2012.08.31

アントルヴォーEntrevauxへ

Entrevauxアントルヴォーは、プロヴァンス鉄道の途中の第一の景勝町であろう。
Entreは入る。vauxは谷の意味であるから、きっと、谷の入り口という意味の町に違いない。
ヴァール川とシャルヴァーニュ川の合流地点であるので、そのあたりが町の由来に関係あるのかも知れぬ。
アントルヴォー
その岩肌は、まるで、南仏版妙義山というべきか。
岩の稜線が特徴的だ。
もっとも、南仏全体が、どこを取っても山の稜線などが特徴的だ。
これらの岩が削られ、谷に山頂に村が作られ、南仏の景観を作っているのである。
アントルヴォー
ここはフランソワ1世時代にフランス領になり、ルイ14時代には、築城の名手ヴォーバンによって要塞化されたらしい。山頂まで、延々と門の続く九十九折が見える。
アントルヴォー
それにしても、このヴォーバンという名前、バス停であったり、観光局の資料であったり、とにかく頻繁に目にする名前なのである。もっとも、いまやこの人の建築物群が世界遺産になっちゃっています。
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2012.08.30

Rue du Cardinal Lemoine カルディナル・ルモワーヌ通りの消防署

パリの建物は印象的に(ベタに)色を使うことが多い。
一般の家庭の入口の扉が赤いことも、青いことも、黄色いことも、結構多いのだが、日本は少ない。
少ないから、余計に欧州において、色が印象的に感じるのだろう。
どちらがいいかは、人それぞれだが、日本の場合、それを行うには、少々の勇気というものも必要になる。
以前載せた、ラシャンボーディー広場の消防署と同様、ここの赤も印象的。
パリの道
赤は消防署、黄色は郵便局、緑は工事清掃、緑がかった水色がバスメトロ。
こうした色が映えるのは、パリの街が白っぽいからでもある。
和洋の色と質感の違いが、色の使い方にも違いがでるのであろう。
ここは、パリの左岸、5区の坂道。サント・ジュヌヴィエーヴの丘へ登る坂道の一つだ。
小さな正方形の集合体にマジックミラーも、ちょっと前のパリらしい建物ではある。

2012.08.29

サン・ジャン・ピエ・ド・ポール シタデル上からの眺め

シタデル通りを登りきると、シタデルがあるわけだが、通りの頂上からさらに登ることになる。
登りきれば、城塞の使用目的の一つでもあろう見張り台の役目がなされる場所でもあるわけだから、四方八方眺めは良い。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
巡礼者の通り道であるだけでなく、軍隊の通過点でもあったこの町の城塞。
眺めることができる、盆地というにはあまりに狭い、牧歌的な谷間を、満喫することができる。
往時、シャルルマーニュも、ここに登ったのかもしれぬ。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
この場所に、ハリーポッターに出てくるような想像上の動物たちが、行き交いするように、当時の武勲詩の作者は思ったのかもしれない。翼があったなら、そう思わせる厳しい行軍だったのかもしれない。退却するシャルルマーニュとフランク軍がこの谷をヒタヒタと埋めていた・・・そう思いながら風にあたるのもいい。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
それにしても、北の国と違うのは、屋根の傾き度であろう。
それが、バスクらしい建物の顔を作っているようだ。
2012.08.28

Rue Louis Braille ルイ・ブライユ通り

パリ12区。
ちょうど、ルイイ大通りとピクピュス大通りの交差点。
すなわち、パリの城壁の東南角にあたる。
ここから、東に伸びる坂道がルイ・ブライユ通り。
パリの道
ここを歩いてゆくと、右手に、板が立っているかの様な、細い建物が現れる。こうした、細い建物はパリのあちらこちらで見られるのだが、ここも、なかなか印象的に建っている。
暴風でも吹こうものなら、バキッ!とビスケットが折れるように、倒壊してしまうのではないか?と思わせる建ちっぷりである。
パリの道
脇からみると、いよいよ、ビスケットをナイフか何かできれいにカットしたように見えるのである。
パリ、割れそうなビスケット建物コンテストってのがあっても良いかもしれぬ。
2012.08.27

