2014.07.31

ヴェルサンジェトリクス通りの番号

日本の場合は、土地に番号がついている。
何丁目何番地の何号である。または、何々何番地である。
フランスは、通り名。
通りの建物ごとに番号が振られている。
右が偶数なら、左が奇数。
セーヌに向かって、どっち側は奇数とか偶数とかあるのだが、見れば、奇数偶数ぐらいわかるので、なんど聞いても調べても、覚えられない。
パリの道
日本に比べて、住所の数字を気にすることは、フランスのほうが多い。
何々通りの何番地かがわかっていれば、飛び地になることもないので、まずたどり着ける。
そんなこともあってか、通り名と番地は建物の看板みたいなもの。

フランス人は、数字が好きな人々であると思うが、ご覧の通りのデザインが現れる。
表に、何かを現すことが、あまり好きではない日本人にとっては、自己主張つよすぎるのかもしれぬが、フランスにとっては、ありがちなデザインなのかもしれない。

ヴェルサンジェトリクスは昔の英雄である。
坂上田村麻呂通り207番地といってみても、ピンとこない。

フランスは線、日本は面なのだ。
これもきっと、立派な感性と文化の域である。
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2014.07.30

ソワソン クロヴィスという名の映画館

パリの隣町、ルヴァロワは、メトロ3号線で行くことができる。
あの、エッフェルの出身地。
それゆえ、エッフェルというなの映画館があった。
パリ・スコープという雑誌にも、上映映画館として、何をやっているか?が昔は載っていた。
いまも、あるのだろうか?
ソワソン
ここは、ソワソン。
はたして、映画館の名前は、クロヴィスであった。
2014.07.29

プラハ トフノヴスカー通りを登る

通りを登ってゆこうとすると、裏のほうにも道があったので、そちらに入っていってみることに。
カレル橋には大勢の人がいたが、ここには、まったく人影がない。
どなたかの胸像があるが、これが、チャーチル像で、この右奥の、なんだろう?と思っていた建物が英国大使館であるのは、後に知った。
プラハ
幅員といい、壁の色といい、壁の剥がれ落ち具合といい、裏通りらしい、プラハを散策している感満載の通り。
プラハ
先が見えてきた。
歩いているのは、子供達だろう。
間違いなく、お城への道に違いあるまい。
プラハ
次来た時には、ここの夜の街灯下を通ってみたいなと思いつつ、プラハ城を目指す。
2014.07.28

シャルトル大聖堂 桜井公園から

シャルトル大聖堂が望めるスポットとして、桜井公園にやってきた。
奈良県の桜井市の桜井らしい。
シャルトル大聖堂
個人的には、この近所の芝生の方が見やすくて好きであるが、ここも、家々の上に浮かぶ大聖堂を見られる。
シャルトル大聖堂
シャルトルも桜井市も、由緒ある寺院のある街ではある。
シャルトルのビールと、三輪そうめんと、シャルトルのマカロンがデザートという組み合わせで、ここでお昼というのもいいかも知れぬ。
合わない合わない!というのは、やってみて初めて言えること。
2014.07.27

ラ・ロッシュ・ギュイヨンへ 県境を越え

ラロッシュ・ギュイヨンへの道を歩いていると、白い岩肌が出てくるのだが、まるで、氷が突き出たように見えてしまう。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
居つくしい景色に見とれつつ、歩いていると、看板出現。
ヴァルドワーズ県に入るということだ。
県境にこのような看板があることははじめて知った。
いままで、こうした越境をしたことがなかったのかもしれない。
その先には、城が見えている。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
ふと後ろを振り返れば、当然のように、イヴリーヌ県の看板である。
ヴァルドワーズ県の有名観光地といえば、ゴッホ終焉の地、オーヴェル・シュル・オワーズ。
イヴリーヌ県の有名観光地といえば、ヴェルサイユ。
どちらも、日本人には人気観光地である。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
そんなことを、思いつつ、美しい景色を撮っていると、叫び声が聞こえてきた。
”アットンシオン!”
と聞こえたように思う。
自転車からだった。

写真に入っちゃうよ!という意味なのか?
自転車に気をつけて!という意味だったのか?

