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2013.02.28

ニーチェの道からエズの駅

エズの駅からエズの村へ登ってゆく。
この道は大きく2つに分かれる。分かれるというのは、分岐ではなく、風景がだ。
一つは駅から海沿いを行くもの。
もう一つは村から海沿いへ出る道だ。
エズ
海沿いの道のハイライトは当然、海ということになる。
海と同時に、まるで静岡県の由比のように、波打ち際を走る線路や道路を見ることも出来る。
エズ
さらに登ってゆくと、遠くの岬も見える。
あの岬の向こうには、ヴィルフランシュ・シュル・メール、さらにもう一つ岬を越えれば、ニースがある。
エズ
だいぶ登ったこのあたりまではつづら折。
このあたりから、道は、海沿いにすすんで、途中で村方向へ折れてゆく事になる。
エズ
下ってくるお年寄りを含む団体に出会った。
確かにくだりの方が楽なのだろう。
ただ、ゆっくりゆっくり行かねば、ひざへの負担はくだりの方が大きいと思われる。
上りは大変だが、休憩と栄養で回復できるのだ。
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2013.02.27

プロヴァンの城壁

商業都市というにはあまりに強烈な城壁に囲まれた都市だ。
おそらく、この地方が、さまざまな勢力の影響下に近いという、商売にとって好立地条件、略奪されやすいという危険な立地条件を備えていたからなのだろう。
シャンパーニュ伯領の一都市でありながら、現在はイルドフランス地方に含まれることも、なるほどと思わせる。
プロヴァン
それと同時に、まるでアンジェのお城のごとき、場合よっては、その規模を超えるような城壁は、この町の富の象徴なのかもしれない。高さはともかく、延々と町の周りに続く。結構な範囲になる。
プロヴァン
城壁の上には登る事も出来る。
登ったからといって、とんでもない絶景に会えるわけではなくとも、登ってみたくなるのが人情だ。
城壁の形を見ると、矢を射るというより、大砲が並んでいそうなデコボコが続く。
これだけの城壁が作れるのなら、大砲をそろえることも簡単であったろう。
プロヴァン
そういえば、城壁の脇は深く掘られているのだが、お濠ってあまりフランスじゃ記憶ない。
城、水、といえば、庭園のイメージの方が強い。
2013.02.26

トラム3号線の上を行くTGV

パリの19区のはずれ、地図の右上にトラム3号線と東駅を出た国鉄が交差するところがある。
下の緑はトラムの線路であるが、この時点ではまだトラムは開業していない。現在は走っていることだろう。
上は、運河の橋を渡る、東駅へ向かうTGV東線。
ドイツ、スイス、ストラスブール、ランスなどからやってきた新幹線TGVなのだろう。
フランスの鉄道
運河脇のジロンド河岸という通り沿いをトラムはぬけてゆく。
パリの外周を走るトラムが、ちょうどもっとも北東部分に差し掛かるカーブなのだ。
暑さ対策なのか芝生で緑化された線路が美しい。
2013.02.25

ブレレヴネ教会教会の墓地

日本で墓地といえば、たとえば幽霊であったり火の玉であったり、明るいイメージはない。
その点フランスの墓地は、幽霊話から程遠い。
もっとも、フランスと言う国事態に幽霊が居ない。そう、フランス人は言う。
誰も見た事がないと。
そういえば、ペールラシェーズ墓地?には、たしか一つだけ幽霊の置物がありますが。
ラニオン
ラニオンのブレレヴネ教会への階段を何とか昇りきると、早速教会裏へ。花に溢れたお墓が多い。多いのだが、広い範囲を撮ろうとすると、どうも写真のインパクトに欠ける。
どう撮ろう?と、うろうろしたものの、いい案はない。
ということで、教会を全部入れて写真を撮ってしまう事に。

手前のお墓も花が溢れんばかりにあるが、全てではないものの、こうしたお墓が多いのだ。
パリの墓地でも、これほど花の溢れたお墓をこれほどの頻度で見ることはあるまい。

階段途中で聞いた、フランス人のおっちゃんの話からは、花の楽園と言うほどのイメージを抱いたが、さすがにそうではなかった。でも、みた事がないよ!というのはあながち外れてはいないだろう。
ブルターニュの人がなのか?ラニオンの人がなのか?先祖を思う気持ちが強いのだろう。
ここの近くの海を、もしかしたらご先祖が英国のコンウォールから渡ってきたのかも知れない人達の御子孫が、こうして花で明るく飾っているのかも知れぬなどと思うのである。
2013.02.24

