2012.12.31

今年も一年ありがとうございました

今年も、このブログをご愛顧くださいまして、一年ありがとうございました。
ラニオンカフェ
ア行で感心していただけるのはなかなか難しいので、ハ行で軽く流していただける記事を来年も書き綴って行きたいと思っております。
また、来年もお越しくださいませ!
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Posted at 11:23 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2012.12.30

モン・サン・ミシェル 雨

城壁めぐりをしていると、突然の大雨。
とにかく、ここは、天気が変わり安いのかも知れぬ。
雨宿りをしながら、グランド・リュー方向にカメラを向けたら、雨に煙る、モン・サン・ミシェルとは思えぬ、雨に煙る普通の街角のような写真になった。
普通のパリではなく、歴史めいた、地方の旧市街と言うべきか?
モン・サン・ミシェル
そういえば、小さい頃通った絵の塾というところの先生が、雨のパリの街の絵を好んで描いていた。
南欧ではなく、中北欧州は、天気が悪いことも多いから、”らしい”雰囲気になるのかもしれない。
2012.12.29

Rue de Bagnolet バニョレ通りのラ・フレッシュドールLa Fleche d'Or

旧シャロンヌ駅。
20世紀最後の頃は、昼も営業するカフェ兼ライブハウスであったのだが、今はやっていないのだろうか?
きっと、夜のみの営業なのだろう。昼はまるで廃墟。
フレッシュ・ドール。

フレッシュは、矢。広島のサッカーチームサン・フレッチェのフレッチェにあたる。
ドールは人形ではない。オールはフランス語で金。フレッシュ・ドゥ・オールが、母音で縮まってフレッシュ・ドールである。
バロン・ドールBallon d'Or(サッカー)金のボール
パルム・ドールPalme d'Or(映画)金のヤシ
何とかドールというのは、たいてい人形ではなく金なのだ。
パリ環状線
確かに、外のポスターだけは、新しい。
この黄金の矢という意味の、英仏特急の名を冠する。
鉄道つながりであって、無粋に適当な名前がついているわけではない。
パリ環状線
さて、旧シャロンヌ駅。
現在のメトロのシャロンヌ駅は、シャロンヌとパリの境。
旧シャロンヌ村のシャロンヌの高台にある。
シャロンヌの顔、サン・ジェルマン・ドゥ・シャロンヌ教会も目と鼻の先なのだ。
2012.12.28

スターリングラッド攻防戦広場のロトンド

スターリングラード攻防戦広場のメインシンボルのRotonde de la Villette(ロトンド・ドゥ・ラヴィレット)。
パリ徴税城壁に作られていた、税関らしいのだが、ここは、ちょうど、サンマルタン運河と、ヴィレット地区の境。
サンマルタン運河を進んでゆくと、ここのバッサン・ドゥ・ラ・ヴィレットという大きな太い運河、池ともいうゾーンに出てくる。
船だろうと、人だろうと、通行するものから税金を取っていたのだろう。
パリの道
そんな広場が、新しくなったのであろうが、噴水池がある。
なんと、緑の水。
泡が、まるで、公害のヘドロのようだが、噴水自体が緑色に見えるから、色がついているのかもしれない。
なんだか、これも、緑化の一部であったりして・・・。
2012.12.27

ヴィルフランシュ・シュル・メール散策

ヴィルフランシュ・シュル・メールは坂の町、階段の町になっている。
路地が、徐々に徐々に上がってゆくから、かわいらしいコートダジュールのカラフルな建物のの間を縫う道の向こうに海が見えてくる。
ヴィルフランシュ・シュル・メール
路地、海、階段・・・、絵になるものが揃っている町なのだ。
歩き回って、被写体を探し続ける楽しみが、ここにはあるのである。
2012.12.26

モレ・シュル・ロワン川辺2

モレも街を散策していると、雨が降ってきた。
雨露が付いた花が、川沿いに可憐な姿を見せている。
その向こうには、漏れの古い街並、教会などが、川面に移っていた。
モレ・シュル・ロワン
シスレーの描いた橋の上から、シスレーの愛した教会と町並みを眺める。
印象派の絵をオルセーに見るのもいいのだが、絵そのままの風景が、今も変わらずあることに、ちょっとした感動も覚えるのである。
絵と変わらぬ風景を見る。
それが、パリ郊外散歩の楽しみの一つなのであろう。
2012.12.25

