2014.08.31

ラ・ロッシュ・ギュイヨンの丘の上

急坂を登りきると、そこは、木々茂る山ではなく、稜線の上になっていた。
川側から登ってきたのだが、登った先には、豊穣の谷がのぞいていた。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
ヴェクサン地方の畑も、パリという大都市を支える農地のひとつになっている。
この谷は、エプト川の谷であるから、見えている農地は、ノルマンディ地方ということになるのだろう。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
お城を探しつつ、写真を撮りつつ歩いてゆくと、また、サイクリストが通り過ぎていった。
車が走るようなスピードで駆け抜けて行く。
のどかな、ヴェクサンのお昼前である。
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2014.08.30

ノートルダム・ドゥ・ヴィール教会にて

この教会も爆撃で破壊されている。
第二次世界大戦である。
それが修復されて、今日に至っている。
ヴィール
戦争は、大抵権力者の都合。
人々は、再び立ち上がって、こうして町を復興する。
ヴィール
京都の血天井じゃないが、戦争の傷跡もどこかに残っているのだろう。
ヴィールの細長い身廊を眺めつつ、戦いは止められぬものかなぁと、つくづく思うのである。

2014.08.29

ミディ運河 カルカッソンヌ駅前

カルカッソンヌの駅前に、世界遺産がある。
これ?世界遺産なの?ってな存在感で、道行く人はとまる気配はない。

この町を目指してきた人は、カルカッソンヌの世界遺産城塞都市が目的で、世界遺産の何かではない。
カルカッソンヌ
世界遺産ミディ運河。
トゥールーズから、地中海までつながる運河は、カルカッソンヌ駅前を通過してゆくのである。
まるで、単なる農業用水路のように。
もっとも、日本では、”世界遺産”流行であっても、世界中がそうとは限らない。
世界遺産も、観光のひとつのステータスでしかないのかも知れぬ。
カルカッソンヌ
水門内に水が溜まり、水位を同じくして、高さの違う運河を航行してゆく。
パリの、サンマルタン運河でも見られる光景は、ここでも同じだ。

しばらくして、水がたまると、船は去ってゆく。
溜まるまでの時間は結構長いのだが、長いと感じるわれわれは、どれだけ、時間に急かされて生きているのだろう。

水門の遠く向こうの並木道ならぬ、並木水路は、なんだかすばらしい風景が待っているように感じられる。
2014.08.28

Rue Jeanne d'Arc ジャンヌダルク通りのジャンヌ

ジャンヌダルク通り。
13区にあるこの長い通りは、なんどとなく紹介してきたが、1年ほど前から壁画が増えている。
いくつか増えているのだが、もちろん、印象的なのは、ジャンヌの絵。
パリの道
メトロから、眺められる位置にある。
通りの先には、ジャンヌダルク教会が見えている。
2014.08.27

Rue de la Paix ソワソンの平和通り

雨の中、バス停を探しつつ、散策。
そんななかあった、路地というか裏通りというか・・。
ソワソン
カーブと正面の古そうな建物と緑に惹かれて、雰囲気に誘われるまま、入ってゆく。

ステンドグラスの工房なのだろうか?
機械の保存修理清掃を行っているのか?ステンドグラスなどの修復をしているのか?
ソワソン
ネオンサイン、ギラギラ、ピカピカが通りに並ぶと、アジアティックになる。
シンガポールはそれを禁止している。
フランスも看板類は主流であるが、こうして、壁書きも時々見かける。
それは、大抵古い広告。
パリ市内にもある。
古いから味のある壁になっていることが多い。

カラーも、フォントも、古めかしさも、そのまま、Tシャツのデザインになりそうだ。
いや、これ、使わせてもらおうかな?
そんな写真を撮りためても面白いかもしれない。
広告博物館ってものもある世の中だしね。
2014.08.26

