2014.04.30
Rue du Hocquet アミアン オケ通り
2014.04.29
プラハ 音楽公会堂ルドルフィヌム前
2014.04.28
シャルトル大聖堂
2014.04.27
サンドニ大聖堂の銅像
2014.04.26
カンの男子修道院の塔
征服王通りを歩いていると、ようやく、お目当ての塔が見える。
思ったほど、大きく感じない。
周りの建物があるからなのか?
実際、そんなの大きなものではないのか?
巨大な大聖堂を見慣れてしまうと、思ったほどではないように感じる。

下の重厚間、平たい無装飾の壁面と比べると、上に、少々細工の施された鉛筆が乗っている様なイメージのロマネスクだ。
丁度、周りの建物と教会下層部分が同じ高さであるからか?鉛筆部分だけ飛び出したような感じが、なんとも不調和な感じを受けるのだ。
まあ、なんだか下層部が、ダムの壁に見えなくもない。

この教会。
通常、目の前が最も圧倒される場所であるはずなのだが、これに限って言えば、正面から見たときだけ、大聖堂、大修道院から町の教会になってしまう。
それとも、大修道院とか、歴史とか、由緒とかの先入観の想像と随分違ってしまうからなのだろうか?
個人的には、そのイメージのズレが相当気になったのだが、他の人は、どう思うのだろう?
思ったほど、大きく感じない。
周りの建物があるからなのか?
実際、そんなの大きなものではないのか?
巨大な大聖堂を見慣れてしまうと、思ったほどではないように感じる。

下の重厚間、平たい無装飾の壁面と比べると、上に、少々細工の施された鉛筆が乗っている様なイメージのロマネスクだ。
丁度、周りの建物と教会下層部分が同じ高さであるからか?鉛筆部分だけ飛び出したような感じが、なんとも不調和な感じを受けるのだ。
まあ、なんだか下層部が、ダムの壁に見えなくもない。

この教会。
通常、目の前が最も圧倒される場所であるはずなのだが、これに限って言えば、正面から見たときだけ、大聖堂、大修道院から町の教会になってしまう。
それとも、大修道院とか、歴史とか、由緒とかの先入観の想像と随分違ってしまうからなのだろうか?
個人的には、そのイメージのズレが相当気になったのだが、他の人は、どう思うのだろう?
2014.04.25
エヴォルの道しるべ
このあたりは、昔、カタルーニャであった。
いや、いまも、フランスではあるが、北カタルーニャなのだ。
通り名看板もCARRERとなっている。
おそらくカタルーニャ語なのだろう。

フランスは、イル・ド・フランスの拡大系である。
東を見れば、最後の授業の舞台にもなった、アルザス・ロレーヌ。
南東には、イタリア統一のガリバルディ出身のコートダジュールといった地方。
スペイン国境は、カタルーニャにバスク。
西にはブルターニュ。ここも言葉が違う。
北にはフランドル。世界遺産は、ベルギーフランスにまたがる鐘楼郡というのもある。

法の及ぶ範囲を示す国境は、現在もあるが、経済、文化、言葉、人、物、土地に境はない。
いろんな境界がはっきりしやすいる日本という国に住んでいると、そのあたり、自ずと考え方、捉え方が違ってくるだろう。
何カ国行ったとか、フランスという国へ行ったという色塗りは、文化面から見ると、あまり意味のないことなのかもしれぬと思わせる道しるべである。
いや、いまも、フランスではあるが、北カタルーニャなのだ。
通り名看板もCARRERとなっている。
おそらくカタルーニャ語なのだろう。

フランスは、イル・ド・フランスの拡大系である。
東を見れば、最後の授業の舞台にもなった、アルザス・ロレーヌ。
南東には、イタリア統一のガリバルディ出身のコートダジュールといった地方。
スペイン国境は、カタルーニャにバスク。
西にはブルターニュ。ここも言葉が違う。
北にはフランドル。世界遺産は、ベルギーフランスにまたがる鐘楼郡というのもある。

