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2014.03.31

シャルトル ウール川沿いを行く3

川沿いを散策していると、可愛らしいお店も出てくる。
これはレストランであろうか?
このときはやっていなかったけれど、ツギハギ風に、窓枠にあわせてカーテンの柄を替え、よりレトロに見せている。
古い木組みの家に合わせた、かわいらしいトータルデザインということなのだろう。
シャルトル
レースであっても、柄というより、絵を見せるといったものが多い。
窓は、単なる光採りじゃなくて、中から、外へ見せるディスプレイ意識が、この国の人にはある。
夜、見て!とばかりに、ライトをつけた自慢の部屋を見せてる人も多い。
”中は見られたくない”意識は東アジア的なのかもしれない。
たしかに、単に遮蔽してしまうだけのカーテンじゃ、面白くないもんね。
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2014.03.30

サン・ドニ大聖堂正面にて

パリ北郊のサンドニが王家の墓所である。
また、ここは、ゴシック建築の祖でもある。
ここは、フランスの守護聖人、処刑されたサン・ドニが自身の首を持ってここまできた伝説の地。

親父に怒られるのが嫌で、逃げ込んだ後のダゴベルト1世が後に修道院を立てた。
逃げ込んだ王子を臣下が捕まえられなかったのだそうだ。
サンドニ大聖堂
この場所から、殉教地、その名も殉教の山という名のモンマルトルを結ぶ線の先に、ルーヴル美術館のピラミッドがあることは、随分昔に書いたが、ここから、先祖が、パリを見守っていたのだ。
ヴェルサイユへ遷った事が、吉ではなかったのだろうか?
2014.03.29

Fos Saint-Julien フォ・サン・ジュリアンから男子修道院の尖塔を望む

Fos Saint-JulienのFosが、フォなのか?フォス?なのか?
意味は何なのか?

調べてみてもわからなかった。
通りの種類にはちがいなかろう。Fos Saint-Julienが、この通りの名なのだから。
いずれ、わかるときもくるに違いない。
次に、カンへ行った時に、観光局で聞いてみる手もある。
カン
その大通りから、男子修道院の頭が見えるのが印象的だった。
逆光になってしまい、白っぽくなってしまう時間帯だったけれど、必ずしも、順光の時のほうがいいとは限るまい。
風景は出会った瞬間が吉日。

それでも、通り名と、順光写真を、次の宿題として、いずれ訪れた時に、課題をやろう。
そう思っていれば、訪れるチャンスが巡ってくる。
2014.03.28

エヴォルの家々

この村は、谷を取り囲む山々と古い村が全て。
ただ風景を満喫するのみ。
エヴォル
私事ながら、ようやく、松葉杖生活にピリオド。
こうした風景のある場所まで、自分の足で汗をかいて歩いて行けるよう、これから、リハビリに励まねば。
大げさに言うほどじゃないけれど。
2014.03.27

Quai d'Oise オワーズ河岸通りの散歩

サンマルタン運河と言えば、バスティーユ界隈からパリの10区11区の境を通ってゆく雰囲気のある散歩道が有名だが、更にさかのぼって、ヴィレット池を抜けると、再び、運河の散歩道が続く。
並木から、コンクリートの雰囲気に変化するが、地域の憩いの場になっている。
パリの道
鉄道橋、高架橋、可動橋と様々な橋が立ちならぶ。

ちょっと、ベンチに腰掛けて、日光浴・・・。
すると、ちょっと怪しいおっさんや、おばちゃんが、スーッと座ってくる。
荷物からは、目を離さぬように、憩わねばならぬが、気持ちよい昼前の運河。
2014.03.26

アミアンの菜園 オルティヨナージュ

サンルー地区から東へ抜けると、そこは水路を張り巡らされた野菜耕作地。
湿地帯を菜園に変えたのだそうだ。

野菜を買って食べるわけでもなく、畑仕事やガーデニングに興味があるわけではないが、何かしら、いい写真が取れるかもしれないというスケベ心で、ぶらりと散歩へ出かける。
アミアン
テーマパークへ入っていくかのような橋を渡って、湿地帯へ入ってゆく。
それにしても、こちらの川は水量豊富な川が多い。

