2013.01.31
ヴィルフランシュ・シュル・メール 階段そしてトンネル
2013.01.30
モレ・シュル・ロワンの教会
シスレーが描いたことで有名な教会。
その塔の時計をズーム。

教会脇の路地をぶらぶらうろついてみる。
人気の無い朝の教会裏。物音一つしない雰囲気、静寂に包まれているのだ。

シスレーが描いた構図の似た雰囲気で一枚撮影。
絵はこれとは反対側であろう。
色々な時代の石で組みあがっているようだ。
塔も背面も壁面も、色も形もサイズも違うのだ。

この脇にシスレーは住んでいた。
教会の中へ入ってみる。
巨大な大聖堂ではないが、ちょっとした町にはある、中心の教会といったサイズと感じである。

オルガンが古いのだそうだ。
一番下にぶらさがっている人形のようなものまで、装飾にこだわってできている。
パイプ下のカラーの線対称の装飾も、あまり見たことが無いか?

ぐるりと教会を回って、さてさて、モレの町も一通り回ったな!と思って外に出ると、大雨になっていた。
その塔の時計をズーム。

教会脇の路地をぶらぶらうろついてみる。
人気の無い朝の教会裏。物音一つしない雰囲気、静寂に包まれているのだ。

シスレーが描いた構図の似た雰囲気で一枚撮影。
絵はこれとは反対側であろう。
色々な時代の石で組みあがっているようだ。
塔も背面も壁面も、色も形もサイズも違うのだ。

この脇にシスレーは住んでいた。
教会の中へ入ってみる。
巨大な大聖堂ではないが、ちょっとした町にはある、中心の教会といったサイズと感じである。

オルガンが古いのだそうだ。
一番下にぶらさがっている人形のようなものまで、装飾にこだわってできている。
パイプ下のカラーの線対称の装飾も、あまり見たことが無いか?

ぐるりと教会を回って、さてさて、モレの町も一通り回ったな!と思って外に出ると、大雨になっていた。
2013.01.29
スターリングラッド駅付近高架を行く、パリのメトロ2号線
2013.01.28
ラニオン Rue des Chapeliers シャプリエ通り
2013.01.27
モン・サン・ミシェルの西のテラスから
モン・サン・ミシェル西のテラスにでて、まずは北側へ。
モン・サン・ミシェルの影と、遠くに島が見える。

島は、トンブレーヌ島。
そして、その向こうには、Genetジュネの海岸線が見える。
あのあたりから、歩いてくるツアーもあるのだ。

振り返って教会を見上げると、三角屋根と、オレンジとも、黄色とも、肌色とも見える、教会の壁面が印象的だ。

ドル・ド・ブルターニュ方向の西側は以前載せたので割愛。
南側の駐車場も載せたので割愛。
ブルターニュと、ノルマンディーを分ける、クエノン川が見える。
川の途中に見える橋の付近が、現在、観光バスのターミナルになっている付近。
林の向こうが駐車場だろう。

川は、その橋から先、まっすぐ伸びている。
この川沿いが、なかなかの散歩道なのである。
西のテラスから見えているということは、当然、向こうからも見えるということなのだ。
モン・サン・ミシェルの影と、遠くに島が見える。

島は、トンブレーヌ島。
そして、その向こうには、Genetジュネの海岸線が見える。
あのあたりから、歩いてくるツアーもあるのだ。

振り返って教会を見上げると、三角屋根と、オレンジとも、黄色とも、肌色とも見える、教会の壁面が印象的だ。

ドル・ド・ブルターニュ方向の西側は以前載せたので割愛。
南側の駐車場も載せたので割愛。
ブルターニュと、ノルマンディーを分ける、クエノン川が見える。
川の途中に見える橋の付近が、現在、観光バスのターミナルになっている付近。
林の向こうが駐車場だろう。

川は、その橋から先、まっすぐ伸びている。
この川沿いが、なかなかの散歩道なのである。
西のテラスから見えているということは、当然、向こうからも見えるということなのだ。
2013.01.26
Rue des Plantes プラント通りの広告
さてさて、14区の南北縦貫通りを何本もくぐってゆくプティット・サンチュールパリ環状線。
お掃除している人たちがいる、ジャン・ムーラン通りの反対側、プラント通りまで歩いてきた。
レールの上を走る加者と、蛍光色の作業着を着たお仕事中の人たちが見える。
パリのお掃除カラーであるグリーンの服では、ここでは埋没してしまうから、黄色やオレンジは目立って良いのだろう。