プラハ城 聖ヴィート教会

プラハ城内に大聖堂がある。
カレル橋から見えている尖塔がこれなのかと、ここへきて、初めて知る。
門をくぐってから、結構すぐ、この教会の目の前へ到達する。
到達すると、どこの大聖堂でも同じこと、教会の写真を一枚内に収めきれぬ現象と戦わねばならぬ。
プラハ
広角レンズをもってしても、なかなか、大変。
ずれて、構えて、ずれて構えて、下がって。
ようやく入るところまで来て一枚。
プラハ
とりあえず、並ぶ人の列に並び、中へ入ってゆく。
秋、この時期は、並ぶ人も多くはないが、シーズンによっては、きっとすごいのだろう。
中までは、ノーチケットで行けるが、この先へは、チケット要だ。
歴史に興味なく、行った事で満足できる人は、ここまで入れれば十分なのであろう。
ミュシャのステンドグラスも、見えぬことはない。
プラハ
別の細かい、タイル調のすばらしいステンドグラスも見ることができる。
2014.08.25

シャルトル Rue de la Porte Guillaume ギョーム門通りの遺構

フォーブール・ギョーム通りを歩いていると、ポルト・ギョーム(ギョーム門)通りに変わる。
ウール川の橋を渡り、中ノ島に入るところだ。
フォーブールが場外。
そこを歩いてきたら、門があった、ということだ。
ここから内側は、シャルトルだったのだ。
シャルトル
門は遺構として、残骸が残っているだけだが、なんとなく、足りない部分を想像して門を造ってみると、結構な雰囲気になってくる。
その、仮門をくぐって、中へ入ってみることにする。
2014.08.24

ラ・ロッシュ・ギュイヨン散策

お城のふもとにいる。
歩いてきたが、十分休憩した。
復活した体力を元手に、裏山へ登ってみることに。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
とにかく急だ。
立ち止まって、頭を持ち上げれば、後ろに転がり落ちて行きそうな急坂なのだ。
ヒットポイント回復とはいえ、体力、気力が完全充填されていないから、調子に乗ってペースを上げることなどなく、無理せず登る。
紅葉の坂道なのである。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
いかに急であるかを、理解していただけようというものだ。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
門がある。
この町へはいるための城門だったのか?
城の領域へ入るための、門だったのか?
意味が違えば、門をくぐって向かう先は逆になる。

最後に振り返って撮った写真は、もう、坂の頂上にだいぶ近い。
余裕ができての振り返りなのだ。
2014.08.23

ヴィールの町から

小さな町なのだ。
少々歩けば、もうこんな牧歌的な風景が待っている。
とても、戦争という悲劇にさらされた町には思えぬ。
人間の歴史だけから見ても、つい最近のことなのに。
ヴィール
木々の生えているところと、そうでないところがある。
緑の”じゅうたん”になっているところだ。
ああいった、部分は人工的なのだろうか?
少々向こうの山々には、こうしたじゅうたんがない。

造られたとしても、この緑のじゅうたんの丘は、大好きな風景のひとつだ。
ただ、きっかけが戦火であっては欲しくない。
2014.08.22

カルカッソンヌ駅にて

カルカッソンヌ駅に到着して、中に入ると、巨大な絵が。
誰の絵なのか、良くわからなかったが、どうも、 Jean Camberoque(ジャン・カンベロック)という人の絵である。
カルカッソンヌにゆかりのある人だ。
このような、楽しいカラフルな絵が多いようだ。
デュフィや、マチスなんかを連想するような絵。
地方の美術館へゆくと、地元有名画家に出会うことがある。
絵葉書を買って帰るのだけれど、今回は、駅舎内で出会い。
で、絵葉書ではなく、写真に。
カルカッソンヌ
駅を出ると、シンメトリーな駅舎がたたずんでいる。
屋根も、赤茶の南仏である。
カルカッソンヌ
駅に着いて、良くやることがある。
この界隈の時刻表を手に入れることだ。
ネットで調べれられる時代とはいえ、調べるには、調べたい何かが必要だ。
何かあるかもしれないだけでは、ネットは使いづらい。
その点、この時刻表を手に入れると、鉄道でいける町を、ダイレクトにネットで調べられるし、観光局で、そこの資料を手に入れられるチャンスが増える。

