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2014.02.28

エヴォルの入り口にて

エヴォルの村に到着すると、随分と上の方に、要塞らしき建物が見えた。
あの建物がなんなのか分からなかったが、あの位置だ、見晴らしは良かろう。
進入してくる敵は丸見えに違いない。
エヴォル
さらに進んでゆくと、木で作られた案内板が。
Evol Thuir d'Evolとなっている。
Evolはこの町のことであるが、Thuir d'Evolは、Evolの置くにある村のようだ。
歴史的な村の文字の下には、11世紀のサンタンドレ教会やら、サンテティエンヌ礼拝堂などと、この村の観光資源に書かれている。
エヴォル
この木の看板の脇を眺めてみれば、石組みの壁。
細かい丁寧な仕事によって積み上げられた壁だが、これまた、軍事的なものであるのか?災害対策であるのか?
新しいのか?古いのか?
いずれにせよ、石組みの古き村にたどり着いたのだ。
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2014.02.27

Rue Mouffetard ムフタール通りを登って

パンテオンのある聖ジュヌヴィエーヴの丘から、南へ下る道。
パリの中心方向とは逆。
有名観光地からは、裏手ともいえるような場所にある、この有名な坂道。

近くに、アンリ4世高もあるし、ソルボンヌもあるし、5区はいわゆる学生街。
この坂道は、日本で言ったら、下北沢の坂とも通じるところがあるかもしれない。

レストランの数も多いし、そんなに値の張らない食事をしたければ、一つの候補エリアだ。
パリの道
この日は、ブラブラと、ゴブラン地区からノートルダム方向へ向かって、散歩。
そのためには、この道を、下から登っていかねばならぬ。
人が多い時間帯でなくとも、ご覧の通り、まっすぐあるくことはできない人の数。
2014.02.26

アミアンのおばちゃん

サン・ルー地区へ脚を踏み入れようとすると、まずは、橋の上から、右の川中の人形が目に飛び込んでくる。
つぎに、橋を渡りきったところで目に飛び込んでくるのが、この人形なのである。
一瞬、親父さんかと思いきや、このお店の名前はTante Jeanne(ジャンヌおばさん)である。
この上のベランダにも、もう一体あるのだが、そのベランダ上部にそう描かれているのだから、おばさんに違いない。
アミアン
残念ながら、ここでクレープを頂くことは無かったが、いつまでも元気でいてもらいたいものである。
ここの”くいだおれ、ジャンヌおばちゃん”として。
2014.02.25

ケルン駅の風景

フランクフルトの駅も、こちらも、大きな電飾文字がインパクトある。
パリの駅にはこうした文字がない。
あるとすれば、リヨン駅のカフェレストランの、トラン・ブルーの文字になるか?
ケルン駅
どうやら、これ、ケルンの水という意味らしい。
オー・デ・コロンという言葉があるが、オーは水。コロンはフランス語でケルンをCologne(コローニュ)というところからだ。
ケルン駅
やはり、赤い車体を見るとドイツっぽいですね。
また、パリは三角形の屋根ですけど、フランクフルトもここも、丸い筒型の駅。
電飾、車体、駅の構造全てが、フランスとドイツで違う。
こんなところから、フランス以外の異国情緒を味わえるのかもしれません。
2014.02.24

シャルトル散策 Rue de la Breche ブレッシュ通り

アミアン、ランス、シャルトルの3大聖堂。
3大聖堂という言い方があるのかどうか?わからないが、一番最初に何かで読んだ本に、そう書かれていた。
青赤黄の三不動同様、日本人の数字の3好きにピンとくる話である。
ということで、僕自身のなかでも、フランスの3大聖堂といえば、この3つだと思っている。
聖遺物だとか、歴史的役割だとか、パリからの距離や、王権の及ぶ範囲・・・そんなことも、大きさと共に重要視されての選抜なのだろう。
パリのノートルダム寺院や、サン・ドニ大聖堂などは、五山別格と同じような扱いでよかろう。

その3大聖堂のうち、最も遅く訪れたのが、シャルトル。
これで、詣で完了である。
シャルトル
また、不思議なことに、この3大聖堂、とった宿が、駅から遠く、それぞれ、結構歩くことになった。

