2014.01.31

オレットの街並み

オレットの町は、テ川に沿った細長い町。
うなぎの寝床である。
町は、川近くの駅にある一段低い駅前通り。
町の中心を走るバス通り。
そして、広場から入ってゆく裏通りの3本が基本。
これまた、食卓の箸のように、近くに並んでいる。
オレット
とりあえず、駅前のカフェに入る。
なにしろ、目指すエヴォルが一体どこなのか?わからぬからだ。

カフェのカウンターで、美しい村協会のガイド本を見せながら場所を聞くと、
しばし眺めた後、
「おい、エヴォルが載ってるぞ!」
って、他の立ち飲み客に話しかけていた。

地元の人も、知らなかったのだろうか?

そして、随分と間をおいた後、
「まっすぐ行って右へ曲がれ」
それだけを教えてくれた。
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2014.01.30

Passage de Dantzig ダンジグ小路

パリの15区の南端。
短い通りがある。
写真を撮ったのが、通りの入り口。
通りの出口は、向こうに見えている木々の辺り。
雰囲気がいいので一枚。
パリの道
このダンジグというのは、道しるべによれば、ポーランドの地名。
グダニスクのことのようだ。
ダンツィヒとドイツ語では言うようなので、そこからきているのかも知れない。

この町を攻略した、ナポレオン配下のルフェーヴル元帥の功績を記念してつけられた名前なのかもしれない。
グダニスク攻略の事が、道しるべに記されていた。

個人的には、大種牡馬となったダンジグがイメージにあるから、別な感慨もある。
もちろん、この馬の名前の由来も、グダニスクである。

ただただ、静かな通りを行く。
2014.01.29

アミアンのサン・ルー地区散策

アミアンのサン・ルー地区をぶらぶら歩いていると、木組みの家があった。
白樺もあって、雰囲気良い感じ。
古そうに感じられるが、下のレンガをみると、これも新しいのだろう。
雰囲気ある街づくりをしよう!という意気込みは感じられる。
アミアン
リヨンから、海辺のブローニュ・シュル・メールへの水の路の途中にあたる。
ローマ都市リヨンからの重要な英国海峡への中継点として栄えたのであろう。
プティット・ヴニーズ(小ベネチア)と呼ばれた界隈が、このサン・ルー地区だったのである。
2014.01.28

ケルン駅停車中のSL

夜行列車を待つ間、駅にあるベンチに座って、駅構内で買ってきたソーセージを食らう。
フランスに行けばパンを食うように、ドイツに行けばソーセージ。
しなければならないという義務感に襲われる。
もっとも、嫌な気持ちにはならない。
旨いからだ。
ケルン
ドイツといえども、都会の駅はそんなに治安がよくないようではある。
駅構内を何周もあるいている、きたない、おっさんに、何かよくわからないことを言われるし、警官も巡回している。
それでも、物騒というほどではない。

ふと見ると、隣のSLで子供達が遊んでいた。
しばらくすると、ファストフードで勝ったコーラが、SLの座席に置いてある。自販機で切符を買うドイツ夫婦もものらしい。物置と化した。
そのときから10分以上、券売機と格闘している親父が、SLの向こうに立っていた。

座席脇にハートマークにNaoimというシールの貼られたSLサンタフェは、今日も、ケルン駅内の悲喜こもごもを見つめている。

2014.01.27

モネの庭の太鼓橋のある風景

モノクロの方は秋。
カラーの方は初夏。
モネの池を同じような場所から撮った写真を並べてみた。
モネの家
どちらも雨。
温かい時期の方の蓮の葉は大きい。
遠くの葉の量も違う。秋は、木々の先が透けて見えるが、夏はそうではない。
モネの家
一番気になったのは、船の位置。
秋には手前左の柳の木の下に置かれていたのだが、何年か後は、橋のたもとへ移動している。
岸から曳航されたのか?
誰かが船に乗って観月会でもしたのか?
仮に、誰かが船に乗って、水面に映る月を描いていたとしたら、それはそれは風流なことだ。
2014.01.26