法の及ぶ範囲を示す国境は、現在もあるが、経済、文化、言葉、人、物、土地に境はない。
いろんな境界がはっきりしやすいる日本という国に住んでいると、そのあたり、自ずと考え方、捉え方が違ってくるだろう。
何カ国行ったとか、フランスという国へ行ったという色塗りは、文化面から見ると、あまり意味のないことなのかもしれぬと思わせる道しるべである。
2014.04.24
Cité Bauer シテ・ボエのハート
シテ・ボエは一月ほど前載せた。
この通りの目当ては、この下の写真だった。
随分昔にこの界隈を歩いた。
散歩のガイドブックに、ハートの形の門扉が載っていたので、それを見に来たのだ。
グルグル歩いたが、見つからぬ。
このシテ・ボエという通りは、一体どこからどこまでかわかりづらい。
地図を見ても、発見できなかったのだ。
そのリベンジにやってきた。

さて、門扉。
なんと、大小のハートでくりぬかれている。
なんともいえない味なのは、柱部分まで、ハートがめり込んでいることだ。
そこが、この門扉の愛らしさとなっているのかもしれない。

手作り感でいいねぇ。
なんだか、帰るのも、見えてくるのも楽しくなるお家はいいね。
もちろん、中もね。
これの好き嫌いはあろうけれど、それに関わらず、そんな事を思わず思っちゃう門扉。
特に、この門扉のデザインが好きなわけじゃないけれど、一度会えなかっただけに、余計にそう思うのかもしれない。
この通りの目当ては、この下の写真だった。
随分昔にこの界隈を歩いた。
散歩のガイドブックに、ハートの形の門扉が載っていたので、それを見に来たのだ。
グルグル歩いたが、見つからぬ。
このシテ・ボエという通りは、一体どこからどこまでかわかりづらい。
地図を見ても、発見できなかったのだ。
そのリベンジにやってきた。

さて、門扉。
なんと、大小のハートでくりぬかれている。
なんともいえない味なのは、柱部分まで、ハートがめり込んでいることだ。
そこが、この門扉の愛らしさとなっているのかもしれない。

手作り感でいいねぇ。
なんだか、帰るのも、見えてくるのも楽しくなるお家はいいね。
もちろん、中もね。
これの好き嫌いはあろうけれど、それに関わらず、そんな事を思わず思っちゃう門扉。
特に、この門扉のデザインが好きなわけじゃないけれど、一度会えなかっただけに、余計にそう思うのかもしれない。
2014.04.23
アミアンの古き家
はっきりと場所は覚えていないが、アミアン大聖堂付近の旧市街であることは違いない。
そのカテゴリーのフォルダに入っているからだ。
アミアン大聖堂の前だったような気もするし、そうでないような?
写真の整理をきっちりやっておかぬと、場所の記憶は、頭の外へ行ってしまう。

撮った、帰って見た!ならいいのだけれど、ブログに載せようと思うと、どこだっけ?を正確にしたくなる。
が、時間がたってしまえば、後の祭り。
後の祭りといえば、美術館でよく見かける、ヨハネの首をもつサロメの絵があるが、この頭部といわれるものが、アミアンにあるなんて話も、この町へ行った後に知った。
大聖堂ライトアップがあることも、帰国後に知った。
行く前にも、行った後にも、もうちょっと調べたり整理しておけば、後悔することは少なかったのかもしれない。
もう一度、アミアンへ行きなさいということだと解釈しておく。
縁のある土地は再び訪れるそうだ。
いつか再び、アミアンへ行く理由ができたのだから、自分に縁のある街にちがいない。
そのために、今、ブログという形で整理しているのだ。
そのカテゴリーのフォルダに入っているからだ。
アミアン大聖堂の前だったような気もするし、そうでないような?
写真の整理をきっちりやっておかぬと、場所の記憶は、頭の外へ行ってしまう。

