2011.12.31

今年一年ありがとうございました

ユーロが100円割れに。
大きなことが起きた年でした。
来年もまた、一度の人生を楽しく行きましょう!

きっと、多くの方がこの写真を撮られたことでしょう!
ポンピドゥー美術館脇の噴水から、サンメリー教会を望む。
パリ
よいお年をお迎えください!
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Posted at 14:06 | その他 | COM(0) | TB(0) |
2011.12.30

Rue de Prague プラグ通りの化け物

メトロ8号線、バスティーユの次、ルドリュ・ロラン駅を降りると、サンタントワーヌ大通りとルドリュ・ロラン通りの交差点に出る。
ここから、12区へ入って行くとすぐにプラグ通りが左に現れる。
そこを入るとすぐにこの怪物が目に飛び込んでくる。
パリの道
ここは、トラヴェルシエール通りとテオフィル・ルセル通りとプラグ通りの交差点で、ちょっと広くなっているところだ。
この交差点に、このアジアティックな怪物はいる。
ここを、左、テオフィル・ルセル通りへ入って行けば、アリーグルの市場へつながる。

こうした、絵はいつまであるか分からぬものだが、あると目印になっていいのだけどもね。
なにしろ、このあたり、通りがゴチャついているので。
2011.12.29

トゥールーズ サンテティエンヌ大聖堂

キャピトル広場からは東南方向にある、サンテティエンヌ大聖堂。
クロワ・バラニョン通りにでると、通りの先に教会が見える。
教会前は広場になっている。
その広場の噴水を、教会をバックに一枚。
トゥールーズ
教会脇には、十字架が立っている。
こうしたデザインになってくると、鍵に見えてくるから不思議だ。
トゥールーズ
さて、噴水の下部にある、小便小僧のような彫像。
よく見れば、小便ではない。手に捉えた、ばけもの頭の口から、勢いよく水が噴出している。
右のはふてくされているように見えるが、左のは楽しそうだ。
これは、単に角度かもしれない。
そう思うと、つい、飛鳥大仏を思い出す。
トゥールーズ
デジカメ時代ではない。フィルムカメラで撮った写真をスキャンしたのだが、これが、赤外線かぶりなのか?本当に赤い街なのか、本当の色がどうであったか、記憶が怪しくなっていく。
もっとも、デジカメだって、カメラによって発色が違うから、自分の目の感覚に勝る記憶と記録はないかもしれぬ。
2011.12.28

セーヌ河岸から橋へ登ってゆくメトロ5号線

ケ・ドゥ・ラ・ラペ駅をでたメトロは、オーステルリッツ高架橋をわたるため、高度を上げてゆく。
河岸から一度外に膨らんで、橋へと上ってゆくのだ。
そのふくらみの部分、メトロの走る位置が、歩く人達の目線へやってくる。
パリのメトロ
メトロがカーブを曲がるときに発する音を聞きながら、パリらしい鉄のブツブツの向こうにメトロが見える。
場所的にはパリ12区にあたる。
2011.12.27

Orbec オルベックの朝

早朝のリジュー発のバスでオルベックにつくと、町はまだ静か。
わずかに数店舗のカフェがあいているといった感じ。
オルベック
メインストリートへ出ると、街並みの向こう側に教会が見える。
その教会方面へとりあえず歩いてゆく。
オルベック
歩いていくと、古い街並みがかわいらしく迎えてくれる。
これだけ人通りが少なく、車も来ない時間帯に道路の真ん中から写真を撮らぬ手はない。
オルベック
教会の目の前へやってくる。
逆光のなか、撮った教会の写真もあるが、それは割愛させていただき、教会の手前の花を。
オルベック
ふと、写真の脇の建物に目をやると、見たことのある綴りが・・・。
ドビュッシーである。
その表札曰く、ドビュッシーがここで、Jardin Sous La Pluie雨の庭を作曲した館なのだそうだ。
あの、歴史的有名人も、この町へやってきたのだなぁと。
たしか、パリ郊外のサンジェルマンアンレイの人だったはずだ。
オルベック
そんなに有名な人が泊まっていた建物ならば、写真に収めねば・・・。
周りの建物と違って、ひときわ石壁が古い感じだ。
オルベック
それにしても、モーツァルトでもそうですが、有名な文化人というのは、どの町でも、一等地に居を構えているものですなぁと。
そういった職業がそういった身分だったのか、それだけの収入があったのか?
たいてい町の一等地にそうした、有名人のゆかりの建物があるのである。
2011.12.26

