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2012.11.30

チャイナエアラインとタリスで行くパリ8  フランクフルトから台北経由で

フランクフルトを後にすると、行きのアムステルダム行きとはちがって、台北へ一直線。
帰りのこの飛行機の楽しみも機内食である。
欧州にいる間、あまり食べていなかったライス系。
こればかり食べる。
チャイナエアライン
お肉を選ぶというより、米を選んだという機内食であるが、おいしかったという感想。
目インディっシュを除けば、どのエアラインも変らぬ気もするが、メインは機内食にしてはおいしいというに充分なレベルだろう。
チャイナエアライン
ロンドン、アムステルダム、フランクフルト、ローマ、ウィーンと飛んでいるから、フランスのどこへ行くか、どこの地方へよっていくかによっては、格安航空券をチェックしてみるのもよさそうだ。
パリへ行くのには、パリへ飛ぶという手立て以外もあるのである。
チャイナエアライン
また、チャンスがあれば、アムステルダムの一日観光付きにして、パリへ向かってみたい。
ベトナム航空でハノイ、ホーチミン、トルコ航空でイスタンブールなどなど、経由地を楽しむのもそれはそれで楽しいのである。
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2012.11.29

モナコ F1コースを歩く

モナコといえば、帽子のような岩と、山肌に張り付く高層マンション群である。
写真にしてみると、意外と赤っぽい建物が多いのだ。
まるで国旗カラー。
モナコ
以前訪れたときは、F1コースをヘアピン、トンネル、プールサイド、ラスカスと歩いたので、今回はカジノから逆方向、ボーリヴァージュを歩いてくだる。
モナコ
Beau Rivageボーリヴァージュというのは、美しい海岸通りということなのであろう。
歩いていても、転げそうな坂道を、F1カーは何度も何度も登ってくる。
赤い水と言う名のオールージュというベルギーグランプリの坂ほどではないものの、ここも中々。
2012.11.28

モレ・シュル・ロワン  モレ散歩2

さてさて、雨の中、ブラブラ歩いてゆくと、パリではなかなか見かけないRuelle(リュエル)を発見。
Rue(道)の細裏通り版である。
その看板を見つけたので、すかさず一枚。
モレ・シュル・ロワン
確かに、道は、獣道のごとく、細長く続いている。
自転車一台通れるかどうか?
まるで、用水路の上をフタして暗渠にしたようなカーブを描く道。
モレ・シュル・ロワン
さらに歩くこと、10分弱だったか?
町の門が見えてきた。
モレ・シュル・ロワン
左に行けば、ロワン川が流れて良そうな標識も見えるが、とりあえず、街中へ向かう。
この目の前に観光局があった。
2012.11.27

Rue Linne リネ通りの泉 Fontaine Cuvier キュヴィエ泉

パリの5区。文教地区。
メトロ7号線、Jussieuジュシュー駅のすぐ近くを通るRue Linneリネ通り。
駅から、ここをまっすぐ南下してゆくと、パリ植物園の裏の入口に出る。
その入口の対岸に、泉の彫刻を見ることができる。
パリの道
ヴィーナスとライオンの下には、魚介系の怪物?達が抑え込まれている。
ちょうど、植物園に、自然史博物館があるが故、ここにこうした彫刻があるかのごとく存在しているのだ。
パリの道
植物園の裏手であるから、ちょうど、パリのモスクのある界隈だ。
写真を見ると、遠くには、ジュシュー駅前のパリ大学の建物も見える。
19世紀の泉の彫刻が、ありふれた交差点にデンと構えている。
2012.11.26