Rue Damesme ダメム通りから見るプティットサンテュール

パリ13区、東西の分岐点となるイタリー大通りの一本西側にある裏通り。
裏通りな雰囲気だが、東京都内の住宅地に見られるような、幅狭目のまっすぐ伸びる住宅街通りがダメム通りである。
その通りの行き着く先でカーブするのだが、この通り面白いことに、このカーブから呼び名が変わって、ケレールマン大通りとなってしまう。
大通りに完全に繋がるまでをダメム通りと言ってくれないと、何となく気持ち悪いのであるが、パリの場合、道名は道そのものを指すだけではなく、住所にもなるため、こうした仕儀になるのだろう。
パリの道
カーブの話は、今回の写真と関係ない。
その終点カーブの手前、ケレールマン大通り沿いを走るプティットサンテュール、パリ環状廃線のカーブする線路が見える。もう一本右側に、線路が見えるはずだが、草に覆われて、この写真ではかすかに見えるだけだ。
なんとも、都市の端らしい風景である。
2013.02.23

モンサンミシェルの花

ラ・メルヴェイユの裏、西のテラスの北側へ降りてゆく階段がある。
ちょうど、そこで花が咲いていた。
梅の花なのかどうか?
可憐なピンク色の花が砂州と青空を彩るように咲いていた。
モンサンミシェル
ちょうど一年前のこの時期。2月後半から3月はじめに出会ったフランスの春である。
ゼラニウムの赤色、ひなげしの赤色、ミモザの黄色、ラヴェンダーの藤色、すずらんの白、蓮のピンク、バラのピンク。
淡いピンク色の花にはそんなに出会わない気が・・・。
桜といい、梅といい、日本の春のイメージなのだ。
2013.02.22

Rue Lebouis ルブイ通りの建物

ホテル・プルマン・パリ・モンパルナスの高層がのぞく、モンパルナスのお膝元ともいえるこの地区。
ここに可愛らしいアトリエ建築が建つ通りがある。
パリの道
ルブイ通りに建つ、アンリ・カルティエ・ブレッソン財団の建物だ。
有名カメラマンの財団の建物の写真を撮って載せるなど偉そうであるが、建物が変っているから、そりゃ、カメラ向けたくなるというもの。
パリの道
建物にある通り名表示も、時折見かけるタイル仕立て。
パリの道
どこへも行かない建物を、おのぼりさんとして一枚。
パリの道
さらに一枚。
写真を撮るのも恥ずかしげに、去ってゆくのは自分であった。
パリの道
私もとにかく歩き回ろう!と通りすがりに決心するパリ14区の道である。
2013.02.21

エズ ニーチェの道とは

景色の写真もいいのだが、ニーチェの道とはいかなる道か?を写真でつづっておこう。
エズ
最初は急ながらも、舗装された道を行く。
舗装された道を歩いている時点で、早くも息が切れて来る。
エズ
徐々に、舗装はなくなり、階段となる。
遠くに先を歩く人が見えたりするのである。
エズ
冬であっても、崖の岩盤によってミストラルがさえぎられるからか?黄色の花々が咲く。
それにしても、この時期南仏はミモザカラーばかりである。
エズ
階段は無くなり、道はがたがた道へなってゆく。
この道を行き来しながら、ニーチェは構想を練ったのだそうだが、とすれば、奴はとんでもない健脚に違いない。
リヒャルト・シュトラウスのツァラトゥストラはかく語りきが似合う小路でもない。
エズ
下りの方が楽ではあろうが、膝の負担は下りの方が大きい。
ウォーキングのおかげか?一回り若かった時より、今回ののぼりの方が随分と楽に感じられた。
むろん、哲学的なことを考える余裕などないが・・・。
2013.02.20

