2012.09.30

カンのサン・ジャン教会前にて

カンのトラムのレジスタンス駅にて次々発待ちをしていると、ご老人夫婦に声をかけられる。
「CHUはここで良いか?」と聞いてくる。
一瞬何のことか?と思ったら、「病院なんだけど」と。

トラムのA線の駅である事(自分の宿が隣駅だった)が分かったので、「そうです」と答えた。
ただ、この駅はA線もB線も停まる。
A線に乗らないといけないから、次の次のトラムに乗ってくださいねと言おうと、フランス語を考えていたが、とっさに出てこない。

すると、そばにいた地元フランス人らしきひとが、きっちり説明してくれた・・・ようだ。なんと言っていたか分からなかったが、ご夫婦は納得していた。次の次のトラムA線到着まで待って乗っていった。
カン
それにしても、人によく道を尋ねられる。
どうして自分だけと思うほど、よく声をかけられる。
しかし、私の周りの旅行している人皆、道を聞かれる事が多い人ばかりだから、海外では道やお店を訪ねられちゃうことが多いのが普通なのであろう。

トラムに乗る前に、駅前の教会がきれいに見えたので、あわてて一枚。
スポンサーサイト
2012.09.29

カン美術館

ノルマンディの首都カン、カン城にある美術館。

入るといきなりブリューゲルのコケティッシュで細かい絵が迎えてくれる。
あちらこちらの窓に、きっちろ人が描かれている細かい芸当がいい。
ルイ13世の絵もある。ルイ14世、15世、16世ってなると、イメージわきやすいのだが、ルイ14世の父13世は、我々からは縁遠い存在だ。
カン美術館
キリストは青い服が多い。マリアは赤と青。マグダラのマリアも同じく赤と青。
そういわれてみれば、欧州のキリスト教系の国家は青と赤が入った国旗が多い。
カン美術館
ブーダン、デュフィ、モネ、クールベといったノルマンディにゆかりのある画家の絵もある。
馬産地であり、バイユーのタペストリーにあるように、馬と切り離せないノルマンディ。
デュフィの馬市の絵もあれば、ジェリコーの競馬の絵もある。
ジェリコーもデュフィもノルマンディの人間なのだ。
カン美術館
午後から、ゆっくり見ていたら、昼の太陽が西へ去り、あっという間に夕方に。
2012.09.28

バイユーの道標

カンの街から鉄道にてすぐのところに、弟分のバイユーの街がある。
実際、バイユー司教はノルマンディ公国のギョーム2世、英国王ウィリアム1世の弟であったのだ。そんな話が、世界遺産、バイユーのタペストリーを見学するとオーディオガイドで知ることになる。
バイユー
この街は、ノルマン・コンクエストが描かれたタペストリーから、D-DAYの海岸の町など、戦争話に事欠かない。
もちろん、この街の英語率は高い。
博物館でも観光局でも、英語で説明されるし、観光客アメリカ人率も高い。
世界遺産もあるため、日本人数はともかく、日本人率はカンより高いのではないか?
バイユー
そんな街を見下ろす、美しくも圧倒的な大聖堂から、英国人墓地やノルマンディー戦争博物館があるゾーンへ歩いてゆくと、普段他の町では見かけない雰囲気の道標があり、パチリと撮影。
2012.09.27

ノルマンディ・ヴィールのパンダ

ヴィールという街は、第二次大戦の爆撃によって多くを失った街。
街にある教会にも、写真が展示されている。
それでも、ところどころに古い遺構が残っている。戦争の遺骸でもあるのだろうから、二重の遺産ということにもなろう。
ヴィール
そんな街を観光局でもらった地図を参考に散歩してみる。
ルートも終わりに近づいたとき、サント・アンヌ教会の前にパンダが現れた。
こんな物を見てしまえば、条件反射でカメラを構えてしまうというものだ。
いつも、この絵柄ではないようで、法然院の砂絵のヴィール・バージョンというわけだ。
2012.09.26