なかなか、アナログも良い。
いや、いや、デジタルの端と端には、必ずアナログの作業を行う人が介在しているのだ。
2014.08.21

Rue Emile Desvaux エミール・デヴォー通りの坂にて

一度、紹介した通りだが、自転車シリーズ写真が撮れたので。

この国には、ママチャリがない。
ママチャリは日本製。
そう思っていたら、ヴェリブというサービスがパリでも始まった。
あれは、ママチャリに近い。
日本のママチャリは、ママチャリとして強烈な進化を遂げている。
脚が引っかかりづらくなり、電動サポートもしてくれる。
白に赤丸の、ツール・ド・フランスの山の神(山岳賞マイヨ・ポワン・ルージュ)でもびっくりするほど、急な坂道を子供を乗せて、スイスイ登ってゆく。自力とは言わぬけど。
パリの道
神社の脇、細道の木陰に置かれる自転車はママチャリのほうが良く似合う。
パリの石畳は、こうしたスポーツバイクが良く似合う。
それぞれ、発祥した国と文化であるからかも知れぬ。
ただ、この石畳。
ママチャリのほうがパンクしないはずだ。

土地が狭く、そして、便利な日本では、速い移動手段より、楽な移動手段として、自転車が存在しているのだ。
2014.08.20

ソワソン サン・ジェルヴェ サン・プロテ大聖堂

カフェで一休み。
どこを回ろうか?そう思ったが、結局何も考えず、まず教会。
それだけを決めて、トイレを済ませて、出かける。
ソワソン
すぐに、とげが生えたように、羽を広げる、サン・ジェルヴェ サン・プロテ大聖堂が目に入る。
一応、近所のバス時刻表を見に行ってみるが、お目当てのバスは見つからず。
ソワソン
雨降りしきる中、早々に、教会内へ避難。
雨宿り。
教会の中は、他の大聖堂同様の大きくて立派なつくりだ。
ソワソン
不思議なことに、教会内部をこうして広角で撮ると、実際よりも幻想的な雰囲気になる。
光の具合が、そうさせるのか?
目に入ってくる情報が、現場では補正されるから、別物に見えているのか?
だとすれば、写真のほうが、人間の目より、実際に近いのかもしれない。
2014.08.19

プラハ城前にて

お城に到着した。
国旗が掲げられているが、とにかく、キリスト教国は、赤白青が多い。
ロシアとか、セルビアや、フランスはわかりやすい。
英国も、赤白青だし、ノルウェーもそうだ。
プラハ
人だかりがあるなと思ったら、ちょうど、衛兵交代の時間だったらしい。
観光客の只中を、スッスッとやって来る。
これは、トラムでいける北側の門でも行われていた。
空気が起つ。
衛兵の気迫というより、チェコのプライドなのかもしれない。
プラハ
さてさて、あちらこちらに入れるというチケットを、最初の美術館で買って、お城の中を見学するとします。
2014.08.18

シャルトル サン・ピエール教会の夜景

広くなった、駐車場エリアに、大きな教会が建っている。
サン・ピエール教会である。
シャルトル
この大きな壁面に目一杯絵のライトアップが施される。
大聖堂が丘の上、サン・テニャン教会が中腹、そして、このサン・ピエール教会は谷底にある。
すぐ近くをウール川が流れている。
シャルトル
裏へ回ってみると、赤い、まるで中国風の壁。
自分の影もうつり、ナルシストな写真のできあがり。
影入らぬよう、試してみたものの、光の向きが許してくれず、降参。
入れてしまえ!となる。
2014.08.17

ラ・ロッシュ・ギュイヨン散策へ

発見してしまった、バス停近くのカフェで、とりあえず一休み。
現在のように、普段から歩きなれている距離ではなかったので、結構疲れた。
今日の場合、カフェの休息は、当然の”権利”なのだ。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
日本だろうが、どこだろうか、まず、カフェで休息。
せっかく観光に来たのに、いきなり休憩?と、依然言われたこともある。

それ以来、いきなりカフェに入るのには、理由が必要になっている。
今日、”権利”を誇張するのは、そのためだ。
理由を言う相手のいない一人旅であろうと、無かろうと。
まあ、人に言われたからではなく、単なる、貧乏性でしかなかろう。
時間がもったいないと、脳の別人がささやくのである。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
もったいない!といいながら、体に力がみなぎるまでは動かない。
30分は、あーだこうだと休憩時間は延びてゆく。
さて、どのように、まわろうか?
さて、どのように、帰ろうか?
そういえば、明日どうするんだっ?
ガイドブックと妄想を行ったり来たり。

