2013.08.31

アイ村のブドウ畑

ぶらぶら歩いていたら、あら、モエ・エ・シャンドンの印が。
ここも、たくさんあるモエの畑の一つなんでしょう。
このエペルネーを中心とした地方の畑は、みな、シャンパンになってゆくわけだから、モエに限らず、どの畑も、高級なシャンパンの原料ってわけである。
アイ村
しっている、有名な名前を見つければ、おおっ!と思うものの、ここ以外でも、有名なワインのシャトーもあるわけで、フランス中のいたるところに有名ブドウ畑がある。
アイ村
畑のブランド化は、日本にも当てはめられる仕組みですね。

丘の南斜面で燦々とふりそそぐ日光を浴びながら育つブドウたちである。
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2013.08.30

Rue Ligner リネ通りの高校

ペールラシェーズ墓地の丘の南斜面の可愛らしい路地をいくつか紹介してきたが、今回もその一つ。
石畳の坂路を上ってゆくと、ぐるりと一周してくる事ができる。
その坂道の一番奥にリセがある。
三々五々大きな扉から高校生達が出てくる。
パリの道
この石畳を何年間か通った学生たちも、卒業し、大人のパリジャン、パリジェンヌになってゆく。
2013.08.29

コアラズ村 青のチャペル続き

観光局からバス停方向に戻り、迂回しつつ見えている青いチャペルを目指す。
貸してもらった鍵で、チャペルを開けようとするのだが、そう簡単に開いてくれない。
鍵をずらしつつ、何度かチャレンジすると、開いてくれた。
コアラズ村
貸しきり状態になるチャペル。
そとも、空色のチャペルであるが、中は、写真で感じる以上におぉ!と声を上げるほど真っ青なイメージだ。
深海というような。
コアラズ村
ステンドグラスも、入り口のガラスも、ライトも、彫刻も、花も、そして壁画も青。
無論、壁画は、その他の教会同様、ステンドグラスだったり、彫刻だったり、絵画だったりのキリストの生涯を題材にしたものだ。
名残惜しいが、借りた鍵を返さねばの思いで、鍵を閉めて後にする。
2013.08.28

コリウールの路地を歩く

階段を下りれば、上り坂の路地にいたる。
こどものころ作った、ビー玉転がしのルートを思わせる、ワクワクさせる道だ。
途中でビー玉が止まってしまいそうな上りですけどね。
コリウール
最近はインターネットという便利な教科書があるから、子供のビー球ころがしも、レベルアップしているに違いない。
我々の子供の頃は、せいぜい、お菓子なんかが入っていた箱を開いた内側にビー玉が落ちない”道”を斜めに貼り付けるぐらいしか思いつかなかった。そのなかで、どれだけ、道を長くするか、変わった動きをするか・・。
3Dの方向への発想は無かったなぁ。

ビー玉が、その重さに耐え切れぬ道とセロハンテープと共に落下してしまう結末を迎えるのだ。
床を転がるビー球を追いかける羽目になる。

ともあれ、路地は子供心をくすぐるのだ。
2013.08.27

メトロのプラス・デ・フェット駅入り口

メトロにいろんな入り口があるが、ここは、コンクリートジャングル風広場らしく、メトロ入り口もコンクリート造り。パリの中でも、かなり高い位置に存在する駅だが、ここからエスカレーターで一気にホームへ下ってゆく。
入り口付近では、新聞などをいつも売っている。
パリのメトロ
このあたり、パリの東の丘。
この駅の一つ先、テレグラフ駅付近が頂上になる。
2013.08.26

Rue Saint-Yves サン・ティヴ通りの花

電波塔ではないけれど、どこにいても、大聖堂の塔が見える。
どこからでも見えることが、きっと重要だったに違いない。
サン・ティヴ通り。
聖イヴの名を冠する通りだ。
トレギエ
この通りも、大聖堂前の広場に通じる通り。
かわいらしい路地の雰囲気がある。
ずっと先には、教会の尖塔と屋根も見える。
トレギエ
広場に近づいたころ、建物の壁に花が咲いていた。
なんとなく、聖イヴと花というのがイメージにぴったりだ。
おそらく、アダムとイヴというところから、勝手に女性的イメージと結びついてしまうからに違いない。
2013.08.25

