2011.07.27
ルイイ公園
旧バスティーユ駅から伸びる東部鉄道会社の鉄道跡は、高架の上が公園になっている。
テレビの待ち歩きでも取り上げられたが、散歩する人の数は多い。
そして、滑降のランニングコースにもなっているのである。

そのドメニル通り沿いを歩いてゆくと、広場と公園にぶち当たる。
その日は丁度コンサートが始まるところであった。

パリで写真をとる場合、写真の前後に、その場所を表す通り名などの看板を撮っておく。
そうしたら、後で、これどこの写真だったっけ?ということが減るためである。
説明写真でなければないほど、場所は判りづらくなる。
エッフェル塔が見える通りです!という場合、そういった説明がなくとも、どこだったか思い出しやすい。

その看板を撮って、家に帰って、その看板の文字を読んでみたら、メロヴィング王朝時代のお城が近くに建っていたなんて書かれている。いまや、こんなに現代チックな再開発さてた地域なのにである。

日本なら大化の改新とかそういった時代。ダ・ヴィンチコードにも出てきた王の名前はダゴベルト。
このお城も、その時代の要であるから、この公園の場所にも、ダゴベルト王はやってきたに違いない。
サンドニ大聖堂を、王家の墓所とした王である。サンドニ大聖堂のなかでもひときわ大きい棺?である。

いまでも、この場所はいろんな通りが交わる部分で、12区の区役所のすぐそばだ。
全ての通りが昔からあったわけではないであろうが、こうやって公園になるほどの場所であるのは、そういったお城がこの界隈あったことと無縁でないような気がしてならないのである。
お城も鉄道も今はないが、まさに、ここがルイイ地区の中心地でありつづけたに違いない。
テレビの待ち歩きでも取り上げられたが、散歩する人の数は多い。
そして、滑降のランニングコースにもなっているのである。

そのドメニル通り沿いを歩いてゆくと、広場と公園にぶち当たる。
その日は丁度コンサートが始まるところであった。

パリで写真をとる場合、写真の前後に、その場所を表す通り名などの看板を撮っておく。
そうしたら、後で、これどこの写真だったっけ?ということが減るためである。
説明写真でなければないほど、場所は判りづらくなる。
エッフェル塔が見える通りです!という場合、そういった説明がなくとも、どこだったか思い出しやすい。

その看板を撮って、家に帰って、その看板の文字を読んでみたら、メロヴィング王朝時代のお城が近くに建っていたなんて書かれている。いまや、こんなに現代チックな再開発さてた地域なのにである。

日本なら大化の改新とかそういった時代。ダ・ヴィンチコードにも出てきた王の名前はダゴベルト。
このお城も、その時代の要であるから、この公園の場所にも、ダゴベルト王はやってきたに違いない。
サンドニ大聖堂を、王家の墓所とした王である。サンドニ大聖堂のなかでもひときわ大きい棺?である。

いまでも、この場所はいろんな通りが交わる部分で、12区の区役所のすぐそばだ。
全ての通りが昔からあったわけではないであろうが、こうやって公園になるほどの場所であるのは、そういったお城がこの界隈あったことと無縁でないような気がしてならないのである。
お城も鉄道も今はないが、まさに、ここがルイイ地区の中心地でありつづけたに違いない。
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