Rue du Père Prosper-Enfantin ペール・プロスペール・アンファンタン通り

20区東端中央。メトロ3号線ポルト・ドゥ・バニョレ駅の近く。
この界隈にも、一戸建街がある。パリにはいくつかこうしたゾーンがあるが、もちろん、パリのいちばん外れのほうへ行かなければ見られない。
これが、またかわいらしい。愛らしい家が並んでいる。
20区といえば、ベルヴィルやナシオン、ペール・ラ・シェーズなどのイメージがあって、下町であったり、雑然とした雰囲気が印象にある人もいるのだろう。
そうしたイメージとはかけ離れた雰囲気が待っている。
パリの道
その一戸建てゾーンの丘へ上がってゆく階段。
階段そのものも、何か、雰囲気がある。
通り名はついているのだが、その下には、この階上にある、通り名も一緒に記されている。
パリの道
階段は、その先が見えぬだけに、いろんな想像をさせる。
ましてや、このような木の階段路地風な道となると、その期待は勝手に高まる。
パリの道
整然と並んでいるようで、手作り感あふれるズレと曲がり、うねりが、微妙に暖かい。
階段の先は、また別通りであるから、次回以降に。
2011.12.25

ジョルジュ・ブラッサンス公園

ちょうど、公園の東口に到達すると、日本人らしき乳母車を押す3組のお母さん達にであった。
皆でそろって、公園散歩から、公園脇のマックス・ポワラーヌへお昼のパンを買いに行くところのようであった。
すがすがしい昼の時間。
ジョルジュ・ブラッサンス公園
ここは、古本市のある公園としても有名。
その舞台が、この公園の東口にある。
ヴァンヴの蚤の市もいいが、こちらも覗いてみたいものだ。
ジョルジュ・ブラッサンス公園
そして、公園の北端。
実は、ここに、何度も取り上げている廃線、プティット・サンチュールが走っている。
緑の森を抜けるように、その存在感を消しているかのように、公園北端にある。
あると知って、そこへ覗きに行かねば、見ることもできず、まったく気づかれることもないだろう。
パリの公園
旧屠殺場、古本、廃線。古いがキーワードの公園なのである。
2011.12.24

Rue de la convention コンヴァンシオン通りの猫

パリの大動脈の一本といっていいだろう。
コンヴァンシオン通りは、パリの南側、15区から14区、13区と伸びる主要東西幹線なのである。
区が変われば、アレジア通り、トルビアック通りと名を変えるが、この南側のメトロ環状線の6号線と、トラム3号線にはさまれた貴重な東西交通ルートなのである。
それだけに、通りの混雑もなかなかである。メトロの14号線が、この東西をいずれつないでくれるのか?
パリの道
その170番地に子猫がいる。
建築した人の名のプレートを見れば、ポール・ルクリエルさんという建築家のデザインらしい。
もちろん、知っている人なわけではない。
パリの道
そして、ふと、通りの反対側の建物に目をやると、同じく建築家の名前が記されている。
ポール・ルクリエル。
あらら、同じ人じゃない。
パリのとある一部分の空間だけ、ポール・ルクリエルの空間となっているのである。
パリの道
建築は詳しくないが、特に反対側の建物に特徴的なデザインが見られるわけではない。
何の変哲もない、しかし、古いパリの建物の一つということなのだろう。
しかし、自身の設計した建物にはさまれた空間が公共の場であるということは、それはそれは、はるかなる歴史に彩られたこの町に己自身で点を描いたようなものかもしれない。