2014.03.25

プラハ ティーン教会夜景

夜になったので、旧市街広場に夜景を撮りに向かう。
すると、裏の道からティーン教会の尖塔が。
オレンジ色の光が、なにやらかわいらしい。
その場所がどうなっているのかわからぬが、部屋になっているのなら、そこに入ってみたい気になる。
プラハ
どうやら、この教会、ゴシック建築なのだそうだ。
フランスの大聖堂や、ケルンの大聖堂、ミラノのドゥオーモ、英国の教会のゴシックのイメージからはずいぶん遠い。
確かに複数の尖塔はあるけれど、結構シンプルで、東欧らしいのかもしれない。
だからこそ新鮮で、プラハで見た教会の中では、最もお気に入りの外観になった。
2014.03.24

シャルトルのバラ窓続

シャルトルのバラ窓の一つ。
こちらは、円形の柄の中に、正方形がちりばめられている。
よく見れば、サロモン ダヴィド ロボアム、アサ、アビアなどなどと書かれている。
聖書の説明になっているのだろう。
シャルトル
さらにその回りにユリの紋章がみえることから、キリスト教会とフランス王権がキッチリ結びついているのだろう。
四角のデザインが入ることで、宝石がちりばめられたみたいな雰囲気になっていますね。
万華鏡のようにも見える。
2014.03.23

サンドニ大聖堂へ行く前に

サンドニのトラム駅から、ぶらぶらやってくると、右手前方に観光局が見える。
おお、ここにも観光局があるなんて・・・。確かに、ここはパリじゃない。
左手には大聖堂が見えていたが、観光局へ寄って、地図でも、もらっていこうと立ち寄った。

すると、いただいた地図に、サンドニ大聖堂への入場割引券が・・・。
パス持っていないのなら、この観光局に寄っていく価値は高い。
いつでも、その割引があるのかどうか?わからぬが。
サンドニ
お得気分になったので、大聖堂前でお茶をしてゆくことに。

写真は、観光局から出てすぐ。
片側の塔だけそびえる、ゴシック建築の基点の大聖堂が見える。
2014.03.22

平等院鳳凰堂と肩を並べるカン城

ノルマンディは、ファレーズという町のお城が中心であった。
ここで生まれた、ウィリアム1世征服王ことギョーム2世が建てた巨城。
それ以降、今でも、ここがノルマンディの中心地。
カン
ということで、ここは約一千年のノルマンディの都なのだ。

ウィリアム征服王が生きた時代。
日本は藤原氏の全盛期。
同時代を藤原道長の子頼道が生きている。

すなわち、このギョーム2世のカンのお城と、10円玉に刻まれる、頼道の平等院鳳凰堂は、同じ歴史期間をたどって、今に至っているのである。
2014.03.21

エヴォルの谷

曲がってゆく村はずれの通りの先に、畑らしきものも見える。
日本では、田舎というのは、あまり良いイメージではない。
田舎者といえば、蔑視が含まれることも多い。

フランスの場合、田舎は必ずしも否定的ニュアンスではない。
パリに住みつつも、いずれ田舎暮らしをしたいと思っている人も多いのだそう。
エヴォル
どちらが良いか?というのは愚問であるが、何故違うのか?というのは、面白い。
その一つに国土の形がありそうだ。

六角形で、なだらかな土地の続くフランスは、どこへ行くにも、行きやすい。
それに比べ、高い山々に中央部分をさえぎられた、細長い列島、海にさえぎられた島々に住む我々は、交通が不便だ。
もちろん、現代日本は世界に冠たる技術で、高速移動手段があるわけだが・・・。

田舎が、閉ざされた、隔離されたイメージのない、フランスでは、自ずとそんなイメージに繋がるのかもしれない。
2014.03.20

ジュ・ド・ポーム国立美術館

ルーブル美術館とコンコルド広場の間に広がるチュイルリー公園。
この公園のコンコルド広場側に、対をなす建物が角に建ってる。

一つが、オランジュリー美術館。
もう一つが、このジュ・ド・ポーム国立美術館。

オランジュリーは、モネの睡蓮で有名であるし、リニューアルされてから、とても見やすい美術館になった。
こちらも、何度かの変更を経て、今の写真系の企画現代美術館といった感じになった。
ジュ・ド・ポーム国立美術館
訪れた時は、戦地の一般の人々の生活の場の写真であった。