撮った、帰って見た!ならいいのだけれど、ブログに載せようと思うと、どこだっけ?を正確にしたくなる。
が、時間がたってしまえば、後の祭り。
後の祭りといえば、美術館でよく見かける、ヨハネの首をもつサロメの絵があるが、この頭部といわれるものが、アミアンにあるなんて話も、この町へ行った後に知った。
大聖堂ライトアップがあることも、帰国後に知った。
行く前にも、行った後にも、もうちょっと調べたり整理しておけば、後悔することは少なかったのかもしれない。
もう一度、アミアンへ行きなさいということだと解釈しておく。
縁のある土地は再び訪れるそうだ。
いつか再び、アミアンへ行く理由ができたのだから、自分に縁のある街にちがいない。
そのために、今、ブログという形で整理しているのだ。
2014.04.22
プラハの天文時計 夜景
2014.04.21
シャルトル散策 ウール川沿いを行く4
2014.04.20
サンドニ大聖堂のステンドグラス
サンドニの大聖堂にも、ステンドグラスが描かれている。
個人的には、この大聖堂をゴシックにした、シュジェールが、下のほうに這うように描かれているステンドグラスが、一番の印象であるのだが、その這っている姿ばかりが印象に残っていて、その絵全体はイメージとして残っていない。
さて、その他のステンドグラスできれいなものがあったので一枚。

よく見ると、下のほうに文字が描かれている。
1837年7月24日 フランス人の王ルイ・フィリップは家族を伴って、サンドニの王家の修道院の地下墓地を訪問。
とある。
そのときのものをステンドグラスにしたということなのだろう。
この王が若かりし頃、フランス革命が勃発しているから、王がここを訪れたときは、廃墟の様になっていたのかも知れぬ。
パフォーマンスはともかく、どんな心境だったろうか?
自身は、ルイ14世の弟の家系であったはず。
とすれば、荒らされた教会は、自身の祖先に当たる方の墓所だったことになる。
このステンドグラスは、”このように、子孫はがんばっております”という、示唆だったのかもしれない。
個人的には、この大聖堂をゴシックにした、シュジェールが、下のほうに這うように描かれているステンドグラスが、一番の印象であるのだが、その這っている姿ばかりが印象に残っていて、その絵全体はイメージとして残っていない。
さて、その他のステンドグラスできれいなものがあったので一枚。

よく見ると、下のほうに文字が描かれている。
1837年7月24日 フランス人の王ルイ・フィリップは家族を伴って、サンドニの王家の修道院の地下墓地を訪問。
とある。
そのときのものをステンドグラスにしたということなのだろう。
この王が若かりし頃、フランス革命が勃発しているから、王がここを訪れたときは、廃墟の様になっていたのかも知れぬ。
パフォーマンスはともかく、どんな心境だったろうか?
自身は、ルイ14世の弟の家系であったはず。
とすれば、荒らされた教会は、自身の祖先に当たる方の墓所だったことになる。
このステンドグラスは、”このように、子孫はがんばっております”という、示唆だったのかもしれない。
2014.04.19
カンのウィリアム征服王通り
男子修道院の脇に、Rue Guillaume Le Conquerantギョーム・ル・コンケラン(ウィリアム征服王)通りがあった。
思わず通り名の看板を一枚。
時代は違うが、源頼朝通りってな感じだろう。

この通りの脇にある、男子修道院に彼が眠っているのである。
通りに出て、上を眺めれば、その修道院の尖塔が、この征服王の通りを見下ろしている。

ノルマンディ上陸作戦が行われる900年も前。
その逆の英国上陸を果たした王が、征服王である。
隣町ともいうべき、バイユーに、世界遺産になったタペストリーに、その事績が編みこまれている。
タペストリーそのものも、歴史的価値があるのかもしれぬが、そこに描かれる、上陸作戦という難しい作戦を敢行成功した、この王の事績も稀有のことであろう。
思わず通り名の看板を一枚。
時代は違うが、源頼朝通りってな感じだろう。

