2013.04.30
Villa Riberolle ヴィラ・リブロルの石畳
以前紹介した、シテ・オブリーとつながる通り。パリ20区中央だ。
ペールラシェーズ墓地の南側に伸びるバニョレ通りからペールラシェーズ墓地への斜面に広がる住宅地に伸びる石畳の小道。
丁度、自転車が置かれていた。子供用と大人用。親子の自転車なのだろう、きっと。

現在この通りは、舗装されてしまったようだ。
結構最近の事だ。
たしかに、ここの石畳は、脚をくじきそうなほど、ぼこぼこで、石畳の石がグラグラしそうなほどではあった。
でも、この石畳がアスファルトになってしまうと、全く別物の道になってしまう。
きれいな小川が、コンクリート用水路に変わってしまうようなものだ。

どうやら、通り入り口のアーチだけは残っているようだ。
アスファルトに変わってしまうと、おとぎの国への門の役目から、上に飾られたガラクタらしき雰囲気になってしまうのは仕方ないのかもしれない。

それでも、往時の雰囲気が残っていないわけではない。
フランスだから、パリだからといって、全てが無粋から遠いわけではない。
便利、簡単と言う言葉と、お茶を濁すや取ってつけたようなという言葉は、どこの国でも存在しうる感覚なのかもしれない。
ペールラシェーズ墓地の南側に伸びるバニョレ通りからペールラシェーズ墓地への斜面に広がる住宅地に伸びる石畳の小道。
丁度、自転車が置かれていた。子供用と大人用。親子の自転車なのだろう、きっと。

現在この通りは、舗装されてしまったようだ。
結構最近の事だ。
たしかに、ここの石畳は、脚をくじきそうなほど、ぼこぼこで、石畳の石がグラグラしそうなほどではあった。
でも、この石畳がアスファルトになってしまうと、全く別物の道になってしまう。
きれいな小川が、コンクリート用水路に変わってしまうようなものだ。

どうやら、通り入り口のアーチだけは残っているようだ。
アスファルトに変わってしまうと、おとぎの国への門の役目から、上に飾られたガラクタらしき雰囲気になってしまうのは仕方ないのかもしれない。

それでも、往時の雰囲気が残っていないわけではない。
フランスだから、パリだからといって、全てが無粋から遠いわけではない。
便利、簡単と言う言葉と、お茶を濁すや取ってつけたようなという言葉は、どこの国でも存在しうる感覚なのかもしれない。
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2013.04.29
プルマナックの風景
2013.04.28
ラ・ヴィレットの赤
2013.04.27
モンサンミシェルを遠くから眺めてみる
2013.04.26
Rue Simonet シモネ通りの駐禁ポール
パリ市内のいたるところに、鉄のポールが車道と歩道を分けている。
大抵のポールは、脚の短い人間にはまたぐ事の出来ないサイズで立っている。
被写体に気をとられて、強烈に股間を殴打し、悶絶する事になった事が何度か。
しかし、これなら、殴打の危険はない。
それでも、脚を引っ掛けて、カメラごとサヨウナラにならぬとも限らぬ。一点にしか集中できぬ性格に街歩きは危険がいっぱいなのだ。

それにしても、ちょっと可愛らしい一列に並ぶ姿を一枚撮る事に。
まるでガビョウのつまむところみたいだ。
よっこらしょ!と抜き取れば、針がついていそうな形。
ここは、閑静な住宅街である13区のビュット・オ・カイユ地区。
路注をするためには、歩道に乗り上げないと車道を塞いでしまうほどの通りがあちらこちらにある。
フランスと言う国と人は、いい加減だとラテンのレッテルを貼られることも多いが、いやいや意外と細かい。
もっとも、ラテンの英雄、シーザーも日記残すような人であるから、ラテン=いい加減というのは、全く正確ではないステレオタイプなのであろう。
”加減”の問題なのだから、所詮、限度基準の濃淡でしかない。
大抵のポールは、脚の短い人間にはまたぐ事の出来ないサイズで立っている。
被写体に気をとられて、強烈に股間を殴打し、悶絶する事になった事が何度か。
しかし、これなら、殴打の危険はない。
それでも、脚を引っ掛けて、カメラごとサヨウナラにならぬとも限らぬ。一点にしか集中できぬ性格に街歩きは危険がいっぱいなのだ。