前者と、その時は感じたのだが・・・。
パリではおおくの自転車を見かけることはないが、こうした田舎道は結構スポーツタイプの自転車見かけるのだ。
さすが、ツール・ド・フランスの国。
2014.07.26

カーン城下にて

旅と旅行という単語は、どうもニュアンスが違う。

行くあてのない旅はあっても、行くあてのない旅行はない。
旅先の出会いはあっても、旅行先の出会いという言葉は、しっくり来ない。
旅人はいても、旅行人はいない。

逆に、観光旅行はあっても、観光旅という単語は聞かない。

旅という単語には、自由度と個人というニュアンスが強く、旅行というと、スケジューリングと周遊感が強い。
カン
旅は上級者、旅行は初心者。
そんなイメージもあったが、今はそうでもない。
国内、国外にせよ、もう、ツアーか個人手配か?は手段になってきたようにも思われる。
個人で回っても、自分で周遊ルートを作る人もいれば、自由度の高いツアーで、のんびり回るという人もいる。
カン
旅も旅行も、非日常である。
非日常をどう体感するかは、人それぞれである。
たくさん回ることに価値を見出す人もいるし、ゆっくりすることに価値を見出す人もいる。
何で、そんなにせかせか回るのだろう?と思う人もいれば、何で、ほんの少し勉強したり、調べておいたりしないのだろう?と思う人もいる。
非日常を無視して、日常を旅先に持ち込むフランス流もありだ。

ベンチに腰掛けている人を、この日は見かけなかった。
振り返ると、芝生で語らい休む人々が・・。

で、こちらは、あいているベンチを借り、観光局でもらった、周辺の町情報と、ガイドを、さて明日どうするか?と読み漁ることに。
カンの城の壁にもたれかかって字を追っている気分だ。

旅はバランス感覚が現れ出る。
この感覚のずれが、複数人数の旅では、けんかの元になりやすい。
よかれも、無干渉も、おせっかいと無気力に変わって伝わるのである。

かくも、人間は、こころが狭いものなのか?いや、それは自分だけか・・・。
2014.07.25

ウスのてっぺんから

村に登ると、当然のように広い視野が広がる。
近づく敵は一望できる。
右のほうに見える、山に分け入る手前の大きめの町は、プラードなのだろう。
ウス
左手のほうをみると、どうも、軽井沢あたりから下ってきた群馬県のようにさえ感じられるが、見事に緑に染まっている。
わずかに、幹線道路がある場所に、横線が浮き出ている。
ウス
村は、基本、南向きであろうから、写真は逆光になりやすい。
しかも、こういうところの広がり感は、写真よりもやはり自身の目と脳でが一番感じられる。
2014.07.24

ビュット・ショーモン公園からの眺め

ビュットショーモン公園は、その名のごとく、ビュット(丘)になっている。
その高い部分に神殿があるが、そこからだと、モンマルトルの丘を一望できる。
だが、あまのじゃくにも、反対方向をとってみるtことに。
高層マンションが、きれいに並ぶ、緑とビルのコントラストの完成。
ビュット・ショーモン・公園
目の前の緑のこんもりした部分は、谷にもなっていて、そこを、パリ環状廃線が通過している。
右手に行くと、トンネルになる。

それにしても、アパート群は、日本とだいぶ印象が違う。
奥のほうの画一的なものは、なんだかロシアをイメージするような雰囲気だ。
2014.07.23

ソワソンのサン・ジェルヴェ・サン・プロテ大聖堂前観光局にて

目指すは観光局であるが、観光局は、大聖堂の横にある。
そのため、どうせ訪れるであろう大聖堂へ向けてあるいていることになる。
大聖堂が現れれば、観光局など、意識の外。
まずは、写真を撮らなきゃならない。
アングルがどうとか、こうとか、言ってられない。
気になったら、すべて写真に収めてゆく。
ソワソン
うろうろして、ようやく観光局にたどり着いた。
なにしろ、大聖堂の横だと思っていたから、なかなか見つけられなかったのだ。
少々ずれていた。
ようやく見つけた観光局に入った。
目的は、ソワソンの地図と、近郊へのバス便について聞くことだ。
目指すのは、ソワソンの東のほうにある、ブレーヌという村。
どうも、このあたりに王たちがいたらしいので、それは、どんなとこか行ってみようという気になったのだ。
むろん、そこには、何も無いという可能性が圧倒的に高いのであるが・・・。
ソワソン
観光局の受付の若い女性に、ブレーヌへ行くようなバスがあるか聞いてみる。
すると、奥へ行って、一人の若い男性に、聞きに行ってくれた。
ところだが、この男性、機嫌が悪いのか?ずいぶん面倒そうな態度だった。

