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2013.05.31

Rue Halle アレ通りの半円広場

パリ14区。
RER-B線やメトロが集まるターミナル、ダンフェール・ロシュロー。
そこから伸びる線路の西側の住宅街。
きっと下には、骸骨が埋まるカタコンブになっているであろうゾーン。
ここに、東西に通る道がある。アレ通りである。
パリの道
この通りの途中に、半円形の広場がある。
ここの広場を囲むように立っている家々がひしめき合っている様が可愛らしいのだ。
青い空のした、並ぶ家々の幅の狭さをみると、ちと、ベトナムのサイゴンを思い出す。
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2013.05.30

トゥエ・シュル・ヴァールの入り口にて

駅からズンズン歩いてくると、バス通りにでる。
カフェで一服したら、町登りへ繰り出す。
まずは、ここが登り口。
トゥエ・シュル・ヴァール
通り名のプレートに、Montee des Gravesと書かれている。
Monteeであるから、フランス語でいう登るという単語、Monterの変形名詞形に違いない。
グラーヴ登坂路と命名しておこう。

坂道を見てため息が出る人もいるのだろう。
こちらは、よしっ!と気合が入る。
途中でヘロヘロになるかどうかとは別問題なのだ。
2013.05.29

コリウールの港にて

コリウールのビーチ脇に小さな船着場がある。
そこに綺麗に並んだカラフルな帆船。
並んでいるのではなく、並べてあるのでしょう。
コリウール
マストの横棒は下まで下がっているけれど、これを引っ張り上げるのは大変であろう。
それにしても、海水に浸ってしまうほど下まで下がってくるのだと、そこに感心。
そうじゃなきゃ、帆をどうやって付けるんだ!と自分で自分に言って、納得。
2013.05.28

Passage Barrault バロー小路を下る

パリ13区。
小さな丘の住宅街、ビュット・オ・カイユのなかでも、かなり鄙びた小道である。
丘を下る石畳の凹凸と、幅狭の道が、情緒溢れる緑に覆われている。
パリの道
木漏れ日がまぶしく感じられるときが、散歩冥利に尽きるときである。
2013.05.27

サンギレック小礼拝堂

プルマナックのガイドを見ていると、小さな祠のようなものが海に浮かんでいるのが見られる。
で、案内されつつ、あるいていると、その見たようなものが、干上がったところに打ち捨てられたガラクタように建っていた。
周りには、散歩途中で休憩する人ったちがブラブラしているようなところで、何かある?ってな雰囲気であったのだ。
プルマナック
ただ、写真でこうして切り取ってみると、そういう騒々しさからかけ離れた静寂の中に佇む、オラトワール(小礼拝堂)にみえるのだ。
この場所から動かせる代物ではないのだろう。
人間の腰ほどの大きさであったと記憶しているが、もし水が満ち、小さな小さな厳島神社みたいになったのなら、また違って見えるのであろう。
ここも、モン・サン・ミシェルとはつながる、ブルターニュ北海岸。
砂が堆積してしまっているのであろうか?
2013.05.26

ラ・ヴィレットの赤 続

前回は、ポルト・ドゥ・パンタン側の入り口の写真であったが、今回は、ポルト・ドゥ・ラ・ヴィレット側である。
別な言い方であれば、前回は運河の南。今回は運河の北。
または、前回はメトロ5号線沿い。今回は、メトロ7号線沿い。
パリの道
前回同様、赤が主題。この公園の重要なテーマカラーの一つである。
こちら側の公園入口部にある赤い建物は、あの、ハンバーガ屋さん、クイックなのである。
シャレというのか、コラボというべきか?
この公園の入り口の最偉業博物館の前に、公園内のその他の赤い建造物と同じような感じで、ハンバーガー屋がとけこんでいるのである。
目印の"Q"の字が見えよう。

