2013.06.30
Rue de l'Ecole Polytechnique エコール・ポリテクニック通りから
パンテオンの丘を下る。
下り方には色々あるわけれだけれど、もっとも雰囲気がすきなのが、デカルト通りからエコール・ポリテクニック通りをぬけて、ラノー通りと抜けるS字下りである。
その途中、エコール・ポリテクニック通りからみえる、間の細いラノー通りが見えるこの場所が最も好きなのだ。

そういえば、フランスに留学していたころ、この通りのレストランで、学校の先生(女性)の誕生会らしき食事会があった、と記憶している。
誕生会という意味合いではなかったかもしれないが、確かに学校の先生の誕生日直近週末であった。
企画は先生であったから、こちらとしては、擬似誕生会であったのだろうと勝手に思っている。
その時、欧州のいろんな国の学生達と食事することになったのだが、皆若かったせいもあろう、出てくる料理をどうやって食うのか?悪戦苦闘していた記憶がある。
ヨーロッパの人であるから、小さい頃から全ての人がテーブルマナーを叩き込まれるわけではないのだなと思った記憶がある。
もっとも、そういう日本人の自分も、まともに箸がつかえない。
フランスに良く行く自分が、そんな事を日本人に言うと、ナイフとフォークじゃなきゃ食えないって?と軽い嫌味に聞こえることもあるらしいが、かわいそうな事に、自分は、ナイフとフォークもまともに使えぬ。
スプーンは使えるんですけどね。
自分が頭も手も不器用なだけなのである。
学校給食で使ってた、先の割れたスプーン考えた人ってすごいね。
下り方には色々あるわけれだけれど、もっとも雰囲気がすきなのが、デカルト通りからエコール・ポリテクニック通りをぬけて、ラノー通りと抜けるS字下りである。
その途中、エコール・ポリテクニック通りからみえる、間の細いラノー通りが見えるこの場所が最も好きなのだ。

そういえば、フランスに留学していたころ、この通りのレストランで、学校の先生(女性)の誕生会らしき食事会があった、と記憶している。
誕生会という意味合いではなかったかもしれないが、確かに学校の先生の誕生日直近週末であった。
企画は先生であったから、こちらとしては、擬似誕生会であったのだろうと勝手に思っている。
その時、欧州のいろんな国の学生達と食事することになったのだが、皆若かったせいもあろう、出てくる料理をどうやって食うのか?悪戦苦闘していた記憶がある。
ヨーロッパの人であるから、小さい頃から全ての人がテーブルマナーを叩き込まれるわけではないのだなと思った記憶がある。
もっとも、そういう日本人の自分も、まともに箸がつかえない。
フランスに良く行く自分が、そんな事を日本人に言うと、ナイフとフォークじゃなきゃ食えないって?と軽い嫌味に聞こえることもあるらしいが、かわいそうな事に、自分は、ナイフとフォークもまともに使えぬ。
スプーンは使えるんですけどね。
自分が頭も手も不器用なだけなのである。
学校給食で使ってた、先の割れたスプーン考えた人ってすごいね。
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2013.06.29
モワドレイの風車から見るモン・サン・ミシェル
2013.06.28
シャルル・ド・ゴール空港ターミナル1 大クラッシュ
今月の19日である。
3時間前には、チェックインが始まるシャルル・ド・ゴール空港。
2時間前ぐらいでいいや!とゆっくり行くと、1時間近く並ぶことになるので、早めにチェックインして空港で休むのが常。
しかし、さすが、10億の民の中を生き抜く中国人。行動は早い。
今回、中国国際航空にてパリ往復したのだが、3時間前には、全ての人が並んでしまったのではないか!と思えるほどの行列になっていた。
こんなことは初めてだ。
カウンター前から折れ曲がり、カウンターの裏手まで伸びる列に並ぶ羽目になった。
この日は、夕方から雨模様。
雷が鳴り始め、音が大きくなったと思ったら、空港が停電してしまった。