シャルトルの場合も、駅から大聖堂をぐるりと回る感じで、宿を目指した。
その宿から、ぶらりと散策に出る。

まず見えてきたのが、サンタンドレ教会の大きな屋根。
新しい建物が並ぶとおりだけれど、カーブの先に、古い大きな屋根があると、雰囲気が一変して、落ち着いた感じになる。
2014.02.23

ミイ・ラ・フォレから歩いてメッスの駅へ

一度、歩いてミイ・ラ・フォレへ向かった道を、7年後、歩いて戻ることになった。
森のS字の坂道を昇ると、その先は以前来た時よりも、随分整備されていた。
ミイ・ラ・フォレ
体力も随分と違うようで、30代だったあの頃よりも随分近く感じられる。
あちらこちら歩くうちに、随分と体力がついた。
7キロほどの道のりなのだが、このときは全く余裕で踏破できた。
もちろん、道を知っている!という安心感、後どの位歩けば良いか分かっているということも、相当大きな要因だ。
ミイ・ラ・フォレ
はてしない小麦畑が広がっている。
ここは、パリの胃袋を支える、ボース平野なのだ。
イル・ド・フランスからサントル地方にまたがる、広大な農地。
遊歩道案内版にも、Beauce(ボース)の文字が見える。

旅のために、ちょっと体力をつけておくと、同じ旅程でも余力がある。
そのちょっとした違いが、写真を撮ろうという気持ちを起こさせてくれる。
2014.02.22

カーニュ・シュル・メールの夕日

ニースの海と違うのは、こちらが、落ち着いていて、鄙びているところだろう。
徒歩圏内に、スーパーあり、カフェ有り、安ホテル有り、セルフレストラン有り、競馬場有り。
個人的には、コートダジュールで最も好ましい場所だ。
カーニュ・シュル・メール
そんなクロ・ド・カーニュは、鉄道駅とバス路線が充実しているから、ニースに出るにも、空港へいくのにも、サンポールやヴァンスへ行くのにも、マントンやモナコへ行くのにも、カンヌやビオットへも都合良い。

実のところ、カーニュとニースの間には、サン・ローラン・デュ・ヴァールという細長い町が挟まれている。クロ・ド・カーニュからなら、散歩コースの距離だが、ここには、巨大ショッピングモールも出来た。

コートダジュールの海とニースの郊外を満喫できる絶好の投宿地なのだ。
2014.02.21

エヴォル到着

駅にある、階段脇のスロープのように、幾重にか折れ曲がった緩やかな坂道を登ってゆくと、先にエヴォルの村が見えてきた。この村が、道の終点のように感じられるのだが、この奥のエリアにも民家のある地域があるらしい。
エヴォル
こんなところまで歩いてくる酔狂などいまいと思っていたら、後方から二人連れが歩いてきていた。そのうしろにも、もう一組いた。

オレットの町から、歩いてきたのだろうか?
"フランスで最も美しい村協会の村"にやってきた観光客なのかもしれない。
まったく気がつきもしなかったのだが、折れ坂道で気がついた。
エヴォル
まずは、この"フランスで最も美しい村協会の村"看板を見つけ、写真に収めてから、村の散策となる。
2014.02.20

Quai Panhard et Levassor パナール・エ・ルヴァソール河岸通りの風景

ガール地区のセーヌ河岸。
ここに、船着場がある。
砂なんだか、穀物なんだか?
何かが逆円錐形のタンクに盛られている。
トルビアック港である。
パリの道
ガール地区。
対岸のベルシー地区同様、再開発は進むものの、いまだ、パリの港として、元気に動いているのだ。
上流で南のイヴリー市付近から、こうした風景は、パリ市内まで続いている。

トルビアック港の向こうに見える橋は、トルビアック橋のずっしりした佇まいである。
2014.02.19

アミアン・サンルー地区でお茶を

先日も載せた、アミアンのサンルー地区のカフェレストランエリア。
誰もいなかったこのエリアを、橋の上から一枚。
ここを訪れた人が、皆撮るであろう場所だ。
アミアン
で、このカフェに入る。
入って、カフェと大聖堂というテーマで一枚。
ご覧の通りの、あまり面白くも無い、平坦な写真が出来上がり。
アミアン
こういう写真も、きれいに取れている人の写真を参考に、勉強しなければならないですね。