マックは黄色のMが目印であるから、メトロとコラボすることは可能であろう。
メトロの入口かと思って入ってみたら、マックだったなんてね。
2013.05.25

ボーヴォワールの街

モンサンミシェルの隣町、ボーヴォワールの町並み。
立つ家々は石造りである。
モン・サン・ミシェル
ここが戦争被害にあったのかどうかはわからぬが、石造りの街でございますとばかり観光地化されたような建物ではなく、ある意味、素のままの建物が並んでいる。
それはそれで雰囲気がある。
ござんなれ!歴史的建造物、木組みの家でござるという華々しさはない。
モン・サン・ミシェル
モンサンミシェルが見える教会の目の前に何軒かのお宅が並んでいる。
そこからは、モンサンミシェルまで、さえぎるものが何も無い。
どうやら、リビングはガラス張りで、自宅から、世界遺産の絶景が見えるようだ。
モン・サン・ミシェル
こちらは、建物脇から、教会脇から、モンサンミシェルを望むことになる。
ふと、これって、家から富士山が望めますというのと、ちと似ている
2013.05.24

Villa Seurat ヴィラ・スーラの駐車禁止標識

ヴィラ・スーラ。
点描画で有名なスーラの名を冠する。
この界隈画家などアーティスティックな名前が多いのかもしれない。
いやいや、ここもアトリエ建築も建っている。
モンパルナスとその奥地は、そうしたエリアでもあるのだろう。
石畳の情緒溢れる道々も多い。
パリの道
ブラブラ入ってゆくと、国際的な標識、駐禁マークがあるのだが、その下に、消防の看板が。
意味は良く分からぬが、上の駐禁とセットで読めば、何かあったら、消防車が入ってくるから、車などおいておかないでね!ということなのかもしれない。
パリの道
絵が可愛らしいのは、この国ゆえか?
それとも、都バスの車内アナウンス、ピカピカ光る反射板という説明のように、子供向けにも語っているのか?

南仏みたいな、カラフルな建物の多い、この小道に溶け込む標識なのであった。

2013.05.23

トゥエ・シュル・ヴァールの駅前から

列車を降りて、他に人もいない中、テクテクと岩に貼り付く村へ向かう。
モノクロの世界に、ひと際カラフルなバルが飛び込んでくる。
トゥエ・シュル・ヴァール
オレンジ色のバルと屋根に白い壁が、意外と見ないかわいらしい取り合わせだなと思いながら見上げると、青い空と岩肌が見えていた。
トゥエ・シュル・ヴァール
岩山の絶壁がわかる。
川や風で削られた日当たりのいい場所に、人々は住み着いていったのだろう。
太陽溢れる南仏とはいえ、日の光は重要だ。
2013.05.22

コリウールへ

ペルピニャンを基点に近所の海へ向かう。
ガイドブックでも紹介されているコリウール。
ペルピニャンの駅へ向かって、切符を購入し、ホームでペルピニャン行きの列車を待つ。
コリウール
ちょうど、そこへ一編成の列車が到着。
降りてきた中に、日本の方が・・。

こんなところでと思い、挨拶をすると、スペインからお越しになったとのこと。
目的は、カルカッソンヌ。
ペルピニャンと同じ地方だが、ここよりはさらに北で奥地になる。
ここから先はレンタカーで向かうのだそうだ。
ただ、なかなかレンタカーの空きがないのだそうだ。

少し前の話だから、今はもう完全にネット予約が主流なのだろう。

日本人旅人のすれ違い。
こちらは、すぐそこのコリウールの海へ向かう。

写真はコリウールの駅。
2013.05.21

Passage Boiton ビュット・オ・カイユの路地 ボワトン小道

ビュットであるから丘である。
ビュット・オ・カイユはウズラが丘ということになる。
このビュット・オ・カイユの丘から何本もの坂が延びている。
その一本がこの通り。
パリの道
石畳、そして、その先の壁画。
カバの壁画は、その時々違うようだ。

街灯が一列に並ぶ路地は、少々瀟洒に見える。
2013.05.20

プルマナック奇岩続き

プルマナックの岩々を紹介するつづき。
見事なまでにバランスをとっている。
ちょっと、下には居たくないけれど。
プルマナック
カウボーイの帽子にもみえれば、モアイにも見えぬこともない。
プルマナック
カーブする岩。人差し指か親指か?
プルマナック
はるかな青い空と、乾いたピンクの花こう岩と、緑。
色があるようで、結構モノラルな静けさの税関吏の道を散歩する。

