2013.03.31

Rue de l'Aqueduc アケデュック通りの鉄橋

パリの北駅から東へ向かう。
ラファイエット通りである。
しばらくすると、人の顔の壁画にである。
この付近が、RER-E線のマジャンタ駅になる。
この人の顔の壁画のところから左手に伸びるとおりがアケデュック通りなのである。
パリの道
壁画から右、すなわち、まっすぐラファイエット通りを進めば、先週載せた、頑丈な雰囲気の網目の壁に囲まれた橋に出るが、アケデュック通りは、パリの鉄橋通りの聖地とも言うべき存在感でわれわれを迎えてくれる。
パリの道
おそらくパリの中でも屈指の重厚間。
北駅の北側にもこうした橋があるが、こちらの方が圧倒的なのである。
パリの道
多くの移民が移り住み、乾いた感じのパリの街を象徴するような鉄のオブジェなのである。
パリにはエッフェル塔があるのだが、あちらは観光名所。
こちらは、今のパリの象徴的存在であると思われる。シャンゼリゼ通りより、はるかにパリの顔を感じられる通りなのだ。
まるで、パリの勝鬨橋なのである。
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2013.03.30

モン・サン・ミシェルの路地散策

モンサンミシェルの観光は、修道院内部とグランド・リューのお土産だけで終わるわけではない。
張り付くように出来た町には、ラビリンス的要素がいっぱいなのである。
モン・サン・ミシェル
城壁沿いの道もいいし、グランド・リューから内側に伸びる細い道々のなかなか情緒あっていいのである。
お土産屋の間など、閉所恐怖症の人には無理であろうと思われるような、細い路地もある。
登っていこうとする人は少ないが、路地を伝って行くうちに、そこを下る人はいる。
モン・サン・ミシェル
写真を撮った場所は、そんなに細い路地でではない。
これらの路地は、宿になっていることが多い。
モン・サン・ミシェル
登ってゆけば、いずれ、修道院下へ出る。
途中で下り始めれば、グランドリューへ向かって降りてゆく。
所詮岩の上の路地であるから、そんなに広いゾーンではないが、ところどころから、南側の海と対岸を見つつ、散歩するには、大変楽しい。
全景も圧巻だが、路地も楽しい世界遺産なのである。
2013.03.29

Rue Falguiere ファルギエール通りの猫

メトロ12号線の駅でFalguiere(ファルギエール)という駅名があるのだが、そこから、うなぎの寝床のように、ウネウネと延びる通りである。
どうも、この駅、名前を忘れがちなのだが、アルファベットに慣れていない純日本人である私は、こうした覚えにくい駅名というのが、ところどころにある。
何かに紐付けて覚えられぬのだ。
パリの道
さて、そのファルギエール通りにある、壁画。
いかにも窓があるかのように書かれた壁画は結構多い。
別段パリに限らず世界中に用いられている題材であろう。

しかしながら、窓といえば、オルセーのマネの絵を思い出すが、左側に書かれた猫と、マネの絵の女性の心境が一緒ではないかと思えるたたずまいなのである。
周りで起きている出来事には全く無関心な、思いにふける猫なのである。
2013.03.28

エズの教会の前で

エズの村の教会の前の広場だ。
ちょうど、旅行へ来ていた、お孫さんとお母さんとおばあちゃんがベンチに座って写真を撮影してた。
その、撮影が終わった後に、まるで人気の無い広場を撮影。
とにかく、日本人であろうとも、その他の国の人であろうとも、観光客の多い村。
写真撮影はあちらこちらで行われている。
実は、ちょうど、この瞬間、人がいなくなっただけのことである。
エズ
この広場の先は崖になっていて、下から上がってくる人たちを見下ろすことも出来る。
教会の北側、街の裏側にあるから、日陰になりやすい場所だ。
冬なら、結構早い午後に日が当たらなくなる。
エズの村の入り口にあるスーパーで、ニーチェの道を登って消費したカロリー以上のの食料と水分を購入し、ここで頂くことに。
2013.03.27

