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2012.05.31

Rue du Chevaleret シュヴァルレ通り

パリ13区。
オーステルリッツから延びる線路脇を通るみちであるが、あまり線路を意識させられる事は無い。
長い通りなので場所にもよるが。

シュヴァルレ駅から、南西方向に伸びる、意外と喧騒から離れた感じのする通りである。
13区の再開発エリアのお店近くを通るが、人と車の行き交う通りというイメージではない。
それは、交通量の多い東西に伸びるトルビアック通りとは立体交差になるゆえかも知れぬ。
パリの道
そんな、通りの建物の壁のDEGAGEの文字。
下に小さく書かれていた文言を見ると、どうやら、チュニジアのジャスミン革命のことが関係しているようだ。
デガジェは開放という意味で使っているのかも知れぬ。

大きく物事が変化するとき、実はそれは、物事の始まりに過ぎぬ事が多い。
理論や仕組みは運用できてこそなのである。

ペナルティエリアから、サッカーボールがクリア(デガジェ)されたとしても、点を取る戦いは、そこから始まるのである。
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2012.05.30

グランパレ 夜景

人の少ないシャンゼリゼ通りを歩いていたら、グランパレが青く光っていた。
人の喧騒ばかりの気になるシャンゼリゼ通りであるが、静けさのなかに、青く輝く様は、ここが、”夜”であることを教えてくれているかのようである。
グランパレ
この青い光は、凱旋門へ上っても、確認する事ができる。
夜、このあたりを歩いた事がなかったのか、こんな青いライトアップを始めて見た気がするのである。
一度、とある時間にいったからといって、そこの顔を知っている事にはならぬ。
いろんな町の表情があるのだ。
同じ街など、一度行けば充分。
そんな考え方もある。
同じ通りですら、いろんな時間に訪ねてみる。
そんな考え方もある。

正解は無い。
2012.05.29

イタリアの新幹線

ミラノの中央駅に到着した日に、翌日の新幹線のチケットを購入する。
ミラノからジェノヴァまでの新幹線と、ジェノヴァからヴィンテミリアのチケットだ。
中央駅の列に並んで、言葉が通じるか不安になりつつも、窓口に並ぶと、優しいイタリアのおっちゃんが、画面を見せつつ対応してくれた。
お蔭様で、事前に調べておいた、ジェノヴァまでの新幹線とヴィンテミリアまでの乗車券をゲット。
ミラノ中央駅
アーチの美しいミラノ中央駅には、白い新幹線フレッチャ・ビアンカと、赤い新幹線フレッチャロッサが停まっている。
下は、ビアンカ。白とグレーのツートンである。
ミラノ中央駅
こちらはロッサ。赤が、この国の代表的な車フェラーリを思わせる。
ミラノ中央駅
で、今回乗ったのが、ビアンカである。ジェノヴァ経由ローマ行き。
最後尾が、いわゆる列車の顔ではなく、客車の切れ端になっていたので、乗り込む車輌付近から撮っておく。
ミラノ中央駅
中に乗ると、既に、乗ろうとしている座席に先客が。
子供がいるから、こちらに座っていい?と聞かれたようなので、いいですよと。

周りを見渡せば、客車中央部分の向かい合わせ4人掛け席以外には、人が乗っていない。
その部分だけ、左右4人席共満席8人ぎっしり状態であるのだが、それ以外の2人掛けは、空席なのだ。
ジェノヴァまで、ほぼ、この状態。
どんな売り方してんの?

さてさて、その向い側に座った女の子は、どうやら、フランチェスカちゃんのようである。

「フランチェスカ!ダメじゃない!!」
「フランチェスカ!こうしなさい!」
「フランチェスカ!何してるの!!」

怒られ通しであったが、当の本人は、そんなお母さんの怒り声はどこ吹く風。
全く、無視しつつでもなく、返事するでもなく、素知らぬ顔で、ブロックを重ね続けたのである。
ふふふ、天晴れ!フランチェスカ。


2012.05.28

ミラノ ドゥオーモ 切り取り

到着した日の翌日、もう一度ドゥオーモを訪れた。
といえば、わざわざの様に聞こえるが、たまたまここを目指して散歩しただけのことである。
ドゥオーモ
細かい門扉の装飾。
ドゥオーモ
細かさを見ていると、サグラダファミリアを思い出すのである。
ただ、こちらの方が、刺さったら痛そうであるが。
ドゥオーモ
パスタを食らい、ピザを食らいのティラノとミラノをあわせて1日以内という通過の旅の終わりは近づく。
2012.05.27