とりあえず、時刻表らしきものは手に入った。
あとは、バス停を聞くだけだ。
これも、確認してくれたのだが、その男性の冷たい態度は変わらない。
バス停は、とりあえず、教えてもらった。

そのとき、英語を話す、紳士淑女系熟年カップル英語話者が観光局に入ってきた。
この対応に、その男性がついた。
別人であるかのような、ジェントルマンな対応に、私の話を聞いてくれている女性も、目を丸くしていた。
思わず、女性と目が合ったので、こちらも、目を丸くしておいた。

それでも、一所懸命対応してくれたおかげで、時刻表とバス停の場所はわかった。


ところがだ。
教えられて、目指したバス停に、そのようなバスが停まる形跡は見つからなかったのである。

まあ、天気も、虫の居所も悪かったということなのだろう。
ソワソンへは、いずれ、またやってくることにしてあるから、今回は、ぶらつくだけだ。
まずは、雨宿りついでで、カフェへ行って、ルーティングをすることにしよう。

あの二人は、喧嘩でもしていたんですかねぇ。
このやり取り、ここの、一番の思い出になっています。
2014.07.22

プラハ左岸 マロストランスケー ナームニェスティーのトラム停留所にて

お城のふもと。
だからなのか?雰囲気がよいこのあたり。
ひっきりなしにトラムがやってくる。
プラハ
市松模様の停留所付近を、多くの観光客と一般市民が行きかう。
トラムが到着すると、人が降り、乗ってゆく。
プラハ
新旧のトラムがすれ違ってゆく。
新しい車両よりも、やっぱり古いものの方が味がある。
都電荒川線も、東急世田谷線も、古いほうが味があるなぁなどと思い出す。
プラハ
撮っていれば、きりが無い。
ここを、左手方向に坂を登って、プラハ城を目指す。
2014.07.21

シャルトルの夜 劇場とエヴォラ広場という建物

シャルトル光の夜の開催ゾーンの一番の大外を回って内側に戻ってくる予定で歩く。
上の写真は劇場。
人は本物で、ちょうど、何かの公演がおわったのか?
なかから、パラパラと人が出てくるところだった。
動いていなければ、ライトアップの図柄と勘違いするところだった。
シャルトル
外回りの大通りを進み、少々中に入ったところに、古そうな建物が現れる。
ここは、建物も、広場に浮き出た文字も、光の演出である。
シャルトル
この建物の手前だったか?カフェがあったのだが、夜中まで楽しそうに飲んで話す若者であふれていた。
若者にとっては、飲むことも、語ることも、恋することも、尽きることは無い。
ましてや、こんな、ライトアップが毎晩行われ、開いているカフェがあれば、誘われるように、集ってしまうに違いない。
2014.07.20

ラ・ロッシュ・ギュイヨンへ クラシャロズ村通過2

白い岩肌のヴェクサン・フランセ自然公園らしき風景が、村途中にも現れる。
塩の固まりか?と思わせるほどの白さである。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
町中の目抜き通りをズンズンと進む。
この、微妙に上り、微妙に左右に揺れる道路が、以前の道そのままのようで、舗装されておらねば、ゴッホの道にでてきそうな雰囲気である。
まあ、言ってみれば、うねり具合がエロティックなのである。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
村を抜けると、小さな牧場のようなところに、今度は馬が放されている。
いや、牛もいるかな?
その先に、シンボルのお城が見えている。
内の近所の水道塔を、これまたエロティック、アーティスティックにしたようにも見える。
緑、この場合、紅葉の木々のなかに、あれが存在していること自体が、シンボリックなのである。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
村を出た。
ここを超えれば、もう、次は、ラ・ロッシュ・ギュイヨンのはず。
ゴールを意識すれば、足は微妙に軽くなり、フォトジェニックシーンを逃すまいという気持ちになってくる。
2014.07.19

カンの街を眺める丘

駅前からトラムに乗って街中へ向かう。
そのまま通過して、終点に近いところに宿をとった。
カンは大学の町でもある。
トラムは城前を通過すると、急坂を登り始める。
すると大学が現れる。
カン
多くの学生がいる。
日本人の学生もちらほら見かける。
さらに丘を登ってゆくと、カンの町並みが見下ろせた。
全く大学には用はないが、せっかくなので途中で降りてみる。
カン
夕日に染まるカンの街、男子修道院の尖塔も見える。

フランスは、どこへ行っても、丘と谷と川で構成されているように思われる。
中央山地や、アルプスあたりからの水が、大地を削って、北海へ地中海へ流れ込む。

バルザックの間の百合の谷とは、こうした谷なのだろうか?