プロヴァン セザールの塔全景

教会前に立って、プロヴァンの花、セザールの塔を眺める。
蔵王堂の前に立って、吉野の桜を眺めるようなアングルではあるが、桜より、もっと近くに、こちらを圧するがごとく塔が立っている。
プロヴァン
教会よりも高い位置にあるのだから、この街にとって防衛というのはさぞかし重要だったのであろうと察しがつくわけだ。
2013.03.26

Rue Regnault ルニョー通りの建物

パリ13区の中華街のハズレともいうべき場所。
そんなに目立たない場所に、とても目立つ建物が立っている。
パリの道
そのゆがんだフォルムは、その他の建物を圧倒する存在感でルニョー通りとアルベールとおりのコーナーに建っている。
この界隈は、コルビジェの建築を含め、意外と、斬新な建物が多いゾーンなのである。この建物から、パリ環状廃線を挟んだ反対側、目と鼻の先、ブールヴァール・マセナにも、コルビジェ建築がある。

窓の開き方が、フランスっぽいです。
障子文化の日本は引き戸が基本ですものね。

そういえば、日本人は後ろの人のために扉を抑えておく習慣化が無いけれど、そこは、引き戸文化故なのでしょう。
開けた扉は閉めておく。そうやって躾けるのが日本の習慣。
2013.03.25

プルマナック コスタエレ城

バラ色の海岸の沖に島が浮かんでいる。
その島にお城が建っている。
コスタエレ島のコスタエレ城だ。
プルマナック
19世紀に建てられたようであるから、そんなに昔の事ではない。
岩が海面からいくつも見えるから、それこそ徒歩と水泳で渡れない事も無いのかもしれない。
小さな船で無ければ、座礁してしまいそうなほどの水深にちがいない。
プルマナック
三角屋根に丸い円柱の塔。石造りの城であるから、いわゆる日本人が描く欧州の城のイメージそのままのものだ。
プルマナック
同じ沖でも、マルセイユのイフ城は白いイメージで廃墟であるが、こちらは、バラ色の石と完成美に包まれた建物である。

2013.03.24

Rue la Fayette ラ・ファイエット通りの橋

鉄道の上に橋がかかる場所というのは、パリにたくさんあるけれど、最も印象的なゾーンは、北駅、東駅の北側ゾーンである。特に東駅の上を通る橋は印象的だ。
その一つ、オペラ座の背後から北東に伸びてゆく大通りがラ・ファイエット通りである。
パリの道
パリ10区。鉄道の上を通る道は、ここではお城の壁のような造形の橋が架かっている。
通る度に、見たことのある橋だなぁと思いながら、どこだったか忘れてしまうものだが、この橋のイメージだけは強烈に頭に焼き付くのだ。

この道、まっすぐゆくと、モーの町。さらに、シャンパーニュを通ってロレーヌのメスの方向へ伸びている。
要するに、下をくぐる鉄道とずっと先まで並行して走る道なのだ。

そんなことを考えて、ふと思ったのだが、日光が東京の真北にあるように、サンドニ大聖堂もパリの北にある。
そして、奈良の鬼門の方角に善光寺、そのさらに先には中尊寺があるように、パリの鬼門方向に線を引いてみた。
ぴったり鬼門方向であるかどうかはチェックしていないが、パリからアーヘンに真っ直ぐ線を引くと、途中ソワソンを通る線が引かれるのである。
パリは、そうした、鬼門方向のフランクの壁によって、今日まで守られてきたのかもしれぬ。
2013.03.23

