2011.11.30
ポール・ロワイヤル駅
この辺りも高台になる。
メトロが止まらず、RERだけの駅。
リュクサンブール駅は、パンテオンやリュクサンブール公園へ出かける人が多く利用する駅だし、学生も多い。
しかし、この駅は、パリの中心部にありながら、利用客が多いとはいえぬ。
おそらく、観光で、この駅を利用しようという人は稀だろう。

建物は大変可愛らしく、古風で愛らしい。
日本なら、交番か?と思いたくなるような駅舎である。

中に入ると、きたないガラスの向こうにまばゆいパリの街。
きたないガラスは、日本なら、きれいに掃除されているだろうが、必要最低限を行うフランスらしいガラスともいえる。

ホーム。半地上で日光が差し込む。
乗車扉の下。乗り込み口って一段上になってますが、これ、乗車時に確か下がるんでしたっけ?
何気なカラーのRERですが、トリコロールなんですな。むろん、偶然じゃないでしょう。
地方では、このカラーの列車見かけませんが、それは、青と赤がパリの色だからなんでしょうな。
メトロが止まらず、RERだけの駅。
リュクサンブール駅は、パンテオンやリュクサンブール公園へ出かける人が多く利用する駅だし、学生も多い。
しかし、この駅は、パリの中心部にありながら、利用客が多いとはいえぬ。
おそらく、観光で、この駅を利用しようという人は稀だろう。

建物は大変可愛らしく、古風で愛らしい。
日本なら、交番か?と思いたくなるような駅舎である。

中に入ると、きたないガラスの向こうにまばゆいパリの街。
きたないガラスは、日本なら、きれいに掃除されているだろうが、必要最低限を行うフランスらしいガラスともいえる。

ホーム。半地上で日光が差し込む。
乗車扉の下。乗り込み口って一段上になってますが、これ、乗車時に確か下がるんでしたっけ?
何気なカラーのRERですが、トリコロールなんですな。むろん、偶然じゃないでしょう。
地方では、このカラーの列車見かけませんが、それは、青と赤がパリの色だからなんでしょうな。
スポンサーサイト
2011.11.29
Lisieuxリジュー エヴェシェ庭園
サンピエール大聖堂の裏手に、大きな公園がある。
丁度、街中から、ビュイソンネ(聖テレーズの家)へ向かう途中になる。
日本の侘び寂びとは対極にある、カラフルな花壇が、欧州らしいともいえる。

日本的美とは遠くとも、大聖堂の壁面を借景にした、緑のじゅうたんは、欧州の静的美観でもあり、花壇の色とりどりとは、対照的な美でもある。

教会の塔が見える。
この脇から階段を下りてゆけば、フランソワ・ミッテラン広場。
即ち、リジューの最大の喧騒の中へ降りてゆくことになるのだが、この公園は、静寂に近い。

その昔、この公園があったのかどうか?
大聖堂へ向かう姓テレーズが、この風景を見つつ、通ったかもしれぬ。

公園にまばらに以降人たち、階段を昇って家路を向かうリセエンヌ達。
リジューの裏に当たるこのあたりに、観光地とは違う生活観が垣間見える。
丁度、街中から、ビュイソンネ(聖テレーズの家)へ向かう途中になる。
日本の侘び寂びとは対極にある、カラフルな花壇が、欧州らしいともいえる。

日本的美とは遠くとも、大聖堂の壁面を借景にした、緑のじゅうたんは、欧州の静的美観でもあり、花壇の色とりどりとは、対照的な美でもある。

教会の塔が見える。
この脇から階段を下りてゆけば、フランソワ・ミッテラン広場。
即ち、リジューの最大の喧騒の中へ降りてゆくことになるのだが、この公園は、静寂に近い。

その昔、この公園があったのかどうか?
大聖堂へ向かう姓テレーズが、この風景を見つつ、通ったかもしれぬ。

公園にまばらに以降人たち、階段を昇って家路を向かうリセエンヌ達。
リジューの裏に当たるこのあたりに、観光地とは違う生活観が垣間見える。
2011.11.28
Place Leonard Bernstein レナード・バーンスタイン広場
レナード・バーンスタインと言えば指揮者、音楽家である。
マーラー、ワルター、バーンスタインってな系譜が思い浮かんだりする人でもある。
1990年になくなったことも、広場名の書かれた看板にも記載されている。

ベルシー地区にある広場である。ベルシー公園の一角ともいえる。
そういえば、レナード・バーンスタインをフランスではなんと発音しているのだろう?

この公園の一角、この広場に面したところに映画博物館がある。
そのガラス面に描かれた男性の巨大な裸像。
迫力があるが、その前のテーブルで談笑するフランスのおばちゃんたちの存在感もけっして負けていない。

この新しいベルシー地区には、他にも、こうした最近の名前を散見できる。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ポール・ベルモンド、ジャン・ルノワール、ガーシュウィン・・など。
マーラー、ワルター、バーンスタインってな系譜が思い浮かんだりする人でもある。
1990年になくなったことも、広場名の書かれた看板にも記載されている。

ベルシー地区にある広場である。ベルシー公園の一角ともいえる。
そういえば、レナード・バーンスタインをフランスではなんと発音しているのだろう?

