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2013.11.30

コアラズ村全景

行きには、どこに村があるか分からないから、バスの中から、いいタイミングで写真が撮れなかった。
帰りのバスで、一枚だけ、全体写真が撮れた。
エズと同じように、教会の塔が頂上付近に飛び出ている。
コアラズ村
この村は、急峻な山にあるわけじゃない
丘の帽子に見える。
数ある頂のなかで、この場所が、選ばれたのは、きっと、日当たりと防御もあるのだろうが、水源確保もあったに違いない。
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2013.11.29

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの路地

カルカッソンヌのように大きくはない。
何本かの横道よ縦道で構成されている。
雰囲気のある通りであるが、湾曲していて、先は見えない。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
下の写真は、テ川沿いの門を入ったところ。
奥に向って道が徐々に細くなっている。
わずかに先に見える通りへ出るためには、数人ずつしか押し出せない。
守る側は、常に大人数で取り囲み、少人数と戦えば良いことになる。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
そんなふうに、勝手に想像してみたが、果たしてヴォーバンはそんなつもりで造ったかどうか?
遠近法で先が細く見えるだけかもしれませんね。
2013.11.28

Rue Campagne Premiere カンパーニュ・プルミエール通りのアトリエ建築

パリ14区はモンパルナス。
モンマルトル同様、モンパルナスも芸術家の溜まり場となった。
そんなモンパルナスの一角にアトリエ建築の多いエリアがある。
その一つ、カンパーニュ・プルミエール通りに派手な、アトリエ建築がある。
パリの道
以前、この通りの裏通り、地獄小路Passage d'Enferを紹介したことがあるが、カンパーニュ・プルミエール通りが表側。
この建築物は、アンドレ・アルフヴィドソン(Andre Arfvidson)の建築。
アールヌーボー、アールデコ折衷らしいのだが、正直、ワニ皮の靴でも連想しそうなデザインだ。
アトリエのために、窓が高く大きいのだけれど、アトリエじゃなくたって、大きな窓はいいなぁと思うのだ。
光は多いほうが良い。

こんなにでかい窓じゃ、外から見られそうで嫌だ!とおっしゃる人もいるんでしょう。

この通り、この建物、マン・レイなんかも住んでいたみたいですが、他も、イヴクライン、藤田、キスリング、エリック・サティなどなど、多くの芸術家が生活していた模様。

集まれば、刺激も多い。
おれは、この方法で、世に打って出る!と思ったり、これは良いヒントをもらった!って思いながら、この通りを行き交っていたのだと思いを馳せながら、今、自分が、通り過ぎてゆく。

2013.11.27

フランクフルト駅夜景

フランクフルトの駅の夜景。
駅の中に、文字のネオンサインがあるのは、ケルンと同じだった。
ドイツ新幹線の白に赤ラインの客車が停車している。
フランクフルト
せっかく駅近に止まったので、フランクフルト駅でご飯を食べ、夜景を。
中華のお店で、夜食用テイクアウト焼きそばを買って、宿へ。
2013.11.26

シティナイトラインで行くプラハ1

フランスの鉄道ではないが、このカテゴリーへ。
パリからベルリンへ行く、シティナイトラインもあるようだ。
今回は、アムステルダム発プラハ行きを途中のケルンから乗車する。
夜中前に乗り込んで、翌日の朝9時過ぎにプラハに到着する。

ケルン駅の行き先表示を確認し、ホームに貼ってある、自分の客車の停車位置を確認する。
7番線のアルファベットAの位置付近ということだ。
シティ・ナイト・ライン
ケルン始発じゃないから、入線してきた列車をゆっくり写真撮っている暇は無い。
どこに自分の客車がとまるのか?確認していない人がたくさんいるから、車掌さんは、質問攻めに。
チケット確認してもらうと、いよいよ、1等個室寝台の客車へ登る。
シティ・ナイト・ライン
部屋は結構狭い。スーツケースを置けば、足の踏み場は限られる。
右手奥の木の扉は、開けたら洗面所になっている。
シティ・ナイト・ライン
既に準備されているベットは2階席の方が揺れないようだった。
ドルトムントなどに停車しながら、ドイツ国内を進む。
ベルリン経由でプラハに向うようだ。
シティ・ナイト・ライン
客車の端に、トイレとシャワーが設置されている。
自身の部屋の開け閉めも、トイレ、シャワールームの開け閉めも、シャワールームの電気をつけるのも、カードキーが必要だ。
どうやって開けたらいいのか?ガチャガチャやってたら、別の乗客のお兄さんが、「おそらく、鍵が必要だと思うよ!」と教えてくれた。
悪戦苦闘も楽しみながら、夜行列車の旅は進行してゆき、そして知らぬ間に、夢の中へ誘われていた。
2013.11.25