モンサンミシェルの宿から

モンサンミシェルといえば、オムレツが有名である。
そのオムレツ屋さんプーラールは、色々手広くやっているようだ。
その一つがホテル。
グランリューから脇を上がった階段に、ホテルのレセプションがある。
モン・サン・ミシェル
石造りの階段と鉄の看板がなんともいえない雰囲気である。
さらに、レセプションを出て、さらに階段を昇ってゆくと、ホテルがあった。
モンサンミシェルの岩岩に張り付く建物の一軒なのだ。
モン・サン・ミシェル
そのホテルに入れば、中はまた螺旋階段。
これを登って最上階へ。
部屋の鍵を開けると、いきなり階段だ。
これを登ると、屋根裏部屋に出る。
モン・サン・ミシェル
海側に面したバスルーム。小部屋を挟んで山側に寝室。
小部屋からも、バスルームからもモンサンミシェルの屋根たちと海が見渡せる。
荷物を置いたら、早速、路地を散策しに出かけよう。
2013.03.22

Passage Com B14 パリのパサージュの石畳

パリにある屋根つきのパサージュは有名であるが、パリ市内には、こうした私道のパサージュがチラホラ見かける。
この通りの名前が何であるのか?ここを目的地として行ったわけではないのだが、たまたま、停まっていた車たちが、レトロで可愛らしくて写真を撮ったのだ。
石畳であるから、古い車も絵になりやすい。
パリの道
ここはPassage Com B14という名前らしいが、この界隈にパサージュ・コムという通りはいくつもあるようだ。
16区のお屋敷街も、通り抜け不可の私道の通りがたくさんあるが、14区のモンパルナス界隈も敷地を抜けてゆく私道がパラパラあるらしい。
もっとも、パリといえば、シャンゼリーゼ通り、オペラ大通り、サントノレ通り、リヴォリ通りなど有名なショップ街を思い浮かべやすいが、300万人分の住宅ゾーンの方が圧倒的に広い面積なのであろう。森には獣道があるように、生き物は必要で便利な場所に道を創ってゆくのである。
2013.03.21

エズの路地から

エズの村に着いた。ニーチェの道は日本人に出会うことは少ないが、村内は多くの日本人観光客がいる。
そんななか、とある家族が写真を撮っていた。
カメラを構える父、水色のコートを着て、帽子をかぶった娘。
娘さんは、おそらく20を過ぎたかどうかの年頃。
エズ
撮影している家族の頭の上から、人のいなくなった路地を。
ちょうど、この下で、撮影されている娘さんも、撮影しているお父さんも、見守っているお母さんも幸せに違いない。
門を入ってすぐの、メインストリートという名の、メイン路地でのことである。

2013.03.20

プロヴァンの街角

観光名所もいいのだが、観光名所と名所をつなぐのが道。
ぶらぶらと歩くのも、雰囲気を味わうためには必要なのだ。
プロヴァン
こちらは納屋なのかどうか、大きな倉庫のような建物の脇には、荷物置き台のようなものが置かれている。
トラックか、何かに物を積み込むためにあるかのような高さだが、一帯何なのだろう。
プロヴァン
木組みの家、そしてバル。これらが色とりどりなのがこちらの建物であるのだが、それに花も彩を添える。
プロヴァン
精緻さはないが、整然としているのが欧州。
プロヴァン
完璧ではないが、一定のルールからはみ出さないというのが、こちらの真骨頂なのかもしれぬ。
街も人もそんな感じなのだ。
プロヴァン
流れている時間が分秒刻みではない。
分秒刻みの日本の都会から、ちょっとスイッチを変えて訪れたいですね。
含無駄という合理、要無駄という妙味。車のハンドルを思い出します。
2013.03.19

