2013.07.31

コリウール散策 町を対岸から眺める

コリウールの街へやってきたのだが、散策した後は、湾の対岸と、丘、山それぞれから眺めてみることにした。
そのために散歩する。
どうやら、上のほうまで登ってゆく観光地に良く見かけるミニSLバスがあるようだが、自分の脚で行くことに。
コリウール
対岸方向へゆくと、徐々に徐々に坂を上り始める。
登ってゆけば、コリウールから出てゆくことになるだが、体力の温存もあるから、その手前まで。
こんもりとした岬に貼り付くように町がある。
左には、お城の巨壁が見える。
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2013.07.30

Passage de la Tour de Vanves トゥール・ドゥ・ヴァンヴ小路に誘われ

パリ14区の背骨とも言うべきメーヌ大通りの脇に、ひっそりと存在するパサージュがある。
むろん、屋根もついていないし、お店があるわけでもない。
こじゃれた2区のパサージュとは別の趣である。
パリの道
昼間、人影がとぎれたパサージュに、こびとが現れ、こちらこちらと誘う。
そんな、喧騒と別世界の顔を一瞬見せる。
普段の顔は、ただの抜け道。
パリの道
14区はのモンパルナス裏は、こうした、抜け通路雰囲気の小路が結構存在している。
2013.07.29

トレギエ散策 Rue Colvestre コルヴェストル通り

教会の正面から西に伸びる通り。
通りからは、石造りの家々の向こうにサン・テュグデュアル大聖堂の塔が見える。
重量感が凄い。
トレギエ
互いに寄り添うように、古い家々がたたずんでいる。
この街以外でも、ブルターニュの古い家々は、こうした装飾のたくさんある木組みの家が随分残っている。
トレギエ
石の影響なのか?
それとも、少々曇っていた影響なのか?
街行く人の少なさからか?
町全体が、暗くどっしり感のあるように感じられた。
2013.07.28

パリのトラム3号線乗り換え駅

延伸しているパリのトラム3号線が3aと3bに分かれていることは先週書いた。
その分岐点、乗り換え駅である。
ポルト・ドゥ・ヴァンセンヌ駅。
メトロ1号線の乗り換え駅でもある。
パリのトラム
外周を走るトラムが、突然内側へ90度曲がると、すぐにこのターミナルに到着する。
ここでなければ、ポルト・ドゥ・ヴェルサイユのトラム2号線と3a号線の乗り換え駅が、複数乗り入れるトラム駅ということになる。
その、乗り換え駅の向こうに、高架橋がみえる。
あれが、このトラムの前身の前身、プティット・サンチュールパリ環状廃線なのだ。
パリのトラム
その廃線が取り壊されること無く、柱も残ったまま、トラムのホームが出来上がっている。
地下でもないのに、新し物の上に、古いものが建っている形になっているのだ。
古いものを尊重する、この国を象徴するような光景といってもいいのだろう。
ただ、そんな事を思うものは、鉄路好きだけだろう。

乗り換えなければならぬ不便さ、乗り換えるのに歩道橋も地下通路もなく、横断歩道という不便さ。
そういう発想が、アジア的、日本的。
基準も目的も手段であっても、最終的な解が一つではない、という柔軟さを、海外では思い知らされるのだ。
または、不満タラタラになることもあるだろうが・・・。
2013.07.27

シャンパンの村 アイ村へ

パリ郊外、イヴリーの町で、セーヌ川とマルヌ川が合流する。
この分岐点に、中国風ホテルが建っていることは、以前ここでお伝えしたが、そこから遡ると、パリディズニーランド、その先には、最高級品ブリーチーズのモーの街、さらに遡るとシャンパンの聖地エペルネーに到着する。
そこから国鉄駅一駅分、マルヌ川を遡れば、アイの村があるのだ。
シャンパンは、ここで荷積みすれば、パリまで川でひといきということだ。
アイ村
さて、エペルネーとランス間を結ぶローカル線。
つい最近には、最新の列車に入れ替わって、ご覧のとおり。3両編成ではあるが。