停電はすぐに復旧したのだが、しばらくすると、何かがバリバリと割れる、どんでもない凄い音がし始めた。
と、突然、5メートルはあろうかという青い壁た、行列に覆いかぶさるように倒れてきたのだ。
車が突っ込んできたのか?爆弾テロでもあったのか?
何が起きたのか?わからないが、とにかく、荷物もそっちのけで、逃げるしかない。
壁は、3時間前から長蛇の列を作る中国人の上に襲い掛かってきた。
壁が倒れると共に、爆風のようにホコリが猛烈に飛んでくる。

どうやら、空港外の工事中の道路部分から、何かがめくれ上がって飛んできたことにより、空港のガラスが破壊され、突風が空港内に吹き込み、巨大看板が倒れてきたものらしい。
道路に穴があいているようにも見える。
横倒しになると、写真に納まりきらぬほどの大きさ。
出血で手当てを受ける人も出た。
もちろん、チェックインどころではなく、閉鎖。
その後、隣のカウンターで再開されたが、一時は騒然となった。
”想定外”かどうかは知らぬが、お粗末と言わざるを得まい。
怪我された中国の方はもちろん、ほこりかぶった我々みな災難。
3時間前には、チェックインが始まるシャルル・ド・ゴール空港。
2時間前ぐらいでいいや!とゆっくり行くと、1時間近く並ぶことになるので、早めにチェックインして空港で休むのが常。
しかし、さすが、10億の民の中を生き抜く中国人。行動は早い。
今回、中国国際航空にてパリ往復したのだが、3時間前には、全ての人が並んでしまったのではないか!と思えるほどの行列になっていた。
こんなことは初めてだ。
カウンター前から折れ曲がり、カウンターの裏手まで伸びる列に並ぶ羽目になった。
この日は、夕方から雨模様。
雷が鳴り始め、音が大きくなったと思ったら、空港が停電してしまった。

停電はすぐに復旧したのだが、しばらくすると、何かがバリバリと割れる、どんでもない凄い音がし始めた。
と、突然、5メートルはあろうかという青い壁た、行列に覆いかぶさるように倒れてきたのだ。
車が突っ込んできたのか?爆弾テロでもあったのか?
何が起きたのか?わからないが、とにかく、荷物もそっちのけで、逃げるしかない。
壁は、3時間前から長蛇の列を作る中国人の上に襲い掛かってきた。
壁が倒れると共に、爆風のようにホコリが猛烈に飛んでくる。

どうやら、空港外の工事中の道路部分から、何かがめくれ上がって飛んできたことにより、空港のガラスが破壊され、突風が空港内に吹き込み、巨大看板が倒れてきたものらしい。
道路に穴があいているようにも見える。
横倒しになると、写真に納まりきらぬほどの大きさ。
出血で手当てを受ける人も出た。
もちろん、チェックインどころではなく、閉鎖。
その後、隣のカウンターで再開されたが、一時は騒然となった。
”想定外”かどうかは知らぬが、お粗末と言わざるを得まい。
怪我された中国の方はもちろん、ほこりかぶった我々みな災難。
2013.06.27
トゥエの教会
2013.06.26
コリウールのチャペル・サンヴァンサン
教会の裏手にまわると、海に突き出た突先がある。
そこに、Chapelle Saint-Vincentサンヴァンサン礼拝堂が建っている。
この日は、寄せる波が結構強く、風も強かった。
そんななか、旅で訪れたのだろう、随分多くの高校生ぐらいの若者が礼拝堂を目指している。
といっても、この荒れた海、男の子達のテンションはさらに高まる。つれて女の子のテンションも上がってゆく。
世界中、どこでも見られるような画が広がっている。