リンゴの街のリンゴのデザート

リンゴの里、カルヴァドス県の県都にして、バス・ノルマンディの中心、カンにやってきたので、リンゴのデザートを探しにパン屋さんへ。下の写真は、Moelleux au pommes(モワルー・オ・ポム)。
モワルー・オ・ポム
こちらはリンゴの酸味も感じられる、切身の入ったデザート。
モワルー・オ・ポム

下の写真は、Grille aux pommes(グリレ・オ・ポム)。
グリレ・オ・ポム
こちらは、リンゴのクリームがパイ生地の上に塗ってある感じ。
グリレ・オ・ポム
お店によって、味も違うのかもしれぬが、グリレ・オ・ポムのリンゴクリームであれば、Chausson aux pommesのリンゴの酸味が感じられるパイの方がいいのかな?という感じ。見た目は派手なんですがね。
リンゴそのものを食べている感のつよい、モワルー・オ・ポムの方が、個人的には好きでした。

これらをパリのパン屋さんで見かけた記憶はないのだが、ノルマンディの食べ物なのかどうか?わからない。
リンゴの産地であるということで、Pommes(りんご)と書かれたデザートを探してこれらを買い食い。
2012.09.25

ラン駅のボンバルディア

ボンバルディアといえば、日本では飛行機のイメージであるが、フランスの新型TER車輌は、大抵、ボンバルディア社制である。日本の感覚からすれば、なんとも、無駄の多い車内であるが、そのあたりもフランスらしいと言うのか、カナダらしいというのか、外国らしいと言うのか・・・。
フランス人も無駄嫌いのロジック好きであるが、そもそも、無駄という意味合いの捉え方が日仏両国では違うのかも知れぬ。
LAONラン駅
駅に到着したボンバルディア車輌を降りて、ホームを横切る歩道橋に登ると、別のボンバルディアが顔を並べていた。
2012.09.24

ランの蚤の市

地方都市というのは、日曜になると、観光の足が枯渇する。
ランも、日曜はバスが走っていなければ、ケーブルカーも止まってしまう。
1種類だけ、丘を登るバスがあるようではあるが、多くはとまっている。
結局、こちらも、徒歩で登頂。
ランの蚤の市
上へ登ると、昨日とは違って、市役所前ではマルシェの様相。
通り沿いは、今日だけなのか?いつもなのか?分からぬが、ガラクタ市開催中であった。

宿から駅まで、1時間の荷物運びとなった。
2012.09.23

Laonにて

パリの北西、ピカルディ地方にLaonという街がある。
ランという。
ピカルディ地方と言っても、歴史的にはイル・ド・フランス地方に入るし、現在も昔も、近くの大聖堂都市ランスとのつながりも濃い。
ラン
シャルトルや、アヴランシュ、はたまた、モンサンミシェルのように、丘の上に大聖堂の建つ街で印象的である。
肥沃な平野や谷を川がめぐるというフランスにおいては、丘は特別な意味を持つに違いない。
もちろん、軍事的にも。

そんな丘の上の街、ランにて、24回目となるラン・フェスティヴァルが開催中。
本日は、ベルギーから来た楽団のクラシックコンサートであったようで、大聖堂内の椅子には番号が振られ、常の向きとは全く逆方向、パイプオルガンの方を向いて、椅子が並べられていた。
2012.09.22

セーヌ川、マルヌ川

セーヌ川はパリ市に入る手前でオワーズ川と分かれる。
パリ市を過ぎたところで、マルヌ川と分かれる。
パリ13区のすぐ南、アルフォールヴィル市で別れるのである。
イヴリー・シュル・セーヌ
左に行けばマルヌ川、右に行けばセーヌ川。
分岐点には、中国風の建物。つい最近までは営業していたホテルのようだ。
写真は、イヴリー・シュル・セーヌ市とシャラントン・ル・ポン市にまたがる歩道橋からの撮影。
セーヌをパリから遡上して行くと、このホテルがデンとあるのだから、パリとその郊外は、国際都市であるわけだ。
2012.09.21