で、反対側(ディド通り方向)を眺めてみると、もう、そこはパリではなく、ジャングルか森の中を走る田舎の単線状態なのである。
グーグルマップでも、この部分だけは、緑地帯になっている。
自然っぽく、野生っぽくがパリの緑地化の主眼の一つであるようだから、ある意味完成形のひとつなのかもしれない。たしかに、原生の雰囲気。

ふと、再び、振り返って、みると、建物の壁に落書きが。
その落書きのしたに、レトロチックな、グリーンに白字の壁面が。
こうした壁が、昔々、走っていた列車から見える、広告だったのかもしれぬ。

日本でも、列車や駅から見える、建物の壁面に巨大広告を貼っているところありますものね。
目的を持って、検索することができるインターネットの時代ゆえ、こちらの意思に拘らず、一方的に流されるマスメディアも重要な情報源だったりすることに、気づいたりしますなぁ。
オンデマンドといっても、人が思いつく事、たどり着く事など、たかが知れている量なのかもしれません。
お掃除している人たちがいる、ジャン・ムーラン通りの反対側、プラント通りまで歩いてきた。
レールの上を走る加者と、蛍光色の作業着を着たお仕事中の人たちが見える。
パリのお掃除カラーであるグリーンの服では、ここでは埋没してしまうから、黄色やオレンジは目立って良いのだろう。

で、反対側(ディド通り方向)を眺めてみると、もう、そこはパリではなく、ジャングルか森の中を走る田舎の単線状態なのである。
グーグルマップでも、この部分だけは、緑地帯になっている。
自然っぽく、野生っぽくがパリの緑地化の主眼の一つであるようだから、ある意味完成形のひとつなのかもしれない。たしかに、原生の雰囲気。

ふと、再び、振り返って、みると、建物の壁に落書きが。
その落書きのしたに、レトロチックな、グリーンに白字の壁面が。
こうした壁が、昔々、走っていた列車から見える、広告だったのかもしれぬ。

日本でも、列車や駅から見える、建物の壁面に巨大広告を貼っているところありますものね。
目的を持って、検索することができるインターネットの時代ゆえ、こちらの意思に拘らず、一方的に流されるマスメディアも重要な情報源だったりすることに、気づいたりしますなぁ。
オンデマンドといっても、人が思いつく事、たどり着く事など、たかが知れている量なのかもしれません。
2013.01.25
Rue Castagnary カスタニャリー通りのお店
日本食ブームという言葉は、もうないパリ。
日本が、中華ブームといわなくても、イタリアンブームといわなくても、中華料理やラーメン、パスタやピザやが氾濫しているのと同じように、パリのいたるところに日本食屋がある。
もうブームではなく、受け入れられた食事の一種類なのだ。
いたるところにあるとはいっても、生粋の日本人のやっているお店ばかりではない。
そうではないお店の方が多かろう。
それでも、結構まともに食べられるお店も多いようだ。
スーパーでも、すしの試食販売をフランス人がやっていたりするのである。

その生粋の日本ではないお店と思われるのは、お店の名前に現れる。
たまたま通りかかった、カスタニャリー通りのお店はFUJIKKOであった。
ふじっこと言えば、塩昆布ってイメージなのだが、ここで、塩昆布ご飯が食えるわけではあるまい。
そこまで有名じゃなかろうと思えるような地方都市の名前がついているお店などは結構フランス中で見かけるが、ひらがなではあるが、日本語ではない名前のついたお店も結構多い。
もっとも、日本にある、フランス語を使ったお店も、不思議な名前がいっぱいあるから、パリの日本語名を悪し様に言うことはできない。
でも、日本語看板を読みながら歩くのもまた楽しい。
パリの通りは膨大にあるけれど、通りの数と同じくらい、日本食屋がパリにあると言ってもいいかもしれない。
日本が、中華ブームといわなくても、イタリアンブームといわなくても、中華料理やラーメン、パスタやピザやが氾濫しているのと同じように、パリのいたるところに日本食屋がある。
もうブームではなく、受け入れられた食事の一種類なのだ。
いたるところにあるとはいっても、生粋の日本人のやっているお店ばかりではない。
そうではないお店の方が多かろう。
それでも、結構まともに食べられるお店も多いようだ。
スーパーでも、すしの試食販売をフランス人がやっていたりするのである。

