2012.07.31

Rue de L'Ouest 西通り ウエスト通りの西門

京都ではないのだが、パリにも東西南北の通りがある。
正確はに、東西北で、南はない。
これらの通りは面白いことに、それぞれ、パリの東寄り北寄り、西寄り(南といってもいいが)に存在しているのえある。
パリの道
パリの西大路といいたいところだが、14区にあるので、東通りと比べれば、西にあるとしておく。
通り名の看板は、その奥に見える、何の変哲もないアパートが、いかにもパリの近代アパートらしい壁面だったので、ここに載せておく。日本には、こうした、殺伐感漂う高層マンションは少ない。殺伐かどうか?は美的センスの問題で、おしゃれなフランス人に言わせれば、これは殺伐としていると思わぬのかも知れぬ。
パリの道
その西通り、何で撮影したか?といえば、丁度、アパートが、まるで、門であるかのように、デンと二つ構えているのが、面白かったので・・・。本当は、この、門に見えるアパートと同じ壁面が、通りを覆っていたのかもしれない。その、細い路地裏のような通りだった名残が、門のように残っているのではないか?と勝手に過去に思いをはせる。事実は知らぬ。
パリの道
カルーゼル、エトワール、サンマルタン、サンドニに加え、パリ西門も付け加えてあげてほしいのである。
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2012.07.30

モン・ドルの村

早朝、早起きして、モン・ドル頂上へ登る。
青みがかった山の上から、ピンクに染まる東を望むと、たしかに、ぼんやりモン・サン・ミシェルは見える。
どこにあるか?知っているからとも言えるが、カメラには、きっちり映ることはなかった。
ドル・ド・ブルターニュ
可愛らしき村へぶらぶら降りてくる。
教会の屋根の向こう、畑のさらに向こうに見える並木の先に見えるのが、ドル・ド・ブルターニュの街。
夜は、こちらの宿から、聖サムソン大聖堂の夜景が浮かび上がる。
ドル・ド・ブルターニュ
モン・ドルの教会に入る。
なかにステンドグラスがあるわけではなく、壁一面に絵が書かれている。
屋根が木なのは、モン・サン・ミシェルだけではない。
もちろん、ここ以外にもたくさんある。
ドル・ド・ブルターニュ
可愛らしい小さな丘にへばりつく村である。
モン・サン・ミシェルの岩山に取り付く街は卵焼きのお店とお土産屋でいっぱいであるが、こちらは、生活している人たちのパン屋に図書館。
ドル・ド・ブルターニュ
世界遺産とは違う、静謐な現在の暮らしがここにある。
2012.07.29

ランブイエ城

ロンドンで五輪が始まりましたが、途中までパリが圧していただけに、最後の慢心でロンドンに持っていかれた話は、そんなに昔のことのようには思えません。
その、フランスの大統領のもちものになるそうなのが、このお城。ランブイエ城。
ランブイエ城
つい最近といっても、コソボ戦争の頃にここに各国の首脳が集まって会議をしています。
フランスがワールドカップ優勝!といった裏では、欧州でも戦争が起きていたわけです。
ランブイエ城
庭は広大ですから、もう、見るというより、散歩する感覚ですな。
お城というから、ガラスの靴とはいかぬ。
ベルサイユは離宮を目指せば、それは、散歩ではなく、もう、ウォーキングというべきスポーツの部類に入るほどですから・・。
ランブイエ城
モンパルナスから、シャルトル、ルマン方面へ向かう列車にのって30分ほど。
ぜひ、運動靴?で。
2012.07.28

セーヌ河を船で BATO BUS バトビュス

1日券15ユーロという河の船がある。
川からの景色を満喫したければ、これだ。
15ユーロで世界遺産劇場へ入ると思えば、安いデートコースである。
バトビュス
ルーヴルから、エッフェル塔へ行こう!
エッフェル塔からオルセー美術館へ行こう!
オルセー美術館からノートルダム寺院へ行こう!
バトビュス
特に船の後方は混む。
そりゃ、みんな、景色見たいさ撮りたいさ!
世界各国のガイドブックにこいつが載っているとなれば、格安に楽しい旅をしたい旅行者はこれへやってくるからだ。
バトビュス
パリのメトロもいいが、バスに乗って景色を楽しもうもいいが、景色なら、これもいい。
往時とは違うかも知れぬが、バイキングのロロになったつもりで、パリを眺めてもいい。
ルーヴルの砦をどうやって攻略してやろうか!
バトビュス
単なる交通機関と思えば、安くはない。
でも、15ユーロの乗り降り自由の船ツアーと思えば、他に比べればね。

初めてのパリにもお勧めの乗り物だが、リピーターはもちろん、昔住んでました!ってなひとにも、いいかもしれぬ。灯台下暗し。東京都民に、意外と、都内はとバスツアーが楽しいのと同じなのだ。
2012.07.27

