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2013.12.31

今年一年ありがとうございました

今年も一年間お付き合いいただきありがとうございました。
今年も色々とありましたが、来年も健康で平和な一年が過ごせる事ができるとよいですね。
みなさま、良いお年をお迎えください。
バル
写真は、パリ郊外ムランの通りがかった民家のバル。
紫、藤色って、そんなに見かけないよな・・・。
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2013.12.30

モネの家の花の終わり

モネの家は秋で終わるわけだが、花も終わりが近く、写真を撮ろうにも、寂しい状態である。
もちろん、こればかりじゃないから、ちゃんと花らしいところもある。
他で使わなかった残り写真に出番を分け与えておく。
モネの家
モネの家といえば、浮世絵博物館。
自分の出身地が、浜松市なのだが、モネの家に、浜松と書かれた浮世絵があるのを見ると、Hamamatsuと発音できたかどうかはともかく、その風景が目に留まったに違いないと思うと、多少の縁を感じるのである。
歌川広重の東海道五十三次だったのだとは思うけれど、そんなところまで確認してこなかったなぁ。
モネの家
消え行く花も、終わりであると同時に、来年へ向けての始まりでもあります。
そんな意味では、この、枯れつつある花の庭も、侘びなのかもしれません。
そういう意味では、枯れ行くほうが日本的なのかもしれません。
モネの家
モネの家の出番のない写真たちは、まだまだ続きます。
2013.12.29

ミイ・ラ・フォレの洗濯場とお城

ミイ・ラ・フォレを散策すると、ところどころに建造物の案内版がある。
この場所には、洗濯場とお城という看板が立っていた。
近くに教会もあるから、この町の中でも印象的な場所とも言える。
コクトー眠るサンブレーズ・デ・サンプル礼拝堂からは、町の反対側になるだろうか。
ミイ・ラ・フォレ
洗濯場というのは、あちらこちらで歴史的建造物としてお目にかかる。
共同洗濯場が好きなのではなく、残りやすかったのかもしれない・・・?
この案内版を読めば、19世紀に作られ、つい最近、大戦後に補修されたようなので、歴史的といっても古代の話じゃない。
物心ついたときには、洗濯機という三種の神器が一家に一台ある世代からすれば、隔世の感だろうが、お年寄り達にとっては、今も思い出の場に違いない。
残りやすいどころか、こないだまで現役だったのだ。

水門で水位を調節していたと書かれているが、運河を次々張り巡らし、川が交通路だった欧州では、こうした技術は一般的だったのに違いない。
日本は急流の川の氾濫との戦いであったから、土手を作った話が歴史話に多い。
ミイ・ラ・フォレ
向かいのお城は、いわゆる、コクトーの家だ。
もちろん、コクトーよりはるか前に立てられている。
跳ね橋の付いた防御性の高いお城は、13世紀に建てられ、100年戦争の後、15世紀に再建されたようだ。

これは、よく出るヴォーヴァンではなく、グラヴィル提督によって作られたようだ。
もっと古い時代ですね。

この人、どうも、ミイ・ラ・フォレの街中にある市場も建築しているようだから、この町の御領主さまだったのかも知れぬ。この人は、ジャンヌダルクの100年戦争後とフランスの文化の華が開くフワンソワ1世の間の時代に軍人として活躍した人ということになるわけですな。
2013.12.28

ニースのイルミネーションたち

ニースのカーニバルシーズンだけなのかどうなのか?
クリスマスっぽいイルミネーションもあるけれど、海辺からニース駅へ歩きがてら、写真を撮る。
ニースの夜景
人が手を広げたようなデザイン。
ベルにしても、人型にしても、一つ一つが、巨大。
ニースの夜景
ノートルダム・ドゥ・ラソンプシオン大聖堂のライトアップと前を行くニースのトラム。
人の形のイルミネーションが巨大といっても、大聖堂の前には、お飾り程度の大きさでしかないんですね。
ニースの夜景
寒い冬も、色とりどりのイルミネーションがあると、寒々とした気持ちが、ほんの少し和らぎますね。
2013.12.27

