2012.02.29
エズで写真を撮りましょう
ニーチェの道をエズ・シュル・メール駅から登る。
今回で2度目の登頂であるが、前回に比べるとだいぶ早く着いた。
写真を撮りながらであったが、1時間強で到着。

ぶらぶらしていると、目の前でフランス人観光客がポーズを取って写真を撮っている。
写真を撮るにはイメージ的に邪魔な、置かれていたペンキの缶とゴミ袋を移動して、撮影。
終わると、ゴミ袋と、ペンキの缶は元の位置へきっちりと戻していた。なるほど。
そのゴミ袋こみで写真を一枚。
今回いくつも訪れている鷲ノ巣村のなかで、ここは、きっちり整備されている。
写真の道のように、真ん中にはレンガが敷き詰められ、一番上の海を眺める場所へ入るには、"サボテン園"に入るというための入場料が取られる。
古い中世の面影の村ではあろうが、充分現代を感じさせてくれる。
だから、かえって、ゴミ袋入りの写真の方が、人間臭くでいい。
今回で2度目の登頂であるが、前回に比べるとだいぶ早く着いた。
写真を撮りながらであったが、1時間強で到着。

ぶらぶらしていると、目の前でフランス人観光客がポーズを取って写真を撮っている。
写真を撮るにはイメージ的に邪魔な、置かれていたペンキの缶とゴミ袋を移動して、撮影。
終わると、ゴミ袋と、ペンキの缶は元の位置へきっちりと戻していた。なるほど。
そのゴミ袋こみで写真を一枚。
今回いくつも訪れている鷲ノ巣村のなかで、ここは、きっちり整備されている。
写真の道のように、真ん中にはレンガが敷き詰められ、一番上の海を眺める場所へ入るには、"サボテン園"に入るというための入場料が取られる。
古い中世の面影の村ではあろうが、充分現代を感じさせてくれる。
だから、かえって、ゴミ袋入りの写真の方が、人間臭くでいい。
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2012.02.28
ヴィルフランシュ・シュル・メールのトイレ探し
コクトーのチャペルがあることで有名な、鄙びた海辺の村。
ここの観光局の脇、海沿いまで歩いてゆくと、公衆トイレがある。
このトイレ、入場するのに、50サンチーム必要なのだ。
投入して、中に入ると、また扉がある。
そこの中にトイレがあるはずなのだが、赤ランプのまま、扉は開かない。
「イ・リ・ヤ・ケルキャン?」
扉をたたきつつ、誰かいますか?とフランス語で言ってみるも反応はない。
外から、フランス人おばちゃんたちも参戦して、トイレの中に声をかける。
「イ・リ・ヤ・ケルキャン?」
反応はない。
「50サンチーム入れたの?」
「はい」
「それは残念ね」
その会話を最後に、三々五々、トイレ前から散っていった。

仕方なく、街なかのサッカーカフェに入り、カウンターでカフェを注文し、トイレを借りる。
そして、駅の方へ向かってゆくと、鎖につながれた自転車が・・・。
タイヤもない自転車であるが、鎖につながれている。
きっと、そのタイヤが高価なのに違いない。
持ち主が持っていったのに違いない。
公衆トイレは壊れていたが、この自転車は壊れていないに違いない。
ここの観光局の脇、海沿いまで歩いてゆくと、公衆トイレがある。
このトイレ、入場するのに、50サンチーム必要なのだ。
投入して、中に入ると、また扉がある。
そこの中にトイレがあるはずなのだが、赤ランプのまま、扉は開かない。
「イ・リ・ヤ・ケルキャン?」
扉をたたきつつ、誰かいますか?とフランス語で言ってみるも反応はない。
外から、フランス人おばちゃんたちも参戦して、トイレの中に声をかける。
「イ・リ・ヤ・ケルキャン?」
反応はない。
「50サンチーム入れたの?」
「はい」
「それは残念ね」
その会話を最後に、三々五々、トイレ前から散っていった。