サンタントワーヌ病院前の壁画

サンタントワーヌ修道院跡が現在は病院。
この病院前で行われていた市が、アリーグル広場へ移動したのである。
サンタントワーヌ病院
その病院前はちょっとしたロータリーになっている。
そこにある、カフェの上の壁にある壁画。
サンタントワーヌ病院
そのブルーの木々を描く、麦藁帽の子供?の絵である。
ちょうど、ロータリー部にある木々の影が青くなっているようなのだ。
サンタントワーヌ病院
ここは12区になるが、目の前を走る通りの向こう側は11区になる。
2012.07.26

鷲の巣村ペイユ 路地散策

村の中を散策する。
この村は急斜面に張り付いているだけに、上下が急で横に伸びている。
どれかの道を選んで進んでいくと、ぐんぐん下るものもあれば、上がるものもある。
下がってしまえば、上りが心配になる。
ペイユ村
幅が狭いのか?建物の高さがそこそこあるからか?
圧迫感のある路地がつづく。
ペイユ村
まっすぐ行くもトンネル。
左もトンネル。
まさに迷宮で、ここの防御はなかなかであろう。
ペイユ村
それだけにどこを切り取っても絵になるのである。
何組かの観光客らしき人ともすれ違うが、何匹かの猫ともすれ違う。
猫は住人に違いない。
ペイユ村
住人らしき人には中々出会わぬが、働くのなら、街へ出て行っているだろう。
昼間は猫が住人になるのだ。
彼らも相手してほしいから、誘いに来る。
ペイユ村
坂を下ってゆけば、昇り階段が待ち受ける。
待ち受けるが、行けるところまで下ってみたくなるのである。
ペイユ村
階段の手すりの存在が、この街の大変さを教えてくれる。
2012.07.25

Cite Aubry シテ・オブリー

パリの20区。ペールラシェーズ墓地の南側である。
メトロ2号線のアレクサンドル・デュマ駅を降りて、バニョレ通りを東上してゆくと、左側に路地が現れる。
路地の入り口から、みえる奥のほうの壁が落書きキャンバスになってしまっているため、見た目入りづらい路地だ。
パリの道
バニョレ通りとペールラシェーズ墓地の丘の間を埋めるようにグルりと周回通りがある。その一つがこれだ。
この辺りの路地は、完全な住民向けの路地のため、パリとはいえ、閑静なのである。
パリの道
この裏手はすぐ墓地になるわけだ。
それにしても、パリという街は、密集都市でありながら、こうした静かな環境を上手に作っている。
それが、路地であったり、中庭であったり。
表通りの一つ裏を作ることによって、静かな住環境を作り出しているのである。
パリの道
そういった路地は、古い石畳であることも多い。
だから、歩きづらいし、こうしたところはタイヤの小さなスーツケースでは動きづらい。
パリの道
必ずしも、古い建物ばかりが並ぶわけではないが、まるでユトリロの絵にでてきそうな路地の風景がふんだんにパリに転がっているのである。
決して、モンマルトルの丘だけが、散策ゾーンなのではない。

2012.07.24

モン・ドルの丘の頂上からモン・サン・ミシェル湾を望む

モン・トンブの上にはモン・サン・ミシェル大修道院が建っているわけだが、こちらには、小さなチャペルらしき建物と、マリア像を頂く塔が立っている。
ドル・ド・ブルターニュ
このマリア像の塔には、下から階段で登る事ができる。
モン・サン・ミシェルと違って、誰もいない丘の上に立つ塔の暗い中へ入ってゆくのは、ちょっとした勇気がいるが、まあ、幽霊のいない国、フランスであるから、何の問題も無い。
ドル・ド・ブルターニュ
登れば、モン・サン・ミシェルはもちろんの事、カンカルあたりまで、モン・サン・ミシェル湾をずーっと眺める事ができるのである。
ドル・ド・ブルターニュ
丘の上は公園ベンチが置かれている。
丘そのものが、頂上は公園、南斜面は町になっている。
ドル・ド・ブルターニュ
このミカエルと悪魔が対決した頂上には、風車と巨大な十字架が立っている。
十字架は、ドル・ド・ブルターニュから向かってゆくとずっと見えているものだ。
ドル・ド・ブルターニュ
往時、どこまでが海だったのだろう?
聖サムソンは英国から、ここへやってきた。
海から上がって、この丘を見る人が見れば、霊験あらたかな場所、または、霊験あらたかな場所として使えると目ざとく見つけたに違いない。

そういう意味では、アヴランシュの司教聖オーベールも、渡ってきた聖サムソンも、似たような頭脳の持ち主だったかも知れぬ。一歩違えば、この誰もいない丘が、日本人観光客であふれていたかもしれないのである。
2012.07.23