この通りの脇にある、男子修道院に彼が眠っているのである。
通りに出て、上を眺めれば、その修道院の尖塔が、この征服王の通りを見下ろしている。

ノルマンディ上陸作戦が行われる900年も前。
その逆の英国上陸を果たした王が、征服王である。
隣町ともいうべき、バイユーに、世界遺産になったタペストリーに、その事績が編みこまれている。
タペストリーそのものも、歴史的価値があるのかもしれぬが、そこに描かれる、上陸作戦という難しい作戦を敢行成功した、この王の事績も稀有のことであろう。
2014.04.18
エヴォル 花一輪
この花がフランスではよく見かけるゼラニウムなのかどうか?
ゼラニウムだとしたら、これを花一輪というのは、ちと違うのかもしれぬ。
ゼラニウムは、欧州原産なのではないのだそうだ。
だが、不思議とこの花は欧州の窓辺に合う。
この花は、ゼラニウムではないとしても、きっと欧州のものではないのであろう。
イメージ写真を見たわれわれは、窓辺に咲く赤い花々をセットに、ヨーロッパを記憶してしまっている。

花だけでなく、木々も、落ち葉も、苔も、水も、道も絵にしてしまう日本庭園はともかく、欧州の花々も絵になるのだ。
日本の美とは、ある種、対局にあるが故、洋の西という、異文化を強く感じられるのかもしれない。
調和対主張であろうか?
人の心性にも関わっていそうである。
窓辺に花があるだけで、通り抜ける風も伝わってくるかのようである。
ゼラニウムだとしたら、これを花一輪というのは、ちと違うのかもしれぬ。
ゼラニウムは、欧州原産なのではないのだそうだ。
だが、不思議とこの花は欧州の窓辺に合う。
この花は、ゼラニウムではないとしても、きっと欧州のものではないのであろう。
イメージ写真を見たわれわれは、窓辺に咲く赤い花々をセットに、ヨーロッパを記憶してしまっている。

花だけでなく、木々も、落ち葉も、苔も、水も、道も絵にしてしまう日本庭園はともかく、欧州の花々も絵になるのだ。
日本の美とは、ある種、対局にあるが故、洋の西という、異文化を強く感じられるのかもしれない。
調和対主張であろうか?
人の心性にも関わっていそうである。
窓辺に花があるだけで、通り抜ける風も伝わってくるかのようである。
2014.04.17
Place des Fetes フェット広場にて
コンコルド広場、エトワール広場・・・。
パリにはさまざまな広場があるが、何々広場と、Place部分は広場という日本語に置き換えて呼ばれる。
この、19区の南端にある、大きな広場は、フェット広場と呼ばれることよりも、プラス・デ・フェットといわれることのほうが多そうだ。実際、パリに住んでいる方達をアンケート調査したわけではないので、あくまで、自分の周りだけでの話。
ガイドブックに載っていない。
広場名を、日本語に置き換えにくい。
何々広場という単語にしてしまうと、どこのことだか?わからなくなる。
そんな理由から、プラス・デ・フェットという、駅名でもあるこの呼び方がしっくり来る結果となったのだろう。

パリにしては、ずいぶんと高い標高にある、パリ有数のコンクリートジャングル広場である。
近くをぶらぶらしていたら、乾いた、発砲音が聞こえてきた。
発砲音というか、もっと、大きい爆発音に近い。
恐る恐る、向かってみる。
何だろう?と振り向きはするものの、何事もなかったかのように、人々が行きかう。
メトロ駅乗り場前のこの広場。
爆竹にしては、大きな音だったように思ったが、何か機械が壊れたのか?
子供達のいたずらか?
そんなことも、日常茶飯事だよと、広場全体が語っているように感じられた。
パリにはさまざまな広場があるが、何々広場と、Place部分は広場という日本語に置き換えて呼ばれる。
この、19区の南端にある、大きな広場は、フェット広場と呼ばれることよりも、プラス・デ・フェットといわれることのほうが多そうだ。実際、パリに住んでいる方達をアンケート調査したわけではないので、あくまで、自分の周りだけでの話。
ガイドブックに載っていない。
広場名を、日本語に置き換えにくい。
何々広場という単語にしてしまうと、どこのことだか?わからなくなる。
そんな理由から、プラス・デ・フェットという、駅名でもあるこの呼び方がしっくり来る結果となったのだろう。

