2013.12.31
今年一年ありがとうございました
2013.12.30
モネの家の花の終わり
モネの家は秋で終わるわけだが、花も終わりが近く、写真を撮ろうにも、寂しい状態である。
もちろん、こればかりじゃないから、ちゃんと花らしいところもある。
他で使わなかった残り写真に出番を分け与えておく。

モネの家といえば、浮世絵博物館。
自分の出身地が、浜松市なのだが、モネの家に、浜松と書かれた浮世絵があるのを見ると、Hamamatsuと発音できたかどうかはともかく、その風景が目に留まったに違いないと思うと、多少の縁を感じるのである。
歌川広重の東海道五十三次だったのだとは思うけれど、そんなところまで確認してこなかったなぁ。

消え行く花も、終わりであると同時に、来年へ向けての始まりでもあります。
そんな意味では、この、枯れつつある花の庭も、侘びなのかもしれません。
そういう意味では、枯れ行くほうが日本的なのかもしれません。

モネの家の出番のない写真たちは、まだまだ続きます。
もちろん、こればかりじゃないから、ちゃんと花らしいところもある。
他で使わなかった残り写真に出番を分け与えておく。

モネの家といえば、浮世絵博物館。
自分の出身地が、浜松市なのだが、モネの家に、浜松と書かれた浮世絵があるのを見ると、Hamamatsuと発音できたかどうかはともかく、その風景が目に留まったに違いないと思うと、多少の縁を感じるのである。
歌川広重の東海道五十三次だったのだとは思うけれど、そんなところまで確認してこなかったなぁ。

消え行く花も、終わりであると同時に、来年へ向けての始まりでもあります。
そんな意味では、この、枯れつつある花の庭も、侘びなのかもしれません。
そういう意味では、枯れ行くほうが日本的なのかもしれません。

モネの家の出番のない写真たちは、まだまだ続きます。
2013.12.29
ミイ・ラ・フォレの洗濯場とお城
ミイ・ラ・フォレを散策すると、ところどころに建造物の案内版がある。
この場所には、洗濯場とお城という看板が立っていた。
近くに教会もあるから、この町の中でも印象的な場所とも言える。
コクトー眠るサンブレーズ・デ・サンプル礼拝堂からは、町の反対側になるだろうか。

洗濯場というのは、あちらこちらで歴史的建造物としてお目にかかる。
共同洗濯場が好きなのではなく、残りやすかったのかもしれない・・・?
この案内版を読めば、19世紀に作られ、つい最近、大戦後に補修されたようなので、歴史的といっても古代の話じゃない。
物心ついたときには、洗濯機という三種の神器が一家に一台ある世代からすれば、隔世の感だろうが、お年寄り達にとっては、今も思い出の場に違いない。
残りやすいどころか、こないだまで現役だったのだ。
水門で水位を調節していたと書かれているが、運河を次々張り巡らし、川が交通路だった欧州では、こうした技術は一般的だったのに違いない。
日本は急流の川の氾濫との戦いであったから、土手を作った話が歴史話に多い。

向かいのお城は、いわゆる、コクトーの家だ。
もちろん、コクトーよりはるか前に立てられている。
跳ね橋の付いた防御性の高いお城は、13世紀に建てられ、100年戦争の後、15世紀に再建されたようだ。
これは、よく出るヴォーヴァンではなく、グラヴィル提督によって作られたようだ。
もっと古い時代ですね。
この人、どうも、ミイ・ラ・フォレの街中にある市場も建築しているようだから、この町の御領主さまだったのかも知れぬ。この人は、ジャンヌダルクの100年戦争後とフランスの文化の華が開くフワンソワ1世の間の時代に軍人として活躍した人ということになるわけですな。
この場所には、洗濯場とお城という看板が立っていた。
近くに教会もあるから、この町の中でも印象的な場所とも言える。
コクトー眠るサンブレーズ・デ・サンプル礼拝堂からは、町の反対側になるだろうか。