ゆるい脳に見切りをつけ、体が動けば、残り0.1パーセントの時間で決めた行動に移す。
なんのことはない。
まずは、バス停の時刻表を見る・・とか、あの坂を登る・・とか、とりあえず町散策に右方向へ行く等々、たいした事は決まっていないが、それだけを行動に移すのだ。
その先は、行き当たりばったり、思いつくままに移動する。
2014.08.16

戦禍復興の町、ヴィールへ

ボカージュ・ノルマンと呼ばれる地方の中心都市。
ここは、第二次世界大戦の激戦の地。
ほとんど町は破壊されたそうだ。
そんななか、わずかながら、町のあちらこちらに、遺構がのこっている。
この広場の前にある、時計の門も、その一つであろう。
ヴィール
ヴィールは鉄道でも、到達することができる。
グランヴィル行きのTERが、モンパルナスから出ている。
これで行けば、2時間半。

今回は、カンを基地に、バスにてヴィールへ。
1時間20分のバス旅である。
ノルマンディは、県ごとに、バス便が充実している。
バスノルマンディ地方は、マンシュ県、カルヴァドス県、オルヌ県であるが、カルヴァドス県はバス・ヴェールという緑バスが走っている。
2014.08.15

カルカッソンヌ駅へ

カルカッソンヌの駅に着いた。
北のモン・サン・ミシェルと並び称される南の一大観光地である。
カルカッソンヌを見ずして死ねぬ・・・とか、カルカッソンヌを見なければ、フランスを見たことにならぬとか、いろんな本やら、人から、あらゆるカルカッソンヌを表現する言葉を聞く。
スペインから来たという、ペルピニャン駅で出会った、お二人日本人も、カルカッソンヌへ車で行くと言っていた。
カルカッソンヌ
そんな、カルカッソンヌの駅も、どこの地方駅にもあるような、殺風景な駅だった。
これが、フランスの駅であり、街外れに停車する、別れの舞台なのだ。
フランスでは、駅は、侘び寂びの世界であると思われる。
カルカッソンヌ
そんな、カルカッソンヌへ、モンペリエ経由でやってきた。
モンペリエから、TER(フランス国鉄地方エリア路線)に乗り換え、やってきた。
ナルボンヌあたりで乗り換えるのだと思っていたのだが、切符は、往復共に、パリ-モンペリエのみTGVであった。

ペルピニャンといえば、スペインの匂いつよいが、ここ、カルカッソンヌもラングドック・ルシヨン地方。
こちらは、フランスのイメージが強いのだが、TERは、この地方らしく赤色装飾のボンバルディアである。
2014.08.14

Rue des Carmes カルム通りから眺めるノートルダム寺院

パリ5区のカルム通りの下から眺めるパンテオンがシンメトリーで良い話は既に載せた。
ここは、逆、坂の中腹から、ノートルダム寺院を望む。
パリの道
建物の近くに沈む夕日は大きいが、こちらも、やっぱり、比較対象があると、その大きな建物のイメージがわかる。
塔と屋根一部しか見えないが、存在感は、すごい。
しならければ、”あれ何!?”
写真で見るなんかより、はるかに圧倒的な存在感を、生で与えてくれる。
2014.08.13

Rue Saint-Martin ソワソンのサン・マルタン通り

地方都市にありがちな雰囲気の通りである。
目抜き通りであり、生活に必要なお店のの集まっている通りだ。
あまりに、きれいに近代的にしすぎてしまっていると、雰囲気など、丸つぶれになってしまう。
古い建物やその壁、屋根が残っていると、どこも似たような雰囲気ながら、フランス地方都市の空気満載な通りが出来上がる。
ソワソン
この通りも、個人的に好きな通りのパターンから、ご多分にもれず、カーブし、しかも、先が見えない。
というやつだ。
ご存知のスーパー、タバコ屋、新聞雑誌屋、カフェ、パン屋・・・・。
そんななかに、日本の、おそらく富士フィルムの看板がちらりと見える。
ときどき、ちょっと、誇らしい気持ちになりますね。
ただ、あるんじゃなくて、もう、他の看板に混じって、溶け込んじゃっているところが。
2014.08.12