この公園の一角、この広場に面したところに映画博物館がある。
そのガラス面に描かれた男性の巨大な裸像。
迫力があるが、その前のテーブルで談笑するフランスのおばちゃんたちの存在感もけっして負けていない。

この新しいベルシー地区には、他にも、こうした最近の名前を散見できる。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ポール・ベルモンド、ジャン・ルノワール、ガーシュウィン・・など。
2011.11.27
リーダーエクスプレス
おっと、リーダープライス?と思いきや、よくみると、リーダーエクスプレス。
一体なんなの?と思いきや、リーダープライスの小型版。
リーダプライスのコンビニ版なのである。

中に入ったのは13区のランジス付近のものだけで、上のドメニル付近のリーダーエクスプレスには入っていないが、商品点数の少ないリーダープライス、小奇麗版であって、まあ、何のことは無い。
コンビニという単語が、日本在住フランス人だけではなく、母国フランスでもある程度通用するようになったか分からぬが、きっと、日本のコンビニの影響であると勝手に考えている。

カルフールであれ、モノプリであれ、カジノであれ、小型店舗を展開中で、リーダープライスもそれに習ったものだと考えているが、だからって、あんまり意味があるようには思えぬのだが、さてどうか?
マークの雑さが、この店を表しているようにも思うのだが、名前がなんであろうと、安いのは、消費者の見方であることに違いない。
目新しいと、フランス人はここへやってくるのか?こうしたものには、つられるようなフランス人ではないと思うがなぁ・・・・。
黒バックに白文字であるから、きっと、ここ、元フランプリだったんじゃないの?って思うわけである。
だとしたら、リーダープライス系列って歌うと、人がやってくるかもしれませんな、安さ求めてね。
しかも、お店側も、簡易版スーパーってことだから、売れ筋商品だけ置いて、余分な仕入と搬入を避ける事ができるってわけかも?
一体なんなの?と思いきや、リーダープライスの小型版。
リーダプライスのコンビニ版なのである。

中に入ったのは13区のランジス付近のものだけで、上のドメニル付近のリーダーエクスプレスには入っていないが、商品点数の少ないリーダープライス、小奇麗版であって、まあ、何のことは無い。
コンビニという単語が、日本在住フランス人だけではなく、母国フランスでもある程度通用するようになったか分からぬが、きっと、日本のコンビニの影響であると勝手に考えている。

カルフールであれ、モノプリであれ、カジノであれ、小型店舗を展開中で、リーダープライスもそれに習ったものだと考えているが、だからって、あんまり意味があるようには思えぬのだが、さてどうか?
マークの雑さが、この店を表しているようにも思うのだが、名前がなんであろうと、安いのは、消費者の見方であることに違いない。
目新しいと、フランス人はここへやってくるのか?こうしたものには、つられるようなフランス人ではないと思うがなぁ・・・・。
黒バックに白文字であるから、きっと、ここ、元フランプリだったんじゃないの?って思うわけである。
だとしたら、リーダープライス系列って歌うと、人がやってくるかもしれませんな、安さ求めてね。
しかも、お店側も、簡易版スーパーってことだから、売れ筋商品だけ置いて、余分な仕入と搬入を避ける事ができるってわけかも?
2011.11.26
パリのカフェのテーブル
パリのカフェのテーブルというのは存外小さい。
そして、大抵丸い。
丸テーブルは日本ではあまり好まれないが、フランスでは結構多い。
テーブルクロスも丸テーブル用なんてよく見かける。

そんなカフェのテーブルも、いろんなやつがある。
カフェの丸テーブルがガラス張りで、なかに丸い紙広告が入れられるものもあるし、もちろん、四角いものもある。
このテーブルも四角。
モンマルトルの脇、シャトールージュ付近のカフェに、トイレ休憩がてら寄った。
絵や文字の書かれたテーブルは、そう珍しくないが、探そうと思っても、そう見つからない。
ところ狭しと並べられた椅子の配置が、いかにもパリらしい。
ひとりに一つの椅子どうぞってのは、日本の喫茶店。
こちらの基本配列は、そういう目線とは全く違うのだ。
そして、大抵丸い。
丸テーブルは日本ではあまり好まれないが、フランスでは結構多い。
テーブルクロスも丸テーブル用なんてよく見かける。

そんなカフェのテーブルも、いろんなやつがある。
カフェの丸テーブルがガラス張りで、なかに丸い紙広告が入れられるものもあるし、もちろん、四角いものもある。
このテーブルも四角。
モンマルトルの脇、シャトールージュ付近のカフェに、トイレ休憩がてら寄った。
絵や文字の書かれたテーブルは、そう珍しくないが、探そうと思っても、そう見つからない。
ところ狭しと並べられた椅子の配置が、いかにもパリらしい。
ひとりに一つの椅子どうぞってのは、日本の喫茶店。
こちらの基本配列は、そういう目線とは全く違うのだ。
2011.11.25
Rue Vercingétorix ヴェルサンジェトリクス通り 鳩小屋
2011.11.24
トゥールーズ マタビオ駅
以前行ったトゥールーズの情報を、しばらく続けてアップしていこう。
少々時間がたっているので、腐っている情報もあるかもしれぬが、置いといても仕方がない。
この時はパリが寒かったので突然南へ出かけることにしたのである。
チェーン店のパリにある別のホテルへ行って、トゥールーズの宿を予約しようとすると、もういっぱいとのこと。
結局、宿の予約なしでトゥールーズへ向かったのである。

