2013.11.30
コアラズ村全景
2013.11.29
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの路地
2013.11.28
Rue Campagne Premiere カンパーニュ・プルミエール通りのアトリエ建築
パリ14区はモンパルナス。
モンマルトル同様、モンパルナスも芸術家の溜まり場となった。
そんなモンパルナスの一角にアトリエ建築の多いエリアがある。
その一つ、カンパーニュ・プルミエール通りに派手な、アトリエ建築がある。

以前、この通りの裏通り、地獄小路Passage d'Enferを紹介したことがあるが、カンパーニュ・プルミエール通りが表側。
この建築物は、アンドレ・アルフヴィドソン(Andre Arfvidson)の建築。
アールヌーボー、アールデコ折衷らしいのだが、正直、ワニ皮の靴でも連想しそうなデザインだ。
アトリエのために、窓が高く大きいのだけれど、アトリエじゃなくたって、大きな窓はいいなぁと思うのだ。
光は多いほうが良い。
こんなにでかい窓じゃ、外から見られそうで嫌だ!とおっしゃる人もいるんでしょう。
この通り、この建物、マン・レイなんかも住んでいたみたいですが、他も、イヴクライン、藤田、キスリング、エリック・サティなどなど、多くの芸術家が生活していた模様。
集まれば、刺激も多い。
おれは、この方法で、世に打って出る!と思ったり、これは良いヒントをもらった!って思いながら、この通りを行き交っていたのだと思いを馳せながら、今、自分が、通り過ぎてゆく。
モンマルトル同様、モンパルナスも芸術家の溜まり場となった。
そんなモンパルナスの一角にアトリエ建築の多いエリアがある。
その一つ、カンパーニュ・プルミエール通りに派手な、アトリエ建築がある。

以前、この通りの裏通り、地獄小路Passage d'Enferを紹介したことがあるが、カンパーニュ・プルミエール通りが表側。
この建築物は、アンドレ・アルフヴィドソン(Andre Arfvidson)の建築。
アールヌーボー、アールデコ折衷らしいのだが、正直、ワニ皮の靴でも連想しそうなデザインだ。
アトリエのために、窓が高く大きいのだけれど、アトリエじゃなくたって、大きな窓はいいなぁと思うのだ。
光は多いほうが良い。
こんなにでかい窓じゃ、外から見られそうで嫌だ!とおっしゃる人もいるんでしょう。
この通り、この建物、マン・レイなんかも住んでいたみたいですが、他も、イヴクライン、藤田、キスリング、エリック・サティなどなど、多くの芸術家が生活していた模様。
集まれば、刺激も多い。
おれは、この方法で、世に打って出る!と思ったり、これは良いヒントをもらった!って思いながら、この通りを行き交っていたのだと思いを馳せながら、今、自分が、通り過ぎてゆく。
2013.11.27
フランクフルト駅夜景
2013.11.26
シティナイトラインで行くプラハ1
フランスの鉄道ではないが、このカテゴリーへ。
パリからベルリンへ行く、シティナイトラインもあるようだ。
今回は、アムステルダム発プラハ行きを途中のケルンから乗車する。
夜中前に乗り込んで、翌日の朝9時過ぎにプラハに到着する。
ケルン駅の行き先表示を確認し、ホームに貼ってある、自分の客車の停車位置を確認する。
7番線のアルファベットAの位置付近ということだ。

ケルン始発じゃないから、入線してきた列車をゆっくり写真撮っている暇は無い。
どこに自分の客車がとまるのか?確認していない人がたくさんいるから、車掌さんは、質問攻めに。
チケット確認してもらうと、いよいよ、1等個室寝台の客車へ登る。

部屋は結構狭い。スーツケースを置けば、足の踏み場は限られる。
右手奥の木の扉は、開けたら洗面所になっている。

既に準備されているベットは2階席の方が揺れないようだった。
ドルトムントなどに停車しながら、ドイツ国内を進む。
ベルリン経由でプラハに向うようだ。

客車の端に、トイレとシャワーが設置されている。
自身の部屋の開け閉めも、トイレ、シャワールームの開け閉めも、シャワールームの電気をつけるのも、カードキーが必要だ。
どうやって開けたらいいのか?ガチャガチャやってたら、別の乗客のお兄さんが、「おそらく、鍵が必要だと思うよ!」と教えてくれた。
悪戦苦闘も楽しみながら、夜行列車の旅は進行してゆき、そして知らぬ間に、夢の中へ誘われていた。
パリからベルリンへ行く、シティナイトラインもあるようだ。
今回は、アムステルダム発プラハ行きを途中のケルンから乗車する。
夜中前に乗り込んで、翌日の朝9時過ぎにプラハに到着する。
ケルン駅の行き先表示を確認し、ホームに貼ってある、自分の客車の停車位置を確認する。
7番線のアルファベットAの位置付近ということだ。