ブドウ畑の宇宙の中に、エペルネーという大きな星がある。
この衛星のようにいくつかの村がブドウ畑の海に点在するのだが、ここもそのひとつ。
街が小さい分、ブドウ畑をもっと身近に感じられるところだ。
アイ村
北海道には愛国という駅があったが、ここは直江兼続同様、アイ駅である。
このローカル線、黄金の泡の源のブドウ畑の丘を貫ける景勝路線だ。
2013.07.26

中国国際航空で行くパリ4 北京からパリへ

北京からフランスへは、同日着。2度のご飯が出る。
上二つは5月、下2つは6月に乗ったときだ。
中国国際航空
5月は似たような物を頼む事になった。
おそらく、一回目は欧州風か中国風か?に中国風と答え、二度目は牛肉とこたえたのかも知れぬ。
向きだけが違う、ほぼ同じ物を食べる事になったのだ。
こちらも、心してかからぬと、こういう羽目になる。
それにしても、にんじん等が堅いのは気になるが、味は決して悪くは無い。
ただ、濃いのは変わらぬ。
中国国際航空
心してかかった6月は、前回と同じ轍は踏んでいない。
見た目は6月の方がおいしそう。
中国国際航空
北京の空港で乗り換えると、日本人は日本人以外にも、韓国人、中国人、そして、フランス人が目につく。
もちろん、パリ行きであるから、フランス以外の欧州人はそんなにいるわけも無い。
たまたま乗り合わせた、韓国の若者達は、みな揃って、大きなサングラスにピチピチのTシャツかタンクトップにシャツという格好をしていたが、あれは、流行っているんですかね。それとも、パリ行きのスタンダード?
中国の若者達は、皆、我関せず。周りは気にならぬ様子。まるで、バス待ちの雰囲気。
パリ行き”アジア”の一幕といった景色であった。
中国国際航空
今回はシーフード、そして、麺と頼んだので、違うものが食べられた。
毎回、最初は、CAさんに中国語で聞かれるのだが、中国人か、韓国人か、日本人か?そんな細かい事は気にしてないよ!ということなのかもしれない。大国だものね。
もっとも、中国語の中にも言葉がたくさんある。

2013.07.25

トゥエ・シュル・ヴァール寸景

フランス、スペインと立て続けに列車事故がおきている。
フランスでは、以前、同じく郊外のムランで事故があったと思うのだが、今回も、郊外で路線が分岐するあたりで事故が起きていた。
猛スピードで駅のホームを通過するのは、向こうでは日常である。間近を通過する列車は、恐怖を覚えるほどだ。
駅で徐行というのは、日本だけなのか?と思わせるスピードである。
そうは言っても、フランスの事故は西明石駅の事故を思い出させるし、スペインのものは、福知山線の事故を思い起こさせる。

サンフランシスコのアシアナ航空を始め、787もまだトラブルが続くし、航空機の事故の話題も多い。

公共交通は、乗客にとって、命を預けるしかない。
トゥエ・シュル・ヴァール
こちらは、プロヴァンス鉄道の途中。トゥエ・シュル・ヴァールの町。
まるで事故に縁が無い、のんびりの鉄道のようではあるが、この町のように、崖また崖を越えてゆく。

この町の表の顔は、崖に貼りつく町。
裏は、こんなに長閑なのだ。
2013.07.24

コリウール路地散策続く

可愛らしいピンクや黄色の家々は、地中海にきたのだと感じさせる。
先週載せた番地表示も可愛らしいが、町全体で一つの雰囲気を作り出し、守っている。
日本で言う商店街とか商工会に近いのかもしれない。
コリウール
町の雰囲気を作るものには、看板がある。
薬局の緑、郵便局の黄色などなど、印象的なもののあるが、店々の看板も街の雰囲気を作り上げる。
鷲ノ巣村など同様、ここもアーティスティックな雰囲気である。
フランス語Ouvertと同時に英語でOpenとなっている。
ここは外国人も多く訪れるのだ。
コリウール
Rue de la Fraternite(フラテルニテ通り)と題して、看板があると、フラテルニテ商店街ということになるか?お店を紹介していると言うより、紹介している看板の存在で、この商店街の雰囲気を盛り上げている。
もっとも、漢字の”商店街”という雰囲気ではない。
2013.07.23