Pont de l'Archeveche アルシュヴェシェ橋

キリストの誕生を祝う日。クリスマス。
ノートルダム寺院を背景にしたアルシュヴェシェ橋。
橋には、恋人達の祈りにあたる南京錠が、くくりつけられているのだが、写真からも、橋のフェンスに、多くの何かがつけれらているのが感じられるだろう。
パリの橋
ノートルダム寺院を借景に、橋を主役にフェンスを撮れば、なんだか、世界の人の営みが身近に感じられるような気もしてくるのである。
橋や大聖堂、そして、フェンスや南京錠を作ったのも人であれば、それをくくりつけるのもまた、人。
家族や、恋人と何を祈ったか?または、一人でネグったか?はともかく、個人的には、今日、どんなケーキを食うか?に主眼が置かれる楽しい一日なのである。昨日もですがね。
2012.12.24

ラニオンでガレットを食らう

ブルターニュへ来たので、ガレットを食べたい。
パリでも、日本でも食べられるガレットであるが、地元で食うことに意義がある。
ガレット
地元だからかどうか?ラザニア風のガレットも存在。
ハムチーズなんかが入っているわけだが、これが、また、腹に相当たまる。
薄っぺらいガレットであっても、なめてはいけない。
ジャンボン・フロマージュ(ハムチーズ)は、かなりお腹を満足させてくれる。
ガレット
たらふく食った後、しばらく、もうガレットはいらぬと思ってしまうのである。
そのあたり、あっさり日本食を食べてきた日本人DNAなのかもしれない。
2012.12.23

モン・サン・ミシェルのジャンヌ・ダルク

ノルマンディのジャンヌ・ダルクといえば、ルーアンの悲劇が一番最初に思い出される。
ここ、モン・サン・ミシェルもノルマンディ。
モン・サン・ミシェル
グラン・リューを進んでいくと、左手に教会が出てくる。
ここに、ジャンヌ・ダルクの像。
ここは、戦いの天使、ミカエルの山であるから、ジャンヌダルクは似つかわしい存在であるかもしれない。
聖ミカエルが、いまは、ジャンヌダルクに何を伝えているのか?
モン・サン・ミシェル
フランスはもはや、世界の観光大国となった。
その、頂点の一つに君臨するモンサンミシェルをジャンヌも守護している。
2012.12.22

中華街を行くパリの廃線跡

ナシオナル橋を渡った、パリ環状線は中華街へと入ってくる。
ここが、中華街となった時には、既に廃線となっていたかもしれない。
パリの廃線跡
トンネル部分から、しばしの間、外に顔を出す線路。
この後、また、トンネルへ入ってゆく。
パリの廃線跡
13区の高層ビル街が見下ろすように立つ。
線路脇も、ギッチリと建物が立つ。
いまさら、ここを列車がゴトゴト走れば、苦情ものなのかもしれぬが、ゴムタイヤの電車なら、アリだと思うのだが・・・。
この界隈、外側にはトラム3号線があり、内側には、バス62番が走る。
とにかく混むのだ。
メトロ14号線延伸や、ここを何か走らせたとしても、やりすぎにはなるまい。
パリの廃線跡
高層ビルの手前に、教会が見える。
天主堂と書かれていた。
同じ文字を、ホーチミンでもみた。天主堂。
仏領インドシナ、ベトナム戦争、そういうことも、ちらりと頭をよぎるエリアなのである。
2012.12.21

スターリングラード攻防戦広場からサクレクールを望む

メトロ2号線、スターリングラッド付近。
ここは、メトロ5号線と7号線も通っている、乗り換えの難所。
結構歩かされるのである。
頭上を通っているのが、中環状とも言えるメトロ2号線。
内環状は、メトロ8号や10号、中環状がメトロ2号線と6号線、外環状は、現在延伸中のトラム3号線とバスPC。
パリの道
19区をぶらりしにきた拠点、ここから、サクレクール寺院がのぞいていた。
メトロ2号線は、このサクレクール寺院下ともいえる、アンヴェール駅も通過する。
パリの道
18区が本拠地のサクレクール寺院ではあるが・・・、
17区の通り越しに見えるサクレクール。
9区の通りの間から見えるサクレクール。
5区のポール・ロワイヤル付近から見えるサクレクール。
シャルル・ド・ゴール空港からパリに到着する時に見えるサクレクール。
これらもいいのだが、このメトロ越しもなかなかかわいらしいアングルなのである。