ケルン始発じゃないから、入線してきた列車をゆっくり写真撮っている暇は無い。
どこに自分の客車がとまるのか?確認していない人がたくさんいるから、車掌さんは、質問攻めに。
チケット確認してもらうと、いよいよ、1等個室寝台の客車へ登る。

部屋は結構狭い。スーツケースを置けば、足の踏み場は限られる。
右手奥の木の扉は、開けたら洗面所になっている。

既に準備されているベットは2階席の方が揺れないようだった。
ドルトムントなどに停車しながら、ドイツ国内を進む。
ベルリン経由でプラハに向うようだ。

客車の端に、トイレとシャワーが設置されている。
自身の部屋の開け閉めも、トイレ、シャワールームの開け閉めも、シャワールームの電気をつけるのも、カードキーが必要だ。
どうやって開けたらいいのか?ガチャガチャやってたら、別の乗客のお兄さんが、「おそらく、鍵が必要だと思うよ!」と教えてくれた。
悪戦苦闘も楽しみながら、夜行列車の旅は進行してゆき、そして知らぬ間に、夢の中へ誘われていた。
2013.11.25
リネンの里カンタンのリネン通り
2013.11.24
ミイ・ラ・フォレのバスターミナル
随分と前に、ミイ・ラ・フォレにバスで向うネタを載せたのだが、その続き。
水曜日には、帰りのバスがなく、歩いてかえる羽目になったという話だった。
そのRERの駅から乗ってきたバスが到着するのが、このバスターミナル。
ここで乗り換えて、クーランス城などへ向おうか?ぐらいに考えていたのに、それどころではなかった。

目の前を走る通りに背を向けて歩いていけば、ミイ・ラ・フォレの町へ入ってゆく。
目の前の通りの先は、ひなげしの花が一面に揺れていた。

最悪歩けばいいという頭があるからか?
悲劇はあまり考えぬように頭が出来ているからか?
早朝からやってきたミイ・ラ・フォレを堪能しようと、とりあえず、目の前の赤い花々を写真に収めるのであった。
水曜日には、帰りのバスがなく、歩いてかえる羽目になったという話だった。
そのRERの駅から乗ってきたバスが到着するのが、このバスターミナル。
ここで乗り換えて、クーランス城などへ向おうか?ぐらいに考えていたのに、それどころではなかった。

目の前を走る通りに背を向けて歩いていけば、ミイ・ラ・フォレの町へ入ってゆく。
目の前の通りの先は、ひなげしの花が一面に揺れていた。

最悪歩けばいいという頭があるからか?
悲劇はあまり考えぬように頭が出来ているからか?
早朝からやってきたミイ・ラ・フォレを堪能しようと、とりあえず、目の前の赤い花々を写真に収めるのであった。
2013.11.23
コアラズ村の路地散策
2013.11.22
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの景色
2013.11.21
Square Taras-Chevtchenko タラス・シェフチェンコ広場で一休み
ウラジミール・ル・グラン教会の脇、サン・ジェルマン大通りに面した小さなスペースがある。
オルセー美術館付近から、ブラブラ歩いてきて、手元にあった、朝飯のパンをかじるため、公園の中に入った。
外は道行く人が多いが、中には、おばちゃんが1人、真剣な顔つきで、仕事か何かの電話中。
隣に教会があったが、入れる感じではないので、脇から入れるのか?ということもあって、このスペースに入ってみた。

きっと、あの白い扉が入り口なのだろう。
この広場の名前の由来は、タラス・シェフチェンコというウクライナの文豪。
と、公園名の看板に書かれている。
教会脇に銅像も立っている。
きっと、教会もウクライナ系なのだろう。
おそらく、ウラジミール・ル・グランは、キエフ大公ウラジミール1世のことだ。
オルセー美術館付近から、ブラブラ歩いてきて、手元にあった、朝飯のパンをかじるため、公園の中に入った。
外は道行く人が多いが、中には、おばちゃんが1人、真剣な顔つきで、仕事か何かの電話中。
隣に教会があったが、入れる感じではないので、脇から入れるのか?ということもあって、このスペースに入ってみた。