少なくとも、日本の峡谷とも、中国の山谷とも、ずいぶんと違う。
急峻ではない丘が、畑となり、森となり、豊穣の谷が、街となり道となる。
人格形成に、風景と地形と気候が相当影響するのだと、思わずにいられぬ。
地形の個性は、人の個性も作り上げるのかもしれぬ。
2014.07.18

EUSの教会へ登頂

オレットの駅から、エヴォル村まで往復した足で、今度は、ウスのバス停からここまで歩き、そして、登ってきた。
シンドイこと限りないが、それでも、教会まではたどりつかねばならぬ。
ウス
教会は開いているようだ。
南京錠で止めてあるのが、きっちり感漂う。
せっかく訪れた、登ってきた人への配慮だと、想像しておく。
風も、いたずらも心配ない。
ウス
この大きさの南仏の教会は、祭壇の後ろの衝立RETABLE(ルターブル)が見事に装飾されている物が多い。
手前の祭壇より、圧倒的にインパクトがある。
ガイドを見れば、このルターブルに星印がつくものが多い。
それ以外では、聖遺物箱かステンドグラスか・・が星付重要工芸品が多い。
ウス
このあたりも、ちょっと何か勉強しておくと、随分と違うのだろうが、なにしろ、勉強という単語に対して、腰が重い。
2014.07.17

Rue Abel Hovelacque アベル・オヴラック通りの壁画

暑いとは言っても、日本のように、蒸気の中にいるような感じにはならない。
日本よりは、はるかに乾燥しているパリ。
それでも、暑いものは暑い。
日本がムシムシなら、パリはジリジリだった。
パリの道
13区を散策中。
この日も、日照りというような暑さだったパリ。
ゴブランの公園から坂道を上がってきた。
この通りに出て、プラス・ディタリーのメトロ駅を目指す。

疲労すると、出会っても、なかなかカメラを構える気にならないが、壁画にカメラを構えられたら、こちらも構えぬわけには行かぬ。歩きがてらの一枚を撮って、駅へ向かう。
2014.07.16

ソワソンの共和国広場からl

ソワソンの駅を降りると、目の前にドゴール将軍通りがまっすぐ伸びる。
ドゴール将軍を進むと、円形の共和国広場に出る。
ストーリーが出来上がっているような順番である。
ソワソン
円形の共和国広場にでると、中央の花壇の向こうに、尖塔が2本見える。
駅舎のような、重厚なつくりの建物がレストランになっているが、その脇から、見えている。
サン・ジャン・デ・ヴィーニュ修道院跡の塔である。
真ん中の穴がぽっかり開いているので、廃墟だとわかる。
廃墟にしては、きれいに塔部分が残っているものだ。
フランスといえば、シンメトリーのイメージがあるが、塔の左右が違うものは結構多く、また、違うほうが個性があっていい。

雨、観光客どころか、人通り少ないソワソンであったが、この先を楽しめそうな、街の導入部の風景であった。
2014.07.15

マロストランスケー ナームニェスティー通りのトラム

カレル橋を渡り、モステッカー通りをまっすぐ行くと、すぐにぶつかるトラム通り。
モステッカー通りから見えていた聖ニコラス教会のすぐ手前である。
プラハ
このあたりは、トラムがうねうねと曲がりながら走っており、たてものもかわいらしいので、絵になりやすい。
路地を抜けて行くかのようなトラムを見られる。
ちょうど、モステッカー通りから出たところ。
ここがS字カーブになっていて、次々にトラムがやってくる。
2014.07.14