自転車ヴェリブ、velibの光

コインランドリーを探しに夕食後プラプラ散歩をしていると、緑に光る自転車の列を発見。
並んで停められているから、ますます、緑の光が気になる。
パリの自転車
ぶらついている間に通ったカフェは皆サッカーの放送中。そして、中年親父達が、無言で画面を見入っている。
宿の裏のグラウンドでは、子供達がサッカーに興じている。といっても、スポーツセンターである。
結局探し回ったコインランドリーは、なんと灯台下暗し。宿の目の前にあったのである。
Posted at 11:27 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2012.09.20

クレマンソー記念館

シャンゼリゼ通りの地下、シャンゼリーゼ・クレマンソーに名を残す往時の名宰相クレマンソーの邸宅が記念館となったものだ。
我々日本人は、欧州における世界大戦に対しては、あまり知らないし、勉強しない。
このメトロ1号線、シャンゼリーゼ・クレマンソー駅(第一次世界大戦仏首相)、フランクリン・ルーズベルト駅(第二次世界大戦アメリカ大統領)、ジョルジュ・サンク駅(第一次世界大戦時英王)、シャルル・ド・ゴール(第一次、第二次世界大戦を戦った将軍、後大統領)と、名前の駅が続くのである。
クレマンソー記念館
そんな時代をジャーナリスト、政治家として生きたクレマンソー。
ドイツでは、ビスマルクという宰相がいた時代にドイツ帝国ができ、その対ドイツで頭角を現した仏政治家がクレマンソーである。

多くの画家とも親交があったそうで、マネが描いた、ひげが特徴のクレマンソーの肖像画。
モネの庭で撮られた写真。
モネがモネの家の庭に座っている、佇んでいる写真がある。
一緒に写る二人のひげを比べれば、さすがにモネのひげが圧倒的存在感である。
そりゃ、モネも、自分の家の庭に佇んだでしょうが、こちらにすれば、観光地モネの家にモネ自身がいるという写真に、何か不思議や違和感を感じたりするのである。
クレマンソー記念館
きっと当時としては、最新だったのだろうお風呂もありますし、印象的なのは、仕事場の仕事しやすそうな机。
ちょっと羨ましい気も。
格違いの人間と思わず、クレマンソーのおやっさんと思って、眺めると、親近感が沸こうというもの。
浮世絵や、違い棚なんかを見ると、日本、アジアを感じ、クレマンソー親父さんの自慢顔が想像できる。
クレマンソー記念館
トロカデロ駅から、パッシー駅へ向かって歩いてゆくと左にフランス国旗のはためく記念館が。
入り口の平なボタンを押して中へ入り、奥の1階へ。
日本語の説明書もらえます。
2012.09.19

イヴリー・シュル・セーヌ駅 IVRY SUR SEINE

スーパーへ買い物へ行くのに、この駅の地下道か、駅上を通る橋を渡る必要がある。
そのとき、とてもインパクトがあって気になる鉄の構造物が駅にある。
工場やクレーンを想像させる鉄の柱である。
イヴリー駅
ここは橋の上に登ると、駅と複々線の線路を一望できる。
オーステルリッツ駅から出た列車は、みな、ここを通過してゆく。
トゥール方面行きの急行アクアリスなども、ここをガンガン通過してゆく。
イヴリー駅
パリと目と鼻の先にある、眺める角度によっては、雰囲気のある駅なのである。
2012.09.18

パリ郊外のカルフール QUAI D'IVRY ケ・ディヴリー

パリすぐの郊外という場所には、郊外型スーパーが多くある。
メトロの終点駅に多くあるのだが、たとえば、1号線のラ・デファンス、3号線のガリエニ、そして、写真の7号線のメリー・ディヴリーがそうだ。7号線の場合、ピエール・エ・マリー・キュリー駅の方が近いかも知れぬ。
最寄はRER-C線のIVRY-SUR-SEINEである。
カルフール
H&Mも入っていれば、子供服のお店も何軒かあるし、携帯ショップにマクドナルドにパン屋に・・・というショッピングセンターになっている。
名前は、QUAI D'IVRY ケ・ディヴリー。イヴリー河岸という意味だ。セーヌ川脇なのである。
パリ13区のすぐ南。
カルフール
カルフールも郊外型だから大きい。なかには、服も電化製品も文具も売っている。
2012.09.17