そんなところを右側に切り捨てて、写真を撮ってみると、そんな現はどこへやら?の写真となった。
それにしても、日本の寺も、西洋の教会も、こうした、厳しい環境に建てられることが多い。
その方が、霊験あらかた、精神の修練、などなどにつながるのかも知れない。
いやいや、自然崇拝などとつながっているのかもしれない。
富士山が世界遺産になったけれど、大きな山を目の前で見上げると、ちょっと怖いぐらいの気持ちになる。
山そのものが、崇高で冷厳な精神を持っているかのように見えちゃうんだよね。
そこに、Chapelle Saint-Vincentサンヴァンサン礼拝堂が建っている。
この日は、寄せる波が結構強く、風も強かった。
そんななか、旅で訪れたのだろう、随分多くの高校生ぐらいの若者が礼拝堂を目指している。
といっても、この荒れた海、男の子達のテンションはさらに高まる。つれて女の子のテンションも上がってゆく。
世界中、どこでも見られるような画が広がっている。

そんなところを右側に切り捨てて、写真を撮ってみると、そんな現はどこへやら?の写真となった。
それにしても、日本の寺も、西洋の教会も、こうした、厳しい環境に建てられることが多い。
その方が、霊験あらかた、精神の修練、などなどにつながるのかも知れない。
いやいや、自然崇拝などとつながっているのかもしれない。
富士山が世界遺産になったけれど、大きな山を目の前で見上げると、ちょっと怖いぐらいの気持ちになる。
山そのものが、崇高で冷厳な精神を持っているかのように見えちゃうんだよね。
2013.06.25
Rue de l'Esperance エスペランス通り ゆるやかな丘の午後
2013.06.24
トレギエのお土産屋の前で
ブルターニュの地ビールが並ぶ。
ブルターニュはシードルもあれば、ウィスキーもある。そして、ここに地ビールと、アルコールには事欠かぬ。
ワインの産地は別にあるから、ここでは、違うお酒を飲みたいものだ。
が、いろいろ、この先あって、お店の中で、これらを手にすることは出来なかった。
そして、頭の中の記憶から忘れされれてしまっていた。

ブルターニュといえば、ビスケットもあれば、クレープ、ガレットもそうだ。
が、個人的に大好きなのが、クイニーアマン。
この手が、べたべたになるようなパイ、食感が大好きなのだ。
モン・サン・ミシェルあたりでもたくさん売っているから、訪れればついついカロリー過多になってしまうのだ。

日本の製品たちからみれば、いかにも形バラバラの不揃いで、少々雑な感もある、このお菓子。
ケースや缶に入ったお菓子を選びたくなるのが日本人に違いない。
食べたことが無いのなら、一度味わってみるに限る。
見た目と美味しさのギャップを感じる食い物なのだ。
ブルターニュはシードルもあれば、ウィスキーもある。そして、ここに地ビールと、アルコールには事欠かぬ。
ワインの産地は別にあるから、ここでは、違うお酒を飲みたいものだ。
が、いろいろ、この先あって、お店の中で、これらを手にすることは出来なかった。
そして、頭の中の記憶から忘れされれてしまっていた。

ブルターニュといえば、ビスケットもあれば、クレープ、ガレットもそうだ。
が、個人的に大好きなのが、クイニーアマン。
この手が、べたべたになるようなパイ、食感が大好きなのだ。
モン・サン・ミシェルあたりでもたくさん売っているから、訪れればついついカロリー過多になってしまうのだ。

日本の製品たちからみれば、いかにも形バラバラの不揃いで、少々雑な感もある、このお菓子。
ケースや缶に入ったお菓子を選びたくなるのが日本人に違いない。
食べたことが無いのなら、一度味わってみるに限る。
見た目と美味しさのギャップを感じる食い物なのだ。
2013.06.23
Rue Riquet リケ通りの脇に
2013.06.22
モンサンミシェルからモワドレイの風車へ
2013.06.21
Rue Paul Gervais ポール・ジェルヴェ通りのル・モンド側面
2013.06.20
トゥエ・シュル・ヴァールの路地
岩場が急であるため、建物も建てられるスペースはそんなに無い。
建物と建物の間が道になったのか?
この村を建設するに当たって、最初に、キッチリ誰かが統率しながら、道を確保していったのか?
それとも、皆で合議しつつ、絵図を描いてから建物を建てたのか?
そう思わせる細い道が、村を縦貫する。