きっと、あの白い扉が入り口なのだろう。
この広場の名前の由来は、タラス・シェフチェンコというウクライナの文豪。
と、公園名の看板に書かれている。
教会脇に銅像も立っている。
きっと、教会もウクライナ系なのだろう。
おそらく、ウラジミール・ル・グランは、キエフ大公ウラジミール1世のことだ。
2013.11.20
フランクフルト散策 シュテーデル美術館へ
帰国をパリではなく、フランクフルトにするのが2回目なのだが、2回目だから空港ホテルではなく、中央駅前に宿をとった。その最大の理由が、シュテーデル美術館へフェルメールを見に行くためであった。

目の前の歩道橋が渡れないので、迂回するというのは先週書いたが、楽しい楽しい、並木歩道が待っていた。
目が中央に寄ってしまいそうで、何度も目をこすりたくなるようなトンネルだ。

美術館に着いたのだが、どこが入り口なのか分からない。
グルッと一週回って、脇にある入り口から入る。
正面までやってきたところに、美術館の人が。
「クローズ!」
月曜はお休みだったのだ。
ガイドブックで調べず、ネットで調べず、地図を持たず。入れず、見れず。

目の前の歩道橋が渡れないので、迂回するというのは先週書いたが、楽しい楽しい、並木歩道が待っていた。
目が中央に寄ってしまいそうで、何度も目をこすりたくなるようなトンネルだ。

美術館に着いたのだが、どこが入り口なのか分からない。
グルッと一週回って、脇にある入り口から入る。
正面までやってきたところに、美術館の人が。
「クローズ!」
月曜はお休みだったのだ。
ガイドブックで調べず、ネットで調べず、地図を持たず。入れず、見れず。
2013.11.19
パルドゥビツェの秋
2013.11.18
カンタン散策
2013.11.17
ランスの世界遺産サン・レミ修道院博物館
サン・レミ聖堂の隣にあるサン・レミ修道院。
ここも世界遺産になっている。隣と合わせてということなのだろう。
教会脇から中庭へ入ってゆくと、隣の教会のファサードが少し顔を覗かせている。

博物館になっているのだが、展示している館内に入るには、回廊をぬけてゆく。
そういう道順にしてくれてあるといっていいのだろう。

重たい扉を開いて中に入ると、結構なボリュームの、彫像物の置かれた博物館になっている。
ランスといえば、藤田嗣治とジャンヌ・ダルク、そして、クロヴィスと聖レミギウスということになる。
その、クロヴィスからの歴史を知っていたなら、それなりには楽しめる博物館になっている。
メロヴィング朝、カロリング朝・・・って何?となってしまうと、古臭いものだけが並んでいる博物館にしかならぬであろう。でも、ちょっと、そんな知識を入れていったら、それなりに楽しめるような、時代案内板付き展示になっている。

それでも、下から、上から、回廊を眺めて散歩していると思えば、修道院というより、まるで宮殿にいるような気分を味わえる。
ここも世界遺産になっている。隣と合わせてということなのだろう。
教会脇から中庭へ入ってゆくと、隣の教会のファサードが少し顔を覗かせている。

博物館になっているのだが、展示している館内に入るには、回廊をぬけてゆく。
そういう道順にしてくれてあるといっていいのだろう。

重たい扉を開いて中に入ると、結構なボリュームの、彫像物の置かれた博物館になっている。
ランスといえば、藤田嗣治とジャンヌ・ダルク、そして、クロヴィスと聖レミギウスということになる。
その、クロヴィスからの歴史を知っていたなら、それなりには楽しめる博物館になっている。
メロヴィング朝、カロリング朝・・・って何?となってしまうと、古臭いものだけが並んでいる博物館にしかならぬであろう。でも、ちょっと、そんな知識を入れていったら、それなりに楽しめるような、時代案内板付き展示になっている。

