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2014.06.30

シャルトル Rue de l'Horloge オルロージュ通り通過

教会の北側に短い通りがある。
オルロージュ通りであるのだが、目の前の教会脇に見えている、円形のものが時計であるのだろうか?
であるのなら、そこからついた名前であろう。
シャルトル
マカロンが有名だという。
じゃあ、そいつを買いに行こうじゃないか!と、お店をめざして歩いていたのだが、ふと、歩いていた通り脇から、こんな風景が見えた。
そこを通過してみたくなる。
ここが、時計通りであることは、後で知ったことだ。
通りから覗く教会というのは、アミアンであろうと、ランスであろうと、ストラスブールであろうと、ルーアンであろうと、パリであろうと、常に絵になる題材である。
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2014.06.29

ラ・ロッシュ・ギュイヨンへ トリプルヴァル TRIPLEVAL村を越え

まずは、ボニエールから橋を渡り、パン屋さんでパンを買い、食いながら、歩みを進めてゆく。
パン屋さんの娘さんには、気味の悪いアジア人に映ったようであるが、突拍子もないサングラスをかけ、歌を口ずさみ、牧歌的風景を行く。
長いウォーキングには、高いモチベーション、少々高いテンションが必要。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
牛がこうしているのも、フランス中あちらこちらで見られる。
もちろん、オルセー美術館でも、みられる。
ラ・ロッシュ・ギュイヨン
トリプルヴァルという村であるから、谷が三つあるのか?三つ目の谷なのか?
いずれにせよ、セーヌが、蛇行しつつ、谷を形成しつつ、北海へ向かってゆく。
そうした場所であるから、ラ・ロッシュ・ギュイヨンや、シャトーガイヤールなどの風光明媚な景観が生まれてくるのであろう。秋深まるセーヌの谷村を抜けてゆく。
2014.06.28

カーン女子修道院へ

男子修道院があれば、女子修道院がある。
王妃マティルダの眠る修道院。
こちらの方が、確かに女性的ともいえるデザインである。
夕暮れ時に、ひっそりとたたずむ姿は、落ち着いた感じである。
そもそも、こちらは観光客が少ない。
カン女子修道院
こちらも、きちっと調べていっていないから、この脇に、もっと大きな庭園があることに、気づいていない。
知ったのは、帰国後のことだった。
いわゆる、ここは、中庭なのだ。
2014.06.27

ウスの村内散策

ウスの村を散策する。
といっても、最初は登る。
ひたすら頂上の教会を目指す。
ウス
ここは、どちらかといえば、綺麗な村。
エヴォルのような、取り残された町でもないし、かといって、ヴィルフランシュ・ル・コンフランのような、観光目玉があるわけでもない。
こぎれいで明るい印象だ。
ウス
見上げると、教会がそびえている。
前面に、モンサンミシェルのラ・メルヴェイユばりの、壁面が構える。
または、コリウールのお城の壁のよう。
教会ではあるが、攻め上れぬ教会なのだ。

こうした、鷲ノ巣村のようなところへ来ると、散策とはいっても、登るハイキングになりがちだ。
エズや、カーニュでも上り坂、アントルヴォーも上り坂。
ヴィルフランシュもお城に登る。
そういえば、エヴォルは急な上り坂ではなく、緩やかで長くであった。
2014.06.26

Rue de Crimee クリメ通りから覗くパリ環状線

クリメ通りを南へ歩いてゆくと、ビュットショーモン公園の脇へでる。
ここに、何度もここで登場している、パリ環状廃線の線路が登場する。
この公園を突っ切っているのだ。
公園は、斜面になっているから、ここからトンネルになり、ベルヴィルの丘をくぐり、メニルモンタン付近で顔を出すことになる。
パリの道
線路内に立ち入っている人もいるが、公園側からなら、入っていきやすい。
もちろん、道なき道ではあろうが。