恨みが恨みを呼ぶ。
悲しみが世代を超えて延々と繋がってゆく。
落としどころのない世界。
それでも、生きてゆく。

そんな、雰囲気の伝わってくる写真が並んでいた。
2014.03.19

アミアン サン・ルー教会の裏手散策続く

新しい建物というのは、かっちり建っている。
古い建物は、あるものは傾き、あるものは崩れ落ち・・・。
もともと、傾いていたものもあったろう。
そんなでこぼこが、古い町並みに味をつけてくれている。
アミアン
とにかく、ここは交通の要所アミアン。
この地区は、交通の要所の街の心臓部。
これだけのレンガの建物を訪れた人達は、商家の人々だったろうか?
織物業が盛んだったようだから、その類の様々な取引の商談がなされたのだろう。

2014.03.18

プラハの共和国広場の前で

コーリャ 愛のプラハという映画だったろうか?
プラハという映画を観て、もっとも心を惹かれたのが、街中を走るトラムである。
古きよき街を、疾駆してゆくトラム。
あれを目にしたいというのが、もともと行きたかったプラハの大きな目的のひとつになったのだ。
プラハ
ここは、共和国広場というスーパー、ショッピングセンターなどが建つ前。

カーブを曲がってゆくトラム。
通りの先、建物の間を横切ってゆくトラム。

全てを嘗め尽くすことは、短い期間で出来ないが、街歩きの一つの楽しみとなる。
2014.03.17

シャルトル散策 ウール川沿いを行く2

シャルトル大聖堂の観光客に比べると、圧倒的に人が少ない。
御大は、観桜バスでやってくる団体さんも多いから当然といえばそうだ。

こちらへぶらりとやってくる観光客は、パリから鉄道で訪れるか?車で訪れるか?一泊するか?
そんなところなのだろう。
静かな散歩道は、ベンチもあるが、座れないということもない。
ところどころに、船着場なのか?洗濯場なのか?水辺に出られるところが見受けられる。
シャルトル
ふと、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットの小川を思い出す。
ベートーベンが田園を練ったとかいう小川だ。
あの壮大な曲にしては、随分と小さな川であったが、ウール川の方が自分の交響曲6番のイメージに近い。
もっとも、ブドウ畑の谷を下る川と、小麦畑の平原を悠々と流れる川は、随分違うに決まっている。

善福寺川脇の殺伐とした雰囲気も、隅田川のビルから見下ろされる川沿いとも、また違う。
ああ、日本なら、潮来の水郷が似た雰囲気かもしれない。

こんなことを考えながら、ベートーヴェンを聞きつつ、ブログを書いてみる。

・・・・、シャルトルも、潮来も、ベートーベンの小川より俗っぽいかもしれぬ。
小鳥のさえずりは、やっぱりハイリゲンシュタットの方がふさわしいような気がしてきた。

くだらぬ妄想散歩は続く。
2014.03.16

サンドニ大聖堂駅にて

トラム1号線に乗ってサンドニ大聖堂駅、Basilique de St-Denis(バジリック・ドゥ・サン・ドニ)に到着。
大聖堂がどこにあるのやらのビルの谷間、コンクリートジャングルに到着する。

この写真の左側へまっすぐ進んでゆくと、メトロ13号線の駅やら、市役所やらがある。
そのこんなところを抜けてゆくの?の冷たいビルの谷間を抜ければ、左に大聖堂が現れるわけだ。
特に道しるべがあったわけでもない。
なんとなく、歩いてゆけば・・・、出る。
サンドニ
フランスワールドカップの聖地が、ここサンドニである。
そのころ、この界隈が、綺麗にされたなんてニュースを聞いたが、ワールドカップ以前にサンドニへ来たことがなかったので、比較のしようはない。

まあ、フランスらしい、面が強調された近代建築が立ち並ぶ、郊外らしい郊外ではある。
ラデファンスがアイボリー色だとしたら、ここは、ダークグレーな色合いの町だ。
2014.03.15

カン サンピエール教会

駅前から町中心部へやってきた。
カンのお城のお膝元。
ここに、このサン・ピエール教会がある。
男子修道院とか、女子修道院とか、有名な教会は多いが、ここ城前が、カンの要所のため、サンピエール教会が、最も目にする教会なのかもしれない。
カン
天井のアーチヴォールトを撮る。
ここは、横にパイプオルガンがあるんですな。