アヴランシュ司教オベールが見たモン・サン・ミシェル

アヴランシュ司教オベールが見たモン・サン・ミシェルは、この形ではありません。
彼が見たのは、モン・トンブ。
モン・サン・ミシェルが建つ予定の岩山ですな。
アヴランシュ
モン・サン・ミシェルに入って、チケットコントロールを過ぎ、階段をズンズン登ります。
上に上がると、右に教会、左は眼下に駐車場、または、旧駐車場が広がっているはず。
正面の建物に入ってゆけば、日本語の無料案内とモン・サン・ミシェルの各時代のジオラマを見ることができます。
その一番古い時代の小さな教会が建つ前に夢を見たんでありましょう。
アヴランシュ
でも、司教オベールが見ていたのは、あのトンブ山のさらに向こう、ドル山ことモン・ドルを中心に栄える、ドルの司教区だったのかもしれません。
アヴランシュ
アヴランシュへは、パリを朝出て、カンで乗り換えると、夕方には到着します。
カン、バイユー、クータンス・・・と教会が見える町を列車は進み、アヴランシュの町へ。
この町も、とんでもない丘の上にあります。
電車で着いたなら、ここ歩いていったら、森に入るんじゃないの?とでも思わせる坂に出会う。

歩いているおっちゃんに、ここ行くと町の中心に出るの?と聞いてみると、
”ぜーぜーぜーぜーぜーぜー、そう、ぜーぜーぜーぜーぜー”と答えが返ってくる。
ここだけなの?と聞くと、
”ぜーぜー、めちゃくちゃ遠回りすれば、他に方法がある、ぜーぜーぜーぜー、遠回りなんだ。ぜぇぇぇ”
歩け歩け体感旅行は、登りきってこそ味わうことができる。
それにしても、車という乗り物が、どれほどフランスに貢献したのか分かるような街への上り坂である。

この町の高い丘の上からなら、トンブ山は見下ろすように見えるのだ。
アヴランシュ
アヴランシュにある、植物園内のテラスから、モン・サン・ミシェルも、トンブレーヌ島も一望することができる。

この町には、他に3箇所ほど、モン・サン・ミシェル見晴らしポイントがある。
また、それは、改めて。
2012.08.26

モー サンテティエンヌ大聖堂

モーの駅を降りて、街へ向かって歩いてゆけば、遠くに大聖堂が見えてくる。
あれを目指せば、旧市街にたどり着く。
モー
塔が一つしかないように見える。
実は、手前の黒い木の三角屋根がもう一つの塔。
黒塔と呼ばれているらしい。
完全に街に溶け込んでしまうと、教会の塔のように見えないのである。
それでも、これがこの大聖堂の外観名物といっていいのだろう。
モー
目の前の広場は広くないから、広角でなければ入らない。
左の塔だけはやけに白いが、きっと修理か掃除かしているのに違いない。
かなりボロイという印象の教会であるが、こうした教会は遠方から眺めるほうが格好いいことが多い。
モー
そう思って中に入ると、どうしてどうして、結構派手派手なフランボワイヤンゴシックの華が咲く状態の美しさ。
モー
見事な直線と曲線美。
モー
一つ一つが細かい芸なんですなぁ。
モー
大聖堂横の庭園から。手前に見えているのが、エピスコパル司教宮殿。12世紀のものとか。
モー
頭の中はチーズでいっぱいですが、結構重要なゴシック建築なんですな。
2012.08.25

Villa du Bel air ヴィラ・デュ・ベレールとパリ環状線廃線

ヴィラと名のつく通りであるから、基本、最後が行き止まり。(実際は、抜け道小路によって、大通りへつながる)
並木があって、石畳。
さぞかし、閑静な住宅街であろう。
パリの道
そう思って並木の向こうを見ても、家はない。
緑の柵があるのだが、その柵の向こうが線路なのである。
この目の前を、汽車が、ガタゴトと通っていたのである。
優良物件から一気に格安条件へなってしまう案件だ。
しかし、今や、廃線。
夏草や兵どもが夢の跡状態なのである。
したがって、ここは、優良物件に違いない。
パリの道
女性は現実的だ。
今はやりの、鉄子さんでもなければ、住んでいる家の目の前の鉄道の音がステキ!なんて人はなかなかいまい。
その点、男性なら、それはそれで酒の肴になるかもしれぬ人も、そこそこいそうである。