Avenue Rene Coty ルネ・コティ通りの並木

パリ14区。
ラスパイユ大通りの延長、ダンフェール・ロシュロー広場から、モンスーリ公園を結ぶ並木大通りである。
モンスーリ公園への参道のような道だ。
ダンフェール・ロシュロー広場から、RERの線路脇を並行して走っているのだ。
パリの道
しばらく行くと、右手に広場が。
病院裏の空き地であるが、ここの真ん中に、石の小さな小屋が立っている。
これが、水道の監視小屋らしい。
ルネ・コティ通りをモンスーリ公園へ南下してゆけば、以前に紹介した、モンスーリの地下の水がめがあるし、水の管理は、昔から今も重要な行政の一つであることに変わりはない。
パリの道
この空き地のばあい、落書きも目立ちますがね。
パリの道
通りのデン!に存在する遊歩道は、パリの喧騒をほんの少し和らげてくれる。
2013.08.24

アイの丘から

教会前から見えた丘へ登る。
結構な急坂。
登っていくと、いきなりブドウ畑が。
DEUTSと石標。
ドゥーツのシャンパンの元、ブドウ畑ということになるのだろう。
アイ村
さて、丘をずんずん登ってゆくと、眼下にアイの村が広がる。
ブドウ畑の急斜面の先に、先ほどの教会が見える。
アイ村
そして、アイの向こう側も延々とブドウ畑が続いているのが見えるのだ。
その中でも、教会の存在感はさすがに一番だ。
アイ村
景色もいい、空気もいい、しばらく、散歩するとしよう。
2013.08.23

中国国際航空で行くパリ8 北京から羽田2回目

北京経由での2回のパリ往復もいよいよラストフライト。
RERの人身事故やら、空港のクラッシュ、警察沙汰、ウイルス性胃腸炎等々、さまざまな難関が今回待ち構えていたが、これらを乗り切り、最後のフライトは通常通り始まった。
中国国際航空
北京の空港は、香港、ソウル、モスクワ、ドバイ、イスタンブール、バンコク、シンガポール、ハノイ、ホーチミン、台北・・・らとなんら変わりなく、普通に乗り換えられる。
乗継のパスポートチェック、荷物検査を通り抜け、電光掲示板どおりゲートに向うだけだ。
欧州で乗り換えるほうが、国際線から国内線となるため、大変になってしまう事が多いのかもしれない。

東京の東の字は、最近は日本で、この略字をみることは相当少なくなった。
が、やっぱり掲示板は漢字だらけで、文化的にも、地理的にも近いことに違いない。
中国国際航空
最後の機内食は、あの、何度も食べた、味の濃いごはんもの。
しばらく食べられぬと思えば、これも思い出の味。

最後の最後はトラブル無く終了した。
2013.08.22

コアラズ村の青いチャペル・シャペルブルーへ

ニースのヴォーヴァンにあるバスターミナルから、Coaraze(コアラズ)村へは、このバス路線始めて運転するというお兄さんドライブで訪れた。
途中、コントという町でバスを乗り換えることになったのだが、バスの時刻表は乗り換えになっていない。
運転手さんから、前のバスに移動してねと案内されていたから、わからないということは無かった。
コアラズ村
コントの町も、車窓から見るに、鷲ノ巣村のような作りで、天空の城といった感じだ。
いずれチャンスがあれば、登ってみるのも悪くない。そう思いながら、山道を進む。

バスは九十九折へ差し掛かる。
バックしつつ、切り返しの連続。
これが、バスを乗り換えた理由だったのかもしれない。
あまりに大きなバスでは運転しにくい。

コントまでは、何らかの理由で、大きなバスになったのだろう。
もっとも、気にしていなければ、わからないほどの大きさの差であるように思うが・・・。
コアラズ村
バスは、絶妙な運転で、奥の奥、コアラズ村へ到着する。
途中、九十九折から、見えてくる。

バスを降りて、村なかへ向い、地図をもらいに観光局へ。
コアラズ村
観光局へ着くと、シャペル・ブルーへ行くのなら、ここで鍵を貸してあげるから、言ってくださいとのこと。
もうすぐお昼だったが、待っててくれるということだ。
その親切に甘え、そのチャペルを目指して歩いていくことにした。
2013.08.21