ミイ・ラ・フォレのジャン・コクトー通り

サン・ブレーズ・デ・サンプル礼拝堂から、街中へ向う通りは、シャペル・サン・ブレース通り。
この通りをまっすぐ進んでゆくと、通りの名前が、ジャン・コクトー通りになる。
それだけではない。
このジャン・コクトー通りをまっすぐ行くと、ドン突きにコクトーの家がある。
いやぁ、まっすぐつながっているんですね。
ミイ・ラ・フォレ
その、通りを散策中、なかなか、雰囲気の良い通りであったので、一枚。
この通りが、コクトーの家から礼拝堂までの最短ルートであるのなら、そりゃ、コクトーが何度もここを歩いていったに違いないと、夢想しつつ散策する。
通り名と、地図から、そんな妄想散歩が始まるのである。
2014.01.25

カーニュ・シュル・メール オー・ド・カーニュの路地

オー・ド・カーニュのてっぺんにあるお城に藤田の絵がある。
お城を跡にして、まっすぐ登ってきた方ではなく、迂回しつつ下る。
すると、なかなか雰囲気の良い通りがあった。
冬のカーニュである。
カーニュ・シュル・メール
急斜面に家々が建っているから、家の前の通りが良い眺めになっているところもあるし、薄暗い路地になっているところもある。
もっとも、地上からの眺めが良くなくとも、階上からは、また別の景色になっているのに違いない。
そうした景色は、住人か、お城の上からしか拝めぬのかもしれない。
2014.01.24

トラン・ジョーヌに乗ってオレット村へ

ヴィルフランシュ・ド・コンフランから、黄色のトラン・ジョーヌへ乗って、3つほど先のオレット村を目指す。
今回向かう先は、このオレット村の先にある、エヴォル村。
このオレットからは、徒歩の予定。
トラン・ジョーヌ
こんなど田舎の小さな列車と侮ること無かれ。
車内は結構混雑していて、座ることはできなかった。
山間を抜けて、オレット駅へ到着した。
駅の向こうに広がる町をバックに、トラン・ジョーヌを一枚。
TERの文字とSNCFのロゴが、これがフランス国鉄の地方路線であることを示している。
2014.01.23

Quai de la Gironde ジロンド河岸通りの緑

この辺りの写真は絵になる。
丁度、東駅を出た列車がここを渡ってパリ郊外へ出てゆく。
RER-E線もそうだ。
その下を、トラムの線路の芝が続いている。
ジロンド河岸通り(ケ・ドゥ・ラ・ジロンド)である。
この通りは以前も銭湯で紹介したが、ずーっと先のサンマルタン運河までつながる運河の脇の道である。
パリの道
写真を撮ったときは、まだトラム開通前。
いまなら、ここを通過するトラムと一緒に撮影できるかもしれない。
また、ここへ撮りに行こう。
2014.01.22

アミアンのサン・ルー地区の色

古い建物が並ぶ一角というわけではない。
詰まれたレンガも新しい雰囲気だ。
新しい建物が並ぶが、可愛らしい色合いの建物が多い。
アミアン
色好きのこちらとしては、楽しい気分にさせる組み合わせの色が多くて楽しい。
アミアン
こんな色合いの組み合わせもあるか?
これもありか?
そんな事を考えつつ、低地の住宅エリアを散策する。
アミアン
きっと、どんな色の組み合わせもアリなのだ。
これとこれは無し!なんてない。
きっとバランスの問題である。
外壁では。真似できなくとも、部屋の中のカラーバリエーションで参考になりそうだ。
2014.01.21

ケルン大聖堂の夜景

プラハへの夜行列車が発車するまでは時間がある。
昼間撮影した場所へ再び橋を渡る。
ケルン

三脚が無くても、カメラを支える場所があるから、なんとか、ブレずに写真を撮ることができる。
一番撮りたかった定番の構図で撮り終えたら、満足。
別の夜景を探しつつぶらつく。
2014.01.20

日本的なジヴェルニー・モネの庭の風景を探す

モネの家の風景は、どこをとっても綺麗な場所が多い。
そんななかでも、絵になる場所は、特に欧風なのだ。
欧風の中の和だから、日本人の心も欧州の人の心も打つ。
モネの家
そんななかに、いかにも、雑然とした一角を発見。
いやいや、ちょっと、日本っぽいじゃないですか。
あの、雑草的な開けた向こうに、茅葺屋根の日本家屋があっても、なんら不思議のない雰囲気。