目の前を渡る橋は、公園内の橋。
ここから、ずーっと、公園上部へ登ってゆくのだ。
2014.06.25

世界遺産の大聖堂の見えるアミアン競馬場

競馬ねたであるが、こちらでも載せておこう。
シャンティイは、奥にお城と大厩舎が見える。
ロンシャン競馬場は、ブローニュの森の上から、エッフェル塔がのぞいている。
オートゥーユ競馬場もエッフェル塔である。
サンクルー競馬場は、奥遠くにラ・デファンスの高層ビル街が見える。
アミアン競馬場
ここアミアンでは、ホテルで競馬場の場所を聞いた。
近いはずだと、思っていたが、車で15分といわれた。
来てみると、徒歩15分であった。
競馬場は観光地にならぬから、ホテルのフロントで聞いても、観光局で聞いても、あまり当てにならぬ。
こういう、ギャンブルねたを仕入れるには、カフェやどこかで男性に聞くべきなのかもしれない。

アミアンの競馬場は、大聖堂が見える競馬場なのだ。
競馬場脇は、国鉄も通ってゆく。
個人的に、もちろん、この大聖堂が最も気に入っている。
2014.06.24

プラハ カレル橋の上から

いよいよ、プラハ城を目指すことにした。
夜は来たが、昼来たのは初だったので、まずは、一枚。
とにかく、人が多いが、人がいないことを期待するのは無理であるし、それも、もうひとつの風景に違いない。
歩いている人の違いこそが、億万撮られたであろう観光証拠写真の違いの重要なアクセント部分なのだ。
プラハ
城というのか、宮殿と教会というべきなのか?
すくなくとも、ここからみたらそうだ。
上へ上がって初めて、ああ、お城に入らねば、教会も宮殿もたどりつけぬのだとわかるのである。
2014.06.23

シャルトルの夜 サント・フォワ礼拝堂

聖フォワ礼拝堂。古くは教会だったようだ。
聖フォワといえば、コンクのアジャンの聖フォワが思い起こされる。
その人の名を冠しているのか?同名の別の聖人がいらっしゃるのか?
ともかく、観光局でもらった地図どおりに歩いてゆくと、大聖堂前から下って、最初に現れる。
最新のものでは、途中の壁でも、映像が見られるようだ。
シャルトル
訪れたときからしばらくは、9月中旬までしか開催していなかったようだが、今は10月中旬までやっているようだ。
映像は、常に新しいものも入ってゆくのだろう。
であるのなら、何度訪れても、違ったものが見られるということだ。
2014.06.22

ボニエール・シュル・セーヌの町を歩き

駅を出ると、一旦下流へ向かう。橋を渡るためだ。
まあ、歩いている人等いない。
早朝だ。
暗かったサンラザールの駅を出て、ボニエールでは、赤い朝日を浴びている頃。
ボニエール
水を満々とたたえたセーヌ。
流れはゆっくりだ。
だから、岸辺の風景が、水に映える。
これが、急流だと、こうはいかぬ。
ドイツ軍のロンメルも司令部を置いたともいう、イルドフランス唯一のフランスで最も美しい村登録のラ・ロッシュ・ギュイヨンを目指し、長いウォーキングタイムが始まる。
2014.06.21

カーン城壁にて

下を覗き込んだ後は、城壁から下るだけ。
そう思って、歩いてきたところを振り返ると、”道”になっていた。
ただ、右の柵が、道らしくしてくれているわけであって、往時、柵が無かったとすれば、程度はともかく、転落する人もいたのだろう。
兵士のためでなく、観光客のために作られたのであろう柵は平和の象徴。
カーン
平和といえば、今や、ユーロというひとつの圏ができている。
フランス国内ですら、ノルマンディは別の国といえる。
もっとも、ここの王様が、英国王になったのであるから、当然別であろう。
これまた、ひとつの人の営みの流れと時代の象徴かもしれぬ。
カーン
さて、降りようとすると、城壁の隙間から、こちらを見張る番犬が一匹。
2014.06.20