村の地図を見る限り、雑然と道が走っているわけではなく、まるで区画整理されているかのような地図になっている。
几帳面に作られたのであろうと推測される。
ここは、山の街道の交差点であるから、アントルヴォーと同じく、軍事的意味合いも物流的な意味合いでも重要な地であったろう。

建物の間、建物の下をくぐるような迷宮をぬけると、結局知った場所にでる。
どこかへ行ってしまうほど、村は大きくない。
小さな村の細道は、重要な生活路地なのであろう。
建物と建物の間が道になったのか?
この村を建設するに当たって、最初に、キッチリ誰かが統率しながら、道を確保していったのか?
それとも、皆で合議しつつ、絵図を描いてから建物を建てたのか?
そう思わせる細い道が、村を縦貫する。

村の地図を見る限り、雑然と道が走っているわけではなく、まるで区画整理されているかのような地図になっている。
几帳面に作られたのであろうと推測される。
ここは、山の街道の交差点であるから、アントルヴォーと同じく、軍事的意味合いも物流的な意味合いでも重要な地であったろう。

建物の間、建物の下をくぐるような迷宮をぬけると、結局知った場所にでる。
どこかへ行ってしまうほど、村は大きくない。
小さな村の細道は、重要な生活路地なのであろう。
2013.06.19
コリウール ノートル・ダム・デ・ザンジュ教会
海辺から、鐘楼を眺めていると、石造りの古めかしい重厚間を感じる。
浜辺に建つと、その雰囲気で、思わず写真を撮りたくなってしまうというものだ。
ただ、教会というより、お城の塔のような感じがするのである。

この教会、ルイ14世の家臣、ヴォーヴァンの命令によって建て替えられた教会なのだそうだ。
ヴォーヴァンといえば、世界遺産の建築物を作りまくった男であるが、彼自身、世界遺産などという基準は知っているわけも無い。
コリウールの近くでは、ヴィルフランシュ・ル・コンフランという城壁都市が彼の世界遺産の作品である。
作品といっても、彼の場合、軍事目的に作られた建築物ばかりである。

城攻めが得意な男は、城攻めを妄想しながら、城の縄張りを決めてゆく。
どうやって攻め入るか?
どうやったら、その攻撃をしのげるか?
そうして、プランが出来上がってゆく。
遠く海側から、コリウールの町を眺めてみたら、確かに、船を横付けできる場所が限られ、しかも、集中砲火を浴びるよう設計されているようにさえ感じる。
フランス中の観光地、またはそうでない所で見かける彼の名前であるが、芸術ではなくとも、作品と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
そう思って教会を見ると、塔の裏側の身廊部分は、兵舎にすらみえるのだ。
浜辺に建つと、その雰囲気で、思わず写真を撮りたくなってしまうというものだ。
ただ、教会というより、お城の塔のような感じがするのである。

この教会、ルイ14世の家臣、ヴォーヴァンの命令によって建て替えられた教会なのだそうだ。
ヴォーヴァンといえば、世界遺産の建築物を作りまくった男であるが、彼自身、世界遺産などという基準は知っているわけも無い。
コリウールの近くでは、ヴィルフランシュ・ル・コンフランという城壁都市が彼の世界遺産の作品である。
作品といっても、彼の場合、軍事目的に作られた建築物ばかりである。