サン・ジャン・ド・リュズ 道々散歩

サン・ジャン・ド・リュズをぶらぶら歩く。
レピュブリック通り、レオンガンベッタ通り、サン・ジャン通り、レピュブリック通りなど、中心にぶらぶらショッピング散策できそうな通りは多い。
サン・ジャン・ド・リュズ
バスクの靴にエスパドリルという靴があるのだが、これのお店もある。
別に、パリや、日本などで販売される、おしゃれな靴というわけではなく、つっかけ感覚ではけるような安いものもいっぱい売っているのだ。
観光客も、これを気軽に買って、そのまま気軽にはいて散歩を楽しんでしまう人も結構いる。
買ってお土産にせず、その場で楽しんでしまうのも欧州流なのかもしれぬ。
サン・ジャン・ド・リュズ
また、ガトーバスクや、缶に入ったムシュー(Mouchous)などのお菓子の買い食い、EKIと呼ばれるビールをカフェで飲みなどの、食べ物系も楽しみ。
サン・ジャン・ド・リュズ
他では、バスク織製品の、テーブルクロスや、ランチョンマット、鍋つかみやトーション、バッグなど目移りする商品も多い。
サン・ジャン・ド・リュズ
フランスとひとくくりで行った行かないの話になるけれど、バスク、ブルターニュ、アルザス、コートダジュール・・・。これらの顔はそれぞれパリとは全く違った国のような様相を見せる。
国の形が行政単位でしかないと感じられたりするのである。
サン・ジャン・ド・リュズ

2012.11.25

アヴランシュの城壁内散策

10世紀半ばに建てられたアヴランシュ城。
その当時の城壁であるかどうかはわからぬのであるが、観光局の裏側一帯がお城になっており、そこを囲んでいたのだろう。このお城のドンジョンには登れる上、モンサンミシェルが眺められることは、既に紹介したとおりである。
アヴランシュ
ここが戦略拠点であることは、つい先ごろの大戦でも米軍がここを目指したことではっきりしている。
10世紀といえば、ヴァイキングがフランスを攻めたてていた時代。
911年にできたノルマンディ公国を守るため、ブルターニュ、アンジュー地方へのにらみを利かせていたのだろう。
アヴランシュ
この城壁内にあたる街をぶらぶら散策する。
ちょっとした丘になっているから、坂道になっている。
そんな戦略拠点と裏腹に、物静かな散策エリアになっているのだ。
アヴランシュ
このノルマン人が英国王になる。

跡継ぎの娘マティルダが、ここのすぐ南にいた、アンジュー家のジョフロワ4世と結婚することになる。
英国王が、ノルマンディと同時にアンジュー地方も手に入れた瞬間なのである。

このカップルの間に生まれたヘンリー2世が、さらにその南のアキテーヌ公国のアリエノールと結婚することになる。
英国王がノルマンからアンジュー、アキテーヌとフランス半分を手に入れた瞬間なのである。

して、その子ライオンハートことリチャード1世が、ついにフランスと100年戦争を戦うことになるのである。
その数百年後、フランスを救うジャンヌダルクの出現と歴史は流れてゆくのである。

そういえば、ライオンハートをフランス語でいえば、クードゥリオンCoeur de Lion。ノルマンディの有名チーズの名前である。どこまでもノルマンディなのである。
2012.11.24

Pont National ナシオナル橋のパリ環状線廃線跡

セーヌを渡る風。
セーヌの上を走るパリ環状線廃線跡を渡る風。
パリの中では、高速を除けば、ここか最もセーヌ上流にあたる橋である。
ここより、さらに上流に向かうと、以前紹介した、イヴリーのショッピングセンターや、マルヌ川分岐点付近の歩道橋などが存在するのである。
同じように上流に向かうと、ベルシー公園から国立図書館方向へ渡るトルビアック橋があり、まるでこの橋を挟んで、イヴリーの歩道橋と対をなすように、セーヌで最も新しい橋、シモーヌ・ボーヴォワール橋があるのである。
パリの廃線跡
さて、セーヌを渡るプティット・サンチュール(パリ環状線)もこのあたりをガタゴトと渡っていたのであろう。
その頃は、いま見えるような、近代的なきれいな建物が並ぶ、現代チックな画ではなく、イヴリーのように、雑然とした倉庫街などが見えていたのだろう。
写真左は倉庫地帯のガール地区。写真右はワイン倉庫のベルシー地区。であったのだから。
いわば、ここが、パリの物資の入口だったのだ。

線路跡へは、柵で入れないから、柵の間から、カメラで一枚。
左岸が13区。右岸が12区である。

コンクリート、廃線、川。パリという街は乾いている。
ジャック・ブレルでもいい、イーグルスでもいい、ユーミンでもいい。
モノクロームか、風を感じる曲を耳にしながら、廃線を渡る風を感じたら、少しだけ、心の何かも流されるかもしれない。
2012.11.23