しかし、誰もいないカフェのテラス席に長居するというのは、なかなか出来ない。
全く誰もいないと、落ち着かない。
段々、時間を浪費しているような気になってきて、そろそろ出かけようか!となってしまう。
誰かがいないと、”こういうところでゆったりと!”と虚勢も張れぬ、悲しい性。
2014.02.18

ケルン大聖堂の夜景

ケルン大聖堂の2つの塔の写真もいいのだが、この大聖堂で一番感じられたことは、その重量感。

後ろに下がって、超広角で全部入れ。
前から超広角でとって、天刺す塔。

結局、コンパクトデジカメで撮った、この一枚が、最も重量感を感じられる写真になっていた。

重たい思いして、一眼レフをもっていっても、腕がないと、そう簡単に良い写真は撮れぬのだ。
じゃあ、コンパクトデジカメだけ持って行けば、いいものの、それは貧乏性の心が許さぬのである。
ケルン大聖堂
この写真も、よく見てみれば、ぶれているはず。
でも、この大きさなら、バレずに済みます。

いやぁ、重い重い。
ズシッ!と地面にめり込むような分厚い塔なのだ。
2014.02.17

シャルトルの夜景イベントのために

CHARTRES EN LUMIERES
シャルトルは夏の間、様々なライトアップイベントがある。
開催時間は日没から。
夏は夜になるのが遅いから、宿泊しなきゃ、見られないことにもなる。
まあ、地元のお金にもなる、うまくできたイベントだ。
シャルトル
この光のイベントの光を発する小窓が、通りのあちらこちらで見られる。
地面をみると、丸い小窓が。
仮設じゃない、意気込みが感じられる。
2014.02.16

ミイ・ラ・フォレのノートルダム・ドゥ・ラソンプション教会

ここにも、街の案内版がある。
教会とお城が近くに建っているとおもったら、これは、お城の礼拝堂が前身なのだそう。
11世紀の代物だ。
ミイ・ラ・フォレ
これも、お城同様、グラヴィル提督によって15世紀に再建。
57mの高さの塔であるから、東寺の五重塔よりも2m高い。
高さってのは、あの尖塔の十字架の部分が入っているのか?入っていないのか?
まあ、どちらも、同じような高さである、ということだ。

ここは花の都京都、いやいや、パリではない。
小さな街だ。
これだけ立派なものを、この小さな街に作ったのだ。
グラヴィル提督のこの町に対する愛情が見えるって事かも知れぬ。
2014.02.15

カーニュ・シュル・メールの海沿いの教会

クロ・ド・カーニュ(海カーニュ)にかわいらしい、黄色の教会がある。
この海岸沿いの道は、レストランやマンション、ホテルも建っている通り。
ニースの空港を挟んで、東がニースのプロムナード・デ・ザングレ、西が、このカーニュの海沿いになる。
カーニュ・シュル・メール
この西側海岸は、鄙びた感じで、高級感が漂っているわけではなく、庶民の海という雰囲気なのだ。
個人的には、夕方のプロムナード・デ・ザングレよりも、夕暮れのクロ・ド・カーニュの方が好きだ。
カーニュ・シュル・メール
そんな海沿いの教会にぶらりと入ってみる。
中は、せまく、白く、かわいらしげである。
教会の雰囲気までもが、”近い”ところにあるという、温かい雰囲気を感じさせてくれる。
2014.02.14

エヴォルへの道

エヴォルへの、心細い山間の舗装道路が続く。
いったい、この先、いつ着くのだろうか?
そんな思いと、まあ、そのうち着くだろう!という楽観の狭間を揺れ動く心。
エヴォル
通りの分岐点。
川を渡れば、別の町へ。
EVOLの文字があることが、心強い。
こっちで合っているという事だ!と、看板が背中を押してくれる。
エヴォル
稜線が見える。
あの稜線を誰かが歩いている。
遠くから、こちらを見ている。
そんな気持ちになった。
この風景は、きっと、人間が眺めている風景に違いない。
目的地は近いのだ!そう確信した。