仕方なく、街なかのサッカーカフェに入り、カウンターでカフェを注文し、トイレを借りる。
そして、駅の方へ向かってゆくと、鎖につながれた自転車が・・・。
タイヤもない自転車であるが、鎖につながれている。
きっと、そのタイヤが高価なのに違いない。
持ち主が持っていったのに違いない。
公衆トイレは壊れていたが、この自転車は壊れていないに違いない。
2012.02.27
Entrevaux アントルヴォーへ
2012.02.26
アノット村の主
2012.02.25
Peille ペイユ村
2012.02.24
Peillon ペイヨン村へ
2012.02.23
ミラノの郵便ポスト
2012.02.22
ミラノ、スポンティーニのピザ
2012.02.21
雪上競馬、スイス・サンモリッツ
2012.02.20
サンモリッツのベンチ
2012.02.19
リヒテンシュタイン ファドゥーツ城へいらっしゃい!
スイスは東端でオーストリアとつながるのだが、その間に広がる国が、リヒテンシュタイン。
その首都がファドゥーツである。
通常、スイスのSargansサルガンツから、黄色のリヒテンシュタインバスでファドゥーツまで向かう。
鉄道で行こうと思うのなら、サルガンツで乗り換えて、スイスのSevelenセヴェーレンが最寄り駅。

ファドゥーツの市内をうろうろしても、崖の上にあるレストランみたいな建物がお城ですってな感じにしか見えぬのであるが、ライン川へ向かって、徐々に街中から外れてゆけば、お城が全貌を現す。
スイスのセヴェーレン駅のホームからも、このお城は眺められる。
ライン川の国境を渡って、てくてく歩いてゆくと、女の子が、ファドゥーツ城はこちらですと案内してくれる。
その首都がファドゥーツである。
通常、スイスのSargansサルガンツから、黄色のリヒテンシュタインバスでファドゥーツまで向かう。
鉄道で行こうと思うのなら、サルガンツで乗り換えて、スイスのSevelenセヴェーレンが最寄り駅。

ファドゥーツの市内をうろうろしても、崖の上にあるレストランみたいな建物がお城ですってな感じにしか見えぬのであるが、ライン川へ向かって、徐々に街中から外れてゆけば、お城が全貌を現す。
スイスのセヴェーレン駅のホームからも、このお城は眺められる。
ライン川の国境を渡って、てくてく歩いてゆくと、女の子が、ファドゥーツ城はこちらですと案内してくれる。
2012.02.18
スイス Chur クールの自転車
2012.02.17
トルコ航空でパリへ行く1
トルコ航空で欧州へ向かおうと思っている人たちにとって、もっとも気になるところは、乗換についてだ。
夜、イスタンブールに着いて、朝西欧へ向かう。
となると、その間どうするの?ってことが気になるわけだ。
乗換時間が、10時間以上あると、エコノミーでも1泊無料で手配してくれる。
詳しい話はまたとして、今日は、トランジットホテルへ向かうバスの話だ。
マイクロバスへ乗り込むと、見事なまでの満席。
全く席がないじゃないか!と思いきや、最後列の中央の座席がかすかに空いている。
そこへ、無理やりお尻をねじ込んで座る。
左には、スペイン語を話す太っちょおじさん。
右には、イタリア語?を話す、イケメンの黒人のお兄さん。
前方には、フランス人の、6名ほどの団体さん。
荷物も置けぬから、足元の通路に置いて、まあ、ホテルまでの我慢よ!とスタート。
バスの運転席脇の電光掲示板は、20:50、13度、だったはず。
2月である。ついこないだまで、寒波寒波と言っていたて、イスタンブールの気温も低そうだったが、、そう寒くない。
もう、寒波は去ったようだ。