それでも、下から、上から、回廊を眺めて散歩していると思えば、修道院というより、まるで宮殿にいるような気分を味わえる。
2013.11.16
コアラズ寸景
2013.11.15
Cite Annibal シテ・アニバル
パリ14区にある行き止まりの道。
この通りは、何かいわれがあるわけでもなく、単なる道。
そんな道を奥深く入っていってみる。

奥には、建物脇からのぞく緑と少し日の当たる明るい場所が浮かび上がっている。
それ以外はちょっと日が当たらないような暗さに包まれている。

そんな通りから、ふと、大通りの方を振り返ってみると、明らかに下界と区切られた空間にいることが分かる。
下界は明るい。
あそこからパリが始まるのであって、あそこまでは住居空間なのだ。

このシテという通り、いわば、家の中を縦貫する廊下なのだ。
左右に部屋があるのである。
中庭もそうだが、こうやって、パリは、より個の空間へいざなわれてゆくのである。
だから、こんな行き止まりの通りへ入ってしまうと、間の悪さを感じるのである。
この通りは、何かいわれがあるわけでもなく、単なる道。
そんな道を奥深く入っていってみる。

奥には、建物脇からのぞく緑と少し日の当たる明るい場所が浮かび上がっている。
それ以外はちょっと日が当たらないような暗さに包まれている。

そんな通りから、ふと、大通りの方を振り返ってみると、明らかに下界と区切られた空間にいることが分かる。
下界は明るい。
あそこからパリが始まるのであって、あそこまでは住居空間なのだ。

このシテという通り、いわば、家の中を縦貫する廊下なのだ。
左右に部屋があるのである。
中庭もそうだが、こうやって、パリは、より個の空間へいざなわれてゆくのである。
だから、こんな行き止まりの通りへ入ってしまうと、間の悪さを感じるのである。
2013.11.14
ニッシム・ド・カモンド美術館
8区にあるモンソー公園に散歩に行く。
ここはパリの大きな公園のなかでは、もっとも人口密度が高いんじゃないか?と思わせるほど、憩う人たちであふれている。
チュイルリー公園は観光客であふれるが、こちらは地元の人といった趣。

そんな公園裏に建つ貴族の邸宅が、ニッシム・ド・カモンド美術館。
たいした知識もガイドも持たず、やって来たため、詳しい内容は分からないけれど、散歩の延長だから、頑張って完勝せずともよかろうと、ぶらぶら回遊。

上は、青のサロン。
磁器も薄青の物が多く、柱は緑が勝ったブルー。
気に入った色は絨毯の青だ。
時間が経ってこの色なのだろうけれど、真新しいときは、青がもっと輝いていたに違いない。
今も、品のある青い輝き。

中へ入ると、クロークを通り、さて、階段を上ったものか?それとも、地上階を回るべきか?
そんな事を考えていたのだが、上を回ってから、キッチンへ行った方が良いわよ!と声をかけられた。
どうやら、このキッチンは見学場所としては、随分人気のようだ。
回ってゆく人が、ここにとどまる時間が最も長く、みなさん、写真を撮ってゆく。
銅製の鍋類は管理が大変なんだろうけれど、仕事で使うなら、また別なのかも知れぬ。
きっと、いい料理ができるに違いない。

まるで、フェルメールの絵のような市松模様の廊下をぬけ、再びモンソー公園へ散歩は続く。
ここはパリの大きな公園のなかでは、もっとも人口密度が高いんじゃないか?と思わせるほど、憩う人たちであふれている。
チュイルリー公園は観光客であふれるが、こちらは地元の人といった趣。

そんな公園裏に建つ貴族の邸宅が、ニッシム・ド・カモンド美術館。
たいした知識もガイドも持たず、やって来たため、詳しい内容は分からないけれど、散歩の延長だから、頑張って完勝せずともよかろうと、ぶらぶら回遊。

上は、青のサロン。
磁器も薄青の物が多く、柱は緑が勝ったブルー。
気に入った色は絨毯の青だ。
時間が経ってこの色なのだろうけれど、真新しいときは、青がもっと輝いていたに違いない。
今も、品のある青い輝き。

中へ入ると、クロークを通り、さて、階段を上ったものか?それとも、地上階を回るべきか?
そんな事を考えていたのだが、上を回ってから、キッチンへ行った方が良いわよ!と声をかけられた。
どうやら、このキッチンは見学場所としては、随分人気のようだ。
回ってゆく人が、ここにとどまる時間が最も長く、みなさん、写真を撮ってゆく。
銅製の鍋類は管理が大変なんだろうけれど、仕事で使うなら、また別なのかも知れぬ。
きっと、いい料理ができるに違いない。