南の山だからなのだろうか?
ピレネー山脈の一端といえるこの場所で、広大な雰囲気ながら、なんともすがすがしい感じもするのである。
2014.02.13

Place du Maroc モロッコ広場の円

最近、ラウンドアバウトなる信号無しの交差点が日本で話題になった。
フランスの広場は、この、円形の交差点ばかり。
信号はない。

日本では、まだまだ珍しい。
そうではあるが、住んでいる、川崎の鷺沼駅付近の裏の交差点には、小さな円のある交差点が随分前から存在する。
もっとも、信号つけるほどの交差点ではないから、真ん中に円でも作っておいた程度なのであろうが。
そうした交差点は、日本各地にひっそりと存在しているに違いない。
パリの広場
さて、モロッコ広場。
20区に行けば、アジア国名。
16区では、アメリカ大陸の国名が多い、道や広場。
ここ19区はアフリカかと思いきや、この周りにアフリカの国名がつく通りは見当たらない。
近代的な新しい、少し殺風景な広場を、足早に仕事途中の人たちが通り過ぎてゆく。
2014.02.12

アミアン・サンルー地区の川辺

一番絵になる場所といってもいい、カフェの立ち並ぶ川辺。
大聖堂から降りてくると、最初に飛び込んでくる写真を構えてしまう風景。
対岸から、一枚。
アミアン
この対岸で、ちょっとした、マルシェが立ってました。
カフェから大聖堂を眺めるもよし。
大聖堂に背中を向けて、パンを頬張りつつ、写真を撮るもよし。
水面が静かで、建物がきれいに写っていたら、画面を見つつ、悦に入ることが出来たのかもしれません。
2014.02.11

ケルン駅とケルン大聖堂

ケルン大聖堂の夜景をいくつか撮ったのだが、結構良い雰囲気だったのが、ホームからの大聖堂。
誰もいないホームの先のほうまであるいていくのは、撮り鉄気分であるが、目標物は列車ではなく、大聖堂。
列車も一緒に写れば、もっと良かったかもしれません。
ケルン駅とケルン大聖堂
橋、大聖堂、駅の3点セットのどれをどう組み合わせるのか?組み合わせないのか?
そんなことを、あーでもない、こーでもないと考えているうちに、昼間から、夜へとなってゆく。

それにしても、大聖堂のとんがり屋根が、とんがりコーンに見えて、おいしそう。
2014.02.10

ジヴェルニーの睡蓮

6月付近に行けば、睡蓮の花が見られるのだろう。
そう思って出かけたが、キッチリ咲いているものには出くわさなかった。
早かったのか?遅かったのか?

さて、このモネの家、どうやって行く?という話。
通常であれば、Vernonヴェルノン駅までパリ・サンラザール駅から国鉄で行き、駅前というか、駅脇のバス停から、バスでモネの家に向かうということになる。

ヴェルノンの駅から、モネの家は5.3キロ。
徒歩で1時間という事になる。

そこでだ、ヴェルノンの手前の駅、ボニエールから歩いたらどうだろう?
ジヴェルニー
ボニエールから、モネの家までは、6.4キロ。
1時間15分もあれば行けますね。
このボニエール駅は、イルドフランス地方で、ゾーン6。
ゾーン6までのナヴィゴでも持っていれば、それで行ってこられるエリアなのだ。

ちなみに、以前、このボニエール駅から、ラ・ロッシュ・ギュイヨン城まであるいたのだが、これが7.4キロ。
なんと、モネの家の方が近いではないか!
疲れるでしょうけどね。

もっとも、今でも

王子から北千住 6.9キロ、1時間10分
上野から北千住 5.2キロ、55分
有楽町からお台場 7.4キロ、1時間25分
お台場から田町 4.5キロ、50分
新宿から渋谷 4キロ、40分

