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2013.04.30

Villa Riberolle ヴィラ・リブロルの石畳

以前紹介した、シテ・オブリーとつながる通り。パリ20区中央だ。
ペールラシェーズ墓地の南側に伸びるバニョレ通りからペールラシェーズ墓地への斜面に広がる住宅地に伸びる石畳の小道。
丁度、自転車が置かれていた。子供用と大人用。親子の自転車なのだろう、きっと。
パリの道
現在この通りは、舗装されてしまったようだ。
結構最近の事だ。
たしかに、ここの石畳は、脚をくじきそうなほど、ぼこぼこで、石畳の石がグラグラしそうなほどではあった。
でも、この石畳がアスファルトになってしまうと、全く別物の道になってしまう。
きれいな小川が、コンクリート用水路に変わってしまうようなものだ。
パリの道
どうやら、通り入り口のアーチだけは残っているようだ。
アスファルトに変わってしまうと、おとぎの国への門の役目から、上に飾られたガラクタらしき雰囲気になってしまうのは仕方ないのかもしれない。
パリの道
それでも、往時の雰囲気が残っていないわけではない。
フランスだから、パリだからといって、全てが無粋から遠いわけではない。
便利、簡単と言う言葉と、お茶を濁すや取ってつけたようなという言葉は、どこの国でも存在しうる感覚なのかもしれない。
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2013.04.29

プルマナックの風景

とりたてて、何というわけではない。
ただただ、どこまでも続く海岸線と空。
プルマナック
人造物が所々に見え、自然のままの岩場がごつごつと存在。
丘は薄く緑に覆われ、青赤緑白の美しい風景を作り出している。
プルマナック
岩場ではあるものの、寒々しい感じではなく、どこか、安心感にも満ちた、秘密の遊び場が連なっている。
安心感は、人造物や、同じ岩は二つないというほどさまざまな奇岩が立ち並んでいるからかもしれない。
見たはずの岩が、見たはずの場所に存在している。
赤の岩肌も、荒涼感から免れる所以であろう。
プルマナック
フランス一美しき海岸散歩道はこうして続いているのである。
2013.04.28

ラ・ヴィレットの赤

いつもの散歩をしてブラブラしていたら、赤いラ・ヴィレット前に赤い自転車がとまっているので一枚。
珍しく、ママチャリっぽい自転車だ。
ラ・ヴィレット
ここは、緑の芝に赤の建物が映える。
要所要所にこのラ・ヴィレットでは赤い建築物が現れる。
ジャン・ジョレス通りからの入り口部分では、赤白青のトリコロールになっていた。
2013.04.27

モンサンミシェルを遠くから眺めてみる

バス通りではなく、クエノン川を遡る。
遠くに、あの、撮影用ともいえる橋がみえているが、そこからずっと遡って散歩してゆく。
何十分か歩いてゆけば、ボーヴォワールの町に入る。
地元の人たちにとっては、格好の散歩道。
観光客の数も、とんでもなく減ってゆく。
モンサンミシェル
決して巨大ではないけれど、風景に溶け込んだ世界遺産を眺めることができる。
川の向こうはブルターニュ。こちらは、ノルマンディ。
そんなこともキッチリ意識できる場所なのだ。
2013.04.26

Rue Simonet シモネ通りの駐禁ポール

パリ市内のいたるところに、鉄のポールが車道と歩道を分けている。
大抵のポールは、脚の短い人間にはまたぐ事の出来ないサイズで立っている。
被写体に気をとられて、強烈に股間を殴打し、悶絶する事になった事が何度か。
しかし、これなら、殴打の危険はない。
それでも、脚を引っ掛けて、カメラごとサヨウナラにならぬとも限らぬ。一点にしか集中できぬ性格に街歩きは危険がいっぱいなのだ。
パリの道
それにしても、ちょっと可愛らしい一列に並ぶ姿を一枚撮る事に。
まるでガビョウのつまむところみたいだ。
よっこらしょ!と抜き取れば、針がついていそうな形。

ここは、閑静な住宅街である13区のビュット・オ・カイユ地区。
路注をするためには、歩道に乗り上げないと車道を塞いでしまうほどの通りがあちらこちらにある。

フランスと言う国と人は、いい加減だとラテンのレッテルを貼られることも多いが、いやいや意外と細かい。
もっとも、ラテンの英雄、シーザーも日記残すような人であるから、ラテン=いい加減というのは、全く正確ではないステレオタイプなのであろう。
”加減”の問題なのだから、所詮、限度基準の濃淡でしかない。
2013.04.25