城攻めが得意な男は、城攻めを妄想しながら、城の縄張りを決めてゆく。
どうやって攻め入るか?
どうやったら、その攻撃をしのげるか?
そうして、プランが出来上がってゆく。
遠く海側から、コリウールの町を眺めてみたら、確かに、船を横付けできる場所が限られ、しかも、集中砲火を浴びるよう設計されているようにさえ感じる。
フランス中の観光地、またはそうでない所で見かける彼の名前であるが、芸術ではなくとも、作品と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
そう思って教会を見ると、塔の裏側の身廊部分は、兵舎にすらみえるのだ。
2013.06.18
Rue Daviel パリのアルザス ダヴィエル通り
2013.06.17
トレギエのサン・テュグデュアル大聖堂 続き
さて、教会内部に入る。
回廊があるおおきな寺院である。
この教会を訪れた時点では、ガイドブックで、読んだ程度の知識しかない。
それでも、頭に残ったのは、結構綺麗そうな街だということと、有名な教会があるらしい。
じゃ、ラニオン滞在時に訪れてみようか!ってな範囲であった。

当然のことながら、キリスト教徒でもないし、その方面も、フランスの歴史も、詳しいということもなく、興味深々というわけでもなかったから、トロ・ブレイスという巡礼のことも、全く知識もなかった。
であるから、ここに眠る聖人イヴの墓はどこにあるのか?という興味も、まあ、いいかってなことで探しもしなかった。興味がないとそんなものなのかもしれにない。

柩が回廊に置いてあるなぁとか、天井が木なんだなぁとか、どうしたら、回廊の写真をかっこよく撮れるのだろうか?ぐらいがこの時点での最大限であったのだ。
もうちょっと、それらの知識と先に出会っていたら、写真は変わり映えしまいが、行った当時の感動は少々違っていたかもしれない。
たった少しでも、掘り下げるというのはパワーが要る。
興味がなければなおさらだ。
しかし、世の中の勉強が出来る頭のいい人たちというのは、こういうところで、興味が湧き、掘り下げることをなんの苦もなく、どころか、楽しくやってしまうのだろう。
凡人の我は、動いて、”興味がわく”という幸運を待つしかない。
回廊があるおおきな寺院である。
この教会を訪れた時点では、ガイドブックで、読んだ程度の知識しかない。
それでも、頭に残ったのは、結構綺麗そうな街だということと、有名な教会があるらしい。
じゃ、ラニオン滞在時に訪れてみようか!ってな範囲であった。

当然のことながら、キリスト教徒でもないし、その方面も、フランスの歴史も、詳しいということもなく、興味深々というわけでもなかったから、トロ・ブレイスという巡礼のことも、全く知識もなかった。
であるから、ここに眠る聖人イヴの墓はどこにあるのか?という興味も、まあ、いいかってなことで探しもしなかった。興味がないとそんなものなのかもしれにない。

柩が回廊に置いてあるなぁとか、天井が木なんだなぁとか、どうしたら、回廊の写真をかっこよく撮れるのだろうか?ぐらいがこの時点での最大限であったのだ。
もうちょっと、それらの知識と先に出会っていたら、写真は変わり映えしまいが、行った当時の感動は少々違っていたかもしれない。
たった少しでも、掘り下げるというのはパワーが要る。
興味がなければなおさらだ。
しかし、世の中の勉強が出来る頭のいい人たちというのは、こういうところで、興味が湧き、掘り下げることをなんの苦もなく、どころか、楽しくやってしまうのだろう。
凡人の我は、動いて、”興味がわく”という幸運を待つしかない。
2013.06.16
Rue Frederic Sauton フレデリック・ソトン通りからのノートルダム寺院
2013.06.15
モン・サン・ミシェルの競馬場
2013.06.14
Pont du Garigliano ガリリアーノ橋からの眺め
パリで最も下流にあるセーヌ川に架かる橋がこのガリリアーノ橋である。
正確には、高速の橋もあるから、橋として一番下流な訳ではないが、高速道路は歩いて渡れぬ。