この並木の向こうですよ!列車が通る風景なんて、なんと洒落ていることか!
でもね、毎日音で眠れない、会話できないじゃぁ、確かに大変だ。
想像だけなら、素敵な通り。

電車の通らぬ、汽車の通らぬ今のほうが、魅力的と思う人が多いかもしれぬ。
列車の通らぬ線路の侘びさびを考えると、松尾芭蕉を超える句が思い浮かばぬとも限らぬ。

並木、石畳、緑の植栽、緑のゴミ箱ゴミ袋、縦列駐車の車車車、鉄道廃線。何も内容で、パリらしさそろい踏み。
2012.08.24

アノット村散策

この村は、砂岩が有名らしい。
その砂岩でできた家々が村に立ち並ぶ。
トンネルを入って、中世の街中へ誘われよう。
アノット
標高は700m。箱根の町なみの標高である。
家々は古く16世紀ぐらいのものもあるそうだ。
アノット
村の広場付近へ降りてゆけば、明るく、新しい雰囲気の建物と通りもあるのだが、この、丸く寄り添うように建っている中世の旧市街は、静かにそして、重量感のある古い建物が並ぶ。
アノット
いたるところが路地であるから、この村もラビリンス度は高い。
こうした古い建物が現在進行形として、普通に使用されていることが驚きでもあるが、日本の木の文化との違いなのであろう。
アノット
旧市街を外れても、古い建物は並ぶ。
ニースに雪はなくとも、列車で山中に分け入ったここには、雪が積もっている。
アノット
石を組んだ後がはっきりわかる。しかも、大きくそろっているのではなく、小さくつみあがっているところがいかにも古い。
2012.08.23

Rue Brancion ブランシオン通りの壁画

パリ15区のもっとも外側で、なおかつ14区に近い場所。
ヴァンヴの蚤の市付近から、トラム3号線で一つ西。ブランシオン駅から、北へ伸びる通り。
パリの道
写真に見えるように、北上していくと左手にジョルジュ・ブラッサンス公園がある。
ちょうど古本市をやっている側であり、その向かいには、マックス・ポワラーヌという有名パン屋さんもある。
このパン屋さん、以前は、モンパルナスにあったのだが、こちらにも店があったのか?それとも、移転したのか?
今は、ここだけのようだ。
パリの道
それはさておき、今日の主役は、そんな閑静な通りにある壁画。
先日お伝えした、この通りと並行に走る線路沿いのジャック・ボドリー通りの壁画と雰囲気が似ているが、同一作者かどうか?調べていない。
下に残念な落書きもあるが、青い空と、壁画の空が重なると、すがすがしい。
2012.08.22

サン・ジャン・ピエ・ド・ポール バスク織

バスク織りというのは、7本線の入った布地であるのだが、これが、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールの街中でチラチラ見かける事ができる。
もちろん、お土産屋さんは当たり前だが、それ以外も見かけるのだ。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
喫茶店の奥のテーブルに無造作に積まれた布は、おそらくテーブルクロスであろう。
硬水のため、白い石灰の跡が残り易いフランスでは、コップや食器を拭くフキンとしてトーションもよく使われるが、積まれた布の大きさからトーションにしては大きすぎよう。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
こちらは、入り口の”のれん”として。
ピレネーを越えてやって来る暑い太陽を、さえぎってくれる。
デザインがシンプルだから、カーテンでも、トーションでも、テーブルクロスでも、ランチョンでもいける。
そして、7本線がバスクとさりげなく主張してくれるのだ。
2012.08.21

モンパルナス発TGVをパリ市内に追う

何度かご紹介してきたヴェルサンジェトリクス通り。
このケルトの英雄の名を冠するこの南北に走る線路沿いの道は、さまざまな顔を見せてくれる。
意外と見所多い通りなのだ。
線路沿いを歩いてゆけば、廃線跡から有名パン屋から、変り種の教会やら、一風替わった広場など、さまざまだ。
TGV写真
線路は、公園脇、歩道橋などから、眺めることができる。
通りの中ほど、アレジア通りと交差する付近あたりにこうしたところが現れる。
TGV写真
何度、写真を撮り損ねても、次から次へと、フランス新幹線TGVはやってくる。
TGVアトランティックがモンパルナスから出発するのだが、ボルドーへ、トゥールーズへ、モン・サン・ミシェルへ、ブルターニュへ、ナントへ、ロワールへ・・・。
TGV写真
鉄道といっても基本主役は乗り物だ。
ここは、鉄道らしく、乗り物を支える鉄の道と、乗り物を補助する架線と鉄柱という人間の造作物も、工場萌えではないが、なかなかイカスのである。
TGV写真
人からコンクリートへ。コンクリートから人へ。
いやいや、鉄を忘れてもらっちゃぁ困る。
2012.08.20