まるで、フェルメールの絵のような市松模様の廊下をぬけ、再びモンソー公園へ散歩は続く。
2013.11.13
リネンの聖地 カンタンへ
2013.11.12
フランクフルトの秋
中国東方航空であったが、帰国時はフランクフルトから。
前日に入って、一泊。
観光というほどの時間は無いけれど、空港近くではなく、中央駅前に宿を取ったので、少し歩く。

ホテルから、マイン川沿いへ向う。
川を渡る歩道橋があったのだが、工事中で渡れない。
ということで、別の橋へ向うため、川沿いを散歩する事に。
川沿いを行く貨物船との荷物のやり取りをするための列車が走っていたのだろうか?
線路が美しい絵を作っていた。

川沿いを橋へ向ってあるいていると、遠くに教会が。
きっと、あの辺りが旧市街、市の中心街なのだろう。

フランクフルトといえば、ドイツの経済の中心地。
いわゆる兜町ってやつですね。この町。
ということで、フランクフルトの高層ビルと紅葉というテーマで一枚。
前日に入って、一泊。
観光というほどの時間は無いけれど、空港近くではなく、中央駅前に宿を取ったので、少し歩く。

ホテルから、マイン川沿いへ向う。
川を渡る歩道橋があったのだが、工事中で渡れない。
ということで、別の橋へ向うため、川沿いを散歩する事に。
川沿いを行く貨物船との荷物のやり取りをするための列車が走っていたのだろうか?
線路が美しい絵を作っていた。

川沿いを橋へ向ってあるいていると、遠くに教会が。
きっと、あの辺りが旧市街、市の中心街なのだろう。

フランクフルトといえば、ドイツの経済の中心地。
いわゆる兜町ってやつですね。この町。
ということで、フランクフルトの高層ビルと紅葉というテーマで一枚。
2013.11.11
プラハの秋の道を行くトラム
2013.11.10
ランスの世界遺産サンレミ聖堂へ再び
何度か訪れたランスであるが、サンレミ大聖堂へは前回に続いて2度目。
今回は、隣のサンレミ修道院の博物館を訪れる事が目的。
もちろん、目の前まで来て、入らぬわけも無い。

同じような写真を撮る事になるわけだが、前回と違って、身廊の写真が明るくきれいに撮れた。
こんな美しい雰囲気だった?と思ったりするのだが、明るく美しい以外は、前回と同じ印象で、全く別の床に来たわけではない。
前回は、内部を工事?かコンサート用の準備?をしていたから、随分と印象が違ったのだろう。

外に出てからも写真を撮るのだが、向って右側から写真を撮っていたから、なるべく左に寄って、左の修道院の建物と一緒に一枚。
広角レンズは、一枚に収めてくれるけれど、高い高い建物の迫力は、こんな撮り方しちゃうと、感じなくなってしまいますね。
今回は、隣のサンレミ修道院の博物館を訪れる事が目的。
もちろん、目の前まで来て、入らぬわけも無い。

同じような写真を撮る事になるわけだが、前回と違って、身廊の写真が明るくきれいに撮れた。
こんな美しい雰囲気だった?と思ったりするのだが、明るく美しい以外は、前回と同じ印象で、全く別の床に来たわけではない。
前回は、内部を工事?かコンサート用の準備?をしていたから、随分と印象が違ったのだろう。

外に出てからも写真を撮るのだが、向って右側から写真を撮っていたから、なるべく左に寄って、左の修道院の建物と一緒に一枚。
広角レンズは、一枚に収めてくれるけれど、高い高い建物の迫力は、こんな撮り方しちゃうと、感じなくなってしまいますね。
2013.11.09
コアラズ村の教会
2013.11.08
Quai de l'Oise オワーズ河岸通りの朝
2013.11.07
ポワラーヌのパンでお昼を
2013.11.06
中国東方航空で行くパリ3
どうやら、巨大台風が日本に接近しているっていう情報のなか、フランクフルトを出発することに。
チェックインカウンターは3時間前から長蛇の列。
さすが中国便。
ここで、チェックインをすると、上海までのボーディングパスのみ支給され、残りは隣の列でしなさい、とのこと。
でも、隣の列混んでるから、上海についてからチェックインしたら?と言われる。
上海についてからじゃ、座席がどんなところになるかもわからないし、面倒が起きるのが嫌だから、その列に並んで、フランクフルトで上海から成田もチェックインしておいた。
そもそも、乗り継ぎ便の列が別になっているのは、中国東方航空側の問題ではなく、チェックインカウンター前の列が極端に混まないようにという、ドイツ側の思惑ではないかと勝手に想像している。
その方が、ドイツらしいとシックリくる。