シャルトル大聖堂を丘から眺める

ウール川へ下り、越え、さらに歩いてゆくと、丘になる。
シャルトルの競馬場の方向へ歩いてゆくのだ。
桜井(Sakurai)公園というのがあるらしい。
そこから、シャルトル大聖堂が眺められるらしい。
その情報を得て、丘を目指してみた。
シャルトル大聖堂
しばらく歩くと、緑地があった。
ここが、桜井公園なのか?と思ったのだが、そうではなかったらしい。
結果的には、ここから見た大聖堂が、この付近では、最もお気に入りの場所となった。
シャルトル大聖堂
なにやら、モニュメントらしきものがあったので、それをお皿に見立て、シャルトル大聖堂を乗せてみる。
シャルトル大聖堂
パリから巡礼で歩いてくると、途中、シャルトル大聖堂が見えてくるそうだ。
その方角がこちら。
その巡礼者たちも、最後、この付近から、着いた!と、思い、口に出したに違いない。
桜井公園を目指す。
2014.07.13

ラ・ロッシュ・ギュイヨンへ クラシャロズ村を通過

トリプルヴァル村をすぎると、ヴェクサン・フランセ自然公園に入る。
マークが、白い岩肌の様でもあり、その白い岩肌は、向こうにすぐ見えている。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
クラシャロズ村に入ると、古い農家が目立つ。
建物のさることながら、その、大きな木の扉が目立つ上に、いい味をだしている。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
大きいのは、農機具の出し入れのためか?それとも、家畜の出入りのためなのだろうか?
現代であれば、車のガレージということでもあろうが、それは、きっと、再利用であって、元々は違うのだろう。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
古きよき田舎を、通り抜け、一路、ラ・ロッシュ・ギュイヨンを目指す。
2014.07.12

城壁から、カンの6月6日大通りを望む

カンの駅から、お城に伸びる6月6日通りである。
その駅からトラムが走っており、城壁の上から、これを眺めることができる。
まっすぐお城へ向かってくる、去ってゆくトラムが見られる場所なのである。
カン
カンといえば、とにかく、征服王とその業績に目がいきがちである。
観光であれば、なおさらだ。
同時に、ここは、ノルマンディ上陸作戦が行われた土地である。
その、上陸作戦が実行された日、それが、1944年6月6日なのである。

今も各地で戦いは起こっている地球であるが、知恵は出し続けなければならぬ。
2014.07.11

EUS ウスの町並み

下から眺めると、家々が重なって見える。
山肌に寄り添うように建つ。
EUS
一歩中に入ると、家々の脇を、階段や道が通り抜けている。

小学校4年生の頃だったか?
ビー玉ころがしという工作の時間があった。
少々高価な箱入りのお菓子の箱なんぞを、L字に立てて、そこに、ビー玉の道をボール紙などではりつけて作ってゆく。
ドンキーコングの火の玉が落ちてくるルートのように・・。
時には、分岐させてみたり、ゴールがいくつかある、駄菓子屋のゲームのようにしてみたり・・・。
ビー玉ころがしの道も大好きであったが、そいつを少々連想させる、頂上から、網の目のように連なって行く道々である。
EUS
そのビー玉の道を、自身がビー玉になって、逆方向へ登ってゆく。
いったい、このビー玉ころがしの作者は、どんなルートを作ったのか?

つながる喜びも、ビー玉ころがしの道探しも、謎解きの答えが見つかることも、私にとって、おんなじ範疇にある。
2014.07.10

Rue de l'Ourcq ウルク通り廃線沿いの壁画通り

パリ19区。
サンマルタン運河とビュットショーモン公園の間。
ウルク通りが、パリ環状線と出会う場所だ。
このあたりから、廃線脇には、これでもか!と絵が描かれている。
パリの道
途中からは、小屋のような廃線脇の建物の壁となるが、数百メートルに渡って、絵とも落書きともつかぬ壁が続いてゆくのだ。
圧倒的な色の上に目をやると、ここが、環状線線路跡の脇だと気がつくのである。
パリの道
日本の自宅の近所にも、小学生の書いた壁のある、トンネルや坂道などがある。
これらの絵より、上下幅はでかい。
結構な大きさであるのだが、この絵と比べると明らかにインパクトが違う。
明らかに、色のトーンとグロさが違うのだ。
描いているものが、これだ!とはっきりしているのも特徴なのかも知れない。
小学生はみんなで描くが、こちらは、描きたい人間だけが描いている。
2014.07.09