チャイナエアラインとタリスで行くパリ7 パリからストラスブールを経てフランクフルトへ

パリからフランクフルトへも格安の新幹線チケットは出ているが、同じ格安チケットで、ストラスブールを経由してフランクフルトへ。
席数は限りあろうが、アルザスへも、フランクフルトへも数千円から5千円程度のチケットも手に入る。
早めに予約して、安い新幹線チケットを手に入れることが、アムステルダムやフランクフルト経由のエアラインを利用する際の最重要項目だ。
そうでなければ、パリへ格安の意味合いが薄れてしまう。

ストラスブールの駅前は、ガラスのケースの覆われて近未来的な雰囲気に変貌していた。
ガラスの向こう側に、依然のストラスブール駅舎が見える。
地下には、トラムがやってきており、随分とトラムの路線も整備されてきている。
チャイナエアライン
ストラスブールから、TGVに乗ってフランクフルトへやってくると、赤い車体が目立つ。
ドイツ国鉄の色、赤が印象的なのである。
空港へは、地下のSバーンで移動。
空港に着いたら、バス乗り場へ行くのだが、外出て左、ずーっと端の方に、ホテル行きの無料バスなどが出ている。
チャイナエアライン
フランクフルトの空港のイビスホテルに宿泊したのだが、このホテルの目の前にスーパーが2店舗。
周りになにもないところだから、ホテル併設のレストランも繁盛。そこで、ソーセージを旅の最後に食う。
チャイナエアライン
フランクフルト駅でも食べたばっかりなのだけど。

2012.11.22

モナコ カジノ前にて

エズからバスでモナコに下りてくる。
バスを降り、カジノ前の公園に入って噴水越しにカジノを見る。
モナコ
カジノの前のミラーも、のぞいてみれば、カジノ自身が見えている。
どこからみても、カジノが映るのだろう。
モナコ
自分にとって、場違いのモナコにいても、ただ、一カ国行った国が増えるだけである。
であったとしても、ちょっとのぞいてみたい国なのだ。
どこの国の人も、ここで、写真を撮っておく。
もちろん、自分も、写真の中だけのカジノである。


2012.11.21

モレ・シュル・ロワン  モレ散歩1

午前中雨が降る中、モレへ向かった。
写真が撮りにくい事を除けば、雨であっても、雨らしい風景と出会えるのでそれはそれでいい。
もっとも、パリなぞ、雨は多いし、曇りは多いし、突き抜ける青空こそ、パリらしくない。
そう、言い訳をしつつ、散歩へ向かう。
モレ・シュル・ロワン
モレ・ヴヌー・レ・サブロンの駅は列車の分岐点になっている。グレの町や、ヌムール方面行きと、陶器で有名なモントロー方面に分かれる。リヨン駅から、ヌムール行きでも、モントロー行きでも、ここまでは一緒だ。
モレ・シュル・ロワン
駅の前は殺風景な駐車場が続く。
ところどころ水たまりが出来て、歩きづらいし、靴は汚れる。
テクテク歩いてゆくが、なかなか、モレの町は見えてこない。
モレ・シュル・ロワン
丁度、道端に咲いている花を一枚。
観光写真ばかり撮ろうと思っていると、どこでも撮れる様な写真は撮らなくなっていってしまうのだ。
散歩散歩と言いながら、観光気分を散歩気分にしつつ歩く。
2012.11.20

Rue Castagnary パリの灯台

パリに灯台がある。
あるのは15区の線路沿い。この地域のランドマークといえる灯台なのである。
この線路沿いの通りは、一度紹介してきたカスタニャリー通り。
ここをぶらぶら北上してゆく。
パリの道
灯台下には、船と猟師さんが・・・。
実は、ここ、海産物センターLa Halle Aux Poissons(魚市場)なのである。
パリの道
見かけていたものの、近づいたことがなかったのだが、なるほど、タネ明かしに納得しつつ、そういえば、お台場の船の科学館にもこんな灯台があるなぁと思いつつ、散歩は続く。
2012.11.19