バスは暫く走るが、空港周りのホテルへ到着の様子はない。
時刻は21:03、温度16度。気温が上がっている。
バスはさらに、道を下って行くようだ。
明らかに、幹線道路に乗って、どこか遠くへモードである。
前方のフランス人団体が指差しでざわざわすると、バスのフロントガラスの向こうに、ブルーモスクだか、アヤソフィアだかのライトアップ夜景が見えている。
イスタンブールの街中のホテルを目指しているようだ。
時刻は21:20、温度19度。気温がさらに上がっている。
途中、左折すると、石畳の坂路を右往左往、ガンガン上昇してゆく。
時刻は21:25、温度21度。到着。
快適な4つ星ホテル。4時半から朝食付き。5時にお迎えバス。
21度もあるわけなかろう。
まさか、室内の熱気をはかっちゃいないだろうなぁ。
写真は、ホテル窓から、イスタンブールの坂道を・・である。
雨のイスタンブールの夜である。
夜、イスタンブールに着いて、朝西欧へ向かう。
となると、その間どうするの?ってことが気になるわけだ。
乗換時間が、10時間以上あると、エコノミーでも1泊無料で手配してくれる。
詳しい話はまたとして、今日は、トランジットホテルへ向かうバスの話だ。
マイクロバスへ乗り込むと、見事なまでの満席。
全く席がないじゃないか!と思いきや、最後列の中央の座席がかすかに空いている。
そこへ、無理やりお尻をねじ込んで座る。
左には、スペイン語を話す太っちょおじさん。
右には、イタリア語?を話す、イケメンの黒人のお兄さん。
前方には、フランス人の、6名ほどの団体さん。
荷物も置けぬから、足元の通路に置いて、まあ、ホテルまでの我慢よ!とスタート。
バスの運転席脇の電光掲示板は、20:50、13度、だったはず。
2月である。ついこないだまで、寒波寒波と言っていたて、イスタンブールの気温も低そうだったが、、そう寒くない。
もう、寒波は去ったようだ。

バスは暫く走るが、空港周りのホテルへ到着の様子はない。
時刻は21:03、温度16度。気温が上がっている。
バスはさらに、道を下って行くようだ。
明らかに、幹線道路に乗って、どこか遠くへモードである。
前方のフランス人団体が指差しでざわざわすると、バスのフロントガラスの向こうに、ブルーモスクだか、アヤソフィアだかのライトアップ夜景が見えている。
イスタンブールの街中のホテルを目指しているようだ。
時刻は21:20、温度19度。気温がさらに上がっている。
途中、左折すると、石畳の坂路を右往左往、ガンガン上昇してゆく。
時刻は21:25、温度21度。到着。
快適な4つ星ホテル。4時半から朝食付き。5時にお迎えバス。
21度もあるわけなかろう。
まさか、室内の熱気をはかっちゃいないだろうなぁ。
写真は、ホテル窓から、イスタンブールの坂道を・・である。
雨のイスタンブールの夜である。
2012.02.16
Rue Georges Pérec ジョルジュ・ペレック通り
2012.02.15
パリのメトロの車庫
パリ20区の南の方、以前紹介した、パリの踏切の裏手が、メトロ2号線の車庫になっている。
殺風景なので、モノクロ写真の方が雰囲気出たかも知れぬ。

Passage de Lagny、ラニ小路。その踏切脇の小路から入ってきた奥にある。
ちなみに、この車庫が見えた辺りで道は左に直角に折れ曲がるのだが、そこから道名が変わる。
Rue Philidor、フィリドール通りとなる。一本道であるから不思議なのだが、車庫の話とは、あまり関係ない。
車庫に停車中の車輛も、新型車輛である。

ちなみに、写真の奥の壁の向こうは、パリ環状廃線のプティット・サンチュールである。
パリのメトロ2号線は、パリメトロ環状線の北環であるから、新旧環状線路がならんで存在している場所といえる。
もちろん、ここは線路といっても車庫であるから、通常運行のメトロを見ることはできぬが。
殺風景なので、モノクロ写真の方が雰囲気出たかも知れぬ。