その生粋の日本ではないお店と思われるのは、お店の名前に現れる。
たまたま通りかかった、カスタニャリー通りのお店はFUJIKKOであった。
ふじっこと言えば、塩昆布ってイメージなのだが、ここで、塩昆布ご飯が食えるわけではあるまい。
そこまで有名じゃなかろうと思えるような地方都市の名前がついているお店などは結構フランス中で見かけるが、ひらがなではあるが、日本語ではない名前のついたお店も結構多い。
もっとも、日本にある、フランス語を使ったお店も、不思議な名前がいっぱいあるから、パリの日本語名を悪し様に言うことはできない。
でも、日本語看板を読みながら歩くのもまた楽しい。
パリの通りは膨大にあるけれど、通りの数と同じくらい、日本食屋がパリにあると言ってもいいかもしれない。
2013.01.24
ヴィルフランシュ・シュル・メール 路地散策続く
なにやら、下りてゆく階段を見ると、雨が降ったときの水路のようである。
川が流れて行くかのように、道が続く。
もしかしたら、きれいに整備されていないときは、これが下水もかねていたかもしれない。

坂と坂の間を平行移動する道は、坂道と違って、街区を分ける道路のようだ。
軒先から出ている出っ張りは、洗濯物を干すのだろうか?
パリじゃ洗濯物を干せないが、南仏ではそれはまた別であろう。

写真を撮ってみたら、アジアチックな一枚となった。
中国の路地を歩いたことは無いのだが、これと似た雰囲気の場所もありそうな気がする。
かわら、木、赤に緑窓枠という壁・・・それらが、そんな雰囲気をかもし出しているのだろう。

迷路のたのしさは、先の見えない楽しさだ。
その先に何があるか?
どんな風景が待っているか?
路地は探検の獣道なのだ。
川が流れて行くかのように、道が続く。
もしかしたら、きれいに整備されていないときは、これが下水もかねていたかもしれない。

坂と坂の間を平行移動する道は、坂道と違って、街区を分ける道路のようだ。
軒先から出ている出っ張りは、洗濯物を干すのだろうか?
パリじゃ洗濯物を干せないが、南仏ではそれはまた別であろう。

写真を撮ってみたら、アジアチックな一枚となった。
中国の路地を歩いたことは無いのだが、これと似た雰囲気の場所もありそうな気がする。
かわら、木、赤に緑窓枠という壁・・・それらが、そんな雰囲気をかもし出しているのだろう。

迷路のたのしさは、先の見えない楽しさだ。
その先に何があるか?
どんな風景が待っているか?
路地は探検の獣道なのだ。
2013.01.23
モレ・シュル・ロワンの水車と水景
2013.01.22
Impasse du Marche aux chevaux 馬市場小路
2013.01.21
ラニオンの市
夕暮れに染まるラニオンの街。
この広場から向こうへ伸びる道がRue Jean Savidan(ジャン・サヴィダン通り)

翌日、市場が出ていた。
通りの坂路に、軒先がぶつかるほど店が並ぶ。
食べ物やさんもあれば、生活用品の店も。
そんな中に一軒の布屋さんが。
CHOLET(ショレ)と書かれている。
ショレの赤いハンカチ。

さすがに真っ赤なハンカチは無かったが、白地に赤のデザインのトーションやらクロスがいっぱい。
ねんのため、お店のお兄さんに聞いてみる。
ショレって、ナント市の近くのショレ?
そうだよ!とお兄さん。
地図でみてみれば、100キロぐらいは離れているから、決して近いわけではないのだろうが、ラニオンからすれば、同じ地方だ。
ああ、もしかして、市は、ブルターニュのあちらこちらを回っているのだなぁ。
今日が、この街なだけなのだ。
そんなことを思うわけである。
ショレはブルターニュの一部であったことがあるのだろうか?
現在は、メーヌ=エ=ロワール県であるから、アンジェのエリアにあたる。
この広場から向こうへ伸びる道がRue Jean Savidan(ジャン・サヴィダン通り)

翌日、市場が出ていた。
通りの坂路に、軒先がぶつかるほど店が並ぶ。
食べ物やさんもあれば、生活用品の店も。
そんな中に一軒の布屋さんが。
CHOLET(ショレ)と書かれている。
ショレの赤いハンカチ。