プラハ城への難関ザーメッケ・スホディにて

この階段で、普段歩いている人と、そうでない人の差が現れる。
鍛えていない中年と若者の差もでる。
ここの登城を目指さずとも、トラムで裏に回ってしまえば、まったく坂もないので、そちらの選択肢もあるのだろうが、意外とそちらへ回る人の割合は多くないようだ。
プラハ
上に上ると、涼しい顔をした若者たちの集団に出会う。
遠足に来た学生なのか?
修学旅行という単語に当てはまるような、学校行事なのか?
ともかく、彼らのパワーは、まったく減っていない。
プラハ
王は馬車で登ればいいから、大汗かいて登ったことはなかろう。
これだけの丘の上であるから、下から見れば威容を誇り、上に上れば、眼下に広がる町を眺められるのだ。
プラハ
パリは白い街だが、プラハはやっぱり赤い。
レンガも、瓦も。
壁と屋根を覆う色は、街の雰囲気を決める。
2014.08.11

Rue du Faubourg Guillaume フォーブール・ギョーム通りから見たシャルトル大聖堂

通りをふさぐように建つ大聖堂。
こんな画が好きだという話を、アミアンだったか、どこかの大聖堂の記事でも書いた記憶がある。
ここも、通りの向こうに、デンと重石が佇んでいる。
シャルトル大聖堂
フォーブールという単語が通りについているのだから、ここはシャルトルの街の城壁の外のはず。
フォーブール・サントノーレ通りは、ユーミンの歌にも歌われた、パリの高級ブティック通り。
ユーミンの歌で言えば、伝説の並木通り。
この通りも、パリの城壁の外にあるというわけだ。

この曲の歌詞、東京のまちはオリンピックをひかえ・・・だった。
今もまた、東京はオリンピックを控えている。

三大聖堂という、ランス、アミアン、シャルトル。
このうち、ランスとアミアンは複数回訪れた。
また、シャルトルも訪れることもあるのだろう。
それなら、東京のオリンピック開催よりは、ずっと短い期間でやってくるだろう。
2014.08.10

ラ・ロッシュ・ギュイヨン到着

じっさい、どこに、線引きされているのかはわからぬが、ヴェクサン・フランセ自然公園内の町、ラ・ロッシュ・ギュイヨンに入った。
停められている車も、城に負けず劣らず古風であるが、その理由は知る由もない。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
少し坂を下るように、町中へ到着する。
フランスで最も美しい村協会のプレートを発見。
イル・ド・フランス地方唯一の登録村なのである。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
しかし、この後、とんでもない看板を見つける。
そう、バス停があったのだ。
市内循環らしきものもあったが、別の町から、この町までやって来るバスがあるのである。

バスなどないから、歩く。
歩いてでも到達する。
そのモチベーションが、ここまで歩かせたともいえるのだが、いやはや、ちゃんと調べておくべきである。

そうは言うが、バスといっても、バスと検索すれば出てくるとは限らない。
どなたか、日本人の人が、バスにて到達していれば、検索されることもあろう。
その情報にたどり着かねば、ほぼ、フランス語が頼りとなる。

Bus
Autobus
どちらも、バスであるが、これだけで見つかるとは限らない。
Transport en commun
Liaisons(フランス語の前の単語の最後の子音と、後ろの単語の冒頭母音がくっついて発音する時のリエゾンと同じ単語)
car
などなど。

まあ、実際のところ、フランスのバス情報は、この単語の部分以外にも、厄介な点がいっぱいあるんですが・・・旅行者にとってはですが。

どちらにせよ、ちゃんとは調べていなかったということです。

しかし、モチベーションは下がりきってはいなかった。
このあと、町をぶらついて、再び、ボニエールまで歩いて帰ったのだから。
不思議と、いつも、帰りはとっても早く感じるんですね。
2014.08.09

カンの城門の上から

カンの城壁からの風景で、最も定番なのが、城門の上からのものだろう。
もっとも、おさまりが良く、落ち着く雰囲気になる。

サン・ピエール教会が見えるのだが、これをすべて入れて広角で撮れば、トラムが小さくなりすぎる。
トラムに焦点を合わせれば、教会が全く入りきらぬ。

両方、ちょうど良いように!とは考えず、ただただ、”見たなり”を撮ることにする。
結果、教会の尖塔は途切れてしまったが、思っていた雰囲気らしくなったのではないか?と思うのである。