プロヴァンへ行く

プロヴァンというのは、シャンパーニュ地方に所属するらしい。
なんでも、シャンパーニュ伯領の中世市場都市であったそうなのだ。
そういったこともあって、シャンパーニュ地方に区分されることも多い。
そんなプロヴァンであるが、現行政上区分では、イル・ド・フランス地方のセーヌ・エ・マルヌ県に所属する。
プロヴァン
上はプロヴァン駅駅舎。
国鉄で向かうと、確か、途中のロングヴィルで列車が反対方向へ動く。
折り返すような形でプロヴァンへ向かうのだ。
プロヴァンへは、支線になっていると思えばいいだろう。
そのプロヴァンはゾーン6。そう聞けば、イル・ド・フランスらしく聞こえるだろう。
プロヴァン
駅を降りてから、中世の町の丘までは、大分歩く。
マレ通りを進んでゆくと、正面に教会が丘の上にどっしりと構えている。
あれを目指して行けばいいのだ。

2013.02.19

Rue du Puits de l'Ermite ピュイ・ド・レルミテ通りの先

大通りのモンジュ通りを歩いていると、左手に塔の見える通りが見つかる。
ピュイ・ド・レルミテ通りの先にみえるモスクの塔だ。
パリの道
キリスト教とは違って、幾何学模様が目立つ美しい塔であるが、近づいてみると、手前が広場になっている。
広場が前にあるほどの大きなモスクなのだ。
パリの道
ピュイといえば井戸であるが、ピュイダムールというお菓子もそうであるし、地名にそういったものがつくと言うことは、水が大事だった証なのであろう。
パリの道
通りから広場への出口には、ラ・ヴィエイユ・グリルという小劇場があった。
パラパラとこうした劇場や映画館があるのがパリらしく、また、5区らしいかも知れぬ。
2013.02.18

ブレレヴネ教会への階段にて

ラニオン名物のブレレヴネ教会。

そのまた名物である階段を登り始めると、上から降りてきたおじさんに声をかけられた。
「上の教会へ行ったかい?」
「いや、まだです。」
「見たこと無いほどきれいな墓地だよ、あんなにきれいなのは見たこと無い。」
そう言って去っていった。
ラニオン
階段を登ってゆくと、右手は景色が開けるが、左手は住宅が並ぶ。
かわいらしい家が多く、花に飾られている。
そういうことが楽しみの一つであるから、こういうところに住んでいるのだろうと思われるのだ。

長々と続く階段のまだ中腹である。
2013.02.17

モン・サン・ミシェルの中をうろつく

モン・サン・ミシェルは、教会、回廊と見学すると、中をグルグル回ることになる。
途中から、何の部屋だかわからなくなってゆくが、きっちりした方は、今いるところが何の部屋か調べていくであろうし、ガイドさんが説明してくれる場合もあるだろう。
私のような個人旅行者でいい加減な人間は、部屋のどこかに、何かしら書かれていることを期待しつつ、何気なく回ってしまう。
モン・サン・ミシェル
新しいか古いか?そんなことはともかく、少し厚手で、完全に透明なガラスより、ちょっと歪んで見える、粗いガラスは味がある。外が雨降っていたら情緒あふれるに違いない。
モン・サン・ミシェル
上部にある、丸窓のガラスは、モノクロームデザインのガラス。
カラーの派手なステンドグラスもきれいではあるが、オットーヴァーグナーのような渋いのも、ガウディーのようにシンプルデザインなものも、こうした、モノクロームもそれなりに味がある。
モン・サン・ミシェル
いろんな聖人の名のついた礼拝堂やらを通り抜けると、建物の間の回廊のようなところに出てくる。
道好きとしては、こうしたラビリンス的な部分に心躍るのである。
モン・サン・ミシェル
いくつかの部屋を抜け、いくつかのヤシの木の下をくぐり、階段を下りて、われわれ日本人の聖地お土産コーナーへ降りてゆくのである。そこが、私のもっとも長い滞在時間の部屋であったに違いない。
2013.02.16