駅について、目の前にある予約でいっぱいのはずのホテルにダメもとで向かう。
レセプションで聞いてみると、なんと、空いていた。
そういうこともあるものですな。
その日。宿の窓から、トゥールーズのマタビオ駅がカラフルにライトアップされているのを一枚撮影。
少々時間がたっているので、腐っている情報もあるかもしれぬが、置いといても仕方がない。
この時はパリが寒かったので突然南へ出かけることにしたのである。
チェーン店のパリにある別のホテルへ行って、トゥールーズの宿を予約しようとすると、もういっぱいとのこと。
結局、宿の予約なしでトゥールーズへ向かったのである。

駅について、目の前にある予約でいっぱいのはずのホテルにダメもとで向かう。
レセプションで聞いてみると、なんと、空いていた。
そういうこともあるものですな。
その日。宿の窓から、トゥールーズのマタビオ駅がカラフルにライトアップされているのを一枚撮影。
2011.11.23
メトロの椅子たち2
2011.11.22
Lisieuxリジュー リジュー駅から
リジューの駅前から、巨大な聖堂が見えている。
これが、聖テレーズのバジリカである。
その威容を駅の紅葉越しに撮影してみる。
多くの人が、駅からのバジリカの撮影をしていることだろう。

駅舎は町はずれにあるのだが、少し離れたところから見ると、かわいらしい。
この駅舎を境にして右後方へ進むとカン、左後方へ進むとドーヴィルへ向かう線路が伸びている。

カン駅を出て、右へ歩いてゆくと、踏切がある。
この踏切を超えてゆくのが、聖テレーズのバジリカへの近道となる。
その途中、ドーヴィル方面のホームへ停車中の列車の写真を一枚。

以前立ち寄ったときは、あくまでドーヴィルへの経由地でしかなかったリジューであるが、今回は堂々の観光主役として、訪れたのである。
これが、聖テレーズのバジリカである。
その威容を駅の紅葉越しに撮影してみる。
多くの人が、駅からのバジリカの撮影をしていることだろう。

駅舎は町はずれにあるのだが、少し離れたところから見ると、かわいらしい。
この駅舎を境にして右後方へ進むとカン、左後方へ進むとドーヴィルへ向かう線路が伸びている。

カン駅を出て、右へ歩いてゆくと、踏切がある。
この踏切を超えてゆくのが、聖テレーズのバジリカへの近道となる。
その途中、ドーヴィル方面のホームへ停車中の列車の写真を一枚。

以前立ち寄ったときは、あくまでドーヴィルへの経由地でしかなかったリジューであるが、今回は堂々の観光主役として、訪れたのである。
2011.11.21
Rue Gabriel Lamé
2011.11.20
YOPとリーダープライスヨーグルト
2011.11.19
アトランティック庭園
モンパルナス駅の屋上に公園があるのである。
空中庭園のようなものであるが、四方をビルに囲まれた、箱庭である。

和のテーストと洋のテーストが合わさったような雰囲気。
ススキや松は、日本のようなイメージがしないこともない。
それ以外は、やはり、欧州そのものの感覚だ。

もちろん、ここの借景は、モンパルナスタワーである。
モンパルナスタワーにいちばん近いところには、フィリップ・ルクレールとジャン・ムーランの博物館もある。

壁のように立ち並ぶビルに囲まれ、人もまばらな公園である。

紅葉が、まさか、この駅の上でみられるとは考えもしまい。

モンパルナスタワーが北ように思ってしまうのだが、実際は、少々ずれている。

大西洋岸や、モン・サン・ミシェルへ出かける新幹線に乗る前、駅屋上の公園で、まったり流れる時間を過ごすことも、また、アクセントになっていい。
空中庭園のようなものであるが、四方をビルに囲まれた、箱庭である。

和のテーストと洋のテーストが合わさったような雰囲気。
ススキや松は、日本のようなイメージがしないこともない。
それ以外は、やはり、欧州そのものの感覚だ。

もちろん、ここの借景は、モンパルナスタワーである。
モンパルナスタワーにいちばん近いところには、フィリップ・ルクレールとジャン・ムーランの博物館もある。

壁のように立ち並ぶビルに囲まれ、人もまばらな公園である。

紅葉が、まさか、この駅の上でみられるとは考えもしまい。

モンパルナスタワーが北ように思ってしまうのだが、実際は、少々ずれている。

大西洋岸や、モン・サン・ミシェルへ出かける新幹線に乗る前、駅屋上の公園で、まったり流れる時間を過ごすことも、また、アクセントになっていい。
2011.11.18
Rue André Pieyre de Mandiargues アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ通り
2011.11.17
サン・レオナール・デ・ボワ
今週も先週同様、既にサイトにアップしてある村の残り写真を使っておく。
ペイ・ドゥ・ラ・ロワール地方の北東端に位置する村の一つ。
サン・レオナール・デ・ボワ。
美しい村協会所属の、サン・セヌリ・ル・ジェルイの帰りに車でヒョイと寄った村だ。