コリウールの山を登る 続

山頂まで登ると、要塞が立っている。
このあたりまで、車でも登ってこられるようで、散歩がてら、大きな犬を連れた女性とすれ違った。
ハァハァしている大きな犬であるが、山道を登ってきたわけではあるまい。
コリウール
さて、下り。
これは、速い。
速いが、足元が気になるから、景色をゆっくり楽しむというわけでもない。
大分下ったところで、名残を惜しむように、コリウールの町を一枚。
コリウール
絶壁の城壁を眺めるところで一枚。
巨大な手のひらで、デン!と押し返されそうな気持ちになる防波堤的壁面が、殺風景なのに印象的である。
壁というより、板みたい。
2013.08.20

Boulangerie Boris Portolan ブラーンジュリー・ボリス・ポルトラン

パリの19区、スクレタン大通りをビュット・ショーモン公園方向に向かって歩く。
結構雰囲気のいい通りで、何というわけではないけれど、個人的には好きな界隈だ。
お昼はパン屋というのが、パリの場合、リーズナブルでしかも、結構美味しいお昼にありつけるパターンだ。
たまたま、その、ガラス張りのきれいなお店に惹かれて、ここでパンを買う。
パリのパン屋
パン・オ・ショコラというのは、チョコの粒粒ではなく、チョコのラインが中に入っているのだが、寄ってみると、そのラインの切れ端がはっきりわかる。
パリのパン屋
そして、ここのフランは、上に蜜がたっぷり乗っている。
おいしいのだが、外で食べようと思ったら、手と口の周りがベタベタになるから、ウェットティッシュは必携かもしれない。
パリのパン屋
パリの19区だ。
メトロなら7bis号線のBolivarが近い。
ここのパン屋さんも美味しかったが、こうした美味しいパン屋が多いぱりは、見つけたパン屋でお昼というのも、楽しみの一つなのだ。
定番ものも、比べてみると随分違ったりするのだ。
もちろん、そんなに美味しいパン屋じゃないなってなこともあるけれどね。
2013.08.19

Rue Saint-Andre サンタンドレ通りの坂道の向こう

この通りも、大聖堂前の広場に通じる通り。
エルネスト・ルナン通りは、古い建物が並ぶ、商店も多い通りだが、こちらは、その坂道に比べると、落ち着いた雰囲気。
写真の先に郵便局の黄色の看板が見える。

教会前広場から、マリア像が壁穴に存在する角を下ってゆく。
通りの向こうには、対岸の丘が見えるのは、エルネスト・ルナン通りと同じ。
トレギエ
あの対岸から、町を眺めたらきれいだったろうに、それは、このとき思い浮かばなかった。
それが、心残りではある。

物事も景色も、今自分がいる立ち位置は、気がつかぬものだ。

地図を上下左右に回転させながら、その場所にたって、地図を眺めてみる。

ソウルに立って日本。
北京か上海に立って日本。
台北に立って日本。
これを地図で眺めてみる。
日本を太平洋に置き換えてもいい。

ベルリンに立ってフランス。
マドリードに立ってフランス。
ロンドンに立ってフランス。

それぞれ、違った、景色が見える。

重みも違うし、邪魔加減も違う。
色も違えば、重さも大きさも違うのだ。

ああ、なるほど。
ああ、それで。

そんな何かを感じられるかもしれない。一度是非、地図を回転させてみてください。
2013.08.18

パリの工事現場の脇にて

何度も登場している、パリをイメージさせるカラーですが、今回も登場。
工事現場の壁の脇に置き去られた、カルフールのカート。
一体何故、こんな道端にカーとが置き去りにされているのか分かりませんが、ここは、パリのハズレの12区の端。
この近くの郊外エリアにカルフールがあるのかもしれません。
なかなか、日本では、こうしたカートの置き去りは見ませんが、気がつかぬのは自分だけでしょうか?
パリの工事現場
色といえば、気がつかなかったですが、カルフールは青白赤のトリコロールなんですな。
RERなんかも、青白赤ですが。

しかし、グレーグリーンの壁の方が、よっぽどパリっぽいかもしれません。
Posted at 15:00 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2013.08.17