Passage de Lagny、ラニ小路。その踏切脇の小路から入ってきた奥にある。
ちなみに、この車庫が見えた辺りで道は左に直角に折れ曲がるのだが、そこから道名が変わる。
Rue Philidor、フィリドール通りとなる。一本道であるから不思議なのだが、車庫の話とは、あまり関係ない。
車庫に停車中の車輛も、新型車輛である。

ちなみに、写真の奥の壁の向こうは、パリ環状廃線のプティット・サンチュールである。
パリのメトロ2号線は、パリメトロ環状線の北環であるから、新旧環状線路がならんで存在している場所といえる。
もちろん、ここは線路といっても車庫であるから、通常運行のメトロを見ることはできぬが。
2012.02.14
オルベックの町はずれで
オルベックの町をはずれると、牧歌的な風景が目立つ。
リジューですら、牧歌的な緑があふれているのだから、当然であろう。
その雰囲気は、もちろん、リジューもここも似ている。

町歩きをして、小川の流れるところまでやってくると、その少し先に公園が現れる。
この小川の先には、以前紹介した水車小屋があるのだ。

日本では、田舎というのは、どちらかといえば、マイナスイメージが多い。
田舎ものといえば、マイナスでしかない表現となる。
フランスでは、必ずしもそうではない。
都会暮らしは方便でしかない人も多いのだ。

便利=至上という考え方ではない国だけに、そういう発想が生まれるのかも知れぬ。

国土が、六角形であるから、どこにいても、そんなに遠く離れた孤地になりえぬからかも知れぬ。

大陸であるから、おおらかになってしまうのかも知れぬ。
住んでいるところに自然がないというのが、自慢話になったり、自慢話に聞こえてしまうとなると、ちと寂しい気もする。
リジューですら、牧歌的な緑があふれているのだから、当然であろう。
その雰囲気は、もちろん、リジューもここも似ている。

町歩きをして、小川の流れるところまでやってくると、その少し先に公園が現れる。
この小川の先には、以前紹介した水車小屋があるのだ。

日本では、田舎というのは、どちらかといえば、マイナスイメージが多い。
田舎ものといえば、マイナスでしかない表現となる。
フランスでは、必ずしもそうではない。
都会暮らしは方便でしかない人も多いのだ。

便利=至上という考え方ではない国だけに、そういう発想が生まれるのかも知れぬ。

国土が、六角形であるから、どこにいても、そんなに遠く離れた孤地になりえぬからかも知れぬ。

大陸であるから、おおらかになってしまうのかも知れぬ。
住んでいるところに自然がないというのが、自慢話になったり、自慢話に聞こえてしまうとなると、ちと寂しい気もする。
2012.02.13
Rue de Vaugirard ヴォージラール通り
パリ一長いと言われるヴォージラール通りの終末点付近である。
初めと終わりをどちらとするかrであるが、雰囲気的にパリの端の方が終わり、中心が始まりと言う雰囲気にピッタリである。もっとも、番地も、パリ中心の方が番号が若い。
いつものごとく、地上ロックの自転車を入れて。

さて、上に見える橋は、パリ環状廃線のプティット・サンチュールである。
この辺り、15区付近に来ると、14区と違って高架線になっている。
通りを横切るたびに、こうした橋が頭上を通っているのだが、これが、町のひとつの顔。

その高架下に絵が掲げられている。いつからここに出現したのだろう。

人々の絵なのであるが、上の地上ロックの自転車が停められているフェンスなども描きこまれていて、それがパリであることを感じさせる絵なのだ。
見過ごしているものの中に、多くのパリがある。
一番上に、市の清掃員のお兄さんが写っているが、だいぶ昔に、清掃員のウォールアートが20区あたりに出現していたなぁなどと思い出したりするのである。
それも、またパリの風景なのだと。
初めと終わりをどちらとするかrであるが、雰囲気的にパリの端の方が終わり、中心が始まりと言う雰囲気にピッタリである。もっとも、番地も、パリ中心の方が番号が若い。
いつものごとく、地上ロックの自転車を入れて。