モー

MEAUXでモーと読む。
最後の子音は発音せぬからXは関係ない。
EAUはフランス語の水と同じつづり。

パリの南に広がる地帯は平野である。ボース平野、穀倉地帯で小麦の大産地である。
パリの北には森が広がり、かつて、王侯が、狩猟を盛んにしたところ。
パリの西はヴェクサン地方。英仏やバイキングとの戦いが行われたセーヌの下流。
パリの東、このモーを中心に広がるブリー地方。ブリーチーズの産地なのである。
モー
イルドフランス地方はパリが、北西よりにあることもあって、東側と南側は結構広い。
モーへ距離と同じほど北へ向かうと、そこは、ピカルディ地方シャンティイあたりになる。
パリからこの距離の円を描くと、東から南にかけて、モー、クロミエ、ムランなどが並ぶ。
ブリーチーズの3大産地が、これらの町なのである。
そのなかでも、ウィーン会議で世界一と認定されたブリー・ド・モーが作られる町がここなのである。
モー
郊外であるから、駅の改札は、いわゆる日本で言うところの自動改札。
欧州の国鉄に改札はないといわれるが、それは、車内検札前提の話。
1000万人が住むこの地方の郊外路線で、車内検札などありえない。
それでも、昔は改札なしだったのだろう。
ルールを決めると、ルール範囲内で行動しようとする血液型A型のゲルマンの血が、それを成り立たせていたのかも知れぬ。
モー
パリのヴァンセンヌの森の南側でセーヌ川から分岐するマルヌ川の蛇行するあたりに町がある。
そのマルヌ川越しに、モーの駅舎を望む。
東京で言えば、鎌倉、八王子、川越といった距離感だ。
大阪京都間とも似た距離である。
2012.08.19

モン・サン・ミシェル 車で行けた頃の・・

封鎖直前のモン・サン・ミシェル。
ホテル看板の向こうに、モンサンミシェルへ向かう車が見れる。
この看板付近は、いまや、バス乗り場であって、様変わりしている。
モンサンミシェル
歩いてモン・サン・ミシェルへ向かえば、駐車場には当然車が見えていたわけである。
モンサンミシェル
遠くから狙う、モン・サン・ミシェルの写真にも、観光バスが入るのは当たり前であり、入らなくなっちゃうと思おうと、これはこれで貴重な気がしてくるから不思議だ。
モンサンミシェル
便利に傾倒していった人間が、便利と逆方向へ舵を切る。
保護と便利と観光収入との狭間。これが世界の観光地、世界遺産観光地の抱えるジレンマなのであろう。
ここは破壊された自然を元に戻してゆくわけだが、破壊されつつある観光地は、気が気ではなかろう。
進むも、戻るも、収入を断たれるからなのだ。
モンサンミシェル
報道されたお店に、一気に人が殺到し、結果、常連さんもいなくなるという末路に似ているような気もする。
世界遺産にあふれかえる日本人観光客の波の中で、その一人として、なんとも言えぬ気になるのである。
程・・・度は越えちゃいかんのですなぁ。
2012.08.18

Rue du Gabon ガボン通り プティットサンチュール廃線沿いを行く

先日お伝えしたヴート通りを廃線沿いに曲がる。
ガボン通り。国名のガボンであるが、20区から12区付近は、アジアアフリカ系国名通りが目立つ。
ちなみに16区は北南米。
パリの道
この廃線。本当に意匠を凝らして作られたのではないか?と思わせるほど、石壁が美しい。
これは、16区のRER-C線が、このプティットサンチュール一部を使っている部分の壁もそうであるし、プティットサンチュールではないが、バスティーユから伸びるプロムナードプランテの廃線跡も同じなのである。
パリの道
しばらくすると、大通りとぶつかる。
サン・マンデ大通りである。
ここも、エンタシス風柱に支えられた、鉄橋がかかっている。
2012.08.17

アノット村へ

駅を降りると、道は一本。
突き当たりの道を右へ行けば町はすぐであるが、その途中にある観光局で地図をもらって行こう。
アノット
川が流れているのだが、この橋から、町の広場越しに固まるように立っている町を撮る。
岩山の上に張り付くようにある村とは違って、ここは、谷間に固まるように密集している。
アノット
村はずれに行けば、岩のごつごつした荒涼とした地形が広がっている。ここを鉄道はさらに奥へ向かってゆく。
町は、この麓に固まる。
アノット
その固まっている感は、中へ入っていかねば分からない。
こうした村々に感じられる人気の無さはここに無い。
まだまだ、生きている村の感じがする。
アノット
丁度、広場に喫茶店があった。
ここでお茶しながら、ゆっくりしていると、おじいさん達おばあさん達がやってきた。
この町出身のお年寄り達だろう。
テーブルを動かし、椅子を動かし、皆が座れる箇所を確保すると、人々が集まってくる。