昨年に比べると、ドイツの手荷物検査は緩くなっているように感じられる。
昨年は、カメラのレンズ一本一本を別室で調べる念の入れようであったが、ことしは、スルスルとスルーできた。
さて機内食、最初は中華風のご飯が選択できたけれど、次は、ライスは売り切れ。
欧風のオムレツしか選択できなかった。
中国の人は、自分のところの料理がやっぱり食べたいのだろうし、外国へ行って、早く時刻の味を味わいたいのかもしれない。
もう一つ、上海の人は、機内のトイレで鍵を閉めない。
並んでいる人はいるけれど、空きとなっているから、並んでいる人は待っている人ではないのか?と先に入ろうとすると、手で制止される。
中に人がいるのだそう。
もうひとつは、トイレを水で流すという発想がないようである。
決して、汚い人たちなわけではなく、知らないのだと思われる。
これ、トイレのカギのことも含め、知っている人が、きちんと教えてあげたらいいのにねぇ。
こうしたことは、北京経由では感じなかったけれど、上海とのそうした違いがあるのかもしれませんね。
人々は、上海のほうがのんびり、穏やかな感じでありますね

さて、上海に到着。
2時間ほどの乗り継ぎ。
乗り継ぎは、もちろん、行と同じトランスファーのカウンターでパスポートと搭乗券のチェックがあって、荷物検査のみのわかりやすい移動。
そして、日本便を待つため、階下のバス乗り場がある搭乗ゲートの200番台へ移動。
表示も、遅延となっていない。
どうやら、台風欠航、遅延は回避できたのかもしれぬ。
しかし、しかし、遅延の表示は出ぬまま、2時間が経ち、結局、出発のご案内はなかった。
行きのパリ便と同じ状況で、上海の空港で待つはめに。

成田行き以外の乗客は、順調に出発してゆく。
成田だけがどうやら飛ばぬらしい。
インフォメーションカウンターに聞きに行くと、どうやら天候理由で飛ばないとのこと。
遅延表示はでてないんですがね。
2時間乗り継ぎだった便の3時間後の成田行きの便の時間も迫ってくる。
日本人乗客の数がぐっと増えてくる。
しかし、飛ぶ気配はない。
その時、場内アナウンスが!
なんと、成田行きのこの2便のお客さんには、お弁当が配布されるらしい。
北京で遅延した時と同じ流れ。
お弁当は、北京の時の方が美味しかったかな。
結局さらに2時間ほど待つと、飛行機は飛び立つことになり、成田に夜着くことになった。
成田上空は、出発到着の便で大混雑らしく、ずいぶんと長い間、上空旋回することになった。
台風で飛ばなかったのは、これで2度目。
そんなことを除けば、結構快適な旅だった。
チェックインカウンターは3時間前から長蛇の列。
さすが中国便。
ここで、チェックインをすると、上海までのボーディングパスのみ支給され、残りは隣の列でしなさい、とのこと。
でも、隣の列混んでるから、上海についてからチェックインしたら?と言われる。
上海についてからじゃ、座席がどんなところになるかもわからないし、面倒が起きるのが嫌だから、その列に並んで、フランクフルトで上海から成田もチェックインしておいた。
そもそも、乗り継ぎ便の列が別になっているのは、中国東方航空側の問題ではなく、チェックインカウンター前の列が極端に混まないようにという、ドイツ側の思惑ではないかと勝手に想像している。
その方が、ドイツらしいとシックリくる。