さて、上に見える橋は、パリ環状廃線のプティット・サンチュールである。
この辺り、15区付近に来ると、14区と違って高架線になっている。
通りを横切るたびに、こうした橋が頭上を通っているのだが、これが、町のひとつの顔。

その高架下に絵が掲げられている。いつからここに出現したのだろう。

人々の絵なのであるが、上の地上ロックの自転車が停められているフェンスなども描きこまれていて、それがパリであることを感じさせる絵なのだ。
見過ごしているものの中に、多くのパリがある。
一番上に、市の清掃員のお兄さんが写っているが、だいぶ昔に、清掃員のウォールアートが20区あたりに出現していたなぁなどと思い出したりするのである。
それも、またパリの風景なのだと。
2012.02.12
Square Séverine セヴリーヌ公園
2012.02.11
Le Jardin Naturel 自然庭園
ペール・ラ・シェーズの南側一帯にある公園である。
他と違うのは、自然そのままの雰囲気であることだ。
すなわち、草むらと木々といった趣なのである。

フランスの緑というより、日本の緑に近い雰囲気がする。
道の作り方といい、和の要素が濃く感じられるが、おそらく、手が入っていない感じが、フランスらしく感じないせいだろう。いや、手が入っているのだが、フランスより、日本のどこかに似ているのだ。

墓地のへ壁が見える。
壁の向こうが墓地というよりは、壁の向こうは墓地のある丘である。

まるで、竹林に入ったかのような錯覚すらするこの場所は、パリにいると、なぜか懐かしい感じがするのだ。
そう感じるのは、温帯湿潤気候の日本に住む人間だからなのだと思うのである。
他と違うのは、自然そのままの雰囲気であることだ。
すなわち、草むらと木々といった趣なのである。

フランスの緑というより、日本の緑に近い雰囲気がする。
道の作り方といい、和の要素が濃く感じられるが、おそらく、手が入っていない感じが、フランスらしく感じないせいだろう。いや、手が入っているのだが、フランスより、日本のどこかに似ているのだ。

墓地のへ壁が見える。
壁の向こうが墓地というよりは、壁の向こうは墓地のある丘である。

まるで、竹林に入ったかのような錯覚すらするこの場所は、パリにいると、なぜか懐かしい感じがするのだ。
そう感じるのは、温帯湿潤気候の日本に住む人間だからなのだと思うのである。
2012.02.10
Avenue de Maine メーヌ大通り
2012.02.09
トゥールーズ 寸景
トゥールーズの写真のあまりを使う。ポンヌフの上の雲がきれいだったのと、ショコラショー(だったと思うが)の泡が目立ったのをブログへ載せておこうと。

トゥールーズへ行くのは、パリの宿にいる間に決めた。
パリが寒かったので、南へ!というのが理由。
新幹線のチケットは取ったものの、パリのIBISホテルへ行って、トゥールーズのIBISを予約しようとしたのだが取れず。パソコンを持っていって、ネットで調べてということができなかった当時、トゥールーズの宿を簡単に取る方法は、チェーン店だのみだったのだ。
現地に着くと、マタビオ駅前にIBISがあるのだが、ないといわれたホテルへ直接交渉してみると、意外にもあっさり”ありますよ”とのこと。
街中の観光しやすいスポットまで荷物を引いてゆくのも面倒だし、帰りも面倒だと思うと、どうも、駅前のホテルに宿を取ってしまう。
カルカッソンヌでは、市外を通り過ぎた城壁近くの宿まで荷物引いて歩いたこともあったが、それも意外と平気だったから、まあ、気分しだいであろう。

日光だろうが、京都だろうが、鎌倉だろうが、トゥールーズだろうが、その街に着いたら、喫茶店に入って、その街の中でガイドを読む。地図を見る。
精力的に回りたい人にとっては、なんとも無駄に思えるらしいが、これも、こちらのスタイル。
観光局へいって、街の地図と、トゥールーズの通りを解説したプロムナードガイドを購入して、キャピトル広場の喫茶店へ・・いや、カフェへ。
プロムナードガイドは、こちらのフランス語実力では、辞書なしに読めはしないから、すぐに役立つわけではないが、写真だけは参考になる。そいつのにらめっことルーティングが、現地カフェの作業なのだ。
で、街歩きは、また次回以降に写真を。