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの山上の城リベリア要塞へ2

山上の要塞を目指す。
九十九折のガタガタ道を登ってゆくのだが、ウネウネ曲がってゆくから、随分時間がたっても、なかなか着かない。
急坂にならないための、ダラダラとした九十九折なはずなのだが、息が上がってくる。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
随分上の方まで登ってくると、眼下に駅が見える。
細い谷間に、駅もあれば、町もある。
随分と小さく見えるのだが、まるで、鉄道模型なのだ。

黄色の車輌は、トラン・ジョーヌ(黄色の鉄道)である。
ペルピニャンからここまでと、ここから、スペイン国境までは線路幅が違うらしい。
トラン・ジョーヌと呼ばれる黄色の車体は、ここが始点になっているのだ。
2013.12.26

Villa Claude Monet ヴィラ・クロード・モネ

パリ19区のビュット・ショーモン公園の西側に閑静な住宅街がある。
この界隈をアメリック地区という。
その北側部分に閑静な計画された住宅街がある。
ダニューブエリアだ。
パリの道
ここは、石畳の雰囲気の良い通りが多いのだが、どこを撮っても、同じような画になり、いったいどこだか分からない。
住んでいる人ならともかく、よほど立体的に地図を見れる人でなければ、今時分のいる場所が分からなくなるだろう。

しかし、パリは心配後無用。
通り名さえ分かれば、自分の現在地が分かる。
交差点の通り名二つ分かれば、確実だ。その意味では、京都とおんなじ。

その同じ雰囲気の通りが多い中に、モネの名前を冠する通りが。

クロードモネ通りといえば、ノルマンディーのジヴェルニーということになるが、パリにもあったのだ。


2013.12.25

アミアン大聖堂の中へ

大聖堂の中に入る。
巨大な身廊の下には椅子画並んでいなかったので、その広大さが余計に強調される。
アミアン大聖堂
ここも、フェルメール風な床の模様。
南仏や南欧では、縞模様が良くあるが、こうした白黒の市松模様っぽいものは多いからフェルメールの絵に描かれることになったのだろう。
アミアン大聖堂
ガイドブックをちゃんと持っていくべきだった。
ここには、あの、ルーブル美術館その他でよく見かける、サロメと洗礼者ヨハネの首のテーマの絵の、ヨハネの首があるようなのだ。
アミアン大聖堂
どうも、観光というと、その目に見える形にとらわれて、不思議な場所にある建物、巨大建築に目を持っていかれがち。
エッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院、凱旋門、ルーヴル美術館、サクレクール寺院・・・。
それぞれ、宗教的に、歴史的に、時代的に、全く別になってくる。

そういう意味では、ガイドブックというのは大切かもしれませんね。
旅行ガイドブックという旅の指南書としてではなく、ある一冊の本として。
2013.12.24

ケルン大聖堂のステンドグラス

どうもカメラの調子がおかしい。
ピントを合わせに動いているのだが、ファインダーをのぞくとピントが合っていない。
まいったなぁと思いつつ、自分の目が疲れているかもしれない。
ステンドグラスにピントが合わないのだ。
シャッターを半押しして、カメラがピントが合ったと合図してくれるところで、シャッターを切る。
あとで、それでも写真が撮れているのか?パソコンで確認しようということにした。
ケルン大聖堂
とりあえず、写真がとれているようだ。
あの時だけ、おかしかったのか?目がよっぽど疲れていたのか?