2012.12.20

ヴィルフランシュ・シュル・メールの海辺にて

街をブラブラ散策したあと、そういえば、この街の顔とも言える海沿いの写真が無いなと、船着場?へ出る。
海の写真と道の写真と教会他の写真はあるのだが、そういえばない。
どうも、人は、海の方ばかり見てしまうようだ。
ヴィルフランシュ・シュル・メール
寒い時期ではあったけれど、海辺にレストランのテーブルが出ていた。
これが熱い夏なら、人で撮れないかもしれないが、冬なら、フランス人とはいえ、外で食事をする人は、さすがにそういない。ポインセチア?と海のブルーとテーブルの白がフランス国旗のコントラスト。
ヴィルフランシュ・シュル・メール
この後、さすがに寒い。
カフェにて、長めの暖を取る事に。
2012.12.19

モレ、ロワン川沿いにて

モレの町を突っ切って、川沿いに出る。
渡ると、ちょっとした広い場所が。
対岸に並木。
橋の向こうには、教会が見えるのだけれど、それだけパチリと撮っても、散歩ではなくて旅行写真になってしまうので、散歩らしく別の方角へ。
モレ・シュル・ロワン
丁度、白鳥?親子が、水辺で一休み中。
雨が今にも降り出しそうな中、鳥の親子も散歩中なのだ。
2012.12.18

Square de Montsouris スカール・ドゥ・モンスーリ

パリ14区のモンスーリ公園脇の通りをいくつか紹介してきたが、今回は、その中でももっとも有名な通り。
スカール・ドゥ・モンスーリ。
私道である。
パリの道
石畳の坂道は、そのまま抜けてゆける。
公園に近く、駅から遠くなく、近くにはトラムも止まるし、バス便もあるという、ある種最高の住環境。
パリの道
そんな、美しい建物とつたの絡まる御屋敷街を通り過ぎると、目の前に、ガラスのアトリエ窓みたいなものが見える、一風変わった建物が目に飛び込んでくる。
これが、コルビュジェ設計のアトリエ・オ・ザンファン。
パリの道
コルビジェであろうが、なかろうが、アトリエ風の大きな高さの窓の内側はきっと太陽の光が降り注ぐのだろうと思うと、ちょっと、その陽だまりでコーヒーでも飲んでみたい気がしてきます。
2012.12.17

ギャンガン駅前にて

コート・ダルモール県というのは、ブルターニュの中で、もっとも、日本人に人気薄なところかもしれない。
アルモールが母音で始まるため、コート・ドゥ・アルモールでが、コート・ダルモールとなるわけである。
そのアルモールは、アルモリカ(ブルターニュ界隈の古い地名)からきているのだろうか?
ブルターニュはケルト、ガリアとのつながりの強い地域である。
ギャンガン
そのなかにある、ラニオンLannionという町を拠点に、フランスで最も美しい海岸と言う割れるピンクの花崗岩海岸を散策しようと企図したのである。
モンパルナスからTGVにのって、降り立った町が、ここ、ギャンガンGuingamp。
ここからバスに乗ってラニオンへ向かうのだ。
意味無く、駅前の写真を撮っておくが、何の変哲も無い写真も、写真を撮影した本人には記憶として残るもの。
10人で旅行しても、写真を撮らなかった残り9人は、途中の目的地でもなんでもない、どこにでもありそうな風景など、記憶に残らないということもあるのである。
ギャンガン
ラニオンへは、鉄道路線も走っている。
帰りは、その国鉄に乗って戻ろうと思っていたため、ラニオンの駅で、調べた鉄道の時刻を言って切符を買おうと思ったのであるが、なぜか、バスに乗りなさい!ということに。
なぜかは分からぬが、それも縁であろうとバスに乗ることになったため、ここから、この緑の電車に乗ることは無かった。
ラニオン
次訪れる事があれば、これに乗ってやってくることにしよう。
2012.12.16

