2013.02.28
ニーチェの道からエズの駅
エズの駅からエズの村へ登ってゆく。
この道は大きく2つに分かれる。分かれるというのは、分岐ではなく、風景がだ。
一つは駅から海沿いを行くもの。
もう一つは村から海沿いへ出る道だ。

海沿いの道のハイライトは当然、海ということになる。
海と同時に、まるで静岡県の由比のように、波打ち際を走る線路や道路を見ることも出来る。

さらに登ってゆくと、遠くの岬も見える。
あの岬の向こうには、ヴィルフランシュ・シュル・メール、さらにもう一つ岬を越えれば、ニースがある。

だいぶ登ったこのあたりまではつづら折。
このあたりから、道は、海沿いにすすんで、途中で村方向へ折れてゆく事になる。

下ってくるお年寄りを含む団体に出会った。
確かにくだりの方が楽なのだろう。
ただ、ゆっくりゆっくり行かねば、ひざへの負担はくだりの方が大きいと思われる。
上りは大変だが、休憩と栄養で回復できるのだ。
この道は大きく2つに分かれる。分かれるというのは、分岐ではなく、風景がだ。
一つは駅から海沿いを行くもの。
もう一つは村から海沿いへ出る道だ。

海沿いの道のハイライトは当然、海ということになる。
海と同時に、まるで静岡県の由比のように、波打ち際を走る線路や道路を見ることも出来る。

さらに登ってゆくと、遠くの岬も見える。
あの岬の向こうには、ヴィルフランシュ・シュル・メール、さらにもう一つ岬を越えれば、ニースがある。

だいぶ登ったこのあたりまではつづら折。
このあたりから、道は、海沿いにすすんで、途中で村方向へ折れてゆく事になる。

下ってくるお年寄りを含む団体に出会った。
確かにくだりの方が楽なのだろう。
ただ、ゆっくりゆっくり行かねば、ひざへの負担はくだりの方が大きいと思われる。
上りは大変だが、休憩と栄養で回復できるのだ。
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2013.02.27
プロヴァンの城壁
商業都市というにはあまりに強烈な城壁に囲まれた都市だ。
おそらく、この地方が、さまざまな勢力の影響下に近いという、商売にとって好立地条件、略奪されやすいという危険な立地条件を備えていたからなのだろう。
シャンパーニュ伯領の一都市でありながら、現在はイルドフランス地方に含まれることも、なるほどと思わせる。

それと同時に、まるでアンジェのお城のごとき、場合よっては、その規模を超えるような城壁は、この町の富の象徴なのかもしれない。高さはともかく、延々と町の周りに続く。結構な範囲になる。

城壁の上には登る事も出来る。
登ったからといって、とんでもない絶景に会えるわけではなくとも、登ってみたくなるのが人情だ。
城壁の形を見ると、矢を射るというより、大砲が並んでいそうなデコボコが続く。
これだけの城壁が作れるのなら、大砲をそろえることも簡単であったろう。

そういえば、城壁の脇は深く掘られているのだが、お濠ってあまりフランスじゃ記憶ない。
城、水、といえば、庭園のイメージの方が強い。
おそらく、この地方が、さまざまな勢力の影響下に近いという、商売にとって好立地条件、略奪されやすいという危険な立地条件を備えていたからなのだろう。
シャンパーニュ伯領の一都市でありながら、現在はイルドフランス地方に含まれることも、なるほどと思わせる。

それと同時に、まるでアンジェのお城のごとき、場合よっては、その規模を超えるような城壁は、この町の富の象徴なのかもしれない。高さはともかく、延々と町の周りに続く。結構な範囲になる。

城壁の上には登る事も出来る。
登ったからといって、とんでもない絶景に会えるわけではなくとも、登ってみたくなるのが人情だ。
城壁の形を見ると、矢を射るというより、大砲が並んでいそうなデコボコが続く。
これだけの城壁が作れるのなら、大砲をそろえることも簡単であったろう。

そういえば、城壁の脇は深く掘られているのだが、お濠ってあまりフランスじゃ記憶ない。
城、水、といえば、庭園のイメージの方が強い。
2013.02.26
トラム3号線の上を行くTGV
2013.02.25
ブレレヴネ教会教会の墓地
日本で墓地といえば、たとえば幽霊であったり火の玉であったり、明るいイメージはない。
その点フランスの墓地は、幽霊話から程遠い。
もっとも、フランスと言う国事態に幽霊が居ない。そう、フランス人は言う。
誰も見た事がないと。
そういえば、ペールラシェーズ墓地?には、たしか一つだけ幽霊の置物がありますが。