案内してくれたご夫婦の家へ向い、ご馳走を頂く事に。
ふかした白アスパラに、ここの塩バターをつけて食べる。
美味しいけれど、健康のために食べすぎなさんな!とのこと。

こんなきれいな景色が広がっているけれど、若い人はみな、パリを目指してしまうんだよなぁ・・とおっしゃっていたのが印象的でした。
2013.05.19

Rue des Carmes カルム通りから望むシンメトリーのパンテオン

リュクサンブール公園、リュクサンブールの駅からパンテオンへ向かう王道もあるのだが、丘であるから、いろんな登り口がある。
有名なマルシェ通り、学生街のムフタール通りからパンテオン裏手へ。
フィリップ2世のパリの壁を通り過ぎて、アンリ4世高校の脇を抜ける裏王道クロヴィス通り。
ほかにもあるが、聖なる丘へは、いろんな道がある。
パリの道
個人的に気にっているのが、真横からみたパンテオン。
欧州らしいシンメトリー。
路駐までもが。

そういえば、欧州発フットボールのフォーメーションも右とか左がいてシンメトリーだけれど、日本的布陣にするのなら、竜安寺の石庭のように、常にシャドウのあるシンメトリーではない布陣ってのもいいのかもしれない。
どう数えても、10人しかいないんだよねフォーメーション。
はがき数便番号スタイルで、右上に3人、左下に3人、宛名欄に5人、とかね。キーパーが様っていうことになる。

ともあれ、海外旅行へ行くと、仕事のことも家のことも忘れるが、とかく日本の事は考えるようになる。
120パーセントくだらないことだけどね。
これがいいのよ。
日本にいたら、日本が主語になる会話少ないから。
2013.05.18

ボーヴォワールの教会から眺めるモン・サン・ミシェル

町役場らしきところを曲がって、テクテクやってくると、教会が現れた。
中へは鍵が閉まっていて入れなかった。
鐘楼が古いことが、バスどおりからではなく、ここまで来るとわかり易い。
モン・サン・ミシェル
して、その教会前から、木々を掻き分けて御大モン・サン・ミシェルを望む。
畑に浮かぶモン・サン・ミシェルの出来上がり。
手前に見えている車達は、観光バスの駐車場なのであろう。
あの付近から、歩いて、または、連絡バスにて、修道院島へ向かうのだ。
モン・サン・ミシェル
右側奥には、半分顔を覗かせるトンブレーヌ島。
その先には、対岸、ジュネ付近の高台が見える。
教会の鐘楼に登って、見たのなら、もっとすばらしいかもしれない。
大潮なら、海に浮かぶ要塞を見渡すことが出来そうだ。
2013.05.17

Villa Santos-Dumont ヴィラ・サントス・デュモン

パリ15区。
そのサン・ランベール地区。
パリで最も長い通り、ヴォージラール通りの走る界隈。
ジョルジュ・ブラッサンス公園もこの界隈。
閑静な住宅街の多い中でも、とりわけ静かなエリア。
パリの道
この通りは、行き止まり。
ここに住んでいる人たちだけが利用する。
とても可愛らしい石畳の小道。
パリの道
パリ市内、とかく、観光エリアで効した石畳を探すと、そんなにないのであるが、パリも住宅ゾーンには効して現れる。ここもいわば、都心からすぐの位置。
こうした風景は多いが、ここは特に可愛らしい通りの一つ。
自分が暮らす住環境について、考えてみたくなってしまうのだ。
2013.05.16

トゥエ・シュル・ヴァールという町

ニースからプロヴァンス鉄道に乗る。
少し行けば、街をぬけ、田園風景が続く。
田園の先に山々が見え、鷲ノ巣村らしきものがポツポツとみえてくる。
なぁに、エズやサンポールだけが鷲ノ巣じゃぁないのだ!といわぬばかりに・・。
トゥエ・シュル・ヴァール
列車はズンズン進んでいくと、削るのもつらかろう、岩の山肌の間に入ってゆく。
いつ、こんな風景になってしまったのか?
2月3月であれば、雪山の中へ入ってゆくようになるときもあろう。
コートダジュールのもう一つの顔。山なのである。
アントルヴォーやその先へ向かう人も多かろう。
トゥエ・シュル・ヴァール
そのアントルヴォーへ向かう列車のおそらく右側の窓から、崖に貼り付いた町が現れる。
すごいところに町があるものだ!と思わせるところ。
その風景が見えたら、列車はゆっくり駅に停車する。