イヴリーのリーダープライス

格安で有名なリーダープライスであるが、メトロ7号線終点のイヴリー市にある店舗は、上の建物のデザインがイカス。とても格安スーパーが入りそうな建物じゃぁないが、それだけ、このスーパーが儲かっていると言う事なのかもしれない。
フランスのスーパー
このイヴリーという、パリに南接する街は、こうした、新しいデザインの建物が多い。
ブローニュやヌイイといった、お屋敷街に隣接するところは、やはり高級感ある。
パリの延長線上にある郊外市は、その内側のパリの顔を反射しているのかもしれない。
イヴリーはパリの13区に隣接する。
中華街、ベトナム街であるが、ここは、そもそも、高層住宅街で、近代建築の多いところなのだ。
2012.09.16

新幹線タリス

アムステルダムから乗ってきた新幹線THALYS。タリス。
北駅に到着すると、LE QUAI THALYS(タリス専用ホーム)の看板が。
以前は無かった気がするのだが・・・。
タリス
日本では当たり前のリクライニングの向きを変えられるということが、出来ないのは、こちらの鉄道の一つのガンで、それはこれにも継承されてしまっているが、それを除けば、とても快適な旅になる。
2012.09.15

チャイナエアラインとタリスで行くパリ1

格安航空券でパリに行く方法は、なにも、パリへ飛行機で行くだけではない。
ということで、今回は、台湾経由、アムステルダム行きから、タリスでパリと言う選択に。
パリへは、30から40ユーロ程度でアムステルダムから行ける。
そのためには、事前に日本で予約印刷しておく必要はある。
アムステルダム
旅程の細かい説明は次にして、今回は、ゴッホ美術館付近にくくりつけられていた自転車を一枚。
街路樹に次から次へと自転車がくくりつけられている。
どの木にも数台の自転車が。

この街の印象は、トゥールーズよりも少々明るい赤のレンガの街。
そして、トラムと自転車の街である。

ゴッホ美術館へは、行きにトラム、帰りはらぶらりと中央駅まで歩く事にした。
自転車に乗った人は多いが、きっと自転車観光客も多いのだろう。スペイン語、英語、フランス語も結構聞こえてくる。
2012.09.14

アントルヴォー駅 プロヴァンス鉄道にて

アントルヴォー駅の写真と、鉄道写真をちょっとおまけで。
すこし開けた感じの駅と、山の稜線が特徴。
アントルヴォー
駅名表示版は、新しい。
ディーニュ行、ニース行。
木々のむこうに、城塞が見える。
アントルヴォー
これが、北フランスなら、木組の駅舎だったかもしれないが、ここは南仏。
壁にデザインっ気はない。
モノクロ写真にしてしまったが、ここの駅舎はカラフルな南仏カラーでもない。
この路線にしては、しっかりした感じの駅舎なのだ。
アントルヴォー
街へ渡る橋の向かい側。
カフェなんかがある付近から、駅舎と線路を眺められる。
単線から、駅部分だけ複線化。プラレールの世界ですね。
アントルヴォー
このあたりは一日4往復程度しか走っていないから、列車の席は、結構満席になるんですね。
ここからニースは結構遠いですから、立つことになったら結構大変かも。
2012.09.13