エズの教会にて

教会前広場からだと、そんなに大きくない教会であっても見上げるほどの角度になる。
南仏らしい、明るい色の肌と、エズの空を象徴するかのような時計のついた鐘楼が印象的である。
エズ
太陽光が取り込まれて、天井だけが別世界のように明るい。
それ以外は、神聖な世界らしく暗い。
計算されてつくられているのだ。
エズ
マリア像も、彩色豊かである。
手前の燭台が赤と青なのも、キリスト教らしいカラーだ。
エズ
全くの無宗教の日本人観光客である私が、こんなところで、日に当たり、風に吹かれている時にも、利と権をめぐって、あちらこちらで綱引きが行われている。
平和はすばらしいことだが、人間様世界における平和は、こうした崖の上にたつ村のように、とある一地点の絵でしかないのかもしれない。
ニーチェならずとも、たしかに、哲学的に物事を考えたくなる場所なのかもしれない。
2013.04.24

ペルピニャンの夜 フランスで救急車に

前回の続き。
救急車に乗ることになった。
相方はベットに横たわって苦しんでいる。
二人の救急隊員と救急車の後部に乗り込む。
どちらも、イケメンの気さくなお兄さんであるが、消防隊員(ポンピエ)といえば、フランスでは女性にモテモテの職業の代名詞。
日本の消防隊員の方も相当鍛えたイケメンぞろいだと思うのだが、出初式以外でも、もっと話題になっていいはずだ。
ペルピニャン
その消防隊員の一人が、どこから来たの?と聞くので、昨日パリからやってきた。パリでは競馬場へ行って来た。
そう告げると、一人が反応する。
消防隊員の一人が競馬ファンだったのだ。

日本から来た馬がどれだけすごいのか?相当話題になっているのだ・・・を、もう一人背高隊員に熱く語りだす。
で、もう一人の背高兄さんは、お前、また競馬の話か!とうんざり顔。

外国人の競馬ファンと会話を交わせるなんて、そうめったにある機会でないことは、こちらも向こうさんも分かっているから、大変そうな相方そっちのけで、競馬の話ばかりになる。

随分と話している間、救急車は飛ばす。
どこまで連れて行かれるのか?
2013.04.23

Rue de Croulebarbe クルールバルブ通りの黒と白

白い人と黒い女のコラボ。
黒のミスティックと白のメスナジェのアートコラボであろう。
場所は、ゴブラン地区の13区クルールバルブ通り。
パリの道
ゴブラン織の地域だけに、昔の古い建物も多く残っているのかも知れない。
走したところに出現するアートである。
近くには、憩いの場、ルネ・ル・ガル公園がある。
いかにも散歩してくださいってな界隈なのだ。
2013.04.22

プルマナックの線路は続く

海岸線を歩いていると、海へつきすすむ鉄路が。
貨物を積んだトロッコのようなものが、船に荷を運ぶためか、積荷を、陸へ上げやすくするためにひかれたものに違いない。
プルマナック
密売品ではない正規品が、ここから陸揚げされていったのだろう。
プルマナック
赤き岩の中から、青き海へ潜ってゆく二本の線は、子供心をくすぐられる。
この上をトロッコに乗って滑ってみたいのである。
もちろん、芥川の小説のように、どこかへ行ってしまって、泣きながら家に帰らねばならぬ心配はない。
ただ、涙はでなくとも、濡れる事に違いない。
2013.04.21

Rue Descartes デカルト通りの壁画

学生街。
5区。
聖ジュヌヴィエーヴの丘の上。
ムフタール通りへ続く、デカルト通りに、大きな木の壁画がある。
パリの道
壁画の横には、通りがかりの人へ語りかける詩が。
パリの道
デカルトと木といえば、哲学そのものを連想するが、さてさて、この青い木をみて、何を思うか?
わたしは、この木の色が、時々変わると、かわいらしくていいなと思う、時にピンクとか緑とかな。
虫、鳥、犬猫たちは、はたして、この木が何色に見えているのか?
そんなくだらぬことを思う故に、我ありであろうか?
2013.04.20