アイ村の教会

アイの村は小さい。
この小さい村をブドウ畑が囲むわけだ。
小さな村をぶらついていれば、教会が目に入ってくる。
アイ村
サン・ブリス教会というらしい。
残念ながら、なかには入れなかったが、屋根の壁が崩れ落ちそうな雰囲気である。
15世紀16世紀に出来たらしいが、メインテナンスしていないと、石の建物とはいえ、創建当時を保つのは大変なのだろう。
あちこちの教会が、修復工事をし続けるわけである。
アイ村
正面から見る一本の塔がたつゴシックをみていると、左側にブドウ畑の丘が見えている。
町を覆うように、迫ってくるように感じられる。
写真を撮っていたら、早いところ、あそこへ登ってみたいと感じてくるのだ。
アイ村
ということで、あの緑の丘をとりあえず目指すことにした。
2013.08.16

中国国際航空で行くパリ7 パリから北京へ2回目 捕物帳

パリから北京への5月のフライトについては載せた。RERの事故ストップから、体調悪化までの話だ。
さて、二度目、6月の帰国便。
これは、一番最初の、空港の暴風雨ガラスわれ看板倒れ事件の続きとなる。
起きたアクシデントはそれだけではなかった。
中国国際航空
ながーい動く歩道をひたすら歩き、荷物検査の列にまでイライラする中国おばちゃんに圧倒されつつ、搭乗口へ向かう。ターミナル1である。
案の定、飛行機は、飛ばない。
遅れる、遅れる。
これが、一変に何分か遅れるわけではなく、登場予定時刻が15分刻みぐらいで遅れてゆくのである。2時間ほど。
だから、さすがに、列作るのが大好きな、せっかち中国人の人たちも、あきらめて座っている人が多くなった。

チェックインカウンターでの看板事故の影響というレベルではない時間待つ。
飛行機は着いているが、一向に気配はない。

ようやく、飛行機に乗り込んだ。
後方から5列目ぐらいの席であった。

しばらくすると、後方が騒がしい。
すぐそこだ。
空港警察?らしき体の大きな人が、数名やってくる。
女性の金切り声。

どこかに隠れていた女性なのか?
席の取り合いで女性同士のケンカにでもなったのか?
席番号みたいな事を、フランス人警官が言っているように聞こえるが、なんのこっちゃわからぬ。

中国人たちは、皆野次馬状態で、捕り物を携帯で撮影する始末。
一人の中国人のお姉ちゃんが中国語で、何々したみたいよ!なんて、声をかけてくれたが、全く中国語がわからぬ。

カクシテ、捕り物はおわり、手錠につながれた女性が、真横を通り過ぎてゆく事になった。
中国国際航空
そうして、相当遅れた飛行機は、一路北京を目指すことになったのである。

ごはん系を頼むと、似た味になると踏んで、一度目はポテト、2度目はヌードルを選択した機内食。
味は悪くないですよ。
2013.08.15

マントンの坂を下り

マントンの丘の上の墓地をでると、ゆっくりと下ってくる。
近所のひとだろうか?前の方をゆっくりと下ってゆく夫婦らしき人影が。
周りの雰囲気は、夕暮れ、各家々で夕食の時間が始まっている・・・そんな空気が街を覆っている。
マントン
なんとも言えない、懐かしい家庭の空気感である。
旅にでると、非日常の連続であるから、こうした、生活のなかの安心感からは程遠い時間が過ぎる。
それが、懐かしい、恋しい切ない気持ちにさせるのであろう。
マントン
サンミシェル教会の前へ戻ってきた。
さっき、登っていった路地の階段を、おねえちゃんと弟だろうか?子供達が駆け上がってゆく。
家まで競争だ。

教会前の広場を抜け、つづら折り階段を下りて、海辺へ出る。
振り返ると、味気ないコンクリートの壁の向こうに、階段の可愛い黄色とライトアップが始まったピンク掛かった教会が見えていた。
2013.08.14

コリウールの山を登る

風車を後にして、見えていた山道を登ってゆく。
といっても、登山じゃない。
写真のように、畑道だ。
それでも、鍛えていないブクブク体にはきついってなもんじゃない。
コリウール
ブドウ?畑越しに見える、コリウールの町は、可愛らしい。
望遠レンズで覗いてみると、さっきいた風車と、その先の教会がはっきり見て取れる。
コリウール
実際見えているのは、まるで地図を見るかのような、コリウールの町付近とその先。
国鉄の鉄路もしっかり見える。
コリウール
さらにさらに登って、頂上の砦を目指す。