洗濯場というのは、あちらこちらで歴史的建造物としてお目にかかる。
共同洗濯場が好きなのではなく、残りやすかったのかもしれない・・・?
この案内版を読めば、19世紀に作られ、つい最近、大戦後に補修されたようなので、歴史的といっても古代の話じゃない。
物心ついたときには、洗濯機という三種の神器が一家に一台ある世代からすれば、隔世の感だろうが、お年寄り達にとっては、今も思い出の場に違いない。
残りやすいどころか、こないだまで現役だったのだ。
水門で水位を調節していたと書かれているが、運河を次々張り巡らし、川が交通路だった欧州では、こうした技術は一般的だったのに違いない。
日本は急流の川の氾濫との戦いであったから、土手を作った話が歴史話に多い。

向かいのお城は、いわゆる、コクトーの家だ。
もちろん、コクトーよりはるか前に立てられている。
跳ね橋の付いた防御性の高いお城は、13世紀に建てられ、100年戦争の後、15世紀に再建されたようだ。
これは、よく出るヴォーヴァンではなく、グラヴィル提督によって作られたようだ。
もっと古い時代ですね。
この人、どうも、ミイ・ラ・フォレの街中にある市場も建築しているようだから、この町の御領主さまだったのかも知れぬ。この人は、ジャンヌダルクの100年戦争後とフランスの文化の華が開くフワンソワ1世の間の時代に軍人として活躍した人ということになるわけですな。
2013.12.28
ニースのイルミネーションたち
2013.12.27
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの山上の城リベリア要塞へ2
2013.12.26
Villa Claude Monet ヴィラ・クロード・モネ
パリ19区のビュット・ショーモン公園の西側に閑静な住宅街がある。
この界隈をアメリック地区という。
その北側部分に閑静な計画された住宅街がある。
ダニューブエリアだ。

ここは、石畳の雰囲気の良い通りが多いのだが、どこを撮っても、同じような画になり、いったいどこだか分からない。
住んでいる人ならともかく、よほど立体的に地図を見れる人でなければ、今時分のいる場所が分からなくなるだろう。
しかし、パリは心配後無用。
通り名さえ分かれば、自分の現在地が分かる。
交差点の通り名二つ分かれば、確実だ。その意味では、京都とおんなじ。
その同じ雰囲気の通りが多い中に、モネの名前を冠する通りが。
クロードモネ通りといえば、ノルマンディーのジヴェルニーということになるが、パリにもあったのだ。
この界隈をアメリック地区という。
その北側部分に閑静な計画された住宅街がある。
ダニューブエリアだ。

ここは、石畳の雰囲気の良い通りが多いのだが、どこを撮っても、同じような画になり、いったいどこだか分からない。
住んでいる人ならともかく、よほど立体的に地図を見れる人でなければ、今時分のいる場所が分からなくなるだろう。
しかし、パリは心配後無用。
通り名さえ分かれば、自分の現在地が分かる。
交差点の通り名二つ分かれば、確実だ。その意味では、京都とおんなじ。
その同じ雰囲気の通りが多い中に、モネの名前を冠する通りが。
クロードモネ通りといえば、ノルマンディーのジヴェルニーということになるが、パリにもあったのだ。
2013.12.25
アミアン大聖堂の中へ
大聖堂の中に入る。
巨大な身廊の下には椅子画並んでいなかったので、その広大さが余計に強調される。

ここも、フェルメール風な床の模様。
南仏や南欧では、縞模様が良くあるが、こうした白黒の市松模様っぽいものは多いからフェルメールの絵に描かれることになったのだろう。

ガイドブックをちゃんと持っていくべきだった。
ここには、あの、ルーブル美術館その他でよく見かける、サロメと洗礼者ヨハネの首のテーマの絵の、ヨハネの首があるようなのだ。

どうも、観光というと、その目に見える形にとらわれて、不思議な場所にある建物、巨大建築に目を持っていかれがち。
エッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院、凱旋門、ルーヴル美術館、サクレクール寺院・・・。
それぞれ、宗教的に、歴史的に、時代的に、全く別になってくる。
そういう意味では、ガイドブックというのは大切かもしれませんね。
旅行ガイドブックという旅の指南書としてではなく、ある一冊の本として。
巨大な身廊の下には椅子画並んでいなかったので、その広大さが余計に強調される。