一応、この村、ミシュランのガイドブックでは、サン・セヌリ・ル・ジェルイ同様一つ星。
美しいのは、村というより、この周りの谷の風景のようだ。

そんなことは、あまり考えていないから、この、サルト川にかかる、花に飾られた橋を、これでもかと写真を撮ってしまう。

一本道の走る村の風景。

石造りの教会。

村の子供達の青空教室。子供が外で先生といるところは、この国結構みかけますな。

花、花、花に飾られた村という印象でした、ここは。
ペイ・ドゥ・ラ・ロワール地方の北東端に位置する村の一つ。
サン・レオナール・デ・ボワ。
美しい村協会所属の、サン・セヌリ・ル・ジェルイの帰りに車でヒョイと寄った村だ。

一応、この村、ミシュランのガイドブックでは、サン・セヌリ・ル・ジェルイ同様一つ星。
美しいのは、村というより、この周りの谷の風景のようだ。

そんなことは、あまり考えていないから、この、サルト川にかかる、花に飾られた橋を、これでもかと写真を撮ってしまう。

一本道の走る村の風景。

石造りの教会。

村の子供達の青空教室。子供が外で先生といるところは、この国結構みかけますな。

花、花、花に飾られた村という印象でした、ここは。
2011.11.16
サンマルタン運河口を渡るメトロ5号線
バスティーユ広場から、アルセナルの船着場をズンズンセーヌへ向かって行くと、そのセーヌとの境に水門がある。
セーヌとアルセナルの水位が全く違うため、ここで舟の水位調整をするためだ。
こんな場所が、アルセナル以北のサンマルタン運河には、まだ存在する。
段違いに運河が走っているのである。

その水位調整をするには時間がかかるが、その脇の鉄橋をメトロ5号線が行ったり来たりするのである。
丁度、Quai de la Rapée(ケ・ドゥ・ラ・ラペ)駅の真横である。

水位が下がってゆくと、その下がった分だけ、水に濡れた壁面が露出してくる。
門が開けば、いよいよセーヌへと旅立って行く。

もちろん出てゆく船ばかりではない。
サンマルタン運河に入ってゆく船もある。
結構大きい。

このときはタイミングがよくなかったが、上をメトロが通るシーンを捉えられるかもしれぬ。
ただ、こちらからの写真だど、今ひとつメトロの存在がはっきりせぬが。
セーヌとアルセナルの水位が全く違うため、ここで舟の水位調整をするためだ。
こんな場所が、アルセナル以北のサンマルタン運河には、まだ存在する。
段違いに運河が走っているのである。

その水位調整をするには時間がかかるが、その脇の鉄橋をメトロ5号線が行ったり来たりするのである。
丁度、Quai de la Rapée(ケ・ドゥ・ラ・ラペ)駅の真横である。

水位が下がってゆくと、その下がった分だけ、水に濡れた壁面が露出してくる。
門が開けば、いよいよセーヌへと旅立って行く。

もちろん出てゆく船ばかりではない。
サンマルタン運河に入ってゆく船もある。
結構大きい。

このときはタイミングがよくなかったが、上をメトロが通るシーンを捉えられるかもしれぬ。
ただ、こちらからの写真だど、今ひとつメトロの存在がはっきりせぬが。
2011.11.15
Lisieuxリジュー バッス・ナヴァラン通り
道というのが、サイトでもブログでも大きなキーになっている。
道の向こうに見える風景、道そのものの風景。
地方でもパリでも、そのお気に入りの通りを探すのが楽しみの一つなのだ。
だから、歩き回る。
バッス・ナヴァラン通りは、聖テレーズの家、レ・ビュイソンネへ向かう途中にある。
遠くのきれいな緑と坂道が印象的な通りだ。

この町はずれの緑は他からも見ることができる。
この通りは一本違いのカルノ大通り。

そして、聖テレーズの家の門からも、こうして見ることができるのだ。
テレーズがここへ住んでいた時にも、こんな感じであったかどうか?
ただ、あの丘はあったに違いない。

なだらかな地形ででこぼこしているフランスは、こうした丘が多い。
その点、日本は急峻で、中国ほどではないにせよ、激しい地形が多いようなきがする。
プレートの境ゆえかもしれぬ。
道の向こうに見える風景、道そのものの風景。
地方でもパリでも、そのお気に入りの通りを探すのが楽しみの一つなのだ。
だから、歩き回る。
バッス・ナヴァラン通りは、聖テレーズの家、レ・ビュイソンネへ向かう途中にある。
遠くのきれいな緑と坂道が印象的な通りだ。

この町はずれの緑は他からも見ることができる。
この通りは一本違いのカルノ大通り。

そして、聖テレーズの家の門からも、こうして見ることができるのだ。
テレーズがここへ住んでいた時にも、こんな感じであったかどうか?
ただ、あの丘はあったに違いない。