サン・ジャン・ド・リュズの道標

タイルで出来た、サン・ジャン・ド・リュズの道標。
可愛らしいというので、撮ったということもあるのだが、そのネタではない。
以前も載せたことがあるかも知れぬが、VがUという話。
Uと言うのは新しいのだ。
RVE DE LA REPVBRIQVE
RUE DE LA REPUBRIQUE
である。共和国通り。
サン・ジャン・ド・リュズの中心の広場から海へ伸びるレストランなんかの多い通りであるから、観光の訪れれば、必ずと言っていいほど通る通りに違いない。
サン・ジャン・ド・リュズ
そういえば、フランクの初代の王、Clovisクロヴィスも、Clouisと書けることになります。
CLOUISであるから、Cを取ると、LOUISルイになるわけです。
関係あるのかどうか?

ヴェルサイユ宮殿のルイ14世にも、ノイシュヴァンシュタイン城のルードヴィッヒ2世も、クロヴィスにあやかった名前だったりするのかもしれません。
2012.11.18

アヴランシュの Les Enluminures(彩色文字)

アヴランシュの街中をぶらぶらしていたら、どこかで見かけたような彩色文字が壁に書かれている。
ここは、手書き文字博物館?らしい。
その見かけた場所は、モン・サン・ミシェル。
アヴランシュ
天井からぶら下がっていた、オブジェが、これらの装飾されたスクリプト体であったのだ。
モンサンミシェルから依頼?された本に装飾されている文字のようだ。
アヴランシュ
高校生のころ取得したパスポートのサインを、花文字アルファベットにしたのである。と言ったって、ただ、ぐるぐるととぐろを巻いたような文字なのであるが。

ところが、これ、サイン時にとんでもなく大変。
手がつる思いでトラベラーズチェックにサインしたことを思い出したのである。
余分なことはするものではないですね。とは思うが、これ、生まれつきの物。
余分なことをしようと考える性格は、現在も引き継がれているわけです。
大人と子供の境なんて、ありやしない。
蛇足にこそ夢がある!なんて考え方もありかもしれません。

2012.11.17

モナコの郵便ポスト

連日で郵便ポストシリーズ。
モナコにあったポストは、なんとも品があるのだが、カラーも国旗カラー。
大きな封筒がねじ込まれる事はなさげで、ちょっとした葉書か封書が投函されるべきものっといった佇まい。
ここの街の人は余裕がある。
あるから、あわてて、大きな封書をポストにねじ込まなくてはならぬ事態に陥らないものと見える。
モナコ
この国のポストの雰囲気だけが違って見えるのは、街の雰囲気というより、そのデザインにありそうだ。
赤と白。
その、赤の色が鮮やかなのだ。

この国で行われるF1レースの縁石の色ですら、モナコの為にそうしたのではないか?と思わせる組み合わせである。
シンガポールもインドネシアもポーランドも国旗似てますが。
カラーだけなら、日本も、カナダもそしてトルコも同じではありますなぁ。
2012.11.16

アムステルダムの郵便ポスト

各国のポストの写真を撮っているので、今回はアムステルダムを。
背景の風景を入れても良かったのだけど、あえて、アムステルダムのトラムが来るのを待って。
アムステルダム
アムステルダムは赤いんですな。そして、ミラノもそうだったけれど、横長。
日本のポストに比べると、重量感はなく、コケティッシュな感じ。
ここでも落書きがあるけれど、日本は落書きの少ない国なのだと改めて思う。

したがって、落書きを見ると、日本の観光客は、イコール治安が悪い!と感じてしまうようだ。
もっとも、花の都パリは、落書きの都なのでもあるのだが、そうしたところは観光ゾーンでないから、花の都のイメージは、そんなに崩れないのかも知れない。
2012.11.15