トゥールーズへ行くのは、パリの宿にいる間に決めた。
パリが寒かったので、南へ!というのが理由。
新幹線のチケットは取ったものの、パリのIBISホテルへ行って、トゥールーズのIBISを予約しようとしたのだが取れず。パソコンを持っていって、ネットで調べてということができなかった当時、トゥールーズの宿を簡単に取る方法は、チェーン店だのみだったのだ。
現地に着くと、マタビオ駅前にIBISがあるのだが、ないといわれたホテルへ直接交渉してみると、意外にもあっさり”ありますよ”とのこと。
街中の観光しやすいスポットまで荷物を引いてゆくのも面倒だし、帰りも面倒だと思うと、どうも、駅前のホテルに宿を取ってしまう。
カルカッソンヌでは、市外を通り過ぎた城壁近くの宿まで荷物引いて歩いたこともあったが、それも意外と平気だったから、まあ、気分しだいであろう。

日光だろうが、京都だろうが、鎌倉だろうが、トゥールーズだろうが、その街に着いたら、喫茶店に入って、その街の中でガイドを読む。地図を見る。
精力的に回りたい人にとっては、なんとも無駄に思えるらしいが、これも、こちらのスタイル。
観光局へいって、街の地図と、トゥールーズの通りを解説したプロムナードガイドを購入して、キャピトル広場の喫茶店へ・・いや、カフェへ。
プロムナードガイドは、こちらのフランス語実力では、辞書なしに読めはしないから、すぐに役立つわけではないが、写真だけは参考になる。そいつのにらめっことルーティングが、現地カフェの作業なのだ。
で、街歩きは、また次回以降に写真を。
2012.02.08
メトロ駅の謎のケース
2012.02.07
オルベックの道散策2
オルベックの道散策の続き。
高台から降りてくると、オルベックの古い建物といえばこれというような感じで地図にも載っている建物へ。
全体像を撮っても、それらと同じになってしまうので、模様が見えるよう、アップにて。
結構、木々の間の細工が細かいのだ。

その裏手に行くと、ちいさな公園のようになっているのだが、ここが絵的にきれい。周りの建物もいいのであるが、写真では伝えられぬ問題点が一つだけ。
犬の糞がいっぱいなので、大変くさいのである。
これだけは頂けない。
さらに川に近いほうへ下って町の中を散策する。
すると、見慣れぬ文字が。
VENELLE。
こいつは見たことない通り表記に違いないと、あとで、愛用の、古本屋で買った15年以上前のロワイヤル仏和中辞典を紐解いてみると、”路地”と。
いやぁ、いいですね。どう見てもパサージュではなく、ヴネル(路地)です。
ruelleの細い版と勝手に決めているわけですね。

かわいらしい町並みをさらにくだってゆく。

この界隈もかわいらしい古い木組みの家が並ぶ。

このあたりは、もう、町の中心から役所はさんで反対側にあたる。
高台から降りてくると、オルベックの古い建物といえばこれというような感じで地図にも載っている建物へ。
全体像を撮っても、それらと同じになってしまうので、模様が見えるよう、アップにて。
結構、木々の間の細工が細かいのだ。

その裏手に行くと、ちいさな公園のようになっているのだが、ここが絵的にきれい。周りの建物もいいのであるが、写真では伝えられぬ問題点が一つだけ。
犬の糞がいっぱいなので、大変くさいのである。
これだけは頂けない。

すると、見慣れぬ文字が。
VENELLE。
こいつは見たことない通り表記に違いないと、あとで、愛用の、古本屋で買った15年以上前のロワイヤル仏和中辞典を紐解いてみると、”路地”と。
いやぁ、いいですね。どう見てもパサージュではなく、ヴネル(路地)です。
ruelleの細い版と勝手に決めているわけですね。