お祭りもあるらしい。そんなポスターが貼ってある。
青春は、続いていると思う限り続くのである。
2012.08.16

Rue des Glycines-Cite Floral-花のまちシテ・フローラルのグリシーヌ通り

パリ13区といえば、中華街。
そういった答えが返ってくる。
セーヌ川沿いのガール地区もあれば、一戸建て街のビュット・オ・カイユも13区。
そして、この界隈、ランジス地区も一戸建て街がある。
パリの道
シテ・フローラル。花の町である。
その名通りの、閑静な緑あふれる一戸建てゾーンがある。
塀や扉で区切られていたら、Hameau(村)と呼んでも良いようなゾーンである。
パリの道
通り名看板ではRue des Glycinesとなっているが、その通りにある、とあるお宅に付けられた看板には、Villa des Glycinesの表示。Rueと言われるより、しっくり来る雰囲気である。
パリの道
各国の人が行きかうシャンゼリゼ大通りもパリであるが、ここもパリ。
こうした通りとゾーンはパリ市内に実は結構あるのである。
2012.08.15

サン・ジャン・ピエ・ド・ポール シタデル通りの坂

サン・ジャン・ピエ・ド・ポールの目抜き通りがこのシタデル通りである。
一番下にある教会から上へ登って行けば、名前の通りシタデル(城塞)に出る。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
お土産を売っている店や宿などもあるのだが、ここのご馳走は、坂路の向こうに見える牧歌的なバスクの町の風景である。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
真っ白なバスクの家々の壁に、ピンク色の石と赤茶系の壁とバルと屋根が映える。
8月15日はAssomption。聖母被昇天の祝日である。
2012.08.14

Rue Ramus ラミュ通りの塀

パリの20区。
南から北上するようにブラブラ歩いているときのこと。
まるで神社のような、コンクリートの塀に遭遇。
こりゃ、日本っぽい。
パリの道
そう思って、カメラを向けて撮影していると・・・
「ヘイ!えい!」
と掛け声が。
日本語で言えば、
「おい、なんだよ!撮るな、このやろう!」

撮りおわって、カメラを離すと、とおりの向こうから、歩いてくる3人組が。

撮影していると、「撮るな!」というときに、こうした声をかけられる。
カメラを向けられていると思ったのだろう。
いきなりカメラを向けられたら、不快に思う人は多いのである。いや、普通、不快に思うだろう。

もっとも、この場合、被写体が自分達ではないと、分かってくれたらしい。
パリの道
この通りの向こう側は、ピレネー通り。
パリ20区の南北縦貫道で、パリ有数の長い通りである。
2012.08.13

モン・サン・ミシェルとアヴランシュの司教オベール

モン・サン・ミシェルの中、途中階段を降りてくると現れる像。
大天使ミカエルとオベール司教のレリーフである。
もちろん、これは、創建当時の代物ではないが、この教会の生い立ちの逸話なのである。
モンサンミシェル
アヴランシュの司教オベールの夢に二度出たというミカエルが、あそこ、モントンブに礼拝堂を建てよと言ったという。ということは、アヴランシュからモントンブが見えるのであろうし、モン・サン・ミシェルから、アヴランシュが見えるはずなのである。
モンサンミシェル
そう思って、東方向にアヴランシュを探してみるが、きっと、どれか、見えている教会らしき建物の場所が、アヴランシュなのであろうが、モンドルを探したとき同様、これだ!と決め手がない。
いや、これだ!と思って激写したアヴランシュが、こうして写真を並べてみると、建物の並びが違い、どちらかはアヴランシュではあるまい。
モンサンミシェル
アヴランシュが、このモン・サン・ミシェルを建てるきっかけとなった町なのであれば、アヴランシュから、オベールが見たという、モン・トンブを眺めて見なければなるまい。
この司教には、そこが、どう見えていたのか?
2012.08.12