モンサンミシェルのある風景

モン・サン・ミシェルの対岸。
観光バスの駐車場があるところから、ポントルソンの町方向へ歩いてゆく。
畑と木々の間から、モン・サン・ミシェルが見える。
モンサンミシェル
バス通りであるから、この風景はバスからも見えているはずの風景だ。
少し歩けばすぐ見える風景だ。
2013.04.19

Rue Jeanne d'Arc ジャンヌダルク通りの壁画

5区との境目から13区を東南に突っ切るように伸びる通り。
その通りの開始部分には、以前紹介した、パリのジャンヌダルク像の一つが通りを守るかの様に立っている。
途中、ジャンヌダルク教会が丘の上にデンとそびえる。
パリの道
歩いてゆけば、メトロの鉄橋の向こうにジャンヌダルク教会が見えてくる。
公団のような住宅が左側に建ち並ぶが、その空いた壁面に巨大なフォトグラファーの壁画。
日本にもありそうな団地雰囲気だけれど、そのカラーリングとベランダの少なさが、日本との違いだろう。
パリの道
どうやって描かれたのかわからないが、シールをコインでこすり続けると、板や下敷きに貼り付くというアレに似た質感である。まさか、ユーロ硬貨でこすって貼り付けたわけじゃないだろうけど。
2013.04.18

エズの路地から2

路地沿いに、ホテル、レストラン、お土産屋、雑貨屋が点在する。
お土産やも、オリジナルな商品を扱っているところも多い。
エズ
人気観光地だから、写真を撮っていると、人が入ってしまうことはしばしば。
気を使うというのは、日本人の特権、特技であるかのようであるが、カメラを構えた路地の先から、現れてしまったヨーロピアンのおじちゃんは、気を使ってどいてくれた。
というより、あわててどいた。
気を使うのは、国や地域によるわけじゃなく、人による。
慌てさせてしまったこちらも、恐縮。
2013.04.17

ペルピニャンの夜 レストランで大変な事に

ぶらついて地元の食べ物が食べられそうなレストランを見つけたので、そこで晩飯を食う事に。
たいして出来もしないフランス語で、ムニュ(セット)を注文すると、まずはサラダから。
続いて、メインディッシュの魚介。
デザートは出るはずだった。
ペルピニャン
しかし、ここで、相方がお腹をこわしてトイレへ駆け込むことに。
暫く出てこない。
あまりに長いので様子を見に行くと、お腹をこわして戻している。
会話もするのが苦しそうで、フラフラすると。

血圧でも下がってしまったのだろうか?

トイレから出ると、近くで食事している別のフランス人達が”どうした?”と。
説明したいが、アドリブ辞書なしで病状を説明するほどのフランス語の実力は無い。

それでも、単語の羅列と、ボディーランゲージで何とか血圧が下がったのかもしれないと伝えられる。

砂糖を飲ませ!と相方の口へ砂糖を流し込むフランス人のおばちゃん。

お店のからは、救急車を呼ぶか?ときかれるも、本人は、救急車は要らぬというから、返事保留していたが、あまりに大変そうなのを見かねて、お店が救急車を呼んでくれていた。

人生初の救急車をペルピニャンで体験する事になった。さて。
2013.04.16

Rue Achille アシル通りという細道

ペールラシェーズ墓地の裏手、ガンベッタ付近をブラブラあるいていたら、自転車が停めてあるので、これを入れていつものように一枚。
通常目線の先に屋根があるなんて、パリっぽくないななんて思って一枚撮った。
駐停車禁止の道路標識の下に黄色の消防車のマークを可愛らしいではないかなどと、隣の通路と共に撮った。
パリの道
ふと見ると、この通路、ちゃんとした通りなのである。
Rue Achilleと道標が壁に貼られている。
パリで最も短い道ではないけれど、せいぜい30mほどの長さで向こうの通りに到達する。
もちろん、車が通れる代物ではない。

この20区というのは、こうした、ちょい抜け通りが随分多いような気がする。
住宅地は、どこもこうした抜け道があるものだが、道幅といい、屹立した存在感といい、この界隈らしい、20区らしい雰囲気があるのである。
2013.04.15