ユトリロ美術館

パリの郊外は印象派美術の宝庫でもあるのだが、Sannois(サンノワ)という町にユトリロの美術館がある。
この町にユトリロも滞在しているし、この町の絵も描いている。
サンノワ
意外とマイナーな存在となってしまっているが、ユトリロファンも多かろう。
個人的な話だが、もともと、フランスに対するきっかけは、ユトリロの絵と言えぬ事も無い。
そのユトリロ好きであった、絵の塾の先生が、パリの街の絵を描いていたのだ。
そのとき、”パリの道”がテーマになったと言って過言ではなく、それ以来、パリというより、パリの道、道に憬れるようになったのである。
どんな道であれ、動物の作為。誰もいなくとも、人、生き物を感じるのである。
2012.07.22

パリ郊外線RER-C線を上から望む

セーヌ河岸、サンベルナール河岸通りとセーヌ川の間である。
オーステルリッツ駅の目の前ともいえる位置。丁度、サンミシェル駅からオーステルリッツ駅方向へやってきたRER-C線が来たところである。
パリの5区。観光的に訪れにくい場所ではあろうが、ノートルダム寺院からもそう遠くない。パリの中心ともいえる場所であるのだ。
RER
RERというのは地下を走るわけだが、国鉄の線路を利用している区間も多く、そういった部分は外を走っていることも多いのだ。
RER-B線も、北駅以北や、ダンフェール以南は、パリでも外を走る区間である。モンスーリ公園から同じように見下ろせる。
市内完全地下というのは、A線だけであろう。
2012.07.21

Rue Castagnary カスタニャリー通りの美女達

先日お伝えした絵画の通りジャック・ボドリー通りを線路沿いにまっすぐ北上する。
すると、もう一枚の絵が現れる。
丁度、Rue du Bessin(ベッサン通り)との交差点部分。
スポーツ選手のような、近所の女性たちのような、働く元気な女であるのか?
パリの道
この絵のモデル達と題名は分からないが、元気そうというのは、力をもらう。
この世の中、ポジティヴってのはいいですなぁ。
2012.07.20

サンセバスチャン 散策

さて、サンセバスチャンの写真の残りを並べてしまおう。
この川を越えたところに、サンセバスチャンの駅があった。国鉄駅であって、フランス国境へ行く市電ではない。
サンセバスチャン
もともと、サン・ジャン・ドゥ・リュズが悪天候だったため、雑貨でも探しにとやってきた、スペインのサンセバスチャンである。バスクの雑貨が、スペインの方が物価安で手に入るのではないか?と思ったのだが、そういった部分の価格は全く変わらなかった。
国が違うと形が違うので見つけたポストは撮っておく。
サンセバスチャン
さてさて、フランスバスクへ帰還の時である。
サンセバスチャン
山へ登り、ビールをくらい、歩き回ったおかげで、フランスへ知らぬうちに着いていた。
われとした事が、日本では無いところで完全なる爆睡。
アンダイエに到着しても全く気がつかず。
すると、外のホームを歩いていた通りすがりのおばちゃんが、窓をバンバン叩いて起こしてくれた。
2012.07.19

サンセバスチャン ビールを飲みに

へばった登頂後、きれいな海を見つつくだる。
くだりはいつも早い。
サンセバスチャン
ビーチが見えるが、このあたり、もう、喉がカラカラである。
とにかく旧市街に入って喫茶店へ!
サンセバスチャン
どの通りを歩いても、狭く、覆いかぶさるような建物の下に店がたくさんである。
サンセバスチャン
バルも多数見える。
サンセバスチャン
バルもいいのだが、この文字を見たらビールが飲みたくなる。
一番最初に覚える重要単語、Cerveza(ビール)である。
サンセバスチャン
旅の会話集を見て、8がオチョ、80がオチェンタというのを知って、こりゃ可愛らしい言葉じゃないか?と思ったのである。
で、少しかじってみたが、結局覚えたのは、テレビ番組「あしたまにあ〜な」のおかげで覚えた、アスタ・ラ・マニャーナとビールのセルヴェーサだけであった。
2012.07.18