Place Sainte-Genevieve パリのパワースポットの聖ジュヌヴィエーヴ広場

パンテオンの裏側、サンテティエンヌ・デュ・モン教会まえの広場が、聖ジュヌヴィエーヴ広場になっている。
聖ジュヌヴィエーヴはパリの守護聖人なのである。
その目の前、この広場の一部ともいえる、交差点で出会う通り名がまた面白い。
一本はクロヴィス通り。もう一本はクロティルド通りなのだ。
クロヴィスは王。クロティルドは王妃。
この王妃の一言で、クロヴィスはキリスト教に改宗することになるのである。
パリのパワースポット
その二本が交差する交差点が、パリ守護聖人の名を冠する聖ジュヌヴィエーヴ広場であり、この写真の壁の向こう側が、現アンリ4世高校、クロヴィスが建てた聖ジュヌヴィエーヴ修道院であったのだ。
聖なる丘のこの界隈がパンテオンも建つ頂点。
この辺りにフランク王のクロヴィスは葬られたのかもしれない。
キリスト教国フランスと主とパリの期限とも言うべき場所なのかも知れぬとおもえば、この名前に集まるパワーは尋常ではあるまい。
2013.03.18

フランスで最も美しい海岸 ばら色の海岸線 プルマナック

フランスで最も美しい海岸と異名を取るブルターニュの北海岸。
このあたりはタラソテラピーの施設など多いようだ。
訪れてみれば、お年寄りの姿も多いと思われるのである。
プルマナック
ばら色といわれるだけあって、ここの海岸の石、岩は、ばら色の花崗岩なのだ。
空の青と雲の白と岩のばら色でトリコロールカラーに染まる海岸なのである。
2013.03.17

Quai de l'Oise オワーズ河岸通りの運河を渡るパリ環状廃線 

サンマルタン運河から伸びる運河はラ・ヴィレット地区まで伸びている。
その運河の上にかかる一筋の鉄橋がある。
パリの環状廃線のプティット・サンチュールが走っていた橋だ。
パリの道
この橋、今でも現役として役立っている。
ただし、鉄道橋としてではなく、歩道橋としてだ。
橋の端が歩道になっているのである。
この橋がないと、向こう岸へわたるには、ウルク通りまで行かねばならない。
パリの道
階段を登れば渡れる、まさに歩道橋。
渡って金網の中を覗けば、落書きの書かれた線路をのぞくことができる。
どうやってこの中に入ったのか?
そんなことは、子供が見つけてくる。子供に見つからぬ秘密道はない。
パリの道
まるで秘密の通路を見つけたかの喜びがここに転がっている。
毎日見ている人には、ただの橋なのであろうが・・・。
2013.03.16

モンサンミシェル夜景を撮りに2

再び、モンサンミシェルの夜景にチャレンジしたのは、前回3月と違って、6月。
大きな相違点は、時間が一緒でも、太陽の位置が全く違うため、空の色が違うことだ。
もう一つは、ライトアップされているモンサンミシェルを、なるべく近くから撮影したいため、島内に宿を取ったこと。近ければ、その分、明るい光を取り込め、シャッタースピードが上がるに違いないと踏んだためだ。
モンサンミッシェル
二つの理由で、シャッタースピードは上がったうえ、風もなかったので、撮影は順調に。
ところが、気の緩みかどうか?ブレブレ写真は三脚をたてても続く。
モンサンミッシェル
同じような場所を見てみると、3月と比べれば、微妙にきれいに撮れたような気もするが、明りというより、風がなかったためと思われる。
時期もあろうが、島内にも多くの日本人の方が泊まっておられる。
さすがに、昼間は日本人だらけではなかったが、日本人占有率は高い観光地だ。
2013.03.15

Place de l'Abbe Georges Henocque アベ・ジョルジュ・エノック広場

13区のメゾン・ブランシュ界隈、ビュット・オ・カイユ地区の南側に広がるパリの川、ビエーヴル川暗渠界隈。
このあたりを、ププリエ地区という。
その、真ん中にまん丸に存在する公園広場。
丸く走る通りと中央の公園。
中央の公園もアベ・ジョルジュ・エノック公園。この下を暗渠が流れているようだ。
パリの道
木々に囲まれた広場であるから、ここへ来ると気になるのが、葉の色と空の色。
紅葉は黄色に、新緑は緑に染まる。
高い建物があるのは、ここより、少し東側の中華街エリア。
ここでは、心地よい青空が広がる。パリの息抜きのできる散歩エリアなのだ。
2013.03.14