雑草が、湿度高い日本の風景に一役買っていたのかもしれません。
密な雑草がアジアティックなのかもしれませんね。
日本人の我々にとって、あまり絵にならぬ風景でしょうけど。
2014.01.19

ミイ・ラ・フォレ Rue Saint-Jacques サンジャック通り

以前紹介した、サンジャックの道沿いにある教会跡の十字架を後にして、巡礼路であったろう、サンジャックの道を北上する。巡礼とは逆方向、街中へ戻ってゆくわけだ。
ミイ・ラ・フォレ
歩いて、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで行く。
これはわかりやすいし、イメージしやすい。
しかし、歩いて行ったら、帰りがある。
家に帰らねばならぬ。
現代なら、どんな手段でも簡単に戻れるが、その昔、巡礼帰路は、どんなモチベーションだったろうか?
丸一日歩いて戻るとしても、かなり気が重い。
船だったろうか?馬だったろうか?
それにしても、歩いた距離が半端なければ、途中でやめるも、もどるも、相当の覚悟が必要だ。

ここでは、わずかな距離を、ミイ・ラ・フォレの町中心へ向かって歩む。
2014.01.18

カーニュ・シュル・メールの丘の上から

カーニュ・シュル・メールの頂上に出る。
お城がある。
このお城の屋上に登ることが出来る。
そこから、海の咆哮を眺めてみた。
カーニュ・シュル・メール
古き街、オー・ド・カーニュの向こうに、新しい市街が広がり、クロ・ド・カーニュの海辺の当たりも、海も、眺めることができる。
こうやって眺めてみると、確かに、オー・ド・カーニュの鷲ノ巣村は、屋根だけ見ても骨董品だ。
2014.01.17

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン駅にて トラン・ジョーヌに出会う

ヴィルフランシュ・ド・コンフランの駅に停車しているトラン・ジョーヌ。
トランは英語のトレインであるから列車の意味。
ジョーヌは、黄色の意味である。
オシャレに聞こえるが、フランスの名前の付け方は、結構ベタなのだ。

ちなみに、トラン・ブルーという特急列車があったが、もちろん、ブルートレインのことである。
日本でもなくなってしまうみたいですが・・・。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
以前にも書いたが、ここから線路幅が違うということで、この列車が活躍する。
こんな、山の中が始発駅になっているのである。
さて、さて、この列車に乗って出かけましょう。
2014.01.16

Rue du Chevaleret シュバルレ通りを駆け抜ける子供

フランソワ・ミッテラン・フランス国立図書館の目の前を走る線路を渡る仮設橋。
これを渡ると、大きな倉庫が並んでいた。

新旧の大きな建物のをつないでいるのが、その仮設の足場の見える橋。
線路に平行して走る通りがシュバルレ通りである。
以前、別の写真で、この通りを載せたが、長い通りなので、いろんな顔がある。
パリの道
この新しい建物と古い建物のコントラストを撮ろうと思っていたら、丁度、子供が楽しそうに自転車で通りすぎてゆくところだった。
子供が可愛いのは、万国共通ですね。
2014.01.15

アミアンのサンルー地区から眺める大聖堂

アミアン大聖堂の脇を下り、ソンム川を越える。
地図で見れば、中州のような、島のような運河エリア。
サン・ルー地区という、アミアンの観光スポットの一つ。
アミアン
この低地から眺める大聖堂。
川の中央には、人形が、行き交う船を見張っている?
2014.01.14

ケルン大聖堂を橋越しに

ホーエンツォレルン橋を入れてケルン大聖堂の写真を撮るというのが、一番のお決まり写真である。
初めて訪れたからには、行っておかねばならぬ。
ケルン
とろとろしているうちに、午後になってしまい、逆光になってしまった。
それでもめげずに、橋を渡って赤い列車を入れて一枚。
ケルン
更に、大聖堂を望遠で狙う。
橋にの柵につけられた南京錠が、和室のキラキラした土の壁のように光っていた。
2014.01.13