Boulevard Poniatowski ポニャトフスキー大通りのパリ環状廃線

12区。リヨン駅から出た列車が線路を幾重にも重なる。
膨大な線路の上を、殺風景な大通りが下ってゆく。
その脇を、パリ環状廃線も平行して下ってゆく。
近未来的なフランス国鉄の工場?のような建物も見えたりするのだが、パリでも有数の場末感漂うエリアである。
パリの廃線跡
くだりきったところにポツント残された建物。
どうやら、パリ環状線用のぽいんと切り替え用の建物らしい。
落書きされたその建物は既にオブジェとなっている。
パリの廃線跡
少し隙間があれば、環状線の線路を覗くことも出来る。
干からびた枕木に、雑草だらけの線路脇である。
憧れのパリの一風景であるのだ。
この脇も、もうすぐ、新しき環状線、トラム3号線が通過してゆくことになる。
そちらは雑草ではなく、緑のきれいな芝生グリーンベルトであるけれど。
2012.11.14

朝のパリ北駅にて

朝早くパリを出発するために、北駅へやってきたが、まだまだ閑散としている。
世界の大駅であっても、欧州のそれは、新宿や上野とは全く違う。
黄色いライトが、あまりにも旅情を誘うので、一枚。
ピカルディー地方へ出かけるのが目的であったが、まだまだ、時間がある。飯の準備が必要だ。
パリ北駅
北駅にも、食べ物やさんが入っているのだが、北駅から少々あるいて、スーパーかパン屋で朝食を買い込んでくる。
そのほうが、財布にも優しい。
朝早いと、スーパーはさすがに開いていない。

空港行きのバスと駅の売店の値段の高さは万国共通。
いやいや、これも、日本とは違う。日本であれば、駅価格といってもしれている。
2012.11.13

Boulevard Auguste Blanqui オーギュスト・ブランキ大通りのル・モンド本社建物

13区という、中華街を連想させる区に、世界に名をはせるフランスの夕刊新聞ル・モンドの本社がある。
メトロ6号線に乗っていれば、そのロゴと共に世界地図の建物を見た人も多かろう。
なにもシャンゼリーゼにあるわけではないのだ。
パリの道
ブラブラ歩いていると、丁度この通りに出てきたので、近くにあるだろうと探す。
見つけた!と思ったら、目の前にヴェリブが並んでいたので、まさか、ここの新聞記者がヴェリブで取材する事もなかろうとは思ったものの、ル・モンド専用自転車かのように、一枚に収めてみる。
パリの道
名の通った新聞社だけに、ごついイメージがあるのだが、さすが、おフランスの新聞社だけに、何となく壁面?ガラス面もコケティッシュに見え、いかつくはない。
でも、アピールは充分である。
このあたりがどうかはともかく、環状線であるメトロ6号線。
パリ市民、観光客の視認率は高いに違いない。

ここから少し行けば、RERのB線も止まるダンフェールがある。
なるほど、オルリー空港に行くにも、シャルルドゴール空港に行くにも便利と言えばそうかもしれない。
2012.11.12

サン・ジャン・ド・リュズからシブールを眺める

サン・ジャン・ド・リュズからシブールの町並みの眺め。
印象的な教会前のバイオリンみたいな建物は、モーリス・ラヴェルの生家。
この二つの建物のおかげで、この付近の町並みのかわいらしさが増す。
サン・ジャン・ド・リュズ
もう一つ、Fort de Socoaソコア要塞という世界遺産軍事建築物をつくったヴォーバンによって手直しされたという印象的な建物が、サン・ジャン・ド・リュズの海の向こうに見える。
あの建物何?と多くの人が疑問を口に発したに違いない建物である。
サン・ジャン・ド・リュズ
下に見える消防署みたいな、赤い扉がかわいらしいが、望遠で覗くと、かすんで見える。
それにしても、ヴォーバンという男の名、地方へ行けば、頻繁に観光地で目にする名前である。
2012.11.11

アヴランシュの黄色の扉

別にアヴランシュであることは重要ではない。
欧州の街中を歩いていれば、可愛らしい扉に出会うことが多い。
赤、青、黄、白、緑、茶、紫。

日本では、木の家がそもそも主流だったからか?
それとも、人様の目に触れる扉は高級感で覆いたいというアジア的自己顕示か?
色慣れしていない日本人には、黄色や赤となると、突飛な色なのか?
それとも、日本に適合する色は、日本の色であって、こうした、原色欧州的な色は忌避されるのか?