ラニオンのブレレヴネ教会への階段を何とか昇りきると、早速教会裏へ。花に溢れたお墓が多い。多いのだが、広い範囲を撮ろうとすると、どうも写真のインパクトに欠ける。
どう撮ろう?と、うろうろしたものの、いい案はない。
ということで、教会を全部入れて写真を撮ってしまう事に。
手前のお墓も花が溢れんばかりにあるが、全てではないものの、こうしたお墓が多いのだ。
パリの墓地でも、これほど花の溢れたお墓をこれほどの頻度で見ることはあるまい。
階段途中で聞いた、フランス人のおっちゃんの話からは、花の楽園と言うほどのイメージを抱いたが、さすがにそうではなかった。でも、みた事がないよ!というのはあながち外れてはいないだろう。
ブルターニュの人がなのか?ラニオンの人がなのか?先祖を思う気持ちが強いのだろう。
ここの近くの海を、もしかしたらご先祖が英国のコンウォールから渡ってきたのかも知れない人達の御子孫が、こうして花で明るく飾っているのかも知れぬなどと思うのである。
その点フランスの墓地は、幽霊話から程遠い。
もっとも、フランスと言う国事態に幽霊が居ない。そう、フランス人は言う。
誰も見た事がないと。
そういえば、ペールラシェーズ墓地?には、たしか一つだけ幽霊の置物がありますが。

ラニオンのブレレヴネ教会への階段を何とか昇りきると、早速教会裏へ。花に溢れたお墓が多い。多いのだが、広い範囲を撮ろうとすると、どうも写真のインパクトに欠ける。
どう撮ろう?と、うろうろしたものの、いい案はない。
ということで、教会を全部入れて写真を撮ってしまう事に。
手前のお墓も花が溢れんばかりにあるが、全てではないものの、こうしたお墓が多いのだ。
パリの墓地でも、これほど花の溢れたお墓をこれほどの頻度で見ることはあるまい。
階段途中で聞いた、フランス人のおっちゃんの話からは、花の楽園と言うほどのイメージを抱いたが、さすがにそうではなかった。でも、みた事がないよ!というのはあながち外れてはいないだろう。
ブルターニュの人がなのか?ラニオンの人がなのか?先祖を思う気持ちが強いのだろう。
ここの近くの海を、もしかしたらご先祖が英国のコンウォールから渡ってきたのかも知れない人達の御子孫が、こうして花で明るく飾っているのかも知れぬなどと思うのである。
2013.02.24
Rue Damesme ダメム通りから見るプティットサンテュール
パリ13区、東西の分岐点となるイタリー大通りの一本西側にある裏通り。
裏通りな雰囲気だが、東京都内の住宅地に見られるような、幅狭目のまっすぐ伸びる住宅街通りがダメム通りである。
その通りの行き着く先でカーブするのだが、この通り面白いことに、このカーブから呼び名が変わって、ケレールマン大通りとなってしまう。
大通りに完全に繋がるまでをダメム通りと言ってくれないと、何となく気持ち悪いのであるが、パリの場合、道名は道そのものを指すだけではなく、住所にもなるため、こうした仕儀になるのだろう。

カーブの話は、今回の写真と関係ない。
その終点カーブの手前、ケレールマン大通り沿いを走るプティットサンテュール、パリ環状廃線のカーブする線路が見える。もう一本右側に、線路が見えるはずだが、草に覆われて、この写真ではかすかに見えるだけだ。
なんとも、都市の端らしい風景である。
裏通りな雰囲気だが、東京都内の住宅地に見られるような、幅狭目のまっすぐ伸びる住宅街通りがダメム通りである。
その通りの行き着く先でカーブするのだが、この通り面白いことに、このカーブから呼び名が変わって、ケレールマン大通りとなってしまう。
大通りに完全に繋がるまでをダメム通りと言ってくれないと、何となく気持ち悪いのであるが、パリの場合、道名は道そのものを指すだけではなく、住所にもなるため、こうした仕儀になるのだろう。