それにしても、ちょっと可愛らしい一列に並ぶ姿を一枚撮る事に。
まるでガビョウのつまむところみたいだ。
よっこらしょ!と抜き取れば、針がついていそうな形。
ここは、閑静な住宅街である13区のビュット・オ・カイユ地区。
路注をするためには、歩道に乗り上げないと車道を塞いでしまうほどの通りがあちらこちらにある。
フランスと言う国と人は、いい加減だとラテンのレッテルを貼られることも多いが、いやいや意外と細かい。
もっとも、ラテンの英雄、シーザーも日記残すような人であるから、ラテン=いい加減というのは、全く正確ではないステレオタイプなのであろう。
”加減”の問題なのだから、所詮、限度基準の濃淡でしかない。
2013.04.25
エズの教会にて
教会前広場からだと、そんなに大きくない教会であっても見上げるほどの角度になる。
南仏らしい、明るい色の肌と、エズの空を象徴するかのような時計のついた鐘楼が印象的である。

太陽光が取り込まれて、天井だけが別世界のように明るい。
それ以外は、神聖な世界らしく暗い。
計算されてつくられているのだ。

マリア像も、彩色豊かである。
手前の燭台が赤と青なのも、キリスト教らしいカラーだ。

全くの無宗教の日本人観光客である私が、こんなところで、日に当たり、風に吹かれている時にも、利と権をめぐって、あちらこちらで綱引きが行われている。
平和はすばらしいことだが、人間様世界における平和は、こうした崖の上にたつ村のように、とある一地点の絵でしかないのかもしれない。
ニーチェならずとも、たしかに、哲学的に物事を考えたくなる場所なのかもしれない。
南仏らしい、明るい色の肌と、エズの空を象徴するかのような時計のついた鐘楼が印象的である。

太陽光が取り込まれて、天井だけが別世界のように明るい。
それ以外は、神聖な世界らしく暗い。
計算されてつくられているのだ。

マリア像も、彩色豊かである。
手前の燭台が赤と青なのも、キリスト教らしいカラーだ。

全くの無宗教の日本人観光客である私が、こんなところで、日に当たり、風に吹かれている時にも、利と権をめぐって、あちらこちらで綱引きが行われている。
平和はすばらしいことだが、人間様世界における平和は、こうした崖の上にたつ村のように、とある一地点の絵でしかないのかもしれない。
ニーチェならずとも、たしかに、哲学的に物事を考えたくなる場所なのかもしれない。
2013.04.24
ペルピニャンの夜 フランスで救急車に
前回の続き。
救急車に乗ることになった。
相方はベットに横たわって苦しんでいる。
二人の救急隊員と救急車の後部に乗り込む。
どちらも、イケメンの気さくなお兄さんであるが、消防隊員(ポンピエ)といえば、フランスでは女性にモテモテの職業の代名詞。
日本の消防隊員の方も相当鍛えたイケメンぞろいだと思うのだが、出初式以外でも、もっと話題になっていいはずだ。

その消防隊員の一人が、どこから来たの?と聞くので、昨日パリからやってきた。パリでは競馬場へ行って来た。
そう告げると、一人が反応する。
消防隊員の一人が競馬ファンだったのだ。
日本から来た馬がどれだけすごいのか?相当話題になっているのだ・・・を、もう一人背高隊員に熱く語りだす。
で、もう一人の背高兄さんは、お前、また競馬の話か!とうんざり顔。
外国人の競馬ファンと会話を交わせるなんて、そうめったにある機会でないことは、こちらも向こうさんも分かっているから、大変そうな相方そっちのけで、競馬の話ばかりになる。
随分と話している間、救急車は飛ばす。
どこまで連れて行かれるのか?
救急車に乗ることになった。
相方はベットに横たわって苦しんでいる。
二人の救急隊員と救急車の後部に乗り込む。
どちらも、イケメンの気さくなお兄さんであるが、消防隊員(ポンピエ)といえば、フランスでは女性にモテモテの職業の代名詞。
日本の消防隊員の方も相当鍛えたイケメンぞろいだと思うのだが、出初式以外でも、もっと話題になっていいはずだ。