さすがに真っ赤なハンカチは無かったが、白地に赤のデザインのトーションやらクロスがいっぱい。
ねんのため、お店のお兄さんに聞いてみる。
ショレって、ナント市の近くのショレ?
そうだよ!とお兄さん。
地図でみてみれば、100キロぐらいは離れているから、決して近いわけではないのだろうが、ラニオンからすれば、同じ地方だ。
ああ、もしかして、市は、ブルターニュのあちらこちらを回っているのだなぁ。
今日が、この街なだけなのだ。
そんなことを思うわけである。
ショレはブルターニュの一部であったことがあるのだろうか?
現在は、メーヌ=エ=ロワール県であるから、アンジェのエリアにあたる。
2013.01.20
モン・サン・ミシェルの中へ
モン・サン・ミシェルの中で、修道院に向いグランド・リューを登ってゆく。
階段を昇り、ポッカリ口をあけた修道院の入り口から、人によっては、最後の力を振り絞り、さらに階段を昇ってゆく。
すると、切符売り場に到着する。
ここから入場すると、再び大階段が現れる。
元気な人は、途中で、区切りがあるため、この階段をワクワク市ながら登ってゆくだろう。
しかし、大変な人には、ここが壁に見えるかも知れぬ。
巨大な岩山だけに、仕方がない。
階段途中で中を歩く人が見えるが、これは、もうすぐ見学コースを歩き終わる人達だ。

階段を昇りきれば、二つの注目点。
一つは、眼下に広がる、陸地とつながる橋。というか、堤防の道。
いずれは、橋になるはずだ。
眼下といえば、本当に真下も見えるのである。

もう一つの注目点は、そびえる教会。
外を眺めたら、教会へ!となってしまう。

しかし、そうではない。
階段を昇った正面。
修道院が、司教オベールのお告げから、徐々に作られてゆくモン・サン・ミシェルの年代別ジオラマを展示してある部屋。
そう、この模型をみなければ・・・ではなく、ここで、日本語の無料ガイドをもらってゆこう。
奥の扉から抜ければ、西のテラスへ出られる。
教会へ入るのはその次でいい。
階段を昇り、ポッカリ口をあけた修道院の入り口から、人によっては、最後の力を振り絞り、さらに階段を昇ってゆく。
すると、切符売り場に到着する。
ここから入場すると、再び大階段が現れる。
元気な人は、途中で、区切りがあるため、この階段をワクワク市ながら登ってゆくだろう。
しかし、大変な人には、ここが壁に見えるかも知れぬ。
巨大な岩山だけに、仕方がない。
階段途中で中を歩く人が見えるが、これは、もうすぐ見学コースを歩き終わる人達だ。

階段を昇りきれば、二つの注目点。
一つは、眼下に広がる、陸地とつながる橋。というか、堤防の道。
いずれは、橋になるはずだ。
眼下といえば、本当に真下も見えるのである。

もう一つの注目点は、そびえる教会。
外を眺めたら、教会へ!となってしまう。

しかし、そうではない。
階段を昇った正面。
修道院が、司教オベールのお告げから、徐々に作られてゆくモン・サン・ミシェルの年代別ジオラマを展示してある部屋。
そう、この模型をみなければ・・・ではなく、ここで、日本語の無料ガイドをもらってゆこう。
奥の扉から抜ければ、西のテラスへ出られる。
教会へ入るのはその次でいい。
2013.01.19
Avenue Jean Moulin ジャン・ムーラン通りから廃線緑地を眺める
先週のフリアン通りから、線路沿いの家庭菜園?脇を抜けて、ジャン・ムーラン大通りへやってくる。
この界隈、どこから見ても、石の橋と線路という図が変わらないのであるが、散歩であるから、まあ、ずるずると探索する。

お掃除をする人たちが見えたはずなのだが、と思ってカメラを構えていると、アーチの橋の下付近に人影が・・・。
そう思って、真下を見れば、人がロープを伝って降りていく。
そうだよね、こういうところから入ってゆくしかないわけですよ・・・と、当たり前のことに納得。
落書きをする若者も、掃除をする大人も、出口と入口は一緒なわけだ。

落書き以外にも、ポイ捨てがフランスの文化?であるから、この廃線跡にも、ゴミが投げ込まれていたりするに違いない。
道端の吸殻であれば、パリご自慢の、なんでも吸い込む下水道があるが、草木繁る、廃線跡では、拾うしかない。
そう考えて、もう一度写真をみれば、まるで公園かのように、緑がきれいに保たれているのだ。
自然に生えているようで、きっちり管理されている。
そういえば、12区の廃線跡にも、手を入れていないかのような、自然の公園というのがあったなぁと。
この界隈、どこから見ても、石の橋と線路という図が変わらないのであるが、散歩であるから、まあ、ずるずると探索する。