撮った時は、はっきり見えていなかった、ケルンの大聖堂のステンドグラスも、なんだか、トランプを見ているかのような、クラシックなステンドグラスであったのだ。
2013.12.23

ジヴェルニーのモネの家

随分と古い写真の内、ホームページでは使っていない写真で。
この時期には、モネの家はやっていない。
春から秋までなのだ。
ジヴェルニー
庭の花々もいいのだが、同じ色でも、モネの家自体もいい。
ピンクの壁に緑のバルも可愛らしいが、中も、青壁や黄色など、色、にあふれている。
日本の家は、とかく、壁面は木目か白になりがちだけど、モネの家の色を見ていれば、自分も、そんなモネの部分を真似てみようか?と思ったりするのである。
ジヴェルニー
日本人の自分にとって、モネの色とりどりの日本庭園という名の西洋庭園よりも、枯山水の方が好きだ。
派手好きの自分にとって、こんな色とりどりの風景も、楽しい気持ちにさせてくれる。

こりゃ、絵のための庭造りじゃないな。
モネが、庭いじりと、色とりどりの庭を空想するのを、好きだったに違いない。
咲いて出来上がった庭は、誰かに見せねば意味がない。
人を呼び、絵に描く。
どうだぁ!と。
今の時代に生きていれば、コスプレの世界にいたかもしれぬ。
2013.12.22

ミイ・ラ・フォレ コクトーの家

ミイ・ラ・フォレをぶらぶら歩いていると、街中に観光案内看板があちらこちらにある。
その一つに、Maison de Jean Cocteauというのがある。
奥の赤い屋根の建物がそうだ。
ミイ・ラ・フォレ
この17世紀の建物を、愛人のジャン・マレーと一緒に買ったのだそうだ。
そして、亡くなるまで、ここで過ごした。

ここを訪れた数週間後、この建物はコクトー美術館して、オープンしたのだそうだ。
もうそれから何年かたっているが、また、この町を訪れる理由ができた。
2013.12.21

ニースの夜

ニースのカーニヴァル、夜のライトアップカーニヴァルが行われるマセナ広場を家路を急ぐ人々。
そして、写真を撮る人々。
青い光と白い光が印象的。
ニースの夜景
ブラブラと、アルベール1世庭園方面の観覧車へ向って歩いてゆく。
目的は、このあたりの出店。
ここで、何か食おうというわけだ。
ニースの夜景
シャンティイクリームとシシフレジ。
ニコニコしながら、お店の元気なおばちゃんが「落とさないように気をつけて!」と。
寒空の下、落としそうなシャンティイクリームをすすって、ベンチでがっついて、駅へ向って再び夜の散歩を続ける。
2013.12.20

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン脇を抜ける線路

町に沿って川が流れる。
コンフランは合流地点という話しは書いたが、川ばかりでなく、道も合流する。

テ川沿いに走るのが、果てしなく、アンドラ方面へつながってゆく鉄路である。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン

町から出て、山上の要塞へ向うときには、川と線路を越えてゆく。
時刻を調べておけば、ここを通過する列車の写真を撮る事もできるだろう。
雨に濡れたレースはまっすぐと伸び、人物を運ぶ道たる事を意思表示しているかのようだ。
2013.12.19

パリ中華街の青 Avenue d'Ivry イヴリー通り

パリには、いろいろ、印象的な色が存在する。
パリの色といえば、ユトリロのカラー白。
白いキャンバスには、どんな色でも映えるのだ。
印象的な色使いの建物が色々あるのだ。
パリの道
13区のスーパーに買い物に出かけて、イヴリー大通りに行く。
中華系スーパーのタンフレールの大型がある通りだから、よく歩く通り。

その通り沿いというよりは、歩いていると、脇奥に見える青い壁面を撮りに。

この建物、マセナ大通りの大型ショップ。
イヴリー大通りから見えるこの壁の近くまでいって、高層ビルと一緒に一枚。
2013.12.18

ガトーバッチュを食らう

アミアンで、土地の名物を手に入れようと思ったら、アミアンの大聖堂横のお土産屋で巨大なお菓子が売っていた。
クグロフのパンケーキ版みたいな、カヌレの柔らか巨大版みたいなものだ。
ガトーバッチュGateau battuというらしい。
アミアンのガトーバッチュでもいいし、ピカルディ地方のガトーバッチュといっても良いみたいだ。
要するにこの地方の食べ物。