2011.12.23

Rue du Parc de Montsouris モンスーリ公園通り

14区の大公園モンスーリ公園の脇だ。名前の通り。
モンスーリ公園の脇、西側には、閑静な住宅街の静かなきれいな通りがたくさん並ぶ。
そのうちの一つである。
パリの道
行き止まりや、通り抜けできる通りもあるが、この通りは、ぐるりと回って、モンスーリ公園脇へ再度出てくる周回通りである。
その一番奥にある、つたに覆われた家。
いかにも、住んでいる人でなければ用のない通りなのであるが、ぶらぶら散策には、楽しい小道である。
2011.12.22

トゥールーズ ノートル・ダム・ドゥ・ラ・ダルバード教会

閑静な住宅街にひときわ大きな教会がある。
特徴的なのは、その門の上の彫刻である。聖母マリアの戴冠式の図。
お城のような尖塔のある教会で、壁が圧する迫力でデンと構えている。
トゥールーズ
その教会前にとまった、一台のお母さんの自転車。子供を迎えに行く途中、教会に立ち寄ったのだろうか?我々日本人にとってのお寺や神社の感覚かもしれぬ。
トゥールーズ
しかし、もっともっと気になったのは、教会側面、緑地にある、吠えるこいつ。
よく、教会で空を見上げると、これらのバケモノが咆哮している画を良く見るが、地上で吠えているのは初めてだ。
口から雨がたれてくる事はなく、やつが雨を飲み込むように空へ口をあけている。
清水寺の狛犬同様、やつにも、なにか意味があるに違いない。
2011.12.21

ベルシー体育館前を行くメトロ6号線

世界遺産になっているセーヌ河岸。
しかし、その河岸そのものを歩いている人の数は実は大変少ない。
もっとも、写真のエリアまで来ると、きっと、世界遺産のゾーンではあるまい。
パリのメトロ
ミッテランさんに対抗して、シラクさんがつくったとかいうベルシー体育館。
すもうの公演も当然、相撲好きのシラクさんのつくったここになるわけだ。
セーヌ河岸をぶらぶらぶらと散策してきて、丸いオブジェの列の向こうにみえる、メトロの鉄橋とベルシー体育館の青い屋根部分。
パリのメトロ
地べたに座って、メトロの現われるのをしばし待つ。
しばらく待って撮ってみたものの、あまり言いたいことが分からぬ写真に・・・。
パリジャンがチャリで颯爽とかけぬけていった。
2011.12.20

リジュー寸景 ぶらり散策

旅先の楽しみの一つが食事だ。
しかし、あちこち回る旅のため、贅沢はしていられない。
スーパーもいいが、画一的なものになりがちだし、ファストフードもいいのだが、ハンバーガー屋は基本恐ろしく美味しくない。
今のところ、レストラン、スーパー以外では、パン屋さんが中心になる。
リジュー
だから、レストランの座席は、上のような街のベンチが上席なのだ。
ここは、カルメル会近くのベンチであったが、まあ、時と場合によっては、バス停のベンチだったり、駅のベンチだったり・・。公園のベンチがあれば最高だが、たまには草上や川岸のピクニック席が手に入ることもある。
リジュー
このパンがまた面白い。
パリのパン屋さんに比べて美味しいパンが手に入ることは稀だが、えっ?とおもうようなパンオショコラがあったり、紙を食べているような気分になるパン屋さんに出会うこともある。
ある意味、パリじゃお目にかかれない。
リジュー
美味しくないとは限らない。素朴だったり、ヘルシーだったりするのだろう。
いやいや、どこにもたどり着いていない、中学校帰りの買い食いを思い出すようなパン屋さんに出会うことこそ、醍醐味と言えるものだ。
皆の憬れる、おフランス的なものというのは、フランス全土のほんの0.00001パーセントぐらいでしかない。
もちろん、これは美味しくないでしょう!!と言う代物にも出会うし、地元特産のお菓子から、地元チーズを使ったパンやパイやタルト、その地方で呼び方の違うパンにであったり、楽しみも怖さも多い。
フランス語もちゃんと発音しないと聞き取ってもらえないし・・・。
リジュー
並べラ写真が、大聖堂裏の道、築地っぽい塀などばかりになった。
買い食いしつつ、こんなところを街歩きするのも、この上ない贅沢な時間なのだ。
2011.12.19