Rue d'Aubervilliers オーベルヴィリエ通りの橋の上から

オーベルヴィリエ通りというのは、パリ18区と19区を分ける通りだ。
この通りをずっと歩いてパリの端へ向かってゆくと、いくつかの線路を越える。
トンネルであったり、橋であったり。
その橋の上から、19区側を眺めてみると、プテュット・サンチュールパリ環状線廃線跡と共に、新パリ環状線のトラム3号線線路が並行して走っているのが見える。
パリの道
この写真を撮影した昨年時点では、まだ、トラムは走っていなかったが、もう、芝生部分が揃い、走るばかりになっている。
今はもう走っているのだろう。
右手には、19区らしい、デザインアパルトマン群が見え、左手は、マンションなのか?ショッピングセンターなのか?マクドナルド通り沿いの大型建築が進んでいる。
右手のアパルトマンと競うように、こちらにクレーンが並ぶが、これがまた、青赤白のトリコロールなのである。

旧環状と新環状の2つの線が重なり合うのは、ここから、クリニャンクール付近まで。現時点では、ポルト・ドゥ・ラ・シャペルまでしか新環状トラム3号線は延伸していないが・・。
2013.02.15

Rue Watt ワット通りのトンネル

先日紹介した、パリの救世軍本営のカラフルなコルビジェ建築が見える辺りから、再開発で新しいビルばかりとなったセーヌ河岸のガール地区へ抜けるのに、オーステルリッツから伸びる、フランス国鉄の線路をくぐる。
このトンネルにあるのが、この照明。
パリの道
地上がら、天井を支える柱のごとく立つ黒い網々のオブジェ。
光が上から当たると、その影が渦巻きのように幻想的に地面を照らす。

こんなパリの場末でオブジェに出会うと、この街は隅々まで気を使っていると思ってしまうのだ。
2013.02.14

エズ ニーチェの道再び

エズという村は、鷲ノ巣村の中の雄である。
まず、鷲ノ巣村を訪れると言えば、ここを訪れる。
ここ以外であれば、サンポールが次点候補であろうか?
そのエズ、駅がある。
エズ駅ではあるが、よーく見れば、EZE Sur MER(エズ・シュル・メール)となっている。
エズは海岸沿いの町であるが、海岸沿いにある駅からは果てしなく遠い。
EZE Sur MER駅はSur MER(海沿いの)駅なのである
エズ
では、エズ村はといえば、写真のあの岩場の上。
下からは見ても見えぬところにあるのだ。
ガイドブックに書いてあるように、攻撃されぬため、発見されぬため、下からはほんとに見えぬのだ。
エズ
エズ村、山道で1時間半。ニーチェの道。
そう看板に書かれている。
十数年前登ったのだが、何の酔狂か?再びこの山道を登ってゆくことになった。
登ってゆけば、撮る写真も同じようなものになろうが、それでも撮らずにはいられまい。
さて、登りますか!
2013.02.13

モレ・シュル・ロワン 町並

グランド通り。
ここに、生活に必要なお店類が揃っている。
銀行、薬局、カフェ、レストラン、タバコ屋、キオスク、不動産。
モレ・シュル・ロワン
門の外から、門の内側、グランド通りを撮る。
モレ・シュル・ロワン
こちらは教会脇の古い木組みの家。
Sucre d'orgeとなっているが、大麦糖の博物館らしい。
モレ・シュル・ロワン
この建物の上部の屋根裏部屋?の窓が、どうも鳥小屋に見えるのだ。
2013.02.12

Rue des Arenes アレーヌ通り

アレーヌ通りというのであるから、アレーヌ、すなわち、アリーナがあるはずである。
ようするに円形闘技場である。
ちょうど、その坂道の正面、緑の場所が、そのアリーナが存在する丘である。
この円形闘技場は、公園のところで既に紹介しているSquare des Arenes de Luteceリュテス闘技場公園だ。
パリの道
その闘技場脇をS字に登ってゆくとおりがこのアレーヌ通りなのである。
白い花の見える辺りから、公園内に入ってゆくことも出来るし、もっと上まで上がって入れば、円形闘技場内にするっと入ってゆける入り口にも到達する。
ローマの遺構であるのなら、クロヴィスがパリにやって来たときにも既にここにあったのだろうか?
円形闘技場へのこの坂道を登っていたのは、フランク人ではなく、ケルト人やローマ人であったのかもしれない。