Rue Santos-Dumont サントス・デュモン通り

15区、ジョルジュ・ブラッサンス公園に程近いところ。
通り名の看板は、たいてい壁にはりつけられているが、時々、こうして、柱が建てられている。
通りの入口付近が、建物がなく広くなっているときに出現する。
パリの街に溶け込むと、何やらおしゃれな雰囲気になるのである。
パリの道
住宅街に入ってゆく。戸建外ではないが、6階7階建てのアパルトマンが立ち並ぶのではなく、2階3階建てが並ぶ、少々シックなゾーン。入口で壁画にお出迎えされる。
パリの道
サントス・デュモンさんが南米の人だからかどうか?メキシコのピラミッドらしき壁画が描かれている。
Le mur murant Paris rend Paris murmurant.
パリを囲む壁は、パリに文句を言わせる。
VICTOR HUGOとなってますが、ユゴーがこれ言ったんですかね。
ちょうど、この付近をこの壁が通っていたのかもしれません。
パリの道
タイヤの折れ曲がった自転車も、こうなるとオブジェ。
パリの道
鍵型に折れ曲がった通りの南側は、洋風長屋とも言うべき住宅が立ち並ぶ。
パリの道
パリのサンランベール地区の住宅街。
通り抜けて、右に行けば、すぐに、ジョルジュ・ブラッサンス公園にたどり着く。
2012.09.12

サン・ジャン・ドゥ・リュズのサン・ジャン・バプティスト教会

サン・ジャン・ドゥ・リュズの街中にあるサン・ジャン・バプティスト教会。
通りがかりに入ってゆくと、多くの観光客が写真を撮っている。
なるほど、きれいな教会だ。
海の街の教会らしく、上から船がぶら下がっている。
それは写真を撮りたくなるというものだ。
サン・ジャン・ドゥ・リュズ
で、手持ちのカメラで撮影してみる。
まず最初はコンパクトデジカメで。
そして、次は、一眼デジカメで。
面白いものだ。出来上がりの色は全く違う。
サン・ジャン・ドゥ・リュズ
ちょうど、そんなことを考えつつ、とった写真を見比べていたら、観光客のおばちゃんに声をかけられる。
「撮った写真見せて!」
どうやら、ブレちゃってうまいこと撮れない雰囲気なのだが、こちらの英語力がなさそうなことをきっと肌でわかったようで、特にそれ以上質問されることもなかった。
たしかに、「感度オートじゃなくて、感度上げて撮ってね!」なんて、とても外国語で言えない。
2012.09.11

Rue Georges Braque ジョルジュ・ブラック通り

人物名のつく通りは多いが、画家の名前が特別に感じるは、絵を見に行くほどの海外大国フランスだからかもしれぬ。
キュビズムの大家の名を冠する通りが、モンスーリ公園の西側にひっそりとある。
パリの道
Rueというものの、このとおり、実はImpass。すなわち行き止まり。
ありそうで、日本ではなかなか見かけないタイプの自転車が絵になる。
パリの道
行き止まり付近から、振り返って坂道の先を見ると、モンスーリ公園が借景となって、緑あふれる美しい通りになっている。手前の道は結構車通るのであるが。
パリの道
石畳も、”まま”の感じでいい雰囲気なのだが、便利という言葉からはおよそ遠い。
いい雰囲気!とか言いながら、実際に生活するとなると、手のひらすのが、日本の常。
歩きづらい!
ショッピングカート転がしづらい!
誰が毎日買い物行くと思ってんの!
こちらでは、おばちゃんの鶴の一声で、石畳反対!とは、あいならぬのであろう。
2012.09.10

アヴランシュ 塔の上からモン・サン・ミシェルを眺める

インターネットでアヴランシュとモンサンミシェルを調べてゆくと、植物園からモンサンミシェルが見えるという事が分かってきた。
その情報を持ちつつ、アヴランシュの観光局で地図をもらいに行く。
もちろん、その他の観光情報を得るのが目的で、これは、ルーティン作業。
すると、そこの塔の上から、モンサンミシェルが見えますよ!とのこと。
アヴランシュ
宿へ行き、荷物を置き、植物園へ行ったなら、次は、ご飯を仕入にスーパーへ行きつつ、その、塔とやらを目指す。上空に旗がはためいているので、見失う事は無い。
誰も登っていなそうな、薄暗い階段を昇ってゆく。
アヴランシュ
面白いものだ。
ノルマンディとか、アキテーヌというのは、どちらも英国王室と深いつながりがある。
で、赤に黄色のライオン?らしき動物が1匹の旗がアキテーヌ、2匹だとバス・ノルマンディ、3匹だとオート・ノルマンディの旗になる。
その他、ユーロの旗とフランスの旗だ。
アヴランシュ
さて、肝心のモン・サン・ミシェル。
見える見える。
アヴランシュの街の建物の向こうにしっかり夕焼けに染まった空の下にシルエットが見える。
植物園から、ドーンと見えるのもいいのだが、手前の建物が入るのもまたそれはそれでよろしい。
月の写真と一緒に違いない。
アヴランシュ
見渡せば、アヴランシュの街が見える。
夕焼けが当たるまぶしい教会は、司教オベールがいるサン・ジェルヴェ聖堂。
アヴランシュ
ノートルダム・デ・シャン教会のお尻に刺さったら痛そうな尖塔付き塔と教会の横姿もしっかり見える。
2012.09.09