リネンの里カンタンのリネン通り

リネンの博物館がまだオープンしていなかったので、少々町中をぶらつく事に。
すると、Rue au Lin(リネン通り)があった。
さすが、リネンの町であるが、この通りにリネンの何かがあるわけじゃなかった。
カンタン
この町をぶらついても、リネン雑貨のお店がたくさん軒を並べるってわけじゃないようだ。
とりあえず、お昼休みであったのだろう、リネン博物館へ戻ってみることに。
2013.11.24

ミイ・ラ・フォレのバスターミナル

随分と前に、ミイ・ラ・フォレにバスで向うネタを載せたのだが、その続き。
水曜日には、帰りのバスがなく、歩いてかえる羽目になったという話だった。

そのRERの駅から乗ってきたバスが到着するのが、このバスターミナル。
ここで乗り換えて、クーランス城などへ向おうか?ぐらいに考えていたのに、それどころではなかった。
ミイ・ラ・フォレ
目の前を走る通りに背を向けて歩いていけば、ミイ・ラ・フォレの町へ入ってゆく。
目の前の通りの先は、ひなげしの花が一面に揺れていた。
ミイ・ラ・フォレ
最悪歩けばいいという頭があるからか?
悲劇はあまり考えぬように頭が出来ているからか?

早朝からやってきたミイ・ラ・フォレを堪能しようと、とりあえず、目の前の赤い花々を写真に収めるのであった。
2013.11.23

コアラズ村の路地散策

コアラズ村の路地だ。
コアラズ
いつも、なにかを撮ろうと意識しているわけじゃない。
コアラズ
後で並べてみると、一つの共通点はある。
コアラズ
この先、どうなっているのだろう?
いつも言っていることだけれど、改めて、写真を見ると、そんな写真ばかりなのだ。

見た目はおっさんであっても、鏡もろくに見ない不精な私は、そんな年であることに気が付いていない。
まだ、子供の感覚が、ぬけきらぬのだ。
世知に通じた大人が必ずしもいいとは限らない。
この世に”でなければならぬ”物など、そう多くない。
2013.11.22

ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフランの景色

駅から歩いてくると、見えてくるのが城壁だ。
威圧感はあるものの、思っていたより低い城壁なんですね。
奥の方からは、家々の屋根が覗く。
ヴィルフランシュ・ドゥ・コンフラン
流れているのは、テ川。La Tetである。

コンフランというのは、合流地点。
以前、載せた、イル・ド・フランスのコンフラン・サントノリーヌという町は、オワーズ川とセーヌ川の合流地点。

目の前の城壁の角が、テ川とカディ川の合流地点なのだ。
正門にあたる村の入り口は、カディ川を越えて入っていくことになる。
2013.11.21

Square Taras-Chevtchenko タラス・シェフチェンコ広場で一休み

ウラジミール・ル・グラン教会の脇、サン・ジェルマン大通りに面した小さなスペースがある。
オルセー美術館付近から、ブラブラ歩いてきて、手元にあった、朝飯のパンをかじるため、公園の中に入った。

外は道行く人が多いが、中には、おばちゃんが1人、真剣な顔つきで、仕事か何かの電話中。
隣に教会があったが、入れる感じではないので、脇から入れるのか?ということもあって、このスペースに入ってみた。
パリの公園
きっと、あの白い扉が入り口なのだろう。
この広場の名前の由来は、タラス・シェフチェンコというウクライナの文豪。
と、公園名の看板に書かれている。
教会脇に銅像も立っている。
きっと、教会もウクライナ系なのだろう。
おそらく、ウラジミール・ル・グランは、キエフ大公ウラジミール1世のことだ。
2013.11.20

フランクフルト散策 シュテーデル美術館へ

帰国をパリではなく、フランクフルトにするのが2回目なのだが、2回目だから空港ホテルではなく、中央駅前に宿をとった。その最大の理由が、シュテーデル美術館へフェルメールを見に行くためであった。
フランクフルト
目の前の歩道橋が渡れないので、迂回するというのは先週書いたが、楽しい楽しい、並木歩道が待っていた。
目が中央に寄ってしまいそうで、何度も目をこすりたくなるようなトンネルだ。
フランクフルト
美術館に着いたのだが、どこが入り口なのか分からない。
グルッと一週回って、脇にある入り口から入る。
正面までやってきたところに、美術館の人が。
「クローズ!」
月曜はお休みだったのだ。