モン・サン・ミシェル Grande-Rue

モン・サン・ミシェル登頂の表参道、Grande-Rue(グランド・リュー)。
グランドというから、大通りであるが、メインストリートではあるものの、幅広通りではない。
上の看板を撮ってみたのだが、ご覧のとおり、左右から建物が迫る。
そして、そのなかに、違和感のあるキティちゃんがいる。
いやいや、キティちゃん、フランスでも人気キャラなのである。
どこまでも浸透している日本なのである。
モン・サン・ミシェル
経済は二位だ三位だなんて話もあるが、治安、交通、その他文化、教育も含めたら、だいぶ前から日本は世界ナンバーワンの国になっているのである。
決して世界第二位以下ではない。
だから、目指すものが分からぬのだ。追いつけ追い越せ!追い越したら、行き場所がわからないのだ。
失われた20年というが、失われた20年は、我々が知らずに世界一に君臨した20年であったのかもしれない。

自問自答、日本問日本答して、未知なる先、世界に知らず知らず発信してしまう、すばらしき国づくりのための政治家選びが今回の選挙なのかもしれない。
2012.12.15

パリの廃線跡 ブールヴァール・マセナ駅だったろうか

プティット・サンチュールの13区の東端。
セーヌを渡ったところにある駅跡であろう。
オルレアン・サンチュール駅であろうか?
現在も建物は、何かしらに使われているようで、SNCFの看板がかかる。
パリの廃線跡
ピンク色のレトロモダンな建物は、取り壊してしまうには少々寂しい。
現在、フランソワ・ミッテラン国立図書館駅ができたため、なくなってしまった、RER-C線のブールヴァール・マセナ駅の駅舎だったのかもしれぬ。
もっとも、ここに駅舎があったような記憶はなく、吹きっさらしのホームがあったような記憶しかない。
あれも、もう20世紀のことだ。

いまは、ただ、青空に映えるピンクの駅舎が、パリ環状線プティット・サンチュールとオーステルリッツ駅から伸びている線路との交差点に、ひっそりと建っている。

仮にオルレアン・サンチュールという駅も、このあたりだっとして、メトロ4号線などがあるポルト・ドルレアンからは少し外れるのであるが、Aqualysという、オルレアン、トゥール方面のパリ・オーステルリッツ駅発急行列車が、この脇を今も通っているのだ。
2012.12.14

フランドル大通りのカーテン

19区を真ん中で南北に分断する、サンマルタン運河。
その北側のメインストリートというべき、フランドル大通り。
パリの中でも、幅の広い通りの一つであり、中央に並木の歩道がある珍しい通りだ。
その、もっとも中心部よりの話。
パリの道
このエリアは、新しい建物が並ぶゾーンであるのだが、結構奇抜なたてものが多い。
そのなかの一番手として存在しているのが、このガラスの建物。
なかのカーテン?が印象的であるのだが、それを模様替えすれば、建物の外観も変わるということなのかもしれぬ。
パリの道
先日も日本では地震があったのだが、日本と違って地震の無いパリ。
こうした建物を見るたび、そんなことも思うのである。
2012.12.13

ヴィルフランシュ・シュル・メールにて

駅を降りると目の前に鄙びた海が広がる。
岩肌を沿うように町へ入ってゆく。
路地を抜けると、中心地にでる。
2階広場のようなところで、蚤の市を開催していた。
目の前に、オレンジのウェルカムホテルと、黄色のコクトーのサンピエール礼拝堂と青い空。
ヴィルフランシュ・シュル・メール
こうしたところで、掘り出し物をと言うのも良いのだが、いくら?と聞こうにも、商品は飾られているものの、店員さんらしき人はいない。
どこかで油を売っているのだろう。
そうあくせく物売りしなくてもいい。時間はゆっくり流れている。今日一日長いのだから。
2012.12.12

モレ・シュル・ロワンへようこそ

駅から歩いてやってきたモレの街。
ここを通り過ぎて、橋も通り過ぎると、植栽でモレの町の名前が。
MORET S/ LOING
S/というのは、SURの略。
モレ・シュル・ロワン
SUR(シュル)は英語でいえばON。
on the Riverといえば、川沿いのという意味になる。
MORET ON THE LOING RIVERと言えばよいか?
ロワン川沿いのモレというのが町の名だ。