なだらかな地形ででこぼこしているフランスは、こうした丘が多い。
その点、日本は急峻で、中国ほどではないにせよ、激しい地形が多いようなきがする。
プレートの境ゆえかもしれぬ。
2011.11.14
Rue des Vignoles ヴィニョル通りの赤
2011.11.13
フランスのビールたち
2011.11.12
エッフェル塔 夜景 ぶつ切り
2011.11.11
Rue Patule パテュル通り パリの秘密東西通路
先週載せた、14区ヴェルサンジェトリクス通りのパリ環状線”ウエスト・サンチュール駅”の下から、15区へ伸びる秘密の通路があります。
モンパルナスから伸びる国鉄線の下をくぐる歩行者専用の通り。
もちろん、これ、パリ環状線の駅のための通りだったのでしょう。
だから、線路の下を通り抜けするために後で造った通りじゃないですね。
その入り口には、この通路の主が、控えています。

その階段を下りようとすれば、目の前に広がるのは、場末感たっぷり・・・いやいや、危険信号が黄色から赤に変わりそうな雰囲気。こんなところ入っていっていいのか?

降りてみれば、その先は全く見えない。誰がいるのか、何があるのか?不安なまま突き進む。

少々、いやだいぶ臭いんですけど、思ったより明るい。いつでも引き返す覚悟は出来てます。

よく見ると、足跡が、点々と・・・。ここの主のものです。

出口だぁ!いや、太陽の明るさっていいですね。ホッとします。

15区側はRue Jacques Baudryジャック・ボードリー通りにでます。
こちらにも、Ouest Ceintureウエスト・サンチュール駅の文字。
これもこれで、入りづらいですけどね。

一応、この通り、14区に伸びているRue Patuleパテュル通りの延長ということらしい。
でも、ニワトリの通る、秘密通路としておいた方がしっくりきますね。
もちろん、女性の一人の通過は昼間でも絶対にお勧めできません。したい人などいないでしょうけど。
男性同士であっても、すれ違う人が向こうから来たら、一瞬ギョッとするでしょうな。
モンパルナスから伸びる国鉄線の下をくぐる歩行者専用の通り。
もちろん、これ、パリ環状線の駅のための通りだったのでしょう。
だから、線路の下を通り抜けするために後で造った通りじゃないですね。
その入り口には、この通路の主が、控えています。

その階段を下りようとすれば、目の前に広がるのは、場末感たっぷり・・・いやいや、危険信号が黄色から赤に変わりそうな雰囲気。こんなところ入っていっていいのか?

降りてみれば、その先は全く見えない。誰がいるのか、何があるのか?不安なまま突き進む。

少々、いやだいぶ臭いんですけど、思ったより明るい。いつでも引き返す覚悟は出来てます。

よく見ると、足跡が、点々と・・・。ここの主のものです。

出口だぁ!いや、太陽の明るさっていいですね。ホッとします。

15区側はRue Jacques Baudryジャック・ボードリー通りにでます。
こちらにも、Ouest Ceintureウエスト・サンチュール駅の文字。
これもこれで、入りづらいですけどね。

一応、この通り、14区に伸びているRue Patuleパテュル通りの延長ということらしい。
でも、ニワトリの通る、秘密通路としておいた方がしっくりきますね。
もちろん、女性の一人の通過は昼間でも絶対にお勧めできません。したい人などいないでしょうけど。
男性同士であっても、すれ違う人が向こうから来たら、一瞬ギョッとするでしょうな。
2011.11.10
サン・セヌリ・ル・ジェルイ
2011.11.09
RER、次の列車の表示
Joinville le Pont駅での事だ。
RER-A線の郊外である。
帰りの列車を待っていたのだが、なかなか来ない。

Prochains trainsとは、次の列車たちという意味だ。
これからやってくる列車の案内表示なわけである。
方面Cergyセルジー 、Poissyポワシー、Saint Germain En Layeサンジェルマンアンレー。
21:09
これが上段に書かれている。
下の表は、列車名、行き先、列車の場所が載っている。
列車名は全てZEMAとなっていて、列車の行き先は、全てサンジェルマンアンレーである。
問題は、最後のPositionのところだ。
普通、後何分で来るとか表示されている場所だろう。
しかし、ここにある文字は、a Boissy(ボワシーにいる)となっている。
ボワシーはこの路線の始発駅である。
要するに、始発駅にとまったままになっているのだ。
写真ではよく見えぬが、画面下が黄色くなっていて、そこに、ナンテールで事故と書かれているのである。
そう、列車が止まっているのだ。夜9時にである。
それでも、この日は、夜10時までにはパリ市内の家にたどり着いた。
画面下が黄色くなっていたら、ご注意くださいませ。
突然のストライキなんかも、こうして表示されたりします。
RER-A線の郊外である。
帰りの列車を待っていたのだが、なかなか来ない。