フォンテーヌブロー城

フォンテーヌブローの駅からバスで行くこともできますが、歩いていくこともできぬこともありません。
フランソワ1世の夢のあと、ナポレオンの夢のあと。
どちらもまた、派手好きなFNのマークのお方である。
しかし、個人的イメージとしては、カトリーヌ・ド・メディシスと三アンリのイメージが強いかもしれませんな。
歴史的存在感は、ベルサイユより、むしろこちらなのかもしれません。
フォンテーヌブロー城
世界遺産になったのは、随分と前のことです。
世界遺産が日本ではやりだしたのは、今世紀に入ってからでしょう。
この城もいまや大人気のひとつ。
フォンテーヌブロー城
庭には、くじゃくが放し飼いになってましたが、これが今もいるのかどうか?
恐ろしいほど、けたたましい鳴声ですが。
2012.08.11

メトロ14号線 リヨン駅

メトロ駅の上部の鉄柱が何色に塗られている!という話。
これは、聞いてみたら、ああ、そういえばそうね、そうだったかしら?ってなことになる。
ここの駅の、緑のプラントは、ああ、あれね!と、見たことがあればすぐに思い出すほどのインパクトである。
パリのメトロ
緑なのはいいのだが、フランスらしからぬ雑な緑に見えたりもするのだが、時々公園でもあるよに、雑=自然という発想もあるから、これも、その一環かもしれぬ。

日本では、鉄道の自殺なども多い。だから、日本の駅でも、ブルーライトが使用されている場所もある。
フランスは、治安の問題で、駅に限らず、トンネルなどブルーライトが使われているところも多い。
フランスのように駅ごと青ライトにしてしまってもいいのではと思ったりするのだ。
日本じゃ、なんだかんだいろいろ言われて、全部というのは、理屈分かっていても、突拍子もない!と批判されてしまうのかもしれない。
それとも、全部してしまったら、効果ないのだろうか?

ここの駅のプラントは、その治安的問題とは別であろうが、癒しには違いない。
それにしても、パリのメトロは、駅ごとに工夫を凝らしている場所も結構多いのだ。
2012.08.10

サン・ジャン・ピエ・ド・ポール バスク十字

バスクらしいデザインといえば、この十字模様である。
実際いたるところでお目にかかるが、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールで撮ったものだけをここでアップしておこう。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
バスクのスポーツ、ペロタPelotaで使われる道具で作られた十字。
これに、ヤコブの帆立貝で作られた矢印。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
川沿いを散策していたら出会った門扉の飾りもさりげなくバスク十字。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
シタデル通りの坂道で出会った植木鉢にも、鮮やかな白の十字。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポール
世界遺産のサン・ジャックの道が出会う交差点の町サン・ジャン・ピエ・ド・ポール。
このバスク地方出身者に、日本史教科書太字外国人の一人である、フランシスコ・ザビエルがいるというのも、偶然ではなかろう。
2012.08.09

Rue de la Voute ヴート通りの廃線橋

パリの東の端。
1号線ポルト・ドゥ・ヴァンセンヌ駅の裏手。
12区側にある通りである。
この駅を降りて、20区側へ行けば、以前お伝えした、パリの踏切がある場所になる。
パリの道
ここに、斜めに曲がってゆく緩やかな坂道がある。
場末感たっぷり。しかしながら、静かなる生活観も漂う通り。
パリの道
橋の下に工事道具が並べられている。
トラム3号線の延伸工事道具である。
雑然としつつ、整理されている。
もう、少し経つので、ここには、これら道具は置かれていないかも知れぬ。人がいないのに、人が感じられる状況というのは、何もないのに、むずがゆいほど暖かい。
パリの道
通り過ぎて、工事道具置き場の上を眺めると、パリ環状敗戦、プティット・サンチュールの高架橋が走っている。
住んでいる人のことをかんがえたら、あんなところ走られた日には、ガタンゴトンとんでもない音がしたであろう・・・などと考えてしまう。
そういやぁ、ベルヴィルランデヴーという映画にも鉄道のシーンがあったようにも思うのだが、こんなシーンが参考になっていたりしてと思ったりするのである。
パリの道
さて、ここら辺りから、この鉄道沿いを歩いて見よう。
2012.08.08