ニーチェの道 エズの村到着

もう一息だ。
ここまで来ると、見える村の写真を撮ろうという意気込みが復活してくる。
疲労より、感動が優るのだ。
エズ

一般道へ出る。
村の入り口へはもう少し登らねばならぬが、ここまできたら、ニーチェの道は終了だ。
エズ

ーチェの道の出口は入り口でもある。
下りは45分で行くよ!と記されている。
ニーチェの道
エズ・シュル・メール 0時間45分
エズの駅と海岸
エズ
哲学的物事を考えながら、この道を行き来するなど、ふふふ、超人技に違いない。
こちらは、足をくじかぬよう、下を見つつ、終点はまだかまだかとだけ考えつつ、登ってくるのである。
風景は、餌である。
2013.03.13

プロヴァン セザールの塔

塔であるから、基本見張り小屋である。
プロヴァンの観光名所の最大級の一つである。
いろんな塔同様、ここも牢屋であったりしたのだろう。実際ここで、こんな感じであったのだよ!と壁に映し出される映像。臨場感が溢れる演出である。
こうした壁に光を当てるのは、大聖堂に光を当てるライトアップショーを行う国であるから、得意かつ定番なのだ。
なんの説明をしているかなど分からなくても、絵を見ていれば、なんとなくイメージできる。
プロヴァン
塔の中腹は、屋根つきの見張り回廊?がある。
サン・キリアス教会側の景色。
プロヴァン
最上階に上れば、ここに見張りが居たと確信できる風景が広がる。
町の向こうから砂塵を上げてやってくる軍隊も、一目瞭然であったろう。
こちらはパリ側である。
プロヴァン
それにしても、フランスという国は、畑と谷と丘の国である。
川と道がそれをつないでいる。
街道の交差点、交通の要衝に街ができて行くのである。
2013.03.12

Rue Saint Victor カラフルなサンヴィクトール通り

パリの5区。モンジュ通りに巨体で鎮座するサン・ニコラデュ・シャルドネ教会の脇を延びる通りがある。
通りの両側には、カラフルなお店が軒を連ねるのだが、全て旅行会社のようだ。
JAPONの文字も見える。
どうも、世界の旅行方面別に店舗が違うようだが、こうした区分け方も区分け区分分類大好きのフランスらしい。
パリの道
モンジュの丘を登り始める付近にあるから、道は付近と段差になってしまう。
その点を、ドンつきの階段がつなげてくれる。ジュシュー方向への近道になっているのだ。
パリの道
道標は黄金色に輝く。パリの中でも最もゴージャス感漂う通り名表示の一つに違いない。
2013.03.11

ブレレヴネ教会を下る

下から見たら、上に教会がある風景となる。
ブルターニュ名物のお菓子、ビスケットのラニオン缶も、ここの下からの風景が描かれている。
が、上から見ても、なかなか美しい坂路だ。
ラニオン
美しい道には、美しい背景が構成要素だが、ここでは、脇の石造りの建物がその役目を果たす。
宝石が埋め込まれたかのような壁が続く。
お墓も確かにきれいであったが、道好きとしては、この壁面前の階段が最も印象的だ。
ラニオン
ラニオンの市外へ戻りつつ、遠景をみてみたら、階段の脇の家々の並びがはっきりと分かるのだ。
2013.03.10

Quai de la Gironde ラ・ヴィレットの銭湯

ラヴィレットの未来都市とは運河をはさんだところ。
運河沿いの散歩道とも言うべき通りQuai de la Girondeジロンド河岸通りに銭湯があった。
先日載せた15区の銭湯の写真があったから、今度はこちらというわけだ。
パリの道
パリの街中と違って、少々ゆったりと時間がながれるこの界隈。
日本の都会ほどの時間の速さはなくとも、やっぱりパリの中心部の時の流れは早い。
夕刻、このあたりをぶらぶらしていると、夕日に染まるパリ19区ラヴィレット地区は、ゆったりと時が流れてゆく。