ペイユ村へ

ニースのトラムでヴォーバン(Vauban)という駅で降りると、目の前にバスターミナルがある。
結構新しいのだろう。
線路下のトンネルをくぐると、もう一つバるターミナルが出てくる。
ここが、ニース近郊の鷲の巣村へのいくつかのバスが起点にしている。
ペイユ村
ペイユ行きのバスは、途中、日本のガイドブックにも出てくるLa Turbie(ラ・テュルビー)を経由してゆく。
このあたりでは山からいきなり海が見える感じで、おおぉ!と思わせる。
が、ここから、山へ分け入り、分け入り・・・。
無理やり開けたような岩肌トンネルを通り抜けると、ペイユはもうそこである。
ペイユ村
一番感動するシーンは、バスで向かう途中から見える、山肌に張り付く村の姿であろう。
村に着くと、老人ホームらしき前にバスは止まり、最上部の古城の下に連なる町と、そこへ分け入る道がお出迎え。
ペイユ村
南仏らしい色のついた壁面と窓が、哀愁一杯なのである。
個と寂寥感と生活感をなんとなく感じてしまうのだ。
ペイユ村
村の向かいに小高い丘がある。
ここから、町全体を眺めることができる。
付近はロッククライミングのコースにもなっているようで、谷を下り、岩を登る若者たちも、その丘でしばし休憩したりしているのである。
ペイユ村
街のどこから撮影すれば、もっとも、この町の雰囲気を表すことができるのか?
結局、バス道を戻っていくのが一番よさそうだったが、探しているうちに、帰り時間がやってきてしまった。
ペイユ村
乾いた岩肌の街のカフェでコーヒーを一杯。
パン屋さんで、屑パンを一袋買い、バス停へ向かう。
2012.07.17

Rue Ernest et Henri Rousselle エルネスト・エ・アンリ・ルセル通り

歩いていたら、オレンジ色の店先の自転車が印象的であったので、これを一枚。
地上ロックの鉄柱もおなじみになった。
パリの道
通りの名前はかなり長い。
最も長い通り名というのはわからぬが、きっとここではなかろう。
それでも、長い名前の部類に入るに違いない。
パリの道
パリ13区。中華街とは大通りを挟んで反対、西側になるわけだが、一戸建て街でもある界隈だ。ルセル親子の通りであるが、父はパリ市議会議長、息子は県議会議長ということなのだろう。

2012.07.16

モン・ドルからモンサンミシェルを眺める

モンサンミシェルから、ドルまでバスに乗ってやってくる。
多数の人は、ここからパリへ向かってゆくが、こちらは、ドルの観光局へ向かう。
聖サムソン大聖堂の前だ。
ここで地図をもらって、モンドルの場所を聞くと、緑の道というのを歩いていけば行けるらしい。
これが、また畑道といった風情。
モン・ドル
夕方であるから、日の当たるモンサンミシェルが見えるはず。
そう思って頑張って歩いてきたが、ようやく、ドルからモンドルへ到着。
あとは、ここで予約した宿へ駆け込み、荷物を置いて、モンドルを駆け上がるのみ。
モン・ドル
教会脇の道を息を切らしながら上がってゆく。
東の方向に見えるはず。
そう思って、道なき場所へも岩を登ってみる。
モン・ドル
モン・ドルというのは、モンサンミシェルのライバルである。
ここで、悪魔と大天使ミカエルが戦ったとか、その爪痕があるとか、言われているらしい。
モンサンミシェルが高さ78mであれば、こちらは66mという。
モン・ドル
はるかかなたにモンサンミシェルが夕日に照らされている。
このとき、モンサンミシェルから見た、あの山らしき物はモンドルではなかろうと思ったのだ。
それほど、モンサンミシェルは小さく見えた。
2012.07.15

Passage d'Enfer 地獄小路

おどろおどろしい名前の付いた通り。
入口も、なんだか、人の通行を妨げる鉄格子に阻まれる感じ。
ゴミ箱のバリケードが異様な感じを発する。
パリの通り
入ってみれば、かわいらしい石畳の小道であるが、壁の落書きと自転車のカラーがリンクしていたので、関連性あるかのように見えたのだ。
パリの通り
歩いていると、かわいらしい建物。
この建物、表通りから見ると、豪勢なアトリエ建築。
個人的には、裏口の方が、個が感じられて楽しいのである。
創作意欲わきそうな気もしないではない。
パリの通り
地獄小道は、ほんの少し喧騒から離れた、アーティスティックな午後の陽だまりといった雰囲気であった。
パリ14区の有名なアトリエ建築通りの一本裏手である。
2012.07.14

Le Port Marley ポール・マルリー

ポールマルリーといえば、アルフレッド・シスレーのポールマルリーの洪水で有名な場所だ。
サンジェルマンアンレイからほど近い、セーヌ川沿いのかわいらしい街である。
ポールマルリー
そのシスレーの構図の場所にシスレーの絵の看板が立っている。
その場所から、シスレーの案を借りて一枚。
ほとんど変わってないまま、今ものこっている。

シスレーの当時、洪水の場所が道以外何であったのかわからないが、行ったときには、ペタンク場になっていて、皆が興じているところであった。
昨今の異常気象だと、もしかすると、あんなふうに洪水になってしまうことがあるのだろうか?
そう思わせるだけの水量がセーヌ川にはある。普段は、安定量なのであろうけど。
2012.07.13