その消防隊員の一人が、どこから来たの?と聞くので、昨日パリからやってきた。パリでは競馬場へ行って来た。
そう告げると、一人が反応する。
消防隊員の一人が競馬ファンだったのだ。
日本から来た馬がどれだけすごいのか?相当話題になっているのだ・・・を、もう一人背高隊員に熱く語りだす。
で、もう一人の背高兄さんは、お前、また競馬の話か!とうんざり顔。
外国人の競馬ファンと会話を交わせるなんて、そうめったにある機会でないことは、こちらも向こうさんも分かっているから、大変そうな相方そっちのけで、競馬の話ばかりになる。
随分と話している間、救急車は飛ばす。
どこまで連れて行かれるのか?
2013.04.23
Rue de Croulebarbe クルールバルブ通りの黒と白
2013.04.22
プルマナックの線路は続く
2013.04.21
Rue Descartes デカルト通りの壁画
2013.04.20
モンサンミシェルのある風景
2013.04.19
Rue Jeanne d'Arc ジャンヌダルク通りの壁画
5区との境目から13区を東南に突っ切るように伸びる通り。
その通りの開始部分には、以前紹介した、パリのジャンヌダルク像の一つが通りを守るかの様に立っている。
途中、ジャンヌダルク教会が丘の上にデンとそびえる。

歩いてゆけば、メトロの鉄橋の向こうにジャンヌダルク教会が見えてくる。
公団のような住宅が左側に建ち並ぶが、その空いた壁面に巨大なフォトグラファーの壁画。
日本にもありそうな団地雰囲気だけれど、そのカラーリングとベランダの少なさが、日本との違いだろう。

どうやって描かれたのかわからないが、シールをコインでこすり続けると、板や下敷きに貼り付くというアレに似た質感である。まさか、ユーロ硬貨でこすって貼り付けたわけじゃないだろうけど。
その通りの開始部分には、以前紹介した、パリのジャンヌダルク像の一つが通りを守るかの様に立っている。
途中、ジャンヌダルク教会が丘の上にデンとそびえる。

歩いてゆけば、メトロの鉄橋の向こうにジャンヌダルク教会が見えてくる。
公団のような住宅が左側に建ち並ぶが、その空いた壁面に巨大なフォトグラファーの壁画。
日本にもありそうな団地雰囲気だけれど、そのカラーリングとベランダの少なさが、日本との違いだろう。

どうやって描かれたのかわからないが、シールをコインでこすり続けると、板や下敷きに貼り付くというアレに似た質感である。まさか、ユーロ硬貨でこすって貼り付けたわけじゃないだろうけど。
2013.04.18
エズの路地から2
2013.04.17
ペルピニャンの夜 レストランで大変な事に
ぶらついて地元の食べ物が食べられそうなレストランを見つけたので、そこで晩飯を食う事に。
たいして出来もしないフランス語で、ムニュ(セット)を注文すると、まずはサラダから。
続いて、メインディッシュの魚介。
デザートは出るはずだった。

しかし、ここで、相方がお腹をこわしてトイレへ駆け込むことに。
暫く出てこない。
あまりに長いので様子を見に行くと、お腹をこわして戻している。
会話もするのが苦しそうで、フラフラすると。
血圧でも下がってしまったのだろうか?
トイレから出ると、近くで食事している別のフランス人達が”どうした?”と。
説明したいが、アドリブ辞書なしで病状を説明するほどのフランス語の実力は無い。
それでも、単語の羅列と、ボディーランゲージで何とか血圧が下がったのかもしれないと伝えられる。
砂糖を飲ませ!と相方の口へ砂糖を流し込むフランス人のおばちゃん。
お店のからは、救急車を呼ぶか?ときかれるも、本人は、救急車は要らぬというから、返事保留していたが、あまりに大変そうなのを見かねて、お店が救急車を呼んでくれていた。
人生初の救急車をペルピニャンで体験する事になった。さて。
たいして出来もしないフランス語で、ムニュ(セット)を注文すると、まずはサラダから。
続いて、メインディッシュの魚介。
デザートは出るはずだった。