ウスの手前にて

いよいよ、EUSに到着する。
入口には、例の美しい村教会の看板と共に、フランスの町名看板が掲げられている。
落書きには慣れているけれど、さすがに、この村の名を売ろうとしてがんぱって入る人たちの顔に泥を塗るようで、この看板の落書きは面白くない。
ウス
左上方に教会の先が顔を覗かせている。
いやなことなど忘れてしまうほどの快晴。
ウス
村が一望できるところまで来て、ここが、そう簡単に近づけぬ、谷を抱えていることに気がつく。
搦め手からぐるりの村に近づいてい行くのだ。
2014.06.19

Rue Halle アレ通りのマジシャン

おそらく、この歩いている通りの下が、カタコンブなのだ。
考えようによっては、おどろおどろしい場所であるのだが、幽霊そのものが、フランスにはいない、そうだ。
であるから、そういうことには頓着しないのだろう。
パリの道
ダンフェール・ロシュローの裏手から、アレジア方面へ抜けて行く道。
散歩で歩いてゆくと、通りの左の壁に、吹き付けたマジシャンの顔?が。
この絵に限らぬのだが、何か型を置いて吹き付けた、描いたかのような絵が、結構多い。
書かれている瞬間に出くわしたことがないので、どうやっているのかわからないのであるが・・。
2014.06.18

アミアン駅にて

アミアンともお別れ。
駅から、列車にのれば、一眠りの間にパリへ到着する。
ここ、アミアンでも、駅は場末。
疲れているのかどうか、わからぬ歩道のよな建物の窓は、ヘドロのようなもので覆われ、古さと駅の寂しさを倍加させている。
アミアン
鉄の音が、伝うように、跳ねるように、響いてくれば、列車は近づいてくる。
帰りも、車窓を楽しみたいけれど、不思議と、帰りは、心地よい暗闇にあっという間に落ちてゆく。
2014.06.17

プラハ ティンスカ通り

旧市街広場から、ティーン教会脇を伸びる道。
この道は、ティンスカ通り。
プラハ
さらにその脇から、トンネルになって、裏に抜けてゆく道がある。
落書きがあると、少々治安が悪いように感じるが、まあ、欧州の場合、落書きは、一種風景になってしまっている。
その落書きを除けば、なかなかラビリンスな石畳小路が伸びている。
プラハ
ティーン教会の脇を入ってゆくと、トンネルが見えるが、こちらは、左奥へ歩いていったほうのトンネル。
こういうところを歩いていると、子供気分になれるのだ。
通り抜けたい、くぐりぬけたい、自儘な探検が始まるのだ。
2014.06.16

シャルトルから地平線を

再びシャルトルから、遠くを眺める。
地平線が見えるが、なんとなく丸い。
そう思ったら、レンズが広角だったので、レンズのせいかもしれない。
シャルトル
それにしてもずいぶんと高いところにあるものだ。
落ちたらひとたまりも無いが、この高さが、権威というものなのかもしれない。
シャルトル
この国の人は太陽が大好きである。
むろん、世界中、太陽好きは多く、信仰と結びつくことも多い。
上から見下ろしている、見下ろしてくれている。
上と下があると、基本上がポジティヴで、下がネガティヴ。

太陽が、はるか上空にあるのだから、この太陽好きの地上生物人間は、基本ポジティヴな生き物に違いない。

高所は清清しい。
そして、怖い。
その怖さとは、落ちてゆく怖さなのだ。
2014.06.15

ボニエールの駅にて

この日は、まだ暗いうちに、パリを出発した。
といっても、遠くに行くわけじゃない。
イル・ド・フランスのはずれ、ラ・ロッシュ・ギュイヨンを目指して、歩いてゆくことにしたのだ。
最寄り駅は、ボニエール。
この次の駅は、ヴェルノン。
そう、モネの家、ジヴェルニーへ行くとき降りる駅だ。
ボニエール
この駅から、・セーヌ川を渡って、ラ・ロッシュ・ギュイヨンを目指す。
ちなみに、この駅から、モネの家まで行っても、距離はほぼ同じ。
往復するのだから、8キロの倍、16キロを踏破することになる。
ボニエール
可愛らしい駅舎を離れると、バス停が。
まずは、下流へ向かい、橋を渡る。
2014.06.14