ここも、フェルメール風な床の模様。
南仏や南欧では、縞模様が良くあるが、こうした白黒の市松模様っぽいものは多いからフェルメールの絵に描かれることになったのだろう。

ガイドブックをちゃんと持っていくべきだった。
ここには、あの、ルーブル美術館その他でよく見かける、サロメと洗礼者ヨハネの首のテーマの絵の、ヨハネの首があるようなのだ。

どうも、観光というと、その目に見える形にとらわれて、不思議な場所にある建物、巨大建築に目を持っていかれがち。
エッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿、ノートルダム寺院、凱旋門、ルーヴル美術館、サクレクール寺院・・・。
それぞれ、宗教的に、歴史的に、時代的に、全く別になってくる。
そういう意味では、ガイドブックというのは大切かもしれませんね。
旅行ガイドブックという旅の指南書としてではなく、ある一冊の本として。
2013.12.24
ケルン大聖堂のステンドグラス
どうもカメラの調子がおかしい。
ピントを合わせに動いているのだが、ファインダーをのぞくとピントが合っていない。
まいったなぁと思いつつ、自分の目が疲れているかもしれない。
ステンドグラスにピントが合わないのだ。
シャッターを半押しして、カメラがピントが合ったと合図してくれるところで、シャッターを切る。
あとで、それでも写真が撮れているのか?パソコンで確認しようということにした。

とりあえず、写真がとれているようだ。
あの時だけ、おかしかったのか?目がよっぽど疲れていたのか?
撮った時は、はっきり見えていなかった、ケルンの大聖堂のステンドグラスも、なんだか、トランプを見ているかのような、クラシックなステンドグラスであったのだ。
ピントを合わせに動いているのだが、ファインダーをのぞくとピントが合っていない。
まいったなぁと思いつつ、自分の目が疲れているかもしれない。
ステンドグラスにピントが合わないのだ。
シャッターを半押しして、カメラがピントが合ったと合図してくれるところで、シャッターを切る。
あとで、それでも写真が撮れているのか?パソコンで確認しようということにした。

とりあえず、写真がとれているようだ。
あの時だけ、おかしかったのか?目がよっぽど疲れていたのか?
撮った時は、はっきり見えていなかった、ケルンの大聖堂のステンドグラスも、なんだか、トランプを見ているかのような、クラシックなステンドグラスであったのだ。
2013.12.23
ジヴェルニーのモネの家
随分と古い写真の内、ホームページでは使っていない写真で。
この時期には、モネの家はやっていない。
春から秋までなのだ。

庭の花々もいいのだが、同じ色でも、モネの家自体もいい。
ピンクの壁に緑のバルも可愛らしいが、中も、青壁や黄色など、色、にあふれている。
日本の家は、とかく、壁面は木目か白になりがちだけど、モネの家の色を見ていれば、自分も、そんなモネの部分を真似てみようか?と思ったりするのである。

日本人の自分にとって、モネの色とりどりの日本庭園という名の西洋庭園よりも、枯山水の方が好きだ。
派手好きの自分にとって、こんな色とりどりの風景も、楽しい気持ちにさせてくれる。
こりゃ、絵のための庭造りじゃないな。
モネが、庭いじりと、色とりどりの庭を空想するのを、好きだったに違いない。
咲いて出来上がった庭は、誰かに見せねば意味がない。
人を呼び、絵に描く。
どうだぁ!と。
今の時代に生きていれば、コスプレの世界にいたかもしれぬ。
この時期には、モネの家はやっていない。
春から秋までなのだ。

庭の花々もいいのだが、同じ色でも、モネの家自体もいい。
ピンクの壁に緑のバルも可愛らしいが、中も、青壁や黄色など、色、にあふれている。
日本の家は、とかく、壁面は木目か白になりがちだけど、モネの家の色を見ていれば、自分も、そんなモネの部分を真似てみようか?と思ったりするのである。