ご飯を食べにおうちへ帰ろう!
そんな気持ちに、
夕涼みに、少し犬を連れて散歩に出よう!
そんな気持ちに、
煮詰まったから、河岸でしゃがんで一服してこよう!
そんなん気持ちにさせるパリの日常を感じられるゾーンなのだ。
2013.03.09

モンサンミシェル夜景を撮りに1

3月初頭、モンサンミシェルの夜景を撮るために、対岸の宿を予約。
対岸のホテルは、ほとんど満室であったようであるが、日本の山の村にでも来たか?と思うほど、廊下から聞こえてくるのは、ドアノックの音と日本語であった。
欧州は観光シーズンではないが、この時期、日本は卒業旅行シーズンなので、必然的に日本人客のパーセンテージが高くなるのだろう。
モンサンミシェル夜景
ツアーのみなさんは、車に轢かれぬよう、反射するような蛍光色の上着を羽織ってでかける団体さんが多かった。
安全のためには、それは重要だ。
橋の車通行が出来なくなった今もそうであるのかはわからない。
対岸から歩いて出かけたのだが、真っ暗な上、風が強い。
モンサンミシェル夜景
多くの人が引き上げてゆく中、ズンズン進んで途中で三脚を立てて撮影してみたものの、横殴りの強風。
古いデジカメだから、カメラ背面のモニターが小さく、撮れているのか確認しにくいのだが、その小さな画面でもわかるほど、ブレる。
モンサンミシェル夜景
この時はここへ一泊、モン・ドルへ一泊であったから、チャンスはこの夜のみ。
何枚も何枚も撮って、一番きれいに撮れたのがこれ。
最後の拡大写真のようにみえるのは、拡大ではなく、100パーセントの写真を切り抜いたもの。
良く見ればぶれているけれど、まあ、いいでしょう。いずれの再チャレンジを心に・・・。
翌々日の昼間にドルから帰ったのであるが、その日は暴風雨で寒い。この時期は風が強いのかも知れぬし、またそれも旅の運なのだ。
2013.03.08

Boulevard Poniatowski ポニャトフスキ大通りの親父

フランス新幹線の寝床付近であるこの辺りはパリの中でも有数の場末。
その辺りを通過する環状通りがポニャトフスキ大通りである。
もっとも、現在は、トラムなんぞが走るグリーンベルトで、雰囲気も変わりつつあろう。
パリの道
その脇のタンクの親父の壁画。
新しいとラムからも、まだ、眺められるのであろうか?
背後には新しいビルも見えるが、この辺りも再開発が進んでいる地域なのだ。
いつまであるか?は時間の問題なのであろう。
2013.03.07

エズへの道、ニーチェの道終盤

ニーチェの道続編だ。
海沿いから分かれて、村へ向けて奥地へと分け入ってゆく感じとなる。
ニーチェの道

暫くすると、隠れていた村々が見えてくる。
ホッとするひと時であるが、あの高さまで登るとなると相当だ。
そうは言っても、登ってきた高さを考えると、もうすぐであることに違いない。
ニーチェの道

分け入ったとはいっても所詮徒歩。
エズそのものが海沿いの町であるのだから、こうして向こうに海が見える雰囲気は変わらない。
ニーチェの道

村が目の前に見えてきたらラストスパート。
村の入り口まで来ても、まだまだ坂路は続くのであるが・・。
ニーチェの道
登り始めて1時間40分ほど。
若かりし頃に登ったときより、はるかに楽に登頂成功。
ゼーゼー言っていたあの頃と比べ、今回はため息一つ二つ程度。
痩せたことと、ウォーキングの効果に違いない。
ひとまわり年を重ねても楽になるわけだから、年齢はそんなに関係あるまい。
2013.03.06