とりあえず、この教会の向かいにある、観光局へ、カンの地図をもらいに行く。
2014.03.14

エヴォル村の石畳

ご覧の通りの道と建物の石である。

実は、先日の大雪で滑って骨折した。
ニュースで報じられる怪我人のうちの一人になったわけだ。
そんなわけで、現在も松葉杖生活なのである。

そんな状況下において、この写真を見ると、ずいぶんと歩きづらいというイメージがすべての感想に先行する。
エヴォル
丁寧に階段状にしてあるのだが、安心して足を落ち着けられる場所がない。
建物の石も、きれいな石を重ねたのではなく、平たい石をずいぶん重ねた家だ。
できた縞模様が、古さを強調する。

いい雰囲気だけれど、足元はご注意ください。
別に雪道でなくとも、こんなにガタガタでなくとも、石畳は足くじく人、本とに多いんですよね。

パリのシャンゼリゼ通りをカツカツと歩く私!ってなイメージの靴で歩き回らぬことですね。
2014.03.13

Cite Bauer シテ・ボエのキュビズム

パリの14区。
扇型に広がる幹線道路を横に結ぶ通りが何本も走る。
そのいくつかは、路地とも呼べる、細道だ。

先日載せた、細道テルモビル通りの脇を走る、シテ・ボエ。
緑地の南西部分を囲むように正面の建物の目の前で右におれる。
折れたら、テルモビル通りと繋がるから、ほんのわずかな部分。
パリの道
この道を、まっすぐ進むと、途中で名前が変わる。
緑地を過ぎたらすぐのこと。
わかりづらいが、道のできた歴史によるのだろう。

さて、全く別の、門扉を探して、この辺りをうろついた。
過去から何度もうろついているが、見つからぬ門扉をさがしていると、ちょっと、いい雰囲気に感じたので、一枚写真を撮っておく。
まるで、ジョルジュ・ブラックの作品かのような壁面が、緑地の向こうに、でん!と建っている。

2014.03.12

アミアン サン・ルー教会の裏手から

サン・ルー地区には、古い教会がある。
その名も、サン・ルー教会である。
その裏手は、新しいばかりではない、古い連歌の建物が並ぶ一角もある。
アミアン
アミアン大聖堂の巨躯もいいのだが、古ぼけたレンガの向こうに見える、ロマネスクっぽいとんがり屋根の教会も、趣があっていい。
こんなところを歩いて写真を撮っているときは、こんな風景に溶け込んでカメラ構えている自分になれるのである。
ナルシストでなくてもだ。

このとき、脳から、なにやらいい物質が出ているに違いない。
2014.03.11

プラハの天文時計

フランス語の語学学校で、最も良かった旅先を答える授業があった。
みな、それぞれ、いろんな場所を言っていたが、自分が何を言ったかを含め、記憶がない。
ただ、一通り生徒の話が終わった後に、先生がプラハが良かったという話だけが、印象に残っている。
プラハ
ひとつは、この町に、自分自身が興味があったこと。
もうひとつ、先生が過去を思い出しつつ、うっとりしながら力説していたからだ。

あれほど、意地悪な若い先生だったが、きっと、プラハは彼氏と行ったのだろう。
彼女にとって、良き思い出なのだ。

そんな記憶が、心に焼き付いている。

先生は、意地悪であったが、寂しがりやであったのだろう。
あの意地悪先生が、うっとりしながら惚れた街にやってきた。
2014.03.10

シャルトル大聖堂のバラ窓

バラ窓は大聖堂にいくつかある。
こちらは北側だったか?南だったか?
中央に、おそらく聖母マリアが描かれている。
シャルトル
丸がデザインの中心だが、四角を使ってみたり、バラ窓もいろんなデザインがある。
ふと、デザインで思ったのだが、こうしたデザインって、一種、サイトマップだなと。
エッサイの木でなくとも、キリストの生涯であったり、四季折々の仕事の仕方であったり、聖人の列びであったり‐‐。

美術品だとか、宗教って考えちゃうと、ちょっと重たいテーマだけれど、配色やデザインの好みやヒントを探そうと思えば、意外と参考にできるところあるのかもしれない。
2014.03.09

サンドニを疾駆するトラム1号線

サン・ドニの駅を出たトラムは、暫くすると、教会の前を曲がってゆく。
丁度、その場所の写真だ。
この協会、サン・ドニの東西目抜き通りのレピュブリック通りを挟んで、サン・ドニ大聖堂と対を成す位置に存在する、サン・ドニ・ドゥ・レストレ教会。
どうやら、ここに聖サンドニが埋葬されたなんてうわさもある教会らしい。
サンドニ
そんな教会の脇に立つ、パリよりも高さの低い住宅街脇をぬけてゆく、トラム。
短い編成なので、乗客で混雑している、無くてはならぬ庶民の足。
2014.03.08