オーベル・シュル・オワーズ 散策風景

オーベル・シュル・オワーズは、名のごとく、オワーズ川沿いの街。
当然、オワーズ川の景色を眺めることができる。
せっかく、オワーズ川沿いのという名の付く町にきたのだから、見ないで帰るのは無粋なのだ。
オーベル・シュル・オワーズ
ザッキンのゴッホ像のある公園。
駅から歩いてゴッホの家に向かえば、必ず、この公園付近を通過する。
でも、自画像から想像するゴッホは、もうすこしふっくらしている気がするのだが、みなさんはどう思うか?
もっとも、ザッキンだから、ゴッホはこうなると考えることもできる。
オーベル・シュル・オワーズ
このレストランの前で事故を起こしたことが、このゴッホの家が観光地になるきっかけとなったようだ。
ゴッホの家、ルノワールの家、モネの家、デュマの家・・・。巨匠の家は、大教会、大美術館に匹敵する観光名所であるのだ。
オーベル・シュル・オワーズ
ドービニーの家付近から、お城へ伸びる道。
オーベル・シュル・オワーズ
裏手に回れば、ゴッホの自殺現場とされるところに立つ、自画像看板を目にすることができる。
どうもね、こんな場所での自殺ってのが、意味不明なんだがなぁ。
オーベル・シュル・オワーズ
オーベルの城。
宮殿、城、城郭・・・いろんな言い方があるが、この形は城館といいたい形である。
オーベル・シュル・オワーズ
かわいらしい通りがある、鄙びた郊外の町なのだ。
これが、パリの郊外25キロ。
東京から、このぐらいの距離移動しても、府中、立川、町田、横浜・・・。
日本じゃ、まだまだ、街が続くが、パリ郊外では、もう、田舎町の様相なのである。
オーベル・シュル・オワーズ

2012.05.26

バイヨンヌ5 寸景

バイヨンヌらしき残り写真。
駅を降り立つと最初に渡る、アドゥール川に架かるサンテスプリ橋からの教会遠景。
多く人が、この景色をまずカメラにっていう風景だろう。
バイヨンヌ
そして、お次が、ニーヴ川沿いの街並み。
これが、サンテスプリ橋を渡って次に飛び込んでくるビッグイベントだ。
バイヨンヌ
街中には、欧州らしき、鉄のお店の看板もあるが・・・
バイヨンヌ
バスクらしきものといえば、このマークにこの文字。
バイヨンヌ
有名なチョコレート屋さんの名前のつづりにも、Aの上に屋根がついているのである。
そんなところに、バスクだっ!と思わせるものが隠れている。
バイヨンヌ

2012.05.25

オーステルリッツ駅付近を渡るメトロ6号線

以前既に載せたパリの通り。
ピエール・マンデス・フランス通り。
オーステルリッツ駅から伸びる線路の東側を走る通り。
新しい建物が並ぶ一角なのだ。
その通り沿いを歩いてゆくと、メトロの鉄橋が見える。
パリのメトロ
オーステルリッツ駅を出た列車が通る線路をまたぐ通りのさらに上に作られた橋なのである。
パリのメトロ
工事中ということもあるのだが、これがまた、直線的なデザインが固まったゾーンで、新しさと場末感を味わう事の出来るエリアになっている。
すぐ脇の、セーヌに架かる橋ベルシー橋も、ケ・ドゥ・ラ・ガール駅もあるから、この付近、メトロの絵に事欠かない。
パリのメトロ
細めの勝鬨橋が連続するようなデザインがここでも見る事ができる。
これも、パリらしいといえば、パリらしい、デザインのあふれる場所なのだ。
パリのメトロ
西行してゆくメトロは、イタリア広場手前で一旦地下にもぐる。
2号線、6号線は高いところを走るが、パリの城壁といって言い存在なのだ。
2012.05.24

Avenue de Versailles ヴェルサイユ大通りのギマール

パリ16区。
よく言えば、高級住宅地。
悪く言えば、スノッブな地区。
ヴェルサイユ大通り、また、この付近にはギマールの建築がたくさんある。
その中の一つ。
主張の少ない、周りに溶け込むように立つアパルトマンである。
ヴェルサイユ大通り
猫耳のような屋根裏の窓。
人間の鼻のように飛び出た中層階の窓。
ヴェルサイユ大通り
まるで、ボールペンで、ノートに書いた数字を太くしたかのようなギマールの数字は楽しい気持ちにさせてくれる。
142番地。
一度、自分でノートにギマール風に数字を書いてみて、ギマールの数字と比べてみるのも、感性の違いがわかって楽しいかもしれない。
ヴェルサイユ大通り
100年以上経つんですなぁ。パリの中じゃ、古い建物の部類に入る、しかhし、今の感覚でも、新しい感性の建物。
2012.05.23