結局、撮りたいのは、教会ではなく、トラムではなく、風景ではなく、そこにある、空気なのだ。
カン
城壁の古ぼけた感をみて思い出す。
いわゆる、”味”というやつだ。

フランスでは、古いと田舎は、かならずしもネガティヴではない。

そういっていたのは、アジアや日本人を良く知るフランス人である。

たしかに、新築、新製品、都会というものの対比として、日本のほうが、ネガティヴに使われることも多いような気がする。
フランスでも、新品や、ちょっと先行くものを、”あからさま”に自慢する人もいるけどね。

働くために飯を食う国と、誰かに、おいしく食べさせるために働く国がある。
真逆感性だが、どちらも、そこに、自慢できるなにか、存在証明がある。

日本は、侘び寂びという”味”の存在する国である。
見えない、何かを追求することって、オタクな世界なのだ。
2014.08.08

ウスの路地散策2

村をぶらぶらしていると、花に出会った。
花を飾るのは、日本に比べると本当に多い。
湿度、虫・・日本じゃ気になることも、こちらは乾燥していて、大丈夫だからなのかもしれぬ。
ウス
路地を下ってゆくと、眼下に緑が見えてくる。
こちらは、花ではないが、オレンジの屋根に、緑の畑と山。
どこをとっても、オレンジと緑の村である。
ウス
さて、ビー玉となって、道なりに転がり落ちてゆくことにしますか!
2014.08.07

ビュットショーモン公園 おばさんにスリの注意

ビュットショーモン公園のハイライトともいうべき、飛び出た岩山に神殿が立っている。
ここは、学生が大勢たむろしていたので、後回しにし、突先へ写真を撮りに。
カメラバックから、カメラを取り出し、バッグを下へ置き、撮ってくださいと言わぬばかりに見えている、サクレクール寺院を撮る。ここへカメラを持ってきた人の何倍もの写真が撮られたであろうカットを何度も撮ったあと、神殿へ登るため、動き出した。
ビュットショーモン公園
すると、背後から、声をかけられた。
”あなた、このバッグ、スリには気をつけなさい!”と。

えっ!と思って、バッグを見れば、きちっとしまっていたが、すりにでも狙われていたのだろうか?
そんなことはあるまい!
いやいや、おばちゃんがスリだったりして!
いやいや、親切だったに違いない。

ともかく、極まれに、こうやって声をかけられるということは、隙が多いということか?

スリじゃないよ!痴漢じゃないよ!のフリしているスリは、メトロ内で遭遇したことがあるけどね。
”スリじゃないよ!アニキ”の相棒の手が、背後から手前のかばんの中へ伸びていた。
2014.08.06

ソワソンのジャンヌ

ジャンヌ・ダルクのレリーフがあった。
500周年記念である。
その500周年が1929年であるから、もう、このレリーフも85年の時を刻んでいる。
まもなく、600年目がやってくるのだ。
ソワソン
”そのとき、この橋を渡って、やってきた”
そうレリーフにかかれているもっとも近くの橋がこれだ。

かかっている場所は、ほとんど同じなのであろうが、橋はこれではあるまい。
川の流れもここではなかったかもしれない。
あのレリーフ付近を流れていたのかも知れぬ。
ソワソン
ソワソンという場所は、パリからの電車道で考えてはならない。
ここは、L'Aisneエーヌ川で、コンピエーニュと川続き。
そこから、ゴッホ終焉の地を通るオワーズ川でセーヌ川と川続き。
セーヌの支流の支流がこのエーヌなのだ。
ソワソン
ここの橋を渡って、まっすぐ正面を見やれば、大聖堂が建っている。
ここが街の表門だったのかもしれぬ。
ジャンヌの時も、正面に、きっと、同じように大聖堂が建っていたのだろう。
ソワソン
ジャンヌは馬上、移動してきたのかも知れぬが、この界隈、軍需物資は川を使って運んだのに違いない。
2014.08.05