カン サンピエール教会前にて

カンの駅についた。
ここは、モン・サン・ミシェルへ向かうときに、乗りかえて以来。
駅は2度目だが、町ははじめてだから、降りたら、まずは戸惑う。

駅前から、トラムに乗りたいが、小銭が足りず、自販機では、一日券などが、買えない。
どの自販機にも、札が使えるのは、日本のお札の技術のお陰。
そんなところも日本の誇るべきところなのだ。
カン
さて、手持ちの小銭で一回券を買う。
町中へ向かう。

降りたところで1枚。

サンピエール教会を撮っていたら、ちょうど、駅へ向かうトラムが、目の前を通過していった。

2014.03.07

エヴォルは遺跡のよう

エヴォルの村についた。
山肌に沿うように、しかし、鷲ノ巣村のように、偉容を誇るわけでもない、古い村が出現した。
日本の夏、セミの声を聞きながら、山間の村にたどり着いたかのような、懐かしい感覚だ。
石の家も木の家も、古くなると似たような味わいが出てくるのかもしれない。
手前の草花のごちゃ混ぜ感も懐かしさに一役買っている。
エヴォル
バスクの山々もそうであったが、なんとなくなだらかな、そして穏やかな山肌と峰は、この辺りの特徴なのだろうか?
それが、どこか、欧州らしさを感じさせるような気がする。
2014.03.06

La Geode ジェオード

既にご紹介済のラ・ヴィレット公園。
パリの北西に再開発された公園だ。

運河のほか、何もない、整地された、荒野のようなところに突如現れた鉄球。
いまや、緑の公園の一つのオブジェになっている。
ジェオード
この鉄球も、古い存在となった。
個人的には、始めてパリを訪れた時にもやってきた、思い出の場所なのだ。
ここを訪れるときは、人が少ないことが多い。
たまたまなのか?それともいまや、忘れ去られかけた存在なのか?

訪れるたび、ついカメラを構えたくなるフォトジェニックな存在であることに変わりない。
2014.03.05

アミアンの花市に

サンルー地区をぶらぶらしていると、対岸で花市が開かれていた。
赤黄橙白とグリーンが愛らしい。
アミアン
フランスでは、町のあちらこちらに花を飾る。
窓辺だったり、橋の欄干だったり・・・。
立体的なふんわりとした花が盛られている。
見て見て見て!

それに比べると、和のテーストは、生け花にせよ、盆栽にせよ、落ち着き払っている。
ノー天気vs理屈屋。

それとも、
ピカソvs河井寛次郎。

写真のように
レンガの家と、木造古民家。

大陸に西と東では、はぐくまれる文化も、完成も、かくも違う。
2014.03.04

ケルン駅へ入線してくるシティ・ナイト・ライン

昼についたケルンの町もいよいよお別れ。
プラハへ向けて出発するシティ内とラインの先頭車両が入ってきた。
ケルン駅
途中で切り離したりもするのだろう。
長い長い、寝台、座席を連ねた編成が、ホームへ滑り込んでくる。
アムステルダムから来たのだろう。
ケルンの橋とは、反対方向からやってきて、橋を渡って町に別れを告げる。
2014.03.03

シャルトル散策 ウール川沿いを行く

先週載せたサンタンドレ教会の裏側に、小川が流れている。
ウール川であるが、この小川、結構長い。
この先、ルーアンでセーヌ川と合流するのだ。
要するに、川の流れに身を任せれば、ルーアンへ小麦が運ばれてゆく土地なのである。
シャルトル
もっとも、現在は、シャルトルきっての散策コース。
大聖堂とその裏手下ったところの散策路が、シャルトルの二大観光と言ってもいいのだろう。
2014.03.02

サン・ドニ大聖堂にトラムに乗って

サン・ドニの大聖堂へ訪問するのに、最も便利な方法は、メトロの13号線に違いない。
だが、今回会えて、RER-D線のサンドニ駅から、トラムに乗って大聖堂を目指すことにした。
サンドニ
サンドニ駅を出て、左前方に歩いてゆけば、サンドニ運河の端の上に乗っかるトラム駅が見えてくる。
バックミラーの角が可愛らしいトラム。
そして、庶民の足。やっぱり混んでますね。