ここの円形闘技場がリュテスというからには、パリシイ族が住んでいたパリの古い地名、ルーテシアを想起させる。
リュテス闘技場というのは、今の言葉に置き換えれば、パリ闘技場ともいえるのだろう。
2013.02.11

ブレレヴネ教会への階段

ブルターニュといえば、ビスケットであるが、ここラニオンでも、缶入りのお土産が売られている。
そのビスケット缶に、町の絵が描かれている。
ラニオンの場合もラニオンの絵が描かれるのだが、そこに描かれている絵が、この階段なのだ。
ラニオン
丘の最上部にあるブブレヴネ教会への階段が、このEscalier de Brelevenez(ブブレヴネ階段)である。
ナントも印象的な、先の見えないほどの階段である。
えぇっ・・・どこまで登るの?と思うか、この先登ったら楽しそうと思うか?

2013.02.10

モン・サン・ミシェル ラ・メルヴェイユの回廊

教会の脇を出てゆくと、回廊部に入る。
中に入ってしまえば、あぁ素晴らしいとは思うのだが、おっ!っと思うのは、回廊が見えた瞬間だろう。
モン・サン・ミシェル

外が見えているガラス張りの先は、まだ建物が続く予定だったらしい。
モンサンミシェルは完成途上なのだ。
モン・サン・ミシェル

屋根つきの廊下と列柱に囲まれた中庭。
こうした絵になりやすい場所は、何枚も同じような写真を撮ってしまう。
モン・サン・ミシェル
名残は惜しいが、究極の線対称空間に別れを告げて、次の部屋へ向かってゆく。

2013.02.09

Rue Desnouettes デヌエット通りのパリ環状廃線

先日載せた、引込み線跡からデヌエット通りを南下してゆく。
すると、プティット・サンチュールの橋が見えてくる。
以前紹介したヴォージラール通り辺りから、線路は高架になる。
ジョルジュブラッサンス公園付近一帯より、このヴォージラール付近は土地が低くなっているのである。
パリの道
日本食のお店が右側にある。
橋上はやはり緑地帯。
こうした空間は道路にしたり、住宅にしたりしない方が、防災上も環境上もいいのかも知れぬ。
パリの道
手前に見えている少し低い、小さな橋が、引込み線へと曲がってゆく線路の橋なのだ。
パリの道
いつかは、世界遺産リスト入りを目指しているかも知れぬ。
2013.02.08

Rue de Picpus ピクピュス通りの壁

凱旋門のあるエトワール広場と対を成すようにパリに存在するナシオン広場。
とにかくでかい円だ。
その一本裏にピクピュス通りがある。
ここの壁がレンガ模様だったので一枚。
パリの道
高校かなにかの裏のようだ。
表はナシオン広場に面する。
このレンガの模様の入った建物はこちらでは、時折見かけるが、日本では、こうしたレンガの建物自体はあまり見かけない。こちらの街に溶け込んでしまうと、こうしたレンガ模様も、何の変哲も無い壁にしか感じられなくなる。

トゥールーズではないが、レンガ造りの建築物は欧州が本場。
レンガの建物といえば、日本では欧風建築になるのである。
2013.02.07

ヴィルフランシュ・シュル・メール 海そして駅

この街の一番最初に飛び込んでくる、湾に浮かぶヨットたち。
並んで泊まっているのではなく、なんとも可愛らしく、思い思いの場所にあるのが特徴なのかもしれない。
ヴィルフランシュ・シュル・メール
その湾を望む、湾の真横にあるのが駅。
ホームが、まさに海の横。
そんな駅も、ただただ、電車に乗るためだけに使ってしまいがちだが、駅舎も南仏らしい可愛い色で、鄙びた街の駅してとても可愛らしいのである。
ヴィルフランシュ・シュル・メール
列車を待つ間、陽だまりでしばし休憩。
すがすがしい風が抜ける。
2013.02.06

モレ・シュル・ロワン

ナポレオンが泊まった宿があるという広場は、モレの中心である。
ここに、可愛らしい彫刻が柱に佇んでいる。
モレ・シュル・ロワン

仕事をする人。
モレ・シュル・ロワン

困った人?
モレ・シュル・ロワン
何に困っているのか?
板の上のラジオペンチのようなものはいったい?
単に職業を表しているのかもしれぬが、表情みると、意外と芸が細かい。
2013.02.05