ガイドブックで調べず、ネットで調べず、地図を持たず。入れず、見れず。
2013.11.19

パルドゥビツェの秋

パルドゥビツェはプラハから東へ100キロ。
オストラバやオモロウツ方面の列車にのると1時間ほどで到着する。
ここは、世界に名を馳せる、競馬の障害レースで有名なのだが、レースの前に、市内観光へ。
パルドゥビツェ
旧市街の広場とお城がメインの町のようだが、そのお城へ向う途中、美しい紅葉に出会う。
パルドゥビツェ
街中を抜けて、お城の手前まで来ると、またきれいな紅葉に出会った。
プラハもそうだったが、ここの国は秋が似合う。

2013.11.18

カンタン散策

カンタンにある、リネンの博物館を探すため、街中をぶらぶらする。
中心街を貫けて、Rue Emile Nau(エミール・ノー通り)を下る。
石造りの多い、こぎれいな町だ。
カンタン

下は、Rue des Douves(ドゥーヴ通り)。
どこの町でもよく見かける、土塀を覆う花の回廊。
カンタン
淡いピンクなら日本の桜色。
濃いピンクは、いかにも欧州らしい。
2013.11.17

ランスの世界遺産サン・レミ修道院博物館

サン・レミ聖堂の隣にあるサン・レミ修道院。
ここも世界遺産になっている。隣と合わせてということなのだろう。
教会脇から中庭へ入ってゆくと、隣の教会のファサードが少し顔を覗かせている。
ランス
博物館になっているのだが、展示している館内に入るには、回廊をぬけてゆく。
そういう道順にしてくれてあるといっていいのだろう。
ランス
重たい扉を開いて中に入ると、結構なボリュームの、彫像物の置かれた博物館になっている。
ランスといえば、藤田嗣治とジャンヌ・ダルク、そして、クロヴィスと聖レミギウスということになる。
その、クロヴィスからの歴史を知っていたなら、それなりには楽しめる博物館になっている。
メロヴィング朝、カロリング朝・・・って何?となってしまうと、古臭いものだけが並んでいる博物館にしかならぬであろう。でも、ちょっと、そんな知識を入れていったら、それなりに楽しめるような、時代案内板付き展示になっている。
ランス
それでも、下から、上から、回廊を眺めて散歩していると思えば、修道院というより、まるで宮殿にいるような気分を味わえる。
2013.11.16

コアラズ寸景

市役所前の広場。
ジャンコクトーの日時計を見ていたら、遠くに、青のチャペルが見えるではないか!
そう思ってカメラを構えたら、目の前の車の方がよほど印象的だった。
コアラズ
フランスにも、こんな車たくさん無いけれど、日本にはないセンスですね。
2013.11.15

Cite Annibal シテ・アニバル

パリ14区にある行き止まりの道。
この通りは、何かいわれがあるわけでもなく、単なる道。
そんな道を奥深く入っていってみる。
パリの道
奥には、建物脇からのぞく緑と少し日の当たる明るい場所が浮かび上がっている。
それ以外はちょっと日が当たらないような暗さに包まれている。
パリの道
そんな通りから、ふと、大通りの方を振り返ってみると、明らかに下界と区切られた空間にいることが分かる。
下界は明るい。
あそこからパリが始まるのであって、あそこまでは住居空間なのだ。
パリの道
このシテという通り、いわば、家の中を縦貫する廊下なのだ。
左右に部屋があるのである。
中庭もそうだが、こうやって、パリは、より個の空間へいざなわれてゆくのである。
だから、こんな行き止まりの通りへ入ってしまうと、間の悪さを感じるのである。
2013.11.14