TOUET SUR VAR
トゥエ・シュル・ヴァール

まさに岩に貼り付いている感じは、列車の中から一瞬。写真を撮っている余裕などなかった。
岩に貼り付く様に列車も走っているから、街も真横から見るような感じになるのに違いない。
降りてから、町を望む。とりあえず、一枚。
2013.05.15

ペルピニャン基点で

ペルピニャンの夜は大変であったが、呼んでもらったタクシーに乗り無事ペルピニャンのホテルに帰還した。
今回は、この街を基点にいくつかの町を回る事が今回の目的。
北カタルーニャ、ルシヨン地方の中心としとして、テ川沿いに山へ、海へ、そして、スペインへ。
ペルピニャン
今回は色々あったので、スペイン遠征はやめにして、この地方をゆっくり回ることにした。
二度と来られないと思えば、ガツガツしたくもなるが、またいずれ来たら良いと考える。
ちなみに、山へ向かえば、アンドラへもぬけられるのだ。
2013.05.14

パリの道標

パリには、あちらこちらに道標があるが、歩いてゆくための道標も結構あるのである。
日本じゃ、いわゆる観光地の観光通りにはあるが、そんなに見かけない気がするのは気のせいか?
パリでは、たしかにパリそのものが観光地と言えるが、どちらかといえば、観光地でないところにも、こうしてプロムナー(散歩者)のため?の道標が設けられているのだ。
パリの道
写真は13区。
ご覧のとおり、ビュット・オ・カイユとゴブランの間。
どちらも散歩に適したゾーン。
メトロ6号線がそれぞれの地区の境であるから、メトロ6号線沿いにある道標ということになる。

ミラーレス一眼か高級コンパクトデジカメを片手に、何気ない何かを探しながら、アングルを考えながら、散歩したいゾーンだ。
2013.05.13

プルマナックの奇岩たち1

風化したのか?波に削られたのか?
そのどちらもありそうなこの地方の海岸。
名前のついた石も多い。
間違いなく、そう呼ばれているのは下のナポレオンの帽子であるが、それ以外も地元でそう呼ばれているのか?こちらの思い込みか?
プルマナック

こちらは赤ん坊。
プルマナック

エレファントマン?
プルマナック

オットセイ。
プルマナック

くだらぬ、無駄な時間を散歩で過ごす。
無駄でくだらぬ事が、この世で一番の贅沢な時間だ。
2013.05.12

Rue de Cambrai カンブレ通りの近代風景

パリは古きよき街である。そう思っても、そんなに古い建物ばかりがあるわけではない。
古い町並みが見たいのなら、パリじゃないほうがいい。
日本の高層ビル街のような町並みがパリにあるわけではなく、建物は新しくとも、古い雰囲気は維持されていると行った方がいいのかもしれない。
パリの道
パリも、中心部の観光ゾーンを外れれば、新しき建物が多くある。
このS字のようなたてものも、新しきパリの顔の一つではあるが、既に、歴史の域に入りつつあるのかもしれない。
それでも、この斬新なデザインは、人を楽しくさせてくれる。
そんな建物が、カンブレ通りの向こう側を塞いでくれている。
パリの道
はたして、少しラ・ヴィレットから坂道を下って、振り返ってみると、こちらもまた、さらに当たらし、ラ・ヴィレットが道を塞ぐようにたってくれている。
赤いオブジェが、ここが19区の端であることを教えてくれているのだ。
2013.05.11

モン・サン・ミシェルからボーヴォワールの町へ

モン・サン・ミシェルとポントルソンを結ぶ幹線から東へ折れた道。
閑静な住宅街が広がっている。
ボーヴォワールの町である。
モン・サン・ミシェル
丘の上の教会を目指すのであるが、まあ、何となく歩いてゆけば、着くに違いない。
都会を歩いているわけではないから、道に迷うってほどでもあるまい。
モン・サン・ミシェル
そう思って歩いていたら、モンサンミシェルが見えるぜ!矢印の方向へ行け!看板に遭遇。
あきらかに、モン・サン・ミシェルの方向ではないから、モン・サン・ミシェルが見える場所への方向に違いない。
おくの自転車看板とは関係ないのであろうが、このあたり、自転車で周遊する観光客もいるのである。
モン・サン・ミシェル
で、ほんの少し向かうと、町役場らしき建物の前。
十字架は、ここが重要な交差点である印に違いない。
道しるべにVue sur Mont Saint Michel(モンサンミッシェルの眺め)は左と矢印が。