2013.08.13

Rue de Cambrai コンブレ通りに横たわる怪物

パリ19区のコンブレ通りは既に別の場所で紹介しているが、フランドル大通りと並行して走る、動脈の一本である。
この通りに、和っぽい建物がある。
といっても、巨大だ。
高さではなく、延々と続く長いたてものなのだ。
日本人には、斬新というより、どこか、懐かしい感じすらする建物だ。

アパルトマンか何かなのであろうが、まるで、日本の花街の格子戸がつづいているかのようにも見える。
パリの道
ずっと歩いてくると、最後は骨組みのように見える。
まるで、横たわる恐竜の骨のように。
2013.08.12

Rue Ker Coz ケルコ通りの石畳

この通りも、教会前の広場につながる通りであるのだが、車も通るような大きな通りではなく、石畳の小さな小道ともなる。
トレギエ
広場に出る手前は、この通りの小路だ。
常に大聖堂の尖塔が通りの向こうに見えている。
石畳が雨に濡れると、使い込まれた石の輝きが増す。
トレギエ
気に入った通りになると、同じようなアングルで何枚も撮ってしまうもの。
トレギエ
大聖堂前の広場へつながるとは思えぬ幅と静けさのケルコ通り。

2013.08.11

パリの新ごみ箱

ワインのビンなどを回収する巨大ゴミ箱がパリ市内のあちらこちらに設置されている。
これをクレーンで持ち上げ、底が抜けて、巨大ビン割れ音とともに中のビンを回収する回収車に出くわすこともある。
その、ゴミ箱は、グリーンであった。
のだが、今回目にしたのは、なんとグレー。
パリのゴミ箱
パリの場合は、ゴミ箱といえば、グリーンが相場であったので、おっ、変ったんだ!と思わせるカラーリングである。
ちょっとリンゴのように見えますがね。
緑のときはもっとタンクっぽい感じだった。

以前より傷がつきにくい、細かいざらざらのついた、つるりんことした感じの素材のようである。
触っていませんが。

見た場所は、10区、ルイ・ブランのメトロ駅前。
Posted at 18:46 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2013.08.10

アイ村散策

アイ村のメインストリートから、一歩中へ入ってゆく。
カーヴと思われる重厚感溢れるレンガ造りの少し古い建物が並ぶ。
道は石畳だが、この方がへこまぬのかも知れない。
アイ村
村のどこを撮っても、シャンパンとかかわる何かが写っている。
そうした村である。
規模は小さくとも、村といっても、ここへ落ちるお金はただの小さな村とは、別次元だろう。
赤枠の窓が、この町ではあちらこちらで可愛らしい。
アイ村
この、デンと置かれた樽には、ぶどうがたんまり入っていたのだろうか?
アイ村
シャンパン造りという、黄金の元が、連綿と引き継がれている財産がこの村にある。
そう感じる村散策であった。
2013.08.09

中国国際航空で行くパリ6 北京から羽田へ1回目

RERが人身事故で遅れ、北京行きも遅れ、なんとか、北京に到着。
5時間ほどの乗り換えであるから、余裕のあるはずだった。
遅れのために、乗り換えの待ち時間をもてあます事はなくなったはずであった。

はたして・・・。

北京でも飛行機は遅れて出発するらしいのだ。

スターバックスでお茶をして、試しに、ゲート方向へ歩いてゆくと、遅れたために、乗客にお弁当を配っていると言う。
いやいや、一度はゲートへ行ってみるのもだ。
でなければ、弁当の存在に気がつかぬままであったろう。
中国国際航空
このお弁当、実は、結構旨かった。
機内食よりも良かった。

これだけで悲劇は終わらなかった。

羽田行きに乗り込むと、同じような、味濃い目のにんじん硬めの機内食。
多少飽きるが、それでも、弁当食ったばかりとはいえ、何とか食べられる。
パンもいつもついてくるのだが、このときばかりは、なんと、アンパンであった。
そんなに美味しいアンパンではないが、こちらの好物なので、これは言う事無い。
それで、バターが無かったのね。
中国国際航空
この直後から、体調が急変。
まず、強烈に胃が痛くなる。
食いすぎではあるが、それにしても、言うほどじゃない。
あまりの胃の痛さに、CAさんに、胃薬所望をジェスチャーまじりの下手英語を使い、必死の形相で伝える。
CAさんも心配顔ながら、無いとのこと。