モー マルヌ川沿い散策

セーヌ川というのは、パリを過ぎて上流へ遡ると、すぐにマルヌ川と分岐する。
これを遡上してゆくと、大きく蛇行するマルヌの北側の丘に街がある。
ここは、セーヌから分岐した、サンマルタン運河の続き、ウルク運河も着ており、パリとの水上交通は便利な場所なのだ。
モー
歴史的には、ここは、イルドフランス地方ではないらしい。
この教会の力も強かったに違いない。
モー
欧州は、それぞれの町で、町や、地方、国の国旗を見かけることも多い。
ここでは、町の紋章が、公共時計の盤に描かれている。
ゆりの紋章もみえる。
モー
ルイ16世とマリーアントワネットが、ヴァレンヌでつかまってパリへ戻るときに、ここのエピスコパル司教宮殿に滞在したそうだが、陸路でも水路でも、もうすぐパリというこの場所で何を考えただろうか?
ブリーチーズを口にしただろうか?
モー
マルヌの流れは、歴史と関係なく、ただひたすらセーヌを目指して悠久の時を刻む。
立場が違えば、この先のパリも、花の都ではなく、地獄のパリに変るのであろう。
モー
人が違えば、考え方が違う。
考え方が違うから、もめる。
もめるから、政治が必要悪となる。
だから権力が発生し、悲劇という歴史が刻まれる。
マルヌ川自身には、全く関係のない、人間の業ですなぁ。
2012.09.08

Avenue Daumesnil ドメニル大通りの廃線橋

ドメニル通りといえば、バスティーユ広場の南からグイグイ延びる12区の大動脈。
ここを今は緑地になっている東部鉄道会社の廃線跡公園、クーレ・ヴェルト(プロムナード・プランテ)が通っている。
その廃線高架の下にブティックが建ち並び、これを歩いてゆけば、12区の区役所に到達する。
パリの道
ここから、レピュブリック広場より移設されたと言う噴水のある、フェリックス・エブエ広場を通り、パリ郊外を目指す。
すると、鉄橋にである。
これも廃線跡。といっても、こちらは、プティット・サンチュール(パリ環状線)の鉄橋跡である。
パリの道
今は、この規模の鉄道橋としては、豪勢レトロな雰囲気の橋の向こうに、この下を通るメトロの黄色いMマークが見える。そこを、新しきパリ環状線トラムT3がまもなく走る予定だ。
パリの道
トラムが橋っても、この廃線跡、一服の絵として、残って欲しい物ですなぁ。
シャルル5世、フィリップ2世と続く城壁建設も、パリを丸く囲むもの。
この廃線も、パリを囲むと言う意味では、同じかもしれません。
城壁遺構が遺産であるように、時代が違えど、これも遺産。
2012.09.07