日本人の自分にとって、モネの色とりどりの日本庭園という名の西洋庭園よりも、枯山水の方が好きだ。
派手好きの自分にとって、こんな色とりどりの風景も、楽しい気持ちにさせてくれる。
こりゃ、絵のための庭造りじゃないな。
モネが、庭いじりと、色とりどりの庭を空想するのを、好きだったに違いない。
咲いて出来上がった庭は、誰かに見せねば意味がない。
人を呼び、絵に描く。
どうだぁ!と。
今の時代に生きていれば、コスプレの世界にいたかもしれぬ。
2013.12.22
ミイ・ラ・フォレ コクトーの家
2013.12.21
ニースの夜
2013.12.20
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン脇を抜ける線路
2013.12.19
パリ中華街の青 Avenue d'Ivry イヴリー通り
2013.12.18
ガトーバッチュを食らう
アミアンで、土地の名物を手に入れようと思ったら、アミアンの大聖堂横のお土産屋で巨大なお菓子が売っていた。
クグロフのパンケーキ版みたいな、カヌレの柔らか巨大版みたいなものだ。
ガトーバッチュGateau battuというらしい。
アミアンのガトーバッチュでもいいし、ピカルディ地方のガトーバッチュといっても良いみたいだ。
要するにこの地方の食べ物。

あまりに巨大だから、とても一人で食べきれぬ。
一旦パリに持ち帰り、次の日シャンティイ競馬場へ持ち運び、大人数で食う事に。
どうやら、形を維持して持ち運べた。ちょっと崩れかかっているけれど。
写真を撮っていない事に気がつき、競馬場でとりあえず。
ナイフも持っていないから、手でちぎって食べる。
ほんのり甘いスポンジケーキを食っているようだ。
要するに小麦とたまご、塩、砂糖、バターっていうやつなのだろう。
味というより、形が特別なものなのだ。
折角同じピカルディ地方のシャンティイだったのだから、ガトーバッチュにシャンティイクリーム乗っけて、ピカルディー三昧デザートでも良かったかもしれない。
クグロフのパンケーキ版みたいな、カヌレの柔らか巨大版みたいなものだ。
ガトーバッチュGateau battuというらしい。
アミアンのガトーバッチュでもいいし、ピカルディ地方のガトーバッチュといっても良いみたいだ。
要するにこの地方の食べ物。

あまりに巨大だから、とても一人で食べきれぬ。
一旦パリに持ち帰り、次の日シャンティイ競馬場へ持ち運び、大人数で食う事に。
どうやら、形を維持して持ち運べた。ちょっと崩れかかっているけれど。
写真を撮っていない事に気がつき、競馬場でとりあえず。
ナイフも持っていないから、手でちぎって食べる。
ほんのり甘いスポンジケーキを食っているようだ。
要するに小麦とたまご、塩、砂糖、バターっていうやつなのだろう。
味というより、形が特別なものなのだ。
折角同じピカルディ地方のシャンティイだったのだから、ガトーバッチュにシャンティイクリーム乗っけて、ピカルディー三昧デザートでも良かったかもしれない。
2013.12.17
ケルンのホーエンツォレルン橋の南京錠
ケルンの大聖堂の撮影ポイントといえば、ホーエンツォレルン橋越しの画である。
この橋、あの愛の南京錠で有名な橋ですが、撤去とか、撤去反対とか、さまざまな苦難?を乗り越えた、観光スポットになってます。

この橋、鉄道橋。
そもそも、鉄道の橋を人が渡れるの?って思ったものの杞憂。
両端は歩道になってました。
折角鉄道橋なので、通り過ぎる、ドイツらしい、赤い国鉄と南京錠。
日本でも恋人の季節が近づいてきましたが、12月ですから、もうドイツはクリスマスでしょう。
日本でもこうした場所あるようですが、そんなに流行ってはいないようですね。
日本には絵馬ありますから。
パリも、セーヌ川のポンデザール、ソルフェリーノ橋等々、南京錠名所ができたようですが、パリを訪れた人達によって、つけられたのでしょうか?
パリと愛の南京錠のイメージはしっくりきても、フランス人と南京錠は、完全に正反対のイメージ。
個人的には、鍵かけるという束縛感がなんとも嫌なんですが、名所では被写体としてはいいのかもしれません。
被写体にしている限りは、こちらがとても自由の身であるように感じられます。
この橋、あの愛の南京錠で有名な橋ですが、撤去とか、撤去反対とか、さまざまな苦難?を乗り越えた、観光スポットになってます。