カーブの話は、今回の写真と関係ない。
その終点カーブの手前、ケレールマン大通り沿いを走るプティットサンテュール、パリ環状廃線のカーブする線路が見える。もう一本右側に、線路が見えるはずだが、草に覆われて、この写真ではかすかに見えるだけだ。
なんとも、都市の端らしい風景である。
2013.02.23
モンサンミシェルの花
2013.02.22
Rue Lebouis ルブイ通りの建物
2013.02.21
エズ ニーチェの道とは
景色の写真もいいのだが、ニーチェの道とはいかなる道か?を写真でつづっておこう。

最初は急ながらも、舗装された道を行く。
舗装された道を歩いている時点で、早くも息が切れて来る。

徐々に、舗装はなくなり、階段となる。
遠くに先を歩く人が見えたりするのである。

冬であっても、崖の岩盤によってミストラルがさえぎられるからか?黄色の花々が咲く。
それにしても、この時期南仏はミモザカラーばかりである。

階段は無くなり、道はがたがた道へなってゆく。
この道を行き来しながら、ニーチェは構想を練ったのだそうだが、とすれば、奴はとんでもない健脚に違いない。
リヒャルト・シュトラウスのツァラトゥストラはかく語りきが似合う小路でもない。

下りの方が楽ではあろうが、膝の負担は下りの方が大きい。
ウォーキングのおかげか?一回り若かった時より、今回ののぼりの方が随分と楽に感じられた。
むろん、哲学的なことを考える余裕などないが・・・。

最初は急ながらも、舗装された道を行く。
舗装された道を歩いている時点で、早くも息が切れて来る。

徐々に、舗装はなくなり、階段となる。
遠くに先を歩く人が見えたりするのである。

冬であっても、崖の岩盤によってミストラルがさえぎられるからか?黄色の花々が咲く。
それにしても、この時期南仏はミモザカラーばかりである。

階段は無くなり、道はがたがた道へなってゆく。
この道を行き来しながら、ニーチェは構想を練ったのだそうだが、とすれば、奴はとんでもない健脚に違いない。
リヒャルト・シュトラウスのツァラトゥストラはかく語りきが似合う小路でもない。

下りの方が楽ではあろうが、膝の負担は下りの方が大きい。
ウォーキングのおかげか?一回り若かった時より、今回ののぼりの方が随分と楽に感じられた。
むろん、哲学的なことを考える余裕などないが・・・。
2013.02.20
プロヴァンへ行く
プロヴァンというのは、シャンパーニュ地方に所属するらしい。
なんでも、シャンパーニュ伯領の中世市場都市であったそうなのだ。
そういったこともあって、シャンパーニュ地方に区分されることも多い。
そんなプロヴァンであるが、現行政上区分では、イル・ド・フランス地方のセーヌ・エ・マルヌ県に所属する。

上はプロヴァン駅駅舎。
国鉄で向かうと、確か、途中のロングヴィルで列車が反対方向へ動く。
折り返すような形でプロヴァンへ向かうのだ。
プロヴァンへは、支線になっていると思えばいいだろう。
そのプロヴァンはゾーン6。そう聞けば、イル・ド・フランスらしく聞こえるだろう。

駅を降りてから、中世の町の丘までは、大分歩く。
マレ通りを進んでゆくと、正面に教会が丘の上にどっしりと構えている。
あれを目指して行けばいいのだ。
なんでも、シャンパーニュ伯領の中世市場都市であったそうなのだ。
そういったこともあって、シャンパーニュ地方に区分されることも多い。
そんなプロヴァンであるが、現行政上区分では、イル・ド・フランス地方のセーヌ・エ・マルヌ県に所属する。

上はプロヴァン駅駅舎。
国鉄で向かうと、確か、途中のロングヴィルで列車が反対方向へ動く。
折り返すような形でプロヴァンへ向かうのだ。
プロヴァンへは、支線になっていると思えばいいだろう。
そのプロヴァンはゾーン6。そう聞けば、イル・ド・フランスらしく聞こえるだろう。

駅を降りてから、中世の町の丘までは、大分歩く。
マレ通りを進んでゆくと、正面に教会が丘の上にどっしりと構えている。
あれを目指して行けばいいのだ。
2013.02.19
Rue du Puits de l'Ermite ピュイ・ド・レルミテ通りの先
2013.02.18
ブレレヴネ教会への階段にて
2013.02.17
モン・サン・ミシェルの中をうろつく
モン・サン・ミシェルは、教会、回廊と見学すると、中をグルグル回ることになる。
途中から、何の部屋だかわからなくなってゆくが、きっちりした方は、今いるところが何の部屋か調べていくであろうし、ガイドさんが説明してくれる場合もあるだろう。
私のような個人旅行者でいい加減な人間は、部屋のどこかに、何かしら書かれていることを期待しつつ、何気なく回ってしまう。