Avenue Pierre Mendès-France ピエール・マンデス・フランス大通り

パリの13区河岸地区。再開発エリアの北端、オーステルリッツ駅付近から、線路沿いに伸びる通りだ。
フランソワ・ミッテラン国立図書館同様、この地区、ガラスガラスガラスの建物が多い。
この写真の建物も特徴的だ。
そこにおいてあった道標にワイヤーでくくりつけられた自転車と、パリのゴミ袋。
パリの道
最近のパリの象徴的な画かもしれない。
ガラスに映っているのは、オーステルリッツ駅の駅舎側にある、グリーンとグレーの工事現場の柵。
駅そのものも含め、どう変わっていくのだろうか?
コンクリートジャングルならぬ、ガラスジャングル化するこのエリア。これもパリの一つの顔。
2011.12.18

Square René Le Gall

パリの13区。ゴブラン織の工場沿いにある公園である。
下にはビエーブル川の暗渠があるはずだ。当然、川沿いだけに、この辺りでは低地だ。
イタリア広場と聖ジュヌヴィエーブの丘に挟まれた谷間の川沿いと言うことになる。
パリの公園
9.11のテロ以来、ビニール袋になったゴミ袋。今は分別でカラーは二種類。
遊具がカラフルになったからなのか、以前より、殺風景さはなくなった。
パリの公園
冬に行くと物悲しい公園であるが、緑があるときは、こんなに落ち着いた公園だったっけ?と思わせる。
アップにしてビルと木々を撮れば、まるで、新宿中央公園のようだが、いえいえ、この近所の静かな憩いの場なのである。
パリの公園
この公園へきて、セーヌやビエーヴルがどう流れているかを考えると、パリって意外に平坦ではない、丘だらけの構造なのだと思い当たるのだ。
その谷間を、川たちが流れている。
水路のサンマルタン運河が、幾つもの水門で上下しなければならないことも思い当たるわけだ。
2011.12.17

Proxi プロキシ

近所のというなのスーパー。
フランス全土に展開しているから、地方でお世話になったこともある。
いわゆるフランス版コンビニというイメージがあるのだ。
それが、このプロキシ。
フランス地方で電池がほしいのにスーパーにない!なんて時に、ここが見つかれば、手に入る確率も高い。
パリのスーパー
このコンビニスーパーもカルフール系列のようだ。フランスと言う国は、おおくの企業が系列に属する。
中央集権型ピラミッド構造はこの国の根本の形。
消費心理や行動も、そうしたところに信を置いて選択しているのかもしれない。
淘汰は日本の最近の傾向でもあるが、フランスは、より画一的な気がする。
国土の形の違いを見ると、なるほどと思ったりもするのである。
2011.12.16

Rue Corbineau コルビノー通り パリで最もうらさびれた駅前通り

モンパルナス駅にヴォージラール駅があるように、リヨン駅にベルシー駅がある。
そういっていいかも知れぬ。
しかし、限りなく、モンパルナスの一部と化しているヴォージラールと違って、ベルシー駅は運用自体がリヨン駅とは別という感じのする駅なのである。
ベルシー駅
コルビノー通りは、そのベルシー駅の正面に沿うように走っている。
パリ12区。
ここが国鉄駅前とは感じない。
この頑丈な壁の向こうが、国鉄駅の敷地。
丁度、自転車が置かれていたので、いつもの、パリの自転車シリーズの一枚としてパチリ。

この歩道の鉄柵もパリ特有のもの。
ここまで人の導線からはずれた、駅前通りも珍しかろう。
2011.12.15

トゥールーズ ジャコバン修道院の柱

キャピトル広場の裏手とも言おうか、すぐ近くにジャコバン修道院がある。
ここの目玉は、そのステンドグラスであるが、これが柱に映ると、柱そのものがオレンジ色の万華鏡か!となる。
トゥールーズ
太陽の入り方にもよるのだろうが、いろんな教会を見てきたのだが、ステンドグラスを通った光の当たった場所がこれだけ衝撃的なのは、コートダジュールのマチスのロザリオ礼拝堂以来であったかもしれない。
12世紀13世紀といえば、鎌倉時代。東大寺南大門級の古さである。
2011.12.14