それにしても、さっきのモンサンミッシェルの眺めはまっすぐ!の看板からは、ものの数十メートルで、交差点道曲がるものかねぇ?

2013.05.10

Villa Auguste Blanqui ヴィラ・オーギュスト・ブランキ

13区のジャンヌダルク広場から、ジャンヌダルクを少々北上する。
と、すぐ脇に、可愛らしい小道がある。
これが、オーギュスト・ブランキ小道である。
およそ、革命家の名前とは似つかない瀟洒な雰囲気すらある通りなのだ。
パリの道
石畳ではない。
建物を見ると、古いと言うわけではない。
とはいっても、新築建築の並ぶ通りではない。
日本人にとっての欧州というイメージに近い住宅街といえるかもしれない。

ちょっと、通りがかりに、チラリとのぞいている、可愛らしい雰囲気というのが、こうしたところ。
2013.05.09

プロヴァンス鉄道へ乗り換え途中に

プロヴァンス鉄道のニースの駅へは、ニースの国鉄駅を出て左へ坂を下り、高架下をくぐって北へ出る必要がある。
そこから住宅街を抜けてテクテク10分ほど歩いてゆく。
インターマルシェだったか?スーパーで食料を購入し、ピクニック気分満載で切符売り場、乗り場へ行く。
ニース
旅が終われば、またニース駅へ。
宿がニース市内かバスターミナルを目指すのであれば、トラム駅へ向かうのであろう。
この時は、ニース国鉄駅へもどる所。
丁度、通りに西日が当たって、きれいに輝いていた。
ミオリ通りRue Miolisである。
2013.05.08

ペルピニャンの夜 救急病院にて

相方は点滴中。
もう一時間ある。
ということで、そろそろ帰りの事が頭をよぎる。

救急車のお兄さんは、迎えに来てくれるなんていったが、そんなことはありえぬ事を冷静に考えられる頭になっている。
何か情報が無いかと、そとをぶらついてみる。
ペルピニャン
フランスでは珍しい自動販売機が置いてある。
そのあたりに、付き添い出来た人たちなのだろうか?5人6人とタバコをすっている。
時間もある、コーラを飲みつつ、聞いてみる事にした。

「駅はどこ?」
「出て右だよ。」
「何分ぐらい?」
「20分ぐらい。」
「歩いて?」
「は、歩いて?普通は車で行くよ。」

かくして、やはり、車じゃなきゃ、市内に戻れないところまで来ている事に気がついたのである。

で、受付で、タクシーを頼む事に決めた。
2013.05.07

Rue Michel de Bourges ミシェル・ドゥ・ブルジュ通りの床屋さん

パリ20区中央にあるカスク・ドール庭園の脇を抜ける車の通らない通りがある。
その通りがヴィニョル通りとぶつかるところに床屋さんがあった。
ちなみにお隣の木目のショップの住所はヴィニョル通りであろう。
お隣だが住所は通りが違えば別なのだ。
パリの道
Coiffureというのは、床屋さん。美容室ともいえる。
ちょうど、お休みだったようで、ショーウィンドウは木のバル?で覆われている。
パリの多くのお店が、お店をやっていないと、こうして、中が見えぬように閉ざされてしまう。
(金網バージョンもありますが)
ただ、それぞれ、色の付いた板で覆われるため、意外とカラフルなのだ。
バルというか、シャッターと言うべきだろう。
ガラガラと上から下ろす金属製バージョンのものもあるが、これも色がぬられているものも多い。
さりげなく、街を彩っているのである。

さて、この床屋さん。なんともレトロで、青と赤と白のサインがいかにも合いそうな雰囲気。
そういえば、床屋さんのサインもトリコロールなんですね。
2013.05.06