Rue de l'Esperance エスペランス通りの道しるべ

絵の多いビュット・オ・カイユ。
メインストリートの続きのエスペランス通りも、通り名の看板を意識した絵が描かれている。
そして、こちらもまた、多くの場所で題材にされるだまし絵。
さすがにだまされる人はいないでしょうが・・・。
パリの道
丘といえば、モンマルトルが印象的。
他には、パンテオンのあるサント・ジュヌヴィヴィエーヴの丘もそうだ。
丘っぽく感じないが、凱旋門も丘の上に建ってますね。
それ以外も、丘の多い丘陵地帯にパリがあり、セーヌが蛇行していくんですね。
2013.07.22

トレギエのエルネスト・ルナン通りを再び登る

観光局で地図をもらったので、再び、市内散策へ。
先日載せた通りを再び登るわけだが、この通り、古く可愛い雰囲気であるので、もう少し掲載。
トレギエ
坂を登りきると、教会の裏手から広場へ向けてぬけてゆく。
方角としては、教会の北にあたる。
トレギエ
古い家々も並ぶが、教会と港の間という立地であるから、交易などで潤っている人たちの住居であったりしたのかもしれない。ただの木組みの家ではなく、立体的な装飾が施されているのだ。

2013.07.21

トラム3b号線に乗る

今年、パリではトラムの3号線の延伸が行われた。
もう半年ぐらいたつ。
もともと、あった、パリ環状線プティット・サンチュールの替りに、頭文字を取ったPCというバス路線ができた。
これが、プティット(小)サンチュール(ベルト)の名のごとく、パリ一周環状となっていたのだ。

このバス路線が、3つに分割された。
PC1、PC2、PC3の3つにだ。
一周するとなれば、大幅な時間のズレが発生するから、仕方あるまい。
ただ、乗っていれば、パリ一周というわけにはいかなくなったのも事実。

これが、トラムという、再び鉄道系に入れ替わることになり、トラム3号線が走り始めたのだ。
今回の延伸で、PC2のバスは完全になくなり、PC1とPC3だけが残ることになった。

ただ、このトラム、一周するように作られていない。
トラムの3a号線と3b号線に分けられている。

3a号線の延伸、3b号線の新設が今回行われたということになる。
パリのトラム
写真は、ポルト・デ・リラ駅の坂道に停まるトラム3b号線。
メトロ11号線との乗り換え駅でもある。
バスに比べると、車窓を楽しむ余裕ができたように思う。

車内空間が広いからか?
それとも、日本での電車生活に慣れているからか?
バスからメトロに乗り換えるより、トラムからメトロであれば、電車乗り換えのイメージだから、選択に入りやすいのか?
トラムの方が、気軽に乗っていられる気がするのである。

2013.07.20

エペルネーでモエのカーヴ見学

モエのカーヴの見学へ。
日本語でも案内してくれるので、それを待って、一番安いコースで入場。
値段は、おそらく最後に飲める”もの”が違うのだ。
モエ・エ・シャンドン
ビデオ見た後は、地下へ。
一旦もぐったら、二度と地上へ出られないのではないかと思うほど広く、どこもかしこも似た風景だ。
どれほど埋まっているのか?
説明は覚えていないが、興味のある人は、潜ってお話を聞いてくるに限る。
モエ・エ・シャンドン
地上へでれば、テイスティングであるが、詳しくなければ、飲んでいると表現すべきであろう。
もちろん、私も、”飲んでいる”一人である。
モエ・エ・シャンドン
シャンパンの泡と共に、聞いたお話しが消えて行く。
飲んだ事に満足し、お土産ショップへ。
モエ・エ・シャンドン
来た、入った、飲んだ!
山崎のサントリーでも同じだが、この3つが旅の醍醐味なのだ。
大事なのは、知識ではなく、時間である。
2013.07.19

中国国際航空で行くパリ3 北京乗換

以前、上海で乗り換えるときに、随分苦労した記憶があるので、北京での乗り換えが少々不安だった事もあるのだが、ここの乗り換えは至って簡単であった。
飛行機を降りたら、入国する人も、乗り換える人も、検疫所を通過し、入国する人を横目に、一番奥にある国際乗継便のカウンターへ向かう。
ここで、パスポートと搭乗券のチェック。
道なりのエスカレーターを降りたら、荷物検査をして、ゲートへ向かうという手はず。
北京首都国際空港
荷物検査が済んで、頭上を見上げるとラインがきれいだったので一枚。
下から撮っているから、ここは荷物検査や、中国からの出国の階。
入国や、乗継のチェックは見えている上の階ということだ。