アントルヴォーの町並

三つあるというアントルヴォーの門のうち、駅を降りたら、すぐに見えてくるのが、ロワイヤル門。佇まいが、既に中世への誘いになっているのだ。
アントルヴォー
暖かい地方らしいのか、鋭角ではない屋根が、重なるように並ぶ。
密集度はかなり高いが、これも、防御能力を高めているのであろう。
アントルヴォー
少しずれた窓の位置、木のバル、瓦のヨレ具合が、アジアチックな、古めかしい印象を与えてくれるのだが、パラボラが、現在進行形の建物であることを、さりげなく教えてくれている。
アントルヴォー
山並に伸びるつづら折りのところどころに見える防御用?の門が、ドミノの一枚一枚に見えるのである。
昔のスポーツ系テレビ番組で、次から次に板を破って進んでゆく種目があったが、それを思い出す。
アントルヴォー
丁度、こうした川の合流点というのは、低い位置に町ができ易いのか?
低い位置にあれば、両川を通行する船をコントロールしやすい。
だから、城壁都市になりやすく、近くの丘の上に見張り台的城砦が出来るのかも知れぬ。
こうした立地は、街道の交差点でもそうなるのではないだろうか?
2012.09.06

パリを歩く bouger c'est facile

bouger c'est facileという、グリーンの標語がある。
フランスの厚生省みたいなところがやっている。

動くのは簡単と訳せばいいか?
歩くのは簡単と言ったほうがいいかもしれぬ。

その下に、主なここから歩いてゆける場所への時間が書いてある。
ここは、13区のジャンヌダルク通り。
パリを歩く
真っ赤な壁に張り付けられた道標。
フランスでも、健康のために歩こうぜ!ということなのだ。
パリ市内はどこからでも何分か以内にメトロの駅があるようにメトロが張り巡らされている。
だから、駅の数も相当多いし、次の駅までがすぐというのはザラである。

そんなパリでも、今は歩こうなわけです。
結構歩けるんですね。
朝公園に行けば、走っている人も大勢いる。

旅行にまで行って、健康気にしながら歩くなんてという人もいるでしょうけど、パリジャンと同じように、スーパーへ行き、カフェで休憩し、そして、街を歩くのも、それはそれでいいものなんですよね。
観光名所がなくても、パリに溶け込めます。

パリでなくとも、地方でも、別の国の都市でも、京都でも、名古屋でも・・・。
観光局でもらった地図に、その日歩いたところを赤ペンで塗りつぶしてゆく。

どんな行動範囲か?
塗り道がつながったとき、ちょっと街を知った気になれるわけです。
おすすめ!
2012.09.05

サン・ジャン・ピエ・ド・ポール散策

サン・ジャン・ピエ・ド・ポールの町から眺められるピレネー方向は、さすがに、登山家が命を欠けて登る山々ではない。とはいえ、ここから先の町ロンスヴォーまでは、難所中の難所には違いない。
そんな巡礼者を暖かく迎え入れてくれる牧歌的雰囲気のある谷間の町と言った趣がこの町にはある。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
町の裏手に回っても、一番低い所にある教会の塔の頭だけは飛びぬけて見えます。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
下は、Rue s'Espagneエスパーニュ通り(スペイン通り)。
これを抜けて、途中で右に曲がると、ロンスヴォーを目指すアルネギー道路にでます。
多くの人々が旅立っていったんでしょう。
もっとも、そこが徒歩のルートかどうかわからないのですが・・・。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
手前に大きなワインのビンが見えますが、ここは、バスクワイン、イルネギーの産地。
バスクの豚に、チーズに、ワインに、そしてガトーバスクに。

2012.09.04

Passage Dagorno ダゴルノ小路

パリ20区にある、ある意味なんの変哲もない通りなのである。
ただ、この白壁の建物の窓が、なんとも言えずいい味だしていたので、気になって覗いてみた通り。
パリの道
建物のむこうには、短い、石畳が続き、パリ中、どこにでもある、フランス式ガードレールというべき鉄柱が立っている。目測を見誤ると、男性の最ももがき苦しむ部分に直撃する。すでに何度か経験したが、背の高い人で、なおかつ脚の長い人なら、これをゆうゆうクリアするかもしれぬ。
パリの道
その鉄柱が一本無造作に折れ曲がっている。
すでに、数度、タクシーが突っ込んでいるところをパリで見たが、あれも、その残骸かもしれぬ。
車を運転し始めると、フランス人の神経質度が超グレードアップするのである。
事故ったら、棒にどなりつけたに違いない。