ガトーバッチュ
あまりに巨大だから、とても一人で食べきれぬ。
一旦パリに持ち帰り、次の日シャンティイ競馬場へ持ち運び、大人数で食う事に。

どうやら、形を維持して持ち運べた。ちょっと崩れかかっているけれど。
写真を撮っていない事に気がつき、競馬場でとりあえず。

ナイフも持っていないから、手でちぎって食べる。
ほんのり甘いスポンジケーキを食っているようだ。
要するに小麦とたまご、塩、砂糖、バターっていうやつなのだろう。

味というより、形が特別なものなのだ。

折角同じピカルディ地方のシャンティイだったのだから、ガトーバッチュにシャンティイクリーム乗っけて、ピカルディー三昧デザートでも良かったかもしれない。
2013.12.17

ケルンのホーエンツォレルン橋の南京錠

ケルンの大聖堂の撮影ポイントといえば、ホーエンツォレルン橋越しの画である。
この橋、あの愛の南京錠で有名な橋ですが、撤去とか、撤去反対とか、さまざまな苦難?を乗り越えた、観光スポットになってます。
ケルン
この橋、鉄道橋。
そもそも、鉄道の橋を人が渡れるの?って思ったものの杞憂。
両端は歩道になってました。
折角鉄道橋なので、通り過ぎる、ドイツらしい、赤い国鉄と南京錠。

日本でも恋人の季節が近づいてきましたが、12月ですから、もうドイツはクリスマスでしょう。

日本でもこうした場所あるようですが、そんなに流行ってはいないようですね。
日本には絵馬ありますから。

パリも、セーヌ川のポンデザール、ソルフェリーノ橋等々、南京錠名所ができたようですが、パリを訪れた人達によって、つけられたのでしょうか?
パリと愛の南京錠のイメージはしっくりきても、フランス人と南京錠は、完全に正反対のイメージ。

個人的には、鍵かけるという束縛感がなんとも嫌なんですが、名所では被写体としてはいいのかもしれません。
被写体にしている限りは、こちらがとても自由の身であるように感じられます。
2013.12.16

カンタン リネン博物館をあとにして

リネンの里が、ブルターニュの北海岸から少し入ったところにある。
コートダルモール県は、海の男の国であるから、麻は重要な製品だったに違いない。
リネン博物館
リネンといえば、最近はフランス雑貨のトーションやランチョンなどでもよく見かける。
海でなくとも、キッチンは水回り。
強度と速乾性もあるからだろう。
そんな麻が染められ、織られてゆく。
展示されている数々の手作りの見本生地も、随分と古い生地も並んでいるが、麻らしい風合が感じられる。
丈夫なのだ。
カンタン
お昼でなければ、人影まばらな町のカフェで、バスの時間まで一休み。
サンブリューまでのバスの中は、もう夢心地。
気がつくと、サンブリューの直ぐ近くまでやってきていた。
2013.12.15

コクトー眠るミイ・ラ・フォレのチャペル・サンブレーズ・デ・サンプル

ヴィルフランシュ・シュル・メールのコクトーのチャペルと同じく、ここもチャペル内にコクトーの絵が描かれている。教会の名前の通り、ここは、サンプル(薬草)の絵も描かれているし、ステンドグラスも薬草のようだ。
ミイ・ラ・フォレ
ヴィルフランシュでは、南仏の風俗が描かれているから、絵の違いもあるのだが、ここは、コクトーが眠っているというのが大きな違いということになるのだろう。
ミイ・ラ・フォレ
教会の名を示す、Saint-Blaise des Simples(サン・ブレーズ・デ・サンプル)。
コクトーの文字もやわらかいですね。
ミイ・ラ・フォレ
早朝に入ると、まだ、だれも訪れていない中、この空間を独り占めできる。
2013.12.14