テレビ局、アンドレシトロエン公園の気球、元祖パリの高層ビル街、そして、高層といえば、エッフェル塔まで眺める事ができる。
たとえば、エッフェル塔なら、イエナ橋か、ビルアケム橋から見るエッフェル塔が最も近いわけだが、間近で見るよりも、徐々に離れていくと、なかなか楽しい画になっていってくれるのだ。
何々とエッフェル塔という写真に変わってゆくのだ。
たとえば、地下鉄が通るビルアケム橋とエッフェル塔を入れて見たいのなら、RER-C線の橋や、セーヌの中洲、白鳥の小道から眺める方がいいであろうし、RERが通る向こうにエッフェル塔であるのなら、グルネル橋ということになる。
自由の女神像とエッフェル塔となれば、ミラボー橋方向へ下ることになるし、ミラボー橋の美しい姿を画にしたければ、セーヌの対岸をガリリアーノ橋へ向けて歩いてゆく事になろう。
それにしても、水景というのは、心休まる。
正確には、高速の橋もあるから、橋として一番下流な訳ではないが、高速道路は歩いて渡れぬ。

テレビ局、アンドレシトロエン公園の気球、元祖パリの高層ビル街、そして、高層といえば、エッフェル塔まで眺める事ができる。
たとえば、エッフェル塔なら、イエナ橋か、ビルアケム橋から見るエッフェル塔が最も近いわけだが、間近で見るよりも、徐々に離れていくと、なかなか楽しい画になっていってくれるのだ。
何々とエッフェル塔という写真に変わってゆくのだ。
たとえば、地下鉄が通るビルアケム橋とエッフェル塔を入れて見たいのなら、RER-C線の橋や、セーヌの中洲、白鳥の小道から眺める方がいいであろうし、RERが通る向こうにエッフェル塔であるのなら、グルネル橋ということになる。
自由の女神像とエッフェル塔となれば、ミラボー橋方向へ下ることになるし、ミラボー橋の美しい姿を画にしたければ、セーヌの対岸をガリリアーノ橋へ向けて歩いてゆく事になろう。
それにしても、水景というのは、心休まる。
2013.06.13
トゥエ・シュル・ヴァールの住人
2013.06.12
コリウールのビーチを望む
2013.06.11
Rue de la Butte aux Cailles ビュット・オ・カイユ通り
2013.06.10
トレギエのサン・テュグデュアル大聖堂
2013.06.09
Quai de l'Oise オワーズ河岸通りの夕暮れ
2013.06.08
ボーヴォワールの丘から眺めるモン・サン・ミシェル
2013.06.07
Place de Seoul ソウル広場
2013.06.06
トゥエ・シュル・ヴァールのおじいさん
2013.06.05
コリウールの色
2013.06.04
Rue Alphand ビュット・オ・カイユの坂道アルファン通り
2013.06.03
トレギエのエルネストさん
トレギエの街に銅像がある。
誰の銅像かしらないけれど、後で調べようと一枚撮っておく。
エルネスト・ルナン。
この後、パリでロマン派博物館を訪れる事によって、この名前を記憶する事になる。
この町生まれなのだ。

昨今、憲法の話や国民投票の話を耳にする日本であるが、国民の定義について語った彼の存在は、そういう意味でクローズアップされるかもしれない。
それはそれとして、この街で出会い、プルマナックへ連れて行ってくれたご夫婦のだんなさんの名前が、エルネストさんであった。奇縁か?それとも、この地方ならではなのであろか?
さて、ルナン。
憲法改正の前に、我々は、デジタルデータの毒されつつあるように思う。
ネットやテレビに乗る情報に、より左右されがちになっている。
簡単に踊る。
どこどこが好き。
どこどこが嫌い。
ルナンのルの字も知らなかったが、勉強せねばなるまい。
幕末に定義が藩から日本になったように、今、何を見るべきか?
国外へでると、そんなことも、ふと、頭をよぎる。
誰の銅像かしらないけれど、後で調べようと一枚撮っておく。
エルネスト・ルナン。
この後、パリでロマン派博物館を訪れる事によって、この名前を記憶する事になる。
この町生まれなのだ。