お掃除をする人たちが見えたはずなのだが、と思ってカメラを構えていると、アーチの橋の下付近に人影が・・・。
そう思って、真下を見れば、人がロープを伝って降りていく。
そうだよね、こういうところから入ってゆくしかないわけですよ・・・と、当たり前のことに納得。
落書きをする若者も、掃除をする大人も、出口と入口は一緒なわけだ。

落書き以外にも、ポイ捨てがフランスの文化?であるから、この廃線跡にも、ゴミが投げ込まれていたりするに違いない。
道端の吸殻であれば、パリご自慢の、なんでも吸い込む下水道があるが、草木繁る、廃線跡では、拾うしかない。
そう考えて、もう一度写真をみれば、まるで公園かのように、緑がきれいに保たれているのだ。
自然に生えているようで、きっちり管理されている。
そういえば、12区の廃線跡にも、手を入れていないかのような、自然の公園というのがあったなぁと。
2013.01.18
Avenue Reille レイユ通りの貯水場壁面
パリ14区のモンスーリ公園近くに、レトロな建物が並ぶとおりがある。
この緑の壁の内側は貯水池になっている。
地下貯水池らしい。
レトロな建物は、明りとりだろか?

地下の水は、非常用水なのか?
それとも、噴水に利用されるのか?
または、洪水時の水の避難場所なのか?

あまりに平らな緑の斜面と、まっすぐ続く壁が、青い空の下美しい。
Reservoir(レゼルヴォワール)というのが、貯水池らしい。
パリの重要な貯水池は、リラ、メニルモンタンという東側、サンクルーが西側。
そして、南側が、ライ・レ・ローズとここ、モンスーリの5つなのだそうだ。
他、サクレクール寺院の西隣にも、モンマルトル貯水場がある。
どこも、パリに対して高台に貯水場があるのだ。
この緑の壁の内側は貯水池になっている。
地下貯水池らしい。
レトロな建物は、明りとりだろか?

地下の水は、非常用水なのか?
それとも、噴水に利用されるのか?
または、洪水時の水の避難場所なのか?

あまりに平らな緑の斜面と、まっすぐ続く壁が、青い空の下美しい。
Reservoir(レゼルヴォワール)というのが、貯水池らしい。
パリの重要な貯水池は、リラ、メニルモンタンという東側、サンクルーが西側。
そして、南側が、ライ・レ・ローズとここ、モンスーリの5つなのだそうだ。
他、サクレクール寺院の西隣にも、モンマルトル貯水場がある。
どこも、パリに対して高台に貯水場があるのだ。
2013.01.17
ヴィルフランシュ・シュル・メールのサン・ミシェル教会
2013.01.16
モレ・シュル・ロワン ロワンの水辺
2013.01.15
スターリングラッド攻防戦広場からラ・ヴィレット係船池を望む
スターリングラッド攻防戦広場からラ・ヴィレット係船池を望む
とタイトルにしたが、
ラ・バタイユ・ドゥ・スターリングラッド広場から、バッサン・ドゥ・ラ・ヴィレットを望む
と言ってもいいのかもしれない。
スターリングラッド攻防戦から名をとられた広場から、サンマルタン運河からつながっている、ヴィレット地区にある、船の係船池を見ているわけである。
この先は、ウルク運河となり、モー方面へ向かって、マルヌ川と平行して伸びてゆく。

ちょうど、そこへ、サンマルタン運河からの船がやってきた。
オルセー美術館あたりから出発したのであろう。
どこの国かは知らぬが、おっさん達が立って乗っている。
おっさんたちとも言えど、手を振りたくなるらしい。
こちらのおっさんへ向かって手を振ってきた。カメラを向けて応える。

対岸に目を移すと、そこにはMK2というチェーンの映画館が。
出来た当時は、北岸だけに映画館があったはずだと思うのだが、久々に見てみたら両岸に、同じような建物が出来ている。