このSURという単語はS/で略されることも多いのだが、とにかく、川が主要幹線だったため、この単語がつく町がフランスには実に多い。

ゴッホの町、オーベル・シュル・オワーズもオワーズ川沿いである。
海沿いもシュル・メール(メールは海の意味)となる。地中海沿いの町の名前に多いのだ。

ちなみに、フランスは最後の子音を発音しない。
だから、MORETはモレ、LOINGはロワン。OIとなるとワと発音するのでロインとはならぬのである。
2012.12.11

Rue Cantagrel カンタグレル通り 救世軍

パリ13区。
中華街とセーヌの間のガール地区。
しかも、線路脇という、用事がなかなかなさそうなエリアに、コルビジェの建築物が立っている。
救世軍の本営らしい。
パリの道
カラフルなのはコルビジェが作った後に変えられた部分らしいのだが、それにしても、コルビジェ云々より、このカラフルな建物は一体なんだ!と思わせるインパクトであるのだ。
パリの道
日ごろから探す、自転車ネタを早速見つけて撮影。
この建物は巨大であるので、シュヴァルレ通りにも面していて、そちらも、このカラフルな色使いになっている。
パリの道
それにしても、この13区、ミッテラン国会図書館のような最近出来た建物ばかりでなく、巨大冷蔵庫フリゴとか、救世軍とか、いんしょうてきな巨大建築が多いゾーンではある。
中華街のお隣のガール地区も、また、場末感一杯で、乾いたパリらしい地区なのだ。
2012.12.10

サン・ジャン・ド・リュズ 寸景

ルイ14世広場。
観光スポットの中心的存在だ。カフェが何店舗もあって、緑もあふれる休憩場所でもある。
背後には、王の家があり、正面の道を歩いてゆけば、海へ出る。
サン・ジャン・ド・リュズ
海へでてくるには、少々上り坂、または、階段になる。
登ると、そこはビーチを目の前にした高台になっていて、その上をずっと散歩できるようになっている。
ビーチからその通りを挟んで、建物が並ぶが、ホテルだったり、別荘だったりするのだろう。
大西洋、湾を望む絶景位置に並ぶ家々なのである。
サン・ジャン・ド・リュズ
高級リゾートの高い宿には泊まれないから、ここに宿泊するといっても、海の見えぬ、町外れになるが、それでも、この町は観光地だけに宿は多い。
海バスクもスペインバスクも山バスクもいける基点にもなりうる街だ。
2012.12.09

モン・サン・ミシェルでファー・ブルトンを食らう

モン・サン・ミシェルといえば、オムレツの話ばかりだ。
その系列のお土産、ホテルと沢山並んでいる。
いまや、僻地の観光地ではない。
観光路線地図と言うものがあれば、パリとモンサンミシェルがこれほど太い線でつながれた歴史はかつてあるまい。

三角形の建物を見て、チケットを買って中に入って、ぐるりとめぐり、お土産を買い、オムレツを食う。
モンサンミシェルのオムレツは、いまや峠の釜飯状態である。
そして、下山して、お土産を人数分そろえる。
バス駐車場となった、対岸のお店も、最後の買い忘れお土産を手に入れる準聖地と化している。

だが、全ての人が、三角形の山の思い出とオムレツを食いたいばかりではあるまい。
安い!と思って中に入ったら、結果、何十ユーロもとられるということは避けたい、貧乏旅行者もいるはずだ。
折角来たのだから、オムレツも食わなきゃ!というお金持ち旅行者はさておいておこう。
貧乏旅行者も、なにもスーパーの美味しくも無い10個とか8個入りのパンオショコラ、パンオレをリュックに詰め込んでモモン・サン・ミシェル・バス巡礼に出かけることも無い。
それなりの食いものなら、モン・サン・ミシェル内表参道グラン・リューに用意されている。
モン・サン・ミシェル
クレープやらサンドイッチを買うことも出来れば、クイニーアマンや写真のFar Breton(ファーブルトン)を、モンサンミシェルの城壁の寄りかかりながら食べる事も出来る。
クレープも、ガレットも、クイニーアマンも、ファーブルトンも、ブルターニュの食い物だ。
オムレツばかりがご当地物なのではない。