乗り換えは楽チンであったが、アジアで乗り換えると、国際線から国際線であるため、乗り継ぎやすいと言う利点もある。
これが欧州で乗り換えようとなると、国際線から国内線となるので、随分移動が大変になってしまうこともあるのだ。

飛行機からバスにてターミナルへとなることが多かった。
そんなに遠くないはずのターミナルビルが空気汚染のために霞んで見える。
ああ、なるほどというのが、ここの印象の一つである。
2013.07.18

トゥエ・シュル・ヴァールの扉たち

こうした、小さな南仏の村は、しゃれたデザインにさりげなく替えられているものも多い。
ここの重厚な扉、そして、郵便ポスト、として、おそらく、平らな部分を利用して作ったベンチが、愛らしい雰囲気になっている。
トゥエ・シュル・ヴァール
下は、村を降りてきた水車通りにある風車の絵。
ムーランは、風車、水車の車の部分のこと。風のムーランが風車、水のムーランが水車。
それもあって、この扉の絵なのだと思っておく。
トゥエ・シュル・ヴァール
既製品を選びましたでもなく、手作り感でもない、唯一無二。
独創性を磨く目の保養になる。
2013.07.17

コリウールの路地 タイル探し

路地のタイルの番地表示が可愛らしい。
もちろん、ここなら海がテーマ。
コリウール

ヒトデ、タツノオトシゴ、魚・・。
コリウール

ビーチとその先のノートル・ダム・デ・ザンジュ教会。
コリウール

ノートル・ダム・デ・ザンジュ教会の鐘楼近景。
コリウール

ノートル・ダム・デ・ザンジュ教会の遠景。
コリウール
こうしたタイルなんかはお土産でも売っているものもあるから、持ち帰って自宅で使うのもいいかもしれない。
2013.07.16

Rue Jeanne d'Arc ジャンヌダルク通りの花壇

メトロ5号線と平行して走るオピタル大通り。
この通り、途中から13区になってしまうのだが、どうも、この界隈5区なのか13区なのか分からなくなる。
その、オピタル大通りとジャンヌダルク通りの交差点付近に、小さな花壇がある。
パリの道
この花壇が、まるで、ジャンヌダルク通りを分断するように存在しているのであるが、ジャンヌダルク通りを南下して、花壇を右に行けばエスキロール通り、左に行けばジュネ通りとなる。
で、肝心のジャンヌダルク通りは、花壇を越えたところから、再び始まるのだ。

その花壇の脇に立てば、まっすぐ続くジャンヌダルク通りの先に、ジャンヌダルク教会を望むことができる。

花に色を添えるように、自転車が2台。
日本でもたまに見かけますが、自転車のスタンドは、中央に。

2013.07.15

トレギエの港にて

エルネスト・ルナン通りを下って、港の観光局を目指す。
下へ降りると、港といっても殺風景な川景色が広がるだけだ。
そう思ったら、もう少し上流に係留所があるらしい。
それでも、ここに港のバス停があり、物寂しげにふねが置かれていた。
トレギエ
この街は海に近く、川の合流地点、丘という、戦略的要地に出来ている。
モンサンミシェルの近く、モンサンミシェル建設を思いついたオベール司教のいるアヴランシュも似た形。
ふと振り返ると、二つの塔が門のように立つ。
ここが、街の玄関口であったことがはっきり分かるような建物たちだ。
この右側が観光局であった。
バスを上で降りたほうが楽ではあるが、この港までバスに乗って、観光局を経て、登ってゆくのが、正道というものだおう。
今回は裏口から入ったようなものだ。
トレギエ
観光局で、地図その他をもらい、再び街歩きへ登りはじめる。
2013.07.14

Rue Champollion パリの空 シャンポリオン通り

シャンポリオン通りといえば、映画館がいくつも並ぶ通りとして有名である。
たしか短い通りの半分に、1軒おきぐらいに3つほどあったと思う。
その通りを抜けると、ただの細い通りになる。
平らな壁面に囲まれた通りの上に、パリの細長い空が見える。