パリにしては、ずいぶんと高い標高にある、パリ有数のコンクリートジャングル広場である。
近くをぶらぶらしていたら、乾いた、発砲音が聞こえてきた。
発砲音というか、もっと、大きい爆発音に近い。
恐る恐る、向かってみる。
何だろう?と振り向きはするものの、何事もなかったかのように、人々が行きかう。
メトロ駅乗り場前のこの広場。
爆竹にしては、大きな音だったように思ったが、何か機械が壊れたのか?
子供達のいたずらか?
そんなことも、日常茶飯事だよと、広場全体が語っているように感じられた。
2014.04.16
アミアン オルティヨナージュの水辺
2014.04.15
プラハ 旧市街広場 ヤン・フス像
2014.04.14
シャルトルの自転車たち
2014.04.13
ジャンヌ・ダルクとサンドニ
2014.04.12
カン Rue Saint-Manvieu サン・マンヴュー通りからの眺め
2014.04.11
エヴォルのごみ箱と分別
エヴォルの町はずれにやってくると、大きなゴミ箱があった。
あちらこちらのごみ箱の写真を撮っているが、グレーとグリーンが圧倒的に多いと思われる。
ここは濃い緑。

そして、ごみ投入口に緑と黄色がある。
パリのごみ箱も、ふたの色で区別する。
緑、黄色、白、青。
ここも同じである。
視覚に訴えた方が、記憶しやすく、間違いにくく、分別しやすいということなのだろう。
ドイツの空港なんかでも、ずいぶん前から、ごみ箱に色わけされていたと思う。

さて、よくみると、どうやら、紙やパック類が黄色。
すなわち、リサイクル系が黄色のようだ。
燃える燃えないという分別が多い日本とちがって、リサイクル可不可が基準である。
日本でも回収する自治体が基準をきめるのであろうが、こちらもそうなのであろう。
だから、地域によって、ごみ箱の形も色も違うのだ。
あちらこちらのごみ箱の写真を撮っているが、グレーとグリーンが圧倒的に多いと思われる。
ここは濃い緑。

そして、ごみ投入口に緑と黄色がある。
パリのごみ箱も、ふたの色で区別する。
緑、黄色、白、青。
ここも同じである。
視覚に訴えた方が、記憶しやすく、間違いにくく、分別しやすいということなのだろう。
ドイツの空港なんかでも、ずいぶん前から、ごみ箱に色わけされていたと思う。

さて、よくみると、どうやら、紙やパック類が黄色。
すなわち、リサイクル系が黄色のようだ。
燃える燃えないという分別が多い日本とちがって、リサイクル可不可が基準である。
日本でも回収する自治体が基準をきめるのであろうが、こちらもそうなのであろう。
だから、地域によって、ごみ箱の形も色も違うのだ。
2014.04.10
Pont de Bercy ベルシー橋の真ん中で
2014.04.09
アミアン オルティヨナージュの畑
ぶらぶらと散歩していると、畑に遭遇。
この畑が、ここのメインなのであろう。
小麦畑のような、フランスの畑のイメージではなく、ガーデニングに近い雰囲気なのだ。
菜園というべきであろう。
丘に広がる畑ではなく、川沿いの湿地帯だから、当然雰囲気は違う。

なんとなく、懐かしさがあるとすれば、その湿地ゆえの風景の湿度感なのかもしれない。
緑がウワーッ!とある。
水分の多い緑なのだ。
日本の風景に近いからなのだろう。

農業やったことがないので、わからないのですが、こうした川が運んできた堆積土もあるような湿地帯の土が、良い土壌なんですかねぇ。
手前に可愛らしく花など植えてあるのを見ると、、風景、食を楽しんで、生活しているように感じられます。
この畑が、ここのメインなのであろう。
小麦畑のような、フランスの畑のイメージではなく、ガーデニングに近い雰囲気なのだ。
菜園というべきであろう。
丘に広がる畑ではなく、川沿いの湿地帯だから、当然雰囲気は違う。