Prochains trainsとは、次の列車たちという意味だ。
これからやってくる列車の案内表示なわけである。
方面Cergyセルジー 、Poissyポワシー、Saint Germain En Layeサンジェルマンアンレー。
21:09
これが上段に書かれている。
下の表は、列車名、行き先、列車の場所が載っている。
列車名は全てZEMAとなっていて、列車の行き先は、全てサンジェルマンアンレーである。
問題は、最後のPositionのところだ。
普通、後何分で来るとか表示されている場所だろう。
しかし、ここにある文字は、a Boissy(ボワシーにいる)となっている。
ボワシーはこの路線の始発駅である。
要するに、始発駅にとまったままになっているのだ。
写真ではよく見えぬが、画面下が黄色くなっていて、そこに、ナンテールで事故と書かれているのである。
そう、列車が止まっているのだ。夜9時にである。
それでも、この日は、夜10時までにはパリ市内の家にたどり着いた。
画面下が黄色くなっていたら、ご注意くださいませ。
突然のストライキなんかも、こうして表示されたりします。
2011.11.08
Lisieuxリジューへ聖テレーズに会いに行くの旅6
先日入らなかった地下のクリプト(地下聖堂)に入る。
大抵、地下聖堂というのは、ジメジメした、暗い空間である事が多いと思っているのだが、ここは、ビックリするぐらい明るい。さわやかな感じすらする空間である。

美しい壁面たちは、全てタイルなのだ。
これは、階上と同じ。タイルでデザインというと、ついついガウディを思い出す。
青と白が基調だからだろう。清潔感、清楚感に溢れる。

聖母マリアも、その他の聖人像も、少し離れたら、タイルが敷き詰められているとは思えぬほど美しい。

中央の祭壇。丁度ミサの前だったようだ。
始まっても、中に入ることは出来るが、前のほうへうろうろする事は出来ない。
この祭壇の真反対、クリプトに入ってすぐのところには、聖テレーズの父と母の棺がある。
上下になっているが、上がお母さんのものなのであろう。

そして、この棺を取り囲むように、このマルタン一家の展示が成されている。
テレーズのもの、家族の写真、テレーズの写真。そういったものが壁面に並んでいる。

ここにはテレーズの年表が。
1873年6月2日、アランソン生まれ。
1888年4月9日、15歳にして、リジューのカラメルへ入会。
1897年9月30日、永眠。
その他が記されている。

こちらには修道生活のタイムスケジュールが載っていた。
別に聖テレーズに限らず、有名人や職業別のこうしたタイムスケジュールは、雑誌なんかでも目にする事は多い。
4時45分起床。
22時30分または23時就寝。
自由時間は、お昼と夜8時に1時間ずつ。

教会向いの地下で、本のしおりなどのお土産も売っているのだけど、なくしてしまいそうなものはちょっと変えないなぁと思いつつ、絵葉書を一枚だけ。
この後も、ぶらりと、駅側へ坂を下りて行き、カラメルでテレーズに挨拶しつつ、宿へ戻った。
大抵、地下聖堂というのは、ジメジメした、暗い空間である事が多いと思っているのだが、ここは、ビックリするぐらい明るい。さわやかな感じすらする空間である。

美しい壁面たちは、全てタイルなのだ。
これは、階上と同じ。タイルでデザインというと、ついついガウディを思い出す。
青と白が基調だからだろう。清潔感、清楚感に溢れる。

聖母マリアも、その他の聖人像も、少し離れたら、タイルが敷き詰められているとは思えぬほど美しい。

中央の祭壇。丁度ミサの前だったようだ。
始まっても、中に入ることは出来るが、前のほうへうろうろする事は出来ない。
この祭壇の真反対、クリプトに入ってすぐのところには、聖テレーズの父と母の棺がある。
上下になっているが、上がお母さんのものなのであろう。

そして、この棺を取り囲むように、このマルタン一家の展示が成されている。
テレーズのもの、家族の写真、テレーズの写真。そういったものが壁面に並んでいる。

ここにはテレーズの年表が。
1873年6月2日、アランソン生まれ。
1888年4月9日、15歳にして、リジューのカラメルへ入会。
1897年9月30日、永眠。
その他が記されている。

こちらには修道生活のタイムスケジュールが載っていた。
別に聖テレーズに限らず、有名人や職業別のこうしたタイムスケジュールは、雑誌なんかでも目にする事は多い。
4時45分起床。
22時30分または23時就寝。
自由時間は、お昼と夜8時に1時間ずつ。

教会向いの地下で、本のしおりなどのお土産も売っているのだけど、なくしてしまいそうなものはちょっと変えないなぁと思いつつ、絵葉書を一枚だけ。
この後も、ぶらりと、駅側へ坂を下りて行き、カラメルでテレーズに挨拶しつつ、宿へ戻った。
2011.11.07
Place Lachambeaudie ラシャンボーディー広場の消防署
先日は郵便局の黄色の通りを紹介したが、本日は赤の消防署広場である。
広場の中心には、教会があるのだが、それはまた後日。
まずは、いつもの通り、自転車を入れた一枚から。
12区である。

紅白というのは、大変目立つのだが、可愛い組み合わせだ。
赤い扉なんて、そうザラにはない。
本屋で売っている、パリの散歩の本にもピックアップされるほどだから、消防車が出入りするような巨大な扉が赤く塗られているような場所は、パリといえどもここ以外にはないのだろう。