ニースの海辺にて

ニースのカーニバルは冬に行われる。
寒い冬ではあるが、フランスの中でも温暖なコートダジュール。
カーニバルの行われる、プロムナード・デ・ザングレのハズレに行くと、人通りは多いものの、喧騒とは空くし間置いた静かな時間が流れている。
ニース
一段高い通りから、海辺の砂利に降りて、通り下のコンクリートを背もたれにしゃがみ込む。
黄昏るとか、思いにふけるとかではなく、賑やかなお祭りの雰囲気に疲れて、脚の疲れを癒すためだけに、座り込む。
カップルであったり、夫婦であったり、そんな人たちが、似たような間隔をあけて、座っている。

目線の先には、釣竿が黄昏ていた。
2013.12.13

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの山上の城リベリア要塞へ1

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランは、山の谷間にある。
城壁によって防御されているが、とんでもないほどの難攻不落の町ではあるまい。
攻めてくる軍隊を足止めできれば良い。
土地勘のある籠城軍をほったらかしにすれば、背後を突かれる可能性もあるから、ほったらかしにはできぬ。
時間が掛かれば、この辺りなら、カルカッソンヌやトゥールーズといった町からの援軍が到達できる。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
山の上には、見張り台があるのか?
いやいや、お城があるらしい。
テ川を挟んだ山上に城があれば、テ川からこの町を攻撃するのはつらい。
お城と町は掎角の位置関係にあるのだ。
双方同時に攻撃をかけねば成らぬ。

そんなことを考えつつ、あの山城へ登ってみることにした。
2013.12.12

Rue Henri Nogueres アンリ・ノゲール通りの壁画

パリ19区の南半分。
サンマルタン運河の、バッサン・ドゥ・ラ・ヴィレットから伸びる車の通れない道が壁画で飾られている。
パリの道
通りの名は、アンリ・ノゲール通り。
通り名看板によれば、ジャーナリストで、レスタンス、そして、人権の会の会長を10年ほどやっていた人の名を冠する通り。1990年に亡くなった人なのだそうだから、つい最近の方といっていいのだろう。
パリの道
運河沿いを歩いていたら、目の覚めるような鮮やかさ?
いやいや、一瞬目を向けてしまう、カラフルな落書き通り。
この辺りの治安は、とっても悪いのか?一瞬そんなことが頭をよぎる視界の先である。

よくよく見ると、落書きらしき上に、ライトブルーの背景が塗られ、そこに絵が描かれている。
2013とか書かれているので、今年描かれたものなのだろうか?
まっ平な広いコンクリート壁は、ほぼ全てキャンバスと化すのがパリの常である。

ユトリロの白壁も、佐伯祐三のポスターの壁も、今の時代なら、カラフルな壁画と落書きの壁が描かれたのだろうか?
2013.12.11

アミアン大聖堂

フランスの3大聖堂は、シャルトルとランスと、ここ、アミアンだとかいう話もある。
まあ、数え方はいろいろあるのだろう。
その3つの大聖堂の中では、ここ、アミアンが最も後ろに下がれない。
要するに、写真の撮りづらい大聖堂なのだ。
アミアン大聖堂
広角レンズが力を発揮して、全てを一度に入れることはできたものの、のけぞり大聖堂の写真になってしまう。
ランスやパリのノートルダムのように、左右の塔が長い感じではなく、高さは不揃い。
シャルトルと違って、一応左右の塔の雰囲気は似ている。
なんとも重量感あふれる大聖堂。
2013.12.10

ケルンにて

パリからケルンへタリスで出た後、夜行でプラハに向かうのだが、ケルンの乗り換え時間の間に、駅前をぶらつくことに。
ケルンの駅のコインロッカーは、自動式。

預けた荷物は地下かどこかへ格納されるのだろう。
あれなら、コインロッカーの地上のスペースが限られていても、大量の荷物を預かることができる。

預けに来る人は多いから、みていれば、やり方はわかる。
多くの人が、荷物を預けに来るのだ。

きっと、この駅の目の前にそびえる、ケルンの大聖堂が目的の人が多いに違いない。
ここで乗り換える間に行って来ようというわけだ。
ケルン
折角だから、川の反対側へ渡って、写真を撮ろう。
ケルンを少しぶらつこう。
そう思って、朝早いタリスでパリを出る。
昼にソーセージをパクつき、ぶらぶらした後、ネットをやって、大聖堂に入って、晩飯をとって、夜行へ乗る。