当時は、本当に殺風景だったこの界隈も、今は、映画館前でお茶する人々同様、完全に風景の一部として溶け込み、場末な雰囲気ではなくなってしまった。
この奥にバスの替わりにトラムも開通することになれば、さらに人の流れも変ってゆくのかもしれない。
とタイトルにしたが、
ラ・バタイユ・ドゥ・スターリングラッド広場から、バッサン・ドゥ・ラ・ヴィレットを望む
と言ってもいいのかもしれない。
スターリングラッド攻防戦から名をとられた広場から、サンマルタン運河からつながっている、ヴィレット地区にある、船の係船池を見ているわけである。
この先は、ウルク運河となり、モー方面へ向かって、マルヌ川と平行して伸びてゆく。

ちょうど、そこへ、サンマルタン運河からの船がやってきた。
オルセー美術館あたりから出発したのであろう。
どこの国かは知らぬが、おっさん達が立って乗っている。
おっさんたちとも言えど、手を振りたくなるらしい。
こちらのおっさんへ向かって手を振ってきた。カメラを向けて応える。

対岸に目を移すと、そこにはMK2というチェーンの映画館が。
出来た当時は、北岸だけに映画館があったはずだと思うのだが、久々に見てみたら両岸に、同じような建物が出来ている。

当時は、本当に殺風景だったこの界隈も、今は、映画館前でお茶する人々同様、完全に風景の一部として溶け込み、場末な雰囲気ではなくなってしまった。
この奥にバスの替わりにトラムも開通することになれば、さらに人の流れも変ってゆくのかもしれない。
2013.01.14
小さなスーパー、マルシェ・プリュス
2013.01.13
モン・サン・ミシェルを真下から眺める
国鉄駅から、またはシャトルバスで到着して、まずカメラを構えたくなろう。
真下まで行って一枚。
上部の威容は様変わりし、岩山に立つ修道院といった趣に変わるのだ。

その威容を近くから眺めるためには、高いところへ行かねばならぬ。
グランリューへ入ったらすぐ、右側の階段を昇る。
すると、城壁沿いに並ぶレストランの合間から、よく写真で見る姿に近いモン・サン・ミシェルを眺める事ができる。

もっとも、一番最初はグランリューを登って修道院内を目指すであろうから、帰りがけに城壁沿いをくだってきてもいい。海に目が行きがちだが、背中には、モン・サン・ミシェルを背負うことになる。

モン・サン・ミシェルは、大まかに分けて、グランリュー、左側を上がった城壁沿い、右側を上がった路地に分けられる。
それぞれ、違った顔を見せてくれるのだ。
真下まで行って一枚。
上部の威容は様変わりし、岩山に立つ修道院といった趣に変わるのだ。

その威容を近くから眺めるためには、高いところへ行かねばならぬ。
グランリューへ入ったらすぐ、右側の階段を昇る。
すると、城壁沿いに並ぶレストランの合間から、よく写真で見る姿に近いモン・サン・ミシェルを眺める事ができる。

もっとも、一番最初はグランリューを登って修道院内を目指すであろうから、帰りがけに城壁沿いをくだってきてもいい。海に目が行きがちだが、背中には、モン・サン・ミシェルを背負うことになる。

モン・サン・ミシェルは、大まかに分けて、グランリュー、左側を上がった城壁沿い、右側を上がった路地に分けられる。
それぞれ、違った顔を見せてくれるのだ。
2013.01.12
Rue Friant フリアン通り 廃線をきれいにする人たち
2013.01.11
グラシエール通りの兄貴
2013.01.10
ヴィルフランシュ・シュル・メール 路地散策
さて、登ったヴィルフランシュの街を今度は下ってゆく。
このくだりの手前にパン屋さんがある。この界隈で、パンを食って腹ごしらえし、また歩き出す。

目指すのは教会とその界隈。
南仏のカラフルな建物に、細い路地と坂道、階段は、どこを切り取っても絵。

手前の家は売り出し中。
観光地に行くと、こうした、売り物件にも出会う。
もちろん、この街を訪れた観光客その他が狙いなのであろう。
”このあたりに、この街に、一部屋いかがですか?”と誘いをかけているのであろう。

寒い、暗いパリ。
寒い時期に南フランスを訪れた北フランスの人たちにとって、冬の何ヶ月かは、南で暮らしたい、そう思うに違いない。
南に開けた、盆地のような湾であれば、ミストラルも避けられるに違いない。
このくだりの手前にパン屋さんがある。この界隈で、パンを食って腹ごしらえし、また歩き出す。