昨年に比べると、ドイツの手荷物検査は緩くなっているように感じられる。
昨年は、カメラのレンズ一本一本を別室で調べる念の入れようであったが、ことしは、スルスルとスルーできた。
さて機内食、最初は中華風のご飯が選択できたけれど、次は、ライスは売り切れ。
欧風のオムレツしか選択できなかった。
中国の人は、自分のところの料理がやっぱり食べたいのだろうし、外国へ行って、早く時刻の味を味わいたいのかもしれない。
もう一つ、上海の人は、機内のトイレで鍵を閉めない。
並んでいる人はいるけれど、空きとなっているから、並んでいる人は待っている人ではないのか?と先に入ろうとすると、手で制止される。
中に人がいるのだそう。
もうひとつは、トイレを水で流すという発想がないようである。
決して、汚い人たちなわけではなく、知らないのだと思われる。
これ、トイレのカギのことも含め、知っている人が、きちんと教えてあげたらいいのにねぇ。
こうしたことは、北京経由では感じなかったけれど、上海とのそうした違いがあるのかもしれませんね。
人々は、上海のほうがのんびり、穏やかな感じでありますね

さて、上海に到着。
2時間ほどの乗り継ぎ。
乗り継ぎは、もちろん、行と同じトランスファーのカウンターでパスポートと搭乗券のチェックがあって、荷物検査のみのわかりやすい移動。
そして、日本便を待つため、階下のバス乗り場がある搭乗ゲートの200番台へ移動。
表示も、遅延となっていない。
どうやら、台風欠航、遅延は回避できたのかもしれぬ。
しかし、しかし、遅延の表示は出ぬまま、2時間が経ち、結局、出発のご案内はなかった。
行きのパリ便と同じ状況で、上海の空港で待つはめに。

成田行き以外の乗客は、順調に出発してゆく。
成田だけがどうやら飛ばぬらしい。
インフォメーションカウンターに聞きに行くと、どうやら天候理由で飛ばないとのこと。
遅延表示はでてないんですがね。
2時間乗り継ぎだった便の3時間後の成田行きの便の時間も迫ってくる。
日本人乗客の数がぐっと増えてくる。
しかし、飛ぶ気配はない。
その時、場内アナウンスが!
なんと、成田行きのこの2便のお客さんには、お弁当が配布されるらしい。
北京で遅延した時と同じ流れ。
お弁当は、北京の時の方が美味しかったかな。
結局さらに2時間ほど待つと、飛行機は飛び立つことになり、成田に夜着くことになった。
成田上空は、出発到着の便で大混雑らしく、ずいぶんと長い間、上空旋回することになった。
台風で飛ばなかったのは、これで2度目。
そんなことを除けば、結構快適な旅だった。
2013.11.05
プラハの秋 トラム博物館の向こうに
2013.11.04
サンブリュー駅にて
2013.11.03
ランス・フジタ礼拝堂
2013.11.02
コアラズ村のとかげ
2013.11.01
パリ13区のサン・ティポリット教会と中華聖母堂
13区の高層ビルの脇、ガッツリと壁画が描かれた教会がある。
その壁画の下に中華聖母堂とかかれている。

ベトナム系のお店も多いこの界隈であるから、この教会もベトナム系なのか?とおもったが、中華となっているのだから中国なのだろう。
フランス語で、ノートル・ダム・ドゥ・ラ・シーヌ。中国のノートルダムである。
そういえば、ホーチミンの教会では、天主堂と漢字で書かれていた。
聖母堂であるところが、ノートルダムの多いフランスらしいところかもしれない。

まるで一体に見えるその脇に立つのが、サン・ティポリット教会。
おそらく、この2つは別の教会堂なのだろう。
中は明るい感じであった。

匂いも雰囲気もまるで中国、アジアの13区界隈であるが、教会も東西混交で建っている。
その壁画の下に中華聖母堂とかかれている。

ベトナム系のお店も多いこの界隈であるから、この教会もベトナム系なのか?とおもったが、中華となっているのだから中国なのだろう。
フランス語で、ノートル・ダム・ドゥ・ラ・シーヌ。中国のノートルダムである。
そういえば、ホーチミンの教会では、天主堂と漢字で書かれていた。
聖母堂であるところが、ノートルダムの多いフランスらしいところかもしれない。

まるで一体に見えるその脇に立つのが、サン・ティポリット教会。
おそらく、この2つは別の教会堂なのだろう。
中は明るい感じであった。

匂いも雰囲気もまるで中国、アジアの13区界隈であるが、教会も東西混交で建っている。
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