川まで来ると、鉄橋が伸びている。
さて、あれを渡りますか!
2013.12.09

カンタン リネン博物館

リネンの博物館には、リネンがどうやって作られていたのか?が展示されている。
繊維を取り出して、紡いで、織るのだ。
リネン博物館
こちらで案内してくれた方は、なんと、英国の人だった。
リネンが好きで来たのだそうだ。ビックリ。
リネン博物館
現在は、この辺りがリネンの中心地であるわけではないそうだ。
ノルマンディの北部、オート・ノルマンディ地方がフランスリネンの中心地。
リネン博物館
世界一のリネン大国は、中国。フランスは3番目らしい。
フランスリネンの中心地は、Doudevilleドゥードゥヴィルということだ。
リネン博物館
こちらで、いろんなリネンの作品をつくっているのだそうだ。
リネンの博物館。そして、リネン通り。
これだけが、カンタンがリネンの里である、わずかな軌跡ということになる。
2013.12.08

ミイ・ラ・フォレのサンブレーズ教会

帰りのバスが無いことは、頭の中の片隅に追いやり、コクトーが眠る、サン・ブレーズ教会へ。
ミイ・ラ・フォレ
丁度、オープンされたばかりの朝日が当たる時間。
毎日、きちんと管理されているのだろう、清楚な感じが全く失われていない。
ミイ・ラ・フォレ
それどころか、前回来たときよりも、きれいになった感じすらする。
訪れる人の数も増えているのかもしれない。
ミイ・ラ・フォレ
緑の絨毯に写る影が、すがすがしさを与えてくれる。
2013.12.07

ニースのカーニバル 花合戦

ニースのカーニヴァル。
花合戦の写真を一気に。
ニースのカーニバル
Bataille de Fleurs(バタイユ・ドゥ・フルール)
バタイユ(戦い)というだけあって、山車ごとに、これでもか!と花を飾る。
ニースのカーニバル
華やかともいえるし、えげつないほどに花とも見える。
ニースのカーニバル
和装っぽいのもあります。
ニースのカーニバル
シャンゼリゼのパレードでなくとも、馬は登場します。
ニースのカーニバル
この時期に訪れれば、通りがかりでも、チケット買って中へ入っていけます。
ニースのカーニバル
人人人ですから、写真を撮るのは大変。
少しでも足場になるものがあれば、皆その上に乗ってデジカメを構えます。
ニースのカーニバル
もう一つの敵は、太陽。
逆光との戦い。
ニースのカーニバル
向こうの海側にある座席。
海側だけに席がありますが、なるほど、向こう側からなら、逆光にならないんですね。
ニースのカーニバル
雰囲気を味わって、しばし観覧したら、途中退席。
ニースのカーニバル
2014年のカーニバルもあと2ヶ月。
2月14日から3月4日まで行われる模様。
2013.12.06

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランで強烈な胃痛に!

ヴィルフランシュ・ド・コンフランの村をぶらぶらした後、レストランで昼食をとった。
ここで、猛烈な胃痛に襲われた。
こんな胃痛は記憶にないほどだし、普段胃痛に悩まされることも稀だ。

今回は、パリにいる時点でも、胃痛で、薬局にお世話になったから、それの再発ということなのだろう。

留学中に、クラスの胃痛の男の子に対して、皆々がコーラを飲め!と勧めていたことを思い出し、食べ物はそっちのけで、コーラを注文。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
フランスの薬局では、処方箋がないと買えないと聞いたことがあるけれど、胃薬ぐらいは買うことができるようだ。
平たい大きなラムネみたいな、かみ砕く式の胃薬をパリで手に入れたのだが、これは、ペルピニャンの宿まで行かないとない。