モネの家の庭 雨男

モネの家に最初に訪れたときは雨だった。
写真を撮ろうにも、雨が降っていると難儀である。
カメラをぬらしたくないし、片手に傘という不自由さ。
地面にヒザをつくことも、ベンチに座ることも出来ない。
モネの家の庭
ただ、一つだけ、晴れの時にはできない雨の利点がある。
それは、雨の写真を撮るチャンスがあるということだ。
風に揺れる柳もいいが、雨に濡れる柳もまたいい。
不都合は棚に上げておき、雨も、雨の風景が見れたというラッキーの一つなのだ。
2014.01.12

ミイ・ラ・フォレのノートルダム通り

教会脇のノートルダム通り。
丁度、朝の木漏れ日が、石壁に柔らかい光を落としていた。
木漏れ日というのは優しい風景を作ってくれる。
これが、石壁に当たれば、いかにも欧州の素敵な雰囲気になるし、紅葉散るコケ蒸す石庭に射せば、和の極致ともいうべき幻想を作ってくれる。
ミイ・ラ・フォレ
ノートルダムというのは、ノートルが”私達の”という意味で、ダムはマダム、すなわち婦人をいう意味になる。
いわゆる聖母マリアのことである。
それにしても、ノートルダムだらけのフランスである。
この国の守護聖人も、ジャンヌダルク、テレーズと女性がいる。
フランスの女性的イメージは、こんなところにもあるのだろう。
2014.01.11

カーニュ・シュル・メールを登る

この鷲の巣村は、その他の村のように、上って到着するというイメージではない。
鷲の巣村の路地を、延々と登ってゆくようなイメージなのだ。
カーニュ・シュル・メール
道また道を登り、角また角を曲がり上へ登ってゆく。
時折、車とすれ違うことがあっても、上ってゆく最中に、人とすれ違うことが少ない。
カーニュ・シュル・メール
雰囲気が良いねと、写真を撮る動作が休憩になる。
撮りつつ、まったく見えていない最上部のお城を目指す。
カーニュ・シュル・メール
とりあえず、ここまで登って休憩という雰囲気にならぬので、ずーっと登らされてしまう。
登る人たちに休ませてくれるような構造になっておらず、さぁ、こっちへ来てみなさい!と路地が口を開けて待っているのである。
この町は、知らず知らずのうちに、一気に登らされてしまうのだ。
2014.01.10

美しい村ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランから美しい村ウスを眺める

要塞の中は見れなかったので、要塞から眺められる、遠くの風景を望遠で覗いてみた。
すると、遠くにEUS村のこんもりした鷲ノ巣村が見えている。
フランスで最も美しい村から別のフランスで最も美しい村が見える場所なのだ。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
あの村にこもった人々が、頂上にある塔から狼煙をあげれば、こちらから確認できる。
敵が近づいてくる前に、充分な準備ができるということだ。

恐るべしヴォーヴァン。要塞建築の鬼であることに間違いない。
2014.01.09

Rue Riquet リケ通りの橋の上から

日本でも、大きなターミナル駅の近辺では、線路の束が見られる。
パリの18区19区付近は北駅と東駅の両方の線路の束を見られるゾーンが多い。
パリの道
リケ通りからオルドゥネ通りへ続く道は、その線路束が見られる名所の一つ。
リケ通りはその内、東駅からの列車が見られるゾーンだ。
パリの道
北側を見ると、殺風景な線路が広がるが、南側は遠くにメトロの端も見える。
丁度、メトロが橋を渡るとき、目の前をTGVが通過中。
パリの道
つい今しがた、TGVが通り抜けた線路を、在来線が通ってすれ違ってゆく。
車輌の屋根の上には、意外と多くのものが乗っかってるんですな。
2014.01.08

アミアン大聖堂の王のギャラリー

下の扉付近には、聖人がずらりと並んでいる事が多い。
頭上には、王達が並んでいる。
全てで22体あるのだそうだが、撮った写真には右端がなく21のみ写っている。
アミアン大聖堂
拡大してとってみたが、どれが誰なのか?
13世紀のものらしいから、メロヴィング朝、カロリング朝、カペー朝の当たりになるのだろうか。
女性の像もあるから、歴代王の列といえるのかどうかはわからない。
アミアン大聖堂
入口部の聖人の列のはるか上部に王のギャラリーがある。
フィリップ2世が13世紀に強力な王権を確立した事が、こんなところに現れているのかもしれない。
フランス王家こそ、キリスト教の守護者であるのだと。