メトロ6号線高架

おそらく、ナシオナル駅かその近辺付近で撮影したと思われる。
遠くにはモンパルナスの高層ビル。
パリのメトロ
こうした高架線が見られるのは、2号線と6号線の2つ。
ブツブツのついた鉄橋のような弧を描いているが、これがデザインなのか、横を走る架線の保護のためか?はたまた、ガードレール的意味合いがあるのか?
暖かい時期ならば、もっと緑に生い茂った、緑の谷間をパリのメトロが行く。
2011.12.13

リジュー寸景 青い線

リジュー市内の何の変哲もない写真を載せます。
まず最初はバス停。といっても、今はここ使われてないんでしょう。バス停跡とでも言ったら良いか?
リジュー
聖テレーズの家へ向かう。
道の果てしなく続く感は、町外れの証拠。
どこの町でも、これと似たような雰囲気が、郊外へ続く道には漂う。
青い線が、この街へ訪れた人、おそらく、この町はお年寄りなども多かろうから、そういった意味では、このマラソン大会のような青線はとても親切で大事なものなのだ。
111213-2
わき道の継ぎ足し壁が可愛らしい小道に入っても、青い線は延々続く。
リジュー
何気ない、どこにでもある道標だが、書かれている街名を見れば、意外と地方色豊かなのだ。
カン、カブールといった、大きな街。
ファレーズは確か、日本人の方が修復したりんごの教会の近くの町だったはず。
リジュー
観光スポットではないところを撮るほうが、よりその街の雰囲気が伝わるかもしれない。
フランスのどこのまちも、大きく変わるわけじゃないけど、やっぱり顔は少しづつ違うのだ。
2011.12.12

Rue des Maraichers マレシェール通り

パリ20区の南側を南北に伸びるとおり。
20区大動脈のピレネー通りから分岐したあと、ピレネー通りの裏通りのごとく、並んで走る。
結構長い通りであるので、いろんな顔を持つのだ。
パリの道
その一つが落書き通り。
壁面が、いかにも落書きのためのキャンバスのように存在するため、してくださいと言っているように見えるのだろう。
見事なまでにカラフルにやられている。
パリの道
いかにもパリの端の地区と言わぬばかりの後継だ。
いまでも、若者達が、せっせとせっせと書き続けているのだ。
そういう場面に出くわすことすらある。
パリの道
これもまた、麗しきパリの一面であることに違いない。
パリの道
場所が変わると、遠くに廃線プティット・サンチュールが走る壁面が見える。
うっそうと木々が生い茂る廃線跡であるが、列車が走っているときは、一体どんな画だったろう?
パリの道
さらに歩いて近づいてゆくと、交差点の高架橋に出る。
鉄柵からぶら下がる、自転車の車輪が、まるでカバンにかけられた南京錠かカラビナフックのようにさえ見える。
パリの街を支えてきた大動脈の侘しくとも、一服の画となる光景ではある。
2011.12.11

Le Moulin de la Vierge ル・ムーラン・ドゥ・ラ・ヴィエルジュ

通りのシリーズカテゴリーへ入れるべきか、パン屋のカテゴリーへ入れるべきか悩んだ末パン屋へ。
この日、ここへ入ったわけではなく、通りすがりに撮影しただけである。
パリのパン屋
ただ、このお店の、ヴェルサンジェトリクス通りの店舗は、個人的においしパン屋さん探しの原点になった場所で、思い入れある店だ。久々に通ってみたら、当時とはがらんと違う、赤いきれいな可愛らしい建物に変わっており、その下におそらく当時よりこぎれいになった店舗が構えていた。
パリのパン屋
最近、ここのパン屋さんへ入ったわけではないが、昔、ここで買ったバゲットをかじりながら、モンパルナス駅へ向かった。バゲットをちぎると、中は少しグレーがかったパン生地が見えていた記憶がハッキリ残っている。
あの時代に比べ、いまや、世界展開していくパン屋さんが多いなか、ここのパン屋さんもきっと儲かったに違いないなぁと、この赤い建物を見て思うのだ。
もっとも、この建物とパン屋さんの関係が、一体どうなのかは知らぬが・・・。
少々場末感漂う、線路沿いのこの通りの雰囲気は、あまり変化していない。
2011.12.10