プラハ トフノヴスカー通りから登城階段ザーメッケ・スホディへ

トフノヴスカー通りの路地裏のようなところを抜けると、広々とする。
大通りを歩いてきた観光客とも合流し、さらに登ってゆく。
プラハ
道は、トフノヴスカー通りと別れを告げ、登城階段へと入ってゆく。
Zámecké schodyとなっているから、ザーメッケ・スホディと読めばいいのであろうか?
写る人々も、心なしかスピードダウンしているように感じられる。
プラハ
一気に登ることもできるだろう。
そんなことをすれば、その場限りの満足感と引き換えに、腰痛と筋肉痛他と戦うことになる。
プラハ
そう思って、止まって振り返る。
ここは急だ。
撮ると、それが伝わらなくなることも多いが、ここは心配後無用。
2014.08.04

シャルトル サンテニャン教会の夜景

16世紀の教会。
中の装飾も美しいらしいが、中に入る時間はなかった。
夜、夜景ぶらつきをしていると、おっ!と思わず声をあげるような、絵画のような壁面に出会う。
絵に見入ってしまうと、ここが、教会であることはおろか、建物の壁であることを忘れてしまう。
シャルトル
さすがに、ここは、夜景の中でも人気があるようだ。
写真をとっている人たちの数が、随分と多かった。

結構、歩くもんだなぁ・・などと思っていると、一気にその気分をアゲテくれるライトアップである。
2014.08.03

ラ・ロッシュ・ギュイヨンへ いよいよ

ついに、目前に迫ったお城。
ラロッシュ・ギュイヨンに入ったといっていいのでしょう。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
紅葉の始まった秋。
言葉は不要。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
最近は、有楽町から有明まで6.6キロ。
往復で13キロ超。
歩きでリハビリとダイエットしているけれども、それよりも、少々長めの片道7.7キロのボニエール駅からラ・ロッシュ・ギュイヨンへの道のり。
いよいよ折り返し地点。

もっとも、旅の途中はダイエットじゃないから、写真撮りつつ、時間は通常より長め。
1時間半少々だった。
2014.08.02

カン競馬場へ

フランスには、日本の10倍以上の競馬場がある。
日本の面積の1.5倍程度でしかないから、その数が知れよう。
大きな町には、大抵、競馬場がある。
そんななかでも、フランスの西部に競馬場が集中していることも事実だ。
なぜか?
アキテーヌ、ブルターニュ、アンジュー、そして、ノルマンディ。
これらは、すべて、英国とのつながりが強い。
特に、アキテーヌ、アンジュー、ノルマンディは、英王室とのつながりが強烈だ。
カン
そんななかでも、バスノルマンディ地方は、馬産地としても有名だ。
その中心である、カンであるから、当然といえばそうなのだろう。
競馬とゆかりのない県があれば、馬産地北海道のように、競馬場をいくつか抱える場所もあるということだ。
カン
ということで、ノルマンディを語る上で欠かせないのが、馬。
他の都市と違って、このカンは、町のど真ん中に競馬場がある。
大抵は、郊外までバス、または、車で行かねば到達できない。
ここはちがう、お城から歩いてゆける範囲だ。
カン
競馬場奥には、静かな川沿いの緑道もある。
ベンチに座って望めば、競馬場越しに、男子修道院の尖塔を望むことができるのだ。
カン
王家、宮殿、城、ブランド品、祭り、絵画などなど、日本とは比較にならぬほど、馬とのかかわりは強いフランスであるが、ここカンは、フランスでも数少ない大きなレースG1も行われる競馬場なのである。
行われるレースは、走ってはならぬという、速歩のレースのみ。
車を引くか、騎乗するかだが、歩きが基本。

フランスでは、TROT(トロ)といわれる。
trottoir(トロットワー)といえば、車道に対する歩道。
日常、フランスでも使われる言葉にも、TROTは入っている。

昔はあったが、今では、日本では、ほとんど行われていない。
英愛日香港は別だが、欧州大陸、米加豪新では結構盛んなのである。

走る、日本で言う、普通の競馬は、ドーヴィルというノルマンディ海岸の町が中心地である。
馬の絵で有名な、ジェリコーや、デュフィは、ノルマンディの人である。