目指すのは教会とその界隈。
南仏のカラフルな建物に、細い路地と坂道、階段は、どこを切り取っても絵。

手前の家は売り出し中。
観光地に行くと、こうした、売り物件にも出会う。
もちろん、この街を訪れた観光客その他が狙いなのであろう。
”このあたりに、この街に、一部屋いかがですか?”と誘いをかけているのであろう。

寒い、暗いパリ。
寒い時期に南フランスを訪れた北フランスの人たちにとって、冬の何ヶ月かは、南で暮らしたい、そう思うに違いない。
南に開けた、盆地のような湾であれば、ミストラルも避けられるに違いない。
2013.01.09
モレ・シュル・ロワン散策 洪水
モレのロワン川の端の上から下を除くと、なにやら定規らしきものが。
裏手に回って、トンネルをくぐり、川岸へ降りてみる。

それぞれの洪水の年度と、線の上には月が書かれている。
良く考えてみると、この脇の教会はシスレーの絵で有名だが、洪水の絵といえば、シスレーであるから、よほど、洪水に縁がある人なのだろう。
水辺が好きなのであろうけれども。

おそらく、水量の安定していて、流れのゆるいからなのだろう。
欧州の川というのは、土手が低い、またはない。
今にもあふれそうなほどの川の水辺は、あちらこちらに見られる。
日本のように、急峻で、大雨が続くような気候では、それは考えられぬ。

そんな、ゆるやかな川の流れであるから、水上交通も発達し、ヴァイキングも川を上ってきたのだ。
そんな、暴れ川とは縁遠いこの地方でも、こうして水があふれることが何度もあるのだと、わからせてくれる標識だ。だからといって、コンクリート護岸工事をしている雰囲気はない。
日本ではそうは行かぬ。
裏手に回って、トンネルをくぐり、川岸へ降りてみる。

それぞれの洪水の年度と、線の上には月が書かれている。
良く考えてみると、この脇の教会はシスレーの絵で有名だが、洪水の絵といえば、シスレーであるから、よほど、洪水に縁がある人なのだろう。
水辺が好きなのであろうけれども。

おそらく、水量の安定していて、流れのゆるいからなのだろう。
欧州の川というのは、土手が低い、またはない。
今にもあふれそうなほどの川の水辺は、あちらこちらに見られる。
日本のように、急峻で、大雨が続くような気候では、それは考えられぬ。

そんな、ゆるやかな川の流れであるから、水上交通も発達し、ヴァイキングも川を上ってきたのだ。
そんな、暴れ川とは縁遠いこの地方でも、こうして水があふれることが何度もあるのだと、わからせてくれる標識だ。だからといって、コンクリート護岸工事をしている雰囲気はない。
日本ではそうは行かぬ。
2013.01.08
Rue Geoffroy-Saint-Hilaire ジョフロワ・サンティレール通り
ジョフロワ・サンティレール通りにある馬市場の建物。
ここはジョフロワ・サンティレール通りといっても、そのもっとも外側。サンマルセル大通りが近い。
この界隈がパリのいわゆる端だったときに、このあたりに馬の市場があったようなのだ。

1760年との数字が入っているから、ルイ15世時代の馬市場の建物なのだろう。
この時点で、サラブレッドはいないので、ペルシュロンなどの荷物を引く馬等々が取引されていたのであろう。

良く見れば、特徴アル由緒有りげな建物なのだが、他の建物と色が溶け込んでいるから、何も考えなければ、スーッと通り過ぎてしまうであろう建物なのだ。

今はパリ5区ではあるが、当時はパリの端だったのだろう。今から見れば、パリの真ん中にこんな建物があるのである。それでも、馬は、軍事農事物流にとても大事だったのであろう。
車のショールームがシャンゼリーゼ通りにあるが、それと同じ意味もあったにちがいない。
ここはジョフロワ・サンティレール通りといっても、そのもっとも外側。サンマルセル大通りが近い。
この界隈がパリのいわゆる端だったときに、このあたりに馬の市場があったようなのだ。

1760年との数字が入っているから、ルイ15世時代の馬市場の建物なのだろう。
この時点で、サラブレッドはいないので、ペルシュロンなどの荷物を引く馬等々が取引されていたのであろう。