プロヴァンス鉄道

ニースからディーニュまで走るプロヴァンス鉄道。
町を抜けて、川沿いを走ると、遠くに鷲ノ巣村なんかが見えるなぁ・・・とおもっていたら、一気にえぐい岩山山中に入る。
入ってからは、圧迫感ある絶景が続く。
プロヴァンス鉄道
新しい車両が入っていた。
フランス国鉄のボンバルディア社制の車輛に似ているが、確認していない。
線路幅見る限りにおいては、狭軌だろう。
古い車両も今だ健在。
中に乗ると、快適さは新しいほうに譲るが、プロヴァンス鉄道乗った!感は、圧倒的に古い車両。
一日に、ディーニュまで走る本数が限られているから、古い車両だと、満員になってしまう。
プロヴァンス鉄道
CPのマークは、新しい車両にもついている。ロゴデザインは変わってしまったが。
Chemins de fer de Provenceの頭文字であることに疑いはない。
Chemins(道) de(の) fer(鉄) de(の) Provence(プロヴァンス)
フランス語は英語以上に日本語とは語順逆であるから、後ろから読めば、プロヴァンス鉄道と見事に日本語に返還できるのである。
プロヴァンス鉄道
さてさて、そのプロヴァンス鉄道、ロゴ黄色とロゴ黒がいる。
ニースの駅で並ぶニ雄!
プロヴァンス鉄道
黒バージョンが疾駆するトゥエ・デュル・ヴァール駅付近。
プロヴァンス鉄道
古い車両にのって、奥地からニースへ向かうとき、下り坂が急なことに気がつく。
アノットからアントルヴォー間でも相当下る。
これが、新しい車両だったり、上りのときはあまり感じないのである。
2012.08.07

Rue Gassandi ガッサンディ通りの壁画

Licata’93とサインが入っているから1933年の壁画だろう。
この人はRicaedo Licataというイタリア人の壁画のようである。
パリの道
木々が壁を覆っており、壁の窓もそのまま、使われている。
オーストリアのウィーンや、大阪のごみ焼却処理場のフンデルトヴァッサーを思い出すような絵だ。
パリの道
丁度14区の区役所近く。
ガッサンディ通りという名前から、ガッサンディもイタリア人かと思いきや、プロヴァンス鉄道へのってニースから奥に入って行ったような所の出身の哲学者らしい。
そういえば、ニース出身のイタリア統一した男ガリバルディも名前にてますものね。
今の国境線で、もの考えると、ややこしいかもしれません。

ふふふ、子供が書いた壁画みたいで、よくよく見ると、子供じゃ描けないアイディアいっぱいの絵ってな感じですなぁ。
2012.08.06

ドル・ド・ブルターニュ 聖サムソン大聖堂

モン・ドルから歩いてドルへ向かう。
畑の向こうにそびえるのが、聖サムソン大聖堂の姿。
ドル・ド・ブルターニュ
この後、風吹きまくる悪天候になるのだが、空からは、重々しい空気が降りてくる。
この地方海流も激しければ、天候の変化も激しかろう。
ドル・ド・ブルターニュ
トロ・ブレイスという、ブルターニュの7聖人巡礼がある。その第一に挙げられるこの大聖堂。
資金がなかったようで、塔は一つしか完成していない。
ドル・ド・ブルターニュ
中に入って、聖サムソンの何かを探してみる。
ステンドグラスがありそうでない。
船で渡ってきたのだから、そんな逸話もステンドグラスになっていそうなのだが、ない。
そんななか、大聖堂を片手にした、聖人のステンドグラスを撮ってみる。
拡大しみると、どうも、字が、サムソンと読めそうなのである。サムソまでであるが。
下の右から2人目のグリーンの衣をまとった人だ。
ドル・ド・ブルターニュ
手にした大聖堂は塔が2つ。
もしかしたら、ドルの大聖堂の完成予想図なのかもしれぬ。と、勝手に解釈しておく。
ドル・ド・ブルターニュ
教会へはいろうと、扉をあちこち押してみたのだが、どこも開かなかった。
開かないので、「開いてないの?」と観光局で聞いてみる。
「扉が重いのよ!」と。
で、正面の扉を思いっきり押してみたら、ここから入れました。
古くてそのまま感の建物だから、建物自体も重そうな重量感に包まれているのである。
ドル・ド・ブルターニュ
うろうろしていると、タペスリーが目に。
暗いので、写真のようにはっきり見えず、気がつかなかったのだが、これ、どうやら、聖サムソンが船で渡ってきたって事じゃないでしょか?
帆船に乗ってね。
2012.08.05