凱旋門からエッフェル塔

凱旋門に上れば、100人中100人が撮影するであろうエッフェル塔。
確かに、シャイヨー宮か、シャン・ド・マルス公園でなければ、ここが最も撮影しやすかろう。
方向音痴な人であれば、どれがシャンゼリゼ通りか分からぬので、撮り損ねることもあろうが、エッフェル塔はその心配後無用である。
エッフェル塔
風が強いのが難点である。
無風ならラッキーであるが、風が強いのなら、シャッタースピードを上げるしかあるまい。
要するに、ISOの感度を上げてあげればいいのである。
それでもね、後で拡大してみたら、ぶれてたなんてこともあるけれど、このぐらいの大きさの写真なら、耐えられる。
2012.05.22

ミラノのトラムたち

24時間チケットを中央駅のキオスクのおばちゃんから買ったので、乗らぬ手はない。
しかし、どいつがどこへ行くかは良くわからぬ。
ミラノのトラム
こうしたときは、大きなターミナル、たとえば、ドゥオーモ方面へ向かうトラムや、中央駅へ向かうトラムに乗るのである。
そうであれば、よもや乗り過ごすことも、わけの分からぬところへ行ってしまう心配もあるまい。
歩いているうちに疲れたら、その近くのトラムがドゥオーモ方面行きであれば、乗ってしまって問題ない。
ドゥオーモへ行くのだから。
ミラノのトラム
乗り方は、欧州共通というのか、フランスのバスの同じで、切符を機械にガチャコンといれ刻印。
味も素っ気もないグレーの車内といったトラムから、昔の東急世田谷線のように、木の情緒あふれる車内もある。
ミラノのトラム
地元民でないと使いづらい公共交通機関ほど、地元顔しているものだ。
ドゥオーモ付近にやってくると、歴史、そうでないところは、生活、を感じさせてくれるのである。
ミラノのトラム
必ずしも、乗り物は最新がいいとは限らぬのだと、ここミラノで思うのである。
2012.05.21

ミラノの世界遺産 ダヴィンチのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

このサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のダ・ヴィンチの最後の晩餐を見るためには、サイトで予約がいるとの事だった。
で、予約しようと思ったが、行こうと考えている日の予約は始まっていない。
あわてて予約する事はあるまい。
そう考えていたのである。

しかし、それは甘かった。

不思議なことに、こちらが行こうと考えていた日だけ、早々に埋まってしまったのである。

前後二週間は満杯になっていないのにである。

嫌がらせかのように、その日だけ・・・。何度見ても、その日だけ。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
ということで、当日券でもあろうか?と期待して、当日を迎えることにしたのである。

そして、入り口へ向かうと、売り切れの文字が躍る。

それでも、と、聞いてみたが、無言で、売り切れ看板を指差されたのである。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
ということで、ミラノが、また来て下さい!と呼んでいるのだろうと都合よく解釈し、いずれの時の為に、教会内部の最後の晩餐の絵は次回にとっておいてやった。
そして、普通に教会内に入り、ああ、あの最後の晩餐がいかにもここにありそうだと思わせる、その他の絵を見つつ、教会内をうろつき、そして、教会の外観をカメラに収め、去る事にしたのである。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
ウィーン美術史美術館で見たかのような、大理石の柱。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
大事なのは、最後の晩餐だけといわぬばかりに、意外と閑散とした教会内部。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
きちっと予約してきたのだろう、大勢いる日本人観光客達を、良いなぁと指をくわえて見つつ、余った時間を有効に使うために、歩いてドゥオーモまで散歩する事にしたのである。
ミラノがまた来い!と呼んでいるのだと、負け惜しみを言いつつ・・・。
2012.05.20