しかし、ここで、相方がお腹をこわしてトイレへ駆け込むことに。
暫く出てこない。
あまりに長いので様子を見に行くと、お腹をこわして戻している。
会話もするのが苦しそうで、フラフラすると。
血圧でも下がってしまったのだろうか?
トイレから出ると、近くで食事している別のフランス人達が”どうした?”と。
説明したいが、アドリブ辞書なしで病状を説明するほどのフランス語の実力は無い。
それでも、単語の羅列と、ボディーランゲージで何とか血圧が下がったのかもしれないと伝えられる。
砂糖を飲ませ!と相方の口へ砂糖を流し込むフランス人のおばちゃん。
お店のからは、救急車を呼ぶか?ときかれるも、本人は、救急車は要らぬというから、返事保留していたが、あまりに大変そうなのを見かねて、お店が救急車を呼んでくれていた。
人生初の救急車をペルピニャンで体験する事になった。さて。
2013.04.16
Rue Achille アシル通りという細道
ペールラシェーズ墓地の裏手、ガンベッタ付近をブラブラあるいていたら、自転車が停めてあるので、これを入れていつものように一枚。
通常目線の先に屋根があるなんて、パリっぽくないななんて思って一枚撮った。
駐停車禁止の道路標識の下に黄色の消防車のマークを可愛らしいではないかなどと、隣の通路と共に撮った。

ふと見ると、この通路、ちゃんとした通りなのである。
Rue Achilleと道標が壁に貼られている。
パリで最も短い道ではないけれど、せいぜい30mほどの長さで向こうの通りに到達する。
もちろん、車が通れる代物ではない。
この20区というのは、こうした、ちょい抜け通りが随分多いような気がする。
住宅地は、どこもこうした抜け道があるものだが、道幅といい、屹立した存在感といい、この界隈らしい、20区らしい雰囲気があるのである。
通常目線の先に屋根があるなんて、パリっぽくないななんて思って一枚撮った。
駐停車禁止の道路標識の下に黄色の消防車のマークを可愛らしいではないかなどと、隣の通路と共に撮った。

ふと見ると、この通路、ちゃんとした通りなのである。
Rue Achilleと道標が壁に貼られている。
パリで最も短い道ではないけれど、せいぜい30mほどの長さで向こうの通りに到達する。
もちろん、車が通れる代物ではない。
この20区というのは、こうした、ちょい抜け通りが随分多いような気がする。
住宅地は、どこもこうした抜け道があるものだが、道幅といい、屹立した存在感といい、この界隈らしい、20区らしい雰囲気があるのである。
2013.04.15
バラ色の税関吏の見張り小屋にて
Guerite du Douanierゲリット・デュ・ドゥアニエ。
ゲリットというのは、キャビン。この石の建物の事だ。
ドゥアニエは税関吏。
簡単に言えば、見張り小屋だ。

もちろん、密売を取り締まっていたのだろう。
このあたりから上陸して、欧州全土へ密売品を拡販する。
それを取り締まるためであるから、海から簡単に見えてはならぬ。
背後の岩と同化するように、
少し海辺から離れた高台に、
この海岸特有のバラ色の岩で小さく建てられているのだろう。

どれだけ頻繁に船が行き交ったのか知らぬ。
でも、税関吏たちは、空を見ながら、家にいる子供の事を思ったか?恋人のことを思ったか?
物が進歩しても、手段が変わっただけで、人間の考える事は大して変わっていない。
悠久の時を経て、人は進化しているのだろうか?
行き交う船の形が変わっても、家の建築材と大きさが変化しても、人は変化していない。
進化したいたとしても、宇宙の中では、体毛が一本抜けたほどの変化でしかないのかもしれない。
ゲリットというのは、キャビン。この石の建物の事だ。
ドゥアニエは税関吏。
簡単に言えば、見張り小屋だ。

もちろん、密売を取り締まっていたのだろう。
このあたりから上陸して、欧州全土へ密売品を拡販する。
それを取り締まるためであるから、海から簡単に見えてはならぬ。
背後の岩と同化するように、
少し海辺から離れた高台に、
この海岸特有のバラ色の岩で小さく建てられているのだろう。