この橋、鉄道橋。
そもそも、鉄道の橋を人が渡れるの?って思ったものの杞憂。
両端は歩道になってました。
折角鉄道橋なので、通り過ぎる、ドイツらしい、赤い国鉄と南京錠。
日本でも恋人の季節が近づいてきましたが、12月ですから、もうドイツはクリスマスでしょう。
日本でもこうした場所あるようですが、そんなに流行ってはいないようですね。
日本には絵馬ありますから。
パリも、セーヌ川のポンデザール、ソルフェリーノ橋等々、南京錠名所ができたようですが、パリを訪れた人達によって、つけられたのでしょうか?
パリと愛の南京錠のイメージはしっくりきても、フランス人と南京錠は、完全に正反対のイメージ。
個人的には、鍵かけるという束縛感がなんとも嫌なんですが、名所では被写体としてはいいのかもしれません。
被写体にしている限りは、こちらがとても自由の身であるように感じられます。
2013.12.16
カンタン リネン博物館をあとにして
2013.12.15
コクトー眠るミイ・ラ・フォレのチャペル・サンブレーズ・デ・サンプル
2013.12.14
ニースの海辺にて
2013.12.13
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの山上の城リベリア要塞へ1
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランは、山の谷間にある。
城壁によって防御されているが、とんでもないほどの難攻不落の町ではあるまい。
攻めてくる軍隊を足止めできれば良い。
土地勘のある籠城軍をほったらかしにすれば、背後を突かれる可能性もあるから、ほったらかしにはできぬ。
時間が掛かれば、この辺りなら、カルカッソンヌやトゥールーズといった町からの援軍が到達できる。

山の上には、見張り台があるのか?
いやいや、お城があるらしい。
テ川を挟んだ山上に城があれば、テ川からこの町を攻撃するのはつらい。
お城と町は掎角の位置関係にあるのだ。
双方同時に攻撃をかけねば成らぬ。
そんなことを考えつつ、あの山城へ登ってみることにした。
城壁によって防御されているが、とんでもないほどの難攻不落の町ではあるまい。
攻めてくる軍隊を足止めできれば良い。
土地勘のある籠城軍をほったらかしにすれば、背後を突かれる可能性もあるから、ほったらかしにはできぬ。
時間が掛かれば、この辺りなら、カルカッソンヌやトゥールーズといった町からの援軍が到達できる。

山の上には、見張り台があるのか?
いやいや、お城があるらしい。
テ川を挟んだ山上に城があれば、テ川からこの町を攻撃するのはつらい。
お城と町は掎角の位置関係にあるのだ。
双方同時に攻撃をかけねば成らぬ。
そんなことを考えつつ、あの山城へ登ってみることにした。
2013.12.12
Rue Henri Nogueres アンリ・ノゲール通りの壁画
パリ19区の南半分。
サンマルタン運河の、バッサン・ドゥ・ラ・ヴィレットから伸びる車の通れない道が壁画で飾られている。

通りの名は、アンリ・ノゲール通り。
通り名看板によれば、ジャーナリストで、レスタンス、そして、人権の会の会長を10年ほどやっていた人の名を冠する通り。1990年に亡くなった人なのだそうだから、つい最近の方といっていいのだろう。

運河沿いを歩いていたら、目の覚めるような鮮やかさ?
いやいや、一瞬目を向けてしまう、カラフルな落書き通り。
この辺りの治安は、とっても悪いのか?一瞬そんなことが頭をよぎる視界の先である。
よくよく見ると、落書きらしき上に、ライトブルーの背景が塗られ、そこに絵が描かれている。
2013とか書かれているので、今年描かれたものなのだろうか?
まっ平な広いコンクリート壁は、ほぼ全てキャンバスと化すのがパリの常である。
ユトリロの白壁も、佐伯祐三のポスターの壁も、今の時代なら、カラフルな壁画と落書きの壁が描かれたのだろうか?
サンマルタン運河の、バッサン・ドゥ・ラ・ヴィレットから伸びる車の通れない道が壁画で飾られている。