全体写真は載せないのだが、結構可愛らしい建物の地上階にこの巨大赤扉が並んでいるのである。
ベルシーヴィラージュから近い。
流行っているからといって、駅前の倉庫街で飯を食うのもいいが、それだけじゃ、どこにでもありそうな、ウォーターフロントの目新しい展示スポットに来ただけみたいで、パリっぽくはない。
やっぱり、ブラリが旅の醍醐味だ。
広場の中心には、教会があるのだが、それはまた後日。
まずは、いつもの通り、自転車を入れた一枚から。
12区である。

紅白というのは、大変目立つのだが、可愛い組み合わせだ。
赤い扉なんて、そうザラにはない。
本屋で売っている、パリの散歩の本にもピックアップされるほどだから、消防車が出入りするような巨大な扉が赤く塗られているような場所は、パリといえどもここ以外にはないのだろう。

全体写真は載せないのだが、結構可愛らしい建物の地上階にこの巨大赤扉が並んでいるのである。
ベルシーヴィラージュから近い。
流行っているからといって、駅前の倉庫街で飯を食うのもいいが、それだけじゃ、どこにでもありそうな、ウォーターフロントの目新しい展示スポットに来ただけみたいで、パリっぽくはない。
やっぱり、ブラリが旅の醍醐味だ。
2011.11.06
Aux Délices du Palais オ・デリス・デュ・パレのクロワッサンとパン・オ・ショコラ
2011.11.05
La Fontaine Wallace
2011.11.04
ヴェルサンジェトリクス通りの廃線パリ環状線駅
ヴェルサンジェトリクス通りを、ポルト・ドゥ・ヴァンヴから北上してゆくと、線路沿いに駅舎が出てくる。
これが、いまや、廃線になった、パリ環状線、プティット・サンチュールの駅なのである。

SNCFの字体は、結構最近まで使われていたロゴだ。
今の軽く華やかな感じのものと違って、重々しさをステータスを感じさせるものだ。
駅舎の位置からすると、往時、モンパルナス駅から出た列車も、ここへ停まったのだろうか?

トンネルの上を行きかう現在の鉄道路線のしたを、環状線の廃線跡がトンネルをくぐってゆく。
落書きの画板と化した壁が、ある意味、場末感と旧世代感を醸し出す。
それは、線路に力強く伸びた雑草と同じかもしれぬ。
どちらも自然の叫びなのかも知れぬなぁと。

プティット・サンチュールのこの駅の名は、Ouest Ceinture(ウエスト・サンチュール)西環状駅とでも言えば良いか。矢印は、下に降りれば、ホームがあるよってなことだろう。
上の写真で見るところの落書き部分から、トンネル内部にホームがあったのかも知れぬ。

この、駅の一部分は、実は未だに現役なのだ。
鉄道とは、全く関係ないが、そのホーム部分だったのだろうか?東西連絡通路として、活用されているのである。
そのパリの秘密通路の話は、また次回。
これが、いまや、廃線になった、パリ環状線、プティット・サンチュールの駅なのである。

SNCFの字体は、結構最近まで使われていたロゴだ。
今の軽く華やかな感じのものと違って、重々しさをステータスを感じさせるものだ。
駅舎の位置からすると、往時、モンパルナス駅から出た列車も、ここへ停まったのだろうか?

トンネルの上を行きかう現在の鉄道路線のしたを、環状線の廃線跡がトンネルをくぐってゆく。
落書きの画板と化した壁が、ある意味、場末感と旧世代感を醸し出す。
それは、線路に力強く伸びた雑草と同じかもしれぬ。
どちらも自然の叫びなのかも知れぬなぁと。

プティット・サンチュールのこの駅の名は、Ouest Ceinture(ウエスト・サンチュール)西環状駅とでも言えば良いか。矢印は、下に降りれば、ホームがあるよってなことだろう。
上の写真で見るところの落書き部分から、トンネル内部にホームがあったのかも知れぬ。

この、駅の一部分は、実は未だに現役なのだ。
鉄道とは、全く関係ないが、そのホーム部分だったのだろうか?東西連絡通路として、活用されているのである。
そのパリの秘密通路の話は、また次回。
2011.11.03
コンピエーニュのサンジャック教会
コンピエーニュに世界遺産の教会がある。
なぜ、これが世界遺産なのか?と思ったら、これ、サン・ジャックの道の一部として登録されているんですな。

ジャンヌダルクの画も飾られるこの教会。
入るのは2度目なのですが、ステンドグラスが気になって2枚だけ写真を。
ジャンヌダルクに縁があるからなのかどうか、血なまぐさい、武器みたいなのも見える。

百合の紋章の旗、その柄の衣服をまとうのは、きっと王でしょう。そして、傷ついた人。
現場でチェックしてきませんでしたが、シャルル7世とジャンヌってこともあるのかな?
キリストの逸話、いろんな職業団体の仕事の図、諸聖人などのステンドグラスとは明らかに別のステンドグラスですものねぇ。
オランダなど北方からコンポステーラを目指す人もいるらしい。
そういった人々が、この教会も通過していくのでしょうね。
なぜ、これが世界遺産なのか?と思ったら、これ、サン・ジャックの道の一部として登録されているんですな。