ただし、ここは、クエノン川の手前。ブルターニュじゃなくて、ノルマンディーですけれど、そんな細かい事は。
甘党の私は、クイニーアマンが大好物。
でかい円形のも売ってますが、買っちゃって、食っちゃうんですよ。
2012.12.08

Pont National2 ナシオナル橋のプティット・サンチュール列車止め

先日載せたナシオナル橋の写真をもう一つ。
車止めの位置から察するに、列車は川上で停車する。
橋を架けてスペースを確保すれば、土地代はかからないということか?
それとも、一時待機所か
パリの廃線跡
セーヌに架かる橋のなかで、最もうら悲しい橋、ナシオナル橋は、恋人が南京錠をするポンデザールとも、歌になったミラボーとも、豪勢なアレクサンドル3世橋とも、新橋こと映画のタイトルにもなったポンヌフとも違った、パリの一面が橋の上に乗っかっているのである。
2012.12.07

パリのカフェのガラス

パリのカフェといえば、ガラス張り。
なかが丸見えであるが、中からも外が丸見えであるがために開放感にあふれている。
夏になれば、そのガラス戸を回転させて、中も外もつながるさらに開放感あふれる構造に。
冬は締め切るわけだが、ちょっとオシャレなカフェでは、ビニールシートのようなものに囲われた、ストーブ付きのテラス席ができる。
一般的には、ご覧の通り、ガラスで区切られるだけだ。
パリのカフェ
そのガラス、実は、中が完全に丸見えにはならない。
なぜなら、広告がところ狭しと貼られるからだ。
広告というのかポスターだらけで、しかも、どれもこれも、古いポスターを貼ってあるわけじゃなくて、直近の情報がいろいろ張られているのである。
かっこよくしようとスモークにしたり、窓をふさいだりしない。
カフェは、カフェとして屹立するのでなく、街のカフェとして存在している。だから、入りやすく、街に溶け込み絵になるのである。

カフェののガラス窓は、広告スペースなのだ。
乱雑に貼られているから、つい見てしまうということもあるし、一つの街の情報源。

日本にありそうで、こういうガラスとポスターの構造のフランスなカフェはあまりない。
2012.12.06

モナコ駅にて飲み込まれる人々

モナコといえば、フランスではない。
もちろん、そうなのであるが、帰宅ラッシュ時間になると、モナコの駅に人があふれる。
空席を探して、慌てて座る姿は、パリといっしょというより、東京のようだ。
それだけ多くのフランス人を雇用しているということになるのだ。
ニース方面行ホームであるから、ニース界隈からモナコへ出勤して来る人がとても多いのだろう。
モナコ駅
列車がくると、多くの人を飲み込んでゆく。
そして、誰もいなくなった、黄金の輝きを見せるホームに、次の列車までにまた、人だかりができるのである。
モナコ
我々が、会話した、モナコの人は、実はフランス人であったなんてことの方が圧倒的に多いのかもしれない。
モナコがフランスの一部にならずにモナコのまま存在した方が、フランスにもたらす経済効果が大きいのではないか?とすら思える光景なのである。
モナコがフランスとは別の国であるという”限定条項”が、どれだけの観光客を生み出すことか。
ニース、ローマ一週間の旅は、実は、ニース、モナコ、ローマ、バチカン4カ国訪問になるかもしれぬのである。
2012.12.05

モレ・シュル・ロワンの屋根

モレの街にようやく到着。
門をくぐってメインストリートへ入ってゆく。
たくさん撮られたであろう町並みの上のほうだけ、ちょっと拡大。
パリなんかと違って、大分豪勢な煙突が並ぶ。
モレ・シュル・ロワン
商館たちなのであろうか?
ナポレオンがエルバ島を脱出し、ここへ、1815年3月19日から20日にかけて泊まったと案内板にも書かれていた。

宿の主人は、帝位にお戻りあそばされましたら、そのときには是非、いろいろと便宜を・・・と言ったかどうか?
ナポレオンが、ここから出発するとき、パリは指呼の間にあり!と言ったかどうか?