なんとなく、懐かしさがあるとすれば、その湿地ゆえの風景の湿度感なのかもしれない。
緑がウワーッ!とある。
水分の多い緑なのだ。
日本の風景に近いからなのだろう。

農業やったことがないので、わからないのですが、こうした川が運んできた堆積土もあるような湿地帯の土が、良い土壌なんですかねぇ。
手前に可愛らしく花など植えてあるのを見ると、、風景、食を楽しんで、生活しているように感じられます。
2014.04.08
カレル橋手前のトンネルを抜けてゆくトラム
カレル橋からプラハ城の写真をあれやこれや撮った帰りの写真である。
それにしても、アジア人が多いのだなぁという感想を持ったカレル橋。
どうやら、韓国の方が多い。
ついで中国の方であろう。
最近は、フランスでも中国の観光客と多く出会う確立は高い。
有名観光地に行けば、必ずといっていいほど。
世界遺産へ行けば、日本人観光客にあふれている。
そんなイメージからすると、ここ、プラハのカレル橋では、韓国の方の割合が圧倒的であった。
ソウルから、大韓航空がプラハまで直行便が飛んでいる。
その、行きやすさが、こうした状況を作り出しているのであろう。
日本からプラハも直行便が飛べば、この橋の上の様相も少々変わるのかもしれない。

さて、トラム。
街中とはいえ、暗いところを動く車両を撮るのは難しそうだ。
ぶれている写真もあったが、何とか撮れた。
それにしても、アジア人が多いのだなぁという感想を持ったカレル橋。
どうやら、韓国の方が多い。
ついで中国の方であろう。
最近は、フランスでも中国の観光客と多く出会う確立は高い。
有名観光地に行けば、必ずといっていいほど。
世界遺産へ行けば、日本人観光客にあふれている。
そんなイメージからすると、ここ、プラハのカレル橋では、韓国の方の割合が圧倒的であった。
ソウルから、大韓航空がプラハまで直行便が飛んでいる。
その、行きやすさが、こうした状況を作り出しているのであろう。
日本からプラハも直行便が飛べば、この橋の上の様相も少々変わるのかもしれない。

さて、トラム。
街中とはいえ、暗いところを動く車両を撮るのは難しそうだ。
ぶれている写真もあったが、何とか撮れた。
2014.04.07
シャルトル大聖堂の聖母のステンドグラス
2014.04.06
サンドニの聖エルテールと聖リュスティック
聖サンドニは、モンマルトルの丘で殉教し、首を持って歩いて来た。
この、聖サンドニには弟子が二人。
聖エルテールと聖リュスティック。
どちらも、モンマルトルの通りに、その名をとどめている。

その二人が、サンドニ大聖堂の正面にいると聞いて、それを探してみた。
このクサリに繋がれた二人が、そうなのであろうか?
片や、自身の首を持つ師匠、一方の弟子二人は鎖につながれて、ここまでやってきた・・・わけではあるまい。
鎖につながれて、モンマルトルに連れて行かれたのであろう。
三人は首を刎ねられ、師匠だけは、この地まで、首を持って歩いて来た。
そのストーリーは、サンドニ大聖堂のこの場所と、モンマルトルの道の名前だけに、名残をとどめている。
この、聖サンドニには弟子が二人。
聖エルテールと聖リュスティック。
どちらも、モンマルトルの通りに、その名をとどめている。

その二人が、サンドニ大聖堂の正面にいると聞いて、それを探してみた。
このクサリに繋がれた二人が、そうなのであろうか?
片や、自身の首を持つ師匠、一方の弟子二人は鎖につながれて、ここまでやってきた・・・わけではあるまい。
鎖につながれて、モンマルトルに連れて行かれたのであろう。
三人は首を刎ねられ、師匠だけは、この地まで、首を持って歩いて来た。
そのストーリーは、サンドニ大聖堂のこの場所と、モンマルトルの道の名前だけに、名残をとどめている。
2014.04.05
カン Rue de Geôle ジョール通り
2014.04.04
エヴォルのパレットたち
最近、エヴォルのオフィシャルサイトを見ていたら、こちらの看板たちが載っていた。
ここへ移り住んで、アート活動を行っている家の人のものなのだろうか?