ニッシム・ド・カモンド美術館

8区にあるモンソー公園に散歩に行く。
ここはパリの大きな公園のなかでは、もっとも人口密度が高いんじゃないか?と思わせるほど、憩う人たちであふれている。
チュイルリー公園は観光客であふれるが、こちらは地元の人といった趣。
ニッシム・ド・カモンド美術館
そんな公園裏に建つ貴族の邸宅が、ニッシム・ド・カモンド美術館。
たいした知識もガイドも持たず、やって来たため、詳しい内容は分からないけれど、散歩の延長だから、頑張って完勝せずともよかろうと、ぶらぶら回遊。
ニッシム・ド・カモンド美術館
上は、青のサロン。
磁器も薄青の物が多く、柱は緑が勝ったブルー。
気に入った色は絨毯の青だ。
時間が経ってこの色なのだろうけれど、真新しいときは、青がもっと輝いていたに違いない。
今も、品のある青い輝き。
ニッシム・ド・カモンド美術館
中へ入ると、クロークを通り、さて、階段を上ったものか?それとも、地上階を回るべきか?
そんな事を考えていたのだが、上を回ってから、キッチンへ行った方が良いわよ!と声をかけられた。
どうやら、このキッチンは見学場所としては、随分人気のようだ。
回ってゆく人が、ここにとどまる時間が最も長く、みなさん、写真を撮ってゆく。
銅製の鍋類は管理が大変なんだろうけれど、仕事で使うなら、また別なのかも知れぬ。
きっと、いい料理ができるに違いない。
ニッシム・ド・カモンド美術館
まるで、フェルメールの絵のような市松模様の廊下をぬけ、再びモンソー公園へ散歩は続く。

2013.11.13

リネンの聖地 カンタンへ

ブルターニュは海の国だ。
その中でも、北岸、コート・ダルモール県は、ボーダー柄が有名であるように、海の男の町なのだ。昔は、英国から人が海を渡ってやってきた。
そんな場所だから、リネンという素材も大事になるわけだ。
カンタン
ブルターニュにリネンの里があるという。
カンタン。Quintin。
その町へは、サンブリューという大きな街からバスで少し内陸へ移動する。
サンブリュー駅前のバス停から、40分ほどでカンタンのラ・ヴァレというバス停に到着する。

その前に大きな池が広がっていた。
2013.11.12

フランクフルトの秋

中国東方航空であったが、帰国時はフランクフルトから。
前日に入って、一泊。
観光というほどの時間は無いけれど、空港近くではなく、中央駅前に宿を取ったので、少し歩く。
フランクフルト
ホテルから、マイン川沿いへ向う。
川を渡る歩道橋があったのだが、工事中で渡れない。
ということで、別の橋へ向うため、川沿いを散歩する事に。
川沿いを行く貨物船との荷物のやり取りをするための列車が走っていたのだろうか?
線路が美しい絵を作っていた。
フランクフルト
川沿いを橋へ向ってあるいていると、遠くに教会が。
きっと、あの辺りが旧市街、市の中心街なのだろう。
フランクフルト
フランクフルトといえば、ドイツの経済の中心地。
いわゆる兜町ってやつですね。この町。
ということで、フランクフルトの高層ビルと紅葉というテーマで一枚。
2013.11.11

プラハの秋の道を行くトラム

プラハの丘の上へ登る事ができるケーブルカーの下へやって来た。
やってきたのはいいけれど、工事中とやらで、ケーブルカーには乗れない。
あいにく、時折小雨の降る天気。
折角ここまでやってきたのだから、トラムの写真でも撮りながら、ブラブラ散歩がてら戻る事に。
プラハ
でまずは、そのケーブルカーの丘の下で一枚。
きれいな紅葉の向こうに、行き交うトラムを待って、待って、待って一枚。
最新式のトラムをやり過ごし、古めのトラムを待つ。
撮ったはいいけれど、車と被ってしまって、またまた待ってチャレンジ。

ようやくにして、らしいのが一枚。
2013.11.10

ランスの世界遺産サンレミ聖堂へ再び

何度か訪れたランスであるが、サンレミ大聖堂へは前回に続いて2度目。
今回は、隣のサンレミ修道院の博物館を訪れる事が目的。
もちろん、目の前まで来て、入らぬわけも無い。
ランス
同じような写真を撮る事になるわけだが、前回と違って、身廊の写真が明るくきれいに撮れた。
こんな美しい雰囲気だった?と思ったりするのだが、明るく美しい以外は、前回と同じ印象で、全く別の床に来たわけではない。
前回は、内部を工事?かコンサート用の準備?をしていたから、随分と印象が違ったのだろう。
ランス
外に出てからも写真を撮るのだが、向って右側から写真を撮っていたから、なるべく左に寄って、左の修道院の建物と一緒に一枚。
広角レンズは、一枚に収めてくれるけれど、高い高い建物の迫力は、こんな撮り方しちゃうと、感じなくなってしまいますね。
2013.11.09