バラ色の税関吏の見張り小屋にて

Guerite du Douanierゲリット・デュ・ドゥアニエ。
ゲリットというのは、キャビン。この石の建物の事だ。
ドゥアニエは税関吏。
簡単に言えば、見張り小屋だ。
プルマナック
もちろん、密売を取り締まっていたのだろう。
このあたりから上陸して、欧州全土へ密売品を拡販する。
それを取り締まるためであるから、海から簡単に見えてはならぬ。
背後の岩と同化するように、
少し海辺から離れた高台に、
この海岸特有のバラ色の岩で小さく建てられているのだろう。
プルマナック
どれだけ頻繁に船が行き交ったのか知らぬ。
でも、税関吏たちは、空を見ながら、家にいる子供の事を思ったか?恋人のことを思ったか?
物が進歩しても、手段が変わっただけで、人間の考える事は大して変わっていない。
悠久の時を経て、人は進化しているのだろうか?
行き交う船の形が変わっても、家の建築材と大きさが変化しても、人は変化していない。
進化したいたとしても、宇宙の中では、体毛が一本抜けたほどの変化でしかないのかもしれない。
2013.04.14

Rue du Château des Rentiers シャトー・デ・ランティエ通りからの廃線環状線

13区の中華街から少し外れたところ。
複線化する分岐のみえるプティットサンチュールパリ環状線。
12区からセーヌを越えた線路は、このあたりで、高台に突入してゆき、トンネルが多くなる。
中華街部分は完全に地下なのだ。
パリの道
シャトー・デ・ランティエ通りというのは、どこにでもある、何の変哲もない、何の面白みもない通りの一つともいえるかもしれない。日本にも被写体になりえないようなつまらない通りがたくさんあるが、各国のそのつまらない通りの写真を並べてみたら、意外と、お国の雰囲気の違いが分かったりするのではないか。
ここは、その中でも絵になる部分、コンクリートジャングルに消えてゆく、鉄路廃線橋上なのである。
2013.04.13

クエノン川の橋の上からモン・サン・ミシェルを眺める

下の写真を撮ったころはまだ工事中だったが、現在は対岸からのシャトルバスがモンサンミシェルを往復している。
その対岸に、この当時もすでにクエノン川に架かる橋は出来上がっていた。
この橋、橋というより、クエノン川越に写真を撮ってください広場といったほうがいい。
ベンチはあるし、欄干は三脚代わりになる。
アングルは、まるで川面に映るモンサンミシェルどうぞ!といっているかのようなのだ。
モン・サン・ミッシェル
風が強いことが多いので、この時は残念ながら、鏡モンサンミシェルは撮れなかった。
モン・サン・ミッシェル
モンサンミシェルの向こう側には、グランヴィルなどの町があるモンサンミシェル湾の向こうにある丘が見えている。
ここから写真を撮るのは、シャンゼリゼ通りの横断歩道の途中から凱旋門を撮るのと同じなのかもしれない。
2013.04.12

Square des Peupliers スカール・デ・ププリエ ププリエ広場

ププリエ、または、プープリエというのはポプラのことだ。
スカールと言うからには、広場であるのだが、広場というより、横丁と言うべきか、小町と言うべきか?
エリアの入り口に、門がある訳ではないのだが、外界と遮断されたかのような空間が存在する。

石畳の道がぐるりと三角形を描くように一周する。その両側、三角形の内と外に家々が建っている。
三角形の内側に家が建っていなければ、三角形の広場ということになろう。
パリの道
ヨーロッパといえば、パリもそうだが、通り通りに名前がついていて、何々街何番地という雰囲気と思いがちだが、パリの街は意外と面で区分けされているように思う。
線ではなく、ゾーンなのだ。
そういえば、パリ近郊の切符もゾーンになってます。

石畳と言えば、荷物を運ぶにも歩くにも移動しにくい。街も建物も、階段は多いし、間接照明のライトのスイッチは、手を伸ばしてつけなきゃいけないような、ソファーの後ろにある。しかも、何箇所かスイッチを入れなきゃなんない。
日本から来れば、不便を絵に描いたような街だが、それが、こうした雰囲気を作っている。
日本では、不便の一言で却下されてしまうような演出が日々の生活の中に存在しているのだ。
2013.04.11