中国の歴史小説に、四角い空という言葉を見た記憶があるが、街が城壁で囲まれているからだそうだ。
そうはいっても、よっぽど小さな町でなければ、空が四角くなるまいと思ったのだが、ここの細長い空は、本当に幅狭だ。

こうした通りは、パリの中心部にはいくつもあるから、パリの空と言ってもいいのだろう。
パリの道
さて、本日、革命記念日。
エジプト他で起きている、派閥抗争やクーデター、内戦、デモ・・・体制がコロコロ変わることもフランス革命と重なる部分も感じられるし、そういえば、わが国の総理が、戦後レジームからの脱却と言っている、レジームも、フランス革命からの言葉だ。
アンシャンレジーム(旧体制)、アンシャン(古い)レジーム(体制)である。
マリーアントワネットはじめ、王家はもちろんであるが、教会なども標的(旧体制)だったのだ。

歴史は戦争の歴史という人もいるが、歴史は人の欲の記述なのだと、改めて思うのである。
責める方も、責められる方も、攻める方も、攻められる方も、欲からは逃れられていない。

アンシャンレジームという単語や、錦の御旗は、己の欲を隠匿したものに与えられてきたのかもしれない。


まあ、そんなことはともかく・・・。
「インシデントのエスカレーション方法を皆さんに本日の朝礼でリマインド・・・・。」
「ログイン状態をキープしたたままリフレッシュへ移動しないよう、かならずログオフがシャットダウン・・・。」
「ショートカットの多用、ディテールをスルーして、または、各々のスキルアップによって、新たな目標数へチャレンジ・・・。」
レジームに限らず、一つ一つのカタカナを知ったかしていかぬと、生きていけぬほど、横文字だらけの昨今になってしまった。

それでも、
「コンビニでアイスとパンとシュークリーム持ってレジへ・・・」
ぐらいなら、カタカナ多くて分からないという人はさすがにいないでしょうなぁ。

批判と淘汰があって、言葉もかわってゆくということでしょうかなぁ。
2013.07.13

エペルネーのメゾンたち

モエ・エ・シャンドンのドンペリ像前。
記念撮影してくださいと言わぬばかりの立ち姿。
それに乗っかって、何枚も何枚も撮ってしまう。
エペルネー
モエもいいのだが、プラプラすると、他のメゾンも立ち並び、シャンパンの都であることを感じる。
モエ、マム、ポメリーぐらいが、名前を聞いたことのある、ロゴを見たことがあるような気がする限度で、そう度々、貧乏人には口にすることもできない。
もっとも、この地方のワイン屋さんですら、全てのメゾンを覚えきっているわけではない。
お店のおばあちゃんには、”いっぱいあるから!”と言われてしまったのだ。
エペルネー
写真を撮った。
どこかのシャンパンファイトで見た。
そんなシャンパンも、どこかで再び出会うかもしれない。
エペルネー
ドンペリニョンは修道士。ワインもシャンパンもキリスト教とつながるわけだが、王家ともつながらぬことも無い。
この地方、王の戴冠式を行うランスの大聖堂がある。
この発泡酒を考え出したドンペリニョンとルイ14世は同い年なのだ。
同じ年の同じ月に亡くなっている。
生まれたのが同時期なら、なくなるのが同時期でもあんまり不思議じゃないけれど。
新義経伝説か、いやいや、新鉄仮面伝説のネタにでもなりそうだ。
2013.07.12

中国国際航空で行くパリ2 北京へ向かう

北京へ向かう飛行機の機材はエアバスA321だ。3列3列の中央通路という飛行機である。
意外と小さい飛行機なんだなと思ったが、一日何往復もの飛行機が成田と羽田以外にも飛んでいるから、一種ピストン輸送機ということだろう。
エアチャイナ
機内食は日中混合の雰囲気。
ヨーグルトは日本だけど、バターは中国なんでしょう。
エアチャイナ
見てくれはともかく、味はまあまあだと思う。
5月はカレー味平麺。6月は焼きそば。
どちらかと言えば、味は濃い。
エアチャイナ
乗って、飛んで、食べて、フラッと寝ると、もう北京と言う感じである。
2013.07.11