オーベル・シュル・オワーズ ガシェ先生の家

オーベル・シュル・オワーズの散策の目玉といえる、ガシェ先生の家。
ゴッホの主治医。
ゴッホの家は散策の目玉ではなく、散策以前の、イルドフランスの目玉であるから、おのずからその立ち位置は違う。
オーベル・シュル・オワーズ
ここまで歩いてくる人は、散策しようと思って、余裕を持ってオーベルへやってくる人であろう。
なんだかんだの展示物があるのだが、雰囲気のある階段を昇ると、アルマジロ?がお出迎えしてくれた。
襲われるのかどうか、分からぬので、早々に、家の中へ退散。
すると、可愛らしい床が。
オーベル・シュル・オワーズ
まぶしい午後であったが、整理されているというより、雑草が生えまくっている感じもするお庭のきれいな花を一枚。いや、整理されているのだろう。
オーベル・シュル・オワーズ
以前もお伝えした、オーベルの画家の書いた場所看板めぐりオリエンテーリングは、この後も続いてゆくのである。
2012.05.19

バイヨンヌ4 ニーヴ川右岸散策

駅から大きな橋、サンテスプリ橋を渡ると、一番最初にニーヴ川の右岸に入る。
さらに、すぐに小さめの橋を渡れば、教会のある左岸に出る。
この右岸の最初に見える通りが、このRue Bourgneufブールニャフ通りである。
この右岸界隈は住宅ゾーンといった趣で、静かな雰囲気のある通りも多い。
バイヨンヌ
Rue de Coursic クルシック通り。
壁面が柔らかいふくらみに感じる建物が印象的な通り。
木組みの家はフランスには多いが、こうした正方形の並ぶやつは見ない。
バイヨンヌ
同じく、クルシック通りから見た教会の2本の尖塔。
少し遠い位置から見ると、街に溶け込んだ雰囲気になり、圧迫感はない。
正面に見える建物は左岸。
その手前、緑の手すりの向こうはニーヴ川。
バイヨンヌ
クルシック通りからすぐのところ、Rue du Trinquet トランケ通り。
車も通れないような細い路地。
こうした通りが縦横に走っている。
バイヨンヌ
バスクの国旗カラーとも言うべきグリーンと赤系のバルの目立つRue Pannecau パヌコー通り。
バイヨンヌ
ミュゼ・バスク(バスク博物館)があるこの界隈を、バイヨンヌの顔とも言える、皆がカメラを向けるニーヴ川河岸の写真を撮りつつ、裏の路地の散策もいいのである。
2012.05.18

ベルシー駅

オリエント急行か、そうでなければブルゴーニュへ向かうTER(地方鈍行)というこの駅。
ほとんど人を見かけるチャンスが無かったのだが、いやぁ、いっぱい人がいる瞬間に出くわしたので、一枚。
ベルシー駅
パリで最も地味な国鉄駅の一つである。
パリ市内国鉄起点駅としては、最も地味かも知れぬ。
これだけの人をみると、ああ、エスカレーターも、右手に見える、塔の様なエレベーターも必要だったのねと思うわけである。
2012.05.17

Rue le Bua ル・ビュア通りのお花

ル・ビュア通りは20区の中ほど東側、ペルポール駅近くにある通り。
住宅街にある、迷路の一つを構成するゆるやかな坂道である。
パリの道
そんな通りに花一厘。
このような絵が、この界隈でいくつみたのであるが、赤い壁に印象的な緑と青のコントラスト。
花はもちろんなのだが、こうした、鉄や木の単色で塗られた欧州の建物は意外と多く、そして、結構かわいらしく味があることが多いのだ。
2012.05.16

マドレーヌ寺院 夜パリ散歩

この界隈は、ほとんどの観光客が訪れる場所。
マドレーヌ寺院の上部を夜に一枚。
マドレーヌ寺院
MAGDALENAEとなっている部分が、マグダレーヌ、すなわちマドレーヌなのだろう。
柱は、法隆寺同様、エンタシスのふくらみを持つ。
夜は、覆いかぶさってきそうなほどの圧倒的圧迫感。
ノートルダム寺院が、聖母マリアであるのだが、それに負けぬだけの威容を誇るマグダラのマリアの大伽藍なのである。
2012.05.15

ミラノ ドゥオーモ

夜、ミラノの中央駅へ到着する。
投宿すると、まずは、ゴシックの華を見に、メトロで向かう。
ドゥオーモ
ゴシックというのは、ゴート族風、野蛮という意味らしい。
その野蛮なゴート族が定住したのもこの界隈。
ゴート族の大本はゴート族の街というイエテボリなのだろうが、ロンバルディアもゲルマン系のゴート族の国があった場所なのだ・・・などと考える建物の雰囲気だ。
ドゥオーモ
歴史的で、しかも、石の重みも感じられるドゥオーモ前の広場の雰囲気なのである。
夜のゴシックは特に重たい。
ドゥオーモ