プルマナックの犬散歩

トレギエという大聖堂のある町を散策し、坂道を下った港付近のカフェに入っていたら、隣の席のご夫婦に声をかけられた。
プルマナックへ連れて行ってくれるという。
ご厚意に甘え、やってきたのがこのバラ色の海岸であったのだ。
プルマナック
その時に、一緒に散歩した犬が、ボクサーのロクサーヌ。
大人しいのだが、犬好きのフランス人たちとはいえ、さすがに、視線の外からヌーッとボクサーが現れると、ビックリするらしい。確かに大型犬である。

そのロクサーヌとバラ色の海岸という一枚。
2013.05.05

Rue Saint-Etienne du Mont 教会裏のサンテティエンヌ・デュ・モン通り

パンテオン横にある、有名な教会、サンテティエンヌ・デュ・モン教会脇を走る路地。
5区をブラブラ歩いていると、パラパラ小雨が降ってきた。
急いで宿へ戻ろうと思ったら、ちら見で雰囲気の良い通りが現れた。
普段、日の当たる時に、雰囲気がいいのかどうかはわからない。
雨が降ると、通りの雰囲気は一変するが、雨が降っている時だけ、味のある雰囲気になる場所もあるのだ。
パリの道
小学生のころ通っていた絵の塾があった。
そこの先生は画家であったが、モンマルトルの絵を描いていた。
描いた2枚の絵を見せてくれた。

一枚は晴れ、一枚は雨。

同じ場所の絵であるが、その雰囲気はまったく違う。
その先生は、雨の絵の方が好きなのだそうだ。
雨のパリ、匂いたつ降り始めの通りが好きなのかもしれない。
パリの道
写真を撮ろうと、カメラ鞄を地面に卸すと、帰宅途中の小さな子供が寄ってきた。
とはいっても、遠巻きに、カバンの中身を見ている。
何が出てくるのだろう?
おもちゃや、不思議なものは出てこないが、道端にカバンを下して取り出す様は、変わった何かが出てくることを期待させたのかもしれない。

雨は強くならない。

通りを抜けて行くことにした。
教会の向かいにも、パリの生活が存在している。
2013.05.04

モンサンミッシェルからボーヴォワールへ

クエノン川を上流へ上ると、ボーヴォワールという町に出る。
バスもこの町を通過してゆく。
川沿いを歩いていくのがお勧めなのは前回記した。
川を遡上してゆくと、左の丘に教会が見えてくる。
手前に道標などみえるが、それが、モンサンミシェルへの観光バス、路線バスが通る道だ。
バスからもあの教会が見えていることだろう。
モンサンミッシェル
あの教会の鐘楼へいったら、モンサンミシェルが見えそうだ。
この日はボーヴォワール泊であるから、明朝、あの丘を目指してみることにする。
2013.05.03

Rue d'Alleray アルレ通りの壁画

パリ15区の住宅街。
真四角な教会、ノートルダム・ドゥ・ダルシュ・ダリアンス教会のすぐ近くに大きな壁画がある。
パリの道
周りの建物もオレンジ色とグリーンだったりの湘南カラーであるから、元気にあふれる雰囲気になっている。
サインにH.DiROSAと入っている。
2000年頃書かれた壁画のようだ。
パリの道
真ん中の丸は地球なのだろうか?
機関車トーマスを思い出す、まぁるく微笑ましくなる壁画なのである。
2013.05.02

エズの路地から3

ご覧の通り、エズの路地はきれいだ。
きれいと言うことは、きれいでないところも存在すると言う事。
キレイでないといっても、汚れていると言うわけではない。
エズは、一大観光鷲ノ巣村であるから、路地がきれいなレンガ造りであるが、このレンガも、街灯も、エズの富の証ともいえるのかもしれない。
エズ
鄙びた鷲ノ巣村を訪ねようと思うのなら、エズではないほうがいいのかも知れない。
美しい村と絶景を見に行こう!と思うのならエズがいいのかも知れない。
どちらも、それなりの魅力がある。

ニースとモナコの間という抜群の立地。
立ち居地というのは、人も街も、富や権を決めてゆく。
幸せの尺度とは別物だが。