トゥエ・シュル・ヴァールの壁画

金魚たちの内緒話。
そんなタイトルの絵が、路地のトンネル脇に描かれていた。
トゥエ・シュル・ヴァール
広場の脇の建物の入り口と窓に描かれた絵。
まるで開かずの扉のようにも見えるが、ここは使われているのだろう。
トゥエ・シュル・ヴァール
日時計は、午前中であることを示している。
そういえば、コートダジュールには、日時計が多いような気がするのだが、気のせいだろうか?
太陽のエリアであるからかもしれぬ。
2013.07.10

コリウール城の脇をぬけ

コリウールに訪れたのだが、お城へは訪れていない。
今回目指したのは、お城を見渡せる対岸と、山の上だ。
そこを目指すため、海沿いを抜けて行く。
コリウール
いかにも、強固な石造りの城。
海沿いは、何人も寄せ詰めぬ壁が立ちはだかる。
こんな壁を見たなぁとおもったら、モン・サン・ミシェルのラ・メルヴェイユの北壁も敵軍を寄せ付けぬ威容であった。
コリウール
城を手前にみると、向こうの教会の鐘楼とチャペルは、まるでオモチャのように小さく感じられる。
このお城が建てられた時期には、日本では壬申の乱であった。
この町の歴史も古いわけだが、地中海地方は歴史が古い。
2013.07.09

Rue Alphnd アルファン通りの壁画

なんだか、この界隈だけかどうか知らぬのだが、顔のお面がところどころで見かける。
そして、たすきをかけた黒い人影。
ここに限らず、既に設置されている通り名道標を意識した、または、利用した画が多い。これもそうだ。
パリの道
すでに、この通りは紹介しているのだが、坂を上ってゆけば、ビエーブルの壁画も見られる。
どうやって描かれているのかは知らないが、これを見ると、子供の頃、シールの絵を10円玉でこすり付けて貼り付けたのを思い出す。
そんな雰囲気の画なのだ。
剥がせない画だけれども、爪でがりがりやると、とれちゃうやつだ。
爪の先っぽは真っ黒になるけれど。
パリの道
進入禁止の道標の下には、SAUF自転車。自転車は除く。
日本とその位置も内容も一緒だが、これも画が使われている。
2013.07.08

トレギエのエルネスト・ルナン通りを下る

探せど探せど観光局が見つからぬ。
ガイドブックが古かったのか?場所が変わったのが最近だったのか?
分からないときは役所へ行くに限る。
ということで町役場へ。

すると、観光局は、坂を下った港にあるという。

生鮮食料品もそうであるが、情報の鮮度を保つ事は大変難しい。
自分自身、すなわち、オフィシャルの情報でなければ、常に最新とはなかなかいかぬもの。

そうはいっても、情報を使う利用者にとっては、最新が当たり前と思っているし、それが頼りだから、不満もたまるということになる。
トレギエ
ともあれ、坂を下る。
これまた、なかなかの雰囲気の坂。
ただ、観光局があるんだろうか?という不安半分であるから、100パーセント景色に集中というわけではない。

とりあえず、観光局は坂下に見つかった。
2013.07.07

Rue de Tanger タンジェ通りの小学校壁画

日本でも、この手の壁画は見受けられる。
近所の高速下のトンネルにも、長い坂道の崖を支えるコンクリート壁にも、小学生の卒業制作と呼べる壁画がある。
近所にこれだけあるから、いやいや、日本も多くの壁画があるに違いない。
パリの道
写真は、19区のタンジェ通りの学校の壁画。
これは卒業制作というわけではないのだろうが、子供の通う学校にありそうな絵の雰囲気をたたえている。

どうでもいいことだが、フランスでは、親御さんなどが学校へ迎えにくることが多い。
治安その他もあるのだろうが、下校時間になると、渋滞を巻き起こすほどの大渋滞が発生することもある。
なんだ、なんだ?なんでこんな昼間から渋滞しているの?と思うと、たいてい、その渋滞列の真ん中ほどが、学校の門(日本と違って、校庭ではなく建物の門であるが)であることが多い。
ちと、えげつない雰囲気であるような気もするが・・。まあ、これも、この国の一つの風景かもしれない。
2013.07.06