コアラズ村の教会

路地のトンネルをぬけると、目の前に教会が建っている。
コアラズ村の頂上付近である。
コアラズ
サン・ジャン・バプティスト教会。
外のロマネスクの古い石造りの感じとは違い、中は、白と青という雰囲気のお化粧された雰囲気が漂う。
コアラズ
14世紀ごろの教会だそうだ。
目の前の階段脇の日時計の壁は、いわゆる頂上の城壁に当たるのかもしれない。
2013.11.08

Quai de l'Oise オワーズ河岸通りの朝

ラ・ヴィレットの公園を分ける運河がある。
サン・マルタン運河である。
サンマルタン運河が、サンドニ運河と分かれる地点の東側がラ・ヴィレットの公園なのであるが、その手前が、この写真の辺り。
パリの道
イビスホテルの前辺り。
運河脇の散歩道がグニャっとカーブする辺りは、木々もあって、いい雰囲気を作っている。
いつもの通り、停めてある自転車と、その先の運河を入れて一枚。
ラ・ヴィレット公園方向から当たる朝日が、自転車の影を作る。

さて、朝の散歩へ出かけよう!
2013.11.07

ポワラーヌのパンでお昼を

ちょうど、お昼前にボンマルシェの近く6区を徘徊していたので、近くのポワラーヌへ行ってみた。
お店は空いていた。
いわゆる大きな田舎パンではなく、小さなパンをいくつか、選んで、お姉さんに、これください、あれくださいと頼んでゆく。
ポワラーヌ
これを、近所の公園へ持って行って、そこでお昼。
有名店のパンだから、当たり前といえばそれまでだけど、ふつうに美味しくいただいて、満足のランチ。
ちょっとした、レストランやカフェで食べるよりも、確実に安く、美味しく、お昼が採れるというものだ。
2013.11.06

中国東方航空で行くパリ3

どうやら、巨大台風が日本に接近しているっていう情報のなか、フランクフルトを出発することに。
チェックインカウンターは3時間前から長蛇の列。
さすが中国便。
ここで、チェックインをすると、上海までのボーディングパスのみ支給され、残りは隣の列でしなさい、とのこと。
でも、隣の列混んでるから、上海についてからチェックインしたら?と言われる。

上海についてからじゃ、座席がどんなところになるかもわからないし、面倒が起きるのが嫌だから、その列に並んで、フランクフルトで上海から成田もチェックインしておいた。

そもそも、乗り継ぎ便の列が別になっているのは、中国東方航空側の問題ではなく、チェックインカウンター前の列が極端に混まないようにという、ドイツ側の思惑ではないかと勝手に想像している。
その方が、ドイツらしいとシックリくる。
中国東方航空
昨年に比べると、ドイツの手荷物検査は緩くなっているように感じられる。
昨年は、カメラのレンズ一本一本を別室で調べる念の入れようであったが、ことしは、スルスルとスルーできた。

さて機内食、最初は中華風のご飯が選択できたけれど、次は、ライスは売り切れ。
欧風のオムレツしか選択できなかった。
中国の人は、自分のところの料理がやっぱり食べたいのだろうし、外国へ行って、早く時刻の味を味わいたいのかもしれない。

もう一つ、上海の人は、機内のトイレで鍵を閉めない。
並んでいる人はいるけれど、空きとなっているから、並んでいる人は待っている人ではないのか?と先に入ろうとすると、手で制止される。
中に人がいるのだそう。

もうひとつは、トイレを水で流すという発想がないようである。
決して、汚い人たちなわけではなく、知らないのだと思われる。
これ、トイレのカギのことも含め、知っている人が、きちんと教えてあげたらいいのにねぇ。

こうしたことは、北京経由では感じなかったけれど、上海とのそうした違いがあるのかもしれませんね。
人々は、上海のほうがのんびり、穏やかな感じでありますね
中国東方航空
さて、上海に到着。
2時間ほどの乗り継ぎ。
乗り継ぎは、もちろん、行と同じトランスファーのカウンターでパスポートと搭乗券のチェックがあって、荷物検査のみのわかりやすい移動。

そして、日本便を待つため、階下のバス乗り場がある搭乗ゲートの200番台へ移動。
表示も、遅延となっていない。
どうやら、台風欠航、遅延は回避できたのかもしれぬ。

しかし、しかし、遅延の表示は出ぬまま、2時間が経ち、結局、出発のご案内はなかった。
行きのパリ便と同じ状況で、上海の空港で待つはめに。
中国東方航空
成田行き以外の乗客は、順調に出発してゆく。
成田だけがどうやら飛ばぬらしい。