カーン城の壁から

カーンのお城に入る。
入場料を取られるわけでもなく、いわゆる城跡なのだ。
その城壁の上から、街中を眺める。
カーン
きれいに並ぶ雲の下。
空と同じカラーのトラムが駆け抜けてゆく。
これを見た、征服王は、英仏海峡に橋を架けようと壁上で考えたかもしれぬ。
バイユーのタペストリーに、トラムが描かれていたかもしれないのだ。
2014.06.13

ウスへ向かって歩く

バス停から見えていたウスの村は、徐々に近づいてくる。
望遠で狙っても、十分大きく写すことができるまでになってくる、
ウス
まず、間違えることなど無いが、ウスは右だと教えてくれるから、ヨシ!と確認して右へ。
左へ行けば、プラド。
今、バスを乗り換えてきたところだ。
こんなつまらない確認も、頭の地図には、十分役に立つ。
俯瞰地図が出来上がってゆくのだ。いわゆる、脳内グ-グルマップである。
ウス
この脳内グーグルマップの作成は、結構歩き旅行には、役に立つ。
事前学習も含め、地名の位置関係が頭に入っていると、迷うことは少なくなるからだ。
現在じゃ、スマホが役に立ってくれるけれど、スマホの電池切れは補ってくれる。
いや、スマホをワイファイ以外では、なかなかつなげたくないものなのだ。
貧乏旅行は、脳と体力に依存し続けるのである。

体力の電池切れを、スマホが補ってくれないのが残念なのである。
2014.06.12

Bassin de la Villlette バッサン・ドゥ・ラ・ヴィレットにて

パリ19区を真ん中で分けるサン・マルタン運河。
この一部分が、大きな幅になっている。
バッサンと呼ばれる、繋留池になっている部分だ。
この両脇が緑道となっており、あたかもひとつの公園のようになっている。
パリの道
清清しい日には、この池の脇をぶらつく。
散歩の人は多い。
いやいや、もしかしたら、職場や学校へ通いがてら、ウォーキングしてゆく人たちかもしれない。

パリの真ん中や、観光地で、大勢の人が運動していることもないが、住宅地付近の公園は、毎朝、結構多くの人が、走って歩いている。
2014.06.11

アミアン アンドレ通りから

真後ろに下がって撮影できないアミアン大聖堂。
このアンドレ通りを下がるのが、もっとも写真を撮りやすい。
アミアン大聖堂だけで撮りたいという人もいるだろうが、街越しに沈む日没の太陽が大きくなるように、大聖堂も、比較対象があれば、巨大さをイメージしてもらえるというものだ。
アミアン
それはそうと、手前の家々と比べると、何が違うか?って、その装飾の細かさだ。
王のギャラリーはもちろん、とにかく、下部かトップまで、なんと細かい造形だろうか?
こうやってみると、ただでかいだけじゃなく、十分貴婦人と呼ぶにふさわしい構造物なのである。
2014.06.10

プラハ トラム24番 レヴォルチニー通りにて

Revoluční通り。レヴォルチニー通り。
革命通りということだろう。
赤い、東欧らしい、可愛らしい形と色が、個人的にお気に入り。
あれは、共和国広場の前だ。
プラハ トラム
スーパー帰り。
トラムの24番が停車中。
お気に入りの建物をバックに一枚。

自分自身の調べた限りでは、トラムの24番は、ここを走らないはず。
いまひとつ、プラハのトラムがどう走っているのかわかっていない。
まあ、それでも、ざっくりわかっていれば、乗って、あちこちいけぬこともない。
2014.06.09