エズの定番

エズといえば、このサボテン庭園からの眺めが一番のハイライトと言える。
エズの家々とフランス国旗と海。これが3点セットなのは、どれもあまり変わらない。
エズ
ふと、この海を見ながら・・・。
ここから海が見えるって事は、海からここも見えるって事になる。
発見されぬようにここに作ったのではなく、発見されてもそう簡単に攻め込めないところに作ったのであろう。
確かに、駅からは見えぬ。
でも、敵は海からやってきますものね。
2013.04.10

ペルピニャンの夜 Le Castillet

観光局で地図くらいは手に入れたのだが、ガイドブックを持たず歩いてみたが、この街をまともに観光する事はなかった。夜景でも撮りにという気持ちと、翌日の夕飯をどこで食べようかなどの物色のためブラブラとしていたのだ。
ペルピニャン
のんきにも、なんという建物か?はっきりもせず、古かろう、門であろう、お城かなんかであろう!と写真を撮る。
Le Castilletという建物である事は後に分かったのである。

この土地の食べ物が食べられそうなレストランを見つけて、ペルピニャンについた当日は早々に宿へ。
2013.04.09

Rue Saint-Yves サンティヴ通りの二つの顔

以前も紹介し14区南側の貯水池レゼルヴォワール・モンスーリを囲むように走るとおりである。
この道、直角に曲がっている。まるで、迷宮からの脱出路のように。
曲がっているゆえに、二つの全く違った雰囲気の顔をもつのである。
パリの道
一つは、ルネ・コティ大通りと平行して走る坂路。その先には、緑の丘、モンスーリ公園が見えている。
パリの道
もう一つが、通りの向こう側に、サン・フランソワ修道会のチャペルのレンガが見えている。
パリの道
教会を背にして、道を進み、右に折れ曲がると、視界が開けるわけだが、ルネ・コティ大通りの並木の上部から下ってゆく坂路は、木登りした視界を楽しむ事ができるようになっているのだ。

このあたり、ちょっとした可愛らしい路地、住宅街の多いゾーンなのであるが、どれも、細かったり行き止まりだったり。この道だけは、開放感に溢れているのである。
2013.04.08

プルマナックの灯台

ブルマナックの税関吏の道を散歩してゆくと、ランドマークの灯台に出る。
海に突き出た形になった小さな突先に建っている。
プルマナック
ここの灯台らしく、バラ色の石造りの灯台なのであるが、真ん中に縦の線が入っている。
これが、フランスの灯台の典型的な形なのかどうかは分からぬが、バスクで見た灯台も、白い灯台の真ん中が赤く縦線で塗られていた事を思い出す。
日本の灯台といえば、円筒型で真っ白なイメージなのだが、フランスではなのか?バスクとここだけなのか?灯台の縦線がとても気になるのだ。
プルマナック
一番下の白い扉が、感光してしまったフィルムの様な赤い世界に映えて新鮮なのである。
2013.04.07

Rue de l'Aqueduc アケデュック通りの鉄橋からみえるもの

先週の続きである。
このアケデュック通りは、ドン突きでメトロの2号線とぶつかる。
通りの先に高架を横切るメトロを望むこともできる。
パリの道
そして、眼下には鉄道が通ってゆく。
もちろん、アルザス、ドイツへ向かうドイツ新幹線も、TGVもここを通過する。
パリの道
反対側を振り返れば、なにやら、ギリシアローマな建造物、門もような壁画が構えている。
鉄道、鉄橋、アスファルトの道、石づくりの建物に行き交う車。
緑も少なければ、生を感じられぬ場所なのだ。
全てが乾いている風景だから、人という動物の体温を感じられる場所なのかもしれない。
パリの道
パリといえば、服飾、宝石、ブランド、美術、観光。人、それも大勢の人が集まるような憧れの場所をイメージできる。同じ生き物であるけれど、格も収入も生活も違う人たちが同じ空気を吸う場所でもある。
その場の雰囲気に圧倒される街でもある。

でも、こうした、自分そのものを感じられる、小さいながら生きている自分を意識するような場所もいっぱいあるのである。
確かにあこがれる場所ではない。
好き嫌いであれば、こうしたパリの方が好きだ。
上下左右の人の交差点、多様と渇きがパリの最大の魅力なのである。
2013.04.06