ソワソンの壺という

ソワソンの駅に到着し、観光局を目指して歩く。
歩いていると、商店街が・・。
商店街を見つけると、パン屋かカフェを探したくなる。
食って、飲んでが、旅の楽しみである。
ただ、この場合、飲むのは、コーヒーであるが・・。
しかし、目に飛び込んできたのは、Au Vase de Soissonsという、ソワソンの壺という店であった。
ソワソン
もちろん、壺を売っているわけじゃない。
お土産屋なのか?雑貨屋なのか?
ともかく、目に付いたのが、お店の題名なのだ。

ソワソンの壺

これは、有名なお話らしい。
歴史の本で読んだ、クロヴィスに関わる話なのだが、話の内容が、何度読み返しても良くわからない。
ともかく、戦利品の壺をめぐって、部下とクロヴィスがもめた。
もめて、クロヴィスが怒った。
”お前も壺のようになりたいのか!”と怒鳴りながら・・・。

もめた兵士が、壺を割ってしまったのか?クロヴィスがイライラして、壺を割って怒鳴ったのか?
なんだかよくわからないのだが、弱い頭で、何度も読み返したため、この”ソワソンの壺”という話を記憶していたのである。

おお、ここはクロヴィスの街なのだと、改めて思う出会いであった。
2014.07.08

カレル橋を越え

カレル橋はとにかく人が多い。
橋両側の像がいっぱいあるのだが、これを撮影していると、人の頭で画面のほとんどが埋まってしまうほどだ。
アメ横で撮影しているのよりはマシかも知れぬが・・。
その橋を通りぬけ、先のプラハ城を目指す。
プラハ
先に、通りが見えてきた。
穴の向こうに見える風景とは、なんと魅力的なのだろう。
門の先でも、細い通りの先でも、トンネルの出口であっても。
ただ、その撮影は難しい。
セオリーというものが、きっとあるには違いないが、勉強せずに撮っていると、常に納得したものは撮れない。
モステッカー通り。
それが、先に見える通りの名前なのである。
プラハ
通りの先には、聖ニコラス教会が見える。
パリの白とくらべても、やっぱりカラフルで、同じくカラフルな南仏と比べても、建物の凹凸が多い。
2014.07.07

シャルトルの図書館のライトアップ

シャルトルの夜、ライトアップのシャルトル・オン・リュミエールの続きである。
図書館というには、あまりにお城な建物である。
もっとも、この建物、昼間訪れていないので、その時の雰囲気はわからない。
こうして、見事なまでにライトアップされると、城にしか見えない。
シャルトル
写真を撮っていると、全体の絵が一気にぼやけて、グラデーションがかかり、消えていった。
が、突然、全体の色と絵が変わり現れる。
いやいや、大聖堂正面だけの特権で、あれやこれやのデザインがあるのだと思っていたら、そういうわけではないらしい。
果たして、いくつの絵があるのやらであるが、一度設定してしまえば、絵を変えるだけなのかもしれない。
シャルトル
クリムト調のライトアップだったが、いや見事。
この先、どれだけあるのか見てみたいものだが、この時点で夜11時を回っていた。
先を急ぐ。
2014.07.06

ラ・ロッシュ・ギュイヨンへ トリプルヴァル村を抜けると

一人で7キロ近い道のりの田舎道を歩いていると、少々心細くなるものだ。
なにしろ、人とすれ違わぬ。
車ともほとんどすれ違わぬ。
果たして、この道で合っているのか?
一本道だから、合っているに違いないのだが・・。
そんなとき、ちょっとした、字が、奮い立たせてくれる。

ラ・ロッシュ・ギュイヨン通り。
この先につながっているに違いない。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
村を抜けるのには造作ない。
赤斜め線の村を出る表示がみえてきたころ、黄金の畑の先に、目指す城の塔の廃墟が飛び込んできた。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
これが一番勇気をもらう。
そして、これから先、何回見えようとも、写真を撮ることになる。
その撮る行為が、モチベーションに変わるのだ。
2014.07.05

カンの男子修道院と女子修道院

撮りためた、カンの大修道院二つを並べてみる。
上が男子修道院
ギョーム2世、ウィリアム1世征服王が眠る。
男子修道院
下は女子修道院
英国のアルフレッド大王の血をひくという、王妃マティルド、マティルド・ドゥ・フランドルが眠る。
女子修道院
いかにも、男子修道院の尖塔の自己主張の激しさが目立つ。
それに比べ、丘の上に建つ女子修道院の母性的な建物は対照的。