新しいか古いか?そんなことはともかく、少し厚手で、完全に透明なガラスより、ちょっと歪んで見える、粗いガラスは味がある。外が雨降っていたら情緒あふれるに違いない。

上部にある、丸窓のガラスは、モノクロームデザインのガラス。
カラーの派手なステンドグラスもきれいではあるが、オットーヴァーグナーのような渋いのも、ガウディーのようにシンプルデザインなものも、こうした、モノクロームもそれなりに味がある。

いろんな聖人の名のついた礼拝堂やらを通り抜けると、建物の間の回廊のようなところに出てくる。
道好きとしては、こうしたラビリンス的な部分に心躍るのである。

いくつかの部屋を抜け、いくつかのヤシの木の下をくぐり、階段を下りて、われわれ日本人の聖地お土産コーナーへ降りてゆくのである。そこが、私のもっとも長い滞在時間の部屋であったに違いない。
途中から、何の部屋だかわからなくなってゆくが、きっちりした方は、今いるところが何の部屋か調べていくであろうし、ガイドさんが説明してくれる場合もあるだろう。
私のような個人旅行者でいい加減な人間は、部屋のどこかに、何かしら書かれていることを期待しつつ、何気なく回ってしまう。

新しいか古いか?そんなことはともかく、少し厚手で、完全に透明なガラスより、ちょっと歪んで見える、粗いガラスは味がある。外が雨降っていたら情緒あふれるに違いない。

上部にある、丸窓のガラスは、モノクロームデザインのガラス。
カラーの派手なステンドグラスもきれいではあるが、オットーヴァーグナーのような渋いのも、ガウディーのようにシンプルデザインなものも、こうした、モノクロームもそれなりに味がある。

いろんな聖人の名のついた礼拝堂やらを通り抜けると、建物の間の回廊のようなところに出てくる。
道好きとしては、こうしたラビリンス的な部分に心躍るのである。

いくつかの部屋を抜け、いくつかのヤシの木の下をくぐり、階段を下りて、われわれ日本人の聖地お土産コーナーへ降りてゆくのである。そこが、私のもっとも長い滞在時間の部屋であったに違いない。
2013.02.16
Rue d'Aubervilliers オーベルヴィリエ通りの橋の上から
オーベルヴィリエ通りというのは、パリ18区と19区を分ける通りだ。
この通りをずっと歩いてパリの端へ向かってゆくと、いくつかの線路を越える。
トンネルであったり、橋であったり。
その橋の上から、19区側を眺めてみると、プテュット・サンチュールパリ環状線廃線跡と共に、新パリ環状線のトラム3号線線路が並行して走っているのが見える。

この写真を撮影した昨年時点では、まだ、トラムは走っていなかったが、もう、芝生部分が揃い、走るばかりになっている。
今はもう走っているのだろう。
右手には、19区らしい、デザインアパルトマン群が見え、左手は、マンションなのか?ショッピングセンターなのか?マクドナルド通り沿いの大型建築が進んでいる。
右手のアパルトマンと競うように、こちらにクレーンが並ぶが、これがまた、青赤白のトリコロールなのである。
旧環状と新環状の2つの線が重なり合うのは、ここから、クリニャンクール付近まで。現時点では、ポルト・ドゥ・ラ・シャペルまでしか新環状トラム3号線は延伸していないが・・。
この通りをずっと歩いてパリの端へ向かってゆくと、いくつかの線路を越える。
トンネルであったり、橋であったり。
その橋の上から、19区側を眺めてみると、プテュット・サンチュールパリ環状線廃線跡と共に、新パリ環状線のトラム3号線線路が並行して走っているのが見える。