初めに戻って、あの、白壁とレトロチックなガラス窓はいい感じですなぁ。
2012.09.03

アヴランシュ ノートル・ダム・デ・シャン教会

アヴランシュの教会で、最も目立つのがこの教会だろう。
ここに、アヴランシュの司教オベールがいて、塔の上から眺めていたに違いない!と思ったのであるが、そうではない。もっとも、オベールの時代にゴシック建築はなかろう。
ゴシック建築でも、ゴシック・ノルマンというノルマンディ特有の建築がある。
刺さったら痛そうな尖った尖塔などは、この地方でよく見かけるのである。
アヴランシュ
ノートル・ダム・デ・シャン教会と広場をはさんで反対側に、植物園があり、中に入ってまっすぐ下ってゆくと、先週お伝えしたモン・サン・ミシェルの全景が望めるのである。
家族連れが多い。
乳母車を連れた、子供を抱いた、走り回る子供をよそ目に話し込むお母さん達の姿も多い。
アヴランシュ
植物園に先週も写真に載せたテラスがあるのだが、背後がちょっとした高い小山になっている。
ここから、撮影しようと思ったら、先客がいた。
サインとサンドイッチ片手に、歓談する大人二人であった。
日本では最も人気のある世界遺産の絶景を肴にである。楽しかろう。
こちらは、邪魔せぬように退散した。
アヴランシュ
スーパーへ向かいつつ、写真を一枚。
あの下界に駅があるのだ。
あそこから登ってきたのである。
目の前に見える家じゃないですよ、緑の下界のじゅうたんの標高です。
2012.09.02

モー 散策

モーは城壁で囲まれている。3世紀ごろから、城壁が作られているらしいが、チョロではなく、しっかり残っているのである。
モー
その城壁下に、小さなあの、ムンクの叫びのネタもとの一つに違いないと思っている・・・・・いました。
かなり犬系です。
モー
教会裏側へ周って歩いてゆくと、結構静かな街並みが続きます。ノートルダム通り。
モー
教会脇のジェネラル・ルクレール通りの坂路は、いわゆる商店街。目抜き通り。
面白いもので、モン・サン・ミシェルもそうですが、丘とか山とかがとても重要で、そこに、教会とかが建てられる。このモーの丘もそうだが、パリのサント・ジュヌヴィエーヴの丘もそうだし、モンマルトルの丘もそう。
シャルトルもそうであるし、ランもおなじく。モンサンミシェルもモンマルトルもモンパルナスも、MONT(モン)すなわち山、名前が山ですものね。
モー
坂を下ってゆくと広場。
そういえば、ムランの町も坂を下ってゆくと広場ってな構図でした。
モー
坂之上に、サンテティエンヌ大聖堂の塔及び黒塔が見えます。
見えることが、きっと大事だったんでしょう。
2012.09.01

Sentier de la Lieutenance リュートナンス小径

先日紹介した、ヴィラ・デュ・ベレール通りのドンつきに折れ曲がって大通りに出ることができる抜け道がある。この通り沿いの線路は、この後、Square Charles Péguy公園の旧東部鉄道会社(現プロムナード。プランテとの分岐点へ向かう。
Sentierというのは小径であるが、”けもの道”的存在であると思っている。
野山を縦横無尽に走る一本道など、これにあたろう。
人間様も動物であるから、こうした道は必要に応じて勝手にできたのかもしれぬ。
パリの道
パリの石畳の小径といえば、何とも美しい響きである。
それにしても、ここも細い。
パリ道幅狭小選手権ベスト16あたりに進めるかもしれぬ。
こうした通りも、きちっと市で管理され、名前が付き、通り中央がくぼんで、排水が整っているのである。
パリの道
しかし、底を一歩入ってゆくと、コンクリートでできた物置のようなものの鉄扉か壁が、一面落書きキャンバスになっている。シャンゼリゼ付近を歩いていてもこんなところにお目にかかることはないだろうが、これもパリの一つの顔。
パリの道