2012.05.14

イタリア入国ティラーノ駅

個人的には、生まれて初めてのイタリア入国。
ということで、記念的な街となったティラノ。

到着すると、列車の撮影も忘れて、とりあえず、駅舎に。
サンモリッツの木の日本語看板は良く写真で見かけるので、こちらの写真を載せておきます。

すると、この看板を見つめる、観光客の姿が・・・。
ティラノ
「この上の文字が日本語で、下の文字は中国語かい?」

たしかに、カタカナと漢字が同じ国で使われている文字とは認識しづらかろう。
なにしろ、26文字前後の組み合わせで表記する欧州なのである。
上のカタカナと下の漢字では、アラビア文字とアルファベットの違い以上に見えるに違いない。

「どっちも日本語だよ。3つの文字タイプがあるから。」
一応、納得してくれたようだが、腑に落ちた感じではなかった。
ティラノ
上がイタリア語で書かれているのであろうが、ティラノとベルニナとサンモリッツは意味わかる。
ティラノ
せっかく降り立ったイタリアの地であるから、駅前でパスタを食らい、少々歩いて、教会のある場所を目指し、前を通過するベルニナ急行を撮影してあげようと思ったのであるが、スーツケースアリで断念し、その手前で曲がったところにあるフランス系のスーパーSimplyMarketでジュース購入。
ティラノ
国鉄駅は、フランス同様、青地に白字である。
この組み合わせは、見やすいんでしょうな。
ティラノ
山肌の見える、少々さびしげなティラノの駅であるが、列車が入線してくると、下のような雰囲気に。さてさて、初めてのイタリア国鉄に!
ティラノ
ティラノ発ミラノ中央駅直通列車。
社内は、ローカル線ながら、ブルーで統一されていて、こぎれいなのだ。
ティラノ
この列車に長い時間揺られてミラノに到着するのである。
通路はさんだお隣に、女性二人組が乗っていらっしゃった。
欧州じゃ、電車で寝ないものだと思っていた。
メトロはともかく、何時間も乗るようなことになれば、やっぱり眠くなるようである。
TGVだけでなく、このローカル線のお隣女性二人組も、美しい湖岸を延々と通る路線の風景と列車の揺れに眠くなったようで、途中からは前後不覚状態であったようである。こちらもであるが。

2012.05.13

オーベル・シュル・オワーズ ドービニーの庭

ゴッホが絵を描いたというドービニーの家の庭へ。
家にももちろんは入れるが、家の中一面が、コローやドービニーなどの絵が描かれているのだ。
娘さんのための部屋など見れば、親としての愛を感じることができる、まあ、なんだか大作を描く風景画家というより、画家が職業のフランスのおっさんを十分身近に感じることができる。
オーベル・シュル・オワーズ
さて、ここで、ゴッホは何を考えたのだろう。
ゴッホが来たときも、家の中には、そうした家族愛や友情にあふれた絵があったはずだ。
そのあと、この庭に来て、感じたものが何であったのか?
オーベル・シュル・オワーズ
その答えが、広島やバーゼルの絵なのであろうが、こちらは、天気がよければ、すがすがしいお庭散歩になる。
ただただ、自分の好き勝手にできるお庭ではなく、人の家であることが残念。
徐々に頭の中は、この後のオーベルの街の散策へ移行してゆく。
オーベル・シュル・オワーズ
まだまだ、この先、いっぱい歩くのだ。
ゴッホに負けぬほどね。
2012.05.12

バイヨンヌ3 サント・マリー大聖堂が見える道

サント・マリー大聖堂が見える通りたちである。
Rue des Gouverneurs グーベルナー通り。
重厚間あふれる建物の向こうに教会の尖塔が見える。
バイヨンヌ

Rue Douer ドゥエ通り。教会裏手にあるスペースの緑の向こうに尖塔が。
このあたりだと、住宅の中という雰囲気もないことはない。
バイヨンヌ

Rue Port Neuf ポール・ヌフ通り。
バイヨンヌを訪れたほとんどの人が通るであろう、この通り。
チョコレート屋さんも多い。
バイヨンヌの顔の一部でもあるだろう。
バイヨンヌ