良く見れば、特徴アル由緒有りげな建物なのだが、他の建物と色が溶け込んでいるから、何も考えなければ、スーッと通り過ぎてしまうであろう建物なのだ。

今はパリ5区ではあるが、当時はパリの端だったのだろう。今から見れば、パリの真ん中にこんな建物があるのである。それでも、馬は、軍事農事物流にとても大事だったのであろう。
車のショールームがシャンゼリーゼ通りにあるが、それと同じ意味もあったにちがいない。
2013.01.07
ラニオンの古い家
ラニオンといえば、この建物が必ずと言っていいほど写真に出てくるのである。
ジェネラル・ルクレール広場。
市も立つこの広場にこの古い建物が互いにバランスをとって寄り添うように立っている。
どう見ても歪んで見える。

ブルターニュやノルマンディで見られる、四角い瓦のようなものを貼り付けた壁面も特徴的であるし、柱の彫刻も、そのテカリと傷具合が古さを醸し出している。
このあたりは、この建物以外も、古そうな家々が多いし、道も細かったりする旧市街だ。

ちょうど、ここで市場が開かれていたとき、車ごとお店になっている一軒に、中華屋さんがあった。
フランスは、大抵どの街にも、中華屋さんが一軒はあったりする。
この街もそうだ。
脚を置いて店を構える中華料理やさんとは別に、こうした中華の惣菜を売る車の出店がある。
きっと、中華系の食材や、情報、新聞なんかも、配ったりして、あちこち回っているのだろうなどと、思ったのである。
日本人もいろんなところにいるが、中国人はもっと多い。
こうして、血管が張り巡らされているのかもしれないなと。
もちろん、想像の域をでないのであるが。
ジェネラル・ルクレール広場。
市も立つこの広場にこの古い建物が互いにバランスをとって寄り添うように立っている。
どう見ても歪んで見える。

ブルターニュやノルマンディで見られる、四角い瓦のようなものを貼り付けた壁面も特徴的であるし、柱の彫刻も、そのテカリと傷具合が古さを醸し出している。
このあたりは、この建物以外も、古そうな家々が多いし、道も細かったりする旧市街だ。

ちょうど、ここで市場が開かれていたとき、車ごとお店になっている一軒に、中華屋さんがあった。
フランスは、大抵どの街にも、中華屋さんが一軒はあったりする。
この街もそうだ。
脚を置いて店を構える中華料理やさんとは別に、こうした中華の惣菜を売る車の出店がある。
きっと、中華系の食材や、情報、新聞なんかも、配ったりして、あちこち回っているのだろうなどと、思ったのである。
日本人もいろんなところにいるが、中国人はもっと多い。
こうして、血管が張り巡らされているのかもしれないなと。
もちろん、想像の域をでないのであるが。
2013.01.06
モン・サン・ミシェルから眺める海の風景
2013.01.05
Rue de Bagnolet バニョレ通りから廃線を眺める
駅舎である、フレッシュドールの反対側からは線路を眺めることができる。
なんてことはない谷底線路であるが、向こうのトンネルの上から眺められそうなので行ってみることにした。

行ってみると、さらに高い位置から線路を眺めることができる。
向こうには、シャロンヌ駅舎のフレッシュドールが見える。

望遠レンズでグッと寄ってみると、まだまだ、貨物列車でも出てきそうな気がしないでもない。
線路の両脇のトンネルは、片方は丸天井で、片方は四角い。
四角いが、これは、トンネルというより、駅舎と通りの下であるからなのだろう。

落書きも壁キャンバスに書かれているが、ここの深い線路谷では、アピール度が低かろう。
思ったほど、グリグリ書かれているようには感じない。
描いたところで、だれも見てくれなさそうなのだ。
なんてことはない谷底線路であるが、向こうのトンネルの上から眺められそうなので行ってみることにした。

行ってみると、さらに高い位置から線路を眺めることができる。
向こうには、シャロンヌ駅舎のフレッシュドールが見える。

望遠レンズでグッと寄ってみると、まだまだ、貨物列車でも出てきそうな気がしないでもない。
線路の両脇のトンネルは、片方は丸天井で、片方は四角い。
四角いが、これは、トンネルというより、駅舎と通りの下であるからなのだろう。

落書きも壁キャンバスに書かれているが、ここの深い線路谷では、アピール度が低かろう。
思ったほど、グリグリ書かれているようには感じない。
描いたところで、だれも見てくれなさそうなのだ。
2013.01.04
Cite Debergue シテ・ドゥベルク
2013.01.03
ヴィルフランシュ・シュル・メールの坂を上がる
2013.01.02