などなどを、片道、往復で歩いているので、距離聞くと、歩けぬ距離ではないなぁと思うわけです。

セーヌ川を渡り、最後は、エプト川を渡って、左へ行けばいい。
エプト川を越えるとき、歩いて、フランス王領からノルマンディ公国へ入るわけです。
2014.02.09

ミイ・ラ・フォレ Rue des 3 Moles トロワ・モル通り

先週載せた、ジュイフ通りもいいが、こちらのトロワモル通りも、教会が見えてなかなかいい雰囲気なのだ。
トロワ・モルって一体なんだ?と辞書を引いてみたが良くわからない。
3つの分子ってことになるのか?いやいや、3つの原子なのか?
MOLESのSは3つと言っているのだから、複数形のSに違いないから、MOLEを引けばいいはずなのだが・・・。
3分子通りといわれても、ピン!とこない。
ミイ・ラ・フォレ
随分と、街中をぶらぶらしてきた。
もちろん、一番気になっていることは、帰りのバスがないことである。

そろそろ、観光局裏にあった、公衆トイレへ向かい、万全を期して、歩いてMaisse(メッス)駅へ向かう覚悟を決めねばならぬ。
2014.02.08

オー・ド・カーニュを下って

舗装の道だけれど、雰囲気のいい坂道だ。
カーニュの丘は、随分大変な思いをして登るため、下る頃になるとお腹が空く。

この坂を下って、街中へ出ると、まずはパン屋等々を探したくなるのである。
カーニュ・シュル・メール
パン屋を見つけては、パンを買い、スーパーを見つけては、お菓子を買う。
さらに歩いて海近くへ行けば、ソッカを買う。
折りたたんだ布団をめくるように、ソッカを歩き食いしながら、宿を目指すのである。

車やバスなどの文明の力を使わずに、鷲ノ巣村登った人にだけ与えられる、至福の食事タイムなのである。
カーニュの限ったことではない。
2014.02.07

エヴォルへ向かう

オレットのカフェで、まっすぐ行って右は教わった。
いい加減な説明だと思いながら、歩いてくると、まさに、まっすぐ行って右であった。
エヴォル
ここで、事実上、オレットの町は終わり。
道しるべのEVOLの字の前には、美しい村協会のマークと、歴史的建造物のマークが、鎮座している。
向かう右手の先は、山また山の風景が続く。
エヴォル川沿いにテクテク歩いてゆくのだ。
エヴォル
3キロという表示がなければ、このまま進むことを躊躇してしまう風景だ。
なにしろ、緑の山々だけが見えているだけで、他、なにもないのだから。
コンビニが現れることもないし、人の気配すらない。
”自己責任”という名の道を行く。
ま、なんとかなると思って歩き出すわけですけどね。
2014.02.06

Quai de Montebello モンテベロ河岸通り

アラブ世界研究所から、ノートルダム寺院の方へ歩いて来た。
夕方だった。
本当に綺麗な夕日だな、と思ってとったのだが、写真にしてみると、逆光な上、イメージどおりの美しい夕景にはならなかった。

その、アラブ世界研究所近くで、リセエンヌ風女の子2人に声をかけられた。
「ニーハオ!」
声かけられる理由もないし、中国人ではないから、反応薄で通り過ぎようとしたら、再び、聞いてきた?
「中国人ですか?」と。
違うと答えると、
「日本人?」
と聞いてくる。
そうだというと、話が本題に入った。
パリの道
すると、いきなり、
「お金が無く、朝から何も食べていない。2ユーロくれ!」
という。

「何で?」
とこちらが言うと、
「なぜなら、お金が無く、朝から何も食べていないから。2ユーロくれ!」
という。

再び、
「何で?」
とこちらが言うと、
「なぜなら、お金が無く・・・」
と、何回言えばわかるの?という感じで答えてくる。

この何で?とお金がないからやり取りが、数回続いて、話が終わった。

こちらの「何で?」は、
「こちらが、あなたたちにお金を渡す理由はない!」
の意味だが、
向こうには、
「何でお金が欲しいの?」
の意味で取られているのだ。

このあたり、日欧の感覚の差なのかもしれない。
そんな事を考えつつ、夕日の見えるノートルダムまで歩いて来たのだ。

こういう時は、きっぱり断わんなきゃいけないですね。
2014.02.05

アミアンのサン・ルー地区散策2

散策していると、子供が走り出しそうな、入り組んだ橋が出現。
こちらも、心躍るが、走るパワーがないので、写真を撮る。

丁度、この辺りで、学生らしき3人組と遭遇。
ただ、すれ違っただけ。
それにしても、人の少ない6月のアミアンであった。
アミアン
近くには大学もある。
人が少ない感じだったから、学生は、既にヴァカンスに突入していたのかもしれない。
日本の休みと、比較されがちな、フランスのヴァカンス。フランスのながーい休み。
社会人も、長い休みがある。