クーランス城

ミイ・ラ・フォレの北方。
ミイ・ラ・フォレからバス便もあるが、本数は少ない。
訪れたときは、ジャン・コクトーのチャペルの前からタクシーへ電話。
クーランス城
お城の中は、ガイド付きツアーのみ。
時間まで待って、中へ入ると、ゴブラン織のある建物へ。その後、城内へ入ると、現在も住んでいる(使っている)とのことで、ビリヤード台などが置かれている。
クーランス城
楽しいのは庭園めぐり。
水と緑とお城と絵になるところも多いのだが、カメラ片手に、あれやこれや、楽しみながら撮って歩くのがたのしい。
べつに、ここがどこであるよという証拠写真だけでなくてもいいのだ。
そう思わせるきれいな庭園なのだ。
クーランス城
送ってきてもらったタクシーと待ち合わせをしていたから、それに乗ってブティニーの駅へ送ってもらう。
ミイ・ラ・フォレへ出て、乗り換えてメッスの駅へ出るというバス便もあるが、調べていかぬと、走っている日と時間が限られている。
クーランス城
2012.08.04

Jardin Tino Rossi-ティノ・ロッシ公園 Musee de la Sculpture en Plein Air-野外彫刻博物館

丁度オーステルリッツ駅から、ノートルダム寺院やサンルイ島へ向かうセーヌ左岸。
ここに、公園がある。
パリの公園
ランニングする人に、自転車で移動する人、犬の散歩・・・。
セーヌがサンルイ島に沿って、左右に大きく分かれていくところがみられる、意外とセーヌ川の絶景ポイントなのである。
パリの公園
底ここに建ち並ぶ彫刻たちと、緑、整備された、河岸。
そして、すぐそこにある水、セーヌ。車のビュンビュン通る中央部に比べると、セーヌはパリの両端では、ゆったりした雰囲気が流れる。
夕方の散歩は、まさに黄昏のセーヌ散歩である。
パリの公園
バトビュス以外の、有名遊覧船、バトームーシュその他もやってくる。
船越しに眺めるパリの町は、こちらが、まるでパリの人間になったかのような錯覚さえ起こさせる。
その船に乗っている人と同じ観光客であるのにである。
東京なら、観光客のいない隅田川河岸をジョガーと共にブラブラしているような感覚なのだ。
パリの公園
犬の散歩をしている人の向こうにノートルダムがみえる。
日常のパリのセーヌの顔だ。
パリの公園
個人的には、正面のどーんというノートルダムより、背後から見るノートルダムの方が好きだ。
美しい割りに自己主張が少ないからであろう。
やがて、空はオレンジに染まり、闇へ向かってゆく。
2012.08.03

Rue de l'Amiral Mouchez アミラル・ムーシェ通りの壁画

13区と14区の境目。何度も登場したアミラル・ムーシェ通り。
しかも、この界隈ばかりである。
今日は、そのなかでも、壁画。
パリの道
画家のデザインをもとに、ブレーメンの音楽大学の学生によって作られたのらしい。
ってなことが、下にあるプレートに書かれている。
ちゃんと読んでないが。
パリの道
昨年の秋に撮影したのだが、葉がなければ、壁画が見え、壁画が花となり葉となるのである。
似た建物の多いパリではあるが、こうしたランドマークがいたるところにあるのだ。
買い食いしながら、デジカメ片手にブラブラするのである。
2012.08.02

ペイユ村の崖

村に到着したバスから降り立つと、正面の崖が挨拶してくれる。
案内看板にあるように、左下へ向かって、村中へと入ってゆく。
ペイユ
村のどこからでも、正面の崖が見える。築地越しにも。
崖の村、崖に張り付く村なのである。
南面に村があるのであるから、正面に見える崖は北を向いている。
いつも日陰なのであろう。
ペイユ
村の目の前に丘がある。村の中心からトンネルを抜けてゆくと、迂回して到達できるところだ。
頂上には戦没記念かなにかの塔が建っていたが、この丘から、町全体を眺めることができる。
その頂上から、なにやら、聞きなれない言葉が聞こえてきた。
英語でもない、ドイツ語らしくもない。
図体のでかい若者ばかりであるから、きっと、オランダか北欧の人間に違いない。
ノルウェー辺りのロッククライマーであろうか?
ペイユ
その、村の目の前の丘から、下って行くと、空中に浮いたつり橋にでるのだが、この辺りは、クライマーのみ入れる場所である。
谷を渡って、対岸の道路の下のがけを上る彼ら。
ペイユ
通りを作るのも大変な、岩盤をくりぬいたトンネルの下を、ゆっくり上がってゆく。
このあと、道路も越えて、さらに上へ登って行った。