通りの名は、アンリ・ノゲール通り。
通り名看板によれば、ジャーナリストで、レスタンス、そして、人権の会の会長を10年ほどやっていた人の名を冠する通り。1990年に亡くなった人なのだそうだから、つい最近の方といっていいのだろう。

運河沿いを歩いていたら、目の覚めるような鮮やかさ?
いやいや、一瞬目を向けてしまう、カラフルな落書き通り。
この辺りの治安は、とっても悪いのか?一瞬そんなことが頭をよぎる視界の先である。
よくよく見ると、落書きらしき上に、ライトブルーの背景が塗られ、そこに絵が描かれている。
2013とか書かれているので、今年描かれたものなのだろうか?
まっ平な広いコンクリート壁は、ほぼ全てキャンバスと化すのがパリの常である。
ユトリロの白壁も、佐伯祐三のポスターの壁も、今の時代なら、カラフルな壁画と落書きの壁が描かれたのだろうか?
2013.12.11
アミアン大聖堂
2013.12.10
ケルンにて
パリからケルンへタリスで出た後、夜行でプラハに向かうのだが、ケルンの乗り換え時間の間に、駅前をぶらつくことに。
ケルンの駅のコインロッカーは、自動式。
預けた荷物は地下かどこかへ格納されるのだろう。
あれなら、コインロッカーの地上のスペースが限られていても、大量の荷物を預かることができる。
預けに来る人は多いから、みていれば、やり方はわかる。
多くの人が、荷物を預けに来るのだ。
きっと、この駅の目の前にそびえる、ケルンの大聖堂が目的の人が多いに違いない。
ここで乗り換える間に行って来ようというわけだ。

折角だから、川の反対側へ渡って、写真を撮ろう。
ケルンを少しぶらつこう。
そう思って、朝早いタリスでパリを出る。
昼にソーセージをパクつき、ぶらぶらした後、ネットをやって、大聖堂に入って、晩飯をとって、夜行へ乗る。
川まで来ると、鉄橋が伸びている。
さて、あれを渡りますか!
ケルンの駅のコインロッカーは、自動式。
預けた荷物は地下かどこかへ格納されるのだろう。
あれなら、コインロッカーの地上のスペースが限られていても、大量の荷物を預かることができる。
預けに来る人は多いから、みていれば、やり方はわかる。
多くの人が、荷物を預けに来るのだ。
きっと、この駅の目の前にそびえる、ケルンの大聖堂が目的の人が多いに違いない。
ここで乗り換える間に行って来ようというわけだ。

折角だから、川の反対側へ渡って、写真を撮ろう。
ケルンを少しぶらつこう。
そう思って、朝早いタリスでパリを出る。
昼にソーセージをパクつき、ぶらぶらした後、ネットをやって、大聖堂に入って、晩飯をとって、夜行へ乗る。
川まで来ると、鉄橋が伸びている。
さて、あれを渡りますか!
2013.12.09
カンタン リネン博物館
リネンの博物館には、リネンがどうやって作られていたのか?が展示されている。
繊維を取り出して、紡いで、織るのだ。

こちらで案内してくれた方は、なんと、英国の人だった。
リネンが好きで来たのだそうだ。ビックリ。

現在は、この辺りがリネンの中心地であるわけではないそうだ。
ノルマンディの北部、オート・ノルマンディ地方がフランスリネンの中心地。

世界一のリネン大国は、中国。フランスは3番目らしい。
フランスリネンの中心地は、Doudevilleドゥードゥヴィルということだ。

こちらで、いろんなリネンの作品をつくっているのだそうだ。
リネンの博物館。そして、リネン通り。
これだけが、カンタンがリネンの里である、わずかな軌跡ということになる。
繊維を取り出して、紡いで、織るのだ。