エペルネの駅にて

パリ東駅からエペルネへ向かう。
ボンバルディア社製の青いつるりんことした在来線である。
エペルネ
大きな駅ではないのだが、駅舎は意外と立派にみえる。
その屋根ゆえか?
それだけの威厳は、この、黄金の泡シャンパンを生み出す町の玄関には必要であろう。
エペルネ
しかし、本当にすごいのは、ここは、シャンパンの町ではなく、ブドウ畑の中の中心地であることなのであろう。
降り立ったらすぐに見える景色は、ブドウ畑の丘なのである。
ブドウ畑のなかに、村々が集積所として点在し、そのなかの最も大きな町がここなのだということであろう。
2013.07.05

中国国際航空で行くパリ1 羽田空港からパリへ

羽田から欧州へというのは、日本の飛行機を使えば当たり前のことになった。
しかし、貧乏人の味方、格安航空券は、大抵が海外の乗継便である。
その乗継便の多くは、成田発が多いから、どうしても羽田は近くて遠い空港であった。
そんな羽田空港から国際線に乗るチャンスが訪れた。
羽田国際線ターミナル
国際的に評価の高いセントレアを模したようなイメージが印象的な羽田である。
たぶん、温泉は無いと思うが。
江戸であろうが、大正ロマンであろうが、昭和モダンであろうが、漫画アニメであろうが、コンクリートジャングルであろうが、ハイテクであろうが、日本は多様に突出しているから、まあこればかりが日本ではない。
羽田国際線ターミナル
それでも、日本を感じつつ、日本に心残しながら、またいずれの日か会いましょう!と外国人に語りかける事は、大事ではあろう。
ここから出発する日本人は、黙っていても日本に帰ってきますからね。
羽田国際線ターミナル
でも、出発する日本人のために、海外便利グッズばかり集めました巨大100均街なんてのもあると、便利でいいんですがね。Eチケットとパスポートだけ持っていけば、空港で全て格安で物を揃えられます!ってなのもね。
そんな商品を扱う、昭和レトロな雑貨屋街に所狭しとならんでいてもいいんだけどね。

国際線といっても、さすがに小さい。
今回はここを早朝でて、北京乗換えで、同日パリへ到着するスケジュールで2往復することになった。
2013.07.04

トゥエ・シュル・ヴァールの上から

トゥエの教会裏手に広場がある。
ここから、村とその下の谷を一望できる。
下に流れるのは、山あいを削るヴァール川である。
この川を下ってゆけば、ニースへ到着する次第である。
トゥエ・シュル・ヴァール
家々は変わらぬが、衛星やCS放送をみるから、こうした村々でも、パラボラアンテナがチラホラ見られる。
それでも、古い家に住み続け、古い町を好むこの国の人々は変わらない。
新は良であるという発想は、この国では、日本に比べるとだいぶ希薄だ。
これは、都会は良であるという発想も同じこと。
細長く、平野が少ない島国と、平野となだらかな丘が多く、どこへでも行き易い大陸の六角形部分を占めるこの国の発想の違いかもしれない。
2013.07.03

コリウールの路地 ミラドール通り

ノートル・ダム・デ・ザンジュ教会からチャペル・サンヴァンサンと歩いてきたので、今度は街中をぶらつく事に。
まずは、教会裏手をまっすぐ登ってゆく。
要塞化できるほどの町であるから、海以外の周囲は山で囲まれている。
そういえば、鎌倉もそうですね。
コリウール
坂を上って上がってきた道を振り返ってみると、教会の鐘楼の屋根が正面に見えるほどの高さまでやってきた。
その向こうには、海が見える。
このあたりの高さまでくると、いろんな方向に海を確認できる。
2013.07.02

Rue Michal ミシャル通りの坂の向こう

ビュット・オ・カイユの丘を横切る通りだ。
丘の向こう側には、サント・アンヌ・ドゥ・ラ・メゾン・ブランシュ教会の巨躯が見える。
パリの道
教会へ向かっての上り坂は、明るい気持ちにさせる。
下り坂へ入ると、物悲しいパリの憂愁の顔を見せる通りなのだ。
教会が見えるため、ここだけ、他の丘の坂とは違った雰囲気を持っている。