この写真を撮影した昨年時点では、まだ、トラムは走っていなかったが、もう、芝生部分が揃い、走るばかりになっている。
今はもう走っているのだろう。
右手には、19区らしい、デザインアパルトマン群が見え、左手は、マンションなのか?ショッピングセンターなのか?マクドナルド通り沿いの大型建築が進んでいる。
右手のアパルトマンと競うように、こちらにクレーンが並ぶが、これがまた、青赤白のトリコロールなのである。
旧環状と新環状の2つの線が重なり合うのは、ここから、クリニャンクール付近まで。現時点では、ポルト・ドゥ・ラ・シャペルまでしか新環状トラム3号線は延伸していないが・・。
2013.02.15
Rue Watt ワット通りのトンネル
2013.02.14
エズ ニーチェの道再び
エズという村は、鷲ノ巣村の中の雄である。
まず、鷲ノ巣村を訪れると言えば、ここを訪れる。
ここ以外であれば、サンポールが次点候補であろうか?
そのエズ、駅がある。
エズ駅ではあるが、よーく見れば、EZE Sur MER(エズ・シュル・メール)となっている。
エズは海岸沿いの町であるが、海岸沿いにある駅からは果てしなく遠い。
EZE Sur MER駅はSur MER(海沿いの)駅なのである

では、エズ村はといえば、写真のあの岩場の上。
下からは見ても見えぬところにあるのだ。
ガイドブックに書いてあるように、攻撃されぬため、発見されぬため、下からはほんとに見えぬのだ。

エズ村、山道で1時間半。ニーチェの道。
そう看板に書かれている。
十数年前登ったのだが、何の酔狂か?再びこの山道を登ってゆくことになった。
登ってゆけば、撮る写真も同じようなものになろうが、それでも撮らずにはいられまい。
さて、登りますか!
まず、鷲ノ巣村を訪れると言えば、ここを訪れる。
ここ以外であれば、サンポールが次点候補であろうか?
そのエズ、駅がある。
エズ駅ではあるが、よーく見れば、EZE Sur MER(エズ・シュル・メール)となっている。
エズは海岸沿いの町であるが、海岸沿いにある駅からは果てしなく遠い。
EZE Sur MER駅はSur MER(海沿いの)駅なのである

では、エズ村はといえば、写真のあの岩場の上。
下からは見ても見えぬところにあるのだ。
ガイドブックに書いてあるように、攻撃されぬため、発見されぬため、下からはほんとに見えぬのだ。

エズ村、山道で1時間半。ニーチェの道。
そう看板に書かれている。
十数年前登ったのだが、何の酔狂か?再びこの山道を登ってゆくことになった。
登ってゆけば、撮る写真も同じようなものになろうが、それでも撮らずにはいられまい。
さて、登りますか!
2013.02.13
モレ・シュル・ロワン 町並
2013.02.12
Rue des Arenes アレーヌ通り
アレーヌ通りというのであるから、アレーヌ、すなわち、アリーナがあるはずである。
ようするに円形闘技場である。
ちょうど、その坂道の正面、緑の場所が、そのアリーナが存在する丘である。
この円形闘技場は、公園のところで既に紹介しているSquare des Arenes de Luteceリュテス闘技場公園だ。

その闘技場脇をS字に登ってゆくとおりがこのアレーヌ通りなのである。
白い花の見える辺りから、公園内に入ってゆくことも出来るし、もっと上まで上がって入れば、円形闘技場内にするっと入ってゆける入り口にも到達する。
ローマの遺構であるのなら、クロヴィスがパリにやって来たときにも既にここにあったのだろうか?
円形闘技場へのこの坂道を登っていたのは、フランク人ではなく、ケルト人やローマ人であったのかもしれない。
ここの円形闘技場がリュテスというからには、パリシイ族が住んでいたパリの古い地名、ルーテシアを想起させる。
リュテス闘技場というのは、今の言葉に置き換えれば、パリ闘技場ともいえるのだろう。
ようするに円形闘技場である。
ちょうど、その坂道の正面、緑の場所が、そのアリーナが存在する丘である。
この円形闘技場は、公園のところで既に紹介しているSquare des Arenes de Luteceリュテス闘技場公園だ。