赤いシャルトル大聖堂

シャルトル大聖堂の夜景を見に来た。
当然のことながら、夜景を撮ることになる。
甘かった。
三脚など持参するつもりになっていなかった。
少々明るいレンズさえあれば、それでいいだろう程度でいた。
シャルトル大聖堂
大聖堂広場の前までくると、暗くて見えなかった人たちが結構いることに気がついた。
それらの人たちの前に、いくつもの三脚が建てられていることに気が付いたのだ。

日本の紅葉の京都鎌倉でもなければ、三脚を立てて写真を撮っている人がたくさんいる場所を見たことが無い。
ここの三脚率は、モンサンミシェルの夜景よりもはるかに高い。

しまった!
そこで、広場と道路の間の縁石を利用して写真を。
目の前の縁石も一緒に一枚。
2014.06.08

サンドニ レピュビュリック通りから

サンドニ大聖堂から、サンドニのRER駅を目指す。
大聖堂前から伸びる道をまっすぐ行けばいい。
ここの目抜き通りともいえる、レピュブリック通りが伸びる。
とにかく、人通りが多い。
サンドニ
この通りをまっすぐ目指せば、サン・ドニ・ドゥ・レストレ教会が見える。
トラムが目の前を走っている教会だ。
サンドニ
その背後を振り返ると、サン・ドニ大聖堂が、こちらを向いて建っていた。
個人的には、この通りから見る大聖堂が、もっとも好きな画になっている。

先日、アミアンのブログの時にもこうした構図が気に入っていることは書いた。
町の先に教会が鎮座している画は、教会に見守られているようで、妙に落ち着くのだ。
2014.06.07

カン サン・ピエール通りから見るサン・ピエール通り そして自転車

本日の散歩も、ほぼ終了。
郊外のカルフール近くのアパートまで、トラムに乗って帰る。

カン城の前、サン・ピエール教会の脇から、トラムにのるのだが、通り沿いに、いつものテーマである、自転車が置かれていたので、それを入れて一枚。
カン
ちょうど、夕日が当たる方向になっているため、教会が輝いて見える。
きれいだな!と一枚撮ることになったが、心の中は、もう、晩飯のほうへ半分以上集中している。
2014.06.06

バス停から見たウス

バス停から、ウスの町は少々遠い。
離れたところに幹線道路が通っているからだ。
それでも、目指すところは間違うことはない。
もう、見えているのだ。
山肌に、雲の陰が黒々と映っている。
ウス
望遠で覗けば、かなり、しっかりと、町全景を臨むことができる。
遠いといっても、何時間も掛かるわけじゃない。
30分から40分もあるいたら、着くところ。
ウス
はげ山にコケがついたような山肌にへばりつくように膨らむ村を目指して、歩き始めた。
2014.06.05

Rue de la Poterne des Peupliers ポテルヌ・デ・ププリエ通りの愛

13区。
トラムの走る周回大通りの下をくぐるトンネルがある。
ここは、ビエーヴル川が流れていたところなのだろう。それが、こんな道を作ることになっている。
このあたりは、ププリエという名の付く通りや地名が多い。
ポプラのことだ。
もっとも欧州っぽい木かもしれない。
パリの道
ポテルヌは小さな門。
たしかに、このトンネルが門になっている。
パリの道
この門の両サイドに、絵が描かれている。
漢字や、企業のマークだけではない。
どこかで見たような壁画の絵が、あれやこれや入り混じっている。
それでも、愛の字は目立つねぇ。
なんだろうねぇ、この漢字の存在感は。
日本人だから、そう思うのか?それとも、この存在感だから、タトゥーに漢字が好まれるのか?
2014.06.04

ジュール・ヴェルヌの家

子供の頃、海底二万里と、80日間世界一周を読んだ。
初めて読んだのは、海底二万里のほうだ。

つい最近まで、潜水艦の船長の名前は、モネであると思い込んでいたが、どうもネモらしい。
いやいや、自分の読んだ本はモネと書いてあったと、今でも思うのだ。
なにしろ小学生であったし、画家のモネの事など、当時は知らぬ。