こうした扉を目にする事は少ない。
アヴランシュ
それだけに、こちらの人がどういう感覚でこうした扉の風景を捉えているのか分からないが、こちらは、ついつい可愛らしいと目を惹かれてしまうのである。
見事なまでに、黄色で、デン!と存在されると、こんな扉を開けて中へ入ってゆくとき、ちょっと楽しい気持ちになるのである。
2012.11.10

Rue Ferdinand Gambon フェルディナン・ガンボン通りのパリ環状線の壁

パリ20区の東南のはずれ。
この地区を通過するパリ環状線の高架壁面が続く通りがある。
その脇を固める、現在のパリの主役自動車。
パリの廃線跡
きれいに積み上げられたレンガの壁面と、アーチ型のトンネル。
これを作った人たちの労力を考えると、なんともいえないのであるが、あとどのくらい絶てば、これが歴史的建造物と呼ばれるのかどうか?
パリの廃線跡
この通りには、駅舎らしき建物が見える部分もある。Rue d'Avron駅跡だろうか?
今も走っていたのなら、ここは駅前通りだったわけだ。

鉄の時代の遺産である。
方や、エッフェル塔!として、いまだに世界的観光地として日の光にてらされる鉄建造物もあれば、こうした日陰になるものも出てくるのである。
もちろん、エッフェルさんもこの環状線の存在をしっていたでしょうなぁ。
2012.11.09

チャイナエアラインとタリスで行くパリ6 アムステルダム散策

ゴッホ美術館に訪れた。
一人の画家を一つの美術館で年代別、状況別に分けた美術館であるから、分かり易いのであるが、ゴッホの心の移り変わりが絵の色、絵の技法、絵の描き方にあわられているようで、実に楽しい。
パリへ行ったときは嬉しかったのだな。浮世絵とゴーギャンに出会って縁取りしてみたのだな。サンレミでゆがんでゆく・・・そんな事が感じられる美術館である。
チャイナエアライン
そして、その帰り。
パリへ向かう途中、スキポールに一泊しているだけだから、アムステルダムに多くの時間はない。
それでも、時間通りに事が運べば、それなりに時間がとれる。
トラムにのって、アムステルダム中央駅へ戻ってしまうのはもったいないので、地図を片手に、ブラブラ歩きで中央駅へ向かう。
チャイナエアライン
むろん、同心円状に広がる運河の外側までやってきたから、何本も運河を渡って中心へ向かうのだ。
結構な距離があるが、街を体感するには徒歩が一番。
チャイナエアライン
ただ、赤レンガが敷き詰められているから、足腰には結構つらい。
運動靴でないと、ちょっとシンドイのではないか?
チャイナエアライン
飾り窓エリアに入ってくると、もう中央駅は近い。
この運河沿いを行くのだが、日が暮れてしまわねば、単なる雰囲気の良い通りにしか思えぬ。
絵になりそうなところが多いのだ。
チャイナエアライン
日が暮れてしまえば、様相が一変するのかどうか?
そんなことを確認するほどの体力は無い。
なにしろ、台北、バンコク経由でアムステルダムに着いたばかり。
ゴッホ美術館を見物して、アムステルダムの長距離散歩。
さてさて、駅に戻りますか!
チャイナエアライン
見えてきた中央駅。
豪壮ですなぁ・・・。
空港といい、街といい、”まとまっている”感が、この街の特徴のように思えたのである。
広がっているのではなく、まとまっている感じだ。
明日は空港下の駅から、パリへ向かう。
2012.11.08

サンラザール駅 通勤 帰宅ラッシュ

サンラザール駅といえば、モネの連作で有名な駅である。
三角屋根は相変わらず見る事ができる。
ノルマンディー地方の玄関口であるが、国際列車が来るという駅ではない。
ホームのうちいくつかは、郊外列車専用。
サンラザール駅
駅のホームへ向かう手前、列車が何番線に入ってくるか表示される画面がある。
時間軸と行き先になっているのもと、駅名ごとにならんでいる画面がある。
何行きにのれば、自分の目的駅へ停車してくれるのか?は、駅名ごとの画面を見たほうが分かり易い。
日本と違って、とにかく多分岐する。
しかも、特急、急行、快速、準急、区間快速等々、そういった名前ですら呼ばれないから、行き先だけでは停まるのかどうかも怪しいからだ。
サンラザール駅
そのサンラザール駅の夕方。
帰宅する人々が、自分の乗る列車が一体何番線に入ってくるのか、画面前で見つめている。
何を沢山の人がたむろしているのかというと、その表示を待っているのだ。
そして、表示されると共に、人の波が、そのホームへ動いてゆく。

