこのエーヌなのだ。

ここの橋を渡って、まっすぐ正面を見やれば、大聖堂が建っている。
ここが街の表門だったのかもしれぬ。
ジャンヌの時も、正面に、きっと、同じように大聖堂が建っていたのだろう。

ジャンヌは馬上、移動してきたのかも知れぬが、この界隈、軍需物資は川を使って運んだのに違いない。
2014.08.05
プラハ トフノヴスカー通りから登城階段ザーメッケ・スホディへ
2014.08.04
シャルトル サンテニャン教会の夜景
2014.08.03
ラ・ロッシュ・ギュイヨンへ いよいよ
2014.08.02
カン競馬場へ
フランスには、日本の10倍以上の競馬場がある。
日本の面積の1.5倍程度でしかないから、その数が知れよう。
大きな町には、大抵、競馬場がある。
そんななかでも、フランスの西部に競馬場が集中していることも事実だ。
なぜか?
アキテーヌ、ブルターニュ、アンジュー、そして、ノルマンディ。
これらは、すべて、英国とのつながりが強い。
特に、アキテーヌ、アンジュー、ノルマンディは、英王室とのつながりが強烈だ。

そんななかでも、バスノルマンディ地方は、馬産地としても有名だ。
その中心である、カンであるから、当然といえばそうなのだろう。
競馬とゆかりのない県があれば、馬産地北海道のように、競馬場をいくつか抱える場所もあるということだ。

ということで、ノルマンディを語る上で欠かせないのが、馬。
他の都市と違って、このカンは、町のど真ん中に競馬場がある。
大抵は、郊外までバス、または、車で行かねば到達できない。
ここはちがう、お城から歩いてゆける範囲だ。

競馬場奥には、静かな川沿いの緑道もある。
ベンチに座って望めば、競馬場越しに、男子修道院の尖塔を望むことができるのだ。

王家、宮殿、城、ブランド品、祭り、絵画などなど、日本とは比較にならぬほど、馬とのかかわりは強いフランスであるが、ここカンは、フランスでも数少ない大きなレースG1も行われる競馬場なのである。
行われるレースは、走ってはならぬという、速歩のレースのみ。
車を引くか、騎乗するかだが、歩きが基本。
フランスでは、TROT(トロ)といわれる。
trottoir(トロットワー)といえば、車道に対する歩道。
日常、フランスでも使われる言葉にも、TROTは入っている。
昔はあったが、今では、日本では、ほとんど行われていない。
英愛日香港は別だが、欧州大陸、米加豪新では結構盛んなのである。
走る、日本で言う、普通の競馬は、ドーヴィルというノルマンディ海岸の町が中心地である。
馬の絵で有名な、ジェリコーや、デュフィは、ノルマンディの人である。
日本の面積の1.5倍程度でしかないから、その数が知れよう。
大きな町には、大抵、競馬場がある。
そんななかでも、フランスの西部に競馬場が集中していることも事実だ。
なぜか?
アキテーヌ、ブルターニュ、アンジュー、そして、ノルマンディ。
これらは、すべて、英国とのつながりが強い。
特に、アキテーヌ、アンジュー、ノルマンディは、英王室とのつながりが強烈だ。

そんななかでも、バスノルマンディ地方は、馬産地としても有名だ。
その中心である、カンであるから、当然といえばそうなのだろう。
競馬とゆかりのない県があれば、馬産地北海道のように、競馬場をいくつか抱える場所もあるということだ。

ということで、ノルマンディを語る上で欠かせないのが、馬。
他の都市と違って、このカンは、町のど真ん中に競馬場がある。
大抵は、郊外までバス、または、車で行かねば到達できない。
ここはちがう、お城から歩いてゆける範囲だ。

競馬場奥には、静かな川沿いの緑道もある。
ベンチに座って望めば、競馬場越しに、男子修道院の尖塔を望むことができるのだ。

王家、宮殿、城、ブランド品、祭り、絵画などなど、日本とは比較にならぬほど、馬とのかかわりは強いフランスであるが、ここカンは、フランスでも数少ない大きなレースG1も行われる競馬場なのである。
行われるレースは、走ってはならぬという、速歩のレースのみ。
車を引くか、騎乗するかだが、歩きが基本。
フランスでは、TROT(トロ)といわれる。
trottoir(トロットワー)といえば、車道に対する歩道。
日常、フランスでも使われる言葉にも、TROTは入っている。
昔はあったが、今では、日本では、ほとんど行われていない。
英愛日香港は別だが、欧州大陸、米加豪新では結構盛んなのである。
走る、日本で言う、普通の競馬は、ドーヴィルというノルマンディ海岸の町が中心地である。
馬の絵で有名な、ジェリコーや、デュフィは、ノルマンディの人である。