かわいらしい町並みをさらにくだってゆく。

この界隈もかわいらしい古い木組みの家が並ぶ。

このあたりは、もう、町の中心から役所はさんで反対側にあたる。
2012.02.06
Boulevard Kellermann ケレールマン大通り
パリの外回り、13区の端にある環状線。
この環状線は、次々名前が変わってゆく。
このケレールマン大通り、なぜか、この写真部分の石畳だけ、その環状上にないのに、名前が同じになっているのだ。
いわれは知らぬが、この道はダメム通りからつながっているので、そちらの名前がついた方が自然だと思うのだが、そうではない。

まあ、そんな、理屈は抜きにして、結構、この石畳が好きだというのがひとつ。
そして、下の写真の様に、トラムが並木脇を抜ける絵が見られる場所でもある。

並木のケレールマン大通りの脇の側道を下ってゆくと、13区の内側へと入ってゆくことができるのだ。
意外と、高低差のある地域なのである。

もちろん、その高低差は、ビエーブル川がここを流れていたからなのであろう。
言ってみれば、ここは、並木橋なのだいえる。
この環状線は、次々名前が変わってゆく。
このケレールマン大通り、なぜか、この写真部分の石畳だけ、その環状上にないのに、名前が同じになっているのだ。
いわれは知らぬが、この道はダメム通りからつながっているので、そちらの名前がついた方が自然だと思うのだが、そうではない。

まあ、そんな、理屈は抜きにして、結構、この石畳が好きだというのがひとつ。
そして、下の写真の様に、トラムが並木脇を抜ける絵が見られる場所でもある。

並木のケレールマン大通りの脇の側道を下ってゆくと、13区の内側へと入ってゆくことができるのだ。
意外と、高低差のある地域なのである。

もちろん、その高低差は、ビエーブル川がここを流れていたからなのであろう。
言ってみれば、ここは、並木橋なのだいえる。
2012.02.05
Square Gaston Baty ガストン・バティ公園
モンパルナスタワーのお膝元、エドガー・キネ駅付近に隠れるようにひっそりとある公園がある。
そこに一人の銅像がある。
シャイム・スーティン。
この人が実際のスーティンと似ているのかどうか?わからぬが、汚れた外套を着て、少し、難しそうな性格を感じさせる人物像が、スーティンの、曲線で曲がった絵と重なったりする。

この緑の隙間に、モンパルナスタワーが見えるはずなのだが、写真には写っていなかった。

池袋かどこかで、ずいぶん前にスーティン展覧会へ行った記憶があるのだが、よくお肉屋さんでつるされている、七面鳥の絵がやたらと多かった記憶がある。
ポケットから、ぶら下がっていても、いやいや、あまり違和感なし。

いまや、パリのひとつの顔になりつつある、建物壁のインベーダー。
アパルトマンの壁と合わさると、市井の気難しい親父は、本当は、なかなか愛嬌もあるのかも知れぬ。
そこに一人の銅像がある。
シャイム・スーティン。
この人が実際のスーティンと似ているのかどうか?わからぬが、汚れた外套を着て、少し、難しそうな性格を感じさせる人物像が、スーティンの、曲線で曲がった絵と重なったりする。

この緑の隙間に、モンパルナスタワーが見えるはずなのだが、写真には写っていなかった。

池袋かどこかで、ずいぶん前にスーティン展覧会へ行った記憶があるのだが、よくお肉屋さんでつるされている、七面鳥の絵がやたらと多かった記憶がある。
ポケットから、ぶら下がっていても、いやいや、あまり違和感なし。

いまや、パリのひとつの顔になりつつある、建物壁のインベーダー。
アパルトマンの壁と合わさると、市井の気難しい親父は、本当は、なかなか愛嬌もあるのかも知れぬ。
2012.02.04
Les Frigos レ・フリゴ
2012.02.03
Impasse Druinot ドリュイノ小路
2012.02.02
トゥールーズ Grand Rond
2012.02.01
メトロのゴミ箱
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