どれだけ頻繁に船が行き交ったのか知らぬ。
でも、税関吏たちは、空を見ながら、家にいる子供の事を思ったか?恋人のことを思ったか?
物が進歩しても、手段が変わっただけで、人間の考える事は大して変わっていない。
悠久の時を経て、人は進化しているのだろうか?
行き交う船の形が変わっても、家の建築材と大きさが変化しても、人は変化していない。
進化したいたとしても、宇宙の中では、体毛が一本抜けたほどの変化でしかないのかもしれない。
2013.04.14
Rue du Château des Rentiers シャトー・デ・ランティエ通りからの廃線環状線
2013.04.13
クエノン川の橋の上からモン・サン・ミシェルを眺める
下の写真を撮ったころはまだ工事中だったが、現在は対岸からのシャトルバスがモンサンミシェルを往復している。
その対岸に、この当時もすでにクエノン川に架かる橋は出来上がっていた。
この橋、橋というより、クエノン川越に写真を撮ってください広場といったほうがいい。
ベンチはあるし、欄干は三脚代わりになる。
アングルは、まるで川面に映るモンサンミシェルどうぞ!といっているかのようなのだ。

風が強いことが多いので、この時は残念ながら、鏡モンサンミシェルは撮れなかった。

モンサンミシェルの向こう側には、グランヴィルなどの町があるモンサンミシェル湾の向こうにある丘が見えている。
ここから写真を撮るのは、シャンゼリゼ通りの横断歩道の途中から凱旋門を撮るのと同じなのかもしれない。
その対岸に、この当時もすでにクエノン川に架かる橋は出来上がっていた。
この橋、橋というより、クエノン川越に写真を撮ってください広場といったほうがいい。
ベンチはあるし、欄干は三脚代わりになる。
アングルは、まるで川面に映るモンサンミシェルどうぞ!といっているかのようなのだ。

風が強いことが多いので、この時は残念ながら、鏡モンサンミシェルは撮れなかった。

モンサンミシェルの向こう側には、グランヴィルなどの町があるモンサンミシェル湾の向こうにある丘が見えている。
ここから写真を撮るのは、シャンゼリゼ通りの横断歩道の途中から凱旋門を撮るのと同じなのかもしれない。
2013.04.12
Square des Peupliers スカール・デ・ププリエ ププリエ広場
ププリエ、または、プープリエというのはポプラのことだ。
スカールと言うからには、広場であるのだが、広場というより、横丁と言うべきか、小町と言うべきか?
エリアの入り口に、門がある訳ではないのだが、外界と遮断されたかのような空間が存在する。
石畳の道がぐるりと三角形を描くように一周する。その両側、三角形の内と外に家々が建っている。
三角形の内側に家が建っていなければ、三角形の広場ということになろう。

ヨーロッパといえば、パリもそうだが、通り通りに名前がついていて、何々街何番地という雰囲気と思いがちだが、パリの街は意外と面で区分けされているように思う。
線ではなく、ゾーンなのだ。
そういえば、パリ近郊の切符もゾーンになってます。
石畳と言えば、荷物を運ぶにも歩くにも移動しにくい。街も建物も、階段は多いし、間接照明のライトのスイッチは、手を伸ばしてつけなきゃいけないような、ソファーの後ろにある。しかも、何箇所かスイッチを入れなきゃなんない。
日本から来れば、不便を絵に描いたような街だが、それが、こうした雰囲気を作っている。
日本では、不便の一言で却下されてしまうような演出が日々の生活の中に存在しているのだ。
スカールと言うからには、広場であるのだが、広場というより、横丁と言うべきか、小町と言うべきか?
エリアの入り口に、門がある訳ではないのだが、外界と遮断されたかのような空間が存在する。
石畳の道がぐるりと三角形を描くように一周する。その両側、三角形の内と外に家々が建っている。
三角形の内側に家が建っていなければ、三角形の広場ということになろう。

ヨーロッパといえば、パリもそうだが、通り通りに名前がついていて、何々街何番地という雰囲気と思いがちだが、パリの街は意外と面で区分けされているように思う。
線ではなく、ゾーンなのだ。
そういえば、パリ近郊の切符もゾーンになってます。
石畳と言えば、荷物を運ぶにも歩くにも移動しにくい。街も建物も、階段は多いし、間接照明のライトのスイッチは、手を伸ばしてつけなきゃいけないような、ソファーの後ろにある。しかも、何箇所かスイッチを入れなきゃなんない。
日本から来れば、不便を絵に描いたような街だが、それが、こうした雰囲気を作っている。
日本では、不便の一言で却下されてしまうような演出が日々の生活の中に存在しているのだ。
2013.04.11
エズの定番
2013.04.10
ペルピニャンの夜 Le Castillet
2013.04.09
Rue Saint-Yves サンティヴ通りの二つの顔
以前も紹介し14区南側の貯水池レゼルヴォワール・モンスーリを囲むように走るとおりである。
この道、直角に曲がっている。まるで、迷宮からの脱出路のように。
曲がっているゆえに、二つの全く違った雰囲気の顔をもつのである。