モン・サン・ミシェルをいろんな角度から眺める

モンサンミシェルは巨大な上、海辺の何も周りに無いところに建っている。
それゆえ、いろんな場所から、いろんな形で見える。
手前の連絡橋からであったり、クエノン川越えであったり、海の上からであったり、空撮であったり・・。
モン・サン・ミシェル
もちろん、定番は、この構図。手前の橋土手の上からのモンサンミシェル。
この道がカーブしてくれているおかげで、道の入らない写真が撮りやすいのだ。
2013.04.05

Rue des Malmaisons マルメゾン通りの青壁のミスティック女性

中華街を横にスライドして行く通り。
この界隈は、イタリア広場を軸に放射状に延びる道がメインとなっているゾーンである。
その大通りを横につなぐ一本がこれ。
特に中華やベトナムのお店があるわけではない通りであるが、なかなか、色に溢れた通りなのだ。
その中のブルー。
パリの道
車の車体工場なのか、工場跡なのか?
青壁の向こうには、13区のランドマークの一つである、高層ビルが見える。単なるアパートではない。
単なるアパートではないのは、このビルがこのゾーンのランドマーク化しているからだ。
高層ビルとしては、大分前からあるのだが、あの赤屋根をみると、ああ、ここへ来たなと何気なく気づかせてくれる屋根だ。しかも、遠くから、ここの近くに中華街がありますよ!と教えてくれているのである。
パリの道
さて、赤屋根が主役じゃない。
青壁である。
この近所にも、あえて青く塗られた扉がいくつかある。
この壁には、ところどころで見かける、あの女性がここにも出現していた。
ミスティックのサインも横に見えます。
2013.04.04

エズのてっぺんにて

エズの一番上には、サボテン公園があるのだが、その公園をズルズル登ってゆくと、廃墟跡の頂上にでる。
中国人の若者のグループが皆で写真を撮っていた。
もちろん、背景は、あの、エズの屋根と海である。
写真を撮る男の子の脇で、廃墟と空を撮っていたら、そのカメラ担当の男の子も廃墟にレンズを向けていた。
エズ
日本国内であろうと、海外であろうと、ナンピトであろうとも、人がレンズを構えていたら、自分もレンズを覗いてみたくなるのが人情なのである。
それにしても、いいカメラと大きなレンズを持っていたなぁ。
2013.04.03

ペルピニャンの夜

10月のパリを離れて、南行する。
目指したのは、最南端方向。
スペインとの国境にほど近い、ペルピニャンである。
フランスとスペインの国境では、大西洋側のバスクと地中海側のカタルーニャがある。
バスクもカタルーニャも南北でそれぞれ、スペインとフランスに分かれているのだ。
ペルピニャンは北カタルーニャの中心都市。旗も、赤と黄色のカタルーニャ縞である。
ペルピニャン
その街へ男二人旅となったこの時は、ぶらりと街へお茶しに出かけた。
パリよりはよほどマシであろうが、この時も少々ひんやりした夜だった。
田舎の夜は早い。
もう、カフェは人まばらで、道行く人も多くない。
20時頃であったと思うのだが、記憶は定かではない。

お茶をしつつ、雰囲気の良さそうな通りを探しながら、ブラブラと散歩。
2013.04.02

Rue de la Croix Nivert クロワ・ニヴェール通りのパリの色

パリの15区界隈をぶらぶらしていると、緑とグレーの壁にぶち当たった。
このあたり、メトロ12号線とパリ環状廃線の引込み線がある、鉄道ガレージになっているゾーンである。
なにが当時作られていたのか分からぬが、ガレージの改修、新築などがなされていたのだろう。
パリの道
たとえば、東京の色といえば、都バスなどのグリーンであろうか?
この色を見ると、東京、日本と思えるカラーというのは、意外と想像しにくいのだが、パリ、フランスの工事現場のこの色は、一発でこれがどこか分かる色である。
2013.04.01

美しき海岸の散歩道 税関吏の小道

バラ色の花崗岩の海岸に散歩道が走っている。
これを税関吏の小道(le sentier des douaniers)というのだが、海行く船から、寄港する船から、税を徴収したのだろう。
現在は海岸線の格好のウォーキングコースなのだ。
プルマナック
タラソテラピーなどの施設などもあるこの海岸であるから、ウォーキングという健康のために、税関吏の道という名前のついた経済動物の景色のいい獣道が現在も生かされていることは、とてもすばらしい事かもしれない。