そのかわりといえるかどうか?、日本は、祝日が多い。
それでも、日本人は休んでいないと思われるけど・・・。
有給があっても消化できない我々にとっては、カレンダーが赤い方が、気兼ねしないので、いいのだろう。
2014.02.04

ケルン中央駅夜景

ケルン大聖堂の夜景を撮った帰り。
中央駅から橋へ向かう列車が脇を抜けてゆく。
ふとみると、ケルンの中央駅の夜景が美しく光っていた。
ケルン中央駅
幾つもの赤い車体のドイツ国鉄が出入りする。
線路の輝きと駅の光が何ともいえない雰囲気であった。
ブルーライトの駅もなかなか、雰囲気ありますね。
列車の音も、夜景も旅情を誘われます。
2014.02.03

ジヴェルニーの睡蓮の池の花々

毎週、毎週、ジヴェルニーの池の写真を載せるが、まあ、どれもこれも同じようなものばかり。
まだまだ、この何倍もの池の写真がある。
ここには、相当な数の人が押し寄せるが、紅葉の北鎌倉に近いイメージがする。
紅葉の京都というほどの人出ではなかろう。
ジヴェルニー
この池の周りで写真を撮っていると、あちらこちらで、人が写る。
いい雰囲気の写真を撮りたいから、皆、いろんなアングルを考えて、撮って帰ろうというのだ。
北鎌倉の円覚寺の池に映る紅葉の写真を撮っているような気持ちになる。
場合によっては、順番待ちということになるのだ。
ジヴェルニー
ご覧の通り、似たアングルばかり。
花が違えば、また一枚。
それはそれでいい。膨大な写真の中から、きらりと光る一枚が撮れればいいのだから。
そうは考えるものの、頭の中はそんなに柔らかくないから、花や構図が変わるだけで、腕無しの偶然を期待するのは難しい。
ジヴェルニー
かくして、人に見せても、猛スピードでめくられるアルバムやフォルダが出来上がるのである。
2014.02.02

ミイ・ラ・フォレのジュイフ通り Rue aux Juifs

先日紹介した、ジャン・コクトー通りの一本裏。
この裏道からは、教会のとんがり屋根が見える。
小さな車でなければ通れないような細い道の向こうに、乗っかるように教会がある。
ミイ・ラ・フォレ
傾いた壁も、ゴミ箱も、はげたバルも、電線も、この細い通りの生活感をよりいっそう際立たせる。
実際、奥に何かがあるわけではない、見えている先は、すぐにジャン・コクトー通りと合流してしまう通り抜け道。
この道を通り抜けて、塗りつぶしておきたい感、全身で生活感を感じながら自分だけの秘密の道にしておきたい、子供心を刺激するのである。
2014.02.01

オー・ド・カーニュの色

カーニュの鷲ノ巣村をぶらぶらしていると、ひときわ鮮やかなバルを発見。
なかなかないほどの派手なブルー。
派手だけれど、こうした古い町に見つけると、かわいらしくなるから不思議なのだ。
モノクロ写真のなかに一点だけ色がついているフォトショップ作品のごとくだ。
カーニュ・シュル・メール
始めて来たカーニュは大人数だった。
大人数は楽しいけれど、目的地の単純往復になりがちだ。
寄り道と言っても、お土産屋か食べ物屋か。

少人数か一人になると、不思議な事に行動範囲は広くなる。
無口になればなるほど、動き回る範囲は広がってゆく。
出会いも増えてゆく。

もちろん、小心な私にとって、増える出会いとは、風景であるのだが。
そんなわけで、二度目のカーニュの山は、写真の枚数と風景の記憶が増えた。