一向に良くなる気配はないが、1時間ほどぐったりすると、歩けるほどにはなった。
2013.12.05

ノートルダム寺院の脇にて

夕方、ノートルダム寺院へ向かって散歩。
ノートルダム寺院は西側を向いているから、西日に照らされてオレンジ色に輝いていた。
川を渡って、反対側へ行くと、カフェでは、ビール、ビール、パナシェ、モナコで、皆様夕涼み中。
ノートルダム寺院
そんな脇に、壊れたチャリが放置されていた。
いや、この国は、自転車泥棒対策で、いろんなものを外して行くから、前輪を持って行ったのかもしれない。
これなら盗まれまい。
サドルを盗難防止で大きな袋に入れて持っていく人もいる。
サドルをいいものに変えている人もいるしね。

それにしても、前輪を持ってゆくなんてねぇ。
いや、これ、前輪が盗難にあったのかもしれぬ。

日本でも、自転車が注目されるようになって、高級自転車を盗む話を最近聞くようになったけれど、自分の自転車がこんな目に会いたくはないよねぇ。
2013.12.04

フランクフルトのトラム

フランクフルトの駅前をトラムが通っている。
どの町でも、街を走るトラムは可愛らしく、絵になりやすい。
フランクフルト
マイン川をわたる橋付近を通るトラムにとりあえずレンズを向けて、撮りまくる。
フランクフルト
写真は、トラムの両側を通る車との戦いになる。
大きな車でも通ろうものなら、その影にトラムが隠れてしまうのだ。
フランクフルト
じっくり構えている時間も、考えている時間もないから、とりあえず撮る。
撮ってがっかりする事も多い。
考えるのは、後でパソコンの上にてというつもりで・・・。
フィルムの消費を考える必要の無いデジカメの便利さを実感するのである。
2013.12.03

シティ・ナイト・ラインで行くプラハ2

何時だったろうか?目覚ましとしか思えぬ大きな音が鳴る。
車内放送だ。
ベルリンだったような気もするし、その後だったような気もするが、おそらくベルリン到着前だったと思う。
シティ・ナイト・ライン
二度寝した後、客車のシャワーとは反対側まで通路を歩いて行き、朝食下さいと告げる。
告げる必要はなかったようだが、部屋番号を言うと、もってきてくれるとのこと。
シティ・ナイト・ライン
朝食ついでに、ベットを椅子に戻そうと不器用に頑張っていると、クルーのお姉さんが「どいて!」と。
テキパキと直してくれました。
シティ・ナイト・ライン
通過してゆく駅は、ドレスデン。
頭も冴えていないので、停まったのか?通過したのか?記憶にない。
シティ・ナイト・ライン
プラハはHolesovice(ホレショヴィツェ)駅にも停まる。
プラハだ!と慌てて降りようとすると、プラハは次よ!と隣部屋の乗客が教えてくれた。
かくして、パリ東京の飛行時間と同じくらいの11時間のシティ・ナイト・ライン列車の旅は終わる。
2013.12.02

カンタンのリネンの織物博物館へ

カンタンの町の中。
他の建物に溶け込むように、角の一軒屋がMaison du tisserand(メゾン・デュ・ティスラン)リネン博物館がある。
tisserandであるから、織物。
直訳すれば、織物の家という事になる。
カンタン
お昼は休みで、それとわからなかったのだが、午後になると、バスローブに、麻と思われる植物、そして、そこから作られた、縄のような糸のようなものが外に出ている。
カンタン
ここに違いないと恐る恐る入ってみる。
リネンのお土産やら、雑貨なんかのお店があるのかしら?と思ってきたら、そうした雰囲気が町にないだけに、ここだけがリネンの聖地の面影を残す場所という事になるのだ。