プロヴァン城壁からの眺め

プロヴァン旧市街の城壁の外は、ひたすら畑の丘が広がっている。
プロヴァンの駅、現在の街側は谷底になっているが、反対側は、延々と丘が続くのだ。
腹背に敵を受けぬような要害に街があるともいえる。
プロヴァン
いつ何時、馬蹄が響いてこないとも限らぬ。城壁でもなければ、安心して取引できまい。
畑のずっと向こうには、パリがある。
プロヴァン
パリの西、ブリー地方の西のはずれ、シャンパーニュ地方の東のはずれ、ブルゴーニュ地方の西北のはずれ。
そういった要衝にプロヴァンは位置しているのだ。
2013.03.05

Avenue de Flandre フランドル大通りの顔

フランドル通りの中ほど。この界隈は新しい建物、奇抜な建物の多い界隈なのである。
Orgues de flandreオルグ・デ・フランドルというアパート群である。
もはや、古い建物になりつつある、メトロ7号線Riquetリケ駅付近の建物だ。
パリの道
上に行くに従って建物が大きくなるという逆構造が目を引く。
圧迫感がなんとも言えぬ。
もはやパリ19区のランドマークの一つとなっている。
2013.03.04

ブレレヴネ教会からの眺め

ブレレヴネ教会のお墓を見終わって戻ろうとすると、谷になっている町が見える。
左手前に6階建てぐらいの大きな建物が見えるが、これが大きく見えるぐらいのかわいらし町なのだ。
その大きなアパルトマンが町の防火壁のようにすら見える。
ラニオン
教会の塔が低く見えるが、さらに低い位置にあるのだろう。
さて、また、階段を下って、町を散策しよう。
2013.03.03

Rue Vitruve ヴィトリューヴ通りの廃線橋

20区中ほどの丘、シャロンヌ地区である。
先日お伝えした、パリの有名ナイトスポット、黄金の矢ことフレッシュドールは、以前は駅舎であったと言う話。
この駅、高架駅である。
列車は谷底のトンネルをくぐり、駅へ入ってゆく。
そこから、一本南の通りへ来ると、もう、高架橋になっている。
一本下ったとおりが、写真のヴィトリューヴ通りだ。
線路脇のフローリアン通りは下っているのだから当たり前なのだが、パリという町は本当に坂の多い町なのだ。
パリの道
たしかにコンコルド広場から凱旋門まで緩やかな坂路であるし、サクレクールのモンマルトルやパンテオンのサントジュヌヴィエーヴは坂坂階段の丘である。
それ以外の多くの観光ゾーンは平な部分にあるのだが、セーヌは丘を巡って流れており、とにかく流域は丘だらけなのだ。
丘は山ではない。
山がちな日本と比べると、丘がちなフランスと言えば、日仏の風景の相違点が見えてくるかもしれない。

さて、古い廃線の向こう側に、パリでは新しいと思われる建築物。
島津十文字のような、お洒落な窓を持つコンクリート建築物が向こうに見えていた。
レンガから鉄、そしてコンクリートへ時代は変遷しているのである。
いまだに子供心しかない私は、あの部屋へ入って見たい。
2013.03.02

モン・サン・ミシェルのラ・メルヴェイユを下から望む

いわゆる巡回路をめぐってゆけば、裏手にでる。
この裏手が、ラ・メルヴェイユのの壁面を一気に望めるところだ。
どうみても、ジメジメした北面であるから、名前に聞くほどの関心を持つことは出来ない。
まるで、ダムのようなのだ。
多くの人の関心事は、海側へ向かう。
モンサンミシェル
トンブレーヌの島、ジュネの町などが遠くに見えるし、そちらを背景にした方が写真としてはイメージしやすい。
建物側だとただの壁面にしかならぬ。
上のほうを見ると、それでも、階層が分かれていることが分かる。
しかも、縦長の窓がきれいに並ぶ。
個人的には、海側を向かって、入って見れるものなら入ってみろと威容を誇っているように見える。