その闘技場脇をS字に登ってゆくとおりがこのアレーヌ通りなのである。
白い花の見える辺りから、公園内に入ってゆくことも出来るし、もっと上まで上がって入れば、円形闘技場内にするっと入ってゆける入り口にも到達する。
ローマの遺構であるのなら、クロヴィスがパリにやって来たときにも既にここにあったのだろうか?
円形闘技場へのこの坂道を登っていたのは、フランク人ではなく、ケルト人やローマ人であったのかもしれない。
ここの円形闘技場がリュテスというからには、パリシイ族が住んでいたパリの古い地名、ルーテシアを想起させる。
リュテス闘技場というのは、今の言葉に置き換えれば、パリ闘技場ともいえるのだろう。
2013.02.11
ブレレヴネ教会への階段
2013.02.10
モン・サン・ミシェル ラ・メルヴェイユの回廊
2013.02.09
Rue Desnouettes デヌエット通りのパリ環状廃線
2013.02.08
Rue de Picpus ピクピュス通りの壁
2013.02.07
ヴィルフランシュ・シュル・メール 海そして駅
2013.02.06
モレ・シュル・ロワン
2013.02.05
Boulevard Saint-Marcel サンマルセル大通りのジャンヌ・ダルク
2013.02.04
ラニオンの道散策
2013.02.03
モン・サン・ミシェル 教会へ
2013.02.02
Rue Desnouettes デヌエット通りの廃線跡の跡
パリの15区に、プティット・サンチュールからの引込み線がある。
これが、道路をまたぐのであるが、それがデヌエット通りにある。
で、それを見に行ったのであるが、どこに行っても、線路が無い。
おそらく、ここだろうと言う場所には、なんとも奇妙な現代建築の事務所なのか、アパートが建っていた。

踏み切りでもあったのか?
国鉄線路が通る通りの撮影なんぞ、パリで見つけることは難しかろうとおもって探しても見つからない。
ところが、なんと、この緑君の左側に線路跡がきれいになって存在しているではないか!
線路の間だけ、色が違っていて、右にカーブしているのがわかる。
この線路の行き着く先は、工場跡地?なんであろうが、隣は、結構古い100年以上の歴史ある大きな病院がある。
デヌエット通りには、線路の痕跡がない。
この建物はまるで線路跡を残すように建っているのが、所有権の問題か?それとも、あえて、この道を残したのか?
建物も、線路も、なぞである。
この先、環状線付近まで、こうして、細長い土地が残されているのだろうか?
これが、道路をまたぐのであるが、それがデヌエット通りにある。
で、それを見に行ったのであるが、どこに行っても、線路が無い。
おそらく、ここだろうと言う場所には、なんとも奇妙な現代建築の事務所なのか、アパートが建っていた。

踏み切りでもあったのか?
国鉄線路が通る通りの撮影なんぞ、パリで見つけることは難しかろうとおもって探しても見つからない。
ところが、なんと、この緑君の左側に線路跡がきれいになって存在しているではないか!
線路の間だけ、色が違っていて、右にカーブしているのがわかる。
この線路の行き着く先は、工場跡地?なんであろうが、隣は、結構古い100年以上の歴史ある大きな病院がある。
デヌエット通りには、線路の痕跡がない。
この建物はまるで線路跡を残すように建っているのが、所有権の問題か?それとも、あえて、この道を残したのか?
建物も、線路も、なぞである。
この先、環状線付近まで、こうして、細長い土地が残されているのだろうか?
2013.02.01
Rue Etienne Marey エティエンヌ・マレ通りの壁画
メトロのガンベッタ駅の東側、ガンベッタの裏側とも言うべき場所。
メトロ駅でいえば、3BIS号線のペルポール駅か、3号線のポルト・ドゥ・バニョレ駅の近く。
以前紹介した、ポルト・ドゥ・バニョレ駅の丘の上にある一戸建て街から降ってくると、自然とつくような場所。
そこを通りがかると、壁一面に絵。

Le Carosseと書かれているが、どうやら、アートスペースらしい。
こちらは、建物の裏側で、rue du Capitaine Marchalキャピテーヌ・マルシャル通りが入口の模様。
こうした、得体の知れないというか、パリだけに、世界中のいろんな団体、組織の集会所がいたるところにあるのである。アートだけに限らず、皆が、シャンゼリーゼみたいなところに存在しているわけでもない。
メトロ駅でいえば、3BIS号線のペルポール駅か、3号線のポルト・ドゥ・バニョレ駅の近く。
以前紹介した、ポルト・ドゥ・バニョレ駅の丘の上にある一戸建て街から降ってくると、自然とつくような場所。
そこを通りがかると、壁一面に絵。

Le Carosseと書かれているが、どうやら、アートスペースらしい。
こちらは、建物の裏側で、rue du Capitaine Marchalキャピテーヌ・マルシャル通りが入口の模様。
こうした、得体の知れないというか、パリだけに、世界中のいろんな団体、組織の集会所がいたるところにあるのである。アートだけに限らず、皆が、シャンゼリーゼみたいなところに存在しているわけでもない。
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