La Mosquee de Paris パリのモスク

パリに大きなモスクがある。
星と月が印象的だが、砂漠だったり、暖かい地方であるからであろうか?
日本の日の丸とは対照的なデザインである。
パリのモスク
観光で入るには入場料が必要だ。
お祈りする場所もあるが、そこは、部外者はご遠慮くださいとのようだ。それはそうだろう。
パリのモスク
キリスト教の教会が、どの様式であっても、兄弟のようなものだ。
宗教が違えば、ぜんぜん雰囲気が違う。
日本の仏教寺院を考えれば、当たり前のことだが、こうして異国に来て、同じ街中で違う宗教の建物内にはいると、違う空気を感じるのである。冠婚葬祭以外、宗教からは隔絶した生活をしていると、余計にそう感じるのかもしれない。
パリのモスク
アラブ世界研究所にある美術館をめぐっていても、こちらに来ても、欧州のデザインを精緻にしたような感じがする。それでも、線対称なデザインは、日本から見たら、かなり西なのである。
こうしたデザインが徐々に東に流れてゆくと、今度は、非対称なデザインへと変ってゆくのであろう。
パリのモスク
ちょうど、イスラムな白の上、煙突の壁が見える。
パリのモスクなのだ。
パリのモスク
不思議だが、出てきたときには、身が洗われたような気になるのである。
2012.07.12

サンセバスチャン2 山へ登る

山へ登ってゆく。お城があるそうなのだが、こうしたお偉い人の建物は、高いところにあると決まっている。
防御、見張り、見晴らし・・・。偉い人は上を目指したがるのであろう。
それにしても大変だ。
サンセバスチャン
北側に海があるのだが、そちらから景色を望むと、まるで日本にいるかのような気になってくる。
松と海という二つが島国日本を思い起こさせるのだ。
サンセバスチャン
湾の反対側の半島と小島を望む。
小学校の時、浜名湖の奥、大草山に登ったことを思い出すような風景だ。
これで、ロープウェイでもあったなら、どこにいるのか勘違い下に違いない。
とにかく、日本を連想させる風景なのである。
サンセバスチャン
町側の風景はさすがに欧州のものだ。
頂上までたどり着いて休んでいると、日本語が降ってきた。
「お疲れ様!、こんにちわ」
日本の方もこちらへ登ってきたのだが、やっぱり息が切れる。
ヴェルサイユ宮殿ですれ違う日本人に親近感が沸いて声を掛けることはあまりなかろうが、ここでは、疲労が、連帯感を生む。
サンセバスチャン
もちろん、こうしたことは、日本人同士に限らぬ。
苦労して登ると、共有したものだけは連帯意識を持つのである。
不思議なもので、小さな挨拶が、すがすがしきもちにさせてくれる。こんにちわ!であろうと、ボンジュール!であろうと。
サンセバスチャン
いい眺め、眺望というのは、人間に何枚も同じ写真を撮らせてしまうものらしい。
この湾の写真が一帯何枚あることか!
2012.07.11

ペイヨン村 村内散策

歩いてやってきたペイヨン村。
一番最初に出迎えてくれる風景である。
ここから始まったのが、ペイヨン村トイレ探しである。
ペイヨン村
まずは、上へ上へと登ってゆく。
CARRIERAというつづりであるが、想像するに、通りという意味であろう。
何語であるのか?イタリア語らしいのか?
イタリア統一したガリバルディがニース出身であるのだから、このあたりイタリアであったことがあるに違いない。
ペイヨン村
さらに登ってゆく。
看板が立っているが、昔の写真なのであろう。
当時と雰囲気はあまり変っていない。
詳細がどうであるのか、確認している余裕が、自分の膀胱にはない。
トイレ探しが急務である。
ペイヨン村
喫茶店というのを探しつつ、どこかにはお店があるに違いないと歩き回る。
あっ!いい風景だなと思ったら、とりあえずシャッターを切っておく。
こういう村だ。路地というより迷路である。
ペイヨン村
最上部へ到達すると、子供達が教会前の広場でボール遊びしている。
教会に入ろうと思ったのだが、扉は開かず。
子供達にトイレの場所でも聞くのもいいが、かえって時間がかかるかも知れず、ギャンブルは避けることに。
上まで登ると、展望台によくある、こちらに何が見えます!ってな案内盤がある。
ペイヨン村
降りてきてしまった。
この案内看板には、こちらへ歩いてゆくと1時間半でペイユ村ですよ、と書かれている。
行ってみたいが、今行きたいのはトイレ。
ペイヨン村
モノクロの村に、赤い消火器がかわいらしい。
村の入り口のレストランたちもやっている雰囲気はない。
近くにあるチャペルも古いとガイドブックにあるのだが、中に入れず。
ペイヨン村
もう一度、駐車場付近に戻ってみると、ありました。
灯台下暗し。
町の入り口に公衆トイレが普通にね。
2012.07.10