ラデファンス、サンクルー方面への列車が入ってくるホーム。先のほうまで人人人である。
メトロに乗っているだけでは、あまり感じられない、働いているフランスの人々の日常を感じられる一幕なのである。
2012.11.07

イヴリー・シュル・セーヌ 寸景

新しい建物の多いエリアではあるが、パリ19区のジェオード小型版とも、サビサビ版とも取れる鉄球のオブジェ。
イヴリー・シュル・セーヌ
イヴリー・シュル・セーヌの駅前は、駅前ロータリーに味のある壁面に壁字。
こちらを見ると、新しい街というわけではない雰囲気なのだ。
イヴリー・シュル・セーヌ
実は、駅の東口に、線路が延びている。
今は使われていないので、道路脇の路面の飾りでしかないが、河に着いた荷物を、鉄道本線に引き入れる支線があったのだろう。イヴリーはパリで消化しきれない荷揚げ地であったに違いない。
イヴリー・シュル・セーヌ
場末感漂う場所もあるものの、その線路をずっとたどってゆくと、新しい建物に新しい壁画。
インフラが変化してゆけば、物の流れが変わり、人の流れが変わり、人の営みも変わる。
街の雰囲気もどの時代も一緒なわけではないのだ。
2012.11.06

Rue des Iris-Cite Floral-花のまちシテ・フローラルのイリス通り

先日もお伝えした、13区の南端、14区のモンスーリ公園にもほど近いシテフローラル。花の街。
そのなかの一つの通り。イリス通り。アイリスのことだろう。花の街と名のつくだけのことはある。
パリの道
ここがパリであることを忘れてしまうような、一角なのだ。
なんとなく、パリらしくないような気もする。
なぜなら、ここで、子供達がキャッチボールしていても良さそうな気になってしまうからだ。
キャッチボールといえば、野球。
この国では、キャッチボールを通りでする子供を見かけることはなかなかあるまい。ほとんどが足元に大きなボールを
置いていよう。
パリの道
なんとなく、キャッチボールというイメージ、すなわち、日本的なものを感じる理由は、出来すぎ(作られた感)かそうさせるのかもしれない。
遊んでいるうちに転がり込んだ、黄色のビニールボールを植木鉢の裏にさがしている子供が居そうなのである。

2012.11.05

サン・ジャン・ド・リュズの灯台

サン・ジャン・ド・リュズとシブールの間に港がある。
その港のサン・ジャン・ド・リュズ側に灯台が建っている。
白と赤のかわいらしい灯台で、撮ってくださいと言わぬばかりの存在感。
サン・ジャン・ド・リュズ
ビーチの脇から撮っているので、写真の向こう側の町並みは、シブールのものだ。
灯台とその町の間が、港への通り道になっている。
その通り道は、果たして海なのか?ニヴェル川なのか?

このあたりの灯台は、こうした真ん中が色を塗られたものがいくつかあるようである。
2012.11.04

アヴランシュに司教聖オベールを訪ねる

アヴランシュの街中に、一本塔の教会がある。
Basilique Saint-Gervais d'Avranches サンジェルヴェ聖堂である。
ここに入って右にすぐ宝物部屋がある。
アヴランシュ
アヴランシュは、言ってみれば、モンサンミシェルの本家本元の場所。
そうは言っても、ここを訪れる観光客は少ない。
なにしろ、あの威容を見て、訪れることが目的であるから、オベール司教という存在自体、知らなくても充分感動できるからでもあろう。
パリのモンマルトルのサクレクール寺院と、モンサンミシェルは、真下からと、登った上からテラス写真の最も撮られた教会のフランス双璧であろうと勝手に想像する。
アヴランシュ
モンサンミシェルの中をめぐって階段を下りてゆくと、オベールの上に堂々と立つ大天使ミカエルの彫像がある。
このオベール司教は、多くの写真に撮られたろうが、実は、このご本人様が、このアヴランシュの教会にいるのである。
キリスト教にでなくとも、歴史や写真に興味のある人には、ちょっと寄ってみたくなる街なのである。
2012.11.03