リジューの街並み

どの街でもそうだが、古い建物がある。
パリでもあるのだが、パリは相当探さないと、木組みの家など見つからない。
マレ地区にはあることはあるのだが・・・。
リジュー
カルメル修道会のすぐ先には、上の写真の建物が現われる。
リジューへ行けば、最初に出会う木組みの家だったかも知れない。
リジュー
中流クラスと呼べる人たちの街であったそうであるから、ちょっとしたお屋敷風の家々には、お金持ちの商人や、政治、教会関係の人々が暮らしていたかもしれぬ。
この街は、大きな司教区の中心であったのだから。
リジュー
何かの倉跡のように見えるが、さて最近建てられたものか?古いのか?
柱やその他のアンバランスさゆえ、何かをガレージに変えたように見えるのだが、事実は知らぬ。
リジュー
リジューの街の中心部分は低地に当たる。
ノルマンディーの谷間にできた可愛らしい街なのだ。
もちろん、坂道に沿って、街は広がってゆく。
高台に上がれば、住宅街が広がる。
2011.12.09

Rue Gustave Geffroy ギュスターヴ・ジュフロワ通り

13区にあるゴブラン織りの工場。
その裏手に静かなたたずまいの曲がりくねった石畳の道がある。
パリの道
古めかしい雰囲気の建物と木々が印象的な通りであるが、その緑を道と区切る無骨な壁は、落書きのキャンバスとなってしまっている。
パリの道
もっとも、ビエーブルのアートと言えるものから、単なる、線路脇に良く見かける文字羅列の落書きまで、多種多様。落書き通りの様相である。
パリの道
そんな通りに、置かれていた自転車を入れて一枚。
いやいや、どうして、結構な雰囲気の通りだと思うのですがね。

2011.12.08

トゥールーズ ポンヌフ

トゥールーズはバラ色の街。
いたるところがレンガであるが、バラ色というより、赤茶ってなイメージである。
昔のネガやポジのフィルムなら、太陽光に感光してしまった、赤茶けた写真を見ているかのような街なのだ。
トゥールーズ ポンヌフ
そんな街中を流れるフランス4大河川の一つガロンヌ川。トゥールーズの街は、この川沿いに発達している。
内陸都市としては、ロワール川のトゥールであったり、セーヌ川のパリ、ローヌ川のリヨン、そしてガロンヌ川のトゥールーズが思い浮かぶ。ライン川のストラスブールも入れてもいいかもしれない。
トゥールーズ ポンヌフ
赤茶けた街に赤茶けた重量感ある橋。
この川から、ミディ運河に乗っていけば地中海。
この川を下ってゆけば、ボルドーそして、大西洋。
トゥールーズ ポンヌフ
たしかに交易の分岐点と言えるかもしれないが、こんな内陸になぜ、フランス第四の大都市が・・・。
その昔、トロサと呼ばれた頃、ここは、西ゴート王国の首都。
そう考えて地図を紐解けば、なんとなんと、西ゴートがピレネー以南、スペインへ追いやられる前、このトロサことトゥールーズは、王国のど真ん中、中心にあるではないか!
フランク王国の首都が、アーヘンになったのと同じ理屈ではないかと思うのである。
2011.12.07

パリのメトロの日本語駅名

メトロ1号線、シャンゼリーゼの下、フランクリン・ルーズベルト駅である。
ここに、フランス語(英語?)はもちろん、5カ国語で表示されている。
パリのメトロ
こうしたところに、日本語を見ると、なんだか言葉が読めない国の人みたいで恥ずかしいと思ってみたり、いやいや、さすが日本と考えてみたり、はたまた、観光客の多い順ではないか?と考えてみたり。

いずれにせよ、まあ、一番目に書かれているといった日本語の位置づけだ。

折角外国に来ているのに、日本語をみるという興冷めな一面もあるけど、観光客にとどまらず、日本の製品、日本の文化が、多種多様にフランスに侵入しているのである。
バブル時代のブランド品狂想曲が終わっても、やはり、日本の観光客は、パリとフランスにとって大事なお客さんなのだ。
そして、バブル時代より、もっと日本が浸透しているのが、現代フランスなのであろう。
2011.12.06