Rue du Rendez-Vous ランデヴー通り

パリの20区に程近い12区にある通り。
パリの右端。
ランデヴーというのは、日本では既に死語。

ランデヴー=逢引き、デートの待ち合わせ。

エロじじいがセクハラ気味に、飲み会を断った女子社員に、
”今日はあれかい?どこかでランデヴー?イヒヒ”
そういうことを言うエロじじいも言葉と共に日本では死に絶えたかもしれぬ。

フランスじゃ、この言葉は、もちろん現役だ。
現代の日本じゃ、英語の略、アポ。
これが、フランス語のランデヴーの正体なのだ。

だから、別に、男と女である必要もない。普通に使われる”待ち合わせ”なのである。
パリの道
それにしても、上の写真の通り名の看板、やけに高い。
こちらですよーと看板が言ってくれている。

通りの辞書によれば、こいつは、狩りの待ち合わせから来ている通り名らしい。
すぐ近くにゃ、ヴァンセンヌの森がある。
ここらで、待ち合わせして、出かけたのに違いない。
パリの道
そういや、フランスの場合、カフェで待ち合わせは多い。
だから、カフェの名前も、ランデヴーが使われることが多いのだが、通りの名前にとはね。

眺めてみれば、向こうに、別の通りの建物が見える。
道の先が見えぬというのが、すきなのである。
たとえ、小路であっても。
あの先へ行ってみたいプチ冒険心に駆られるのである。
こうした雰囲気がどこにも転がっているパリらしい雰囲気であるのだが、どこも同じようで、微妙に違うのだ。

くれぐれも、逢引き通りではないのですよ。
2012.07.09

モンサンミシェル トンブレーヌとモン・ドルを望む

モンサンミシェルに入ってゆく。
グラン・リュなる表参道をズルズル登って行く。
ポッカリ開けた口から、さらに登ってゆけば、チケット売り場。
チケットを買ったら、さらに登る。
このあたりで疲れきるだろうが、ここで終点。
そこから、教会へ入っても良いし、正面の案内所を通り抜けてもいい。西のテラスに出る。
北に、島が浮かぶ。これがトンブレーヌである。
モンサンミシェル
モンサンミシェルの僧院の入り口付近で振り返っても、その姿が見える。
個人で行けば、見落とし勝ちだが、団体で行けば、必ず説明してくれるだろう。
モンサンミシェル
トンブレーヌは、エレーヌの墓。トンブが墓なのである。
モンサンミシェルも元は、モン・トンブ。
モン・サン・ミシェルは、モンが山(マウンテン)サンが聖(セント)ミシェルはミカエル(マイケル)である。
この山も、もとは、モン・トンブ墓山と呼ばれていたのである。
モンサンミシェル
どうやら、モン・サン・ミシェルとトンブレーヌは夫婦岩のようにたたずんでいるのである。
こんなところに、ポカリ、ポカリと島が浮かび、それまた、海水によって、離れ小島となるのであるから、信仰の対象になろうというもの。
モンサンミシェル
このポカリり浮いたような山が、もう一つあるのである。
日本人観光客も、何人かはレンヌから、何人かはドルからバスに乗ってやってくるに違いない。
ドルからやってこられる理由は、パリからレンヌまで行ってもドルまで行っても電車賃変わらぬが、バス代は安くなるなんて事が理由の方もいるであろうし、途中、モンサンミシェルの風景をバスから眺めたいという方もいるだろう。いやいや、ドルという町にちと興味があってという方もいたかも知れぬ。
モンサンミシェル
モン・サン・ミシェルから西方、モン・ドル(ドル山)がある。
ドル・ド・ブルターニュのドルであるが、現在の町としては、ドルの北側にある、モン・ドル村である。
このモン・ドルにいた悪魔と、天使が戦った山で、モンサンミシェルよりも昔から・・・なんて話もあるではないか。
モン・ドルとモン・トンブはライバルに違いない。
双方から見えるのに違いない。
であるならば、そこから、モンサンミシェルを観てやろうということになったのである。