Boulevard Saint-Marcel サンマルセル大通りのジャンヌ・ダルク

パリには幾つもジャンヌダルク像がある。
ここは5区と13区の境。
写真は5区側にたって13区を撮っている。
パリの道
このジャンヌダルク像の背中から坂道が続いている。
延々と登る坂道は、ノートルダム・ドゥ・ラ・ガール教会、ジャンヌダルク広場まで続いている。
この坂道の名前が、ジャンヌ・ダルク通りなのだ。
上から歩いてくると、結構見晴らしがいいのだが、その坂下先頭に、ジャンヌダルクが立っているのである。
2013.02.04

ラニオンの道散策

ラニオンの旧市街をぶらぶらと歩く。

Rue Emile le Taillandier
エミール・ル・タイヤンディエ通り
町の中心へ向かう坂道。
ラニオン

Rue Saint-Yves
サン・ティヴ通り
サン・ジャン・デュ・バリー教会へ向かう坂道。
ラニオン

Venelle des 3 Avocats
ヴネル・デ・トロワ・ザヴォカだったと思われる。
サン・ジャン・デュ・バリー教会の裏手の延びる路地。
ラニオン

Rue De La Trinite
トリニテ通り
ブレレヴネ教会へ向かう道。
ラニオン

どの道も味わい深い雰囲気をかもし出している。
2013.02.03

モン・サン・ミシェル 教会へ

おどろおどろしい不気味な巨大建物といえるモン・サン・ミシェルなのであるが、教会内部は意外と明るい。
一番上にあるから日当たりもいいはずだ。
天井の木もきっちり確認できる。
タイミングによっては、ミサに出会うこともある。
モン・サン・ミシェル
ミサの最中は前へ入っていけぬが、その上を照らす光がきれいに感じたので一枚。
石造りで冷たく感じられる教会であるのだが、さすがに太陽は暖かに感じる。
モン・サン・ミシェル
良く見るゴシックの雰囲気であるから、こうして切り取ってしまえば、モン・サン・ミシェルであろうともどこであろうとも、同じように感じられるのだ。
2013.02.02

Rue Desnouettes デヌエット通りの廃線跡の跡

パリの15区に、プティット・サンチュールからの引込み線がある。
これが、道路をまたぐのであるが、それがデヌエット通りにある。
で、それを見に行ったのであるが、どこに行っても、線路が無い。
おそらく、ここだろうと言う場所には、なんとも奇妙な現代建築の事務所なのか、アパートが建っていた。
パリの道
踏み切りでもあったのか?
国鉄線路が通る通りの撮影なんぞ、パリで見つけることは難しかろうとおもって探しても見つからない。
ところが、なんと、この緑君の左側に線路跡がきれいになって存在しているではないか!
線路の間だけ、色が違っていて、右にカーブしているのがわかる。

この線路の行き着く先は、工場跡地?なんであろうが、隣は、結構古い100年以上の歴史ある大きな病院がある。
デヌエット通りには、線路の痕跡がない。

この建物はまるで線路跡を残すように建っているのが、所有権の問題か?それとも、あえて、この道を残したのか?
建物も、線路も、なぞである。
この先、環状線付近まで、こうして、細長い土地が残されているのだろうか?
2013.02.01

Rue Etienne Marey エティエンヌ・マレ通りの壁画

メトロのガンベッタ駅の東側、ガンベッタの裏側とも言うべき場所。
メトロ駅でいえば、3BIS号線のペルポール駅か、3号線のポルト・ドゥ・バニョレ駅の近く。
以前紹介した、ポルト・ドゥ・バニョレ駅の丘の上にある一戸建て街から降ってくると、自然とつくような場所。
そこを通りがかると、壁一面に絵。
パリの道
Le Carosseと書かれているが、どうやら、アートスペースらしい。
こちらは、建物の裏側で、rue du Capitaine Marchalキャピテーヌ・マルシャル通りが入口の模様。
こうした、得体の知れないというか、パリだけに、世界中のいろんな団体、組織の集会所がいたるところにあるのである。アートだけに限らず、皆が、シャンゼリーゼみたいなところに存在しているわけでもない。