2014.01.07

ケルン大聖堂を写真に収めて

想像以上に圧倒されたケルンの大聖堂であった。
特に、塔部分の厚みがすごい。
ゴシックらしいとげとげしさもあるが、重量感は半端ない。
うわぁぁぁ・・重そう!そんな感想。
ケルン大聖堂
なるべく超広角レンズに頼らず、大聖堂を一枚に収めたいと思い、後ろにズルズル下がる。
結局、広場の奥を走る通りを渡った、カフェの辺りまで行かねば、入りきらなかった。

収めきったら、この近所のスタバでネットに接続し、ブログを更新する。

地元の人か?乗換の観光客か?
日本のスタバよりPC率が高いように思うが・・・。
日本に比べると、PC見ながら会話ってのが多いのかもしれない。
2014.01.06

モネの家の睡蓮の池

エプト川の支流から水を引いて、モネは池を作りました。
そうらしい。
このエプト川というのは、ノルマンディとイルドフランス地方を分ける川なのだ。
モネ睡蓮の池
911年にサン・クレール・シュール・エプト条約という条約が結ばれる。
このときに、ヴァイキング、ノルマンの首領ロロにエプト川以西を与えて、ノルマンディが誕生することになる。

ここへの最寄り駅ヴェルノンはノルマンディであるから、イルドフランスのゾーン内で使えるナヴィゴでは行けぬのだ。
ヴァイキング侵攻が、我々の財布に影響を及ぼしているのである。
そんなことを考えつつ、池を眺める。

2014.01.05

ミイ・ラ・フォレにあるサン・ジャックの十字

どうも、この小さな石の十字架が13世紀の、コンポステーラへの巡礼者を受け入れていた、ここにあったサンジャック教会の遺構らしい。
それにしても小さい。
ここにある看板によれば、17世紀には小さなチャペルとなり、革命前後で廃墟となり、売り飛ばされ、20世紀には取り壊されたそうだ。
ミイ・ラ・フォレ
これ以外にも、もう一つ、その雰囲気を残すものがあった。
このすぐ脇を、サンジャック通りが南北に通っていることだ。
ここにある、観光案内版も、ここに歴史があったことを記す、歴史の道標に違いない。
2014.01.04

カーニュ・シュル・メールの鷲ノ巣村へ

カーニュ・シュル・メールという、まあ、ニースの隣町というべき町がある。
実際はお隣じゃないのだが、自分のイメージではお隣だ。
ニースからすると、この町は少々鄙びている。
そのメインともいうべき名所が、オー・ドゥ・カーニュと呼ばれる鷲ノ巣村である。
カーニュ・シュル・メール
海から隔離された感がないからか?
なんとも、俗っぽい感じだからか?
どうも、エズなどの有名な鷲ノ巣村と比べると、観光地らしき趣ではない。

そんな訪れる客のまばらな坂路を登ってゆく。
2014.01.03

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの山上の城リベリア要塞へ3

山の上の要塞にたどり着いた。
観光客は誰ひとりいない。
この要塞に入り、向こう側を見下ろせば、城壁に囲まれた街が、眼下に広がっているはずだった。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
ところが、橋を渡って入ることができない。
お城がオープンしていないのだ。
このヴォーバンが造ったという要塞を、攻略できぬ敵軍のように、ウロウロと眺めることしか出来なかった。
山上ながら、なかなかの威容を誇っているのだ。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
しかたなく、帰り道に上から撮るつもりだった、街を望む景色を撮影。
街の一部分だけを、なんとか望むことができる。
2014.01.02

Rue Daviel ダヴィエル通りからの黄色

パリ13区のビュット・オ・カイユの丘を西へ下るプティット・アルザスを通るダヴィエル通り。
この坂の上部分から、遠くを見ると、真黄色な大きな建物が見えた。
どうやら工事中であるので、いまも黄色いかどうか?はわからないが、なかなか、強烈な色合いである。
パリの色
日本でも、建物の色論争が、アパートであっても、公共の建物であっても、一戸建てであっても起きる事がある。
知っている限りでは、赤だったりピンクだったりする事が多いが、こんな黄色の建物が目の前にあったら、一体どうだろうか?
南仏に行けば、赤もピンクも黄色の壁の家も存在している国だから、日本人の感覚とは違うかもしれない。