あれが、モン・ドルに違いない!と写真を撮ったが、確証はない。いやいや、あいつは違うな!と後で思うのである。
とりあえず、ドルへ向かう。
2012.07.08

メゾンラフィット城

メゾンラフィットにお城がある。
このお城は、まあ、色々持ち主が変わっているようであるが、ジャック・ラフィットさんに売却されたのである。
元々、メゾンと呼ばれていた土地に、この人がやってきて、町を改造したので、今日のような名前になったらしいのだが、競馬場がそのときからあったわけではない。
メゾンラフィット
お城は、パリの郊外によく見かけるお城と同じ雰囲気なのである。
シャンデリアに絵画、暖炉もあれば、ルイ14世の絵も飾ってある。
メゾンラフィット
ゴブラン織りのタペストリーもこうしたお城の必需品といえる。
何気に見過ごしてゆくが、これを織るのは確かにとんでもない作業に違いない。
メゾンラフィット
お城から眺める風景のは、昔とそんなに変わっていないであろうが、舗装された道と、はるか先に見えるようになったラ・デファンスの高層ビル街が、おおきな違いなのであろう。
メゾンラフィット
こうした木の細工も、部分部分が切り張りされているのであるから、恐れ入る。
自分の家の家具と思って考えてみれば、とんでもない代物であることは、素人でも分かろうというものだ。
メゾンラフィット
さて、ここの主となったジャック・ラフィットさん。
バイヨンヌ生まれであるから、バスク人なのである。
フランス革命の前年にパリに来た銀行家。後の首相。
メゾンラフィット
当時から、厩舎などがあったらしいが、ここに競馬場が出来たのは、何十年も後。
ここに競馬博物館がある。
ここの競馬場を作った人も、今や日本でもおなじみの馬券の配当方式を考えた人も、同一人物なのだ。
ジョゼフ・オレールさん。この人、カタルーニャ人らしい。
バスク人とカタルーニャ人に縁のあるお城なのだ。
このお城の地下に、システム・オレールの馬券発売器がある。
メゾンラフィット
ここは、競馬の聖地でもあるのだ。
そういうこともあって、ここは、英国のニューマーケットと姉妹都市らしいが、競馬の話は、割愛しておこう。
2012.07.07

パリの円形闘技場 Square des Arenes de Lutece

パリ5区のモンジュ通りに不思議な入り口がある。
口の右側には、公園であることを示す緑の表札とここが、パリの歴史的観光スポットであることを示す鉄看板もたっている。
この口を通り抜けると、そこに、円形闘技場があるのだ。
パリの円形闘技場
円形闘技場といえば、ローマのコロッセオ、フランスなら、ニームやアルルが有名だ。
ここ、パリにも、こんな古代遺跡があったのである。
Arenes de Lutece、リュテスのアリーナ、リュテス円形闘技場ということになる。
リュテスは、この丘を中心にできたパリの前身、ルテティアの町のことになる。
パリの円形闘技場
ルテティアはケルト名だ。ここに住んでいた人がパリシイ族であったのだ。
だから、現在パリと呼ばれるのだが、これも、ケルトから来ている名前なのである。
ここへ、ローマがやってきて、これができたのだろう。
ケルトとローマであるから、ガロ・ロマン期の遺跡ということだ。
パリの円形闘技場
ローマはキリスト教化と共に、占領政策にも優れていたのだろう。
大帝国になった所以の一つがこうした遺跡に残されているのかも知れぬ。
ここが首都になるのは、この先、クロヴィスというゲルマン民族フランク族の王がやってきてからのことだ。
2012.07.06

サンセバスチャン1 旧市街を貫く

フランスから乗った、バスク鉄道は、サンセバスチャンの中心、アマラ駅へ到着する。
サンセバスチャン
まったくガイドブックすら用意せず、ヒョイとサンセバスチャンへやってきた。
まずは、観光局とやらを目指し、地図をもらうと、旧市街を突っ切って、海辺の城とやらを目指す。
サンセバスチャン
歩いていると、おばあちゃんに声を掛けられた。
「アスタなんとかなんとか、アスタなんとかなんとかヴィエホ・・・・。」
手の動きが、ここから、ここの間みたいな説明であるから、ああ、そういえば、アスタってのは、スペイン語で何とかまでといういみだったようなと思い出す。
ヴィエホは、フランス語のヴィエイユであろうから、古いである。

目の前に広がる建物の街の雰囲気を見れば、
「あんた、ここから、ここまでの旧市街の方が観光するにはいいよ!」
と、おばあちゃんが教えてくれているに違いないと勝手に解釈する。

どこの国へ行っても、優しい人というのはいる。
「グラシアス!」
下の写真は、サンセバスチャンの大聖堂であろう。
サンセバスチャン
フランス語ではRue(リュー)が道であるが、スペインではCalle(カジェ)である。
こうした、駅名表示板をみれば、ああ、違う国へ来たと実感するのである。
サンセバスチャン
サンタマリア教会へ向かう道。その向こうには、目指す海辺の山が見えている。
フランスバスクの赤や白といった建物群とはちがう、茶、黄土色の重厚感溢れる建物が多い。
サンセバスチャン
教会を左に折れて、海沿いへ行けば、山への登山口へ到着するはずだ。
サンセバスチャン
さて、山登りますか!
2012.07.05