パリの廃線跡  Rue de Charenton シャラントン通りから2

先日のシャラントン通りの風景の西側版。
こちらは広く開けている。
下を走る現在も使われているリヨン駅、ベルシー駅発着の列車の線路の波の上を渡ってゆく、プティット・サンチュール。下を走るTGVの車輌とは好対照の使われていない路線。
それでも、鉄道が引かれたのは、プティット・サンチュールの方が後であるのは、構造上明らかだ。
パリの廃線跡
環状線の脇を渡るもう一本の道路の橋。
この橋の上を現在、プティット・サンチュールの3代目?にあたるトラム3号線が工事中。
2代目は、バス時代のPC(プティット・サンチュール)線である。

写真を見て、ふと思ったのであるが、線路の幅がそんなに広く感じない。
もしかしてフランス通常使用の標準軌ではなくて、日本同様の狭軌?
広角レンズのためなのかもしれませんが。

遠目に見える空の下はビルだらけ。
パリ市内は、規定がうるさく、きれいな街並みになってますが、ここは欧州最大経済圏。郊外側にビルビルビル、アパートアパートアパートなのが分かる気がしますなぁ。
2012.11.02

チャイナエアラインとタリスで行くパリ5 アムステルダムへくりだそう!

スキポールに一泊する事にした。ホテルに荷物を預け、いざアムステルダムへ。
そうは言っても、アムステルダムまでのチケットを買わねばならぬ。
スキポール空港にある観光案内所へ行くと、そこで、アムステルダム中央駅までの往復切符を手に入れる事ができた。
観光局は結構並んでいる。自販機がいいのだろうが、よく分からぬのと、小銭が無いので、結局観光局へ。
写真下は、電車の発車時刻表。
空港にあるが、地下駅の上であるから、空港と言うより、駅の雰囲気。
そもそも、空港らしくない空港なのだ。
チャイナエアライン
地下に降りる。
きれいな車輌の、おそらく値段の高いやつもいるが、黄色い列車に乗ってアムステルダム中央駅を目指す。
つるりとした、きれいな駅なのだ。
チャイナエアライン
中央駅へ到着する。
駅そとへ出ると、トラムがひっきりなしにやって来る。
駅舎は、東京駅を超豪華版にしたような雰囲気。
市庁舎といわれれば、なるほどと言いそうだ。
ちなみに、東京駅の重厚感あふれる雰囲気の方が個人的には空きである。
チャイナエアライン
2番のトラムにのって、ゴッホ美術館を目指す。
目指そうにも、どのくらいの時間で、なんと言う駅に着いたか?なんて分からぬ。
地図で、ゴッホ美術館の最寄り駅手前のトラムがどんな風に曲がるのか?走るのか?
なんと言う通りなのか?
駅名以外にそんなことを調べておいて、街を物色する犯人のような目で、駅名や通り名を探す。
チャイナエアライン
おそらく、ここだ!と通り名他から類推しておりたつと、そこは果たしてゴッホ美術館最寄のトラム駅であった。
もちろん、駅の観光局で地図手に入れてきたから、多少乗り過ごしても、手前で降りちゃっても、歩けばいい!と心に決めているから、なんとでもなるつもりでのっている。
切符は、入り口で運転手から購入。
2012.11.01

Supermarche Uシリーズ U express

フランスのスーパーはいくつかあるが、これも地方でお世話になる事が多いU。
パリ市内もあるが、その他が幅を利かせているから、出会う確立は低い。
Super UとかマルシェUとか、名前は色々あるU系スーパーであるが、ストラスブール観光中にU expressに遭遇。中は確認している暇は無かったが、名前から想像するに、今流行のコンビニ系、シティ系の小型店舗と思われる。
フランスのスーパー
郊外型のでかいオーシャンやカルフールとは違い、カジノ系と同じく、街中で出会うことの多いスーパーだ。
とりあえず通りすがりに、これは写真撮っておこう!と一枚だけ。