どちらも、パレットに絵を描いたもののように見える。
記憶は確かではないが、ゴッホで有名なオーベル・シュル・オワーズの村にあり、ドービニーのアトリエに訪れたとき、ドービニーのパレットが展示されており、そこに、いかにもドービニーという絵が描かれていたのを思い出す。

実は、パリのBHVでパレットを買ったことがある。
絵心じゃない。
フランスでもらった資料やカタログをきれいに持って帰ろうと考え、文房具を見に行ったのだ。
しかし、適当なサイズのケースがない。
そんなとき、レジの近くの特売コーナーで売っていたのが、木のパレットだった。
クリアファイルとこれで、きれいに持っていけそうだ!
そう思ったので、800円ぐらいで購入したのである。
絵心のない人間の考えることは、常に”便利と合理”だけなのだ。
いまでも、忘れなければ、ショルダーカメラバッグの脇に、縦に刺して持って歩いている。
ここへ移り住んで、アート活動を行っている家の人のものなのだろうか?

どちらも、パレットに絵を描いたもののように見える。
記憶は確かではないが、ゴッホで有名なオーベル・シュル・オワーズの村にあり、ドービニーのアトリエに訪れたとき、ドービニーのパレットが展示されており、そこに、いかにもドービニーという絵が描かれていたのを思い出す。

実は、パリのBHVでパレットを買ったことがある。
絵心じゃない。
フランスでもらった資料やカタログをきれいに持って帰ろうと考え、文房具を見に行ったのだ。
しかし、適当なサイズのケースがない。
そんなとき、レジの近くの特売コーナーで売っていたのが、木のパレットだった。
クリアファイルとこれで、きれいに持っていけそうだ!
そう思ったので、800円ぐらいで購入したのである。
絵心のない人間の考えることは、常に”便利と合理”だけなのだ。
いまでも、忘れなければ、ショルダーカメラバッグの脇に、縦に刺して持って歩いている。
2014.04.03
Place de la Réunion レユニオン広場の桜
2014.04.02
オルティヨナージュ寸景 ガーデニング
農地になっているところもあるのだが、川沿いには、家々も建っている。
住んでいる方もいるのだろう。

ごらんのように、花と緑の庭に囲まれた一軒屋。
ちょっと、理想の住宅地のイメージ。
日本だったら、夏、蚊の発生を気にしなきゃならんような湿地帯も、ここでは、水辺の快適地になるのであろう。

随分昔、英国式庭園とフランス式庭園という大学の授業があったが、きちんと出席していなかったので、まったくその知識はない。
ただ、タイトルだけが、耳に残っている。
興味が自分自身あったのだろう。
しかし、大人でありながら、意識子供で、勉強する気のまったくなかった私は、遊んでいたのである。
さて、写真を見るに、英仏折衷なガーデンであると思われるが、どうなのであろう?
住んでいる方もいるのだろう。

ごらんのように、花と緑の庭に囲まれた一軒屋。
ちょっと、理想の住宅地のイメージ。
日本だったら、夏、蚊の発生を気にしなきゃならんような湿地帯も、ここでは、水辺の快適地になるのであろう。

随分昔、英国式庭園とフランス式庭園という大学の授業があったが、きちんと出席していなかったので、まったくその知識はない。
ただ、タイトルだけが、耳に残っている。
興味が自分自身あったのだろう。
しかし、大人でありながら、意識子供で、勉強する気のまったくなかった私は、遊んでいたのである。
さて、写真を見るに、英仏折衷なガーデンであると思われるが、どうなのであろう?
2014.04.01
プラハ城夜景 カレル橋から
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