Rue Montaut モントー通り。前出ドゥエ通りから見えた緑のある広場付近から。
近づけば尖塔の真下にいるような雰囲気になってくる。
バイヨンヌ

Rue Port de Castets ポール・ドゥ・カステ通り。
ニーヴ川から教会目の前へ登ってゆく坂道の一つ。
バイヨンヌ

この教会界隈は、商店街と官公庁の2つの顔を持っているようだ。
華やかな感じ、にぎやかな感じ、重厚感のある雰囲気などが、ニーヴ川西側地区なのだろう。
2012.05.11

ラ・シャペル駅付近を走るパリのメトロ2号線

丁度この辺り、北駅の裏である。
北駅から歩いて乗換ができるのだが、観光客の人にとっては、意外と使い道の少ない乗換ルートかもしれない。
走した立地条件であるから、近くに国鉄がはしっているわけである。
もちろん、大通りもある。
だからなのであろう、この鉄橋のような橋が延々と続く場所なのである。
パリのメトロ
その、こちらも大好きなブツブツ波打ち橋の続く場所を走るメトロ2号線を1枚。
新型車輛になっているから、頭が殿様バッタのように見える。
以前のりりしい顔つきからすると、少々マヌケになったようにも見える。
2012.05.10

Rue Lefebvre ルフェーブル通り パリで最も狭い通りのひとつ

ブールヴァール・ルフェーブル、ルフェーブル大通りという、トラム3号線も走るめちゃめちゃ幅の広い通りがあるが、そこから、ちょいと脇に入る。
オリヴィエ・ドゥ・セール通りを歩くとすぐにプティット・サンチュール廃線跡が現れる。
木々の間をズーッと続いてゆく、のどかな雰囲気だ。
その、廃線跡が見える橋の脇、線路に沿うように、通用路がある。
パリの道
見れば、なんと、ちゃぁんと通り名看板がついているのだ。
ルフェーブル通り。
ルフェーブル大通りの偽物の登場である。15区南端。
パリの道
およそ普通のパリの通りとは思えず、通用路か、お勝手口へ伸びる通路らしき存在であるが、れっきと通り名看板を持つのである。右の鉄格子の向こうは、パリ環状廃線。
パリの道
少し引いて写真を撮ってみると、隣の中華やさんから、通りの幅がイメージできるだろう。
普通に歩いたら、人がすれ違うことはできぬ。
まるで、中華やさんの家へ入るための裏口がありそうな、そのための通りのようである。
パリの道
通りが狭いかどうか?というよりも、ここに、道標があるということのほうが驚きだ。
パリに名のない道はない。
Impass(アンパス)ではないから、当然、向こうへ通り抜けできる。
折れ曲がったところで突然道幅は広がるというより、なんだか、駐車場へ出たと言う感じに近い。
2012.05.09

Rue Norvins ノルヴァン通り

ここも、モンマルトルでもっとも撮影される場所の一つ。
まっすぐ行けば、テルトル広場とサクレクール寺院。
右をくだれば、アベッスやムーラン・ド・ラ・ギャレットやムーラン・ルージュ。アメリのカフェへも。
左へ行けば、ラパンアジルやモンマルトル博物館。
モンマルトル
そんな角にたつ、ル・コンシュラ脇を通るノルヴァン通りの夜景。
普通に写真撮るだけで、まるで絵。
2012.05.08

世界遺産レーティッシュ鉄道ベルニナ線ループ橋へ

森林限界を再び越えると区問い木々が現れる。
そして、遠くに湖が。
車掌さんが、あれだよ!と指さして教えてくれる。
この湖が、右に見えたり左に見えたりするのだが、同一の湖を見ていることがわかるまでに、何往復かした。
どこをどう走っているのか、良くわかっていないのだ。
もっと手前の村の上部から落ちる氷河の滝?が何度も見えて、それでようやくジグザグにくだっていることに気づく。
レーティッシュ鉄道
下りきって到達した湖の脇を抜ける。
結構大きな湖である。
レーティッシュ鉄道
さらにじわじわ下ってゆくと、雪が消えてゆく。
そして右手前方に現れたのが、ループである。
レーティッシュ鉄道
もっと広角で狙うべきだったか?
そんなことを考えている暇はない。
次があれば、広角でも撮れる準備はしておきたい。
ループの内側に木々があるのがわかるだろう。
この木が邪魔でうまく取れないのだ!なんていっていてはいけない。
デジカメなのだ。連写連写していなければ、あっ!と思ったときには、チャンスを逃しているのである。
レーティッシュ鉄道
さらに下ってゆく。
イタリアからサンモリッツを目指せば、この風景と共に、ループ橋がやってくる。
下ってくる時に比べ、わかりづらかろう。車内放送はあるのだが、それは、言葉のわかる人限定の話。
レーティッシュ鉄道
ほっと一息して、街中を抜けると、ティラーノへ到着。
箱根登山鉄道と連携しているとのことだが、なんとなく、顔が小田急っぽく感じるのである。
レーティッシュ鉄道
白ひげが、雪の激しさを教えてくれている。
2012.05.07