こちらで案内してくれた方は、なんと、英国の人だった。
リネンが好きで来たのだそうだ。ビックリ。

現在は、この辺りがリネンの中心地であるわけではないそうだ。
ノルマンディの北部、オート・ノルマンディ地方がフランスリネンの中心地。

世界一のリネン大国は、中国。フランスは3番目らしい。
フランスリネンの中心地は、Doudevilleドゥードゥヴィルということだ。

こちらで、いろんなリネンの作品をつくっているのだそうだ。
リネンの博物館。そして、リネン通り。
これだけが、カンタンがリネンの里である、わずかな軌跡ということになる。
2013.12.08
ミイ・ラ・フォレのサンブレーズ教会
2013.12.07
ニースのカーニバル 花合戦
ニースのカーニヴァル。
花合戦の写真を一気に。

Bataille de Fleurs(バタイユ・ドゥ・フルール)
バタイユ(戦い)というだけあって、山車ごとに、これでもか!と花を飾る。

華やかともいえるし、えげつないほどに花とも見える。

和装っぽいのもあります。

シャンゼリゼのパレードでなくとも、馬は登場します。

この時期に訪れれば、通りがかりでも、チケット買って中へ入っていけます。

人人人ですから、写真を撮るのは大変。
少しでも足場になるものがあれば、皆その上に乗ってデジカメを構えます。

もう一つの敵は、太陽。
逆光との戦い。

向こうの海側にある座席。
海側だけに席がありますが、なるほど、向こう側からなら、逆光にならないんですね。

雰囲気を味わって、しばし観覧したら、途中退席。

2014年のカーニバルもあと2ヶ月。
2月14日から3月4日まで行われる模様。
花合戦の写真を一気に。

Bataille de Fleurs(バタイユ・ドゥ・フルール)
バタイユ(戦い)というだけあって、山車ごとに、これでもか!と花を飾る。

華やかともいえるし、えげつないほどに花とも見える。

和装っぽいのもあります。

シャンゼリゼのパレードでなくとも、馬は登場します。

この時期に訪れれば、通りがかりでも、チケット買って中へ入っていけます。

人人人ですから、写真を撮るのは大変。
少しでも足場になるものがあれば、皆その上に乗ってデジカメを構えます。

もう一つの敵は、太陽。
逆光との戦い。

向こうの海側にある座席。
海側だけに席がありますが、なるほど、向こう側からなら、逆光にならないんですね。

雰囲気を味わって、しばし観覧したら、途中退席。

2014年のカーニバルもあと2ヶ月。
2月14日から3月4日まで行われる模様。
2013.12.06
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランで強烈な胃痛に!
ヴィルフランシュ・ド・コンフランの村をぶらぶらした後、レストランで昼食をとった。
ここで、猛烈な胃痛に襲われた。
こんな胃痛は記憶にないほどだし、普段胃痛に悩まされることも稀だ。
今回は、パリにいる時点でも、胃痛で、薬局にお世話になったから、それの再発ということなのだろう。
留学中に、クラスの胃痛の男の子に対して、皆々がコーラを飲め!と勧めていたことを思い出し、食べ物はそっちのけで、コーラを注文。

フランスの薬局では、処方箋がないと買えないと聞いたことがあるけれど、胃薬ぐらいは買うことができるようだ。
平たい大きなラムネみたいな、かみ砕く式の胃薬をパリで手に入れたのだが、これは、ペルピニャンの宿まで行かないとない。
一向に良くなる気配はないが、1時間ほどぐったりすると、歩けるほどにはなった。
ここで、猛烈な胃痛に襲われた。
こんな胃痛は記憶にないほどだし、普段胃痛に悩まされることも稀だ。
今回は、パリにいる時点でも、胃痛で、薬局にお世話になったから、それの再発ということなのだろう。
留学中に、クラスの胃痛の男の子に対して、皆々がコーラを飲め!と勧めていたことを思い出し、食べ物はそっちのけで、コーラを注文。