街の真ん中にある広場で、そんな事を考えて立ってみるのも良いかもしれない。

2012.12.04

Place de la Reunion レユニオン広場にお集まりください

レユニオン広場は、パリ20区の中ほどにある。
20区最大にして、唯一かも知れぬ観光名所ペールラシェーズ墓地の南側だ。
パリになる前は、この辺りであるから、シャロンヌ村であったろう。
そこの集会所である。
レユニオンというのが、集会とか、会議とかという意味だ。
われわれ日本でも行われる、上司が通達するだけのための会議室集合もレユニオンである。
レユニオン広場
その、レユニオン広場に集まっていたのは、ゴミ箱たちであった。
このサイズのゴミ箱であるから、結構大きなマンションのゴミ箱たちか?
ゴミ袋つけて移動できる手押し車は、始めてみた。
まるで、スーパーのカートである。
2012.12.03

サン・ジャン・ド・リュズ港

海辺の散策で楽しいのは、カラフルな船を見ること。
とにかく、こちらの船というのは、派手。
何かあった時、目立つようにということなのかもしれないが、バスクに限らず、南の船の柄はかわいらしく派手なイメージである。
サン・ジャン・ド・リュズ
スペインバスクといえば、サッカーが盛んであるが、フランス側では、ラグビーが盛ん。
海に鍛えられた体と遺伝子が、ここのラグビーの影響しているのかもしれない。
サン・ジャン・ド・リュズ
フランスは分権的ではなく、中央集権的である。
ではあるが、各地方とも、全く違った顔を持っている。
フランスというくくりで観光してしまうには、あまりにもったいない観光資源が地方に息づいているのである。
2012.12.02

ポントルソン・モンサンミシェル駅経由でモンサンミシェルを目指す

モンサンミシェルへ行くには、いろんな手段がある。
パリからバスツアーで行く。
レンヌやドルまでTGVで行き、そこからバスに乗る。
レンタカーを借りて、一路モンサンミシェルを目指す。

個人であれば、ドル、レンヌからバスでという人が多かろう。
また、鉄道好きなら、ポントルソンというモンサンミシェル最寄国鉄駅を目指す方法もある。
そこから、バスが出ている。
ポントルソン
ポントルソンへ到達するには、二つのルートがある。
レンヌまでTGV。サンマロ方面行きの国鉄に乗り変え、ドルでさらに、カン行きなどに乗り換えていく南まわり。
カンまで国鉄で出て、そこから、ドル行きに乗ってポントルソンを目指す北回り。
朝一番ででるのなら、北周りがお勧めだ。
ポントルソン
上の写真はポントルソン駅から、アヴランシュ方面を眺めたもの。

たとえば、ドルからバスに乗ってモンサンミシェルを目指すのであれば、バスの左側がいい。
途中モンサンミシェルが見られるからだ。

カン経由で、行く場合は、カンから列車の右側に陣取るのがいい。
バイユーであっても、クータンスであっても、右に町が見えるし、モンサンミシェルも右に何度も見える。
ポントルソン
そんななか、最もお勧めは、カン経由の列車をアヴランシュで降りて、アヴランシュの町から、モンサンミシェルを眺めた後、アヴランシュからバスに乗ってポントルソンを目指すルートだ。
面倒くさいだろうが、これがなかなかの景勝なのだ。
ポントルソンを目指す線路より、道路の方が位置が高いため、モンサンミシェルが見えるの回数が圧倒的に多いのである。
もちろん、アヴランシュの丘から下ってゆくときも、モンサンミシェルを”完全に”一望できる。
ドルからのバスでも、モンサンミシェルは見えるが、アヴランシュからのバスから見られるモンサンミシェルの回数は、断然多い。
ポントルソン
上の写真は、ポントルソン駅から、ドル方面を眺めたもの。

アヴランシュからポントルソンまでバスでやってきても、鉄道でやってきても、ここ、駅前からモンサンミシェル方面行きのバスに乗ることになる。

ここは、ポントルソン駅であるが、駅名表示板は、ポントルソン・モンサンミシェルなのだ。
そう、モンサンミシェル駅なのである。