世界遺産レーティッシュ鉄道ベルニナ線の駅たち

Bernina Diavolezza
ベルニナ・ディアヴォレッツァ駅。
途中から載ってきた、まるで、スキー場のゴンドラに乗っているかのごときご夫婦が、この駅で下車。
ここで、また一滑りってなことなんでしょう。
電車に載ることが目当てのものもいれば、スキー場制覇を目指す人がいてもいい。
ベルニナ急行
Ospizio Bernina‎
オスピオ・ベルニナ駅。最高地点らしい。
ここの駅に到着すると、鉄道ファンらしき欧州人若者が線路に降り立つ。
で、ダッシュで先頭車両の前へ。そこから撮影。
厳冬のこのなか、次の列車まで待つんでしょうが、そうした苦労によって、手に入れられる写真があるってものですな。こちらは、窓開けて寒いものの、電車の中から、パチリ。
もちろん、脇にあるべきはずのラーゴビアンコという湖は、真っ白な地面でしかない。
ベルニナ急行
Alp Grum
アルプ・グリュム駅
この先に見えるはずのパリュ氷河の湖は、もちろん、白銀の下。
途中から、木製のそり?らしきものを持ち込んで乗ってきた、親子、子供たちが、ここでさようなら。
ベルニナ急行
列車は一路、イタリアを目指す。
2012.05.06

オーベル・シュル・オワーズのカラスの子孫

オーベル・シュル・オワーズへ訪れると、ゴッホの家の次がゴッホの教会。そして、ゴッホの墓が3点セットと言っていい。
そのゴッホのお墓へやってくると、皆が目にするのが、ゴッホの書いた畑なのだ。
オーベル・シュル・オワーズ
当時と変らぬ風景が広がり、ゴッホの画に描かれたと同じように、カラス?が飛んでいる。
それも同じような場所にだ。
オーベル・シュル・オワーズ
ゴッホは1890年に自殺している。
19世紀後半。
今から120年以上前である。
そのときから、カラスも延々とDNAをつないで今へいたっているのかも知れぬ。
当時と変らぬ風景であるのだから、当時とそう変らぬ生活をカラスたちも送っているに違いない。
一つだけ変ったとするならば、ゴッホという画家が有名になったため、この畑を訪れる人の数が、激増下に違いないことだ。
オーベル・シュル・オワーズ
その脇で、ゴッホはねむる。
最愛の弟と共にだ。
同郷の同宿人の画家にアドバイスしていたというゴッホ。
まったくもって、いい兄貴ではないか。そんな人が、こんな場所で自殺するのだろうか?
われわれは歴史=事実、下手すると、小説や映画=事実と思いたがるものである。
本当の事実、心で感じたものは、本人にしかわかりえない。
オーベル・シュル・オワーズ
この風景を見て感じるものが、自分自身であり、決してゴッホやその他の人と同じである必要もないのである。
意味のないことを漠然と考えながら、水平線に向けてシャッターを切りまくる。
いやぁ、ああでもない、こうでもないと考えながら、何度も押してしまう。
膨大な、ゴッホの畑と題が付きそうな写真の中から、わずか3枚を選んでみた。
2枚目と3枚目などは時期が違うが、ほぼ同じ場所からだろう。
ふふふ、フィルムでなく、デジカメでよかったと思わざるを得ない。
2012.05.05

バイヨンヌ2街歩き

バイヨンヌの教会付近をぶらぶらと歩く。

Rue des Fauresフォール通り。
この通りには、ブロカントなどの雑貨屋が散見される。
古い町並みと、南らしい、ある程度カラフルなバルが印象的な裏通りである。
バイヨンヌ
下は、角を曲がった、古い肉屋さん通りからフォール通りを撮影。
アルザスでもブルターニュでもロワールでも見られる木組みの家Pan de bois(パン・ドゥ・ボワ)である。
バイヨンヌ
商店街通りともいえる、Rue d'Espagneスペイン(エスパーニュ)通り。
教会前から延びている通りである。
バイヨンヌ
こちらは、ニーヴ川から教会へ登って行く、魚屋さん通り。Rue Poissonnerieポワッソンヌリー通り。
エンジっぽい赤の多いバスク地方のバルであるが、黄色も混じるとカラフルに感じるのだ。
バイヨンヌ
何か観光資源を見るというより、バイヨンヌという街を見るってな感じで、街歩き。
2012.05.04