インフォメーションカウンターに聞きに行くと、どうやら天候理由で飛ばないとのこと。
遅延表示はでてないんですがね。

2時間乗り継ぎだった便の3時間後の成田行きの便の時間も迫ってくる。
日本人乗客の数がぐっと増えてくる。
しかし、飛ぶ気配はない。

その時、場内アナウンスが!
なんと、成田行きのこの2便のお客さんには、お弁当が配布されるらしい。

北京で遅延した時と同じ流れ。
お弁当は、北京の時の方が美味しかったかな。

結局さらに2時間ほど待つと、飛行機は飛び立つことになり、成田に夜着くことになった。

成田上空は、出発到着の便で大混雑らしく、ずいぶんと長い間、上空旋回することになった。

台風で飛ばなかったのは、これで2度目。
そんなことを除けば、結構快適な旅だった。
2013.11.05

プラハの秋 トラム博物館の向こうに

京都の美しい紅葉風景に、窓から臨む紅葉がある。
窓辺の暗さの向こう側に紅葉が見えるというやつだ。
プラハ
それと同じような光景に、プラハのトラム博物館で出会った。
日本の紅葉とは比べものにならぬかも知れぬが、博物館の奥から振り返ると、丁度扉の向こう側に、紅葉が見えていた。
2013.11.04

サンブリュー駅にて

サンブリューの駅に到着する。
駅のホームは、地方の大きな駅といった趣で、なんてことは無い。
奥の普通列車は、ラニオンの駅でみた1両編成と似ているから、それかもしれない。
サンブリュー
しかし、駅舎を外から眺めると、なかなかの重厚間なのだ。
欧州の駅は、大きな町になると、駅舎も豪勢だが、ここの駅舎のドームもなかなかだ。
丁度夕日で、ピンク色に染まっていた。
サンブリュー
この駅の目の前から、ブルターニュの山へと入ってゆくバスが出ているのだ。

2013.11.03

ランス・フジタ礼拝堂

このランスのフジタの礼拝堂に初めて訪れたのは、随分と前の事だった。
春だったと思うのだが、一年中ここへ入れるわけではないと知らなかったので、門の入り口から眺めるしかなかった。
ランス
二度目に来たときは、夕方だった。
秋だからやっていたのだが、エペルネー経由で日帰り旅行でやってきたため、入場することがかなわなかった。
ランス
三度目は初夏だった。
このときも日帰りだったのだが、やってきたのが水曜日。
なんと、水曜休みだったのである。
ランス
その翌年。
水曜にやってきて、一泊。
四度目にしてようやくこちらへ入場することが出来た。
中はもちろん、360度藤田の世界である。

はじめてきたときから時は流れ、今では、藤田夫妻がここで眠っている。
2013.11.02

コアラズ村のとかげ

この村の紋章がトカゲの紋である。
だからなのか?コクトーの日時計もトカゲである。
それとも、コクトーの日時計がトカゲだから、紋章がトカゲになったのか?
コアラズ
そんなトカゲのマークが、村のところどころに見られるのだ。
本物のトカゲを見ることはついに無かったが、ここへ出かけたのが、冬だったから、いかに南仏といえど、冬眠していたかも知れない。
コアラズ
ブラブラしていると、どうも、トカゲの頭が向いている方角へ進みたくなってしまいますね。
2013.11.01

パリ13区のサン・ティポリット教会と中華聖母堂

13区の高層ビルの脇、ガッツリと壁画が描かれた教会がある。
その壁画の下に中華聖母堂とかかれている。
パリの教会
ベトナム系のお店も多いこの界隈であるから、この教会もベトナム系なのか?とおもったが、中華となっているのだから中国なのだろう。
フランス語で、ノートル・ダム・ドゥ・ラ・シーヌ。中国のノートルダムである。
そういえば、ホーチミンの教会では、天主堂と漢字で書かれていた。
聖母堂であるところが、ノートルダムの多いフランスらしいところかもしれない。
パリの教会
まるで一体に見えるその脇に立つのが、サン・ティポリット教会。
おそらく、この2つは別の教会堂なのだろう。
中は明るい感じであった。
パリの教会
匂いも雰囲気もまるで中国、アジアの13区界隈であるが、教会も東西混交で建っている。