一つは、ルネ・コティ大通りと平行して走る坂路。その先には、緑の丘、モンスーリ公園が見えている。

もう一つが、通りの向こう側に、サン・フランソワ修道会のチャペルのレンガが見えている。

教会を背にして、道を進み、右に折れ曲がると、視界が開けるわけだが、ルネ・コティ大通りの並木の上部から下ってゆく坂路は、木登りした視界を楽しむ事ができるようになっているのだ。
このあたり、ちょっとした可愛らしい路地、住宅街の多いゾーンなのであるが、どれも、細かったり行き止まりだったり。この道だけは、開放感に溢れているのである。
この道、直角に曲がっている。まるで、迷宮からの脱出路のように。
曲がっているゆえに、二つの全く違った雰囲気の顔をもつのである。

一つは、ルネ・コティ大通りと平行して走る坂路。その先には、緑の丘、モンスーリ公園が見えている。

もう一つが、通りの向こう側に、サン・フランソワ修道会のチャペルのレンガが見えている。

教会を背にして、道を進み、右に折れ曲がると、視界が開けるわけだが、ルネ・コティ大通りの並木の上部から下ってゆく坂路は、木登りした視界を楽しむ事ができるようになっているのだ。
このあたり、ちょっとした可愛らしい路地、住宅街の多いゾーンなのであるが、どれも、細かったり行き止まりだったり。この道だけは、開放感に溢れているのである。
2013.04.08
プルマナックの灯台
2013.04.07
Rue de l'Aqueduc アケデュック通りの鉄橋からみえるもの
先週の続きである。
このアケデュック通りは、ドン突きでメトロの2号線とぶつかる。
通りの先に高架を横切るメトロを望むこともできる。

そして、眼下には鉄道が通ってゆく。
もちろん、アルザス、ドイツへ向かうドイツ新幹線も、TGVもここを通過する。

反対側を振り返れば、なにやら、ギリシアローマな建造物、門もような壁画が構えている。
鉄道、鉄橋、アスファルトの道、石づくりの建物に行き交う車。
緑も少なければ、生を感じられぬ場所なのだ。
全てが乾いている風景だから、人という動物の体温を感じられる場所なのかもしれない。

パリといえば、服飾、宝石、ブランド、美術、観光。人、それも大勢の人が集まるような憧れの場所をイメージできる。同じ生き物であるけれど、格も収入も生活も違う人たちが同じ空気を吸う場所でもある。
その場の雰囲気に圧倒される街でもある。
でも、こうした、自分そのものを感じられる、小さいながら生きている自分を意識するような場所もいっぱいあるのである。
確かにあこがれる場所ではない。
好き嫌いであれば、こうしたパリの方が好きだ。
上下左右の人の交差点、多様と渇きがパリの最大の魅力なのである。
このアケデュック通りは、ドン突きでメトロの2号線とぶつかる。
通りの先に高架を横切るメトロを望むこともできる。

そして、眼下には鉄道が通ってゆく。
もちろん、アルザス、ドイツへ向かうドイツ新幹線も、TGVもここを通過する。

反対側を振り返れば、なにやら、ギリシアローマな建造物、門もような壁画が構えている。
鉄道、鉄橋、アスファルトの道、石づくりの建物に行き交う車。
緑も少なければ、生を感じられぬ場所なのだ。
全てが乾いている風景だから、人という動物の体温を感じられる場所なのかもしれない。