猛烈な痛さは、羽田まで続き、そして、最後はトイレに駆け込むことに。

検疫のゲートは全て閉められ、職員が待機する前を通過しなければならないことに。
体調悪くて、トイレに駆け込むこと場合、こういう仕儀になるとは、上手く出来ているものだ。
それにしても、この晩、38度以上の高熱で苦しむ羽目に。

このときは、まだ、なんのことかわかっていなかったが、これ、ウイルス性の胃腸炎であることが、帰宅後医者へ行ってわかったのだ。

お医者さんによれば、機内食が原因とは考えずらいようだ。発症までが早すぎる。
おそらく、フランスで既にウイルスをもらっていたに違いないようだ。
食べ物が原因とは限らず、どこかで、何かを触っているかも知れず、手洗い励行以外に方法は無い。

とすれば、今回一番最初の悲劇は、RERが人身事故で止まった事か、このウイルスもらったことか、どちらかであったということだ。

この1週間後、再び、中国国際航空にてフランスへ行くことになるのだが、その時は、全く問題なかったのである。

外に出るというだけで、いろんなリスクを背負うことなのだ。まして、海外ならば。
2013.08.08

マントン 路地を駆け上がり続け

サンミシェル教会の脇を抜ける。
とにかく上に登る道を見つける。
逡巡している暇は無い。
もう、カメラは手首にストラップをぐるぐる巻きにしたまま。
写真を撮っている暇は無い。
マントン
路地を抜けぬけ、高台の墓地に着く。
急いで、海が見えるほうへ墓地の中を進む。
もう夕焼けというより、夕闇に近い。
かすかに赤く、夜の青さが降りはじめてきていた。
マントン
夕日が見えぬが、雲のせいか?時折、赤みが差す夜にも思える。
さらに上へ登る。
周りの邪魔者を消すために、望遠でのぞく。

遠くで鐘の音が聞こえる。
教会の鐘じゃない。
時計を見たら、6時が近い。5時だったかな?
もう、墓地が閉まるよ!の合図なのだろう。

おどろおどろしくない欧州の墓地であっても、取りこされるのはごめんだ。
あわてて、外へ。

夕闇迫る街並みを路地ではない道を使って降りてゆく。
2013.08.07

コリウールの町を丘の風車から眺める

コリウールの町をぶらぶらしていれば、右手の丘に風車が立っているのが見える。
見えたなら、行って見ようということになる。
まずは、ビーチの対岸で町を見た後、丘を登ってゆく。
コリウール
この風車までなら、散歩程度の距離。
あちらこちらを歩き回っている旅のつわものなら、これは歩いたうちに入らぬかもしれぬ。

風車からみたコリウール。
風車まで来てみたら、確かに町が一望できるのだが、風車まで来ましたって証拠がない。
ということで、風車の一部を入れて、登りました証明写真。
2013.08.06

Rue Stendhal スタンダール通りの階段を登って

シャロンヌ村の中心、サンジェルマン・ドゥ・シャロンヌ教会脇の階段である。
シャロンヌ村と言っても、現在のパリ20区。
教会脇をカーブするように登ってゆくこの道の脇を、あたらしいアパルトマンが壁のように囲む。
ちょうど、道のカーブの沿って。
パリの道
この階段を昇って、この裏の廃線跡を見に行くのだが、この道の先の見えぬカーブと先の見えぬ階段も結構好きだ。
パリの道
階段を昇りきって、まるでドームや競技場の壁になってるアパルとマンを振り返る。
新しい建物でも、暖炉はあるのだろう。
屋上の煙突は、新しい古い関係ないらしい。

街灯、緑の工事道具、アパルトマン、そして、落書き。
これもパリらしいかもね。

2013.08.05

トレギエ散策 Rue de la Chalotais シャロテ通り

エルネスト・ルナン通り、コルヴェストル通りと同じく、この道も、大聖堂前の広場から延びる通り。
トレギエ
地方によくある、いろんなショップのある、メインストリートの一本的存在ではあるが、歩いてゆくと、水色と赤のかわいらしいバルと扉が印象的な建物があったので、一枚。
落ち着いた色彩の建物にビビットな色はかわいらしく見えるんですねぇ。
2013.08.04