モネという画家を知った時点で、記憶のネとモが入れ替わってしまったのかもしれないが・・・。
ジュール・ヴェルヌ
海外旅行というものに興味を持つきっかけは、80日間世界一周だったかもしれない。
これは、親に買ってもらったのではなく、親戚からもらった本であったように記憶している。
潜水艦の話より、スリルとスペクタクルがなんともたまらなかった記憶がある。
SFは、正直、今でもあまり興味がない。
この2冊に関しては、SFというジャンルだとも思えぬし、”現実”のものとして、子供の頃から受け入れていた。
ジュール・ヴェルヌ
そんな、ジュール・ヴェルヌの家があるというので、行ってみた。
行ってみたが、ちょっくら、変った家だった。
その位の感想しか残らなかった。

現実の家は、小説の中の夢の世界とは、やはり違うからなのだろうか?
この人の小説をモデルにしているという、パリのディズニーランドの方が、よっぽど楽しい気分になるのであろうか?

実は、その夢の国、仮想の国へ行ったことは、日本においてもまだ、ない。
ノンフィクションが大好きであるが、ヴェルヌの家には、何も感じなかったのである。

ヴェルヌの家よりも、80日間で世界一周の旅をしたいね。
2014.06.03

ミュシャ美術館へ

アルフォンス・ミュシャというのは、フランス語なのだそうだ。
ムハというらしい。
絵は見たことがあるが、線の細い、細かい、きれい、ポスターを描く。
そんな程度の認識だった。
好きか?嫌いか?と聞かれれば、よくわからないとしか答えようが無い。
ミュシャ美術館
そんな、認識ながら、知っている人の美術館があるのなら、覗いて見たいと想い、入ってみた。

ロートレック展に行ったときもそうだったが、一堂に集められていると、圧巻なのだ。
心理学のなんチャラというのがあるのかもしれないが、これでもか!と並べられていると、気に入ってしまう。
そう思わせるほどだから、有名なのだろう。
いろんな人の絵を見ることができるという点に於いて、オルセー美術館のようなところもいい。
だが、有名クラシックの一部を集めたCDと、”その人”のCDはまた別物だ。

画家の名前や、絵の名前などの薀蓄は、ガイドブックを読み漁ってずいぶん覚えたけれど、美術的センスはゼロ。
そんな人間もとりこにしてしまうようなものが、巨匠という人たちにはあるのかもしれない。
こうなってしまった、日本人は、お土産を買わずにはおれぬ。

お土産屋の外にて。
2014.06.02

シャルトル Rue Muret ミュレ通り 壁

シャルトル大聖堂の北側の通り。
裏から、大聖堂を目指して、坂を登ってくる。
大聖堂の北側に司教館公園があるのだが、そこと町を隔てる建物が、壁のように行く手を阻んでいる。
シャルトル
通りの両側も、壁に囲まれた、まさに壁通り。
安部公房の壁を思い出す。
それぞれの壁が、自分に覆い被さってくるかのようだ。

こうした、圧迫感あるところながら、隠れている感がたまらなく好きだ。
通りは右におれるが、まさにそこは探検路からの出口。

そういえば、壁はフランス語でミュール。
MURである。
この通り名、まさかそこからだったりして。
2014.06.01

眠るマリーアントワネットとルイ16世

マリーアントワネットの骨の一部が、ここに移葬されている。
縦に3つ、横に2列あるが、中央左がマリーアントワネットで、その右がルイ16世。
大聖堂のクリプト、地下だ。
サンドニ大聖堂
ベルバラ人気、マリーアントワネット人気のわりに、本人が眠るここは、そんなに人気がないようだ。
無論、ここは、華やかな所ではない。
本人そのものより、その華やかな生活、かわいそうな囚われの生活を、疑似体験できる場所の方が、いいのだろう。
これは、なにもマリーアントワネットに限ったことではなく、日本でも、日本人の偉人でも同じことが言える。
自分も含め、大事なのは、やっぱり自分自身であったのだと、はたと気がつくのである。