ジャンヌダルクの画も飾られるこの教会。
入るのは2度目なのですが、ステンドグラスが気になって2枚だけ写真を。
ジャンヌダルクに縁があるからなのかどうか、血なまぐさい、武器みたいなのも見える。

百合の紋章の旗、その柄の衣服をまとうのは、きっと王でしょう。そして、傷ついた人。
現場でチェックしてきませんでしたが、シャルル7世とジャンヌってこともあるのかな?
キリストの逸話、いろんな職業団体の仕事の図、諸聖人などのステンドグラスとは明らかに別のステンドグラスですものねぇ。
オランダなど北方からコンポステーラを目指す人もいるらしい。
そういった人々が、この教会も通過していくのでしょうね。
2011.11.02
メトロ6号線のサンジャック駅裏の歩道橋
2011.11.01
Lisieuxリジューへ聖テレーズに会いに行くの旅5
リジューの駅から、サンピエール大聖堂を通り過ぎ、しばらく進んでいくと、聖テレーズが修道生活を始める前に住んでいたという家がある。地面にブルーのラインが引かれているので、曲がるところなど間違う事はない。

一番最初に、テレーズの像が出てくるが、ここが、彼女の家の跡というわけではない。
この像の左奥に見えるレンガの壁がその家なのだ。
Les Buissonnets レ・ビュイソンネ。
これが、その家の名前なのであろう。

中へ入って少しすると、建物の扉が開き、中を管理している女性から、入ったらどう?いらっしゃい!と声をかけられる。
もう一組いたベンチに腰掛けていた夫婦は、「いやいや、さっき入ったよ」と。
言われるがままに、中へ入ることに。
入ると、あなたは韓国人?と聞かれる。
「いや、日本人。」
韓国の方は、キリスト教徒の人が多く、こちらへ訪れている人数がきっと多いのだろうと推察される。
女性から日本語で書かれた説明書を預かると、
「これを見ながら、部屋を見て言ってね。」と説明を受ける。
「中の写真とってもいいですか?」
「ええ、もちろん、どうぞ!」

写真は撮ったものの・・、一応ほぼ撮りましたが、並べちゃうとなんだか説明くさいので、2階の聖テレーズの寝室だけ。
ここで、壁に、どこかのガイドで見たような、髪の毛が飾ってある。
2階で待機していた女性に、
「これ、聖テレーズの髪の毛?」
「ええ、そうよ」
と。

外はお庭である。
私のような貧乏人からすれば、ああ、お金持ちが住む家なのだなぁと思うわけである。
たしか、お母さんがお医者さんだったかなぁ・・などと思いながら、ふと見ると。
これは、聖テレーズが見ていない置物ですよねぇ。でも、ふふふ、いやみが無いので、記念に一枚写真に収めました。まるで、父親に懇願する聖テレーズを見守っているかのよう・・・なんてねぇ。

コスモス咲き乱れる裏庭の遠くに、通っていたはずのサンピエール大聖堂が見えます。

お庭の一角には、トイレもあるのだけれど、芋虫の置物といい、この聖テレーズという人の距離感は、どこまでも遠い感じのしない人である。

一番最初に、テレーズの像が出てくるが、ここが、彼女の家の跡というわけではない。
この像の左奥に見えるレンガの壁がその家なのだ。
Les Buissonnets レ・ビュイソンネ。
これが、その家の名前なのであろう。

中へ入って少しすると、建物の扉が開き、中を管理している女性から、入ったらどう?いらっしゃい!と声をかけられる。
もう一組いたベンチに腰掛けていた夫婦は、「いやいや、さっき入ったよ」と。
言われるがままに、中へ入ることに。
入ると、あなたは韓国人?と聞かれる。
「いや、日本人。」
韓国の方は、キリスト教徒の人が多く、こちらへ訪れている人数がきっと多いのだろうと推察される。
女性から日本語で書かれた説明書を預かると、
「これを見ながら、部屋を見て言ってね。」と説明を受ける。
「中の写真とってもいいですか?」
「ええ、もちろん、どうぞ!」

写真は撮ったものの・・、一応ほぼ撮りましたが、並べちゃうとなんだか説明くさいので、2階の聖テレーズの寝室だけ。
ここで、壁に、どこかのガイドで見たような、髪の毛が飾ってある。
2階で待機していた女性に、
「これ、聖テレーズの髪の毛?」
「ええ、そうよ」
と。

外はお庭である。
私のような貧乏人からすれば、ああ、お金持ちが住む家なのだなぁと思うわけである。
たしか、お母さんがお医者さんだったかなぁ・・などと思いながら、ふと見ると。
これは、聖テレーズが見ていない置物ですよねぇ。でも、ふふふ、いやみが無いので、記念に一枚写真に収めました。まるで、父親に懇願する聖テレーズを見守っているかのよう・・・なんてねぇ。

コスモス咲き乱れる裏庭の遠くに、通っていたはずのサンピエール大聖堂が見えます。

お庭の一角には、トイレもあるのだけれど、芋虫の置物といい、この聖テレーズという人の距離感は、どこまでも遠い感じのしない人である。
| HOME |