昨今、憲法の話や国民投票の話を耳にする日本であるが、国民の定義について語った彼の存在は、そういう意味でクローズアップされるかもしれない。
それはそれとして、この街で出会い、プルマナックへ連れて行ってくれたご夫婦のだんなさんの名前が、エルネストさんであった。奇縁か?それとも、この地方ならではなのであろか?
さて、ルナン。
憲法改正の前に、我々は、デジタルデータの毒されつつあるように思う。
ネットやテレビに乗る情報に、より左右されがちになっている。
簡単に踊る。
どこどこが好き。
どこどこが嫌い。
ルナンのルの字も知らなかったが、勉強せねばなるまい。
幕末に定義が藩から日本になったように、今、何を見るべきか?
国外へでると、そんなことも、ふと、頭をよぎる。
2013.06.02
Rue d'Ulm ウルム通りのパンテオン
先日載せた、パンテオンを横から眺める通り、カルム通り。
その通りと対になる、南側から、パンテオンの側面に出る通りがこの通り、ウルム通り。
こちらは、坂路ではないから、迫力では、カルム通りに負ける。
ただ、丘の上になっているこのゾーンは、学校が多いためだろう、アカデミックな雰囲気には違いない。

撮影していたら、前から、学生達が・・・。
フランス人はカメラを嫌う・・・・らしい。
でも、この時は、撮影する目の前に、撮って!と言わぬばかりに入ってきた。
このあと、あえて、彼ら彼女らを一枚。
いや、けっこう、そういうこと多いんですね。
日本人なら、邪魔にならぬように、避けるでしょうけど。
フランス人はいざ知らず、若者は目立ちたがり写りたがりは、万国共通人間共通であると思われる。
その通りと対になる、南側から、パンテオンの側面に出る通りがこの通り、ウルム通り。
こちらは、坂路ではないから、迫力では、カルム通りに負ける。
ただ、丘の上になっているこのゾーンは、学校が多いためだろう、アカデミックな雰囲気には違いない。

撮影していたら、前から、学生達が・・・。
フランス人はカメラを嫌う・・・・らしい。
でも、この時は、撮影する目の前に、撮って!と言わぬばかりに入ってきた。
このあと、あえて、彼ら彼女らを一枚。
いや、けっこう、そういうこと多いんですね。
日本人なら、邪魔にならぬように、避けるでしょうけど。
フランス人はいざ知らず、若者は目立ちたがり写りたがりは、万国共通人間共通であると思われる。
2013.06.01
ボーヴォワールの丘
さらなるモンサンミシェルの画を追い求め、ボーヴォワールの村を歩いて抜け、東を目指す。
しばらくすると、目の前に丘が広がっている。
なだらかな、フランスの丘。
日本では、急峻な山が多いから、谷底も深いが、こちらは、こんな丘であるから、谷底も、こうした丘と丘の間。
日本の谷のイメージとは違う。
そうした所が、気質の違いにも出てくるのかもしれない。

歩いていくと、丘の上から長い自転車の列が下ってきた。
自転車チームの団体かと思いきや、自転車にのるおじさん、おばさん達。
ボンジュールと、誰もが挨拶しながら、通り抜けていった。
きっと、自転車でこのあたりを回るツアーの観光なのであろう。
次は、あんなモンサンミシェル眺めツアーもいいなと思いつつ、もう少し丘の上を目指す。
しばらくすると、目の前に丘が広がっている。
なだらかな、フランスの丘。
日本では、急峻な山が多いから、谷底も深いが、こちらは、こんな丘であるから、谷底も、こうした丘と丘の間。
日本の谷のイメージとは違う。
そうした所が、気質の違いにも出てくるのかもしれない。

歩いていくと、丘の上から長い自転車の列が下ってきた。
自転車チームの団体かと思いきや、自転車にのるおじさん、おばさん達。
ボンジュールと、誰もが挨拶しながら、通り抜けていった。
きっと、自転車でこのあたりを回るツアーの観光なのであろう。
次は、あんなモンサンミシェル眺めツアーもいいなと思いつつ、もう少し丘の上を目指す。
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