地下へ潜ってゆくメトロ2号線

パリの19区と10区の境目。
ちょっとした円形の広場がある。
コロネル・ファビアン広場である。
この広場の北側で、メトロが地下と地上をつないでいる。
足元はトンネル。目線の先は、ジョレスの高架駅。
地下に潜ると、コロネルファビアン駅になるところ。
パリのメトロ
まるで、目の前をさえぎるところ無く撮っているようだが、写真に写っていないだけで、実際は、金網が貼られている。そうでなければ、人も、物も、落ちたら大変な事だ。
メトロは地下鉄というけれど、実際、半分ぐらいの路線は地上も走る。
2013.08.03

アイ駅からアイ村へ

アイの駅からテクテク歩いてゆくと、橋に出会う。
ここは、マルヌ川から引き込んだ運河。
運河であるから、川岸がまっすぐきれいになっている。
その岸辺に、絵のごとく並ぶ、色とりどりの木々。
細長い緑地帯なのだが、木々に家々が遮られて、まるで広い公園のようにさえ見える。
アイ村
橋の上から、さらに、北上してゆくと、町へ入る。
図書館かどこかのガイドブックで、この町が綺麗そうだというだけの情報で来てみた。
ブドウ畑があること以外は、よく知らぬが、対して大きな町でないのなら、行けぬこともなさそうだと来てみた。
アイ村
丘が見える。
ブドウ畑の丘だ。その先に森。
丘が見えたら、登るのが鉄則。
どこでも、たいてい、素晴らしい風景に出合うことができる。
もっとも、足が持つ間だけであるが。

まずは、街中をぶらつくことにする。
2013.08.02

中国国際航空で行くパリ5 パリから北京へ1回目

日本では出発2時間前にチェックインカウンターへが常識であるが、パリの場合3時間前にはオープンする。
そんなに早く行って何するの?と言われれば、空港でゆっくりすると答えるしかない。
時と場合によるのだが、列に延々と並ぶ事だけは避けたい。
5月はスーパーで、オヤツのアップルのベニエとバドワを持って向かった。
中国国際航空
空港でのんびりするはずであった。
そして、中国国際航空そのた、スターアライアンス系は、ターミナル1である。
そこへ、3時間前ピッタリグらいに着くはずのRER-B線に乗ったのだ。

ところがである。
パリ北駅を出発したRERは、次駅、スタッド・ドゥ・フランスの駅の手前で止まってしまったのだ。
どうやら、人身事故が起きたらしい。警察の現場検証が行われていると車内アナウンス。
フランスであるから、飛込みじゃなかろうけれど、人身事故にこんなタイミングで合うとは。

延々と待たされる。しかし、なかなか出発する気配が無い。
3時間前どころか、2時間前も怪しい。
駅でもないから、降りてタクシーという選択肢もない。ただただ箱詰。
ため息をする、乗客のフランス人。あの、口を膨らませて、一気に空気を吐き出すやつだ。
それにしても長い。
中国国際航空
飛行機に乗り遅れたらどうしようか?ということすら、考える事をやめ、なるようにしかならぬと腹が決まった頃、ようやく列車が動き始めた。
そして、次のスタッド・ドゥ・フランス駅に到着。1キロも走っていないだろう。
降りて、バスを探すか?それとも、タクシーか?
逡巡しているうちに、列車は動き始めた。

なんとか、30分すこし前には、カウンターに着けた。
人影は無いが、中国国際航空の画面表示はまだある。
急いでチェックイン。

もらった搭乗券をみると、どうも時刻がおかしい。
画面で確認すると、飛行機が2時間遅れるらしい。
幸運なのか?不幸なのか分からぬが、ベニエを食べる時間が出来たわけだ。
中国国際航空
登場ゲートへ着いたものの、出発時間は、15分刻みに延びてゆく。
結局3時間以上遅れて出発した。
北京の乗り換えは5時間ぐらいだから、まあ、何とかなるだろう。

しかし、これだけでは終わらなかったが、それは次。