Place Catalogne カタローニュ広場からエッフェル塔を望む

カタローニュは、カタルーニャのことである。
カタルーニャとは、バルセロナを中心としたスペインの地方の名前。
ローマ帝国の第7州、セプティマニア時代は、フランスのルシヨン地方も、カタルーニャも、まあ、同じ地方であった。
カタローニュ広場
さて、モンパルナス駅のすぐ南側に位置するこの広場。
エッフェル塔の夜景を楽しむことのできる場所。
エッフェル塔の東南にあたる。

ここからメトロ6号線のパスツール駅へ向かって歩いてゆくと、徐々に大きくなるエッフェル塔が、パリの街に乗っかっていく様を感じることができる。
2011.12.05

モンマルトルの丘

モンマルトルというのは、Montmartreという綴りになる。
カタカナだと、モンパルナスとモンマルトルがごっちゃになるのである。
このモンマルトル、Mont(山)Martyr(殉教者)という二つの単語がくっついているのである。
モンマルトル
殉教者の山。
昨日のブログに載せた、サンドニさんと、その弟子、聖エリューテールと聖リュスティックが殉教した山なのである。
モンマルトルという響き・・・。
ユトリロの描いた、路地、路地、小道、小路、階段、街灯・・・。
どこをとっても雰囲気のある、何とも風情ある響きのモンマルトルという単語。
殉教者の山という意味であるのである。
サンドニが見たパリと、今の白くビルに埋め尽くされたパリと、相当な違いがあるに違いない。
Posted at 11:34 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2011.12.04

サンドニさんに夜会いましょう

夜、ノートルダム寺院へ向かう。
一風変わった彫刻が、パリで布教活動したサンドニさんである。
北郊にはサンドニ大聖堂があるが、モンマルトルで首を切られたサンドニさんは、サンドニ大聖堂の位置まで自分の首を持って歩いたという逸話がある。
サンドニ
正直、おどろおどろしい逸話であるが、そんなサンドニさんに夜ノートルダムに会いに行くと、なかなかインパクトのあるお方である。周りに人がいなかったら、ちょっと怖い画である。
サンドニ
そんなサンドニさんの首もち像は、モンマルトルにもある。
既に公園のコーナーで案内した、このサンドニ像も首を持っているのだ。
持ち方に特徴がある。
ノートルダムのは運んでいる感じ。公園のものは、掲げている感じ。
他に、どんなサンドニさんにであうであろうか?
Posted at 21:53 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2011.12.03

ムーランルージュ 夜景

ムーランルージュの夜景を撮りへ。
メトロ2号線のブランシュ駅を降りる。
階段を上がってすぐのところから撮影すると、全部入らず。
ムーランルージュ
いままで、意識したことがなかったが、ムーランルージュの羽は、オレンジと赤の配色で、いちばん中心は蚊取り線香の渦巻きになっている。
ムーランルージュといえば赤い風車とばかり思っていたのだが、意外と赤い部分が少ないのである。
Posted at 11:09 | パリ雑記 | COM(0) | TB(0) |
2011.12.02

Rue Brillat-Savarin ブリヤ・サヴァラン通り

パリ13区の西南端エリア。ランジス広場から東へ伸びる通り。
しばらくすると右に折れて、下ってゆく。
美食家で有名な人の名前を冠する通りだが、ごらんのとおりの落書き通り。
あまりのカラフルさに一枚。むろん、落書き礼賛はしませんよ。
パリの道
この裏手、実はマンションの建設中のようだ。
途中に、販売事務所らしきものもある。
そのあたり、日本のものと変わらない。
ただ、名前をみたら、パリの街中でよく見かける、駐車場の会社?のVINCIの文字。
駐車場から、不動産までやっちゃうのねって思ったわけ。どちらも土地が必要な事業ですものね。

結構、販売事務所訪れている人見かけました。
そうそう、パリ市内に、新築マンション立つってことはないでしょうからねぇ。

この落書きも、マンション群の落成とともに消えるのでしょう。