パリといえば、服飾、宝石、ブランド、美術、観光。人、それも大勢の人が集まるような憧れの場所をイメージできる。同じ生き物であるけれど、格も収入も生活も違う人たちが同じ空気を吸う場所でもある。
その場の雰囲気に圧倒される街でもある。
でも、こうした、自分そのものを感じられる、小さいながら生きている自分を意識するような場所もいっぱいあるのである。
確かにあこがれる場所ではない。
好き嫌いであれば、こうしたパリの方が好きだ。
上下左右の人の交差点、多様と渇きがパリの最大の魅力なのである。
2013.04.06
モン・サン・ミシェルをいろんな角度から眺める
2013.04.05
Rue des Malmaisons マルメゾン通りの青壁のミスティック女性
中華街を横にスライドして行く通り。
この界隈は、イタリア広場を軸に放射状に延びる道がメインとなっているゾーンである。
その大通りを横につなぐ一本がこれ。
特に中華やベトナムのお店があるわけではない通りであるが、なかなか、色に溢れた通りなのだ。
その中のブルー。

車の車体工場なのか、工場跡なのか?
青壁の向こうには、13区のランドマークの一つである、高層ビルが見える。単なるアパートではない。
単なるアパートではないのは、このビルがこのゾーンのランドマーク化しているからだ。
高層ビルとしては、大分前からあるのだが、あの赤屋根をみると、ああ、ここへ来たなと何気なく気づかせてくれる屋根だ。しかも、遠くから、ここの近くに中華街がありますよ!と教えてくれているのである。

さて、赤屋根が主役じゃない。
青壁である。
この近所にも、あえて青く塗られた扉がいくつかある。
この壁には、ところどころで見かける、あの女性がここにも出現していた。
ミスティックのサインも横に見えます。
この界隈は、イタリア広場を軸に放射状に延びる道がメインとなっているゾーンである。
その大通りを横につなぐ一本がこれ。
特に中華やベトナムのお店があるわけではない通りであるが、なかなか、色に溢れた通りなのだ。
その中のブルー。

車の車体工場なのか、工場跡なのか?
青壁の向こうには、13区のランドマークの一つである、高層ビルが見える。単なるアパートではない。
単なるアパートではないのは、このビルがこのゾーンのランドマーク化しているからだ。
高層ビルとしては、大分前からあるのだが、あの赤屋根をみると、ああ、ここへ来たなと何気なく気づかせてくれる屋根だ。しかも、遠くから、ここの近くに中華街がありますよ!と教えてくれているのである。

さて、赤屋根が主役じゃない。
青壁である。
この近所にも、あえて青く塗られた扉がいくつかある。
この壁には、ところどころで見かける、あの女性がここにも出現していた。
ミスティックのサインも横に見えます。
2013.04.04
エズのてっぺんにて
2013.04.03
ペルピニャンの夜
10月のパリを離れて、南行する。
目指したのは、最南端方向。
スペインとの国境にほど近い、ペルピニャンである。
フランスとスペインの国境では、大西洋側のバスクと地中海側のカタルーニャがある。
バスクもカタルーニャも南北でそれぞれ、スペインとフランスに分かれているのだ。
ペルピニャンは北カタルーニャの中心都市。旗も、赤と黄色のカタルーニャ縞である。

その街へ男二人旅となったこの時は、ぶらりと街へお茶しに出かけた。
パリよりはよほどマシであろうが、この時も少々ひんやりした夜だった。
田舎の夜は早い。
もう、カフェは人まばらで、道行く人も多くない。
20時頃であったと思うのだが、記憶は定かではない。
お茶をしつつ、雰囲気の良さそうな通りを探しながら、ブラブラと散歩。
目指したのは、最南端方向。
スペインとの国境にほど近い、ペルピニャンである。
フランスとスペインの国境では、大西洋側のバスクと地中海側のカタルーニャがある。
バスクもカタルーニャも南北でそれぞれ、スペインとフランスに分かれているのだ。
ペルピニャンは北カタルーニャの中心都市。旗も、赤と黄色のカタルーニャ縞である。

その街へ男二人旅となったこの時は、ぶらりと街へお茶しに出かけた。
パリよりはよほどマシであろうが、この時も少々ひんやりした夜だった。
田舎の夜は早い。
もう、カフェは人まばらで、道行く人も多くない。
20時頃であったと思うのだが、記憶は定かではない。
お茶をしつつ、雰囲気の良さそうな通りを探しながら、ブラブラと散歩。
2013.04.02
Rue de la Croix Nivert クロワ・ニヴェール通りのパリの色
2013.04.01
美しき海岸の散歩道 税関吏の小道
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