メトロ6号線Quai de la Gare駅

先に見えるのは、ベルシー体育館の青い屋根。
このあたり、セーヌを渡る橋も絵になる対象であるが、この駅自体もなかなかいい。
パリのメトロ駅
鉄の造形がわくわくさせてくれるのである。
このビスのブツブツが好きなので、これでもかと写真を撮る。
パリのメトロ駅
鉄とガラスの組み合わせは、シンプルであるが、昭和のモダンを感じさせてくれる装飾なのである。
いかにもランプとアブサンと酔っ払いが絵になりそうな、パリの風景なのだ。
パリのメトロ駅
動かない事も頻繁という、パリのエスカレーターであるが、欧州らしい、シンメトリー構造。
和のアンシンメトリーな構造の方が日本人のわしにとっては、しっくり来るのであるが、ベタなシンメトリーもそれはそれで収まりがよい。
エスカレーターはやっているようだが、ライトは一つ切れている。
エコではあるまい。いや、人手エコなのかもしれぬ。
切れていることを、ワザワザ注意してくれるおばちゃんも、切れていたら「どうしたんだ!たるんどる!!」と怒る上司もいなさそうな平和な国である。
パリのメトロ駅
柱もエンタシスのようで、そうではないようで、ただ、無駄な装飾が、これが登場したときの高価な公共機関であったことを思い起こさせるのである。
パリのメトロ駅
動く歩道とメトロが100年以上前の万博で開通したという、もはやモダンからレトロに変わりつつメトロを嘗め尽くすのもいいのである。

2012.05.03

Rue Jacques Baudry ジャック・ボドリー通り

ジャック・ボドリー通り。といっても、この絵に描かれた通りのことではない。
この絵が”ある”通り。
パリの道
14区のはずれ、ヴァンヴの蚤の市が終わって、ぶらぶら戻ってくると、メトロ駅付近に、高架下のトンネルが見える。
そのトンネルをくぐれば、この通りが右側に出てくる。
モンパルナスから伸びる線路の脇、14区側を通るのが、何度も紹介したヴェルサンジェトリクス通りであるが、それと対になる線路西側、15区に存在するとおりがこの通りなのだ。
パリの道
通り名看板をみると、ジャックバウアーJack Bauer通りかと一瞬思ってしまうつづりであるが、ジャック・ボドリー通りである。
以前載せた線路下東西秘密通路を東から西へ抜けると、この通りに出る。
パリの道何が落書きで何が壁画なのかは微妙な気もするが、こうしたアートは、パリのいたるところにあるのだ。
何にもなさそうなところに、こんなものがあるから、街歩き散歩にデジカメは欠かせぬ。
2012.05.02

世界遺産レーティッシュ鉄道ベルニナ線の白銀の世界2

前方に座席を取ったのであるから、写真は列車後方へ向かって撮ることになる。
たしかに、前方に向かってカメラを構えていては、先頭車両が切り裂く雪のしぶきで、とても前を見てはいられぬ。撮影は、やはりコーナーが狙い目・・・と言ったって、コーナーだらけで悩む事は無い。
ベルニナ急行
赤と白のコントラストは美しい。
何かあっても、赤ければ発見されるといわぬばかりの車輌。
ベルニナ急行
丁度、すれ違う列車なのだろう。
停まっているサンモリッツ方向へ向かう列車を発見。
その向こうは駅だ。
ベルニナ急行
その駅に到着すると、止まっていた列車は発車してゆく。
すれ違いなのだ。単線なのだろう。
ベルニナ急行
下り始めると、後方車輌は、上を見上げるような位置関係になるわけで、その向こうに、今越えてきた山々が見える。
ここは、複線になっているから、線路が見える。
ベルニナ急行
一気に下界へ下る場合、九十九折になっている。
上から下を見下ろすと、数分後に通過するであろう線路が見えたりする。
ベルニナ急行
山肌を縫うように降りてゆくと、白銀の天空から、地上に降り立った感さえする。
遠くの下界に湖が見えるのだが、湖が、右の車窓に見えたり、左の車窓に見えたりし始める。
見えている湖は同じものなのだ。
そして、その湖脇を目指すのである。