王妃マティルダが先に亡くなったのだそうだが、支えてもらった王はどんな気持ちだったろうか?
高台に王妃が眠っているのがわかると、ふと、パンテオンのキュリー夫妻を思い出した。
あちらも、婦人が上であった。
2014.07.04

ウスの道標

どの街へ行っても、いくつか決まって撮る写真がある。
それが、道標。そして、ゴミ箱。
必ずというわけではないが、道の写真を撮っているうちに、当然、そこが何通りであったか、後で確認するために、通り名を撮っておく事になったのだ。
その道標にも、いろんなものがあることに気がつく。
いつの間にか、それも楽しみの一つとなったのだ。
ウス
ここの通り名は、カタラン語になっている。
Carrerは通り。rueである。
スペイン語のCalleに近い。
Portaletというのは、門のことであろうか?
Comaにかんしては、まったくわからない。
delとdeも、後ろに付く名詞が男性名詞か女性名詞か複数形か?などでちがいがあるのだろう・・と、フランス語から推測するしかない。
ウス
そのCarrerの頭文字が、おそらくヤモリになっている。
下に描かれる草花は、なんのものだろうか?
調べてみたものの、わからなかった。
ヤモリのCがかわいらしい。
動いていると、一瞬ギョッとするのだが・・・。
2014.07.03

パリの標識

散歩をしていたら、一方通行の標識があった。
世界共通であるから、意味はわかる。
その下、自転車を除く。
自転車だけは、一方通行の制限を受けず、行ったり来たりできるということだ。
こればかりは、SAUFが、”除く”という意味であることがわからなければ理解しづらい。
ただ、自転車のマークになっているから、運転する人にとっては、フランス語がわからずとも推測することができる。
それにしても、絵で自転車とはねぇ。
パリ標識
ほんの何歩か歩くと、もうひとつ別の一方通行の標識が現れた。
これは、フランス語で、自転車以外と書かれている。
おそらく、絵のパターンは新しいものなのだろう。
そのほうが、大きいし、国際都市らしい、親切な標識だ。
もっとも、この道、どの外国人が、自転車で通過するというのであろうか?という住宅街であるけれど。
それでも、絵というのは、わかりやすくていい。
パリ標識
現在、東京でも、オリンピックにからみ、標識をどう表示するか話題になっている。
泉岳寺はSengaku Templeか?Sengaku-ji Templeか?などということらしい。
Templeの意味がわからない人のことは、排除されている。
さらに、神社となると、英語のできない私は、ネットか辞書が必要である。

センガクテンプルはとこ?と聞かれても、英語のわかる日本人ですら、??になってしまいそうである。
訪れた外国人に道を聞かれても、交差点名をつかうことは、場所によっては、難しくなりそうだ。
寺を探す外国人旅行者に、天ぷら屋を教えそうである。

そんなことを、ふと思ったりするのである。

個人的には、パリのメトロ駅が、すべて漢字かな表記になるのも旅行者にとって興ざめのような気もするし、”聖ラザール行き”とか、”セーヴル橋行き”言われても、どこだ!?となってしまいそうである。
”イタリア広場行き”5号線ぐらいなら、イメージできそうだが・・・。

しかし、不思議なことに、北駅、東駅、凱旋門などは、不思議と違和感ない。
日本人同士の会話であれば、ここをフランス語で言う人は少なかろう。
だからといって、北駅は日本語表記にしてください!とは思わないが・・。

日本を訪れる外国人と、外国を訪れる日本人を同一に扱うことはできないけどね。
Posted at 11:41 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2014.07.02

ソワソンへ 雨

思い立って、ソワソンへ出かけよう!と前日夜に決めた。
それから調べたものの、そんなに情報は集まらぬ。
それでも、情報集めだ!と思って、ソワソンへ出かけてみるのもいいだろうと眠りについた。
パリ北駅
朝起きると、雨。
結構降っている。
こんな雨じゃ、やめようか!と思ったものの、情報集めだから、プラプラ歩いてくるのもいいし、雨のソワソンって響きも悪くない。
北駅へ向かう。
パリにだけ留まっていると、鬱屈してくるのだ。この天気のように。
気晴らしもいい。