Rue de la Gaite ガイテ通り

モンパルナスタワーのお膝元、メトロ6号線エドガーキネ駅と13号線ガイテ駅を結ぶように通る通りである。
パリ14区。
パリの道
ここは、モンパルナス駅の駅近歓楽街の様相。
怪しいというのではなく、賑やかな通り。
パリの道
振り返って通りの空を眺めると、モンパルナスタワーが、こちらを覗き込んでいる。
覗き込む下には、カフェも多いのである。
ホテル街ともいえるゾーンであるから、観光客も多い。
パリの道
劇場が立ち並ぶ。それが、この通りの景色を賑やかにしてくれているのである。
パリの道
振り返ってモンパルナスタワーの写真を撮っていると、何を撮っているのか?と目線をそちらへ移す通りすがりの人たち。
ああ、モンパルナスタワーねっ!ってな感じで、通り過ぎてゆく。
まるで、それまで気がつかなかったかのようだ。
2012.07.04

南仏の鷲の巣村ペイヨンへ2 ペイヨン村へ歩く

ペイヨン駅からぐるりと回って下に下りてゆく。
幹線道路を歩いてゆくと、途中で右に上ってゆく坂道に遭遇。
まあ、分からぬことなどありえぬほどの田舎である。

ガンガン登ってゆくと、程なく、先ほど降りた列車が通った線路に遭遇。
フランスの踏み切りってのは、赤と白なんですね。これはパリでも一緒。
ペイヨン
登る道はまっすぐだが、あのてっぺんへ向かうには、九十九折を登ってゆくことになる。
あんな岩の上にどうやってたどり着くのか?不思議なものだが、これで行けるのらしい。
ペイヨン
ウネウネ曲がる道のコーナーを曲がるたび、高さが上がって行く。
上がって行くと、徐々にあの村の高さと、自身の位置が近づいてくるのだ。
ペイヨン
気がついて見下ろせば、眼下に先ほどの線路が。
ペイヨン
徐々に、ペイヨン村の左側斜面方向へずれてゆく。
そちら側からアプローチするしかあるまい。
ペイヨン
ひらけた位置から、したを見下ろすと、今度は遠くに駅が見える。
赤い建物であるから、あれじゃない!と分かりやすい。
画面中央だ。
あそこから、一度下り、そして登ってきたのだ。
写真撮りつつ、ゆっくり歩いてきたところで、ここまでの所要時間は1時間かかるまい。
ペイヨン
ペイヨン村を背に、一旦離れるように登って、再びぐるりと戻ってくる。
気持ちが一番萎える辺りだが、それは、もう、最後の上り坂。
もっとも、普段から、ウォーキングしているような人にとって、萎えるほどの急坂ではない。
田舎道をブラブラしている程度で、眼前に村が迫ってくる。
ペイヨン
ペイヨン村に到着。
村から村、町から町へとフランスを旅する人にとって、およそ見慣れた、村名の赤枠看板。
ペイヨン
不思議なもので、帰り道は恐ろしく早い。
こんな程度だったのか?と思うのである。

到着までにかかった時間は、写真撮りつつゆっくり登って、1時間と15分ほど。
写真撮ったところで、テクテク、スタスタあるく御仁にとっては、1時間未満で到着するのであろう。
2012.07.03

アルセナルからセーヌ河岸へ2

先週のつづきである。
アルセナルからセーヌ河へ出て、さらに上流へ向かってゆく。
すなわち、12区、13区方面だ。
目の前に、まず、オーステルリッツ橋が見えてくる。
セーヌ河岸
その橋のたもとで、おそらく訓練なのだろう、水難救助隊らしき人たちが、ボートに乗ってあれやこれやをやっている。
飛び込み自殺なんてのは、この国では少なかろうが、船の多いセーヌ川。事故があれば、救助が必要になる。
セーヌ河岸
それを見つつ、セーヌ河岸を歩くのだけれど、結構幅の細い河岸を歩いてゆく。
ボラードが点々とならび、壁はきれいに塗りなおされているが、その上から早くも落書きが。
2012.07.02

モン・サン・ミシェルが変貌してゆく

モンサンミシェルのアプローチ工事が進んでいる。
上の写真が今年3月。
下の写真が今年6月。
観光バスは、直接モンサンミシェル目の前まで入ってゆくことができなくなった。
ただし、路線バスは違う。
モンサンミシェル
閑散とした駐車場のそばを、歩いてゆく人の流れ。
路線バスも、この駐車場の手前で下される。
といっても、路線バスの場合は、歩く距離はしれている。
モンサンミシェル
観光バスの場合、観光バスの駐車場から、モンサンミシェルの対岸から出るシャトルバスの乗り場まで歩かねばならぬ。シャトルバスを降りたら、路線バス同様、少し歩いてモンサンミシェル入口へ向かう。

バスで、目の前までいって、ハイお食べなさいというほうが、そっけない。
ちょっとは大変な思いをしたほうが、記憶に残るに違いない。

とはいえ、そこまでするのなら、水に埋まるモンサンミシェルを見たいというものですなぁ。