フランスの薬局では、処方箋がないと買えないと聞いたことがあるけれど、胃薬ぐらいは買うことができるようだ。
平たい大きなラムネみたいな、かみ砕く式の胃薬をパリで手に入れたのだが、これは、ペルピニャンの宿まで行かないとない。
一向に良くなる気配はないが、1時間ほどぐったりすると、歩けるほどにはなった。
2013.12.05
ノートルダム寺院の脇にて
夕方、ノートルダム寺院へ向かって散歩。
ノートルダム寺院は西側を向いているから、西日に照らされてオレンジ色に輝いていた。
川を渡って、反対側へ行くと、カフェでは、ビール、ビール、パナシェ、モナコで、皆様夕涼み中。

そんな脇に、壊れたチャリが放置されていた。
いや、この国は、自転車泥棒対策で、いろんなものを外して行くから、前輪を持って行ったのかもしれない。
これなら盗まれまい。
サドルを盗難防止で大きな袋に入れて持っていく人もいる。
サドルをいいものに変えている人もいるしね。
それにしても、前輪を持ってゆくなんてねぇ。
いや、これ、前輪が盗難にあったのかもしれぬ。
日本でも、自転車が注目されるようになって、高級自転車を盗む話を最近聞くようになったけれど、自分の自転車がこんな目に会いたくはないよねぇ。
ノートルダム寺院は西側を向いているから、西日に照らされてオレンジ色に輝いていた。
川を渡って、反対側へ行くと、カフェでは、ビール、ビール、パナシェ、モナコで、皆様夕涼み中。

そんな脇に、壊れたチャリが放置されていた。
いや、この国は、自転車泥棒対策で、いろんなものを外して行くから、前輪を持って行ったのかもしれない。
これなら盗まれまい。
サドルを盗難防止で大きな袋に入れて持っていく人もいる。
サドルをいいものに変えている人もいるしね。
それにしても、前輪を持ってゆくなんてねぇ。
いや、これ、前輪が盗難にあったのかもしれぬ。
日本でも、自転車が注目されるようになって、高級自転車を盗む話を最近聞くようになったけれど、自分の自転車がこんな目に会いたくはないよねぇ。
2013.12.04
フランクフルトのトラム
2013.12.03
シティ・ナイト・ラインで行くプラハ2
何時だったろうか?目覚ましとしか思えぬ大きな音が鳴る。
車内放送だ。
ベルリンだったような気もするし、その後だったような気もするが、おそらくベルリン到着前だったと思う。

二度寝した後、客車のシャワーとは反対側まで通路を歩いて行き、朝食下さいと告げる。
告げる必要はなかったようだが、部屋番号を言うと、もってきてくれるとのこと。

朝食ついでに、ベットを椅子に戻そうと不器用に頑張っていると、クルーのお姉さんが「どいて!」と。
テキパキと直してくれました。

通過してゆく駅は、ドレスデン。
頭も冴えていないので、停まったのか?通過したのか?記憶にない。

プラハはHolesovice(ホレショヴィツェ)駅にも停まる。
プラハだ!と慌てて降りようとすると、プラハは次よ!と隣部屋の乗客が教えてくれた。
かくして、パリ東京の飛行時間と同じくらいの11時間のシティ・ナイト・ライン列車の旅は終わる。
車内放送だ。
ベルリンだったような気もするし、その後だったような気もするが、おそらくベルリン到着前だったと思う。

二度寝した後、客車のシャワーとは反対側まで通路を歩いて行き、朝食下さいと告げる。
告げる必要はなかったようだが、部屋番号を言うと、もってきてくれるとのこと。

朝食ついでに、ベットを椅子に戻そうと不器用に頑張っていると、クルーのお姉さんが「どいて!」と。
テキパキと直してくれました。

通過してゆく駅は、ドレスデン。
頭も冴えていないので、停まったのか?通過したのか?記憶にない。

プラハはHolesovice(ホレショヴィツェ)駅にも停まる。
プラハだ!と慌てて降りようとすると、プラハは次よ!と隣部屋の乗客が教えてくれた。
かくして、パリ東京の飛行時間と同じくらいの11時間のシティ・ナイト・ライン列車の旅は終わる。
2013.12.02